少し前のことですが、今年2018年7月に、イタリアのある元芸術監督が亡くなり、ホセ・クーラは、フェイスブックで長文の追悼文と彼を悼むカバー画像を掲載しました。
その方は、イタリアのトリノ王立歌劇場の芸術監督だったカルロ・マイヤー氏です。
マイヤー氏は、クーラにとって大切な恩人だったそうです。初めてクーラの大きな役を与えてくれた人であり、そして何よりも、クーラが世界的に知られる大舞台となった1997年トリノ歌劇場のオテロに、クーラを抜擢した人なのだそうです。
クーラの追悼のコメントがつぎのFB記事にあります。
トリノのオテロ出演にいたったエピソードとしても興味深いので、紹介したいと思います。
≪ホセ・クーラの追悼メッセージ 2018年7月22日FB投稿より≫
オペラのマネージャーのなかには、多くの才能を破壊すると非難される者もいる。しかし何人かは――それは多くはないが、私たちのビジネスの未来を保障するのに十分なほどに―― 彼らのビジョンに対し感謝すべき人々だ。
カルロ・マイヤーは63歳で今日、亡くなった。もう1人のがんの犠牲者。
カルロは90年代のトリノ歌劇場の黄金時代に、芸術監督だった。
そして彼は、私に最初の大きな役をくれた人だった。マクロプロス事件(ヤナーチェク)のアルベルト・グレゴル役。
しかし主には、私に1997年の最初のオテロをやるように説得した人だった。
オペラの歴史についてはわからないが、しかし私の個人的な歴史は、確実に、カルロ・マイヤーが存在しなければ、同じではなかっただろう。
1996年、私はオーストラリアで「プッチーニ・スペクタキュラー」(プッチーニ4作品から名場面を抜粋して構成した公演)に出演中だった。その時、カルロが私に電話をかけてきて、1997年のオテロへの出演を要請した。
私は最初はNOと言った。私は33歳だった・・。
彼は私を説得するために、毎日私に電話をしてきた。
彼が、イタリアの放送局RAIは、もし私が受け入れるならライブ放送をするだろうと言ったときだった。私は言った。
「プレスはおそらく、大胆さのために、私を殺すだろう。少なくとも私は、それをやったという証拠を得る。そして時が教えてくれるだろう」
そして時間は確かに教えてくれた!
ある時、カルロが私に言ったことがある。
「シドニーに何度も電話をしたので、電話料金は、公演当日の出演料より高かった」
当時、いま私たちが使っているようなインターネットはなかった。
REST IN PEACE――安らかに、親愛なるカルロ。
私はあなたにたくさんお世話になった。私はあなたを決して忘れない!
●イタリアのネットメディアでも
イタリアのインターネットでも報道され、クーラがFBでリンクを紹介した記事は「さようならカルロ・マイヤー――彼は黄金時代の劇場を率いた」と高く評価しています。
この記事のなかでも、マイヤー氏の功績として、フレーニとパヴァロッティのラ・ボエームのライブ放送(1996年)と並んで、ベルリンフィルとクラウディオ・アバド指揮、エルマンノ・オルミ演出のオテロ(1997年)が紹介されています。またクーラが述べていたマクロプロス事件でのクーラ出演もふれられていまます。
●伝説的な公演、1997年トリノのオテロ
マイヤー氏の説得によって、クーラが決意し、世界に生中継されて大きく成功したトリノのオテロ。クーラにとっては、テノールの大役オテロへのデビューであり、ベルリン・フィルとアバド、演出を担当した映画のオルミ監督ら、超一流のアーティストと共演した、クーラのキャリアの上でも忘れることのできない公演となりました。
これまでこのトリノのオテロについて、いくつかの記事で紹介していますのでご覧いただければ幸いです。
*「1997年 アバド指揮、ベルリンフィルとオテロデビュー」
*「ホセ・クーラとエルマンノ・オルミ監督のオテロ」
*リハーサルでクーラの質問にこたえるアバド
*クーラを指導するオルミ監督
*クーラとデズデモーナ役フリットリ
*クーラとイアーゴ役ライモンディ
すでに巨匠アバドは亡くなり、オルミ監督も今年5月に亡くなりました。そして劇場の芸術監督マイヤー氏の死去。
クーラのオテロデビューを後押しし、支えてくれた主な人々が、故人になってしまわれました。
この歴史的な舞台が正規の映像になっていないのは本当に残念です。RAIで生中継された映像(全編)がネット上にアップされていますので、リンクを。画質が悪いですが、クーラとフリットリの初々しい歌唱と演技、素晴らしい音楽を楽しむことができます。
José Cura early Otello
そしてこちらはヤナーチェク作マクロプロス事件の一場面を。
アルベルト・グレゴル役 (1993年12/9, 12, 14, 17,19, 23 トリノ・レージョ劇場)
91年にアルゼンチンからイタリアに移り住み、わずか2年後。クーラの才能と努力を見抜いたマイナー氏による大抜擢といえるでしょう。相手役は当時のトップソプラノ、ライナ・カバイヴァンスカ。
Janácek - The Makropulos Case - II act Part 3 Raina Kabaivanska, Jose Cura