人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

2013年 ホセ・クーラ、オテロを演出・主演 in テアトロコロン

2020-05-05 | オペラの舞台―オテロ

 

 

 

ホセ・クーラは、ヴェルディのオテロを20年以上にわたって歌い演じてきました。今年2020年には、新しいオテロの演出を行う予定だったようです。インタビューでクーラ自身が語っていたことですが、具体的な場所や日時、構想、内容については公表されていませんでした。しかし、この間の世界的な新型感染症の拡大によって、2020年5月初旬の現在も、ほとんどの歌劇場は閉鎖されています。残念ですが、この新演出が実現できるのかどうか、まったくわからないのが現状です。

演出については、実はクーラはすでに、オテロの演出を2013年に母国のテアトロコロンで行っています。主演のオテロ役も歌いました。今回の記事では、その時の舞台コンセプト、クーラのオテロの解釈などを、当時のインタビューから紹介したいと思います。

 

 

 


 

 

 

≪ クーラ設計のセットーーテアトロコロンの回転舞台で ≫

 

下のインタビューでクーラが語っていますが、この2013年のクーラ演出のオテロは、テアトロコロンの巨大な回転舞台を最大限生かして、ストーリーの展開をストップさせることなく、連続性をもってすすめられるものだったそうです。

以下の絵は、クーラが作成した舞台の3D図面です。回転舞台を3分割して、相互に行き来ができるドアがついています。場面の区切りになっている壁の上にも兵士が配置されるなど、立体的な構造になっているようです。

そしてイアーゴには、あたかも物語の進行役のような位置づけが与えられ、回転舞台の内と外を自由に出入りし、時には舞台を押して進めたりもしていたようです。

*それぞれの絵は、クーラのFB記事にリンクしています。

 

①浜辺の場面 オテロの登場や群衆シーンなど

 

②ホールの場面 執務室、イアーゴとのやり取りなど

 

③寝室の場面 妻デズデモーナとのシーン、ラストのオテロの死の場面など

 

●サイドから見ると

舞台全体を少し上方の視点から見た図です。物語の流れに沿って、この舞台が自由に展開していきます。

 

 

 

●実際の舞台写真

こちらが実際のテアトロコトンでの公演の舞台写真です。

 

 

●公演の録画

残念ですが、現在にいたるまで正規の録画はまだ公開されていません。クーラ自身の編集作業は終えているということなのですが、諸事情でリリースままだのようです。とても残念ですが、リリースの日を待ちたいと思います。

こちらはネット上にアップされている録画です。あまり画質音質がよいとは言えませんが、舞台の雰囲気が分かります。

 

2013年テアトロコロン、オテロ=ホセ・クーラ、デズデモーナ=カルメン・ジャンナッタージオ、イアーゴ=カルロス・アルヴァレス

 

 

 

 


 

 

ーーインタビューより

 

≪舞台と演技の連続性ーープロダクションの重要ポイントと回転舞台≫

 

Q、この「オテロ」について?

A(クーラ)、プロダクションの最も重要な部分は、アクションの連続性、舞台上の演技の連続性だ。一般に、シェイクスピアの劇場では、連続性を考慮せずに登場人物が出入りできるが、これがオペラ劇場では、カーテンが下がって場面転換するために困難だ。しかし、テアトロコロンには巨大な回転舞台があり、少なくとも伝統的な歌劇場では世界最大だと思う。それは直径20メートルあり、実際には多くのヨーロッパの劇場の舞台全体と同じだ。

この回転舞台を利用することで、場面転換のために停止する必要がなく、共通する流れが失われることはない。空間演出はブレヒト風の劇場で、少し淡い色。円盤内部で起こることにはリアリティがあるが、しかし、周りからは、それが劇場の一部であることを人々は見ることができる。私は装置や照明を見てほしいと思っている。それは劇場内で演劇を行っているねらいを明らかにするものだ。

 

Q、テアトロコロン以外の劇場に取り付けることは?

A、告白すると、すでに世界各地の4つか5つの劇場から、私にこの舞台への要請があった。舞台プランを送った全員が、これは当てはまらないと言ってきた。すべての劇場が回転舞台を備えているわけではなく、あっても、約10メートルほどの通常の回転舞台だ。

(「perfil.com」2013/07/14)

 

 

 

 

 

≪ オテロの解釈、歴史上の歌手たち、演出と主演について ≫

 

Q、演出・舞台監督の仕事で大事なこと?

A(クーラ)、しなければならないのは、人々に夢を見てもらうことであり、それらを自分の夢の人形に変えることではない。我々は仕事をしているのであり、ここではお金が動く。しかし、しばしば我々は、それが、個々人の間のエネルギー交換をその存在理由とするシステムの上での、召命にもとづく仕事であることを忘れてしまう。それが欠けると作品は腐敗する。リーダーの仕事は、やる気を起こさせ、我々の使命を思い出させる小さなボタンに触れること。私は劇場全体に熱意を吹き込むことを求めている。人々の問題を解消することはできないが、素晴らしい1日を過ごしたと感じて帰宅する。プロジェクトをどこに向かわせたいかを知っていることはもちろんだが、ともに働く人びとの声を聞くことも重要だ。こうした声がプロジェクトを強化する。権威主義は常に失敗につながる。

 

Q、オペラのダイナミクスにおいて、演出・監督の役割とタイトルロールを重ね合わせるのは簡単ではないようだが、どのように?

A、自分自身を見る能力に加えて、非常に大きなエネルギーを必要とする。また、信頼できる専門家のチームも必要。私はそれらを「自分のバックミラー」と呼んでいる。プロジェクトの最初から参加し、信頼できるアシスタントディレクターが、私たちの目となる。私は主張し、そして彼らが私に言うことを信頼する。一人称の仕事による傲慢さは機能しない。私には、30年前に劇場に来て以来の友人もおり、彼がオテロの役で私に代わってくれるので、外から動きを見ることができる。

 

Q、オテロは、歴史的に非常に強力な足跡を残した歌手によって表現されてきた。彼らから何かを得た?

A、イエス。ドミンゴ、デルモナコ、ビネイのような我々の時代の人びと、コスタのような過去の時代を刻印した人びと、それぞれが彼らの時代において独自の方法で素晴らしいオテロだった。

デルモナコは、戦後の特別な感情の時代に、オテロとして、ぼろぼろになった社会がまだ生きていることを示すため、歌い続けるように求められた。ドミンゴは、今日、世界に侵入している原理主義がさほど広がっていない時代に彼のオテロをつくった。原理主義について話す時、私はターバンやラクダについて話しているのではなく、自分の思想を他の人々に押し付けたい人々についてであり、彼がネクタイとスーツを着ているかどうかには関係がない。国際的な状況に照らして今日のオテロを解釈することは、2001年以降非常に悪化している原理主義とは別のものだ。

 

Q、設定の更新は?

A、更新はないが、背教者、そして裏切り者とはどういう意味か、という認識がある。これはシェイクスピアのオセロ(Othello)にあるものだが、今日では別の関連がある。それを理解するために現代風にする必要はない。ヴェルディのオテロには、より最小限の、より知的な場面があると思う。なぜなら言葉の力がすべてを許容するほどのものであるからだ。

このプロダクションでは妥協策がある。黒いチャンバーを使用し、劇場の回転盤の中にいる。20メートルの直径があり、シーン全体をマウントし、連続性を維持することができる素晴らしいものだ。この連続性は、シェイクスピアが探求していたことで知られている。回転盤の中ですべてが起こり、その外ではイアーゴだけが存在できる。つまり、セッティングは、100%リアリスティックでなく、100%ヒステリックでない。

 

Q、「ヒステリック」?

A、イエス、すべてが強制されるのが「ヒステリック」。私はかつて宇宙船でオテロをしなければならなかった。状況の不条理さを想像することができるだろう。私はカーク船長でイアーゴはミスター・スポックのように見えた。全く陳腐だ。

(「clarin.com」18/07/2013 )

 

 

 

 

≪進化し続けるオテロ像≫

 

Q、あなたが役を演じてきた15年以上の間に、オテロに対するビジョンはどう進化した?

A(クーラ)、傑作のすべてを知りつくすことは決してできない。したがって、我々は調査と探求を続けており、それはまだ効力を持ち、エキサイティングだ。あらゆる長期的な関係と同じように、オテロとの関係でも、プラスとマイナスがあるだろう。

 

Q、特に重要な瞬間は?

ヒーローであるオテロ像から降りて、「貧しい男」としてオテロを抱き締め、慰めようと決心したとき、私は彼の行動の理由を理解しようとした。2001年にさかのぼるが、それ以来、私は立ち止まっていない。それについての短い小説も書いたが、いつか出版できたらと思っている。

 

Q、オセロについてどれくらいの分析が必要? そしてイアーゴは?

A、たくさん。「私は自分ではない」とイアーゴは言う。自分自身が悪魔であるという可能性を述べる。フロイトのように言うと、彼が狂人について話しているとすれば、イアーゴはオテロの「それ」だ。彼の弱い「スーパーエゴ(超自我)」を打ち負かし、ムーア人(オテロ)の不確実な「私」を彼自身の火で燃やす。

 

Q、オセロの解釈者として誰を尊敬する?

A、誰も皆。それぞれが私に何かを教えてくれた。そのように多くの蓄積を継承するのはいいことだ。しかし、「アンチヒーロー」のオテロについて言えば、私はオペラの世界でまったくの1人旅をしている。聴衆は、オテロの素晴らしい音楽のために、キャラクターを理想化した。さらに伝説的な歌手の芸術的な高貴さとも関係している。それを理解するためにオテロを分かりやすく説明することはかなり大変なことだ。

 

Q、今日では、伝統的ステージングと概念的なステージング、オペラ制作ではどっちを好む?

A、知性をもって作られたもの。そうした品質がどれほど珍しいかを知らないかもしれないが…。それ以外は、味の好みだ。

(「dw.com」)

 

 


 

 

長年にわたって歌い演じながら、つねに探求を続け、オテロという巨大なキャラクターを掘り下げ続けているクーラ。2013年から7年を経て、新たに取り組む演出で、どのようなチャレンジをしようとしているのでしょうか。本当に楽しみです。

そういうオテロの新演出の計画、また11月のバーリ歌劇場との来日公演など、今年2020年も、期待が持てるスケジュールが組まれていたはずでした。しかし、いずれにしても、現在のパンデミックが落ち着かない限り、実現は困難です。

多くの命と健康、くらしが危機にさらされ、文化・芸術分野でもどれほど多くの企画やプロダクション、アーティストの夢とアイディアが中断させられたことでしょうか。幸い、欧州などでは徐々に規制の緩和が始まりつつあるようで、それらはとても嬉しいニュースです。日本をふくめ、通常の生活、劇場の活動が早期に戻ってくることを願っています。

 

 

*画像はクーラのFB、報道などからお借りしました。

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2019年 ホセ・クーラ、ブルガリア・プロブディフ古代劇場でオテロ

2019-08-09 | オペラの舞台―オテロ

 

 

ホセ・クーラは、2019年7月26日、この夏の野外オペラのひとつ、ブルガリア第2の都市プロヴディフで、ヴェルディのオテロに出演しました。

会場は、古代ローマ時代の遺跡である野外の円形劇場。小高い山の上にあり、市内を見渡せる素晴らしいロケーション、そして石造りの劇場は、オテロの舞台そのものです。 

 

  

 

 

プロヴディフは、EU域内の独自の文化を守るという趣旨で作られた「ヨーロッパ文化首都」に、2019年、マテーラ(イタリア)とともに選ばれています。ブルガリアでは南寄りの都市、ギリシャやトルコはすぐ近くです。6000年も前からの住居跡が発掘されるとのことで、市内に多くの古代遺跡をもつ歴史ある町です。 

この公演は、プロヴディフ国立歌劇場による、古代遺跡の劇場を舞台にした夏の野外オペラシリーズのひとつであるとともに、とりわけ今年は「ヨーロッパ文化都市」に選ばれた年ということで、クーラを招聘するなど、力を入れて準備が行われてきたようです。

このことは劇場のディレクターがHPで次のように述べていたことからもわかります。

「3年間の交渉の後、有名なテノールのホセ・クーラ(アルゼンチン)が、彼の最も人気のある役の1つを歌うという招待状を受け入れてくれたことを感謝する。私たちは今年のフェスティバルで、ランドマークとしての彼の存在に注目するだろう。彼のオリジナルのオペラ解釈と魅惑的なステージ上の存在感は、私たち聴衆への贈り物になる」

 

 

 

State Opera - Plovdiv

OPERA OPEN:  Otello - Verdi  26.07.2019

Conductor: Dian Chobanov
Director: Nina Naydenova
Set design: Svetoslav Kokalov
Costumes: Tsvetanka Petkova-Stoynov
Choreography: Boryana Sechanova
Conductor of people;Dragomir Yosifov
Concertmaster: Micho Dimitrov
Orchestra, Choir and Ballet of Opera Plovdiv


Jose Cura = Otello
Tanya Ivanova = Desdemona
Piero Teranova = Iago
Elena Chavdarova Issa, Mark Fowler,Alexander Baranov,Alexander Nosikov
Evgeny Arabadzhiev,August Metodiev

 

 


 

 

古代ローマ遺跡の3000人収容といわれる野外劇場でのオテロ。石造りの舞台や円柱が、舞台の照明によって、暮れゆく空に美しく浮かび上がり、とても幻想的で、魅力的なプロダクションだったようです。

SNS上には、感動の声がたくさんあがっていました。

「プロブディフオペラと、オテロとして伝説的なホセ・クーラとの素晴らしい夜!」「昨夜は忘れられない経験だった」「素晴らしい出演者、素晴らしいパフォーマンス、素晴らしいミュージシャン」「オテロとの素晴らしい夜」「ソリスト、ホセ・クーラ、バリトンのピエロ・テラノヴァ、ターニャ・イヴァノヴァ、そしてマエストロの魔法の下で、プロブディフ・オペラの素晴らしい合唱団とオーケストラの本当に感動的な声!」・・等々。

残念ですが、やはり正規の録音や録画などはありません。しかし、劇場のFBには、本番の舞台を中心に、たくさんの写真が掲載されています。本当にうれしいことです。

美しく神秘的な古代劇場の様子、臨場感ある舞台、群衆の様子、クーラ・オテロの表情、苦悩、孤独感、怒りを映した写真、スタッフの奮闘ぶりなど、たくさんの写真をぜひ直接、ご覧になってみてください。


*右上のFBマークをクリックすると劇場FBのアルバムにいきます。

 こちらには114枚も。

 

こちらも40枚。

 

いくつかお借りして紹介を。

 

 

 

 

こちらは同じ劇場FBに掲載された、最終ドレスリハーサルの写真です。

 

 


 

 

この舞台にむけたいくつかの記事から、クーラの発言を紹介します。

 

≪「新しいオテロの誕生」と呼ばれてーー報道記事より抜粋≫

 

ーー古代劇場は一目で、有名なテノールを魅了した。彼は、これがまたフェスティバルの招待を受け入れる理由の1つであることを認めた。


(クーラ)初めて来た。もっと知りたいが、本当に不思議だ。ローマ人は素晴らしい。彼らが触れるところはどこでも、驚異的なことが起きた。


ーーオテロの役で、ホセ・クーラは1997年にクラウディオ・アバドの指導の下で劇場レッジョ・ディ・トリノでデビューした。そしてイタリアの報道機関は、「新しいオテロの誕生」と断言した。

(クーラ)その理由は、私が若くて未経験だったので、それがとても良かったということではないと思う。おそらく、私は、これまでの伝統からかけ離れて、これまでとは異なる方法で役柄を解釈した。つまり、今日、私はこのコメントをこのように読む。「オテロを演じる新しい方法が生まれた」と。

(「www.cross.bg」)

  

 

 

  "アーティストがアーティストになる前に有名になる"――インタビュー記事より抜粋≫

 

――ホセ・クーラは、Classic FMラジオのリスナーを次のように公演へ招待したが、彼のブルガリア人の同僚のレベルを高く評価することを忘れなかった。

(クーラ)7月26日、私はプロヴディフの古代劇場の舞台に立つ。私の優秀な仲間の歌手、プロヴディフ国立歌劇場の合唱団とオーケストラの人々、そして舞台裏の巧みに働く素晴らしい技術スタッフ。ここへ来て、素晴らしいショーを楽しみ、そして一緒に素晴らしい時間を過ごす準備ができている。

高いプロフェッショナルなレベルで機能し、気候も素晴らしい。私が最後に訪れてから16年が経ったが、ここで仕事をすること、さらに多くのことをするのは素晴らしい。プロヴディフが ”ヨーロッパ文化首都” に選ばれたのは良いことだ。オペラ劇団、劇場ともに素晴らしく、ディレクターは非常に歓迎してくれ、よく準備されている。

中国、日本、韓国、ロシアから新たな「声」が来ている。これは具体的な社会現象だ。私が若い頃、”なぜ南米人がヨーロッパを訪れて歌うのか”とよく聞かれた。その答えは、南米では、成功と失敗の違いは、”食べられるか、食べられないか”、だからだ。同じことがアジア、韓国、中国、ロシア、バルカン諸国の若者たちにも起きている。


ーー56歳のテナーは、次世代の才能あるアーティストを懸念。常にオペラの未来につよい関心を持っている。

(クーラ)アーティストは、そうなる前に有名になっている。アーティストになるためには、自分自身の道を歩かなければならない。1990年代の終わりから今世紀の初めまでには、有名になるためには、芸術的、専門的な多くの資質が必要だった。

今日、有名になるためには、インターネット、YouTube、Instagramなど、役立つコミュニケーションツールを十分に活用する必要がある。

才能は豊富であり、マスメディアはそれを台無しにしている。今、流行の若い指揮者たち。そのことは良い、素晴らしいことだ。しかし私が若い頃は、20歳でオーケストラの指揮者になることはできなかった。アシスタント・コンダクターとして技術を学んだ。

今日、すでに20代で、ロサンゼルス・フィルまたはニューヨーク・フィルの指揮者として選出されている。私は、まず知識を習得し、そしてこの仕事に取りかからなければならないと信じている。

彼らを成長させる前に彼らを台無しにしているので、おそらく私たちは、素晴らしい才能のあるアーティストを持つ機会を失ってしまう...だから未来は危機に瀕している...。バイオリン奏者、ピアニスト、歌手またはオーケストラの指揮者であるかどうかにかかわらず、クラシックの音楽家の場合、この職業を理解できるようにするためには、人生の15年を投資する必要がある。それは困難なほど美しいことだ。

今日、成功のためだけでなく、成功できるかどうかを試すために、15年、20年の人生を投資する準備ができている若者はどれほどいるだろうか。しかし、オーケストラの演奏、オペラの演奏、バイオリンの演奏は、ウィキペディアでは教えられない。それのような方法はない。


ーーインタビューの終わりに、Classic FMラジオの25周年記念について

25周年を迎えることは、同じ期間、結婚しているカップルのようなもの。今日の世界では、2人の若い恋人の間で、あるいは、既に成熟し、長年一緒に生活している家族の中で、そのような夫婦間の結びつきを維持することは、とても困難だ。物事は壊れやすい。何かを始めてから25年を経て、なおも、熱意を持ち続け、そうしようと願い続けている人は、誰でも皆、大きな拍手に値する。お祝いと、そして幸運を。

(「www.classicfm.bg」)


 

 


 

≪SNS上の動画≫ 

 

正規の動画、録音はありませんが、SNSにいくつか、客席からとった動画がアップされています。とても短く、画質も音質もよくありませんが、舞台の雰囲気が味わえて、ありがたいです。 

 

第3幕、本国からの使者を迎える場面。オテロは本国に召還、代わりにカッシオが総督になることを知らされる。様々な思いに心乱れるオテロ。残念ながら途中までです。

 

第4幕、ラストシーン、オテロの死。演出により、前後に、鐘の音が鳴り続ける場面が加わっています。

 

 

≪リハーサルの様子、バックステージ≫

 

リハーサルの様子を報道したニュース動画。ファンページ・ブラボクーラFBに転載されたものです。リハーサルでの、クーラのオテロとデズデモーナ役の親密な様子がたのしいです。クーラの短いインタビューも。

もとのページはこちら

 

リハーサル室のようです。劇場FBに掲載された写真。

 

古代劇場の石の客席で、指揮者、演出家らと語り合うクーラ。もう日も暮れているようですが、こうやって議論を重ねながら本番に向かっていっているのでしょうか。劇場FBより

 

 

 

終演後には、野外劇場の観客席最上部で、関係者による(運のいいファンも交えて?)懇親・交流会が開かれたようです。

 

劇場FBより、クーラとデズデモーナ役のTanyaさん

 

指揮者、劇場ディレクターと、客席最上部で。背後に舞台が見わたせます。

 

 

 


 

古都の古代遺跡を舞台にしたオテロ。クーラもほれ込むほどの美しく、素晴らしい環境で、劇場の人々ともとても気持ちのよい協力関係がつくられたようです。

デズデモーナ役のTanyaさんは、声も姿も可憐で美しく、成熟したクーラ・オテロとの組み合わせは、原作のイメージとも合って、とても良かったのではないでしょうか。どの写真も美しく、それゆえ、オテロの苦悩、孤独、悲しみが伝わるものが多かったと思います。

クーラがアーティストとしての生涯を通じて探究してきたヴェルディの大作オテロ。熟年オテロの集大成として、この数年のうちに、ぜひ映像化や録音が実現してほしいと切に思います。

クーラの次のオテロは、来年2020年の3月、ドイツのハンブルク歌劇場です。

 

*画像は劇場FB、HPからお借りしました。 

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(SNS編) 2018 ホセ・クーラ、ドレスデンのオテロに代役で出演 / Jose Cura sings Otello at Semperoper Dresden

2018-03-06 | オペラの舞台―オテロ


*この画像は同じプロダクションの2016年ザルツブルクの舞台より


3月3日、ホセ・クーラは、急きょ、ドレスデンのゼンパーオーパーのオテロに出演しました。
キャンセルを受けた代打としての出演で、その経過は前回の記事で報告しましたが、2月28日までモナコでピーター・グライムズに出演し、次の道化師の出演のために中東オマーンに渡航するまでのわずかな間をぬってのことでした。

1日だけの代演のため、今のところレビューは見当たりませんでしたが、同じ公演の出演者たちが、期待以上にたくさん、SNSで発信してくれました。
ハードな日程になったクーラですが、劇場のピンチを救い、公演も大成功したようで、とても満足そうです。

写真から見ると、クーラはグライムズのために伸ばしていた髭をすっきり剃ったようですね。当日の美しい舞台写真が見ることができないのが残念ですが、こうしてSNSを通じて出演者たちの様子を知ることができるのは、本当にうれしいことです。



≪クーラのフェイスブックから≫



無事に3月3日の公演を終えて、クーラがFBにアップした写真↑です。以下のコメントが添えられていました。

「昨日の共演者たち、私が飛び込んだドレスデン・ゼンパーオーパーのオテロの公演で。
今(3/4)、帰宅した。水曜日(3/7)に、ローマ歌劇場とのゼフィレッリの道化師のプロダクションのためにマスカット(中東オマーンの首都)に行く。」


モンテカルロ歌劇場でみずから演出・主演したピーター・グライムズのために1か月間もモナコに滞在し、もしかするとそのままドレスデンに直行したのかもしれません。
そして帰宅して数日後には、初めてのオマーンへ。国際的に活躍するオペラ歌手は皆、こうした旅から旅の生活をしているとはいえ、55歳になったクーラ。疲れがないわけではないでしょう。



≪カーテンコール動画≫

こちら↓は、デスデモーナ役ヒブラ・ゲルズマーワさんのマネージャーがインスタに投稿してくれたカーテンコール動画です。この動画を見ると、クーラの活力の秘密がわかるような気がします(^^)


●添えられたコメント
「ドレスデンでの2回目のカーテンコール! オテロ=ホセ・クーラ、デスデモーナ=ヒブラ・ゲルズマーワ、指揮者ダニエレ・カッレガーリ! 昨夜は非常に情熱的なパフォーマンスでした! アルゼンチン - アブハジア - イタリアの血は、熱いエネルギーでホール全体を包んでいました!!! 🔥🔥🔥」


このカーテンコールで印象的だったのは、クーラと出演者が熱い一体感で結ばれているように見えたことです。
病気のキャンセルが相次いだなかで、主役のクーラも指揮者も急な代役で出演。リハーサルの時間もほとんどとれず、困難もあったと思いますが、それを乗り超え、キャストが一致団結して、音楽的にもドラマとしても、情熱あふれる充実した公演をつくりあげることができたからでしょうか。こういう瞬間は、生の舞台に立つアーティストたちにとって、何ものにも代えられない喜びであり、次に向かうパワーの源にもなっているのかもしれません。

これまでいろんな舞台のカーテンコールの動画を見ましたが、とりわけこの動画からは、クーラ自身の大きな満足感と喜びが感じられました。
以下は動画から。


① カーテンコールで登場し、大喝采に手を挙げて応えるクーラ
② 大きく手を広げて、指揮者を迎える 
 

③ 指揮者を迎えてハグ、指揮者の足元がよろけるほど(笑)の固く熱い抱擁
④ 戻ったクーラを手を広げて迎えるデズデモーナを抱きしめてキス💕
 



指揮者のダニエレ・カッレガーリさんは、新国立劇場にも出演されたことがあるようですが、これまでクーラとも、バルセロナのリセウ大劇場でカヴァレリア・ルスティカーナ/道化師で共演したり、またクーラが演出・舞台デザインをしたストックホルム王立歌劇場のラ・ボエームの指揮をした方のようです。
さらに、今年9月にサンフランシスコオペラで、クーラが演出・舞台デザインしたカヴァレリア・ルスティカーナ/道化師のプロダクションの指揮を行う予定になっています。
信頼でき、気心も知れた指揮者であり、たぶん、ヴェルディのオテロの音楽解釈においても、クーラと一緒に情熱的な舞台をつくりあげる方だったのでしょう。



≪共演者とともに≫

それぞれの共演者の満足そうな様子が、他の画像からもうかがえます。


――こちら↓はデズデモーナ役のヒブラ・ゲルズマーワさんとクーラ。とても美しい2人です。舞台で見たかった・・。



●添えられたコメント
「私は昨日、"オテロ"をゼンパーオーパー・ドレスデンで歌いました。偉大なテノールであり素晴らしい俳優であるホセ・クーラ、素晴らしいマエストロ、ダニエレ・カッレガーリと共に! ❤」



――指揮者のダニエレ・カッレガーリさんがツイッターに投稿した写真↓。


●添えられたコメント
「我々のオテロの公演の後で、ホセとリラックスして」



――ロドヴィーコ役ルーカス・コニェチェニーさんと↓。



●添えられたコメント
「ゼンパーオーパー・ドレスデンでオテロのリバイバル公演の後に、驚くべきオテロのホセ・クーラ、デズデモーナとして素晴らしいヒブラ・ゲルズマーワ、偉大なマエストロ・ダニエレ・カレガリ、そしてすべての素晴らしい仲間!
Bravi tutti !!」



――「Araldo」のチャオ・デンさんと↓



●添えられたコメント
「オテロとしてのホセ・クーラは素晴らしい❤️❤️❤️❤」



それぞれの出演者が、公演の成果に満足し、互いに健闘を称えあっているのが伝わってきます。
とりわけクーラが好調を維持し、共演者を驚かすような素晴らしいオテロだったようで、本当にうれしいです。
円熟期にあるクーラのオテロ、ぜひ生の舞台で観たいという思いがますますつのります。


――最後に、カッレガーリさんのツイッターより、みんなそろってのカーテンコールの写真を。

●添えられたコメント
「素晴らしい成功、ドレスデンでの我々のオテロのオープニングの夜、・・」




*画像は出演者の方々のSNSよりお借りしました。それぞれリンクを張ってありますので、元の記事・ツイートなどをぜひご覧ください。
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(緊急告知) 2018 ホセ・クーラ、ドレスデンのオテロに代役で出演 / Jose Cura sings Otello at Semperoper Dresden

2018-03-03 | オペラの舞台―オテロ




3月2日の夜、ツイッターで入ってきたニュースです。
とても急な話でびっくりしましたが、ホセ・クーラが、翌3月3日(すでに今日のことですが)、ドイツ・ドレスデンのゼンパーオーパーのオテロに出演するというのです。その後、HPにも掲載されました。




*この劇場HPの写真はクーラではありません。


Otello/ Giuseppe Verdi

Saturday 3 Mar 2018 7 pm
Semperoper Dresden

Conductor= Daniele Callegari
Staging= Vincent Boussard , Set Design= Vincent Lemaire
Costume= Design Christian Lacroix , Collaboration Costume Design= Robert Schwaighofer
Lighting Design= Guido Levi , Video= Isabel Robson , Choreography= Helge Letonja
Choir= Jörn Hinnerk Andresen , Dramaturgy= Stefan Ulrich

≪Cast≫
Otello= José Cura
Jago= Markus Marquardt
Desdemona= Hibla Gerzmava
Cassio= Mert Süngü
Rodrigo= Simeon Esper , Lodovico= Lukasz Konieczny
Montano= Martin-Jan Nijhof , Emilia Jelena Kordić
Araldo= Chao Deng , Engel= Sofia Pintzou

Sächsischer Staatsopernchor Dresden
Staatskapelle Dresden
Co-production with the Salzburg Easter Festival





どうやら、もともと予定されていたキャストのペーター・ザイフェルトが病気でキャンセル、そしてその代役にたてられたロバート・ディーン・スミスがまた病気でキャンセル。そのまた代役をクーラが急遽引き受けたということのようです。

クーラ出演は3日の1回だけのようで、その後は元のキャストに戻るようです。
指揮者も病気で交代ということで、劇場側は相当大変だったことでしょう。


クーラは2月28日に、モナコのモンテカルロ歌劇場で、自ら演出・舞台デザインを手がけ、主演したブリテンのピーター・グライムズを終えたばかり。
約1カ月、モナコ滞在に滞在し、マドリードの自宅に帰宅したものと思っていました。




上はクーラのFBに掲載されたコメント。
「グライムズは終わった。素晴らしい1か月――非常に素敵なカンパニーと全てのレベルで優れた劇場のチーム。このように仕事をする喜び。さようなら、モンテカルロ。3年後に会いましょう。」



最後の数日、南欧も寒波に襲われて、モナコでも珍しく雪が積もったようでした。そうしたなか、しかも疲れもたまっていると思われますが、休息する間もほとんどないまま、急遽、ドイツへ。ドレスデンで同じように病気(インフルエンザの流行か?)にかからないことを祈ります。

別の記事でも紹介していますが、この3月、クーラはスケジュールが詰まっていて、中旬に中東オマーンでオペラ道化師に出演(3/15,17)、その翌週、プラハに戻って指揮者としてドビュッシーとラヴェルを演奏(3/21,22)し、そして月末にはハンガリーのブダペストで「ホセ・クーラの音楽的世界」と銘打たれたクーラ作曲の3曲を上演するコンサートが予定されています。

それぞれ、歌手、作曲家、指揮者として、独自の準備が必要な仕事なため、例によってハードワークでやりきるのだろうと思っていましたが、さらにこのオテロを引き受けるとは、いくら心身ともに頑強なクーラとはいえ、驚きです。

とはいえ、クーラなら可能だという理由もあります。もともとこのドレスデンのオテロは、2016年のザルツブルク復活祭音楽祭が初演で、その際、クーラが、ヨハン・ボータの病気キャンセル(そののち惜しくも死去)を受けて出演したのでした。

→ ザルツブルク復活祭音楽祭のオテロについての記事


ティーレマンが指揮したこの公演は、すでにDVDとして発売もされています。賛否両論あった演出ですが、なかなか美しい舞台でした。衣装もクリスチャン・ラクロアのシックで凝ったデザインで、クーラに似合っていました。映像は日本でもクラシカ・ジャパンで何回も放映されています。






ついでにネットにアップされている動画のリンクも。

Othello 2016, Salzburg - Cura, Roeschmann, Alvarez, Bernheim, Thielemann




以下、ザルツブルクの舞台から、いくつかクーラの画像を。

1回だけのピンチヒッターのため、今後、レビューや情報もほとんど出てこないと思いますが、クーラの献身的な奮闘で、公演が成功することを祈っています。











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ホセ・クーラ オテロのデビューから20年 / Jose Cura 20 years since Otello debut

2017-05-29 | オペラの舞台―オテロ




ホセ・クーラは今年2017年で、ヴェルディのオテロのタイトルロールデビューから20年を迎えました。
クーラの初オテロは1997年5月、まだ34歳の時でした。以来、20年間、世界各地でオテロを歌ってきました。合計すると約250回になるそうです。
またオテロの演出、そして指揮も行っています。

これまでもオテロについては何回も紹介してきましたが、この機会にまた20年間のクーラのオテロの歩みを振り返ってみたいと思います。なお、この一覧は公式のものではなく、私がクーラのHPやファンサイトなどのネット上の情報からまとめたもので、欠落や誤り、キャンセルなどの可能性を含んでいることをお許しださい。

トップの写真は、左から、1997年トリノ、2001年ウィーン、2006年リセウ、2011年チューリッヒ、2016年ザルツブルクです。まだ初々しい青年オテロから、年を重ね、成熟した本来のオテロの姿へ、20年の歳月を感じさせます。

なお、クーラが長年オテロについて研究してきた作品解釈、オテロ論については、これまでのブログで何回かとりあげています。
今回は、それに全面的に触れることができませんので、興味のある方はそちらをご覧いただけるとうれしいです。
 → ホセ・クーラ オテロの解釈


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●オテロデビュー――「新しいオテロの誕生」
≪1997年≫

・5月  8 , 11 イタリア・トリノ




1997年にイタリアのトリノで、クーラはオテロのロールデビューをしました。名指揮者クラウディオ・アバドが率いるベルリン・フィル、演出は映画の巨匠エルマンノ・オルミ監督、そしてタイトルロールとしてのクーラの衝撃的なデビュー・・・伝説的ともいえる舞台でした。イタリアテレビのRAIによって、世界に生中継されました。あるレビューが「新しいオテロの誕生」と書いたそうです。
共演はバルバラ・フリットリとルッジェーロ・ライモンディです。
このオテロ出演の経緯や、クーラの思いなどについては、以前の投稿で紹介しています。

クーラはもともと1999年にオテロデビューする予定で準備していたそうです。ところがドミンゴのキャンセルによって、急きょ、クーラに大舞台のオファーが・・。
以前も紹介しましたが、この時のことをクーラは、こう回想しています。

「理由は知らないが、プラシドは、キャンセルしなければならなかった。しかし、これは非常に大きなイベントであり、ベルリンフィルが初めてトリノに来ることになっていた。
彼らは私に『もしできるならば』と尋ねてきた。おそらく彼らは、私のデビューが、話題性を追加すると考えたのだろう。
私は、自分が準備ができていたとは思わなかった。34歳だった。どうすればいいか、自問自答した。
リスクを取る。ご存知のように、それは報われた。そして再びファックスは、オテロのパートを歌うようにオファーを送り届け始めた。」
(2001年インタビュー)

「危険だった・・非常に。わずかなリハーサル、オーケストラと2日間、ステージングのために1週間だけ。それまでのキャリアで最大のメディア露出――アバドの指揮、ベルリン・フィル、エルマンノ・オルミ、RAIテレビ中継・・。本当に大胆なステップだった。歴史は私についていろいろ言うことができる。しかし誰にも、私に根性がなかったと言うことはできないだろう」
(インタビュー)

「あなたが作品を選択するのではなく、作品があなたを選択する時がある。私は、34歳で初めて、オテロのタイトルロールを歌った。私はこれ以前に、この可能性を夢見たことさえなかった。
しかし、ある日、私は電話を受けた。『私たちはあなたのためにこのチャンスを持っている。あなたはそれを取るだろうか?それとも、このユニークな機会を失うことになる?』――電話線の末端から聞こえた。・・・これが私とこの作品との、20年間の『恋愛』の始まり方だった。」
(2015年インタビュー)


この時の全編の動画が、非常に画質は悪いですがYoutubeにあります。本来ならば、正規の映像をDVDなどで残してほしいのですが・・。
第3幕の最後は、よく演奏されるのと少し違うヴァージョンです。


José Cura 1997 Otello



このオテロデビューは、クーラ自身にとっても、突然やってきたビッグチャンスだったようですね。これによって、一躍、世界から注目され、オファーも殺到します。
この時の「オテロ像」についてクーラ自身は、本来のオテロとは違うのを承知の上で、当時の年齢、条件のなかで自分の最善の努力をつくす以外になかったということのようです。
しかし、若い、フレッシュなクーラのオテロ、やはり魅力的です。


●世界でオテロを歌う――1999~2005年

トリノの成功を受けて殺到したオファー。この時期、クーラは世界各国の主要な歌劇場で、つぎつぎにオテロデビューを果たしました。

≪1999年≫
・4月 18, 20, 23, 25, 27 テアトロコロン ブエノスアイレス アルゼンチン
・5月 17, 20, 23 バービカン・センター  ロンドン イギリス
・10、11月 10/29、11/2, 4, 7, 10, 13, 16, 19 テアトロレアル マドリッド スペイン
・12月 9, 12, 14, 16 テアトロマッシモ劇場 イタリア





≪2000年≫
・3月 1, 3, 8, 11, 13 ワシントンオペラ アメリカ
・6月 15, 18, 22 バイエルン歌劇場 ミュンヘン ドイツ

≪2001年≫
・1、2月 1/27, 30、2/4  ウィーン国立歌劇場 オーストリア
・3、4月 3/26, 29、4/1  パリ・シャトレ座 フランス
・4、5月 4/19, 21, 24, 27、5/1, 3 ロイヤルオペラハウス ロンドン イギリス
・6月   6/21, 24, 26, 29 ニースオペラ座
・8月   8/2,5 トリエステ・ヴェルディ劇場 イタリア
・9、10月  9/22, 26, 28、10/2, 6, 9, 11 チューリッヒ歌劇場




Jose Cura 2001 "Già nella notte densa" Otello



≪2002年≫
・7月  7/4, 7, 11, 13 チューリヒ歌劇場
・11月  ポーランド国立歌劇場 ワルシャワ

≪2003年≫
・1月 10, 12, 16,19 東京、大阪
・6月 25フィレンツェ五月音楽祭  イタリア





≪2004年≫
・5、6月 5/29、6/2, 5  ハンブルグ歌劇場
・9月  5, 8, 11  チューリッヒ歌劇場

≪2005≫
・7月 2, 5 バイエルン国立歌劇場 ミュンヘン




この7、8年の間にクーラは、ウィーン、ロンドン、パリ、ミュンヘン、マドリッド、ブエノスアイレス・・と、世界の著名な歌劇場のほとんどでオテロを歌いました。
実は有名な歌劇場が1つ、ないのにお気づきでしょうか? 
ミラノのスカラ座です。実は、クーラ主演で2000年にスカラ座でムーティ指揮による新プロダクションの準備がすすんでいたのですが、最終的にムーティの判断で、クーラからドミンゴに変更になったそうです。クーラ自身がのちにインタビューで語っていました。残念ですが、その後、未だにスカラ座ではオテロを歌っていません。
とはいえこの時期に、クーラがオテロの歌い手として世界的に有名になったのは明らかです。来日公演もありました。


●解釈を深め、熟練のオテロ――2006~2012年

オテロデビューから約10年をへて、クーラも40代半ば、いよいよオテロらしい年齢、熟練の時期となります。
この時期、初めてオテロのDVDも発刊され(2006年リセウ)、また2008年には、オテロの解釈をまとめた本の出版まで行っています。


≪2006年≫
・2月 9, 12, 15, 18, 21, 24, 27 リセウ大劇場 バルセロナ

OTELLO de Giuseppe Verdi (2005-06)


≪2007年≫
・1月 28 マンハイム歌劇場

≪2008年≫
・4月 9, 11 セゲド国立歌劇場 ハンガリー
・4月 13 ハノーファー歌劇場  ドイツ
・11月 4, 6, 8 サンタ・クルス・デ・テネリフェ スペイン

・この年、オテロの解釈を語ったイタリア語の本『Giù la Maschera!』(「仮面の下」というような意味か?)を出版




≪2010年≫
・5、6月 オテロ/ヴェルディ 5/30、6/2, 4, 8, 10, 13 ベルリン・ドイツオペラ
・10月 オテロ/ヴェルディ 11/2 ガラ カールスルーエ・バーデン州立歌劇場 ドイツ





≪2011年≫
・8月 1 サンタンデール国際音楽フェスティバル  スペイン
・10月 20, 23, 26, 30 チューリッヒ歌劇場 スイス
・11月 6, 22, 27 チューリッヒ歌劇場

≪2012年≫
・1月 1, 5, 8 チューリッヒ歌劇場
・2、3月 ガラ公演 2/11、3/2 スロヴァキア国立歌劇場
・5月 21, 23, 25  ルクセンブルク大劇場 ルクセンブルク
・6月 24 チューリッヒ歌劇場







●さらなるオテロの探求へ、演出、指揮--2013年~現在

ロールデビュー以来、ほぼ毎年、20年間にわたってオテロを歌い続けてきたクーラ。その間には、歌い続けながら、演出・舞台デザイン、そして指揮へと、あらたなオテロの探求にふみだしています。

≪2013年≫
・3月 11, 15, 20, 23, 27, 30 メトロポリタンオペラ

Jose Cura , Krassimira Stoyanova Otello "Dio ti giocondi, o sposo"



・7月 18, 21, 24, 27, 30 出演・演出・舞台デザイン テアトロコロン ブエノスアイレス

故国アルゼンチンのテアトロコロンで、演出・舞台デザイン、そして主演でオテロのプロダクションを成功させました。





・9月 14, 17, 20, 23 ウィーン国立歌劇場
・11月 9, 20, 28 ベルリン・ドイツオペラ

≪2014年≫
・5~6月 ケルン歌劇場 5/18, 20, 23, 25, 30、6/1 

≪2015年≫
・1月、2月 1/29、2/24 プラハ国立歌劇場
・2月    8、11 ハンガリー国立歌劇場 ブダペスト

≪2016年≫
・1月  1/7, 10,17 ヘッセン州立歌劇場 ヴィースバーデン
・1月  1/21,29 2/1 リセウ大劇場 バルセロナ
・3月  19,27 ザルツブルク復活祭音楽祭 オーストリア

Verdi: Otello from Osterfestspiele Salzburg



・4月 指揮、照明・セットデザイン(コンサート形式) 4/23(シェークスピア没後400年記念日)  ジュールフィル/アウディ・アリーナ  ハンガリー

そして2016年、オテロの原作者シェークスピア没後400年のちょうどその日、クーラは指揮者として、オテロを演奏しました。





この時のインタビューからです。

「20年間オテロを歌い続け、3年前にはブエノスアイレスのテアトロコロンでオテロの演出をした。この作品とともに長い年月を過ごした後、オテロを指揮することは、巨大な挑戦だ。新しい未知の音楽を扱うようには、簡単には近づけない。並外れたプレッシャーがある。
しかし数え切れないほど様々な状況で、多くの指揮者の下でオテロを歌ってきたことは、大きな利点でもある。この非常に複雑で長い作品の演奏において、何がよく働いて、何がうまく動作しないのか、よく知っている。」

「この傑作は、今日と非常に関連し、現代的だ。なぜなら、人種差別、外国人嫌悪および難民の問題は、現代のヨーロッパの最も重要な問題だからだ。
これは裏切り、搾取、残酷さ、家庭内暴力や虐待などの重要なテーマについても同様だ。この500年間で何ら変わっていないことを考えさせられる。オテロは今日の人々に、私たちの時代について語っている?
このオペラとの愛は20年間続いている。毎回そのたびに、より多くの発見をする。これは、“真実の愛”というべきものだ。そして決して終わることのない、ネバー・エンディング・ストーリーだ。」


・7月 6  スロヴェニア・リュブリャナ「リュブリャナ・フェスティバル」





●そして次のオテロへ--2017~

ようやく現在まできました。そして今また、次のオテロのリハーサルが始まっています。
クーラの次のオテロは、ベルギーのワロン王立歌劇場です。

公演は6/16、20、22、25、27、29。
そして6/22 6/27(現地)はライブ放映が予定されています! → ワロン王立歌劇場の案内ページ
2月のタンホイザー同様に、フランスTV・Culture boxで放映されるのではないかと思います。
→ *劇場HPには、ライブ放映が22日と27日の両方のページがありましたが、FBで問い合わせたところ、27日が正しいと回答がありました。

これはベルギーの劇場のプロダクションですが、フランス政府が文化政策として、オペラなどを含む文化プログラムを積極的にネット配信していることは、本当に見識ある素晴らしいことだと思います。

20年歌い続け、演出・指揮を経験して、最新のクーラ・オテロがどのような成熟をみせているのか、ライブ放送で鑑賞できるのは本当に楽しみです。

≪2017年≫

・6月  16、20、22、25、27、29   ワロン王立歌劇場 ベルギー



(追加)Culture boxのYouTube公式チャンネルに全編動画が掲載されています。→ 終了 別のリンクを掲載しました。
円熟のオテロ、クーラの到達したオテロ像を見ることができます。
“Otello” de Verdi - Opéra Royal de Wallonie


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クーラのオテロは、決して美しく歌いません。それは作品とオテロのキャラクターの解釈にもとづくものです。だからこそ、クーラの、とりわけオテロは、観客の反応、批評ともに賛否が大きく分かれることが少なくありません。

しかし20年にわたり、歌い、解釈を深め、ドラマとキャラクターのリアリズムを軸とした、生きたオペラの実現をめざしてきました。
この間に、年齢と経験とともに、クーラの描くオテロ像も大きく変化しています。最後に、そのことについてのクーラのインタビューからの言葉を紹介したいと思います。

●デビュー当時――34歳の男のようにオテロを歌った

「私がオテロにデビューした時、私は34歳だった。そしてそれは、非常に大胆なことだった。マエストロ・クラウディオ・アバドと一緒で、世界に生中継された。私は『このチャンスを失うことはできない』と考えた。
そして私がしなければならないことは、オテロを34歳の男のように歌うことだった。しかし、この役柄で私とは比べものにならない素晴らしい経験をもつ45から50歳、そして60歳のテノールの解釈と比較すると、私は、自分の解釈に夢中になることはできなかった。もし私が彼らのようにやっていたら、私は第1幕の終りで、使いものにならなくなっていただろう。
だから私は、非常に抒情的なオテロを創った。声のボリュームよりも、より舞台上の存在感と演技にもとづいて。」

「多くの人はこう言った――これはオテロではない、抒情的すぎる、と。確かに抒情的だった。
しかし34歳の時に、他に何ができるだろうか。これは私が永遠に続ける解釈ではない。これは、非常に危険で非常に困難であるこの役柄、45歳の成熟にふさわしい、テノールにとって象徴的な役柄であるオテロデビューのリスクを取ろうとする、34歳の男のための解釈だった。これは、リスクを計算し、生き抜くことを教えてくれた。

●2016年――オテロの指揮にあたって

「私は、このオテロの私のパートだけではなく、オペラ全体を熟知している。全てのキャストの音符、全ての歌詞と楽器のパートをほとんど暗譜している。少し努力すればデズデモーナのパートも歌うことができる...それは、毎回毎回、より詳細な多くのことを発見しつづけるための作業工程の一部だ。
ネバーエンディング・ストーリーだ。」


「ヴェルディの音楽と手紙を土台においた役柄の解釈、ヴェルディのスコアに対する革命的読解の旅はまだ終わっていない。――ホセ・クーラ」




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2001年 ホセ・クーラ パリでオテロ / Jose Cura Otello in Paris

2016-09-07 | オペラの舞台―オテロ



1997年にアバド指揮のベルリンフィルでオテロにロール・デビューしたホセ・クーラ。その後の数年間で、マドリード、ロンドン、ブエノスアイレス、ミュンヘン、チューリッヒ、ウィーンと、世界の主要劇場に、オテロでの出演を果たしました。
そうしたなかでの1つ、2001年にパリのシャトレ座で、コンサート形式で上演されたオテロを紹介したいと思います。

Otello (Giuseppe Verdi) in concert
José Cura , Karita Mattila , Anthony Michaels-Moore
Conductor=Myung-Whun Chung

March 26, 29, April 1, 2001
Théâtre du Châtelet paris

現在の円熟したクーラのオテロの魅力とはまた違って、声も若々しくのびやかで、同時に、一定の経験を重ねた安定感もある歌唱です。
残念ながら、動画はなく、録音のみですが、音質はまずまずです。
あわせて、その年のクーラのインタビューも紹介したいと思います。パリのオテロのこと、オテロデビューの経過や、オテロの音楽、解釈などについても語っています。

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<イギリスでの対談より――BBC Forum 18 April 2001>
Q、パリのオテロを聞き、歌による感情表現と強さに驚いたが、この「感情的な進化」の源泉は?


A、ありがとう。この言葉は心を癒してくれる。パリのオテロの公演の後、「オテロとして歓迎できないオテロを見るのは残念だった」というコメントがあったので、あなたのような言葉に感謝する。
より多くの経験を得ようとすることによって、感情を伝える方法を学ぶ。それは人生におけるあらゆることと同じ。若い時には、叫ぶことによって、強烈で力強くなると思うが、その後、強さは、つくりだすノイズの量ではなく、あなたがまわりに伝えるエネルギーの量によることを学ぶ。おそらくこれが「感情的な進化」の秘密だ。


パリのオテロより、第1幕、オテロの登場場面
Jose Cura 2001 "Esultate" Otello



Q、観客の対応は国によって異なる?

A、観客への敬意を込めて言うのだが、通常の状況では、観客は、彼らが受けるに値するパフォーマンスを、アーティストから得る。判断されるのは、アーティストがその夜、何ができるかということだけではない。その方程式の反対側は観客だ。
あなたがステージ上にいる場合、観客があなたに愛を与えてくれなければ、あなたは観客に愛を返すことはできない。これは私が、観客が彼らにふさわしいパフォーマンスを得るということの理由。もしアーティストが、エネルギーと愛と観客との結びつきを感じているならば、アーティストは聴衆のために、彼の血を捧げる用意ができている。


第1幕、オテロとデズデモーナの二重唱「もう夜も更けた」
Jose Cura 2001 "Già nella notte densa" Otello



Q、あなたが選ぶドリームキャストは?

A、私が彼らに求めるのは、私が彼、彼女におくるエネルギーと愛に、同等に応えてくれる人たちであることだ。
それができるなら、名前や有名かどうかは重要ではない。私たちが話し合っている重要な点、感情的な側面、それは私が芸術を見る観点におけるキーポイントだ。


オテロの第2幕、デズデモーナとオテロの二重唱、そしてイアーゴの言葉で疑念をつよめていくオテロ。
Jose Cura 2001 Otello "D'un uom che geme sotto il tuo..Tu, indietro, fuggi!"



<2001年ロンドンでのインタビュー About the House>
●スティッフェリオでのロンドンデビューが最初のオテロにつながった


1995年にロンドンのロイヤルオペラにデビュー、ヴェルディのスティッフェリオでタイトルロールを歌った。それが最初のオテロにつながった。
デビューした後、複数のレビューアが書いた。「ここに潜在的なオテロがいる」と。その後、私はオテロのオファーをもらうようになった。しかしそれは、自己分析と準備なしにやるべきことではない。私はスコアを買い、学び始めた。
そして最終的に私は、1999年にバービカンで、サー・コリン・デイヴィスとともに、オテロを歌う申し出を受け入れた。それが私の最初のオテロになるはずだった。


第2幕、オテロとイアーゴの二重唱「大理石のような空にかけて誓う」
José Cura "Si, pel ciel marmoreo giuro!" Otello



●ドミンゴのキャンセルを受けて、トリノでのオテロデビューへ

しかし運命は、1997年に一歩、踏み出した。プラシド・ドミンゴがトリノで、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とクラウディオ・アバドによるオテロに取り組んでいた時のこと。
理由は知らないが、プラシドは、キャンセルしなければならなかった。しかし、これは非常に大きなイベントであり、ベルリンフィルが初めてトリノに来ることになっていた。
彼らは私に「もしできるならば」と尋ねてきた。おそらく彼らは、私のデビューが、話題性を追加すると考えたのだろう。
私は、自分が準備ができていたとは思わなかった。34歳だった。どうすればいいか、自問自答した。
リスクを取る。ご存知のように、それは報われた。そして再びファックスは、オテロのパートを歌うようにオファーを送り届け始めた。


第3章、オテロとデズデモーナの二重唱~オテロの独白
一方的に疑念を確信し、苦悩し、運命を呪い、復讐を誓うオテロ。
Jose Cura 2001 "Dio ti giocondi, o sposo... Dio! mi potevi scaglia" Otello



●自分のオテロ、過去の歌手の真似はしたくない

私は自分のオテロを持ちつつある。私は特に、過去の歌手がおこなった、あれこれのやり方を真似したくなかった。
私が、オテロのパートで、大きな声をたくさん出さないことに関して、失望する人々がいる。しかしそれは、オテロがあるべきものではない。
スコアを見るべきだ。ヴェルディの指示は非常に正確だ。叫ぶことは正しくない。あなたも知っているように、私は、必要であるなら大きな音をつくることができるが、しかしそれは、ここではない。
第2幕の「そして永遠にさらば,神聖な思い出よ」を、ヴェルディは1か所、ピアノ・ピアニッシモを指示している。この時点では、オテロは、人々にむけて歌っているのではない。これは強烈な、内面的な瞬間だ。
私は、その場面と、サムソンとデリラの最後の幕の冒頭、石臼に結び付けられたサムソンのアリアと比較する。ここでサムソンは、誰のためでもなく、ただ自分自身と神のために歌う。第2幕のオテロも同じだ。
そして歌手は、自分自身を焼きつくしてしまいたくないなら、そのシーンにおいて慎重でなければならない。

第1幕の終り、チェロのソロ、その後、愛のデュエットの前にチェロのカルテットがある。
ヴェルディは歌手に、この一瞬の休息を与える。オテロが、その前の怒りから、デズデモーナへの優しさに移行するために。
しかし理解する必要がある。オテロは、まわりの人々をコントロールするために、怒った表情を用いている。あたかも、子どもをしかる父親のように。しかし、その後、すぐに、彼の妻に笑顔をむける。彼は、戦士であり、自然な司令官だ。


第4幕、 ラストシーン オテロとデズデモーナの最後、オテロの死
Jose Cura 2001 "Chi è la... Niun mi tema" Otello



●オテロとワーグナー

第2幕の冒頭、イアーゴーの「クレド」のオーケストラの導入部分で、ヴェルディがワーグナーから引用していることが指摘されている。
おそ​​らく、そうなのだろう。しかし私は、オテロが、ドン・カルロ以上にワーグナー的だとは思わない。ヴェルディが、すべての偉大な芸術家のように、当然、音楽だけなく、彼の周りに起こっていたことを強く認識していたということを除いては。





●オテロはハンカチーフの物語ではない


オテロを失われたハンカチーフに関する愛の物語とするならば、それは死ぬ。シェイクスピア、それからヴェルディとボーイトは、はるかに大きな問題を扱っており、物語は彼らの媒体にすぎない。それは愛、名誉、人種、政治、階級についてだ。
もちろん、シェイクスピアがストーリーを創ったわけでなく、イタリアの原作に基づいていることは知っている。そこではオテロも黒人ではなかった。シェイクスピアがそうした。それは彼の天才だ。当時のヴェネツィアでは、一般には黒人は考えられなかっただろう。

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クーラが質問に答えて語っていますが、この時点でもやはり、クーラのオテロが、「自分のたちの期待するオテロではない」ということで、失望し批判する人がいたようです。これに対してクーラ自身は、「過去の歌手の真似はしない」「自分のオテロをつくる」というつよい意志をいっかんして持ちつづけてきました。

「どの役割においても、クーラは、深くキャラクターを見つめ、オペラを超えていこうとする」--この記事のなかで、インタビュアーがクーラを評価して言った言葉です。クーラのこうした姿勢は、現在に至るまで、一貫しているように思います。これまでこのブログで、つたない和訳ですが、クーラのインタビュー、とりわけオペラとキャラクターの解釈についての発言をまとめてきて、私自身が実感していることです。

今現在、クーラは、ベルギーのワロニー王立歌劇場で、プッチーニのトゥーランドットの演出とカラフの出演に取り組んでいます。この演出に際しても、こうしたキャラクターと物語の解釈の深い掘り下げが試みられていることと思います。いずれインタビューなどが公表されたら、ぜひ、演出意図や構想などを紹介したいと思っています。








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2016年 リュブリャナ・フェスティバルでホセ・クーラのオテロ Jose Cura / Otello in Festival Ljubljana 2016

2016-08-03 | オペラの舞台―オテロ


ホセ・クーラは、2016年7月6日、スロヴェニアの伝統ある音楽祭、リュブリャナ・フェスティバルで、ヴェルディのオペラ、オテロに出演しました。
とても美しい舞台、衣装も美しく、歌手も良く、クーラはスタンディングオベーションを受けたそうです。

オテロの原作者シェークスピアの没後400年にあたる今年、年初からいくつもオテロに出演しています。3月のザルツブルク復活祭音楽祭でのオテロにつづき、今回で4か所目。そして、次にクーラがオテロに出演するのは、2017年6月の16, 20, 22, 25, 27, 29日、ベルギーのリエージュにあるワロン王立歌劇場の予定です。

全体の映像や録音はありませんが、記者会見の様子や、舞台のとてもきれいな写真がたくさんアップされています。またニュース映像で、舞台の様子が一部、放映されていますので、紹介したいと思います。

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●リュブリャナ・フェスティバルへの出演にあたって、記者会見






●レビューより

「リュブリャナフェスティバルでジュゼッペ・ヴェルディのオテロ:ホセ・クーラの勝利」

「その夜の魅力は、もちろん、ゲストのスター、ホセ・クーラだった。すでに長いキャリアをもち、クーラは、現在、オテロの最も説得力のある解釈者の1人。それは俳優としてのカリスマ性と能力のためだけでなく、声の品質のためでもある。」

「そして最後のシーンは、鋭く、感動的な結末であり、観客を感情的に巻き込んで、深い敗北感で消耗させるほどだった。」

●舞台写真 → 女性カメラマンのHPより

当日の舞台を、女性カメラマンがHPにたくさん、掲載してくれています。とても美しく鮮明な写真です。いくつか紹介させてもらいます。

第1幕、オテロ登場の場面


第1幕、オテロとデズデモーナの二重唱の場面 美しいキスシーン




第2幕 イアーゴの策略で疑念を深めていくオテロ


第2幕の終りか? 復讐の決意を固めている場面か。


第3幕 


第3幕 本国からの使者から、本国への召還命令を受け取る




第4幕


最愛のデズデモーナを殺害、そして自らの過ちを知り、デズデモーナの名を呼びながら泣き崩れるオテロ


ラストシーン オテロの死


●ニュース映像より
スロヴェニアの放送局が放送したニュース映像です。後半、舞台の映像とクーラのインタビューが流れます。早口の英語で、キャリアのはじめのことなどを語っているようです。
Jose Cura 2016 Otello


クーラのオテロの正規の映像は、2006年リセウ大劇場のもの以来、発売されていません。こういったフェスティバルの舞台などを、DVDに収録して販売してもらえたらよいのにと思います。せめて、録画をネットに掲載してほしいと切に願います。

●画像いろいろ
               





*写真は、リンク先のカメラマンのHPや劇場のフェイスブックなどからお借りしました。
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3人のオテロ クーラ、ボータ、アントネンコ Otello / Verdi by 3 singers

2016-03-17 | オペラの舞台―オテロ


ホセ・クーラは、今年2016年、年頭からヴェルディのオテロの出演が相次いでいます。しかもクーラは、今年4月には、ハンガリーのジュールで、初めて指揮者としてオテロを演奏することになっています。

オテロ出演が相次いだのは、シェークスピア没後400年の記念の年ということもありますが、実はアクシデントが重なったためでもありました。
1/21~2/1のバルセロナ・リセウ大劇場のオテロは、アレクサンドルス・アントネンコのキャンセルにより急きょ、出演となりました。また間もなく3/19から開幕するザルツブルク復活祭音楽祭2016のオテロも、ヨハン・ボータが病気により降板、クーラが代役を引き受けたものでした。

*4/19追加 クーラが出演したザルツブルクのオテロは4/23~クラシカジャパンで放送されるそうです。ザルツブルクのオテロについてはこちらの投稿をご覧ください。

クーラとボータとアントネンコ、この3人は、声、歌唱スタイルも、容貌も、個性も全く違っています。
この機会に、現在、世界中の劇場で主にオテロを歌っている3人の聴き比べをしてみました。

その前にそれぞれについて。
●アントネンコ(Aleksandr Antonenko)
1976年6月、バルト三国の1つであるラトビアの首都リガで生まれました。2016年3月現在39歳、まもなく40歳です。2008年には夏のザルツブルク音楽祭でムーティ指揮のオテロに出演しています。


●ヨハン・ボータ(Johan Botha)
1965年8月、南アフリカのルステンブルク生まれ。現在50歳です。
*9/8追記 ガンで闘病との情報でしたが、残念なことに2016年9月、亡くなりました。51歳になったばかりでした。(2016年9月8日死去)


●ホセ・クーラ(Jose Cura)
1962年12月、アルゼンチンのロサリオで誕生。現在、53歳。1997年にオテロのロールデビューしました。


同じ部分の歌唱で比べるとして探したところ、オテロの第3幕、デズデモーナとの二重唱「ご機嫌よろしゅう」“Dio ti giocondi”がありました。
第2幕でイアーゴの策略によりデズデモーナへの疑いをもったオテロ。この第3幕の二重唱でも、正面からデズデモーナに自らの疑惑をただすことなく、勝手に確信を深めていきます。オテロとデズデモーナの丁々発止、非常に緊迫感あるやりとりが魅力的でドラマティックな場面です。

ちょうど、それぞれメトロポリタンオペラ(MET)での録音です。クーラ版とボータ版は同じ演出、アントネンコ版は、新演出に切り替わった初演の舞台です。指揮者はそれぞれ違いますが、同じ劇場、同じオーケストラです。

1、まずは一番若いアントネンコから。2015年METの舞台。



Dio ti giocondi - Otello - Yoncheva Antonenko
↑最初にリンクを張った動画が削除されていましたので、差し替えました。残念ながら短いので、聞き比べにはなりにくいですね。

Otello: "Tu pur piangi?" (Yoncheva, Antonenko)


2、つづいてヨハン・ボータ。METの舞台ですが、2008年でしょうか。時期は未確定です。



Verdi - Otello - Stoyanova & Botha - Dio ti giocondi, o sposo


3、最後はホセ・クーラ。METで2013年です。



Jose Cura , Krassimira Stoyanova Otello "Dio ti giocondi, o sposo"


同じ場面、同じ劇場、同じオケですが、三者三様ですね。

聞き終えて、それぞれから、全く違うオテロ像が思い浮かびました。
アントネンコは、若く気品があり、悩み深き青年オテロ。そしてボータは、温厚で人格者のオテロが、追いつめられていく姿。最後のクーラは、ギラギラした支配欲、力にあふれ、デズデモーナを組み伏せようとするバイオレンスな中年オテロ。まるで別人のようです(笑)

声質、年齢と声の成熟、解釈・・それぞれの個性で演技と歌唱、オテロ像をつくっているのでしょう。観客も、好みはそれぞれ。このブログを見てくださった皆さんは、どう感じられたでしょうか。

最後におまけ。1999年のマドリードの舞台から、まだ若々しいクーラのオテロ、第1幕の二重唱「もう夜も更けた」を。
Jose Cura "Già nella notte densa" 1999 Otello





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2013年 メトロポリタンオペラ METのオテロ ヴェルディ Jose Cura Otello / Verdi / Metropolitan Opera

2016-03-11 | オペラの舞台―オテロ


1997年にロールデビューして以来、約20年、200ステージ以上、解釈を深め、歌い演じてきた、ホセ・クーラのオテロ。意外にも、ニューヨークのメトロポリタンオペラ劇場では、2013年に初めてオテロを歌いました。

長く続いたモシンスキーによる古典的な演出ですが、このクーラの舞台が最後になりました。2015-16シーズンには新演出に切り替わり、アントネンコ主演でMETライブビューイングにもなったので、ご覧になられた方も多いでしょう。
残念なことに、2013年にクーラが出演した旧演出の最後の舞台は、HDにもならず、録画もありません(この時はヨハン・ボータの舞台がHD上演されました)。ただラジオ中継されましたので、YouTubeに主要な場面の録音(音声のみ)がアップされています。

この出演の際の、クーラのインタビューにおける発言から一部を抜粋したものと合わせて紹介します。
LATINOS POST 2013/3/24「進化し続けるアーティストー新しいオペラと演劇表現の探求、彼自身の条件と整合性」
"Jose Cura: An Ever-Evolving Artist In Search Of New Operatic and Theatrical Expression, On His Own Terms And Integrity"

ホセ・クーラ(オテロ)、クラッシミラ・ストヤノヴァ(デズデモーナ)、マルコ・ヴラトーニャ(イアーゴ)
José Cura: Otello, Krassimira Stoyanova :Desdemona, Marco Vratogna :Iago
Conductor: Alain Altinoglu , Production: Elijah Moshinsky



●オテロは“ハンカチの話”ではない
オテロにおいて、私たちは、人種差別、傭兵制度、反逆、背教の問題について話している。我々はハンカチの話(嫉妬と策略の象徴)をしているのではなく、シリアスな深刻な問題について話しているのだ。
ヴェルディのオテロとスティッフェリオ。一見、嫉妬と復讐に関連する話だが、その二つのキャラクターは非常に異なる。嫉妬はあくまでドラマの外殻にすぎず、それぞれはるかに深い意味をもつ。

●現代のオペラを
オペラ的な演劇を行う別の方法があるとをつよく信じる。繊細さとニュアンスにもとづいた方法が。それは現代のオペラ。俳優が自分自身を、本当の深さと特徴づけで役柄に投入する。それは近代的なオペラだ。
将来やりたいのはピーター・グライムズ(2017年ボンで演出、ロールデビューの予定)。私が愛するのはオペラの舞台に流動性を創造するという夢を助けてくれるオペラ。舞台演劇のように。素晴らしい誘惑だ。私の次の夢は演劇の舞台だ。

●今後の仕事
ストックホルムでプッチーニの「ラ・ボエーム」を演出する(2015年11月初演され、16年6月まで上演中)。リエージュのワロニー王立劇場では、自分自身も歌う「トゥーランドット」の演出をする(2016年9月)。
今後は、新しい作品の演出に集中し、時折、歌うことになるだろう。
芸術的な探求に加え、自分のプロダクションをつくって活動してきた。重要なことは、それが、自分自身にもとづいて、芸術の旅を自らナビゲートすることを可能にしたことだ。



************************************************************************************************************

インタビューでも語っているように、クーラのオテロは、非常に演劇的で、ドラマティック、役に没入して、緊迫感ある人間ドラマをつくりだそうとします。クーラは一貫して、「ヴェルディは『オテロはベルカントじゃない、メロドラマだ』と繰り返し語った」、「ドラマを伝えるために声を変形させることを恐れてはならない」と主張してきました。
そのため、「美しい歌」を求める人々、また批評家からも、批判されることが多いのも事実です。しかしいったん、そのドラマの中に引き込まれた観客は、つよい印象を受けるようです。

クーラのオテロの解釈、ヴェルディ論については、詳しくは、このブログの「2012年オテロとヴェルディ」でインタビューからの発言を紹介しましたので、あわせてお読みいただけるとうれしいです。

またメトロポリタンオペラをこよなく愛する、ニューヨーク在住のMadokakipさんのオペラブログに、このオテロの素晴らしい観賞レポートが掲載されています。ラジオ放送と同じ日に観賞されていますので、こちらも非常に参考になるかと思います。
OTELLO (Wed, Mar 27, 2013)



くどいようですが、クーラのオテロは決して「耳に美しい歌」ではありません。心を揺さぶり、ザワザワさせます。あえて声を歪ませ、リズムやテンポを崩させることもしばしばです。指揮者とオケを挑発しているのではと思うことも(笑)
こちらが受け止める力のない時には、正直、聴くのがしんどいこともあります。第4幕などは、歌を聞いているというより、音楽と一体になったオテロの魂の叫び、慟哭そのもの。ですから、しつこくて申し訳ありませんが、端正で美しい歌唱がお好きな方には、以下の録音はおすすめできないことをあらかじめ、申し添えておきます。

第1幕、オテロとデズデモーナの二重唱「暗い夜の中に(もう夜も更けた)」
Jose Cura 2013 "Già nella notte densa" Otello


第2幕、カッシオへのデズデモナの願いを聞いて動揺するオテロ。オテロとデズデモナ、イアーゴなど「あなたの怒りを買って嘆く人からの」
Jose Cura 2013 "D'un uom che geme sotto il tuo" Otello




第2幕、オテロとイアーゴ デズデモナの「裏切り」を疑い始め、自滅への道を歩み始める、イアーゴとの2重唱。
Jose Cura 2013 "Tu, indietro, fuggi!" Otello


第2幕、オテロとイアーゴの復讐を誓う二重唱「大理石のような空にかけて誓おう」
José Cura "Si, pel ciel marmoreo giuro!"




第3幕、デズデモナに正面から疑問をぶつけることなく、疑いを勝手に確信していくオテロ「ご機嫌よろしゅう」
Jose Cura , Krassimira Stoyanova Otello "Dio ti giocondi, o sposo"


第3幕、オテロの嘆き「神よ、あなたは私になげつけた」
Jose Cura "Dio! mi potevi scagliar" Otello




第4幕、デズデモーナの死、そしてオテロの死
Jose Cura , Krassimira Stoyanova "Chi è la?... Niun mi tema" Otello




この出演の際には、ニューヨークの大学での対談に出席して、オテロの解釈をはじめ、とても興味深いことをいろいろ話しています。Vimeoにアップされています。リラックスして楽しい対談で、特に後半は爆笑、爆笑です。なぜ爆笑かはちょっとここには書きにくいので(笑)、ご覧になっていただければ・・。
残念ながら字幕なしの英語ですが、ヒアリングが可能な方にはぜひ、おすすめします。
*先に紹介したMadokakipさんのブログのコメント欄では、オテロ解釈の部分についてのみですが、Madokakipさんが日本語に訳して紹介してくださっています。

A Conversation with Josè Cura


なお、今年2016年のザルツブルク復活祭音楽祭のオテロにも出演予定で、3/26(現地)にネットラジオで中継予定です。
→ プログラム


*写真はMETのHPや報道からお借りしました。
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