ホセ・クーラが演出、舞台デザインを手掛け、カラフでも出演した、ベルギー・リエージュのワロン王立劇場シーズン開幕公演、プッチーニのトゥーランドット。
大好評のうちに、ついに昨夜10月4日に最終日を迎えました。クーラは演出・舞台デザインの重責に加え、カラフとして1日おきの6公演に出演するという長丁場を、無事に終えました。
10月1日(現地時間)の公演は、急きょ(たぶん)、ネットラジオで生中継がされ、日本でも聴くことができました。
わが家の通信状況がよくないためか、とぎれとぎれとなりましたが、可憐でけなげなリューの歌声、そして時に激しく時にやさしく、全体として大変なパワーと重量で歌いあげたクーラをはじめ、トゥーランドットやピンポンパン、合唱をふくめて充実した歌唱だったと思います。とりわけ、第1幕の「泣くなリューよ」から大合唱につづくシーンは大迫力でしたし、第3幕、リューの死で終わるラストシーンは、胸をつく悲しみと感動の余韻で終り、とても良かったと思いました。
しいて言えば、私としては、カラフとトゥーランドットの最後のデュエットがないために、もっとクーラの声が聞きたいけど・・という思いもありました。
ここで、ラジオ中継から、ほんの少し、クーラの歌う「泣くなリューよ」のさわりの部分を。
→ FBのページにとびます。
さて、今回の演出・出演にあたって、クーラのインタビューがネットに掲載されています。読むことができた2つから、抜粋して紹介したいと思います。
すでに、このプロダクションに関しては、
(告知編)、
(演出メモ編)、
(レビュー編)を掲載しています。合わせてお読みいただけるとありがたいです。
なお原文はフランス語で、例によって語学力がないために、誤訳など不十分なことと思いますが、ご容赦いただいて、大意をくみ取っていただくようにお願いします。
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――冷酷さ、利己主義の対極にある、愛による犠牲、リューの死で終わる
Q、あなたの演出では、アルファーノのラストシーンがなく、またその他の最後のシーンもないが、なぜ?
A、いいえ、「他のラストシーンがない」ことはない。なぜなら、最後のデュエットのレトリックはないが、プッチーニの生涯の劇的な終りとともに、物語の最終的な象徴的なシーンをまとめた、「ラストの、そのまたラストシーン」というべきもので終了するからだ。
これは私の選択であるだけでなく、劇場の要請によるもの。それは、私に良く合う――ほとんどフロイト的な性的な意味合いをもつ、最後のデュエットを行わないことによって、道徳的な子どもたちのための物語に戻ることができる――トゥーランドットの冷たさとカラフの利己主義の反対である、愛による犠牲の価値を強調するリューの死とともに終る。
Q、カラフはトゥーランドットと恋に落ちたのか、それとも征服のため、または政治的欲求によって動機づけられたのか?
A、カラフはトゥーランドットへの愛情をもっていない。彼は愛について語ることはないが、肉体的な所有と復讐について語る。
「おまえは、私の王国を奪い、そして私の父と私を檻に入れ、私の人々を殺す、だから私は、お前を打つ」――彼女の美しさは、彼の掠奪者としての本能をかきたてただけだ。
そして、彼は、望んでいるものを手に入れるためには、リューの犠牲を避けるための行動をせず、また彼の父の命を危険にさらすことに疑問を持っていない。
もしアルファーノのラストシーンがあると、事態はさらに厳しい――オペラの終りに、まだリューの遺体が温かいうちに、誰もが勝者のために喜ぶことになる。
Q、トゥーランドットは愛を恐れていた?それとも何らかの関係を恐れていた?
A、王女は肉体的な愛を恐れていた。したがって、男性の官能性に直面しておびえ、震える。男性を憎むのは、彼女の1人の祖先の受けたレイプを理由にしている。
空想のために求婚者を殺すことに躊躇しない彼女は、皮肉なことに、自らの一部が拒否していることを受け入れるために、リューの犠牲、「別の女性らしさ」を必要とする。
Q、カラフとリューとの関係をどうみている?
A、リューは、カラフだけでなく、彼の父親に対して、偉大な愛の教訓を与える。第1幕で、ティムールは彼の人生が、家族や政治状況によってではなく、1人の奴隷によって助けられたことを、感謝と驚きとともに認めている。若い女性は、たぶん、兵士たちにレイプされ、囚人のように飢え、虐待されていたにもかかわらず、恨みもせず、手助けした。
そしてその後、彼の息子を救うために自らの命すら与えた。利己的で傲慢なその男、この王子の顔に、ある日、笑顔の影を見たと思ったという理由だけで。
これは貴族としての最低限のもの。その有名な笑顔が、本物の愛情のしぐさだったのかどうか、奴隷の喜びをつくったのは、甘やかされて育った彼のしかめっ面か.....それは検証されることなく、彼が死ぬまで敬虔なカラフのままだ。
――演出家として、そして歌手として
Q、ここのように、演出と歌を同時に行う時、初演の夜、あなたは自分の役柄だけを考えて行動するのか、それとも演出家として、ステージングや他のキャラクターの行動の詳細を批判的な目でみる?
A、それはとても良い質問だ。私は完全な答えをもっていない。
私は、自分自身を切り離して、自分のキャラクターになることを心がけているが、演出であることを残し、私の眼は注意深くなっていることを認める。しかしまた、セットのなかの全員が、身体と心とともにこの歴史の中にあると感じたときには、私はそのなかに身を投げ、まわりの世界を忘れてしまったかのようになるというのもまた、真実だ。
このプロダクションでは、例えば、ラストシーンをデザインして以来、泣くことなしにショーを終るのは難しい・・。
(以上、「La Libre.be」より)
――予算の限界、論理的な一貫性、自分自身の限界ふまえて
Q、演出、舞台デザイン、そして時には、衣装や照明、メイクも担当することがあるが?
A、実際のところ、すべては劇場の予算にかかっている。
予算が限られている場合、そして衣装デザイナーを雇う費用が高すぎると、私は衣装の作業部門と直接、一緒に仕事をする。アーティストは大きな子どもであり、常に大きな夢を求めている。
通常、私は演出を任せられた時には、セットのデザインもしようとする。論理的な連続性のために。私は、自分自身がイメージできないセットのなかで、歌手として演じる考えを好まない。他の誰かによって設計された家に住むことは、非常にイライラさせられる場合があるように。
その後、私は自分のデザインを描くが、最初から舞台の全てのことを私の頭の中でつくりあげているわけではない。舞台をデザインしたら、どんな服を着るのかと考える。私は装飾を構築することからスタートすることはない。
そしてもちろん、自分自身の限界を知っていなければならない。それは私がアーティストのチームによってサポートされる理由だ。設計者として私は、特に、私のスケッチを実現可能なものに変換してくれる人が助手になってくれるのが夢だ。
Q、リエージュでの演出はどのようなものに?
A、いつものように、私は、美しい伝統と、一定の現代性との間の良い妥協点を求めている。私は、バランスと、時代にかかわらず、上品な美しい言葉を見いだすことを試みる。残念ながら、これらの性質は常に両立するわけではない。
リエージュのトゥーランドットは、リューの死で終了する。それは、アルファーノによって書かれた部分の品質の判断によるのではないが、しかし、最後のデュエットは、オペラのそれ以外の部分と比較して、音楽的に非常に攻撃的であり、彼は非常にエロティックに語っている。私の観点では、この、女性性(フェミニン)と男性性(マスキュリン)の間の対決を含む時、作品は視聴者に対して、はるかに挑戦的になる。
もしその部分がなくなると、観客にとって、もっと優しく終り、そしてとても悲しい――それは、いっそう寓話のようになり、私たちは、寓話はめったに良い終り方をしないことを知っている。
Q、この寓話の教訓とは?
A、トゥーランドットはリューに問う、「いったい誰が、お前の心にそんな強さを?」と。そしてリューは答える、「愛」。
そしてこのことが、大人の世界の性的な攻撃性をぬきに、子どもの想像力に根差した舞台をデザインすることを私に許すものだ。だから舞台の前面には子どもたちがいて、この歴史を夢に描き、その夢は、リアリズムぬきに、ボードの上に映しだされ、増幅されることになる。
同様に、ステージ上のゲームは、ナイーブな(純朴な)ものになる。例えば、トゥーランドットの護衛は、6人の忍者で構成されている。もちろん、忍者は日本のもので、中国のものではないことを知っている。しかし私が子どもたちにこのオペラの話をして、彼らに、どうやって視覚化するかとたずねたら、彼らはみんな、私に忍者のことを語ってくれた。忍者には、子どもたちが変装する。そして、血は流れない、全ては子どもたちのゲームのままになる。
――演出と歌手、両方を担う誘惑と大変さ
Q、歌手、演出、指揮の主に3つの活動に分かれているが?
A、私は演出と歌の両方をしないようにしたのだが、劇場が、オテロやトゥーランドットなどの役柄で私に歌うように依頼するのは当然のことであり、それに対して、「ノー、私は演出中だから」と断るのは非常に困難だ。
しかし、両方をやることで、それは疲れるというより、とりわけ、リハーサルの最後の週には、歌手モードで行けるように、頭のなかをよく準備するように、整理しなければならない。その時点で、舞台が軌道に乗ったと確認した時、私は、歌手ではない。通常、これ以上解決すべき技術的な問題がない場合、私は、指揮者に「車にキーを」と伝える。
人々がアーティストについて空想することはよい。時々、あなたは、なぜ私が多くのことをするのか、と問い、私はいつも、「なぜいけない?」と答える。私はプロフェッショナリズムを示し、その結果は向上している。私は、個性を閉じ込め、箱の中に鍵をかけようとするべきではないと思う。誰もが、実験し、失敗し、たたかれ、そして思うようにすすむ権利をもっている。
――キャリアと役柄
Q、デビュー当時以来、20世紀の音楽にはほとんど取り組んでいない?
A、それは本当で、私たちの時代の音楽をほとんど歌っていない。私はそれを逃しているが、ある意味で、劇場の選択も理解できる。たとえば私が、オイディプス王を歌うと、劇場に言うのは難しい。これは、特定の役柄に支払われる価格、オペラ劇場が関わる必要のないことだ。私がオテロやカラフを歌えなくなった時には、現代音楽に身を投じることもあるだろう。私はその試みに非常に好奇心があり、そしてミュージシャンとして、私に大きな喜びを与えてくれるだろう。
Q、1850年から1925年までの間に作曲されたイタリアの作品を歌うことが多いようだが、ノルマのポリオーネは?
A、私はノルマで歌った。そこでのテノールの役柄は、私のような声にとって非常に快適だが、舞台上で多くの喜びを与えるものではない。ベッリーニの信じられないほど素晴らしい音楽にもかかわらず、私はキャラクターに面白みがないと感じる。オペラのスタイルに耳を傾けるのは好きだが、それは歌手としての私に多くの感情を与えるものではない。
私は2007年のウィーンで、この役柄に別れを告げた。その時のパートナーは、エディタ・グルベローヴァとエリーナ・ガランチャだったので、それ以上のキャストを望むことはできなかった。人々は、あなたは何でも歌うことができる、というかもしれないが、私には、知的誠実さから、演じることを拒否しているいくつかの役柄がある。
* 2007年のグルベローヴァ、ガランチャとのノルマ
→ この投稿で紹介しています。
――ついに実現するワーグナーでのデビュー
Q、2007年のインタビューでは、2010年にコンサート形式でパルジファルを歌うと聞いたが?
A、私はドイツ語を怖れ、自分のスコアを知っていたが、コンサート形式なら可能だろうと思い、受け入れた。しかしコンサートは残念ながらキャンセルされた。
Q、ついに2017年2月に、モンテカルロでワーグナーのタンホイザーにデビューするが?
A、タンホイザーは、偉大で、巨大な、非常に難しい役柄であり、私は怖ろしく怯えていることを告白しなければならないが、もし私がマスターしていない言語でそれを解釈しなければならないならば、それは単に不可能だっただろう。少なくとも、フランス語版のおかげで、私はワーグナーを歌うことができる。
Q、このフランス語版タンホイザーのプロジェクトはどのように始まった?
A、私がヴェルディのオペラ、スティッフェリオのためにモンテカルロ歌劇場に行った時、Jean-Louis Grindaは、タンホイザーのパリ版をやりたがっていた。彼が私に提案し、私はやりたかったと答えた。そして、それがフランス語で正式に書かれた唯一のワーグナーであるので、私の唯一のワーグナーへの挑戦となるだろうと思う。
Q、言語だけでなく、長さも問題になる?
A、私はタンホイザーと苦闘している。キャラクターのなかに意味を見いだすために、多くの労力を費やす。音楽が展開するにつれて、つぎつぎ現れ、3秒で表現されている可能性すらあるメッセージをつかみとるために。
レトリックはワーグナーのスタイルの一部であり、その音楽の美しさは信じられないほどだ。しかし、イタリアオペラのリズムに慣れ、「リアリズム」の演技のなかにいる人間には、多くの思考が必要であり、私はバランスを見つける必要がある。
*タンホイザー挑戦についての告知は、→
こちらの投稿で
――最大のチャレンジ、ピーター・グライムズ
Q、2016-17シーズン中のもう一つの冒険、20世紀の英語のオペラで歌い、演出する?
A、ピーター・グライムズは、私のキャリアにおける最大のチャレンジ。私はいつも、これを歌うことが夢だと言い続けてきたが、ボン劇場の人々が、私のインタビューでそれを読み、私を雇った。そしてまた、私は誘惑に抵抗できなかったために、演出もおこなう。ブリテンにおいて、私はほとんどゼロからスタートする必要があり、特に美学、言語、音楽、30年の歌のキャリアの後に、これは非常にリフレッシュになる。
台本は本当に信じられないすごさ、素晴らしいスコア、音楽とアクションとの間の結びつきは総合的で、私自身にとっては、ワーグナーよりも、はるかに快適な方法だ。このプロジェクトは、私の情熱を大いに鼓舞してくれる。
Q、新しいキャラクターの一方、撤退するキャラクターも?
A、私は、ロドルフォ(ラ・ボエームの主人公)やデ・グリュー(マノン・レスコー)を愛している。本当に非常に美しい役柄であり、挑戦的であるが、テノールのためにとても良いものだ。私はこれらを歌うことに大きな喜びを感じるが、しかし、53歳の私は、ロドルフォに、皮膚感覚での信憑性を見いだすことができなくなった。時代は変わり、パヴァロッティが60歳や70歳でやったようには、我々はロドルフォを歌うことはできない。彼に対し、人々は、目をつぶって、この驚くべき声の美しさに耳を傾けた。
Q、ホセ・クーラの将来のプランは?
A、自然は自然であり、我々は、人生の旅を続けることから逃れることはできない。私が、いつまで歌う声をもっているのか、知らない。
ある日、もはや私が、大きな物理的な強さと一定の若さを必要とする役柄を歌うことができなくなったら、私は、指揮者としての活動、または演出に力を注いでいく。
そして、何らかの小さな役柄で歌うことを除外しない。私はトゥーランドットで皇帝かもしれない。カギは、組織されていることであり、お金のためにやることはない。
15年前、私がカヴァレリア・ルスティカーナでトウリッドウを歌った時、マンマ・ルチアは、伝説的な歌手、マグダ・オリベーロだった。
――時間をかけて解釈、成熟へ
Q、ホセ・クーラにとって、残っている探求は?
A、私のキャリアにおいては、私を魅了し、最も喜びを与えてくれるキャラクターにアプローチし、そして、私が快適に感じ、人びとに何らかのおもしろいものを提供できる場所で過ごすことができた。アーティストとして幸運である場合、期待にこたえ、妥協を受け入れず、自分自身に対して厳しくあることが不可欠だ。
私は、歌手として夢見たすべてをやることができた。まだピーター・グライムズが残っていたが、今シーズン、歌えることになった。成熟した役柄のためには、何年もかかる。明らかに、成熟度の点では、最初のピーター・グライムズは、250回演じたオテロのようにはいかない。だから私は、かなりの時間をかけて、ブリテンの英雄を解釈することができるよう願っている。
(「Forumopera.com」より)
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現地のレビューや劇場のFBに掲載された観客の声などを読むと、今回のリエージュのトゥーランドットが、本当にみんなに愛され、感動をひろげたことが実感されました。
音楽面でも、クーラのカラフをはじめ、指揮、歌手、コーラス、子どもたちそれぞれが、高く評価されました。
これは現地で観賞した方のFBに掲載された、カーテンコールの映像です。
熱狂的で、長く続く拍手と、地響きのように聞こえる足踏みの音がわかります。
→ FBの動画
演出の面では、今回は、愛の力についての寓話をテーマとして、楽しい仕掛けをふんだんに取り入れ、また作曲の途中で亡くなったプッチーニを追悼するという、わかりやすく、誰でも楽しめて、心をうつものとなったようです。
これまでの作品を見ても、クーラの演出は、現代社会に鋭く切り込む抜本的で前衛的な読替えというわけではなく、どちらかというとオーソドックスですが、脚本とスコアを大切にするとともに、現代社会と誠実にむきあい、現代に生きる私たちに、舞台のキャラクターをめぐるドラマと感情を、リアルに、胸に迫って伝えてくれるものであるように思います。
これまでいくつかの投稿で紹介してきましたが、クーラは、90年代末に、次世代の大スターとして宣伝され、「次期3大テノール」とか「第4のテノール」として売り出された経過があります。しかし彼は、そういうマーケティングのやり方、芸術的な内容ではなく外見で彼の美しさを売り出すような、商業主義的な流れに対して、反旗をひるがえし、エージェントと決別して、すべてを自分だけでコントロールする道を選択しました。
その結果、数多くのチャンスを失ったことでしょうし、攻撃やネガティブキャンペーンも経験しました。もしいわれるままにレールの上を走り続けていたら、今頃、どうなっていたでしょう?
しかし商業主義の商品になることを拒否し、自分の信ずる芸術の道を精進してきた、その一つの到達が、今回のトゥーランドットであったと思います。
演出、舞台デザイン、主演を担うとともに、チームワークを大切にして、出演者、スタッフ、オーケストラ、劇場のみんなでひとつの舞台をつくりあげ、労苦をともにするというのは、クーラが大好きな、本当に楽しく、やりがいのある仕事だったこと思います。それが大きく成功し、高く評価されたことを、ファンとして心から喜びたいと思います。
そして、早期にDVD化やテレビ放送が実現することを切に願います。
*ホセ・クーラのフェイスブックに掲載されたサンドラ・オットさん撮影の写真。
その他の写真は、劇場のHPなどからお借りしました。