人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

(レビュー編)2017年 ホセ・クーラとミサ・クリオージャ、プラハ交響楽団とともに / Jose Cura & Misa Criolla in Prague

2017-11-28 | プラハ交響楽団と指揮・作曲・歌 ~2017




10月4、5日のホセ・クーラとプラハ交響楽団とのコンサート、すでに(告知編)(初日編)を掲載しましたが、今回は現地のレビューから抜粋して紹介したいと思います。

現在(2017年11月末)クーラは、12月5日からはじまる故郷テアトロコロンでのアンドレア・シェニエのリハーサル中です。コロンは無料のライブ放送やラジオ中継に熱心なので、今後、放送情報などがありましたら、情報をまとめたいと思っています。

さて、50歳代に入ってから、オペラ出演の数を減らしてきているクーラ。もちろん歌うことは続けていますが、作曲、指揮、演出に軸足を移しつつあるのは明らかです。そしてこのプラハ交響楽団とのレジデント契約は、クーラの眠っていた作曲への情熱を大きくかきたて、成果を発表する絶好の場となったようです。
今年で最終年のレジデントですが、今回のコンサートはとりわけ、現時点でのクーラの多面的な活動を観客に提示するものでした。レビューも非常に好評でした。音源、動画がないのが残念です。





JOSÉ CURA & MISA CRIOLLA
Smetana Hall, Municipal House

4,5.10.2017

JOSÉ CURA / Modus (world premiere)
JOAQUÍN RODRIGO / Concierto de Aranjuez for guitar and orchestra
ARIEL RAMÍREZ / Misa Criolla (world premiere of the symphonic version)
ARIEL RAMÍREZ / Navidad Nuestra (world premiere of the symphonic version)

José CURA | tenor
Aniello DESIDERIO | guitar
PRAGUE PHILHARMONIC CHOIR
Mario DE ROSE, José CURA | conductor

≪プログラム≫
ホセ・クーラ作曲「Modus」(世界初演)
ホアキン・ロドリーゴ作曲 「ギターとオーケストラのためのアランフェス協奏曲」
アリエル・ラミレス作曲 「ミサ・クリオージャ」(シンフォニック・ヴァージョン世界初演)
アリエル・ラミレス作曲 「アルゼンチンのクリスマス」(シンフォニック・ヴァージョン世界初演)

ホセ・クーラ=テノール
アニエッロ・デジデリオ=ギター
プラハ・フィルハーモニー合唱団
マリオ・デ・ローズ、ホセ・クーラ=指揮







●クーラは舞台上の自然なリーダー

カラフルで、活気があり、エキゾチック――これらはすべて、昨夜、表現されたものだ。ホセ・クーラは、毎シーズン、彼の作曲の一つを初演してきた。コーラスとオーケストラのための作品である「Modus(モデュス)」は、この伝統に沿っている。
作品はクーラ自身によって指揮された。プログラムに示されているように、この作曲は中世のプラハに触発され、主なアイデアは、10世紀のキリエを使用することだった。クーラはゆっくりと張力を増加させ、レイヤーを重ねることで徐々に音量を上げていった。これは最も興味深い曲。ダイナミックなクライマックスとそれに続くシンプルなエンディングを経て進行した。

・・・

「ミサ・クリオージャ」は、アルゼンチンの地域の1つを代表する各パートの集合体であり、典型的なダンスのリズムをとる。原作はコーラス、民俗楽器(ボンゴ、チャランゴなど)とテノールのために書かれている。
ホセ・クーラは、この2つの作品を、その作曲上の重要な介入なしに元の作品に対して特別な敬意を払って編曲し、シンフォニック・バージョンは最も重要なすべてをサポートしていた。

・・・

クーラは舞台上の自然な「リーダー」であり、合唱団とオーケストラと常に動きを交わしていた。声とテクニックは、ソリストとして彼が最高のニュアンスを生み出すことを可能にした。その結果、この作品は、喜び(Gloria)、執拗な主張(Credo)または痛み(Kyrie)から究極の平和(Agnus dei)まで、あらゆる気分を呼吸することができる。作曲家としてのクーラは決してペンを浅く滑らせることなく、彼の演奏は本格的、かつ誠実なままであった。ステージから感情が私に伝わってきて、時には笑顔がこぼれる瞬間もあった。

・・・

「アルゼンチンのクリスマス」は、再び、合唱団、ソリスト、オーケストラがよく理解され、活発でソウルフルな演奏だった。そしてクーラのパフォーマンスは、必要な歌の質と自然の自発性が一緒になったもので、これ以上良いソリストを見つけることは難しいことを証明した。
(「Opera Plus」)







●スメタナホールでの2つの素晴らしい夜

クーラは、プラハとプラハのフィルハーモニー合唱団に捧げた合唱の変奏曲「Modus」の初演で始めた。これは中世のグレゴリオ聖歌のような構造の短い作品であるが、中世から現在までの幅広い範囲をもって表現された。

・・・

アルゼンチン民族の記念碑
休憩後、クーラは指揮台をアルゼンチンの同胞マリオ・デ・ローズに譲り、クーラによるラミレスの2作品の世界初演で、ほぼ完売の聴衆をソリストとして興奮させた。アリエル・ラミレスは、1960年代に両作品を書いて、アルゼンチンの民族音楽として認識された。クリオージャのミサ曲(ミサ・クリオージャ)とクリスマス(Navidad Nuestra)はアルゼンチンの歌と踊りを使用し、作曲家はメロディー的かつリズミカルなアルゼンチン人の記念碑を建てた。個々のセクションは、アルゼンチン地域に応じて分割されている。
作曲家を個人的に知っていたクーラは、室内楽、フォークロリック・ヴァージョンから、オーケストラと合唱団のためのより大きなものに作品を変更する許可が与えられた。彼は巧みに行った。ドラムとギターをたくさん取り入れ、バイオリンをギターと置き換えたのと同様、他の音を同様の音で置き換えた。「アルゼンチンのクリスマス」の 最後の部分で、クーラは元のアルゼンチン楽器を使用した。

ソリストとは別に、コーラスは主に合唱を基調としたこの作品に素晴らしい音色を与えた。女性のためのカラフルな衣装を含む合唱団は、熱烈で、生き生きとした感情的な表現を与えた。
観客の反応は素晴らしく、演奏家たちが繰り返し祝福されたのは不思議ではなかった。
(「Novinky」)



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プラハ響レジデントとして最終年の今季最初のコンサートは、盛りだくさんな内容で大きく成功ました。次回のクーラのプラハ響との公演は、来年2018年3月の21、22日の予定です。
来春、プラハにご旅行を予定されている方には、ぜひスメタナホールでのクーラとプラハ響とのコンサートをおすすめしたいと思います。







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(インタビュー編)2017年 ホセ・クーラ、オネーギン特別賞を受賞 in サンクトペテルブルク / Jose Cura Interview in St. Petersburg

2017-11-14 | 受賞・栄誉




ホセ・クーラは2017年の10月末に、ロシアのサンクトペテルブルクでの第2回オネーギン賞の授与式など関連行事に出席し、特別賞を受賞しました。
オネーギン賞の様子は、いずれまたこのブログでも紹介したいと思います。

その前に、クーラがサンクトペテルブルクで受けたインタビューがロシアのネットニュースに掲載されましたので、ざっくりと訳して紹介したいと思います。
いつものように、率直に、フランクに語っています。語学力がないため、誤訳、またニュアンスの違いがあるだろうこと、お許しください。







Q、サンクトペテルブルクとの関係は?

A(クーラ)、あなたたちの街は素晴らしい。ここでは、すべてにおいて、文化、演劇、音楽が息づいている。
私はここに来るたびに、それをより正確に表現するやり方を感じる... 亡霊ではなく、このユニークなカリスマ性、大気中の魅力。
残念なことに、私のこの都市との関係は、コンサートだけで結ばれてきた。それ自体はよいのだが、私は、本当に本格的なオペラでここで演奏したいと思っている。すぐに何らかの計画をたてて、ここで歌えるようになることを願う。
時間は止められないので、遅かれ早かれ、私は歌をやめるだろうから。


Q、たぶん、あなたはサンクトペテルブルクの劇場にとって、あまりにも高価な歌手?

A、今日、世界中にはたくさんの問題があり、私たち全員、オペラアーティストは価格を引き下げている。これは私のどの同僚もそう言うだろう。これをしなければ、とにかく働くことはできない。もちろん、この場合はお金についてだけではないが、最終的にはそれが私たちの職業だ。

私にとって、長年にわたって行ってきたことは、まず第一に音楽を創造することであり、人々とコンタクトをとり、コーラスやオーケストラ、技術スタッフたちとともに仕事をする――非常に素晴らしい人間的な経験だ。そのような贅沢な経験を、ただお金のためだけに放棄することはできない。もしすべてがお金を尺度に測られるならば、私たちは、コミュニケーションからなる我々の芸術の本質を破壊することになるだろう。したがって、すべてが可能であり、すべてが議論の対象になる。







Q、ロシアのオペラには、あなたのための役柄はほんの少ししかない。チャイコフスキーの"スペードの女王"のゲルマンは、残念ながら、あなたは歌っていないが?

A、そう、言語がわからないために、私はこの役をやってこなかった。私はチャイコフスキーの音楽的言語にとても親しんできて、彼の交響曲をたくさん指揮している。しかし、歌を歌うだけでなく、舞台にたつことが大好きな歌手として、私には、自分が話さない言葉でオペラを演奏することは非常に難しい。
私自身で納得できないだろうし、聞き手も私を信頼しないだろう。これは私の基準を満たしていない。私は、クーラは他の歌手ほど良くないという意見を受け入れることはできるが、いつものクーラより良くないというのは聞きたくない。私はゲルマンの役が私の能力を超えていることを恐れている。
しかし、ロシアには、この役を非常にうまく歌っているテノールがたくさんいる。たとえば、素晴らしいウラジミール・ガルジンもそうだ。



Q、あなたは依然としてユニークなドラマチックなテナーとして高く評価されている。しかし、栄光は一時的なものであるという事実についてどう思う?

A、私は非常に満足している。あなたがトップにいる時、あなたが何をしているのか、ほとんど誰も気にしていない。誰もがお金にしか興味がない―― あなたを良い儲けの手段として。どのくらいあなたが他の人に稼がせることができるのか。つまり、あなたは製品だ。そしてこれが普通で、これらはゲームのルールだ。
あなたがこのランクの製品でいることをやめるとき、それから、あなたは、自分の本当の仕事のスキル、経験、品質によって表現するものによって、もっと多くの人々を引き付けるようになる。あなたは本来の熟練者、アーティストとして認識される。あなたはもはや素晴らしい「製品」でない。素晴らしい「表現者」だ。私にとっては、今が、非常に良いと感じられる時だ。







Q、オペラ歌手の場合、年齢という概念は、もちろん、バレエほどではないが?

A、そう、オペラ歌手はだいたい60歳までやることができる。そしてダンサーはもっと早くその年齢を感じ始め、キャリアはずっと短い。これほど難しく、犠牲的に自分自身を捧げる分野は、芸術的ビジネスにおいても他にはほとんどない。歌手にとっては、自制心も非常に重要だが、力を分配するためのより多くの時間がある。

私のケースは特別だ。私は多くの歌手よりも後から歌手になった。大学の卒業証書は、作曲と指揮で受けた。プロの歌手としてのキャリアは、28、9歳から始まった。したがって、私は状況をさまざまな方法で解決する機会を得た。この意味では私は幸運だった。
10年前、私はまだトップにいたとき、オペラの演出、指揮を始めた。私がいつ歌をやめるのかは分からない。それは自然の問題なので、一般的に言うのは難しい。しかしその後、私は作曲家と指揮者としてのキャリアを続けるだろう。

過去3年間で、私はいくつかの作曲作品を初演した。そのほとんどは20年前に書いたものだ。去年は、オラトリオ「エクセ・ホモ(この人を見よ)」のプレミア、2年前は 「マニフィカット」を初演した。そして今、私の最初のオペラ=喜劇の作曲を終えた。世界がよりユーモアを必要としていると思うから。







Q、「この世はすべて冗談」と歌ったヴェルディのファルスタッフをどのように受け継いだ?

A、もちろん、ヴェルディの天才と比べることはできないが、私の努力だ。つまり、将来的には、さまざまなことをしている可能性がある。ある日、私は歌をやめたり、レパートリーを変えたりするだろう。現在、私は、プッチーニのラ・ボエームのロドルフォをもう歌うことはできない。理由は、この主人公のように感じることができないというだけだ。またマノン・レスコーの若いデ・グリュー、椿姫のアルフレッドも同様に。彼らは子どもだ。ステージでこれらの若い男性のように見えるふりをすることは、私には滑稽に思われる。
私にとっては、ブリテンのピーター・グライムズのような心理的に深いキャラクターのための時だ。私はオテロと道化師を歌い続けている。これらの役において私の年齢はキャラクターのドラマに対応していると感じる。


Q、 誰から演劇術を学んだ?

A、私は55歳だ。私がやってきたすべてのことの背後には多くの時間がある。若い頃、劇場によく行った。良い舞台は家族の日常生活の一部だった。私は良い劇的な演技なしにオペラを理解することはない。私が出演している30年前のビデオを見たら、非常に良い歌手だとは思わないかもしれないが、それでも私は良い俳優だった。いうなればそれは私の「トレードマーク」だった。私の息子ベン・クーラは、今、映画と演劇でプロの俳優だ。


Q、あなたは天性に劇的な才能を持っていると?

A、天性は天性でも、それを助けるべきことがたくさんある。研究と勤勉。才能は木ではないので、天性にのみ頼るのは危険だ。才能はあなたに植えつけられた種であり、それは、あなたにどちらかを選択するように迫る。この種子は最終的なものではなく、ゴールでもない。これは始まりにすぎない。
今日、多くの人がこれを忘れている。誰もがすぐに結果を望んでいる。

そして、その種が木になるまで、芸術は長期的な自己犠牲だ。樹冠が育つと、それは熱い時に影をつくることができる。家とテーブルをつくることができ、寒い冬の夜には、暖かく保つ火を焚くために使うことができる。種子は何もできない。







Q、プラシド・ドミンゴのクリエイティブな長寿については?

A、バリトンへの転向はドミンゴ氏が初めてではない。過去には、時折、バスになったテノールがおり、またはメゾ、さらにはコントラルトへと変化したドラマチックソプラノがいた。ある時から、高音域と低音に分類されて、声の種類の部門のなかで終わらなければならなくなったようだ。しかし、むしろ私は、歌手がこのパートを歌うことができるのかどうか、主人公のドラマに対処できるかどうか、舞台で聞いて信じることができるか、そうでないかによって、歌手を判断したいと思う。もちろんドラマティックな声が、コロラトゥーラを歌うのは難しい。しかし、もしできるのなら、どうぞ!いいだろう? テノールのグレゴリー・クンデは、ヴェルディとロッシーニのオペラでオテロを歌うことができる。これは彼の非凡な技術によるものだ。問題はラベルではない - 問題は結果だ。

ドミンゴ氏がバリトンとして歌うのは、単純な理由だ。彼はステージライフと強く結びついているので、休みのために離れることは、彼にとっては死に等しいことだからだ。私はこの話題で彼と話をしたことはないが、私はそう確信している。私たちは、自分たち自身がしていることが非常に好きだからだ。

私が子どもの頃、私の父は、ヌレーエフの最後の公演の1つを観るために、地元のロサリオではなく、ブエノスアイレスまで連れて行ってくれた。ヌレーエフはすでに中年だったので、ステージ上ではほとんど何もしなかった。しかし私は、ヌレーエフを見に来た他のみんなと同じように、まったく気にしなかった。またキューバの偉大なダンサー、アリシア・アロンソを、彼女が65歳くらいの頃に見た。彼女はほとんど手をあげなかったが、私はアリシア・アロンソ自身を見た!

ここにはドミンゴと同じことがある――生きる伝説。いずれにせよ、これは議論の問題ではない。最後の最後までお楽しみを。過去に多くの人がこれをやったことがあるし、多くが将来続くだろう。そして例えば、私。

私は、みんな知っているように、バリトンのようなテノール声を持っている。そしてハイノートを歌うことができなくなったら、たぶん私もまた、バリトンで歌うだろう。ただ単に私はステージを愛しているから。するときっと、「まあ、クーラはドミンゴを真似ている」と言う人がいるだろう...。

(「spbvedomosti.ru」)





*画像はオネーギン賞のHPからお借りしました。
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(告知編)2018年 ホセ・クーラ プッチーニの西部の娘を演出・指揮 / Jose Cura, directer and conductor of Fanciulla del west

2017-11-11 | 西部の娘の演出・指揮


2018年のカレンダーの記事でも紹介しましたが、来年、ホセ・クーラは2つのオペラを演出します。ひとつはプラハで6月からのヴェルディのナブッコ。 → このブログでの紹介記事(告知編)
もうひとつが、バルト3国のエストニアの首都タリンにあるエストニア国立歌劇場で、9月に初演を迎えるプッチーニの西部の娘です。
トップの写真は、エストニア国立歌劇場のFBに掲載されたもの。10月に劇場で、舞台のデザインや演出構想についてプレゼンテーションした時のようです。

クーラは、演出と舞台デザインに加えて、今回は指揮者としても出演するとのことです。
劇場はフェイスブックで告知し、クーラの訪問の記事などをアップしていますが、まだHPのカレンダーには発表されていません。そのため出演者など詳細はわかりませんが、クーラが指揮する日程は、2018年9月21、23日。
上演自体が2日間で終わりなのか、その後も指揮者を変えて再演されるのか、そのあたりもまだ不明です。




クーラの公式カレンダーより


エストニア国立歌劇場
西部の娘/プッチーニ
2018年9月21、23日
セットデザイン、演出、指揮



西部の娘のディック・ジョンソンといえば、オテロやサムソンと並んで、クーラの18番。演技、歌唱、役柄解釈、ワイルドな風貌とパワー、情熱・・この役が求めるすべてを兼ね備えたパフォーマーではないかと私は考えています。しかし今回はクーラは歌いません。
残念ではありますが、長年ジョンソンを歌ってきたクーラが、どのような舞台をつくり、指揮をするのか、非常に楽しみです。



――バルト3国エストニアの首都タリン

タリンはグーグルの地図でみたところ、旧ソ連のバルト3国のなかでも、もっとも北の方に位置しています。クーラの住むスペインのマドリードが地図の左下に見えますが、同じ欧州とはいえ、かなり距離があります。
一方、10月末にクーラがオネーギン特別賞を受賞し、関連行事に参加したサンクトペテルブルクは、タリンとは結構近いですね。
6月プラハと9月タリンで初演を迎える2つのプロダクションの準備を同時進行で進め、そのほかにコンサートや作曲などをこなしているクーラ。多忙ななかで、できるだけ合理的に移動するために、サンクトペテルブルク訪問の後にも、タリンで演出の打ち合わせやプレスの取材を受けてきたようです。






これはクーラが自分のインスタグラムに投稿した写真で、タリン空港に設置されている無料のフィットネスジム。空港の搭乗口の隣に設置されているそうです。この夏、熱心にフィットネスに励んだ後だっただけに、とりわけ印象的だったのでしょうか。







――エストニアのラジオ番組でインタビュー

エストニアのラジオのインタビューに答えるクーラ。下の画像をクリックすると、放送局のページにとびます。10月のものです。
約50分、音声のみですが、クーラの若い頃の録音でトゥーランドットやオテロなどの曲と、クーラの英語でのインタビューが収録されています。





こちらは11月のもの。同じくクーラのインタビューと歌で構成されたラジオ番組で、50分余の音声のみです。
若い頃の録音(サムソン、オテロ、西部の娘)や今年iTunesで再リリースしたドヴォルザーク歌曲など、クーラの歌がたくさん聞けます。インタビューは英語ですが質問はエストニア語。クリックで番組ページにとびます。




このインタビューのなかでもいろいろ語っているのだと思いますが、語学力がなく、とりわけリスニングはお手上げ(T_T)、十分聞き取れないのが残念です。



――クーラの「西部の娘」の解釈

これまでもクーラは、西部の娘に出演した際に、作品解釈やジョンソンの人間像について語ってきました。いくつかの投稿で紹介してきました。

「ホセ・クーラ プッチーニの西部の娘」
「西部の娘 プッチーニは最もエロティックな作曲家の1人」
「2016年 ホセ・クーラ 西部の娘 in ウィーン」


今回の演出構想についても、いずれクーラ自身がFBで紹介してくれると思いますので、楽しみに待ちたいと思います。



――クーラの歌う「西部の娘」ディック・ジョンソン

今回のエストニアではクーラは歌いませんが、クーラのジョンソンは本当に素晴らしいと私は思っています。ぜひひとりでも多くの方に、見て聞いていただきたいのが、他の投稿でも紹介してきた2016年ウィーンでの舞台動画です。本来のジョンソンの設定より多少年齢は高めですが、荒くれ者だが内面には優しさと知性、無垢な部分をもっている人間像、おずおずと真の愛にめざめていく控え目な表現がとても魅力的です。そしてなんといっても、第1幕と第2幕のミニーとの二重唱、そしてジョンソンの最後のアリアなど、聴きどころが沢山あるうえに、クーラが絶好調、のびやかで美しい、ハイノートまで楽々と歌いきる安定した歌唱を聞かせてくれます。前・後半に分かれてアップされています。


前半 第1幕
Puccini - La fanciulla del West (Part I) Eva-Maria Westbroek, Tomasz Konieczny, Jose Cura


後半 第2幕、第3幕
Puccini - La fanciulla del West (Part II) Eva-Maria Westbroek, Tomasz Konieczny, Jose Cura





――美しいエストニア国立歌劇場

下は劇場がアップしている紹介動画です。
エストニア国立歌劇場は1913年完成のアール・ヌーヴォー形式の建築物とのこと。なかなか優雅で瀟洒な雰囲気の内装です。
タリンの街並みも中世の雰囲気を伝えるとても美しいものだそうで、行ってみたくなりました。


ESTONIAN NATIONAL OPERA - Video Tour of the House











*画像はエストニア国立歌劇場やクーラのFBなどからお借りしました。
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(初日編)2017年 ホセ・クーラとミサ・クリオージャ、プラハ交響楽団とともに / Jose Cura & Misa Criolla in Prague

2017-11-03 | プラハ交響楽団と指揮・作曲・歌 ~2017




10月4、5日、2017/18シーズンのホセ・クーラの最初の公演、プラハ交響楽団とのコンサートが無事終了、成功しました。

ほぼ完売のホールで、盛り沢山の多彩なプログラム、魅力的なソリストとプラハ響による演奏は、大きな喝さいを受けたようです。
いくつかレビューが掲載され、コンサートの様子も紹介されていました。いずれまたレビューも紹介したいと思いますが、今回はまず、プラハ交響楽団がHPに掲載してくれた初日の画像をいくつかお借りして、コンサートの様子を紹介したいと思います。


チケットを購入した人には、5日のコンサート開演前に、恒例のクーラを囲んでのコーヒータイムもあったようです。



JOSÉ CURA & MISA CRIOLLA
Smetana Hall, Municipal House

4,5.10.2017

JOSÉ CURA / Modus (world premiere)
JOAQUÍN RODRIGO / Concierto de Aranjuez for guitar and orchestra
ARIEL RAMÍREZ / Misa Criolla (world premiere of the symphonic version)
ARIEL RAMÍREZ / Navidad Nuestra (world premiere of the symphonic version)

José CURA | tenor
Aniello DESIDERIO | guitar
PRAGUE PHILHARMONIC CHOIR
Mario DE ROSE, José CURA | conductor




≪プログラム≫
ホセ・クーラ作曲「Modus(モデュス)」(世界初演)
ホアキン・ロドリーゴ作曲 「ギターとオーケストラのためのアランフェス協奏曲」
アリエル・ラミレス作曲 「ミサ・クリオージャ」(シンフォニック・バージョン世界初演)
アリエル・ラミレス作曲 「アルゼンチンのクリスマス」(シンフォニック・バージョン世界初演)

ホセ・クーラ=テノール
アニエッロ・デジデリオ=ギター
プラハ・フィルハーモニー合唱団
マリオ・デ・ローズ、ホセ・クーラ=指揮





今回のコンサート、作曲家として、指揮者として、編曲家として、そして歌手としてのクーラの多面的な成果を一度に示す場となったようです。
前半では、クーラがこのコンサートのために新しく作曲した「Modus(モデュス)」と、ロドリーゴ作曲の有名なギター協奏曲「アランフェス協奏曲」を指揮しました。そして後半では、自分でオーケストレーションを手がけた、母国アルゼンチンの作曲家ラミレスの南米のミサ曲2曲をソリストとして歌いました。

報道などでクーラ自身が作品などについて述べている部分を抜粋して訳してみました。


――クーラの新作「Modus(モデュス)」作曲について

「中世のプラハにインスパイアされた私は、10分のトラックに、10世紀のキリエに由来する、コーラスとオーケストラのためのモデュスを取り入れ、10月にプラハ交響楽団(FOK)とのコンサートで初演する予定だ。」
(プラハ響FBより)


「FOK(プラハ響)という家族のレジデント・アーティストとして、毎年、私は自分の作品から1曲を初演してきた ―― 音楽劇『もし私が死んだら』(2015/16シーズン)、オラトリオ『Ecce homo(この人を見よ)』(2016/17シーズン)。
しかし、(これまでクーラが書き溜めてきた未発表の)『レクイエム(フォークランド戦争の被害者のためのミサ曲)』や、『The Montezuma y el Fraile pelirrojo』,『赤毛の兄弟』などは、このコンサートのためには大きすぎた。

今年、これまでの伝統を壊さないために、それでは残念なので、私はプラハの中世の雰囲気に触発された短い作品を書くことに決めた。
そこで、私は良いインスピレーションを探し始めた。私は10世紀のキリエからそれを見つけた。

私は2016年のクリスマスまで、一種の「グレゴリオ聖歌」である「Modus(モドゥス)」に取り組んだ。
その曲は常に同じモチーフの周りを回っている。徐々に多くのレイヤーをミュージカルトップに追加しながら発展し、そして同様にシンプルに終わる。」
(プラハ響HPに掲載されたクーラの言葉より)
 








――アリエル・ラミレスと作品について

クーラは、母国アルゼンチン・ロサリオの同郷の作曲家ラミレスから、もともと民族楽器と室内楽のために書かれたこの2曲「ミサ・クリオージャ」と「アルゼンチンのクリスマス」について、独占的にオーケストレーションの許可を得たようです。
次のようにクーラのインタビューでの発言が報道されていました。


「私は80年代の初めに合唱団で、ミサ・クリオージャとアルゼンチンのクリスマスの両方を歌っていた。そして90年代の終わりにはソリストとして。
その後、マエストロ・ラミレスは自分の音楽を、合唱とオーケストラのためのヴァージョンにしたいという願いを表明した。
2006年、彼は私に、彼の子ども(この2曲)について語った手紙を書いた。たいへんな名誉と責任だった。
そして今、11年後、私たちは彼の夢を実現する。」


アリエル・ラミレス(1921年 - 2010年)



下の動画は1999年、クーラがアルゼンチンにオテロの公演のために帰国した際に、作曲家のラミレスのピアノ伴奏で彼のミサ・クリオージャを歌っている動画です。
ラミレスは2010年に亡くなりました。残念ながら「夢」の実現は間に合いませんでしたが、母国の大先輩によって託された夢、その思いに報いることができたのは本当に良かったと思います。

Missa Criolla (short exerpt)









――クーラのインタビュー動画

劇場がアップした、クーラがコンサートについて語っている動画です(英語)。
ミサ・クリオージャと作曲家ラミレスのこと、共演するギタリスト、アニエッロ・デジデリオについて、そして初公開の新作曲「Modus(モドゥス)」について。




――イタリアのギタリスト、アニエッロ・デジデリオ

クーラの指揮でアランフェス協奏曲のソリストとして共演したデジデリオが、コンサートについて語っています。
動画の最後で、クーラが指揮してリハーサルしているオケとギターの美しい音が少しだけ聞けます。
非常に高い評価を受けているギタリストだそうです。

Aniello Desiderio





とても魅力的で盛沢山のプログラム、DVDなど動画で見られるようにしてほしいと切に願っています。




*画像はプラハ響のHPなどからお借りしました。
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(DVD編)2015年 北京・国家大劇院にデビュー サムソンとデリラ Jose Cura / Samson Et Dalila / Beijing

2017-11-01 | オペラの舞台ーサムソンとデリラ




2015年の9月に、ホセ・クーラは中国の北京国家大劇院のサムソンとデリラに出演し、劇場デビューしました。この時のインタビューや舞台の画像などは、以前の投稿にまとめました。 → 2015年 北京・国家大劇院にデビュー サムソンとデリラ

ところで、この時の舞台映像がDVDになっているらしいことが、ファンサイトの情報でわかりました。 Thank you Nicky!!
ネットで販売していないかどうか調べてみたのですが、私が見た範囲では、入手するには北京国家大劇院内の売店に行くしかないようなのです。大劇院はNCPA classicsというレーベルで、公演のDVDを沢山リリースしているようなのですが、そのほとんどは売店でのみ販売しているみたいです。

FBを通じて問い合わせしてみましたが、現在のところ返答はまだありません。 
 → 11/2返信がありました!担当者から回答するよう手配してくれるそうです。親切でありがたいです。入手可能であるよう願います。
もし情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご教示いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。



さてDVDですが、なんと2種類、公演自体のもの(2017年6月リリース)と、メイキングビデオ(同年7月)があることがわかりました。
下のDVDの画像をクリックすると、中国語の紹介ページにリンクしています。


こちらは公演のもの。サムソンとデリラは中国語では"参孙与达丽拉"、ホセ・クーラは"何塞·库拉"となるようです。




こちらがメイキングビデオの方です。




このプロダクションは、北京国家大劇院とイタリアのトリノ王立歌劇場との共同制作で、2015年9月に北京で初演、その後、トリノでもグレゴリー・クンデのサムソンで2016年11月に上演されています。
演出は、クーラと同郷のウーゴ・デ・アナ。巨大な大劇院にふさわしく、非常に大掛かりで、メタリックに輝く抽象的なセット、スペクタル的な舞台だったようです。

大劇院の合唱はとても迫力があったようで、クーラも高く評価して、ぜひ大劇院で今度は演出をしてみたいと語っていました。


 

 

 

 


こちらは中国でアップされたらしい動画の一部を。サムソンが目をつぶされ、石うすに縛り付けられて後悔の念を歌うアリアです。

Samson et Dalila (Camille Saint-Saëns) Act3 "Vois ma misère, hélas!"
Jose Cura (Samson) Beijing 2015








*画像は劇場サイトや報道などからお借りしました。
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