人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

2019年 ホセ・クーラ、リスト音楽院でアルゼンチン歌曲のコンサート

2019-05-27 | アルゼンチンや南米の音楽
 
 
 
 
ぼんやりしていて更新がしばらく滞っていましたが、決してニュースがないわけではないので、紹介したい公演、テーマが沢山たまってしまいました。ぼちぼちと続けていきたいと思っています。引き続きよろしくお願いいたします。
 
今回は、少し前のことになりますが、2月のハンガリーでのコンサートについて紹介したいと思います。
2019年2月24日、ホセ・クーラは、ハンガリーの首都ブダペストのリスト音楽院で、アルゼンチン歌曲のコンサートを行いました。このコンサートは、ハンガリーでリストの再来と言われたピアニスト、ジョルジュ・シフラの名を冠したシフラ・フェスティバル最終日のガラ・コンサートです。フェスティバルの創設者であるハンガリーの若手ピアニストのヤーノシュ・ボラージュと共演しました。
 
チケットは早々に完売。当日も満席で、追加の席が舞台上にも配置されるなど、伝統あるリスト音楽院の大ホールは、大変な熱気だったようです。また、クーラの母国アルゼンチンの歌曲によるプログラムは、スペイン語の歌詞の内容を理解してほしいというクーラの願いから、歌の内容や込められた思いなどをクーラ自身が語りながらの進行だったということです。参加した人たちのコメントによると、情熱的で繊細な歌、ユーモアあふれる語りで、とても親密な雰囲気、美しく感動的なコンサートとして大成功したそうです。
 
残念ながら、録音も録画もありません。主催者や関係者のSNSに投稿された写真などを中心に紹介します。またクーラのハンガリーでのインタビューから抜粋して掲載したいと思います。
 
それとは別のクーラの長いインタビューを以前の記事で紹介しています。ぜひご覧ください。
また、これまでのクーラのアルゼンチンや南米音楽のコンサートについて、いくつかの記事があります。 動画も紹介しています。
 
 
 

 
 
 
≪2019ジョルジュ・シフラ・フェスティバル≫
 
●フェスティバルFBの告知バナー

 
 
 
●チケットは、早々に完売

 
 
 
 
●HPのコンサート紹介(ハンガリー語)

 
 
 
 
 
≪ガラ・コンサートの様子≫
 
 
プログラムは、アルゼンチンの著名な作曲家、カルロス・グアスタビーノを中心に、アルベルト・ヒナステラ、カルロス・ロペス・ブチャルド、そしてクーラ自身が作曲した曲などで構成されました。ヤーノシュ・ボラージュのピアノとクーラの歌、語り、2人の波長は良く合っていたようで、盛り上がり、コンサートが45分も(!)延長になったそうです。びっくり、そしてその日の観客が羨ましい限りです。
 
 
●フェスティバルのFBに掲載された舞台写真。このいくつかの写真を見ても、2人の親密さ、互いのリスペクトと情熱が伝わってくるようです。
 
 
 
●FBにはまだたくさんの写真が掲載されています。右上のFをクリックすると見ることができます。
 
 
 
●美しいリスト音楽院 観客のインスタより 
 
 
 
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Évus (Hungary) 🇭🇺さん(@d.endrodyeva)がシェアした投稿 - <time style=" font-size:14px; line-height:17px;" datetime="2019-02-24T19:53:21+00:00">2019年 2月月24日午前11時53分PST</time>

 
 
●終演後、在ハンガリー・アルゼンチン大使夫妻、ヤーノシュ・ボラージュ夫妻とクーラ
 
 
 
 
 
≪ハンガリーでのクーラのインタビュー≫
 
 
●フェスティバルのFBに掲載された動画。テレビ番組で、クーラの紹介とインタビューが組み合わされています。英語ですが、ハンガリー語の吹き替えが重なっていてなかなか聞き取れません。
 
 
 
 
 
●ネットに掲載のインタビュー記事より(抜粋) 


 
 

Q、今日のオペラの状況について?

A(クーラ)、多くの大人たちにとって、文化的な「パッケージ」は、その芸術を”購入する人の人数”によって決まる。それは、アーティストが彼らに与えているものを彼らが愛するか嫌うか、それが彼らの先入観に合うかどうかにかかっている。

しかし、若い人はもっとオープンだ。彼らの唯一の期待は、自分の気持ちに嘘をつくことなく、彼らを魅了すること。それが誠意をこめて提示されれば、クラシック芸術は永遠に続くだろう。音楽的な愚かさが時代遅れになったことを神に感謝したい。

 

Q、新しいオペラは必要か? それとも既存のオペラで十分?

A、19世紀の作曲家も同じ質問をした。そのようなレパートリーのようなオペラの必要性があるかどうか尋ねるならば、私の答えはノーだ。すでに知られている形式に新しいアプローチを組み合わせた作曲家が必要だ。

私は最近、自作の最初のオペラを完成させた。私は様々なスタイルや演劇的なツールを使い、それらを一種のネオバロックスタイルに組み合わせた。ハンガリーでいつかお見せできることを願っている。

(注)すでに2020年1月に同じリスト音楽院大ホールでコンサート形式による初演が決定しています。


Q、あなたは歌手、指揮者であるだけでなく作曲家だが、これはあまり知られていない面では?

A、私は作曲家と指揮者になるために音楽を始めた。最初は1978年に15歳でコーラスを指揮していた。しかし1993年、30歳でフルタイムのオペラ歌手になった。

 

Q、ハンガリーのピアニスト、ジョルジュ・シフラについてどう思う?

シフラは驚くべき名手であるだけでなく、素晴らしい人物でもあった。最も過酷で最も苦痛な状況にもかかわらず、成し遂げることができるという生きた実例だった。

もちろん、私はシフラのライブ演奏を聞いたことはないが、たくさんのビデオとオーディオのレコーディングがある。この偉大な個性あるアーティストの最も明白な特徴は、最も難しい曲からもにじみだしている、印象的な自信と精神的な安らぎだ。

彼の才能を超えて「得た」ものは何もない。それ以外の熟知した知識は、彼の長年の努力の結果だ。シフラは、有名人であることと、偉大さとの違いについて私が話す時、その意味するものを象徴している。

 

≪リハーサルの様子≫

 

●リスト音楽院でリハーサル中
 
 
  
●リハーサル後に、ヤーノシュと
 
 
 
●エリカ・ミクローシャと。今回は共演はありませんでしたが、彼女もフェスティバルに出演していました。
 
 
 
おまけで、昨年のヴェスプレーム・フェスティバルで共演した時の公式動画を。
クーラはミクローシャと、何とモーツアルトのドンジョバンニの二重唱を歌っています。
 
Operagála - José Cura, Miklósa Erika, Ramón Vargas, Rost Andrea - 2018. július 13.
 
 
●新聞報道 
 
 
 

 
 
クーラのライフワークとなっているアルゼンチン歌曲のコンサート、ハンガリーの観客から長い喝采とスタンディングオベーションを受けたようです。放送がなかったのが残念でなりません。来日は無理としても、いつか遠征してライブで聞きたいものです。
 
クーラは2019年の秋から、3年間、ハンガリー放送芸術協会の客員アーティストとして活動することが発表されています。素晴らしい文化的伝統と音楽好きの観客を持つハンガリーで、クーラの多面的な活動がいっそう花開く3年間になりそうです。
 
 
 
 
 *画像はフェスティバルや出演者のFBなどからお借りしました。
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2013年 ホセ・クーラ 演技とオペラ歌手について、オペラと現代、今後のキャリアについて――モスクワでのインタビュー

2019-05-06 | 芸術・人生・社会について②

 

 

 

今回は、少し前のものですが、2013年にホセ・クーラがモスクワでシンフォニック・コンサートを行った際のインタビューを紹介したいと思います。

クーラは2013年5月29日に、ロシアのモスクワで、モスクワ市交響楽団《ロシア・フィルハーモニー》を指揮しました。演目は、ドヴォルザークの交響曲第9番とともに、母国アルゼンチンの作曲家であるヒナステラやピアソラなどの曲を組み合わせたようです。

インタビューは、ロシアの印象から始まり、オペラ歌手にとっての演技の役割、多面的な活動をすることについて、オペラの今後、コンクールについて、今後の活動、等々・・いろんなテーマにわたっています。全部は無理なので、抜粋して訳してみました。元のインタビューはスペイン語です。いつものように誤訳直訳、ご容赦ください。

 

 

 

Wednesday, May 29, 2013 - 19:30

Moscow International House of Music. Svetlanov Hall
PROGRAM 
A.Piazzolla. Symphonic Tango
A.Ginastera. Symphonic Dances from ballet Estancia
G.Gilardi. Sentimental little story in music
C.Lopez Buchardo. Symphonic Poem
A.Dvora Symphony № 9 in E Minor “From the New World”
CONDUCTOR: Jose Cura (Argentina)

 

 


 

 


≪これまでの人生、私はいつも落ち着きのない人間だった≫


Q、インタビューで、あなたは自分の性格を真っ白にして、キャラクターの動機を探していると述べたが、これは私にスタニスラフスキー・システムを思い出させる。あなたの意見では、歌手はどの程度、俳優である?

A(クーラ)、とても。すべては伝統、定義とスノビズムの問題だ。

役者には、ステージと言葉以外は何もない。そしてその言葉の音楽は、彼がそれを使って何をするかにかかっている。

歌手は、言葉と音楽を持っている。もう1つのものを持っているのだ。それなのになぜ、音楽の容易さの陰に隠れるのだろうか?音楽はあなたが多くの問題を解決するのを助けてくれる。あなたは、表現、時間、多くのことについて決める必要はない。なぜなら、あなたのためにそれをしてくれる音楽があるから。それなのになぜリラックスして、それ以上先に行こうとしないのか?私はそれは罪だと思うし、”オペラ歌手”というのはとても危険な言葉だと思う。 オペラ歌手とは、コンサートで立ち止まって歌う歌手ではない。 オペラ歌手は、歌う俳優だ。 理想的には、俳優と同じくらい良い俳優であるべきであり、さらに歌うことは、ある意味でオペラ歌手を奇跡のような存在にする。俳優としての強さを身に着け、それに通常の俳優が持つことができない音楽を加えるなら、威力は爆弾のようだ。なぜそれを否定する? なぜその背後に隠れるのだろうか?

もうひとつは、このように言うーー私は演技することはできない、私は演技する方法がわからない、私は演技に興味がない、私には演技の才能がない・・だから私はただ音楽をやる、と。OK、だったらあなたはオペラ歌手ではない。あなたは歌手だ。

残念ながら、「オペラ歌手」の定義は常に誤用されてきた。オペラ歌手は歌う俳優だ。私はオペラを歌うことができる歌手が好きだが、彼が演技しないならば、オペラ歌手と呼ばれるべきではない。

もちろん、声を持つこと自体、また非常に決定的なことであり、ほとんど奇跡なことだ。 俳優は声が良くなくても、素晴らしい俳優になることができる。さらに、多くの俳優は、美しい声ではなく、非常に表情豊かな特別な声を持っているという理由によって、素晴らしい俳優だ。

歌手は当然、声を持っていなければならない。そうでなければ始めることさえできない。しかし、その声を持っているならば、なぜその声の中だけに隠れたままでいるのか?私はそれは非常に限定的だと思う。もちろんそれはまた1つの考え方であり、私は教皇ではなく、「無謬性の賜物」を持っているわけではない。


Q、あなたは歌手、俳優、オーケストラの指揮、そして舞台監督だ。 一度にすべて。

A、ノー。同時にはできない。それは私の芸術観だ。分ける必要がある。

私は今、歳をとっている。かつては、「私がしていることは、良いことだ」と言った。ノー。私は自分ができることをやる。年齢はあなたに視点、距離を与える。私の芸術の考え方は、全体論であり、全面的な芸術、そして分野の統合としての芸術だ。より多くの分野が統合されればされるほど、芸術はより豊かになると思う。

これらすべての困難な分野を成し遂げるために、エネルギー、好奇心、興味と才能を持っていなければならない。そして私は、仕事が最高の裁判官だと思う。私たちはみんな、自分たちが何かであると言うことができる。それは、自分が何者なのかということではなく、何をやっているかということだ。あなたが指揮をするとき、上手く指揮し、歌うときに、上手く歌うなら、それはあなたが両方のことをうまくやることができるということでだ。たぶんあなたは最高ではないかもしれないし、最高である必要はない。それぞれができるかぎり最高のものになるのだ。

 

 

 

 

Q、あなたが歌手として演技するとき、監督の意志に服従することはあなたにとって負担に?

A、それはない。ダンスをするみたいなもので、ダンスのパートナーのようだ。一緒に踊る人がひどい踊り手なら、あなたは「痛いから私の足を踏まないで」というだろう。しかし、もし一緒に踊る人が上手ければ、あなたは身を任せて、他の人が連れていくのを楽しむことができる。つまり、重要なことは、他の人によって指示されるのではなく、他の人が踊る方法を知っていることだ。

 

Q、一度にそんなに多くの分野をやることで、あなたにはどんな利点が?

A、個人的には、それは私に非常に重要な最初の利点を与えるーールーティンを避けることだ。

これまでの人生の中で、私は常に落ち着きのない慌ただしい人間だった。35年間、ステージの上にいた。35年間、歌だけ歌っていると想像してみてほしい。それができる人もいる。私は彼らを称賛する、本当に。それは批判ではなく。私はできなかった。

ルーティン化は、私を破壊し、私の解釈の仕方、私の芸術を破壊し、私を退屈な人間にしただろうと思う。必ずそうならないにしても、それは私に何らかの影響を及ぼしていただろう。だから、2つ、3つの異なる分野をすることは、自分をいつも新鮮に保つ。歌うために舞台に上がるたび、それは楽しい。なぜなら、たぶん、一か月間、演出をしていて歌っていなかったからだ。

精神的なもの、個人的なものに加えて、知的な利点もある。例えば、歌手と指揮者の側面も知っているプロデューサーとしてショーを監督すること、それぞれが何を必要としているのかを知っていることは、作品をより完全で、面白いものにする。

私が演出をするとき、通常、歌手も指揮者も、とても楽しんで、非常にリラックスしている。なぜなら彼らは、私がそれを経験してきているので、それぞれが必要とするものを理解しているということを知っているからだ。私が水晶玉を持っているからではなく、それを生きてきたからだ。

私は歌手として必要とされる30年間を生きてきた。指揮者が必要とする多くの年月を生きてきた。だから、私は必要性を予想することができる。同時に、できること、できないことも知っている。だから、私と一緒に仕事をするのには、難しさもある。あなたは私に、「それはできない」とは言うことができない。なぜなら、私はそれを見たことがあるか、または私がすでにそれをしてきたので、私は「ノー、それはできる」と言う。「それはできない」より、むしろ「私はそれをすることができない」と言われるほうがよい。そうすれば我々は一緒に解決策を探す。

 

 

 

Q、作品を選ぶとき、どのように?人間的な側面や音楽が気になる?

A、私にとって最初にすることは、その選んだ作品を私が解明することができるかどうか、正直に認識することだ。私にとっては、それが最も重要だ。

もしそれをやるために、技術的背景として私が持っている以上のものが必要で、その仕事が私自身を上回るとしたら、愚かなことをしたくないので私はそれはやらない。またはもっと悪い場合、技術的には可能だけれど、その役に共鳴できない、または何も言うつもりはないと感じたら、ただオウムのように舞台に上がることになる。それがもし大きな関与、または私と劇場との約束でない限り、私はそれを避けようとする。なぜなら芸術的に正直でないからだ。

私は、どんな芸術家にとっても、一番の特徴は知的な誠実さでなければならないと思う。もしステージ上で知的誠実さを失ったなら、あなたはフェイク(偽物)だ。それはわかる。私は聴衆として、舞台上のアーティストが自分自身を認識していないことに気付くとき、彼自身が自分でしていることに知的に誠実でないことがとてもよくわかる。その逆に、それらがうまく合わさったときには、コンサート、オペラ、バレエ、それがなんであれ奇跡のようだ。正しい組み合わせが与えられれば、その夜は魔法を起こす。だからこそ、何世紀も経った今も、私たちはこの音楽を作り続けている。


Q、 オペラは時代の好みに応じて変更する必要がある?

A、非常に複雑であり、それはバチカンのようだ。宗教は、その時代の趣味に従うために変わらなければならないだろうか?私は信仰の土台を変えることは不可能だと考えている。2千年にわたって信じられていたことだ。あなたがクリスチャン、イスラム教徒、仏教徒、またはその他、多くの宗教を信じているならば、その基盤を変えることは、それが間違っていたことを認識することを意味する。

そして少し複雑になるが、我々にできることは、現代の考え方を通して読み、物事がどこに向かっているのかを理解しようとすることだ。同じことがオペラでも起こる。

オペラの大きな問題は、歌われていて、もう十分であるという時だ。それがすでに歌われていて、十分なら、どこにもオペラを守ろうという人はいない。なぜなら私たちは、すべての偉大なオペラ作品が録音されている時代に生きているので、それぞれのタイトルに4つ、5つ、または10、20の非常に良いバージョンがあるからだ。自宅で聴くことができ、しかももはやCDだけでなく、DVDでまるで劇場にいるかのように大画面で完璧に見ることができる。

それでは、いったい何が人を、劇場に行き、チケット代を払い、着飾って、等々、音楽を聴くために駆り立てるだろうか。違いは何?

違いは人間的な要素だ。人間的要素とはこういうことーー 私は、ここであなたに会い、感じる。私に何かを提供してくれる・・苦しみ、汗、笑い、叫び。それから私は、あなたを、あいだに機械も、コンピュータも、テレビも、マイクもなく、なにもなしで、人間としてあなたを識別する。あなたは私と一緒。愛の行為のように、性的なものとしても、肉体的にもーーこうした人間的要素が存在し続けている間は、古典芸術を殺す人はいない。

性的なレベルで起きていることと同じ。今日の人々はもう口説くことはしない。ある女の子に会う、花束を持って、彼女を誘惑する、そして彼女と話をするーーいいえ、今ではインターネットを介してチャットをする。そしてすべての魔法は失われた。しかし、私たちはそれを殺すことはできない。我々がそれをなくすことに成功したなら、人類は消滅するから。愛をやめたら、もはや人間は生まれない。

そのバランスはまだ存在する。古典芸術との関係が、DVDを見ることであるなら、良いことではない。なぜなら古典芸術の秘密は、あなたのために直接、何かをやっている人間を見ることだからだ。それが存在している間、オペラ、あるいは一般的に、古典芸術は死なない。私たちがそれを殺せば、すべてが終わる。

 



Q、テレビでの歌のコンクールについてどう思う?彼らがクラシック音楽を始め、歌手になる手助けをしてくれるだろうか?

A、すべてが有効であり、何も有効ではない。いつもサプライズが登場するので、それは有効。しかしそこに隠された考え方は、本当にサプライズを探しているのではなく、5年間、ミルクを絞り取ってできる限りのお金を手に入れ、それからそれを投げ捨てて、別のものを見つけようというもの。それが真の精神だ。

そしてその反対のことを言う者がそれを証明する。こう言うーーこのスタイルのコンテストは、他のタイプの愚かなまたはもっと馬鹿げたコンテストよりも、人々を克服したいという欲求をより刺激する価値がある、と。目的が良ければ、すべて問題ない。例えば、スペインではポップミュージックのための有名なオペラシオン・トリウンフォがあり、10年間で多くの子どもたちが登場したが、1、2年続けば十分だった。しかし、彼らのうち1人か2人は良いキャリアを作り、アーティストとして優れている。彼らの起源が少し疑わしいことを知っても、彼らは克服し、研究し、ケアをし、そして今では良いアーティスト、ポップミュージックの良い代表者となっている。たとえばダビッド・ビスバル。彼は自分ができることとできないことを知っていて、彼は良いテイストを持ち、彼は上手くやり、10年後に、たくさんの仕事を通じて成し遂げることができることを示した。現実には、すべてのことがあるということだ。

 

Q、あなたの芸術的キャリアにおいて最も影響を与えたのは何?

A、私はプロのソリストとして国際的に、29歳で歌い始めた。しかしそれはすべての一連のことの結果だった。

おそらくロシアの人々は私と同じだと思うが、ヨーロッパの人々はあまり理解できない。しかし、ロシアやアルゼンチンのように、独裁政権を体験した人々は、独裁政権がある日終わるとき、それが何を意味するのか理解している。抑圧は終わったが、同時に保護も終了した。それは真実だ。2つが終わった。ロシアの人々はそれを通過して、生き抜き、そして生き続けている。

アルゼンチンでも同じことが起こった。私の世代は1982年に初めて投票を体験し、マルビナス戦争(フォークランド紛争)で戦った世代だ。私には戦争に行った仲間がいる。幸いなことに、彼らは戻ってきた。当時は予備隊があり、抽選があって、私は運よく行かずにすんだ。そうでなければ、多分ここで話していないだろう。

当時はすべてが大変だった。指揮者または作曲家として生き残ることは事実上不可能だった。アルゼンチンだけでなく、世界の99%で今日も続いている。オーケストラも合唱団もほとんどなかった。たくさんのことを始めなければならなかった。テノールの声を持っているという事実は、単純に生計を立てるのに大いに役立った。自分を今日の自分の姿に変えることすら考えなかった。それは生計を立てる、生き残る、食べる、請求書を支払うことだった。私は1985年に結婚した。25歳だった。家族を養わなければならなかった。

多くのことが、多分あなたが行くことさえ考えていなかった場所に、人生においてあなたを連れて行っている。ある日それが起こる。その意味で、私は新世代の多くのロシアの歌手が、私が話していることを分かっていると思う。当時の体制で非常に苦労していた多くの人、素晴らしい声を持っている人びと、そして今、非常に印象的なロシアの声が国際市場に溢れている。


Q、あなたの芸術的な計画は?

A、計画はたくさんあるが、神だけが知る。ある朝起きると、人生があなたを変える。すべては多くのこと、健康などに依存する。私の計画は、もし私が望むように物事がすすむとしたら、歌うことをより少なくすることだ。私は長年歌ってきた。もっと自分を、オーケストラかステージかに関わらず指揮、演出・監督に捧げたい。そして、特別な日には歌うが、日常的には歌わない。そういうように変えたい。私はもう50歳で、その変化には数年かかる。2日でそうすることはできないだろうが、次の4、5年以内にその変化を成し遂げることができれば、それは私のキャリアにとって非常に興味深い方向転換になるだろう。それは私を信じ、私を雇うマーケットに依存する。そうでなければ、わかるだろう。


Q、マーケットがあなたを信頼していることはすでに確認されている...

A、変更は非常に困難であり、テノールにとって、その変更は危険だ。

私の友人であるオーケストラの指揮者が、かつて私に話した。ちょうど彼が、ラフマニノフの私のアルバムを聞いたばかりの時だった。彼は非常に感銘を受け、こう言った。―― あなたは、自分の問題が何か知っているだろう?額にテノールと書かれた小さな看板があるのだ。どこへ行っても、一生、その印がついて回るだろう。もしあなたにその看板がなければ、今日、最も重要な指揮者の一人になるだろうーーと。

テノールは常に不審な動物だ。良い声、しかしそれから、テノールであるために、背景に、知能や能力の問題がたくさんあると考えられる。それは民間伝承、決まり文句。しかしよくあること。私が最初にオーケストラの前に立ったときも起き、何年もの間、指揮を経験した今日でも、彼らは私をしばらくの間、「テノールが何をしているのか」知るために見る。5分後、誰もが私がテノールであることを忘れ、指揮者としての私と一緒に働いている。しかし、常に、テノールという言葉が先に行く。

私がそう言う理由ーーマーケットが望み、決定し、好むことを見ること。多分マーケットはテノールのテーマを主張し、人々の考え方を変えることは非常に難しいからだ。5年後にまた話そう。

 (「mundo.sputniknews.com」)

 


 

コンサートの告知画像

 

こちらがこのインタビューの動画のようです。残念ながらスペイン語がわからないため、同じ内容であるかどうか、確認はできていません。

 

ロシアでのコンサートから、1曲。クーラが指揮する、ピアソラの「シンフォニック・タンゴ」。 

Astor Piazzolla - "Symphonic Tango"

 


 

長いインタビューで、これまでもいろんな機会に述べてきたテーマではありますが、かなり突っ込んで語っています。

2013年、50歳の時、本格的に歌の仕事を減らし、指揮者、演出家としての活動に軸足を移していく決意をしていたことが語られています。その際も、意図せずテノールとしてキャリアを拓いてきたことが、”刻印”となって、特別な困難があることも覚悟のうえだったようです。

その後、5年が過ぎた現在、さまざまな苦労もあったでしょうが、演出家として多くの作品を生み出し、作曲家としての活動にも新たに光が当たってきました。指揮者としても、希望しているほどではないかもしれませんが、着々と経験を重ねています。

この秋から3年間、ハンガリー放送芸術協会の客員アーティストとして活動することも発表されました。クーラが脚本・作曲を手がけた新作オペラも2020年に初演されることが決まっています。徐々に、人生の新たなターンは成功しつつあるようです。

テノールとしてのクーラを見る機会がますます減っていくのは残念ですが、自らの才能とチャンスを生かし切り、全力で歩み続けるクーラの活動、今後がますます楽しみです。

  

 

 

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