今年(2018年)9月、ホセ・クーラはバルト三国のエストニア国立歌劇場で、プッチーニの西部の娘を演出・指揮しました。その初演の日に合わせて、ネットニュースのサイトに長文のインタビュー記事が掲載されています。
今回はこのインタビューから、抜粋して紹介したいと思います。
内容は、西部の娘のプロダクションについてはもちろんですが、クーラの青年時代のことやキャリアの初期の頃、またテノールを選択したわけ、そしてクラシック音楽について、古典芸術とエリート主義について、天才とは、など、かなり多岐にわたっています。
いつもの通り、語学力不足による誤訳直訳、とりわけ抽象的、哲学的な話になると、なおいっそう理解がついていかない面があり、誤解を招かないか心配でもあります。原文(英語)をぜひご参照ください。
≪インタビュー:世界的オペラテノール、ホセ・クーラ、タリンで新プロダクション≫
●真の博学
――ホセ・クーラは手ごわい相手だ。対話の多くは、質問の背景についての短い導入から始まるが、それに人生におけるひとつの領域について、興味深く、重要な内容が続く。クーラは、オペラのテノール歌手、指揮者、ミュージシャン(熟練のギタリスト)、ディレクター、セットデザイナー、写真家、そして3人の子どもの父(英国の俳優ベン・クーラを含む)である。彼はキャリアのこれらの側面がそれぞれ関連しあっていると言うが、私たちの大部分にとっては、その半分以下の成果であっても傑出している。
しかし、彼は傲慢ではない。もしくは、一般的なアルゼンチンの国民性による以上のものではない。クーラは若い時代、キャリアについて説明する。
●アルゼンチンで育つ
(クーラ)私はアルゼンチンで歌い始めたが、経済的な制約のために、イタリアに移住してキャリアを築く必要があった。
当時のアルゼンチンは、1970年代半ば以降、国を支配した軍事政権が終わった直後の時期だった。民主化後の最初の数年は、芸術分野だけでなく誰にとっても容易ではなかったが、経済危機のもとで最初に削減されるのは、教育、文化などだった。
当時、作曲家や指揮者として生活費を稼ぐことはほぼ不可能だった。指揮できるオーケストラはほとんどなく、仕事を委嘱する人もほとんどいなかった。映画の音楽を作曲する少数のなかの1人でなければ、またそれらの多くは教師、演奏家などでもあるが、そうでなければ一般的に、作曲家として生計を立てることは簡単ではない。
●「スター」歌手になりたいと思ったことはない
私はテノールになることに決めた。それは、4つの男性の声のうち、最も見つけるのが難しく、そのため支払われる額も一番高いから――私は22歳のときに結婚し、25歳で最初の子どもをもったので、すべての条件を合わせるのは簡単ではなかった。
私は「スター」歌手になりたいと思ったことは一度もないが、振り返ってみると、信じられないようなことが起こった。
その一部は運命で、もう一つは「Carpe diem」(カルペ・ディエム、ラテン語で、「今を楽しめ」「この瞬間を大切にせよ」などの意味)だ。
砂漠でのどが渇いた時に、雨が降り始めるようなもの(すなわち、運命)だが、しかし雨をためるためにコップを持っていること、それは「Carpe diem」だ。
私の10代は、クーデターによって成立した軍事政権のもと、非常に困難な時代だった。軍事政権は、それに先立つ無秩序とテロリズムを取り締まるということで入ってきた。彼らはそれに成功したが、病気よりもさらに悪い治療になってしまい、彼らは長期にわたって権力を握った。
そして、戦争が起こった。戦い、兵役についたのは私の世代だった。
――クーラが短く語ったのは、非常に野蛮な1982年のフォークランド戦争/ マルビナス戦争を指している
私の同時代の人々の多くが、その戦争で死んだ。兵役には抽選があり、そしてもう一度運命が手を差し伸べた。私は呼び出されなかった幸運な人の1人だった。ハードな時代だった。しかしある意味では、人をより強くし、他の逆境の時代に生き残ることができる。
――オペラはエリート主義か?
私の答えは「イエス、オペラはエリート主義だが、しかし経済的なエリートではない」ということだ。
イギリスのコヴェント・ガーデン(王立歌劇場)のチケットは高価だが、しかしユベントスなどサッカーのトップチームの試合を観戦するには、その4倍の費用がかかる。
オペラや他の古典芸術から得られる喜びの度合いは、あなたが鑑賞したい芸術分野を掘り下げるためにつぎ込む時間と労力の量に比例する。エリート、財力とは関係なく、しかし少数のグループだけが、古典芸術を完全に理解し、楽しむために必要な武器やツールを手に入れるために、時間と努力を投資しようとしている。
それはアートでも同様だ。ルーヴル美術館のモナリザの前に立っていることを想像してみてほしい。ただ笑顔のぽっちゃりした女の子に見えたものは、その絵に込められている革命的な筆使いや視点、その他すべてのものを誰かが説明してくれる時、命が吹きこまれる。
クラシック音楽と同じ。その曲が好きだから行くのだと、つかむことができるのは作品の5%程度だけだ。しかしもし、ソナタ形式にもとづいて交響曲を構築するテクニックの全体的な使い方、テーマの使用にもとづいて、転換と発展、ある楽器から別の楽器への延伸と圧縮、カッティング、そして音楽の巨大なキャンバスを作り出すまでを理解するなら、作曲家の天才を聞き始めることが可能だ。
作曲家の天才は素晴らしいメロディーにあるのではない。それはほとんど誰でも思いつくことができる。作曲の天才とは、わずか20秒のメロディーで宇宙全体を創造することだ。それこそが作曲における天才だ。
偉大な天才のない人、短期間だけの天才は、ポップミュージックと呼ばれる1~2分のメロディーを作る。もちろんポップミュージックは、素晴らしいメロディーを持つことができ、そのなかにはクラシック音楽の曲よりも優れたものがある。しかし、その曲を1時間の交響曲に発展させるような作曲家としての熟練はない。そのためには特別な準備が必要だ。
そこには違いがある。自分が必要とするもの理解するためには、自分で準備する必要がある。
だから、クラシック芸術はエリートのためのものか?――イエス、それは、楽しみたいものを理解するために時間を割き、それをより楽める人たち、エリートのためのものだ。
プロフェッショナルのパフォーマーは、それを理解するプロフェッショナルな聴衆が必要であり、それが「ウィキペディア世代」では足りないものだ。巨大な古典芸術について、それをする方法はない。 プッチーニがいつ、どこで暮らしたかを知るより、重要なことは彼が成し遂げたことだ。
――天才はどこから生まれる?
私が考えている1つは、天才は人類に属するものだということ。天才は、かつても、現在も、私たちと同じ人間であり、私たち全員が持っているそれぞれの問題と苦難を持っている。しかし彼らは、その天才を生かすことによって、それらを克服する。
神は天才ではなく、神であるなら天才ではない。天才のポイントは、それが私たちすべてが生まれもった、すべての美徳と悪徳を持つ人間だということだ。私たちが生きている限り、私たちが美徳を発展させていけば、いつかは天才になるかもしれない。 芸術に限らず、すべての人生の分野で、例えば、配られたカードでできるベストをつくした誰かが。
天才になる可能性はすべての人間にあり、モーツァルトである必要はない。
●過度に使われた言葉
今日、この言葉はあまりに過小評価されている。サッカー選手によく使われているが、それの意味するのは、ただ良い選手だということだ。
一方、歴史の中で最も顕著な天才の何人かは、彼らの時代から無視された。
作家は、とても華やかな彗星と、常にそこにある星に分かれる――そう言ったのはショーペンハウアーだったと思う。星の光は私たちから遠いので、光が地球に到達するまで数世代かかるかもしれない。それは本当の天才と同じだ。
例えばバッハは、私たちのすべての音楽の構造がベースにしている、音楽のアルファとオメガ、初めであり、終りである。彼は小さな教会でオルガンの奏者として亡くなった。彼の光が地球に完全に到達するまでには200年かかった。
あなたはそれを天才と呼ぶが、私は、人生で成功した人と呼ぶ。彼らが創造の機械で演じるために与えられた役割を果たしたとき、その人の存在が私たちの生活に与える影響の本当の大きさは、その人が去った時にだけ、私たちはそれを完全に感知し、その恩恵を受けることができる。それは良いバランスだ。誰かが生きているうちに天才として扱われれば、よほどバランスの取れた人間でなければ、簡単に愚か者に変わるからだ。
●観客との関係は恋人のように
――観客の役割について、クーラは語る
観客とステージは、一夜の恋人たちのようなもの。ステージは聴衆に多くのエネルギーを与え、観客がそれに応えることで、完璧な関係が現れる。パフォーマンスは魔法だ。
しかし観客が愛を返さず、チケットを買ったというだけで、それだけでいるのなら、それはほとんど「娼婦」のような感覚だ。そのような公演は多くはないが、もし観客がジャッジをするかのように、「商品の代金を支払ったのだから、それがもたらすものを見てみよう」というのは、悲しいことだ。チケットを支払ったことは事実だが、そのような態度はあるべきではない。
オペラには、マイクロフォンやモニターなどがない。クラシック音楽は、人間的活動において残された数少ないものの1つだ。歌手をロボットに、オーケストラを機械に置き換えることは、技術的には可能だが、人間の要素は、常にそこに存在する必要がある。もし私たちがその道から降りるなら、それは終わりの始まりになるだろう。
●芸術がすべてではない
私たちが生きているのは非常に複雑な時代だ。気候変動や同様な問題によってどうなっていくのか分からない。
私はオペラが継続することを望んでいる。しかし、あらゆるグローバルな問題があるなかで、それは私にとって最も重要なことではない。
私は、将来の年金の支払いなど、社会構造の継続について、より心配している。家の中に芸術作品を飾ることを心配する前に、まずは家そのものを修正し、バランスを保たなければならない。
芸術は、フランス人が言うように、"la cerise sur le gâteau"、ケーキの上にあるチェリーであり、ケーキ自体ではない。
テノールが歌うアリアのハイノートを心配するのは、私にとっては、優先順位を欠くように思える。
私たちアーティストは、社会にとって美しい補完物だが、それ以上にもっと重要なことがたくさんあることを忘れてはならない。
――次の質問。初めてオペラに入ろうという人がすべきことは?
好きかもしれないと思う作品を選んで、それを手に入れよう。それは本を読むのと同じ。
もしこれまで一度も本を読んだことがないなら、ジェイムズ・ジョイスのユリシーズからスタートはしない。それでは数ページで参ってしまうので、何かより簡単なものから始めるだろう。
しかし、偉大なスタイルの作家に挑戦する場合は、最初の数ページで本を閉じたい思いとたたかわなければないかもしれない。最初のパラグラフで引っかかれば、その後は喜びはない。
●良い食べ物とファーストフード
初めは、読書の時に辞書が必要だとしても、その体験があれば、再読した時、それは必ず純粋な喜びになる。
オペラやバレエも同じだ。初めはダンサーが何をしているのか理解できず、ステージ上でジャンプする人を見るだけだ。実はその背後に、毎日8時間の練習をし、血の涙を流していることを知り、その演技がどれほど素晴らしく複雑なものかを知る。
その反対に、いま、あらゆるところに「ファーストフード」の生き方がある。ファーストフードは最初の一口からおいしいが、食べ終えたら、あとには空虚な気分が残る。
●新プロダクション「西部の娘」―― La fanciulla del west
――西部の娘は、スパゲッティ・ウエスタンを連想させる?
そう、監督がイタリア人ならば、「スパゲッティ」と呼ばれ、スペイン語なら「チョリソー」などと呼ばれた(*日本では「マカロニ・ウエスタン」)。それらはヨーロッパの西部劇だった。
しかし「西部の娘」は、作曲家はイタリア人ではあったが、アメリカ合衆国の文脈のなかで、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場(1910年初演)でオペラが構想されたので、「西部の娘」が本当にそう呼べるとは思わない。
そこはカウボーイが本当にその国の文化史の一部であった場所であり、そしてフロンティアが閉鎖されてからわずか数十年後であり、コミックのなかの存在ではなかった。
●ブロードウェイの起源
そして「西部の娘」は、ブロードウェイとハリウッドが本格的に始まる数年前に初演されたが、その遺伝子は受け継がれている。あなたは「西部の娘」の中に、バーンスタイン、ガーシュウィンなどを聞くことができる。その意味では、すべてがプッチーニから来た。彼は本当にブロードウェイの起源だった。
「西部の娘」は非常に魅力的な作品であり、難しい作品でもある。技術的に難しいのではなく、はじめの明らかに安易なブロードウェイ風の印象を乗り越えて、作品を真に掘り下げることについてだ。
この作品と25年間もかかわっていても、新しいものを見つけることができる。 例えば、保安官のジャック・ランスのキャラクターは、ミニーをポーカーゲームで勝たせてやり、ジョンソンの人生を救うことで、長い間、愚かに思えていた。 しかし今では、プロのギャンブラーとしてのランスは、もし彼に何らかの動機がない限り、意図的にテーブルを離れるのはありえないことを認識している。彼がしたこと、それは、彼が、ミニーにゲームに勝つチャンスを与えたいと思っていたから。なぜならその女性を尊敬しているからだ。その瞬間、ランスは大きな人であることが証明される。私は最近、すべての後、そのことに気がついた。
●未来
今回の「西部の娘」がどうなるかを言うのは、まだ早すぎる。1週間後にもう1度私に尋ねれば、何か違うことを言うかもしれない。しかし、私はここで、オーケストラとの仕事、素晴らしいリハーサル、滞在している旧市街からの朝の散歩、ここでの仕事を非常に楽しんでいる。あと数日で、私たちはすべてのものを終わらせる...。
――私たちのほとんどが想像する以上のことをしている人の将来の野望は?
私はまだ歌っている。私は長年やりたかったベンジャミン・ブリテンのピーター・グライムズをモンテカルロでやってきた。私はイギリスで上演したかったが、人々は英語のアクセントを問うた。
私は言った。「失礼だが、あなたは、あなたがイタリア語で歌った時のときにアクセントを聞いたことはある?」
どのくらいの英国人が、純粋な「受け入れられた発音」のアクセントを持っているのだろうか。恐らくピーター・グライムスはそうではない。そして誰が彼のアクセントがどこから来ているのか知っているだろうか。
しかし、とにかく私は、他の場所でそれを演じて、楽しんだ。
(「news.err.ee」)
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今回のインタビューも、また率直で、クーラらしい言いぶりです。特に、クラシックとエリート主義のことでは、あえて誤解を招きかねない言い方をしています。
普通なら、エリート主義を否定し、広く国民全体のものに、というのが正解かと思います。
しかしポリティカル・コレクトネスの偽善的な面を嫌うクーラは、あえて逆説的なような言い方もし、古典芸術が決して簡単に理解できるものではないことを指摘しています。
もちろんクーラは、クラシック音楽を含む文化、芸術が、すべての国民のものであり、現実にすべての人が楽しむことのできるように、その機会と条件、とりわけ教育が必要なことを繰り返し語っています。また実際にも、堅苦しいスタイルを嫌い、若い人たちが親しみやすく、誰でも一緒に音楽を楽しめるコンサートを各地で行い、またクラシックとポップスの垣根を取り払って、ポップスの曲をさまざまな機会に演奏し、他ジャンルの歌手とも多くの素晴らしい共演を重ねてきました。
それでもあえて今回、こういう主張をしているのは、近年、ネットの普及、SNSの普及のなかで、手軽で即席なもの、安易な手段に流れる風潮がつよく、そのことに警鐘を鳴らしたいという思いが強いからではないかと思います。
40年余の音楽活動をつうじて、全面的に開発され、成熟したアーティストをめざし、努力を重ねてきたクーラにとって、音楽や芸術が大切なものであることは、いうまでもないでしょう。しかしあえて、現代社会が抱える諸問題、気候変動や、戦争や紛争、格差、社会保障の削減、政治の混迷などの大きな危機的現状を前に、現代に生きるひとりの人間として、もっと大切なことを考えよう、この世界と現実を知り、変えていこうと、クーラは今回のように様々な機会に語ってきました。クーラの知性と人間性、誠実さを示していると感じます。
*画像は劇場のHPなどからお借りしました。