ホセ・クーラは、ヴェルディのオテロを20年以上にわたって歌い演じてきました。今年2020年には、新しいオテロの演出を行う予定だったようです。インタビューでクーラ自身が語っていたことですが、具体的な場所や日時、構想、内容については公表されていませんでした。しかし、この間の世界的な新型感染症の拡大によって、2020年5月初旬の現在も、ほとんどの歌劇場は閉鎖されています。残念ですが、この新演出が実現できるのかどうか、まったくわからないのが現状です。
演出については、実はクーラはすでに、オテロの演出を2013年に母国のテアトロコロンで行っています。主演のオテロ役も歌いました。今回の記事では、その時の舞台コンセプト、クーラのオテロの解釈などを、当時のインタビューから紹介したいと思います。
≪ クーラ設計のセットーーテアトロコロンの回転舞台で ≫
下のインタビューでクーラが語っていますが、この2013年のクーラ演出のオテロは、テアトロコロンの巨大な回転舞台を最大限生かして、ストーリーの展開をストップさせることなく、連続性をもってすすめられるものだったそうです。
以下の絵は、クーラが作成した舞台の3D図面です。回転舞台を3分割して、相互に行き来ができるドアがついています。場面の区切りになっている壁の上にも兵士が配置されるなど、立体的な構造になっているようです。
そしてイアーゴには、あたかも物語の進行役のような位置づけが与えられ、回転舞台の内と外を自由に出入りし、時には舞台を押して進めたりもしていたようです。
*それぞれの絵は、クーラのFB記事にリンクしています。
①浜辺の場面 オテロの登場や群衆シーンなど
②ホールの場面 執務室、イアーゴとのやり取りなど
③寝室の場面 妻デズデモーナとのシーン、ラストのオテロの死の場面など
●サイドから見ると
舞台全体を少し上方の視点から見た図です。物語の流れに沿って、この舞台が自由に展開していきます。
●実際の舞台写真
こちらが実際のテアトロコトンでの公演の舞台写真です。
●公演の録画
残念ですが、現在にいたるまで正規の録画はまだ公開されていません。クーラ自身の編集作業は終えているということなのですが、諸事情でリリースままだのようです。とても残念ですが、リリースの日を待ちたいと思います。
こちらはネット上にアップされている録画です。あまり画質音質がよいとは言えませんが、舞台の雰囲気が分かります。
2013年テアトロコロン、オテロ=ホセ・クーラ、デズデモーナ=カルメン・ジャンナッタージオ、イアーゴ=カルロス・アルヴァレス
ーーインタビューより
≪舞台と演技の連続性ーープロダクションの重要ポイントと回転舞台≫
Q、この「オテロ」について?
A(クーラ)、プロダクションの最も重要な部分は、アクションの連続性、舞台上の演技の連続性だ。一般に、シェイクスピアの劇場では、連続性を考慮せずに登場人物が出入りできるが、これがオペラ劇場では、カーテンが下がって場面転換するために困難だ。しかし、テアトロコロンには巨大な回転舞台があり、少なくとも伝統的な歌劇場では世界最大だと思う。それは直径20メートルあり、実際には多くのヨーロッパの劇場の舞台全体と同じだ。
この回転舞台を利用することで、場面転換のために停止する必要がなく、共通する流れが失われることはない。空間演出はブレヒト風の劇場で、少し淡い色。円盤内部で起こることにはリアリティがあるが、しかし、周りからは、それが劇場の一部であることを人々は見ることができる。私は装置や照明を見てほしいと思っている。それは劇場内で演劇を行っているねらいを明らかにするものだ。
Q、テアトロコロン以外の劇場に取り付けることは?
A、告白すると、すでに世界各地の4つか5つの劇場から、私にこの舞台への要請があった。舞台プランを送った全員が、これは当てはまらないと言ってきた。すべての劇場が回転舞台を備えているわけではなく、あっても、約10メートルほどの通常の回転舞台だ。
(「perfil.com」2013/07/14)
≪ オテロの解釈、歴史上の歌手たち、演出と主演について ≫
Q、演出・舞台監督の仕事で大事なこと?
A(クーラ)、しなければならないのは、人々に夢を見てもらうことであり、それらを自分の夢の人形に変えることではない。我々は仕事をしているのであり、ここではお金が動く。しかし、しばしば我々は、それが、個々人の間のエネルギー交換をその存在理由とするシステムの上での、召命にもとづく仕事であることを忘れてしまう。それが欠けると作品は腐敗する。リーダーの仕事は、やる気を起こさせ、我々の使命を思い出させる小さなボタンに触れること。私は劇場全体に熱意を吹き込むことを求めている。人々の問題を解消することはできないが、素晴らしい1日を過ごしたと感じて帰宅する。プロジェクトをどこに向かわせたいかを知っていることはもちろんだが、ともに働く人びとの声を聞くことも重要だ。こうした声がプロジェクトを強化する。権威主義は常に失敗につながる。
Q、オペラのダイナミクスにおいて、演出・監督の役割とタイトルロールを重ね合わせるのは簡単ではないようだが、どのように?
A、自分自身を見る能力に加えて、非常に大きなエネルギーを必要とする。また、信頼できる専門家のチームも必要。私はそれらを「自分のバックミラー」と呼んでいる。プロジェクトの最初から参加し、信頼できるアシスタントディレクターが、私たちの目となる。私は主張し、そして彼らが私に言うことを信頼する。一人称の仕事による傲慢さは機能しない。私には、30年前に劇場に来て以来の友人もおり、彼がオテロの役で私に代わってくれるので、外から動きを見ることができる。
Q、オテロは、歴史的に非常に強力な足跡を残した歌手によって表現されてきた。彼らから何かを得た?
A、イエス。ドミンゴ、デルモナコ、ビネイのような我々の時代の人びと、コスタのような過去の時代を刻印した人びと、それぞれが彼らの時代において独自の方法で素晴らしいオテロだった。
デルモナコは、戦後の特別な感情の時代に、オテロとして、ぼろぼろになった社会がまだ生きていることを示すため、歌い続けるように求められた。ドミンゴは、今日、世界に侵入している原理主義がさほど広がっていない時代に彼のオテロをつくった。原理主義について話す時、私はターバンやラクダについて話しているのではなく、自分の思想を他の人々に押し付けたい人々についてであり、彼がネクタイとスーツを着ているかどうかには関係がない。国際的な状況に照らして今日のオテロを解釈することは、2001年以降非常に悪化している原理主義とは別のものだ。
Q、設定の更新は?
A、更新はないが、背教者、そして裏切り者とはどういう意味か、という認識がある。これはシェイクスピアのオセロ(Othello)にあるものだが、今日では別の関連がある。それを理解するために現代風にする必要はない。ヴェルディのオテロには、より最小限の、より知的な場面があると思う。なぜなら言葉の力がすべてを許容するほどのものであるからだ。
このプロダクションでは妥協策がある。黒いチャンバーを使用し、劇場の回転盤の中にいる。20メートルの直径があり、シーン全体をマウントし、連続性を維持することができる素晴らしいものだ。この連続性は、シェイクスピアが探求していたことで知られている。回転盤の中ですべてが起こり、その外ではイアーゴだけが存在できる。つまり、セッティングは、100%リアリスティックでなく、100%ヒステリックでない。
Q、「ヒステリック」?
A、イエス、すべてが強制されるのが「ヒステリック」。私はかつて宇宙船でオテロをしなければならなかった。状況の不条理さを想像することができるだろう。私はカーク船長でイアーゴはミスター・スポックのように見えた。全く陳腐だ。
(「clarin.com」18/07/2013 )
≪進化し続けるオテロ像≫
Q、あなたが役を演じてきた15年以上の間に、オテロに対するビジョンはどう進化した?
A(クーラ)、傑作のすべてを知りつくすことは決してできない。したがって、我々は調査と探求を続けており、それはまだ効力を持ち、エキサイティングだ。あらゆる長期的な関係と同じように、オテロとの関係でも、プラスとマイナスがあるだろう。
Q、特に重要な瞬間は?
ヒーローであるオテロ像から降りて、「貧しい男」としてオテロを抱き締め、慰めようと決心したとき、私は彼の行動の理由を理解しようとした。2001年にさかのぼるが、それ以来、私は立ち止まっていない。それについての短い小説も書いたが、いつか出版できたらと思っている。
Q、オセロについてどれくらいの分析が必要? そしてイアーゴは?
A、たくさん。「私は自分ではない」とイアーゴは言う。自分自身が悪魔であるという可能性を述べる。フロイトのように言うと、彼が狂人について話しているとすれば、イアーゴはオテロの「それ」だ。彼の弱い「スーパーエゴ(超自我)」を打ち負かし、ムーア人(オテロ)の不確実な「私」を彼自身の火で燃やす。
Q、オセロの解釈者として誰を尊敬する?
A、誰も皆。それぞれが私に何かを教えてくれた。そのように多くの蓄積を継承するのはいいことだ。しかし、「アンチヒーロー」のオテロについて言えば、私はオペラの世界でまったくの1人旅をしている。聴衆は、オテロの素晴らしい音楽のために、キャラクターを理想化した。さらに伝説的な歌手の芸術的な高貴さとも関係している。それを理解するためにオテロを分かりやすく説明することはかなり大変なことだ。
Q、今日では、伝統的ステージングと概念的なステージング、オペラ制作ではどっちを好む?
A、知性をもって作られたもの。そうした品質がどれほど珍しいかを知らないかもしれないが…。それ以外は、味の好みだ。
長年にわたって歌い演じながら、つねに探求を続け、オテロという巨大なキャラクターを掘り下げ続けているクーラ。2013年から7年を経て、新たに取り組む演出で、どのようなチャレンジをしようとしているのでしょうか。本当に楽しみです。
そういうオテロの新演出の計画、また11月のバーリ歌劇場との来日公演など、今年2020年も、期待が持てるスケジュールが組まれていたはずでした。しかし、いずれにしても、現在のパンデミックが落ち着かない限り、実現は困難です。
多くの命と健康、くらしが危機にさらされ、文化・芸術分野でもどれほど多くの企画やプロダクション、アーティストの夢とアイディアが中断させられたことでしょうか。幸い、欧州などでは徐々に規制の緩和が始まりつつあるようで、それらはとても嬉しいニュースです。日本をふくめ、通常の生活、劇場の活動が早期に戻ってくることを願っています。
*画像はクーラのFB、報道などからお借りしました。