人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

(舞台裏編) ホセ・クーラ プッチーニのトゥーランドットを演出・舞台デザイン・出演 / Jose Cura / Turandot in Liege / Puccini

2016-10-08 | 演出―トゥーランドット

ワロン王立劇場FBより

ホセ・クーラが演出したワロン王立劇場のトゥーランドット、前回の投稿(インタビュー編)で紹介を終るつもりでしたが、劇場がフェイスブックに、舞台裏や舞台の美しいモノクロ写真をたくさんアップしてくれました。紹介したいと思います。
ここではクーラの映っているものを中心に紹介しましたが、それ以外にもたくさんの画像があります。
ぜひ直接ご覧になってください。 → ワロン王立劇場のFB

そのまえに、ラジオ中継から、ちょっぴりですが、第1幕の最後、父とリューの反対を押し切って、カラフが、トゥーランドットの謎への挑戦に名乗りを上げる場面を。
迫力ある合唱、力強く、伸びのある、クーラの“トゥーランドーーーーッーー!!”の声をお聞きください。

Jose Cura 2016 Turandot Act1 last


もうひとつ、第2幕のラスト、3つの謎を解いたカラフが、拒む王女に、「私の名前を当てたら私は死ぬ」と謎を出す場面。最後は、とてもやさしく、ささやくように歌うクーラ。

Jose Cura 2016 turandot Act2 last



劇場FBより、兵士をものともしないマッチョなカラフ


王女トゥーランドットの出す3つの謎に挑戦するカラフ


これはどのシーンでしょうか?勝利を確信したところか、それとも挑戦を決意した場面か・・。


舞台回しの役割を果たした、学校の教師そしてなぞの中国人(?)


ピン、ポン、パンに変身する、仮面劇の3つのキャラクター


リューの死で終わる今回の演出。最後に、未完のまま亡くなった作者プッチーニが登場し、彼の創作したキャラクターたちが死を悼む


カーテンコールで、子役を肩車して観客の喝采にこたえるクーラ。とても子ども好き。今回の演出でも子どもたちが大きな役割を果たした。


大喝采をうけて、感極まった様子のホセ・クーラ。
現地で観賞したファンによるカーテンコールの動画より。写真をクリックするとファンサイト、ブラボクーラページのFBにとびます。
他にもたくさんの貴重なカーテンコール動画や画像がアップされています。 → ブラボクーラページ


劇場のFBに掲載された、楽屋でメイク中のホセ・クーラ


開演前か? 出演者とハグして激励しあうクーラ


出演者のダンサー、ロスさんがインスタグラムにアップしたクーラとのツーショット。by Mégane Ross Instagram
"Con José Cura prima l'ultima recita di Turandot . Quelle chance d'avoir pu travailler pour et avec ce monstre sacré de l'opéra !!!"



共演者、スタッフとくつろぐホセ・クーラ。クーラは、ソリストや合唱、スタッフ、オーケストラなどの劇場の仲間をとても大切にして、いつもフランクに付き合うというエピソードをよく聞きます。そんな様子がわかる一枚。バスでティムール役のDallamicoさんがインスタにアップ。
以下3枚とも by luca.dallamico instagram







なお、まだ録画放送の情報は入ってきていません(2016/10/8時点)。ぜひとも、何らかの形で録画を見られるようにしてほしいと思います。
最後になりましたが、クーラのファンの1人として、ワロン王立劇場には、こういった魅力的な企画を提供してくれたことに、心から感謝したいです。ありがとうございました。
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(インタビュー) ホセ・クーラ プッチーニのトゥーランドットを演出・舞台デザイン・出演 / Jose Cura / Turandot in Liege / Puccini

2016-10-06 | 演出―トゥーランドット



ホセ・クーラが演出、舞台デザインを手掛け、カラフでも出演した、ベルギー・リエージュのワロン王立劇場シーズン開幕公演、プッチーニのトゥーランドット。
大好評のうちに、ついに昨夜10月4日に最終日を迎えました。クーラは演出・舞台デザインの重責に加え、カラフとして1日おきの6公演に出演するという長丁場を、無事に終えました。

10月1日(現地時間)の公演は、急きょ(たぶん)、ネットラジオで生中継がされ、日本でも聴くことができました。
わが家の通信状況がよくないためか、とぎれとぎれとなりましたが、可憐でけなげなリューの歌声、そして時に激しく時にやさしく、全体として大変なパワーと重量で歌いあげたクーラをはじめ、トゥーランドットやピンポンパン、合唱をふくめて充実した歌唱だったと思います。とりわけ、第1幕の「泣くなリューよ」から大合唱につづくシーンは大迫力でしたし、第3幕、リューの死で終わるラストシーンは、胸をつく悲しみと感動の余韻で終り、とても良かったと思いました。
しいて言えば、私としては、カラフとトゥーランドットの最後のデュエットがないために、もっとクーラの声が聞きたいけど・・という思いもありました。

ここで、ラジオ中継から、ほんの少し、クーラの歌う「泣くなリューよ」のさわりの部分を。 → FBのページにとびます。


さて、今回の演出・出演にあたって、クーラのインタビューがネットに掲載されています。読むことができた2つから、抜粋して紹介したいと思います。
すでに、このプロダクションに関しては、(告知編)(演出メモ編)(レビュー編)を掲載しています。合わせてお読みいただけるとありがたいです。
なお原文はフランス語で、例によって語学力がないために、誤訳など不十分なことと思いますが、ご容赦いただいて、大意をくみ取っていただくようにお願いします。

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――冷酷さ、利己主義の対極にある、愛による犠牲、リューの死で終わる
Q、あなたの演出では、アルファーノのラストシーンがなく、またその他の最後のシーンもないが、なぜ?

A、いいえ、「他のラストシーンがない」ことはない。なぜなら、最後のデュエットのレトリックはないが、プッチーニの生涯の劇的な終りとともに、物語の最終的な象徴的なシーンをまとめた、「ラストの、そのまたラストシーン」というべきもので終了するからだ。

これは私の選択であるだけでなく、劇場の要請によるもの。それは、私に良く合う――ほとんどフロイト的な性的な意味合いをもつ、最後のデュエットを行わないことによって、道徳的な子どもたちのための物語に戻ることができる――トゥーランドットの冷たさとカラフの利己主義の反対である、愛による犠牲の価値を強調するリューの死とともに終る。

Q、カラフはトゥーランドットと恋に落ちたのか、それとも征服のため、または政治的欲求によって動機づけられたのか?

A、カラフはトゥーランドットへの愛情をもっていない。彼は愛について語ることはないが、肉体的な所有と復讐について語る。
「おまえは、私の王国を奪い、そして私の父と私を檻に入れ、私の人々を殺す、だから私は、お前を打つ」――彼女の美しさは、彼の掠奪者としての本能をかきたてただけだ。
そして、彼は、望んでいるものを手に入れるためには、リューの犠牲を避けるための行動をせず、また彼の父の命を危険にさらすことに疑問を持っていない。
もしアルファーノのラストシーンがあると、事態はさらに厳しい――オペラの終りに、まだリューの遺体が温かいうちに、誰もが勝者のために喜ぶことになる。

Q、トゥーランドットは愛を恐れていた?それとも何らかの関係を恐れていた?

A、王女は肉体的な愛を恐れていた。したがって、男性の官能性に直面しておびえ、震える。男性を憎むのは、彼女の1人の祖先の受けたレイプを理由にしている。
空想のために求婚者を殺すことに躊躇しない彼女は、皮肉なことに、自らの一部が拒否していることを受け入れるために、リューの犠牲、「別の女性らしさ」を必要とする。

Q、カラフとリューとの関係をどうみている?

A、リューは、カラフだけでなく、彼の父親に対して、偉大な愛の教訓を与える。第1幕で、ティムールは彼の人生が、家族や政治状況によってではなく、1人の奴隷によって助けられたことを、感謝と驚きとともに認めている。若い女性は、たぶん、兵士たちにレイプされ、囚人のように飢え、虐待されていたにもかかわらず、恨みもせず、手助けした。

そしてその後、彼の息子を救うために自らの命すら与えた。利己的で傲慢なその男、この王子の顔に、ある日、笑顔の影を見たと思ったという理由だけで。
これは貴族としての最低限のもの。その有名な笑顔が、本物の愛情のしぐさだったのかどうか、奴隷の喜びをつくったのは、甘やかされて育った彼のしかめっ面か.....それは検証されることなく、彼が死ぬまで敬虔なカラフのままだ。

――演出家として、そして歌手として
Q、ここのように、演出と歌を同時に行う時、初演の夜、あなたは自分の役柄だけを考えて行動するのか、それとも演出家として、ステージングや他のキャラクターの行動の詳細を批判的な目でみる?

A、それはとても良い質問だ。私は完全な答えをもっていない。
私は、自分自身を切り離して、自分のキャラクターになることを心がけているが、演出であることを残し、私の眼は注意深くなっていることを認める。しかしまた、セットのなかの全員が、身体と心とともにこの歴史の中にあると感じたときには、私はそのなかに身を投げ、まわりの世界を忘れてしまったかのようになるというのもまた、真実だ。
このプロダクションでは、例えば、ラストシーンをデザインして以来、泣くことなしにショーを終るのは難しい・・。

(以上、「La Libre.be」より)




――予算の限界、論理的な一貫性、自分自身の限界ふまえて
Q、演出、舞台デザイン、そして時には、衣装や照明、メイクも担当することがあるが?

A、実際のところ、すべては劇場の予算にかかっている。
予算が限られている場合、そして衣装デザイナーを雇う費用が高すぎると、私は衣装の作業部門と直接、一緒に仕事をする。アーティストは大きな子どもであり、常に大きな夢を求めている。

通常、私は演出を任せられた時には、セットのデザインもしようとする。論理的な連続性のために。私は、自分自身がイメージできないセットのなかで、歌手として演じる考えを好まない。他の誰かによって設計された家に住むことは、非常にイライラさせられる場合があるように。

その後、私は自分のデザインを描くが、最初から舞台の全てのことを私の頭の中でつくりあげているわけではない。舞台をデザインしたら、どんな服を着るのかと考える。私は装飾を構築することからスタートすることはない。

そしてもちろん、自分自身の限界を知っていなければならない。それは私がアーティストのチームによってサポートされる理由だ。設計者として私は、特に、私のスケッチを実現可能なものに変換してくれる人が助手になってくれるのが夢だ。




Q、リエージュでの演出はどのようなものに?

A、いつものように、私は、美しい伝統と、一定の現代性との間の良い妥協点を求めている。私は、バランスと、時代にかかわらず、上品な美しい言葉を見いだすことを試みる。残念ながら、これらの性質は常に両立するわけではない。

リエージュのトゥーランドットは、リューの死で終了する。それは、アルファーノによって書かれた部分の品質の判断によるのではないが、しかし、最後のデュエットは、オペラのそれ以外の部分と比較して、音楽的に非常に攻撃的であり、彼は非常にエロティックに語っている。私の観点では、この、女性性(フェミニン)と男性性(マスキュリン)の間の対決を含む時、作品は視聴者に対して、はるかに挑戦的になる。

もしその部分がなくなると、観客にとって、もっと優しく終り、そしてとても悲しい――それは、いっそう寓話のようになり、私たちは、寓話はめったに良い終り方をしないことを知っている。

Q、この寓話の教訓とは?

A、トゥーランドットはリューに問う、「いったい誰が、お前の心にそんな強さを?」と。そしてリューは答える、「愛」。
そしてこのことが、大人の世界の性的な攻撃性をぬきに、子どもの想像力に根差した舞台をデザインすることを私に許すものだ。だから舞台の前面には子どもたちがいて、この歴史を夢に描き、その夢は、リアリズムぬきに、ボードの上に映しだされ、増幅されることになる。
同様に、ステージ上のゲームは、ナイーブな(純朴な)ものになる。例えば、トゥーランドットの護衛は、6人の忍者で構成されている。もちろん、忍者は日本のもので、中国のものではないことを知っている。しかし私が子どもたちにこのオペラの話をして、彼らに、どうやって視覚化するかとたずねたら、彼らはみんな、私に忍者のことを語ってくれた。忍者には、子どもたちが変装する。そして、血は流れない、全ては子どもたちのゲームのままになる。



――演出と歌手、両方を担う誘惑と大変さ
Q、歌手、演出、指揮の主に3つの活動に分かれているが?

A、私は演出と歌の両方をしないようにしたのだが、劇場が、オテロやトゥーランドットなどの役柄で私に歌うように依頼するのは当然のことであり、それに対して、「ノー、私は演出中だから」と断るのは非常に困難だ。
しかし、両方をやることで、それは疲れるというより、とりわけ、リハーサルの最後の週には、歌手モードで行けるように、頭のなかをよく準備するように、整理しなければならない。その時点で、舞台が軌道に乗ったと確認した時、私は、歌手ではない。通常、これ以上解決すべき技術的な問題がない場合、私は、指揮者に「車にキーを」と伝える。

人々がアーティストについて空想することはよい。時々、あなたは、なぜ私が多くのことをするのか、と問い、私はいつも、「なぜいけない?」と答える。私はプロフェッショナリズムを示し、その結果は向上している。私は、個性を閉じ込め、箱の中に鍵をかけようとするべきではないと思う。誰もが、実験し、失敗し、たたかれ、そして思うようにすすむ権利をもっている。

――キャリアと役柄
Q、デビュー当時以来、20世紀の音楽にはほとんど取り組んでいない?

A、それは本当で、私たちの時代の音楽をほとんど歌っていない。私はそれを逃しているが、ある意味で、劇場の選択も理解できる。たとえば私が、オイディプス王を歌うと、劇場に言うのは難しい。これは、特定の役柄に支払われる価格、オペラ劇場が関わる必要のないことだ。私がオテロやカラフを歌えなくなった時には、現代音楽に身を投じることもあるだろう。私はその試みに非常に好奇心があり、そしてミュージシャンとして、私に大きな喜びを与えてくれるだろう。

Q、1850年から1925年までの間に作曲されたイタリアの作品を歌うことが多いようだが、ノルマのポリオーネは?

A、私はノルマで歌った。そこでのテノールの役柄は、私のような声にとって非常に快適だが、舞台上で多くの喜びを与えるものではない。ベッリーニの信じられないほど素晴らしい音楽にもかかわらず、私はキャラクターに面白みがないと感じる。オペラのスタイルに耳を傾けるのは好きだが、それは歌手としての私に多くの感情を与えるものではない。
私は2007年のウィーンで、この役柄に別れを告げた。その時のパートナーは、エディタ・グルベローヴァとエリーナ・ガランチャだったので、それ以上のキャストを望むことはできなかった。人々は、あなたは何でも歌うことができる、というかもしれないが、私には、知的誠実さから、演じることを拒否しているいくつかの役柄がある。
 * 2007年のグルベローヴァ、ガランチャとのノルマ → この投稿で紹介しています。




――ついに実現するワーグナーでのデビュー
Q、2007年のインタビューでは、2010年にコンサート形式でパルジファルを歌うと聞いたが?

A、私はドイツ語を怖れ、自分のスコアを知っていたが、コンサート形式なら可能だろうと思い、受け入れた。しかしコンサートは残念ながらキャンセルされた。

Q、ついに2017年2月に、モンテカルロでワーグナーのタンホイザーにデビューするが?

A、タンホイザーは、偉大で、巨大な、非常に難しい役柄であり、私は怖ろしく怯えていることを告白しなければならないが、もし私がマスターしていない言語でそれを解釈しなければならないならば、それは単に不可能だっただろう。少なくとも、フランス語版のおかげで、私はワーグナーを歌うことができる。

Q、このフランス語版タンホイザーのプロジェクトはどのように始まった?

A、私がヴェルディのオペラ、スティッフェリオのためにモンテカルロ歌劇場に行った時、Jean-Louis Grindaは、タンホイザーのパリ版をやりたがっていた。彼が私に提案し、私はやりたかったと答えた。そして、それがフランス語で正式に書かれた唯一のワーグナーであるので、私の唯一のワーグナーへの挑戦となるだろうと思う。

Q、言語だけでなく、長さも問題になる?

A、私はタンホイザーと苦闘している。キャラクターのなかに意味を見いだすために、多くの労力を費やす。音楽が展開するにつれて、つぎつぎ現れ、3秒で表現されている可能性すらあるメッセージをつかみとるために。
レトリックはワーグナーのスタイルの一部であり、その音楽の美しさは信じられないほどだ。しかし、イタリアオペラのリズムに慣れ、「リアリズム」の演技のなかにいる人間には、多くの思考が必要であり、私はバランスを見つける必要がある。

 *タンホイザー挑戦についての告知は、→ こちらの投稿で



――最大のチャレンジ、ピーター・グライムズ
Q、2016-17シーズン中のもう一つの冒険、20世紀の英語のオペラで歌い、演出する?

A、ピーター・グライムズは、私のキャリアにおける最大のチャレンジ。私はいつも、これを歌うことが夢だと言い続けてきたが、ボン劇場の人々が、私のインタビューでそれを読み、私を雇った。そしてまた、私は誘惑に抵抗できなかったために、演出もおこなう。ブリテンにおいて、私はほとんどゼロからスタートする必要があり、特に美学、言語、音楽、30年の歌のキャリアの後に、これは非常にリフレッシュになる。
台本は本当に信じられないすごさ、素晴らしいスコア、音楽とアクションとの間の結びつきは総合的で、私自身にとっては、ワーグナーよりも、はるかに快適な方法だ。このプロジェクトは、私の情熱を大いに鼓舞してくれる。

Q、新しいキャラクターの一方、撤退するキャラクターも?

A、私は、ロドルフォ(ラ・ボエームの主人公)やデ・グリュー(マノン・レスコー)を愛している。本当に非常に美しい役柄であり、挑戦的であるが、テノールのためにとても良いものだ。私はこれらを歌うことに大きな喜びを感じるが、しかし、53歳の私は、ロドルフォに、皮膚感覚での信憑性を見いだすことができなくなった。時代は変わり、パヴァロッティが60歳や70歳でやったようには、我々はロドルフォを歌うことはできない。彼に対し、人々は、目をつぶって、この驚くべき声の美しさに耳を傾けた。

Q、ホセ・クーラの将来のプランは?

A、自然は自然であり、我々は、人生の旅を続けることから逃れることはできない。私が、いつまで歌う声をもっているのか、知らない。
ある日、もはや私が、大きな物理的な強さと一定の若さを必要とする役柄を歌うことができなくなったら、私は、指揮者としての活動、または演出に力を注いでいく。
そして、何らかの小さな役柄で歌うことを除外しない。私はトゥーランドットで皇帝かもしれない。カギは、組織されていることであり、お金のためにやることはない。
15年前、私がカヴァレリア・ルスティカーナでトウリッドウを歌った時、マンマ・ルチアは、伝説的な歌手、マグダ・オリベーロだった。

――時間をかけて解釈、成熟へ
Q、ホセ・クーラにとって、残っている探求は?

A、私のキャリアにおいては、私を魅了し、最も喜びを与えてくれるキャラクターにアプローチし、そして、私が快適に感じ、人びとに何らかのおもしろいものを提供できる場所で過ごすことができた。アーティストとして幸運である場合、期待にこたえ、妥協を受け入れず、自分自身に対して厳しくあることが不可欠だ。
私は、歌手として夢見たすべてをやることができた。まだピーター・グライムズが残っていたが、今シーズン、歌えることになった。成熟した役柄のためには、何年もかかる。明らかに、成熟度の点では、最初のピーター・グライムズは、250回演じたオテロのようにはいかない。だから私は、かなりの時間をかけて、ブリテンの英雄を解釈することができるよう願っている。

(「Forumopera.com」より)



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現地のレビューや劇場のFBに掲載された観客の声などを読むと、今回のリエージュのトゥーランドットが、本当にみんなに愛され、感動をひろげたことが実感されました。
音楽面でも、クーラのカラフをはじめ、指揮、歌手、コーラス、子どもたちそれぞれが、高く評価されました。

これは現地で観賞した方のFBに掲載された、カーテンコールの映像です。
熱狂的で、長く続く拍手と、地響きのように聞こえる足踏みの音がわかります。 → FBの動画



演出の面では、今回は、愛の力についての寓話をテーマとして、楽しい仕掛けをふんだんに取り入れ、また作曲の途中で亡くなったプッチーニを追悼するという、わかりやすく、誰でも楽しめて、心をうつものとなったようです。
これまでの作品を見ても、クーラの演出は、現代社会に鋭く切り込む抜本的で前衛的な読替えというわけではなく、どちらかというとオーソドックスですが、脚本とスコアを大切にするとともに、現代社会と誠実にむきあい、現代に生きる私たちに、舞台のキャラクターをめぐるドラマと感情を、リアルに、胸に迫って伝えてくれるものであるように思います。

これまでいくつかの投稿で紹介してきましたが、クーラは、90年代末に、次世代の大スターとして宣伝され、「次期3大テノール」とか「第4のテノール」として売り出された経過があります。しかし彼は、そういうマーケティングのやり方、芸術的な内容ではなく外見で彼の美しさを売り出すような、商業主義的な流れに対して、反旗をひるがえし、エージェントと決別して、すべてを自分だけでコントロールする道を選択しました。
その結果、数多くのチャンスを失ったことでしょうし、攻撃やネガティブキャンペーンも経験しました。もしいわれるままにレールの上を走り続けていたら、今頃、どうなっていたでしょう?

しかし商業主義の商品になることを拒否し、自分の信ずる芸術の道を精進してきた、その一つの到達が、今回のトゥーランドットであったと思います。
演出、舞台デザイン、主演を担うとともに、チームワークを大切にして、出演者、スタッフ、オーケストラ、劇場のみんなでひとつの舞台をつくりあげ、労苦をともにするというのは、クーラが大好きな、本当に楽しく、やりがいのある仕事だったこと思います。それが大きく成功し、高く評価されたことを、ファンとして心から喜びたいと思います。
そして、早期にDVD化やテレビ放送が実現することを切に願います。




 *ホセ・クーラのフェイスブックに掲載されたサンドラ・オットさん撮影の写真。
  その他の写真は、劇場のHPなどからお借りしました。
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(レビュー編) ホセ・クーラ プッチーニのトゥーランドットを演出・舞台デザイン・出演 / Jose Cura / Turandot in Liege / Puccini

2016-09-30 | 演出―トゥーランドット



2016年9月23日に初日を迎えた、ホセ・クーラ演出、ベルギーのワロン王立劇場のシーズン開幕公演のトゥーランドット。熱狂的だったという観客の反応や、レビューも好評のようです。

劇場のHPに投稿された観賞した方の感想もとても良いものでした。
「音楽、視覚的に、あらゆる面で傑出した、優れたパフォーマンス」、「私たちのオペラハウスの素晴らしいショーは、国境を越えて広くひろがる」、「良い作品、いつも素敵な夜!おすすめ!」、「コーラス、ステージング、風景...トータルで成功」、「優れたトゥーランドット。私はそれをとても楽んだ」、「すべてに最高なプロダクション、卓越したキャスト、豊かで面白い公演!」、「トゥーランドットは美しかった!エンドレスでたくさんの拍手に値する!」・・などなど。

以下では、レビューなどからいくつか抜粋して紹介するとともに、クーラのフェイスブックや、ファンサイトなどに掲載された、カーテンコールの画像などを紹介したいと思います。

またレビューのなかには、今回のクーラの演出の特徴、導入部分や、プッチーニの死後、弟子のアルファーノが補筆した部分をカットしてリューの死で終わるために、演出上、クーラが工夫したラストシーンなどを解説したものもあります。
以前の投稿、(告知編)(演出メモ編)の時点では、謎のまま残っていた興味深い部分が、ある程度、明らかにされています。
これからご覧になる予定の方にはネタばれになりますが、クーラの演出の魅力的な中身がわかりますので、紹介したいと思います。

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●導入部分について
――オペラのフレームとして授業で学ぶ子どもたちを導入

「クーラは彼のプロダクションのために古典的なアプローチを選択した。実際のパフォーマンスの開始の前に、プッチーニのオペラに関するプロジェクトに取り組んでいる学校の授業が、フレームとして導入されている。
年少の子供たちは、クーラが設計したステージである、三段からなる塔を設計する。年上の女の子たちは、3人の大臣のための衣装を取り扱い、コメディア・デラルテ(仮面即興劇)から3人のキャラクターを舞台上の壁に描いた。これらは大臣のピン、パン、ポンを具現化する。・・・
教師が登場し、生徒の作品を調べ、その後、彼は東洋の衣装を着た中国人に変身し、"トゥーランドットは3つの謎を解決できた者と結婚する"というメッセージとともにオペラを開始する。」 
(「Online Musik Magazin」)










●ラストシーンについて
――プッチーニの死、彼が創造したキャラクターたちによる別れ


「すでに演出と歌手としての二重の役割で、カヴァレリア・ルスティカーナと道化師で4年前に私たちを感動させたホセ・クーラは、今回、プッチーニの未完のオペラを取りあげた。彼は、ラストシーンのための非常にユニークな解釈を見つけた。リューが自殺した後、最後に、プッチーニ自身が現れ、そして彼は、彼の口でティムールの最後の言葉を言う。」

「クーラのプロダクションでは、奴隷(リュー)が本当に剣にむけて身を投げ出したのか、または、トゥーランドットが後ろから彼女を刺したのか、それが本当に自殺であるのかどうか、議論の余地がある。
トゥーランドットは、必死に(架空の)血液から自分の手をきれいにしようとしていて、彼女が罪の意識にかられていることは明らかだ。
このシーンでプッチーニが現れると、突然、蝶々夫人、ミミ(ラ・ボエーム)、トスカ、西部の娘、修道女アンジェリカなど、彼が創りだした有名なキャラクターたちが舞台に登場し、落胆して、彼らの創作者への別れを告げる。
プッチーニは、ステージ上の赤と白の紙のランタンの間に身を横たえる。そうして作品は、疑わしいハッピーエンドなしの終り方を見出す。」
(「Online Musik Magazin」)




 (この写真は、ファンサイトBravo Curaより)

●公演の評価をレビューから抜粋

――クーラは衰えず、90年代の栄光の時代の何も失っていない

「アルゼンチンテノール、クーラのステージングは、かなりうまく動作する。むしろ古典的なスタイルで、それは、台本に忠実である。」

「ホセ・クーラは、この間(ほとんど)衰えることなく、90年代後半にサムソンと道化師に結び付けられ、ディスクに収録された栄光の時代の何も失っていない。声はまだ十分であり、すべての面で、物理的および技術的な基盤の上に確保されている。」

「バリトンのような色合い、それと同時に、声を変色させることなく、高音にいく能力をもつ」

「結論として、このトゥーランドットは、リエージュで鳴り物入りでオペラシーズンを開いた魅惑のショーである。バーは、シーズンの今後にとって、高く設定された。」
(「Forum opera」)

――今も大テノールの1人

「ホセ・クーラは、演出だけでなく、自分自身でカラフを歌った。ホセ・クーラはまだ、私たちの時代の大テノールの1人である。強力な輝きで、彼は役柄を歌う。」(「BRF)」







――クーラは歌手として輝いただけでなく、演出家としての多彩な才能を証明

「クーラは、演出家・舞台監督としてプッチーニの未完のオペラへの説得力あるアクセスを見つけることができたことを証明しているだけでなく、王子カラフの挑戦的な役柄で輝くことができる。テノールらしい旋律の美しさと、猛烈な『私は勝利する』(Vincerò)を歌いあげ、有名な『誰も寝てはならぬ』を形づくった。」

「クーラはまた、柔らかいテナーと華麗な高音で情熱的に第2幕のカラフの『泣くなリューよ』を歌った。最後には、すべての参加者による、長い、かつ熱狂的な拍手があった。」

「結論 ホセ・クーラは、プッチーニのトゥーランドットの歌手として輝いただけでなく、オペラのアルファーノの加筆のない説得力あるコンセプトによって、ディレクターとしての、彼の多才な才能を証明した。」
(「Online Musik Magazin」)


――聴いて、見て、価値あるプロダクションに、長く熱狂的な拍手


「何年か前に、カヴァレリア・ルスティカーナと道化師のプロダクションで成功した同じ場所で、全体的に、彼は非常に満足のいく仕事で成功した。」

「そして、音楽の質は、とにかく聞く価値がある。もちろん、クーラが、パワフルで輝かしい声で、素晴らしい物理的強度で、有名な『誰も寝てはならぬ』を歌う時だけでなく、その成功は保証されている。」

「観客は、優れたキャストによる、プッチーニの一見の価値のあるプロダクションにたいして、長く、熱狂的な拍手で感謝を表明した。」
(「Opernnetz」)





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今回のクーラ演出のトゥーランドット。劇場側の要請で、プッチーニの死後、アルファーノが加筆したカラフと姫の対決シーンを削除して構想されたわけですが、クーラの演出メモを読んでも、どういうラストになるのか、謎でした。
実際に上演がはじまり、レビューや観賞した方の感想などを読んで、ようやくある程度、イメージがつかめてきました。

もともと、アルファーノ版のトゥーランドットに対するクーラの解釈は、失われた権力と富、美しい女性に対する欲望に駆られたカラフと、男性による自由と権利のはく奪と抑圧を恐れる王女、その男女の世界の対決構図でみるというものでした。その点では、ラストの「愛」による「ハッピーエンド」は、決して真の愛ではなく、男性による性的、権力的支配と、女性の屈服として分析されていました。
しかし今回は、その性的な屈服の比喩的なシーンがないために、かえって、本来のトゥーランドットの話の起源にたちもどり、リューの無償の愛の力を中心にすえた寓話として描き出したということのようです。

寓話としての性格を浮き彫りにするために、子どもたちがプッチーニのオペラを学ぶという授業をフレームにして、レゴや絵画、創作、仮面劇の世界から、トゥーランドットの世界が飛び出してくるという構造になっています。子どもたちの合唱が大きな役割を果たし、子ども合唱団も高い評価を受けたようでした。

そして注目のラスト。リューはカラフの名前を守るために、自らの体をトゥーランドットのもつ剣に向けて投げだすようにして自殺します。トゥーランドットは予期せぬリューの動きにひるみ、怖れ、血に濡れた自らの手をあわてて洗う動作をします。彼女が芯から邪悪な人間ではなく、身を守る鎧としての姿だったことが示唆されています。

無償の愛をうたう寓話としての物語、子どもたちの存在、そして作者プッチーニに捧げられる追悼と別れの感情。最後のシーンは、観賞した人によると、非常に感動的で、心揺さぶるものとなったようです。

演出と舞台デザインの仕事としても、またクーラ自身の歌唱と演技、全体のアンサンブルと音楽の質、全体として高い評価をえて、観客からも歓迎されたということで、本当に、クーラとしても、努力とハードワークが報われて、喜んでいるのではないでしょうか。
とはいえ、実際にみてみないことには、わかりません。ぜひぜひ、DVDの発売や、何らかの形での放送をお願いします。

最後は、ファンページのBravo Curaに掲載された画像から、終演後の充実した笑顔、すばらしい舞台をつくったことへの満足感が伝わる写真を。






*画像は、劇場のHP、クーラのフェイスブック、Bravo Cura Page からお借りしました。
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(演出メモ編) ホセ・クーラ プッチーニのトゥーランドットを演出・舞台デザイン・出演 / Jose Cura / Turandot in Liege / Puccini

2016-09-26 | 演出―トゥーランドット



ホセ・クーラが演出、舞台デザイン、そしてカラフを歌う、リエージュのワロン王立歌劇場のシーズンオープニング公演、プッチーニのトゥーランドット。
ついに9月23日から始まりました。
カーテンコールの画像やレビューなども出始めています。いまのところレビューも好評で、ネットにも観客からの感動の声がいくつかアップされています。いずれまた公演の模様や、放送予定などが公表されたら、まとめて投稿したいと思います。
*リハーサルなどを様子を紹介した「告知編」もあります。

今回は、初日に先立って、クーラがフェイスブックに公開したトゥーランドットの演出メモを紹介したいと思います。
ベルギーのリエージュの劇場用パンフレットに掲載するため、原文がフランス語です。しかもクーラは、この物語を、起源に遡るとともに、現代までの流れをたどって解明しています。そのため私自身の理解が追いつかない部分もあり、誤訳や事実誤認が多いかと思いますが、例によって、クーラの熱意と大意をくみとっていただければということで、どうか、ご容赦ください。

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劇場のフェイスブックに掲載された予告編
Turandot (Puccini) - La Bande Annonce



≪ホセ・クーラの演出ノート≫

●起源

どれほど多くの作品が、構想から後世に伝わる最終的な形までのトゥーランドットの起源をふまえていただろうか。AD633年、トゥーランドット(Turandokht)は――ササン朝(224~651年)最後の皇帝ホスロー2世パルヴィーズの娘であり、アーザルミードゥクト(Azarmidokht)とボーラーン(Purandokht)の妹で、ササン朝王朝のこの歴史的な期間における3人のペルシャの王女のなかで最も美しい1人――彼女の系統の気高さと政治的地位の真の典型となっていた。トゥーランドット(Turandokht)の名前が意味するのは、文字通り、「トゥーラーンの娘」であり、 "Dokht"(ドゥクト)は ペルシャ語で"dokhtar"(ミス=Miss)の短縮形。トゥーラーン人の起源は、BC1700年まで遡り、『アヴェスタ』に登場する主にイラン系民族からなる人々である。東方の精神世界における『アヴェスタ』の重要性はきわめて大きく、 アヴェスター語で書かれたゾロアスター教の根本教典として、大きく貢献した。伝説の王女である歴史上の人物に触発され、13世紀のペルシャの叙事詩文学の最も偉大な詩人の1人、ニザーミーは、1200年頃の彼の本『七王妃物語』の中で、一連の謎を解いた者に自身を与えると約束する王女の変遷を伝えている。ほぼ5世紀後、1700年に、プリンセス・トゥーランドット(Turandokht)の物語は、東洋学者フランソワ・ペティ・ド・ラ・クロアによって、東方民族の民間伝承にもとづく物語集(『千一夜物語』)のなかに再構成された。

しかしフランソワ・ペティ・ド・ラ・クロワは、ペルシャのニザーミーの仕事に触発されたが、恐らく商業的目的によって(当時、中国の異国情緒が流行していた)、出来事を中国に置き換え、ここで、 「トゥーラーンの娘」は「プリンセス・トゥーランドット」となった。カルロ・ゴッツィが1762年に寓話トゥーランドットを書いたのは、この物語からであり、オリジナルのペルシャ語のテキストからではない。有名なベネチアの劇作家のバージョンは、1801年、当時、悲劇としてワイマールで上演され、フリードリヒ・フォン・シラーでさえ熱狂するほど非常に成功した...。




最終的に、ほとんど忘れられたペルシャの詩人の作品のうえに、4つの異なるペンを経た後、脚本家ジュゼッペ・アダミとレナート・シモーニは、観客の心を以前のバージョンよりもつかむ、今日、我々が知っているバージョンを作成した。こうしてジャコモ・プッチーニの同名作品の脚本(そして遺作)は誕生した。ルッカの天才は、1921年、トゥーランドットの音楽の作曲を始めた。しかし、1924年10月10日、彼が咽喉癌と診断されたとき、仕事は未完成だった。 なんという運命のいたずらだろう、永遠に世界を歌い、歌い続けるだろう人にとって!彼はブリュッセルの診療所で数週間後に死亡した。師匠の願いの実現のため、作品の草案(36ページ)が作業を完了するために作曲リッカルド・ザンドナーイに提出されたが、しかしジャコモの息子であるトニオ・プッチーニが反対し、父の仕事の後継者にフランコアルファーノを推した。アルファーノは多くの批判にさらされ、加えて、自分の方がより優れていると信じる人々によって、特有の皮肉とともに、その努力を嘲笑されさえした。 ザンドナーイがやれたかもしれないこと、プッチーニについてはいうまでもないが、それを我々は決して知ることができないのは明白だ。しかし、作品を完成させるために、巨大な歴史的責任を取らなければならなかった気の毒なアルファーノ、師匠の死にあたり目に涙をためた彼が何をしたのか、我々は知っている。

また 現代作曲家ルチアーノ・ベリオが、新たな部分を書き込むことによって、補作しようとしたことを思い出してほしい。最終的には、プッチーニだけが――自明の理だが!――私たちが願うように最後を書き上げることができたのかもしれない。たぶん...しかし彼はそれを行うことができなかったため、その議論を停止し、ジャコモ・プッチーニの執筆の途中において後戻りすることのない革命であったであろう、この未完成で達成不可能な作品を、深く掘ろうと試みる時が来た。 彼がどこまで飽くなき音楽的好奇心を進めたでだろうか、私たちは決して知ることはできない。
しかし、トゥーランドットにおいて、人は、来たるべきプッチーニの多くを推測することができる――とどまることのない作曲家、それが発展してきた方向にかかわらず、決してメロディーをあきらめなかっただろう。 最終的に今日、14世紀余り前に実在した "トゥーランの娘"、オリジナルの詩が書かれてから8世紀以上がたち、数多くの人の手を経たにもかかわらず、プリンセス・トゥーランドットの運命は、私たちを魅了し続けている。




●ステージング
――動機


このリリースにあたって、劇場の芸術監督は、トスカニーニが初演の際にやったように、リューの死とともに、描写を終了することを私に依頼した。
私は、国際的なキャリアの初めから、多くの感情を私に提供してくれたジャコモ・プッチーニに対する私の「別れ」を表明する舞台をつくる機会を与えてくれた決定である、という意味において、非常に喜んだ。私は、1995年、トッレ・デル・ラーゴでのトスカでのデビューの際に、「プッチーニの家」に個人的に旅行した時、彼の棺に触れて子どものように泣き出したことを昨日のように覚えている。

ラストのデュエットにおける性的で音楽的な混乱がない、「トスカニーニ風」トゥーランドットは、ニザーミーの詩的精神、そしてカルロ・ゴッツィの悲喜劇など、作品の「素晴らしい」起源をたどる機会を提供する。すなわち、物語、寓話、そしてリューの教訓を広げるモラルに立ち戻る。 「誰がお前の心にそれほどの力を?」、王女は尋ね、「愛!」と奴隷は答える。






スペイン王立アカデミーの辞書には、寓話とは、「短い架空の物語であり、散文や詩において、教訓的な意図を持ち、多くの場合、最終的にはモラルを表わす」とされている。従って、寓話の大部分における心理的暴力にもかかわらず、罪のない性別や年齢の間の不可解な接続を作成し、幼児教育へ、この文学ジャンルが頻繁に関連付けられる。 これは、ステージングが寓話を表すことを意図されているためであり、そして私は、ステージ上の子どもの存在のための完璧な口実を見つけた。現代の子どもたちが、教師に伴われ、レゴの城を作って、クラスのなかで学んだことを実践すると、そこに隠れていた教授の衣装、中国の役人、またその他のアイディアが舞台上で実体化され、ファンタジーが現実の男たちになる。この点で、「語り手」としての中国人の教師、コメディア・デラルテ(仮面即興劇)における寓話で大事なピン、パン、ポンの役割を強調することが重要だ。ゴッツィが残した扉、そして子どもたちとの遊びの風景の前で、3人の仮面は、仮面即興劇の3つの象徴的なキャラクター、パンタローネ(老人)、アレッキーノ(従者・道化)、ドットーレ(知識人)の役割を物語るために教師に雇われた俳優であり、彼らは空想のなかで、伝統的な衣装を、中国の衣装へ変え、難問の儀式に参加する。




この近代の教育寓話について、トゥーランドットのそれは、最も冷厳な現代性を持っている。――王女は、肉体的な愛を恐れていた― それを表す、すべてのことを―その結果、男性の官能的な衝動におびえ震える。それは、彼女の祖先の1人が受けたレイプのせいである―千年以上前の‥!男性を嫌ういいわけとして。これは彼女の求婚者を、このような潜在的な「レイプ犯」として、生きた存在につなげる。「一体誰が、女性を守る偽の治安部隊を突破するのか?」、プッチーニと彼の脚本家たちは、近代的で敏感な男性であり、そのコンセプトを完全に理解し、女性が独立性を失い、男性に降伏して生きることを余儀なくされた時、女性が被る傷として、彼らの仕事の中において表示した。このように、自分の空想のために男性の候補者を殺すことに躊躇しなかった王女は、皮肉にも、別の「女性らしさ」の犠牲を必要する。リューは、彼女が拒否する両方の部分を受け入れて実現するために。この部分で、カラフは、トゥーランドットと恋に落ちたのではないが、しかし彼女に「大いに喜んで」、彼の全ての官能的、性的な魅力を交渉のために使う――彼の欲望=彼の王子としての地位を復活させる王国=のために。この意味において、アリア「誰も寝てはならぬ」"Nessun dorma,"は、愛の歌ではなく、戦闘で敗北して誇りを傷つけられ、奪還計画により、夜明けに勝利の到来を待つ、戦士の叫びである、「私は勝つ!」――。






私には、トゥーランドットは、フロイトの豊かなピッチとともに――知識の道具として、現代的な精神分析が現れた20世紀において、その物語は決定的な力を持ったということを無視できない――常に女性の世界に対して非常に敏感だったプッチーニにとっての、「ラクダの背中を壊す一本のわら」(1本のわらでも、たくさん集まればラクダをつぶしてしまうというフランスの格言)だった。なぜ彼が最後まで完了できなかったのか、理由は彼の病気以上に、男女関係の清算にあたっての、非常に個人的な不安の感覚のためであり、それがトゥーランドットの結末を示している、ということは可能だろうか。それを知ることはできない。
私たちはまた、プッチーニが住んでいた「現実の街」トッレ・デル・ラーゴの人々と、「幻想的な北京」の住人、トゥーランドットの関連が、どのくらい本当に真実なのか、知りえない。1909年、プッチーニ家の使用人、ドーリア・マンフレーディが人生を終える。人々の想像力は、夫と若い娘の不倫を非難していた作曲家の妻、エルヴィーラ・プッチーニの迫害とこの悲しい結末を関連づける。伝承によれば、ジャコモは、この不必要な死の不公平さによる苦痛から回復することができず、このことが、彼の人生における大きな幻滅の始まりとなった。それは彼の手紙で明らかだ。これらの事実に基づき、多くの人は、リューをドーリア・マンフレーディの犠牲へのオマージュを見ている。
この曖昧な歴史をふまえ、私は、最終的に、第3幕に、シンボリックな形で、リューのハイライトを上演した。「私を縛って、私を切り裂いて」と小さく叫び、「何でもない。私の愛は純粋だから、彼が私に、あなたに立ち向かう力をくれる」――その言葉は、もし歴史が本当にそうであれば、ドーリア・マンフレーディの心の中にあるべきものだろう。とにかく、ゴシップは別として、パオロ・ベンヴェヌーティの長編映画「プッチーニの愛人」の実現につながった最近の研究に照らすならば、誰も決定的な真実を確立することはできない。





 
個人的には、私は、年老いたティムールの最後の曲のなかの、「ピッコラ(かわいい子)」リューへの悲しい別れを、カラフの父の声を借りた作曲家自身の告訴として、彼の創造した者たち(そして私たちに対しても)への別れを込めたものと考えたい。「明けることのない夜に、お前の横に立って行こう」、年老いた男は言う。そして、私のロマンチックな想像力は、私にこう信じさせる。喪失の痛みによって破壊されたバスの声は、恐らく、死につつあるプッチーニの唇からの声、喉頭がんによるしわがれ声に最も近いだろう。もし、彼が、彼の驚くべき人生の最後の時間に、音を発することができたならば。この理由から、ジャコモは、ステージの上でティムールに置き換わり、彼の創造した者たちに別れを告げたのち、彼のすべてのキャラクターが動き出し、彼を称えるために一緒に来る間に、安らかに亡くなる。




――装飾について

ステージ装置は、子どもたちの想像力によって支配されている。これは、北京の紫禁城の南門をレゴ・レゴバージョンで自由に再現している。経験の「温かさ」を奪われた、非常にきれいな作図線を使うことによって、有名なゲームの冷たいプラスティックな部品のなかにそれらを巻き込む。別の楽しいステージアクションは、子どもの想像力によって、それぞれの課題に合わせた色のランタンの使用――希望のための緑、血のための赤、ロイヤリティ/トゥーランドットのための金――そして難問が解かれると重さを失って飛ぶ、または色についた球をボールプールのように使い、それは貴重な石、宮殿の壁からの滝を示す。






登場人物と子どもたちとの間の相互作用は、仮想の線をめぐって構築され、前景とを分離する境界線となる。自由に往復できる3人の仮面の人物を除き、子どもたちだけが持つ権限と関わることはできない。彼らは、実際には物語の一部ではなく、演技のために雇われた俳優だ。同様に、トゥーランドットは、子どもたちとランタンの助けを借りて、境界線を通過させる道を管理する。最後に、教授と子どもたちは、カラフの勝利の熱意に気を取られ、またこの魔法のラインを通過し、学校に戻ることができる。
このアイディアは、フェルナンド・ルイスがデザインした、コーラスを含めたキャラクターの衣装に影響を与え、きれいなライン、シノワズリ(中国趣味)を最小限に抑える。






――合唱団の役割

3人の仮面が、死刑執行の閣僚として彼らの職務を訴え、中国についての予言をする彼らの個人的な話を私たちに語る親密なシーンを除いて、トゥーランドットは大規模なオープンシーンがあり人口密度の高い「叙事詩」的なオペラである。プッチーニは、トゥーランドットを、多くのグループに分けた合唱のために設計しており、彼らは一緒に歌わず、個々の人格であるかのように、彼ら自身の介在する独自のポイントをもっている。マエストロの手紙による指示に従うならば、それは150人のアーティストが必要だろう、最小でも...。これは、トゥーランドットが、巨大な野外公演を好む曲の一つであるためではない。確かに、循環させるたくさんのスペースを必要とする。私はこのリエージュのプロダクションにおいて、宮殿の中心の周りのギャラリーにコーラスを配置することによって、「ギリシャ悲劇」の合唱隊のスタイルを用いることにした。この壮大なオペラにおいてプッチーニが夢見た、大規模かつ壮大なサウンドを得るために、下方のセットは巨大なサウンドボックスを作成するように設計された。





・・・・・・・・・・

私がこれを書いている時、20年以上にわたって友人であり同僚であったダニエラ・デッシーの死を知った。ダニー、友人はそう呼ぶが、彼女は私のリューではなかったけれど、コンサートや貴重な録音のパートナーであった以上に、私の最も偉大なデズデモーナであり、トスカ、マッダレーナ、マノン、イリスの1人だった。
私は彼女の思い出にこのプロダクションを捧げる。

   ホセ・クーラ 2016年8月21日 マドリードにて

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今回の演出は、トスカニーニが指揮をしたオペラ初演の際と同様に、リューの死で、物語を終わるということです。クーラは、これまでの自分の解釈をふまえるとともに、最後の、トゥーランドットとカラフの直接対決、キスや性的な行為を象徴するシーンがないことによって、よりこのドラマの本質的な部分を強調できると考えたようです。

最後のシーンには、クーラの工夫で作者のプッチーニも登場するらしいですね。実際に見てみたいし、見てみないと、どんな舞台に仕上がったのか、わかりませんね。放送されるという話をクーラがFBでしていたので、それを楽しみに待ちたいです。 

ワロン王立劇場での公演は、来月まで続きます。







*画像は、ホセ・クーラのFB,リエージュのワロン王立劇場のFB,HPよりお借りしました。
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(告知編) ホセ・クーラ プッチーニのトゥーランドットを演出・舞台デザイン・出演 / Jose Cura / Turandot in Liege / Puccini

2016-09-13 | 演出―トゥーランドット


ホセ・クーラは現在、ベルギーのリエージュにある、ワロン王立歌劇場(Opéra Royal de Wallonie)で、プッチーニの最後のオペラ、トゥーランドットの演出・舞台デザイン、そしてカラフの主演のために、準備中です。

クーラは、2003年にイタリアのヴェローナのアレーナで、カラフにデビューして以来、毎年のように、このオペラに出演してきました。そして独自の解釈を深めるとともに、「誰を寝てはならぬ」などのスリリングな歌唱で、聴衆を魅了してきました。
これまでクーラの解釈やヴェローナの舞台などについて紹介した投稿は以下です。
 → 「ホセ・クーラ トゥーランドットの解釈」  
 → 「2003年 ヴェローナのアレーナでトゥーランドットのカラフ・デビュー

クーラはこのオペラの解釈について、「トゥーランドットは愛の物語ではない」と語ってきました。
「トゥーランドットは愛の物語ではない。貪欲な人々が、権力と利権を奪取しようとする話だ。カラフは彼自身の王国を失い、別の王国を世界中で探して旅していた。彼は望むものを手に入れるために愛する人を危険にさらす。プッチーニのオペラ、トゥーランドットの核心は、トゥーランドットの世界(女性の世界)とカラフの世界(男性の)との間の対決だ。それは偉大な謎。フロイトの理論。カラフのエゴイズムが王国の征服に乗り出す。」 (2006年インタビュー)

今回の演出によって、どのような舞台になるのでしょうか。まだその全体像は、明らかにされていません。
これまでクーラのフェイスブックや、ワロン王立歌劇場によって公表された画像、動画などを紹介します。

ワロン王立劇場のHP


(日程) 2016年9月23、25、27、29日、10月1、4日 ―― 23日は、ワロン王立歌劇場の2016/17シーズンのオープニングです。

Conductor: Paolo ARRIVABENI , Direction and set designs: José CURA
Costume designs: Fernand RUIZ , Lighting designs: Olivier WÉRY , Choirmaster: Pierre IODICE , Mastery supervisor: Véronique TOLLET
Turandot: Tiziana CARUSO , Calaf: José CURA
Liù: Heather ENGEBRETSON , Timur: Luca DALL’AMICO , Emperor Altoum: Gianni MONGIARDINO
Ping: Patrick DELCOUR , Pong: Papuna TCHURADZE , Prince of Persia: Papuna TCHURADZE , Pang: Xavier ROUILLON


●舞台の様子
これが、一番初めに公表された、舞台のイメージ図(模型のよう)です。トゥーランドットの宮殿がライトに照らし出されています。


搬入から、舞台の立ち上げる作業の様子。












そしてたちあがった舞台の全景。ライトアップされ、手前に、ピン、ポン、パンと子どもたちの姿が見えます。
3人と子どもたちについては、また後ほど、クーラの動画があります。



●リハーサル
初日に向けて、リハーサルにも熱が入ります。
演出でありつつ、カラフを歌うクーラ。指揮者とも、歌手・演出の両方の面で調整するのでしょうか。




立ちあがった舞台でのリハーサル。


ロープで首を絞められ、倒れ掛かっているのはリューでしょうか?いったい何が!?


足場の悪いところでダンスのような、アクロバティックな動きをしているのは、誰なのでしょう。


演出のクーラを囲んで。




揃いのトランクをもって登場するピン、ポン、パン・・中に入っているものは?


舞台を後方から見おろした角度での写真ですが、これをみると、舞台上にせり上がりか階段のようなものが多数設置され、立体的な構造になっているようです。




出演する子どもたちとリハーサルをすすめるクーラ。







●子どもとのリハーサルを映した動画
クーラが自分の動画サイト「ホセ・クーラTV」にアップした動画です。 → 動画のページへのリンク
演出家として初めての子どもたちとリハーサルの様子。ベルギーなので、フランス語でぺらぺら。

(クーラの解説)
「私のトゥーランドットのプロダクションの最初のシーンの間、3人の仮面の人物、ピン、パンとポンは、子どもたちと対話する。建物の提灯、レゴなどで遊びながら(残りは、あなたがショーの間に発見するだろう)。昨日、私は、子どもたちが、彼らの大人のパートナーとリラックスできるように、しばらく時間を費やし、そして、子どもたちがステージの小道具に親しむようにした。」


子どもたちの緊張をほぐし、リラックスさせ、仲良くなるさせるために、笑わせたり、踊ったり、指揮者のように、子どもたちの拍手をあおったり止めたり・・。




再掲・舞台の全景、子どもたちとピン、ポン、パンの様子


 
 

(クーラのFBでの解説)
「以前の記事で(上記の動画のこと)、トゥーランドットの私のプロダクションで、子どもたちとピン、ポン、パンの間に、信頼と親しみを確立するために行われた作業を見ただろう。そして、この絵で、アクションでそれらを見ることができる。アニメの映像かレゴのように外観がみえる方法で照らし出された宮殿に囲まれて。右端にあるレゴでつくられた宮殿のモデル。子どもたちはショーの間、作業している...」

舞台右端におかれた、レゴでつくった王宮。どうやら子どもたちが遊びながらつくりあげているようです。物語は、遊びとおもちゃから生まれるファンタジーということなのでしょうか?

劇場関係者がツイッターで紹介した画像。レゴでつくった首切り役人?


物語の1つのカギになりそうな、レゴブロックの王宮。劇場のFBにも、組み立てている動画がアップされていました。


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さて、まだまだ謎だらけな、クーラのトゥーランドット。間もなく9/23初日です。
たぶん録画放送されるだろうと、クーラがフェイスブックで述べていたので、何らかの形で日本でも見られることを楽しみにしています。

おまけ 2000年ブダペストでの「誰も寝てはならぬ」
Jose Cura Nessun dorma


2014年、フランスのコンサートでの「誰も寝てはならぬ」
Jose Cura 2014 "Nessun dorma" Turandot


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