ホセ・クーラは、少年時代から指揮者になりたかったそうで、なかでも、ラフマニノフの「交響曲第2番」をとても愛していて、若い頃から研究を重ねてきたそうです。
今回は、クーラのラフ2への思い、録音をめぐるエピソードなどを、インタビューなどから抜粋して紹介します。
すでにこの
ブログでも紹介ずみですが、ホセ・クーラは、かつてポーランドのオーケストラ、シンフォニア・ヴァルソヴィアを指揮してCDにしたラフマニノフ「交響曲第2番」(2002年録音)をリマスターし、ネット配信しました。
アマゾンのダウンロード(400円)でも、iTunes(450円)でも、全曲がたいへん安価で購入可能です。
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ラフ2配信を紹介したブログ記事
さらに、その後のFBの記事によれば、今後、新録音のリリースも計画しているようで、今回のラフ2や以前の
ドヴォルザークの「愛の歌」の配信状況が、スポンサーの投資の判断材料ともなるようです。ぜひ、興味のある方は、お気軽にご購入いただければと思います。
Sergei Rachmaninoff: Symphony No.2 in e minor, Op.27
2002 - Cuibar Phono Video
Running time: 58 min.
Artists: José Cura
Conductor: José Cura
Members of Sinfonia Varsovia
1. Largo. Allegro Molto
2. Allegro Molto
3. Adagio
4. Allegro Vivace
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●この曲を日本の新国立劇場でアイーダを指揮したガルシア・ナバロに捧ぐ
Q、この作品の魅力は?
A(クーラ)、この作品で私がとても気に入っている部分は、序奏部の最初の動機から非常に強く感じられる情熱だ。私は、他の多くの人のような、ロマンチックな感情を表現したくはなかった。多くの指揮者がフランス風の優雅なアプローチを心に留めているようだが、私は、非常に情熱的なロシア人の作曲家として、ラフマニノフを演奏した。
私たちの録音を聞くことは、最初から最後まで、椅子の端に座ってリラックスできない緊張感を持ち続けるようなものだというコメントを聞いた。
Q、オケと一緒に演奏する数が増えると、演奏自体も変わる?
A、もちろん変わる。11月29日に、私たちは一緒に、ウィーンコンチェルトハウスでラフマニノフ交響曲第2番を演奏した。ご存じのとおり、これは伝統ある音楽ホールだ。
パフォーマンスの最後に、後ろから拍手が起こり、観客は私たちにスタンディングオベーションを与えた。それ以来、「ホセ・クーラは、時折歌う優れた指揮者だ」と書かれているが(笑)、ウィーンでそのような結果を得ることは非常に難しいと聞いている。いつもは「クーラは時折演奏する素晴らしいボーカリスト」と書かれる。今回はそれが逆に書かれていたことがとても嬉しい。
Q、ラフマニノフのCDには、「マエストロ・ルイス・ガルシア・ナバロに捧ぐ」と記されていた。ナバロ氏は、東京フィルを頻繁に指揮していたので、日本の音楽ファンにとっても親しみがあった。あなたとの関係は?
A、1995年にプッチーニのオペラ「トスカ」でデビューしたとき、ガルシア・ナバロが指揮をしていた。友情はこの頃から始まった。そして1998年に初めて東京の新国立劇場でヴェルディの「アイーダ」を歌ったとき、彼が指揮をした。
私たちは良い友達になり、3年前に私と家族がパリからマドリードに引っ越したとき、彼は家の手配などをしてくれた。私は彼を親友の1人と考え、このCDを彼に捧げたいとつよく願った。そして、私が首席客員指揮者になるよう依頼されたことを知らずに、彼がこの世を去ったことを読者に伝えたかった。彼の死から2週間後に、私は任命され、それからラフマニノフを演奏することを計画した。コンサートの2週間前、私は彼の家を訪れて哀悼の意を表した。私は彼の居間に座った。彼が持っていたすべてのスコアは正確に配置され一列に並んでいた。ラフマニノフの交響曲第2番のスコアだけが、あるべき場所とは別のところにあった。もちろん、彼は私が指揮をすることを知らなかったし、彼の夫人も知らなかったので、私は、彼が私に、不思議なメッセージを送っていると感じた。
(「レコード芸術」2003年)
●ラフマニノフから始めた理由
――シンフォニア・ヴァルソヴィアの首席客員指揮者に就任して
私はラフマニノフから始めることを選んだ。ワルシャワで演奏されたことのない作品から始めたかったが、それは同時に多くの聴衆にアピールしなければならなかったからだ。それがラフマニノフの交響曲第2番にした理由だ。私はこの録音をとても誇りに思っている。
ペースや他のあらゆることについて議論することはできるが、1つのことは明らかだ――音楽は続く、そして止まることはない。それは止められないエネルギーの流れを伴う流動的なパフォーマンスだ。たとえ決定的な解釈ではなくても。
(「Luister」2002)
●新鮮で新しいものを得るために
私もオーケストラもこれまでやったことがないシンフォニーだったことから、私はラフマニノフの交響曲第2番を選んだ。 この最初の共通の仕事で、このスコアによって、私たち全員が新鮮で新しいものを得られるようにしたかったからだ。
結果としては、よりエネルギッシュで、よりスラブ的なラフマニノフになったと私は思う。原則として私は、人々がどのように感じるか、それらを尊重する。
私にとって指揮は、1つの段階ではない。私は指揮を学んで音楽の世界に来た。15歳で指揮を始め、30歳でテノールになった..。ある批評家が、私は歌う方法を知らないと書く時、それはおそらく、私の経歴が、本来は指揮者になるべきものだったからだ。
私は、歌も自分にとって情熱になることを発見したが、当初は歌は、「市場」に入り込むための方法であり、音楽ビジネスでブレークスルーするための道だった。単刀直入に言うなら、ドラマティック・テノールになることは、商業的に言えば、世界で本当のステップアップになるからだ。
(「Anticipazioni」2003)
●ウィーン・コンツェルトハウスのコンサートでも好評を得る
Q、あなたのようなアーティストにとって、シンフォニア・ヴァルソヴィアとのように、指揮をするための道を持っていることは、非常に重要なことだと思うが?
A(クーラ)、とても重要だ。
2日前、ウィーンのコンツェルトハウスで私のオーケストラ(3年間、客員指揮者だったシンフォニア・ヴァルソヴィアのこと)とコンサートをしたのだが、ちょうど10分前に携帯電話のメッセージでとても驚かされたことを伝えたい。
私たちはレコーディングしたラフマニノフの交響曲第2番を紹介した。ウィーン交響楽団の本拠地の扉をたたくということがどれほど大胆で恐ろしいことか、あなたもわかるだろう。だからもちろん私も非常に心配していた。たとえ観客の反応が素晴らしかったとしても、挑戦的なことであり、どのように受け取られるのかが心配だった。
そして私が受け取ったばかりのメッセージは、レビューが素晴らしかったこと、そのうちの1つが“クーラは喜びのために歌う非常に才能のある指揮者のようだ”と書いたことを伝えてきた。
Q、それは素晴らしい・・
A、実はあまり期待はしていなかった。しかし、いずれにしても好評を得たことは、オーケストラにとってとてもうれしいことだった。シンフォニア・ヴァルソヴィアは、彼らの基準を高め、レベルと評価、あらゆるものを引き上げるために懸命に働いているし、ウィーンでの成功は非常に重要なことだ。
(Classic FM Interview、2002)
●いろいろな活動をどうやって調整している?
それぞれ、お互いに補完し合っている。人々は、それらが完全に異なるものだと思っているが、互いに非常に関係しているものだ。
指揮者のメンタリティをもって歌うことと、歌手のメンタリティをもって指揮することは、お互いを補完しあう。指揮者は、歌手が指揮者から得るよりも、より多くの利益を歌手から得る。
指揮者として、または楽器奏者として、歌手がもっているような敏感さ、自発性、自然な表現による音楽の再現に成功するなら、すべてが変わる。なぜなら歌手は自分自身が楽器なのだから。
(「BBC Mundo」2002)
●商業的目的ではなく、新しいオーケストラとの出会いの痕跡として
クーラの新しいレコードレーベルは、この種の「改革」のための手段を提供するために生まれた。
「私には、メジャーレーベルのひとつに、別のラフマニノフ交響曲第2番をレコーディングするよう説得することは不可能だっただろう」と彼は言う。
「商業的な意図はない。しかし私は、本当に新しいオーケストラとの出会いの痕跡を残したかった。そして唯一の方法が私たち自身の力でレコーディングをすることだった。
私は“フランス的”なアプローチよりも、スラブ版のラフマニノフをやりたかった。そう、ラフマニノフはロマンチックな作曲家だが、しかし彼は感傷的ではない。
メロディーは流れるようしなければならない。自身を過度に出すべきではなく、さもなければフレーズが鼻につくようになってしまう。
私は自分が歌でやろうとしていることを、指揮のなかで実行している――可能な限り現代的になろうとしている。
あなたはそれを受け入れることも受け入れないこともできるが、しかしそれが今、私がやろうとしていることのポイントだ。とても現代的にやろうとすると、時には、とてもドライになりかねない。それが私にとってのリスクだ。私は、物事を、1つの方向に進められる限り進めていき、それからバランスを見いだすために後戻りするやり方を好む。そうでなければ、自分の限界がどのようにしてわかるのだろう?」
クーラはそれ以外にも、将来、シンフォニア・ヴォルソビアとともに、主にロマン派後期および20世紀初頭のレパートリーをもとにして、交響曲とボーカルの音楽をミックスして、演奏し、レコーディングすることを希望している。
「私はショスタコーヴィッチ、ラフマニノフ、レスピーギ、コダーイ、マーラーの後期作品のファンであり、これらが私がやりたいと思う交響曲だ。もちろん、それらは規模が大きいために、演奏するには最も高価なものだ。」
クーラは、この録音が作品の決定的なバージョンになるという幻想を抱いてはいない。しかし彼は言う。「それらがつくるスピリットはユニークになるだろう」と。
「シンフォニア・ヴァルソヴィアが完璧なオーケストラになるまでには、まだ長い道のりがある。彼らは、室内楽サイズからシンフォニックへと拡張されたばかりだ。しかし彼らが演奏するとき、部屋のなかには、愛と相互尊重の雰囲気の中で一緒に音楽をつくっている人々から生まれるエネルギーがある。それらは良い面と悪い面を介してともに働く。
これはただの取引ではない。“あなたは私のために演奏し、私はあなたのために歌い、そして小切手を受け取って家に帰る”―― それで十分にフェアであり、今日の世界では、ミュージシャンとしてのビジネスの一部だ。しかし、あなたが時間をかけて協力関係を築き、激しく仕事をすることができるとき、それはレコーディングの全体像を変える。そして私は、私たちがそれを達成したことをとても誇りに思う。」
(「Opera Now」2002)
●自分自身のレーベルでレコーディング
アルゼンチンのテナー、ホセ・クーラは、ウィーンのコンチェルトハウスで非常に特別な種類のコンサートを開催している。コンサートの前半に、彼はポンキエッリ、ヴェルディ、ボーイト、ジョルダーノ、およびマイヤベーアのアリアを歌う。休憩の後、彼はシンフォニア・ヴァルソヴィアを指揮する。この1年間、彼はそこで首席客員指揮者を務めてきた。彼はラフマニノフの交響曲第2番でオーケストラをリードする予定だが、それは「初めてではない」「私はその作品をレコーディングもしている。そしてCDをウィーンでも発表するつもりだ」と彼は語る。
――彼自身のレーベル
クーラは彼自身のプロデューサーであり、自分のレコードレーベルのボスでもあるので、プレゼンテーションは彼にとってより簡単になるだろう。彼は11月にベートーヴェンの第9交響曲を録音する予定だ。
なぜ?どうして自分のレーベルを設立したのか?―― 「大きなレーベルでCDを制作して発売することはますます困難になっている。だから私は自分の古いレコードレーベルを去り、私自身の会社を設立した。」
――力と感情
現在、彼は、他のアーティストと契約するという選択肢を実際的には検討していない。そして彼は、彼の世代が前の世代と比較して不利な立場にあるという事実に関して、不平を言っていない。
「それはシステムの問題だ」と彼は率直に述べている。「LPが死んだとき、私たちの前の世代は、すべてを録音してCDをリリースした。このブームは終わった。私たちは今、危機のためにお金を払っている。私はこれまでに5つのリサイタルを録音した。そしてオペラは1つだけ。さらにライブ録音をいくつか。」
しかしクーラによれば、ライブレコーディングには独自の魅力と利点がある。パワーとエモーション―― スタジオ版では提供できないクオリティ。そして自分自身のレコードレーベルのボスとして、彼は付け加えた。「それ(ライブ録音)はまた安価でもある。」
指揮者として、彼はセカンドキャリアを考えているのか? 彼の答えは「いいえ」だ。
「私は20年前にアルゼンチンで中断した場所に戻ってきたばかりだ」――彼は1991年にイタリア人の祖母の親戚を探して、イタリアに移り住んだその時から、歌に集中するようになった。「私はすでにアルゼンチンで歌っていたが、プロの歌手ではなかった」と彼は言う。
「イタリアで私は、指揮者よりも、歌手としての方が成功できるだろうと気づいた。」
(「Bühne」2002)
●歌手は芸術と役柄だけに専念すべきとは思わない
Q、あなたの新アルバム「Aurora」はあなた自身の制作会社、Cuibar Phono Videoによって制作された。あなたは以前、ワーナーグループに属するEratoのレコーディング会社と独占契約を結んでいた。あなたはもう多国籍企業を信頼しない?
A、私はEratoで特別な状況を味わった。レコード製作の危機とこれまでで最も深刻な景気後退のために、他の有名なアーティストとの契約が取り消された時に、私のレコードはリリースされた。私たちは平和的に別れたが、この数年の体験は、すべてを自分の手の中に置いておくほうがいいと教えてくれた。私は、歌手はひとつのことだけ、芸術と役柄だけに集中するべきだという理論を信じない。・・私のレコードのうち2つがすでにリリースされている。1つは、ラフマニノフの交響曲第2番を指揮したもので、もう1つは前述のAuroraというアリアのアルバムだ。
(「Magyar Hirlap」2003)
●時間をかけて指揮者としての成功を
Q、オペラを指揮する契約を獲得するのは難しい?
A、私はそうは思わないが、いずれにせよ私はゆっくりそれに近づくつもりだ。
“指揮する歌手”によってではなく“真の指揮者”によって指揮されていることを、私自身とミュージシャンが分かりあうために、十分な時間をとりたい。
確かにオーケストラは、「ここに私たちを指揮するためにテノールがやってくる。それは彼が有名であるからこそだ」と想像するかもしれない。しばらく一緒に仕事をしてから、彼らが私と一緒に働きたいと思っていると感じられるのは、私にとって嬉しいことだ。
明日コンサートを開く予定のモスクワ交響楽団は、最初は私の能力に懐疑的だったが、初めてのリハーサルの後に私を認めてくれた。彼らはまた、自分たちの音楽であり、レパートリーであるラフマニノフのプログラムを、そのような強さで演奏することはめったにないと私に語った。これがよくあることだ。最初のリハーサルはあなたが「はったり」であるかどうかを証明する。
私は時間をかけて指揮者としての成功を収めたい。絶対に歌手としての私のキャリアの初期のような、PRキャンペーンを体験したくない――「新たなテノール」「世紀のテノール」「オペラのセックスシンボル」――これはナンセンスで全く危険だった。まだ自分が知られていない土地に着いたのに、誰もが最も信じられないストーリーを読んでいる―― そのプレッシャーは耐え難い。
ミュンヘンでの最初の「オテロ」の後に書かれたレビューを私は決して忘れないだろう。...そのパフォーマンスまで私はただのサニー・ボーイであると思われていたが、彼らはようやく私が真面目な歌手であることを理解した。そしてこれはばかげたPRキャンペーンの8年後の2000年のことだった。私は、指揮者としてのキャリアにおいて、同じ過ちを犯すつもりはない。
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クーラが愛するラフマニノフ交響曲第2番について、そのレコーディングの年の2002年と翌年の発言を紹介しました。
この元のCDは、クーラがラダメスを歌い日本デビューとなった新国立劇場の開場記念公演ヴェルディ「アイーダ」の指揮者でもあった、クーラの友人の指揮者ガルシア・ナバロ氏に捧げられたものでした。日本にも縁があるアルバムだったのですね。
クーラの発言を読んで、作品への思いにとどまらず、やはり歌手として有名になったクーラにとって本来の志望である指揮者の活動に復帰するというのは、決して単純な道のりではなかったことを感じさせられました。意に反したプロモーションに苦しめられた過去の苦い経験、レコード・CD業界の不況と変容、自らのキャリアの展開、業界との関係など、いろいろな苦闘を経て、オケとの信頼関係を築く努力を着実に行い、指揮者としての実績も積んできました。
今回、リマスター版をデジタル配信しましたが、今後も、新しいレコーディングの計画があるようです。この秋からのハンガリー芸術文化協会との提携で、さまざまなプログラムも予定されているようです。指揮者として、そして作曲家として、また、まだまだ歌手としても、多面的な独自の道を歩み続けるクーラ。再開したレコーディング事業でもぜひ成功してほしいと思います。