長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第31回 『出現!AKB48』

2011年07月10日 23時54分22秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 ヘヘイヘ~イ、どうもこんばんは、そうだいでございます~。
 いや~、ついに明けちゃいましたね、梅雨が! 始まっちゃいましたね、2011年のサマーが!! たいへんだーい。
 今のところは日が暮れればあるていど気温もさがって、風もふいたりしてさほどキビしいことはないのですが、これから来るであろう熱帯夜がこわいですね。

 私、今年のはじめくらいにボ~ンヤリと「あっ、これほしいなぁ。」と思っていたものがあったんですが、そう思っていたことさえとっくに忘れてしまったつい先日、ひょっこりそれを手に入れてしまいました、タダで。
 え……神さま、今さら? 
 いやいやいや、うれしいっすよ!? タダでいただいちゃったんですから文句の言いようもないんですけどぉ……すみません、ほしいナとねがっていたことさえ忘れてしまっておりました。
 ねぇ~、願い事って、忘れたころになってフッとかなうもんなんですかねぇ。ねがってみるもんですね。いや、忘れちゃうくらいの需要度のものだったんですけど……あ~、いや! 神さま取り上げないで!! 大事に使いますから!

 具体的に私が手に入れた「それ」がいったいなんなのか。
 別に金塊でもトカレフでも人間の女性型の小間使いロボットでもないごくふつうなものなので明らかにはしないのですが、思えば私、これがほしくなったのは今やっているこの「ざっくりすぎるアイドルグループ史」のしたしらべのムニエルのために無料動画サイトでいろんな映像資料を観ていた時でのことでした。
 これも、「これあげるからいい加減に終わしなはれや~。」という神さまのおぼしめしなのでしょうか。よーし、そしたら今日もがんばるぞいっと!


 前回にも予告したとおり、今回は2000年代中盤、2005~07年ごろに誕生したアイドルグループの「ハロー!プロジェクト以外編」をやりたいと思います。ということは……あの今をときめくグループもいよいよお出ましってワケなのね! ひょぉお~。

 紹介する前に言っておきますと、私の印象としましては、2000年のSPEEDの一時解散以来、ほとんど敵ナシの状態で日本の女性アイドル界を牽引してきたモーニング娘。とハロー!プロジェクト陣営だったわけなのですが、ついにそこに追いつけ追いこせといういきおいで他勢力が伸びてきたのがまさにこの時期だったんじゃなかろうかと思うんですね。
 「アイドルグループ」、もしくはもっとアーティストっぽいイメージを持ってもらいたい場合には「ヴォーカルダンスグループ」というジャンルで結成されたグループはそれまでにも星の数ほどいたのですが、残念ながらさまざまな事情のために、当時のヒットチャートをにぎわすことなく消え去っていくパターンがほとんどでした。世間の需要や事務所の営業方針、グループ内のいざこざにメンバー個人の先行き不安感などといろんな理由はあったのでしょうが、いちばん大きかったのはCD業界全体の売り上げ不振だったのではないでしょうか。ケータイ電話の着うた配信やインターネット配信などの普及により、わざわざお店に行って1000円やら3000円やらを払ってCDを買わずともよい時代がやって来て、かつての1990年代のミリオンセラーだらけの活況はどこへやら、あの王者モーニング娘。さえもが2001年の1stベストアルバム以降は100万枚を超える売り上げを記録することがかなわない状況になっていたのです。

 しかし、今回紹介する2005年以降に登場したグループのほとんどは、それから現在の2011年にいたるまで現役で活躍しているんですねェ~。
 つまりは、この時期以降のアイドルグループは(おそらくハロプロもそうだったのでしょうが)、今までそこさえしっかりしていれば大丈夫という指標になっていた「CD売り上げ」ではない、それ以外のセールスポイントをもって世間の荒波に乗り出していく必要に迫られていたのですね。

 キーワードは、「薄く広くの時代は終わった。これからは濃くせまく」!!


9nine(ナイン 2006年2月~)5人組
 14~16歳 西脇彩華(さいか 14歳)、佐武宇綺(さたけ うき 14歳) ら
 1990年代後半のかおりを残す正統派ヴォーカルダンスグループ
 もともとは9人組だった
 2007年1月に川島海荷(うみか 13歳)が加入するなど、メンバーの入れ替わりがはげしいグループ
 ※そのため、グループ結成から5年たっているのにもかかわらずメンバーが全員10代
 ※結成当初から残っているのは西脇(現リーダー)と佐武の2名のみ
 ※リーダー西脇は、Perfumeのあーちゃんこと西脇綾香の実妹
 2010年7月に所属事務所によって決行された「合宿審査」により、メンバーが9人から5人に選抜されて現在にいたる
 メンバーの個人活動にも積極的で、特に川島はTVドラマ『ブラッディ・マンディ』や『怪物くん』などで女優としてブレイクしている
 2011年6月までに6枚のシングルと2枚のアルバムをリリースしているが、ブレイクはこれから?(今までの楽曲のオリコン最高位は22位)

中野腐女シスターズ(2006年9月~)4~8人組
 20~25歳 乾曜子(いぬい ようこ 25歳 リーダー)ら
 ライヴ活動を中心とした史上初の「ヲタクアイドルグループ」
 正式なグループ名は「中野腐女子シスターズ」だったが、2010年4月から「中野腐女シスターズ」に改称
 ※「腐女子」とは、おたくな趣味がこうじたあまり女性として腐ってしまった方々のことをさす
 キャッチフレーズは「腐ってナンボ」「ワン腐オール・オール腐ワン」で、グループの公式ブログは「腐ログ」
 東京・中野のショッピングセンタービル「中野ブロードウェイ」を拠点としている
 インターネットテレビの番組企画でお笑い芸人・はなわの総合プロデュースにより6人組で結成される
 番組の収録を兼ねたライヴイベントを1~2ヶ月に1回のペースで結成時から続けている(現在は東京・渋谷のライヴハウスshibuya O-EASTでの上演が多い)
 メンバー全員に専門のおたく属性がある
 顔と体格がうり二つな美少年アイドルグループ「腐男塾」(こちらもはなわプロデュース)がいる
 メンバーの入れ替わりがはげしく、結成当初から在籍しているのはリーダーの乾(コスプレおたく)と京本有加(20歳 爬虫類おたく)と浦えりか(20歳 プロレスおたく)の3名
 グラビアアイドル・モデル・歌手・AV女優などとメンバーの個人活動も多彩で、所属芸能事務所も別々
 結成時には類家明日香(21歳 ガンプラおたく)や南波杏(22歳 ゲームおたく)が在籍していた
 結成1ヶ月後の10月から、現キャプテンの喜屋武ちあき(20歳 アニメおたく)ら2名が加入し8名となる
 ※喜屋武は結成メンバーになる予定だったのだが、スケジュールの都合により翌月からの加入になった
 2007年1~2月には乾・浦・京本・喜屋武の4名で活動していた
 2007年3月から虎南有香(18歳 ファッションおたく)とスザンヌ(21歳 健康おたく)が加入し6名となる
 ※スザンヌは翌2008年3月に卒業
 2008年7月に着うた配信で歌手デビューし、翌9月には「腐男塾」として1stシングル『男坂』をリリースする(オリコン最高12位)
 ※中野腐女シスターズとしてのCDデビューは2010年1月の『Honey Bee~』
 2008年11月に原田まりる(23歳 マンガおたく)、さらに翌12月に1名が加入し7名となる
 2009年11月にメンバー1名が卒業し、翌2010年4月に瀬口かな(19歳 超常現象おたく)が加入したことによって現在の7名編成となる
 2011年6月時点までに中野腐女シスターズとしては1枚、腐男塾としては5枚のシングルと1枚のアルバム、両グループ合同のアルバムを1枚リリースしているが……ブレイクはこれから?
 今週じゃん! 2011年7月16日のライヴイベントをもってリーダー乾が卒業する

アイドリング!!!(2006年10月~)9~20名
 12~21歳 遠藤舞(18歳 現リーダー)ら
 フジテレビの専属アイドルグループ
 「現在進行形で成長しているアイドルグループ」と「ならし運転」の2つの意味をかけたグループ名
 すでに芸能事務所に所属しているタレントを対象にしたオーディションをおこない、合格した9名で結成
 ※そのため、アイドリング!!!のメンバーが所属している芸能事務所は個人個人でちがっている
 ※現在も在籍している結成メンバーはリーダー遠藤、外岡えりか(とのおか 15歳)、横山ルリカ(15歳)ら5名
 フジテレビの衛星放送事業とインターネット配信事業を担当した吉田正樹(47歳)がゼネラルプロデューサーをつとめていた
 ※吉田は主にウッチャンナンチャンやネプチューンの人気番組を制作した敏腕プロデューサーだったが、2009年にフジテレビを退職してワタナベエンターテインメント(ナベプロ)会長に就任している
 看板番組である『アイドリング!!!』(毎週平日深夜1時ごろCS「フジテレビ ONE」で放送)は2006年10月から続いている長寿番組
 「フジテレビ ONE」の他にもネット配信の「フジテレビ On Demand」でもレギュラー放送を持っている
 地上波フジテレビでは、2007年1月から看板番組『アイドリング!!!日記』(毎週木曜深夜2時ごろ)を開始しており、現在は同じ時間帯に放送している『フジテレビからの~!』にメイン出演している(共同司会・アンタッチャブル山崎弘也)
 アイドリング!!!のレギュラー番組スタッフには、同じフジテレビの『夕焼けニャンニャン』や『DAIBAッテキ!!』にかかわった経験のある人材が多い
 レギュラー番組は深夜放送だが、収録したものを編集なしで放送する「撮って出し」形式の番組なので、生放送だった過去のフジテレビアイドル番組の雰囲気を継承している
 番組ではパイ投げ、ADに履いていた靴のにおいをかがれるなどの身体を張った企画も積極的にこなす
 フジテレビつながりで直接の先輩にあたるおニャン子クラブやチェキッ娘の元メンバーとの共演も多い
 メンバーのナンバー呼称は「~号」となっており、現在は26号までが存在している
 ※2011年6月時点までに6名のメンバーが卒業・脱退しているため、現在は20名で活動している
 2007年4月にまずネット配信で歌手デビューしており、同年7月にCDデビューしている
 2011年6月までに15枚のシングルと4枚のアルバムをリリースしており、今月7月には16thシングルが発売される予定
 ※CDデビュー時からオリコントップ10位以内の常連となっているが、近年じょじょにトップに迫りつつある(自身の1位獲得はまだない)
 2008年4月から新メンバーの加入がはじまり、2010年4月の第4期メンバー加入をもって現在にいたる
 同輩のアイドルグループでは番組で共演したAKB48やよしもとグラビアエージェンシー(YGA)と交流あり
 2009年1~4月にはAKB48とのコラボレーションユニット「AKBアイドリング!!!」も結成していた
 代表曲 15th『やらかいはぁと』(2011年3月 オリコン最高4位)

バニラビーンズ(2007年7月~)デュオ
 キノコカットのレナと外ハネカットのリサ(ともに年齢非公開)
 ※レナの双子の妹だとされている辻本はるかは1987年生まれ
 レナは1999年からモーニング娘。の追加オーディションの常連になっており、特に2004年の『ラッキー7オーディション』では最終審査にまで残っている
 レナはAKB48のオーディションにも応募しているが書類審査で落とされている
 ※これらのオーディション経歴は、双子の妹のはずの辻本はるかの経歴といっしょ
 リサは本物のセレブリティのお嬢様らしい
 身長はレナが166cm、リサが172cmというモデル体型
 そのモデル体型のためか、楽曲CDの購入者特典に「握手」とともに「ビンタ」があるのが恒例
 1960~70年代風の衣装と北欧ポップ風のさわやかな楽曲
 2007年7月のデンマーク日本大使館でのライヴにより活動を開始する
 結成時はレナとモデルの弓月まいあ(19歳)のデュオだったが、2008年3月にまいあが脱退してリサが加入し現在にいたる
 ※まいあは直後にアイドリング!!!に加入したが、わずか1ヶ月後の2008年5月に脱退して芸能界も引退
 路上にとめたトラックの荷台にもうけたビニール張りスペースで生活するなどのイベントが話題となる
 東京・新宿ロフトプラスワンでのトークショーも人気があり、ミュージシャンの小西康陽、プロインタヴュアーの吉田豪、南海キャンディーズの山里亮太などと交流がある
 レナは本格的なアイドルおたくで、同輩のアイドルグループでは中野腐女シスターズ、DANCEROID、東京女子流と親交がある
 新潟のロコドル「ねぎっこ」と同じタワーレコードのアイドルレーベル「T-Palette」に所属している
 2011年6月時点までに12枚のシングル(うち7枚がネット配信)と2枚のオリジナルアルバム(ミニをふくむ)をリリースしているが……ブレイクはこれから?
 2011年7月には待望の2ndオリジナルフルアルバム『バニラビーンズ2』をリリースする予定

sherry(シェリー 2009年1月~)3人組
 鈴木螢(22歳)、黒木晴香(22歳)、片岡春香(23歳)
 アダルトな雰囲気のセクシーヴォーカルダンスグループ
 もともとは2007年8月に結成された6人組アイドルグループ「CASSIS(カシス)」だった
 2009年1月にメンバーが1名脱退してグループ名を「シェリー」に改称する
 2010年1月から3人組となる
 カシス時代は2枚、シェリーになってからは3枚のシングルをリリースしているがブレイクはこれから?

楊玲&楊晶(ヤンリン&ヤンジン 2007年8月~)デュオ
 中国人の双子姉妹・楊玲(19歳)と楊晶(19歳)で結成
 2003年に母国で「J&L Angels」としてデビューしており、女子十二楽坊とともに活動していた
 2007年8月から「ヤンリン&ヤンジン」として日本に進出する
 2009年8月に他の日本人2人と結成した史上初のくのいちアイドルグループ「桜組」として再デビュー
 ※桜組時代はヤンリンは「桜紅丸」、ヤンジンは「桜蘭丸」として活動
 忍者ふうのアクションを得意とするライヴを中心におこなっていた
 2009~10年に出演したミネラルウォーター「クリクラ」のCMでつとに有名
 2010年3月をもって桜組は解散
 他のメンバー2人は芸能界を引退しているが、ヤンリンとヤンジンは帰国して「BENYRAN(ベニラン)」として活動している
 ヤンリン&ヤンジン時代に1枚、桜組時代に3枚、BENYRANになってからは1枚の楽曲を発表している
 ※有名な『クリクラ体操』(2010年1月)はネット配信限定


 まぁ~こんな感じなんですけど、今あげたグループのうち、現時点ではCDヒットチャートの世界でハロー!プロジェクトと争う存在になることができているのはアイドリング!!!だけのようです。
 アイドリング!!!は「親」こそあの悲劇のチェキッ娘と同じフジテレビなのですが、今回は親御さんの力の入れ方がまるで違っていました。CS放送とネット配信という2大事業のマスコット的存在になりおおせたアイドリング!!!。ドリームキャストとともに散っていったお姉さんのかたきを討つことはできるのか!?
 しかし、全国的な知名度こそまだないものの、定期的なライヴ活動やトークショーなどで会場を訪れるファンには絶大な人気を得ている中野腐女シスターズやバニラビーンズは、結成から5年がたとうとしている現在もアイドルグループのマニアックな1分野をになう重要な存在になっています。
 まぁ……「クリクラ体操」の2人も、あのCMでは圧倒的にマニアックな雰囲気と漠然とした不安感を世間に与えてくれましたよね。
 ナインははっきり言ってかなり「古色蒼然」としたグループなのですが、川島さんをはじめとした若いメンバーの将来性がとにかく魅力です。

 さぁ、いよいよこのときがやって来てまいりました。

 2005年7月、かつてあのおニャン子クラブを世に出した放送作家陣の主要メンバーであり、そのいっぽうで「作詞家」という形でも彼女たちの爆発的ブームの屋台骨となり、ついには人気メンバーの高井麻巳子さんを奥さんにしてしまったという秋元康(49歳)が、みずから総合プロデュースを手掛けるアイドルグループを結成するための大規模なオーディションの告知を開始しました。
 告知開始から3ヶ月後。まったくのしろうともすでに芸能活動を開始していた子も集まって始まったオーディションの結果、7924名の応募者の中から24名の合格者によって新たなるアイドルグループが結成されることとなりました。

 それこそが!! AKB48(エーケービーフォーティーエイト)だったのですよぉ~い。

 いやー……ついにここまできたね。
 2ヶ月かかりました。感慨深いですねェ~。最初の「かしまし娘」の活動開始は1956年ですから、50年の歴史をたどってきたわけなのね。そりゃあ2ヶ月はかかるわな。

 ともあれ、こうして2005年の10月に24名で結成されたAKB48だったのですが、さっそく翌11月には、モーニング娘。の多くの楽曲のダンス振り付けを担当していることで有名な振り付け師・夏まゆみを迎えての1ヶ月間の集中トレーニングを受け、12月からは東京・秋葉原のドンキホーテ秋葉原店の8階に開設された定員250名の常設ライヴ会場「AKB48劇場」でのライヴ活動を開始するはこびとなりました。ちなみに、本格的に劇場での活動を開始することとなった実質上の結成メンバーは20名になっています。合格した者全員が舞台に立つことはできなかった……きびしい世界ね~!
 この時の結成メンバーで現在も在籍しているのは、小嶋陽菜(17歳)、板野友美(14歳)、高橋みなみ(14歳)、前田敦子(14歳)、平嶋夏海(13歳)、峯岸みなみ(13歳)の6名です。
 5年前に20名いたメンバーが今は6名ですか。しかし、その6名が今でもAKB48の中核をになう存在になっていることは言うまでもないでしょう。

 さて、このあと翌2006年2月に『桜の花びらたち』でインディーズデビューしていくAKB48なのですが、まだまだ2005年の段階では知る人ぞ知る、どころか、知っているほうが「なんで?」なくらいの小さな存在だったのです。このライヴ活動からファンである方がいたとしたら、そりゃもう「青田買い」どころか「なにもないサラ地買い」ぐらいの話だったのではないでしょうか。それがまさか、2011年にこんなことになってるとはねぇ。ノストラダムスもビックリよ。

 AKB48が活動を開始した2005年の時点では、今回あげたアイドルグループはどれも存在しておらず、ずいぶん落ち着いたとは言っても、まだまだハロプロのひとり勝ちは続いている状態でした。
 さぁ~ここからどんな感じで日本のアイドルグループシーンがいい感じにごっちゃごちゃになっていくというのでありんしょうか!?

 ヒートアップしたまま、2011年も目前となった「ざっくりすぎるアイドルグループ史」は、つっづく~!
 あっちいあっちい!!
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第30回 『モーニング模索。 2003~04 雑想編』

2011年07月08日 23時45分39秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 どうも~こんばんはーい。そうだいです。いやぁもう、今日はふだん飲まない本物のコーヒーやビールを飲んだりしてもう大変よ。ウイ~古典的技法でヒック。

 今日は東京は練馬・小竹向原で上演している、元祖演劇乃素いき座のお芝居『阿房列車(あほうれっしゃ)』(演出・土井通肇 作・平田オリザ)を観てきました。いき座さんのお芝居は去年にも同じ小竹向原の劇場・アトリエ春風舎で拝見しております。
 それで劇場の場所はおぼえていたんですけど、予定よりも1時間も早く到着してしまったので、近所の落ち着いた雰囲気の喫茶店でなれない本格コーヒーをいただくことにしたんですね。
 で、誰が見てるわけでもないのに無理してミルクも砂糖も入れずにブラックのグァテマラを「うぅ……にがい。」と思いながら平然としているつもりの顔で堪能していたのですが、そうしているうちに、先客だった70歳ほどの上品な老夫婦と同年輩のカウンターのマスターがおたがいにケータイ電話を持ち寄って向かい合いながら、
「あれ? 認識できませんだって。おかしいなぁ。」
「そっち、ちゃんと受信してますよね? もうちょっと待ったほうがいいのかなぁ。」
 と四苦八苦しているご様子になったので、赤外線送受信のことならまかせろ!と障子紙級のあつさのケータイ操作知識をひけらかして私は3人の輪に飛び込んでしまいました。
「あの、それはもうちょっと近づけないといけないんですよ。ちょっと失敬。」
 老夫婦の奥様からケータイを拝借した私がマスターのケータイとつき合わせて再チャレンジしたところ、みごとアドレスの交換は大成功。
「イヤ~、私も原理はよくわからないんですけどね、ハハハのハ~。」
 といい気分になって、その後は初対面の人生の大先輩お3方と楽しいひとときを過ごし、予定の時間になってからは「にがかったよ~、おいしかったけど……」とつぶやきながら劇場に向かいました。
 そしたらさぁ! 観たお芝居も、初対面の老夫婦と若い人(役者さんは私の親友です)が列車の中で会話をするっていうシチュエーションでやんの。なんなの、コレ!? 誰が喜ぶ「奇遇」なんだこれは。私がちょっとびっくりしてるだけじゃないの。神様もヒマねぇ~!

 お芝居が終わったあとは、いき座さんからお客さんにふるまわれたビールなどをいただいて千葉に帰りました。独特の時間が流れるいき座さんならではのお芝居もよかったですけど、またいい遠出になりました。へんな日だったなぁ。


 で、家に帰ったらこんなニュースが。

《佐藤健と共演のチャンス! 実写版『るろうに剣心』がエキストラ出演者を募集中》(Yahoo!JAPANニュース 7月6日の記事より)

 俳優・佐藤健(22歳)主演で漫画家・和月伸宏(41歳)の人気作品『るろうに剣心 ―明治剣客浪漫譚―』(1994~99年連載)が実写映画化されるにあたり、ボランティアエキストラを一般公募している。今年7月下旬から10月末まで関西・中国・四国地方で撮影が行われる予定で、年齢・性別不問で映画作りに参加したい人を募集中だ。
 主人公・緋村剣心を演じる佐藤健は「原作のファンの方の思いを胸に、心して挑みます。」と作品に対する意欲をみせ、精いっぱい作品と向き合う姿勢だ。監督はNHK大河ドラマ『龍馬伝』『ハゲタカ』を手掛けた大友啓史(45歳)。ワーナー・ブラザース映画の製作で公開は2012年を予定している。
 ボランティアエキストラとして参加したい人は、月刊デ☆ビューのWEBサイト「WEBデ☆ビュー」、公式携帯サイト「デビューしようよ」に掲載されている応募要項をチェックしよう。


 今かよ!! いや、絶対に観に行きますけど。
 エキストラ募集のところに興味をもったわけじゃなくて(西日本を旅できるのはひかれるけど)、私、『るろうに剣心』が大好きなんですね。実は今やってる『ざっくりすぎるアイドルグループ史』が終わって一息ついたら、そのへんもからめたアレをやろうかな、とか思ってたりしちゃったりなんかしちゃってたりしてチョンチョン! そしたらこの話題ですよ。
 気になるなぁ。大友監督がやるってことは、やっぱり原色あざやかな『ジャンプ』の大ヒットマンガらしからぬホコリっぽい画面になるのかしら。
 しかし、「岡田以蔵」の役をやった佐藤さんが剣心役とは。だったら佐藤さんは鵜堂刃衛の役をやるのがスジ……じゃないっすね。
 そういえば、岡田以蔵のほうは『龍馬伝』の佐藤さんだの『龍馬におまかせ!』の反町隆史アニキだったりと話題が定期的にありますが、緋村剣心のモデルになったという伝説の志士・河上彦斎(げんさい)のほうはあんまり役者さんにめぐまれていないような……
 最近でいうと、『龍馬伝』と同じNHK大河ドラマでありながらホコリが全然舞っていなかった『新選組!』に、「佐久間象山を斬る」というだけのワンポイントリリーフで高杉亘さんが演じている彦斎さんが出てきたのですが、キャスティングのスタッフさんの肥後モッコスに対する敬意がなかったのか、本来150cmほどの小柄な色白の男だったという彦斎を、身の丈185cmで低音ヴォイスのきいたダンディな殺し屋ふうの高杉さんが演じるというむちゃくちゃな人選になっていました。いや、そりゃ人斬りだけどさぁ! 象山暗殺のもようもぜんっぜん史実と違っていたし。

 もうちょっと「幕末人斬り四天王」のひとりと畏れられる河上彦斎をフィーチャーしてよ! と感じていたので、彦斎本人ではないにしろ、今回の『るろうに剣心』には奮起していただきたいと。
 
 河上彦斎と言えば、『銀魂』にも彦斎をモデルにしたキャラクターが登場しますよねぇ。こっちもいい味出してるんですけど。
 名前は「河上万斉(ばんさい)」っていってね、江戸時代からチョクで21世紀になったような架空の日本で展開される『銀魂』ワールドでは、裏の顔は江戸幕府転覆をねらうテロリストでありながら、おもて向きは大江戸アイドル界の売れっ子プロデューサー「つんぽ」として活躍してるっていう設定なんですって。おもちろいね~。


 ……え? 「つんぽ」? 「つんく♂」?

 おおぉオウうぅいイィ~っっっっっと!!

 やばいやばい、危うくこのまま幕末の話題で今回の『長岡京エイリアン』を進めていってしまうところでした。今は幕末の話をしてる場合じゃないんだ、アイドルだよアイドル! アイドルの歴史!!


 え~、とまぁ長すぎる前フリはここまでにしておきまして、ここからは前回にビロ~ンとならべた「モーニング娘。2003~04年のあゆみ」についていろいろ感じたことをつづっていきたいと思います。たいへんおまんたせいたしました。

 2003~04年のモーニング娘。の流れを一言で言い表すのならば、「モーニング娘。以後を見据えたハロー!プロジェクトの試行錯誤」ということになるかと思います。
 ここで私が言った「モーニング娘。以後」の「モーニング娘。」とは、今現在も現役バリバリ第一線で活躍している高橋愛リーダーのモーニング娘。のことではありません。

 こんなわけのわからん言い方をすると、「何いってんだ? ついにそうだいも夏本番前に暑さが脳髄にキたか。」とお思いになるかもしれませんが、私がいいたいのは、1997年に結成された、もともと「安倍なつみのソロ活動をサポートするために用意されたアイドルグループ」としてのモーニング娘。が、ついに2003~04年にいたって終焉をむかえる時がやってきたんじゃないかということなんですね。
 つんく♂プロデュース楽曲のレベルの高さや時代のニーズにフィットした存在感、そして希代のスターごっちんの加入というさまざまなプラス要素によってヒットチャートトップの常連、平成アイドル界復活の功労者にして第一人者という地位にいつづけることのできたモーニング娘。だったのですが、そうして「トップアイドルであることが当たり前の状態になったモーニング娘。」をめざして、大変な倍率のオーディションに合格して加入を果たした新メンバーが増えていき、もともといた「トップアイドルにのぼりつめる苦労を味わった」初期メンバーがそれぞれのこれからを模索してグループを去っていくことによって、モーニング娘。という変わらない看板のある遊園地の「中身」はまったく違うものになっていっていたのです。

 モーニング娘。ほどの歴史のあるグループだと、よく「『LOVEマシーン』のころが一番よかった。」とか、「歌やダンスのレベルがむちゃくちゃ高い今のモー娘。が最高に決まってるだろ!」というああだこうだの議論がなされることがありますが、これはもう人それぞれの好みの問題になってまして、結論の出ないものであることは当然なんですね。そりゃもう、「人生経験の豊富さからくる声の味わい」という部分では、ある程度ふつうの世間で生きてから芸能界に飛びこみ、無名の衣装1着ずつ支給で仕事は現地集合現地解散の待遇からあれよあれよとスターダムにまでのしあがっていった初期メンバーに利があるかもしれないし、「ダンスや歌のうまさ、容姿のかわいさ」という点では、倍率1万人やら2万人というとてつもない関門を超えてきた、そしてそこから「日本一のアイドルグループ」という現在のモーニング娘。の超過密スケジュールが待っている世界に入って10代の貴重な時間のほとんど全部をエンタテインメントのためにささげた第4期以降のメンバーに利があるとも言えるわけなのです。要するに「観覧車」と「フジヤマ」のどっちがいい?って話なんですよ。私はどっちも好き!

 そんな意味で、今までのアイドルグループならばヒットチャートも安定してきて円満なまま解散、という流れになるべき時期が来たのが2003~04年のモーニング娘。だったのではないかと思うんですね。モーニング娘。の初代エースと言われたなっちが卒業したのが2004年の1月ですから、だいたい結成から正味6年のあゆみをもって、前期のモーニング娘。はひとつのピリオドを迎えたといってよいでしょう。しかし、実際にはドバドバと新しい血が入ってきた2003年くらいの時点で、グループはじゅうぶんに変わっていました。もちろん、まだ結成メンバーの飯田圭織さんはリーダーとして残っているわけなのですが、全体的な雰囲気では第4期のチャーミー石川さん、第5期の高橋愛さん、第6期のミキティと田中れいなさんがグループの新しい顔となっていたのです。
 余談ですが、私はモーニング娘。のメンバーの中では、この第6期に加入したある人のことがいちばん好きです。この「ざっくりすぎるアイドルグループ史」に私情ははさみたくないので(この企画自体が私情そのものじゃねぇか!というツッコミはあまんじて受けることにいたしまして)あまり強調して取り上げたくはないのですが、

 かわいい~っっっっ!! 八重歯! その笑ったときにゆがむ口と八重歯がサイコー!
 えっ、血液型、私とおんなじなの? じゃ、じゃじゃじゃじゃあ、わた、わた、私とその、「ゆ・け・つ」ができるってわけなのね!? イ~ッヒッヒッヒッヒ。血が足りなくなったらいつでも呼んでください~。

 ……大変失礼いたしました。こういうことばっかり言ってるから「変人の血液型だ。」って言われるのよね。
 残念ながらその彼女、去年の12月にもうモーニング娘。を卒業して芸能活動もいったん休止してらっしゃるらしいんですね。時すでに遅し。実に無念です。


 話を元に戻しまして、本来いままでのアイドル界の趨勢の法則ならば、そんな大ブレイクしたモーニング娘。なきあとのハロー!プロジェクトは、全体的に人気も落ち着いていって他のアイドルグループにトップの地位を明け渡して消えていく、というのが常でした。
 しかし。ハロプロはここで「モーニング娘。」という看板をおろすことをせずに、それでいながらまったく違った新しい人材をどんどん取り入れていくことでトップであり続ける努力にいどむという史上初のこころみを始めたのです。

 ここで私が注目したいのが、なっち卒業の後にリリースされたモーニング娘。23枚目のシングル『女子かしまし物語』(2004年7月)です。
 この曲は辻ちゃん加護ちゃん在籍最後のシングルでもあるのですが、結成から7年の歳月がたとうかとしているこの時期になって、突然降って湧いたように制作されたモーニング娘。の「自己紹介ソング」だったのです。

 「自己紹介ソング」とは、歌詞の中でグループに在籍しているメンバーの名前や特徴などを紹介している歌で、まさにメンバーが複数いるアイドルグループならではの伝統ともいえる楽曲です。
 自己紹介ソングの歴史は、すでに女性アイドルグループの世界ではそのパイオニアとも言えるキャンディーズの時代から始まっており、有名なところをずらずら~っとならべますと、

1973年12月
 キャンディーズ  『キャンディーズ』(1stアルバム『あなたに夢中 内気なキャンディーズ』の収録曲)
1979年5月
 ピンク・レディー 『ピンク・タイフーン』(12thシングル・Village Peopleの『IN THE NAVY』のカヴァー)
1986年3月
 おニャン子クラブ 『会員番号の唄』(メンバー吉沢秋絵のソロシングルのカップリング曲)
 ※それ以降、メンバーの異動にしたがって2回歌詞がリニューアルされている
1999年7月
 チェキッ娘    『チェキッ娘音頭』(1stアルバム『CXCO』の収録曲)

 っていう感じになっております。
 これまでの自己紹介ソングはおおむねアルバムの収録曲やB面あつかいになっており、唯一のA面曲である『ピンク・タイフーン』も洋楽のカヴァーだったりして、世間に出す場合はあまり目立たないかたちになっていることが多かったのですが(逆に、ファンが集結しているコンサート会場では超鉄板の盛り上げ曲となる)、モーニング娘。の自己紹介ソングである『女子かしまし物語』は堂々たるオリジナルのA面曲として世に出ることとなりました。

 しかし、これまでのグループの「顔」だったなっちが去ったあとに、なぜ?
 当時は「今ごろ自己紹介? 遅いんじゃない?」という空気もあったのですが、このタイミングでの自己紹介ソングの発表は、まさにこれから歩いていく「新たなるモーニング娘。の自己紹介ソング」なのだと解釈すれば、これまでのモーニング娘。を象徴する存在だったなっちがいなくなり、アイドルグループとしてのモーニング娘。を最初に、そしてもっともわかりやすい形で体現した辻ちゃん加護ちゃんがまだいる時期ということで、これ以上ないグッドタイミングでのものだったのです。
 アイドルグループの伝統だった「自己紹介ソング」を満を持して世に問うたことによって、1990年代の後半のにおいも色濃く受け継いでいる存在だった「ヴォーカルダンスグループ」のモーニング娘。は、「生まれながらのアイドルグループ」に転生することとなったのです。これはとりもなおさず、20世紀末から21世紀のはじめに大ブレイクしたモーニング娘。にも別れを告げるものだったわけなのですなぁ。
 そういえば、その時点でのハロー!プロジェクトの総決算ともいえる「H.P.オールスターズ」の『ALL FOR ONE & ONE FOR ALL』も、2004年に制作されたことは重大な意義があったように思えます。直後に起きたなっちの盗作騒動によって、2004年は思いがけず後味の悪い締めくくりとなってしまったのですが、まぁギリギリ間に合ったのだからよしとしましょう!

 こういった動きによって「モーニング娘。の栄光」の解体を果敢にこころみていったハロー!プロジェクトだったのですが、その一方で新しい面々を登場させていく動きも必要ではあったものの、さすがにそちらは四苦八苦というのが2003~04年の現状だったような印象が残ります。
 2002年7月の「第1次ハローマゲドン」以来、そのちょっと前に開設した小中学生のアイドル養成チーム「ハロー!プロジェクト・キッズ」のアピールを精力的におこなっていくハロプロですが、さっそく翌2003年に結成されたZYXもあぁ!も、2004年についに発足したモーニング娘。の最初の後継者ともいえるグループBerryz工房も、パーフェクト状態の前期モーニング娘。が去った巨大な穴をうめる存在にはまだ成長しきれていない状態でした。唄がうまくてもダンスが踊れても、「子どもでしょ……」という第一印象はぬぐいきれないものがあったのです。
 世に出るのが早すぎたのかなぁ。アイドルの方々をさして使う例えにしてはあまりにもグロいのですが、このころのモーニング娘。の後継者たちは、まだまだ映画版の『風の谷のナウシカ』の巨神兵のような状態だったのではないかと……われながらひでぇ言い方!

 でも、実際にBerryz工房がノッてきたのもほんとにここ数年ですよね? やっぱり時間ってものはある程度は必要なのではないかと。

 こんな感じで、ハロプロが新たな世代への転換をはかりはじめたのが2003~04年だったわけなのですが、まだまだこの苦闘はそれ以降にも続いていくこととなります。
 ただ! 最後に私が言っておきたいのは、5~6年もブレイクしたらおしまいになるのが当たり前だったアイドルグループの世界において、こここそが勝負時とふんばったハロプロの努力が現在のアイドルグループ全盛の時代につながっているというところなんですね。この時期のハロプロやモーニング娘。をさして「落ち目」と表現するのはあまりにもせつない物の見方ですよ。


 ハイッ、ということで今回も終わりまして、次回は2005~07年あたりのハロプロ以外のアイドルグループの紹介にいきたいのですが。

 ……あれ? 2005年? ということはさぁ、いよいよ今をときめくあの方々のお出ましとなるのじゃありませんこと!?
 みなさま、たびたびながらくおまんたせいたしました。苦節2ヶ月、ついに次回、秋葉原のあの方々のご登場となる……予定。
 おったのしみに~!!

 ながかぁった~、とおかぁった~でもォ~。
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第29回 『モーニング模索。 2003~04 資料編』

2011年07月07日 23時07分55秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 しゃらんら~。そうだいでございます。本日7日も、私の町は適度に風もあって過ごしやすい日となりました。でも、夜はなんだかくもっちゃうらしいんでしょ? せっかくの七夕なのにねぇ。

 七夕の話題もいいのですが、私はつい先日に星になってしまった偉大なる巨匠をしのんでしんみりとしております。


《『スケバン刑事』の和田慎二死去―漫画家たち追悼》(@nifty ニュース 2011年7月6日の記事などより)

 『スケバン刑事』などの作品で知られる漫画家・和田慎二(わだ・しんじ、本名・岩本良文=いわもと・よしふみ)が7月5日、虚血性心疾患で死去した。61歳。
 広島県生まれ。1971年、大学在学中に『別冊マーガレット』でデビュー。『超少女明日香』シリーズや『ピグマリオ』など少女漫画で活躍。テレビドラマ化、映画化もされた『スケバン刑事』は大ヒットした。現在は、『月刊ミステリーボニータ』(秋田書店)で『傀儡師(くぐつし)リン』を連載中だった。

 6日未明、ツイッター上でいち早く訃報が伝わると、後輩漫画家たちが続々とショックを露わにした。
 『サイレントメビウス』の作者・麻宮騎亜(48歳)は、そのペンネームを『スケバン刑事』の主人公・麻宮サキから取ったほどのファン。「ウソであってほしいです。本当に……」「誤報であると信じます。」とつぶやくなど、とても信じられないという様子だった。
 『HELLSING』で知られる平野耕太(37歳)も、「和田慎二先生が亡くなられたってマジか。マジかよ。」と絶句。「『超少女明日香』がすげー好きだったんだよう。」と嘆いた。
 『アニメがお仕事!』の石田敦子(47歳)は、和田の作品が漫画家としての原点だったと語る。「漫画ってこんなにおもしろいんだ!って教えてもらった初めての人です。『呪われた孤島』も『緑色の砂時計』も『愛と死の砂時計』も『銀色の髪の亜里沙』も『大逃亡』も『超少女明日香』も『パパシリーズ』もわくわくドキドキして何度も読み返して。模写もたくさんした。あの頃の『別冊マーガレット』が無ければ、漫画を読んでないだろうし描いてない。」


 早いですね。連載中の作品もあったりして、本人としても予期せぬ出来事だったのでしょうか。やっぱり第一級のプロならではの「職業病」みたいな、身体への負担も大きかったのかと。
 こんな『長岡京エイリアン』という、有名人のお名前をドバドバ出す超高校級ミーハーブログをやっておりますと、なにげなくつづった話題が現実の世界での最新ニュースと不思議なリンクのしかたをすることも多くてミョ~な気分になるのですが、やっぱり「訃報」っていうのはいやなものですよね。こればかりは天運というものですので、いかんともしがたいものがあるのですが。
 ドラマ版の『スケバン刑事』のあたりはもうすでにこの「ざっくりすぎるアイドルグループ史」でも通過したのですが(風間三姉妹)、もうちょっとしたらあやや版の映画(2006年)にいくかってところだったんですよ! 無念です。

 最新作だった作品が「未完」って、さぞ無念でしょうね……

 よし、こんなことを言っている私だっていつなんどき何が起こるかわかんないんだから、気合いを入れ直してこの「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の完結をめざして邁進するぞ!
 誰が望んでるわけでもないのですが、とにかく私が完成させないと気が済まないモードになってるんだからしょうがない。おっちぬわけにゃあいかねぇんだよう。
 いっくぞ~、ヘイ!!


 今回は2003~04年、さまざまな新局面をむかえることとなったモーニング娘。についてなんですが……

 やっぱり、この濃密な2年間を1回だけでまとめるのは無理でごんした。
 ということで、今回も「資料編」ということで、その期間に起こった主なトピックと、その中で生まれた新たなハロー!プロジェクト所属のアイドルグループの紹介だけをならべさせていただきたいと思います。

 「ゴールデン巨星」ごっちんは去りましたが、まだまだモーニング娘。にはなっちがいる、チャーミーがいる、辻ちゃん加護ちゃんがいる!
 そんな群雄割拠の2003~04年に、ターイムスリ~ップ。


モーニング娘。転機の2003~04年
2003年
1月
・前年10月から募集されていた「LOVEオーディション2002」の最終選考のもようがテレビ東京の特別番組で放送され、結果発表の直前に、すでにソロアイドルとして活躍していた藤本美貴(18歳)の「第6期」メンバーとしての加入が電撃発表される
・「LOVEオーディション2002」の結果、約1万4000名の応募者の中から道重さゆみ(14歳)、田中れいな(14歳)、亀井絵里(15歳)の3名が合格し、藤本とあわせて「第6期メンバー」となる
 ※これによってモーニング娘。は史上最多の16名となったが、第6期メンバーが参加するのは5月からで、16名で本格的に活動したのは保田圭の卒業コンサートのみ

2月
・モーニング娘。初のカヴァーシングルとなる17th『ひょっこりひょうたん島』がリリースされる(オリコン4位)

3月
・モーニング娘。のグループ内ユニット「ミニモニ。」のリーダーだった矢口がユニットを卒業し、高橋愛(17歳)が加入した「第2期」となる
 ※ミニモニ。の2代目リーダーはミカ(19歳 ココナッツ娘。)となる

4月
・保田圭在籍最後のシングルとなる18th『AS FOR ONE DAY』がリリースされオリコン1位を獲得する
 ※これ以降、モーニング娘。のオリコン1位獲得は2006年までとだえる

5月
・前年7月の宣言どおりに初代サブリーダー保田圭(23歳)がモーニング娘。を卒業し、悪化した扁桃炎の治療に専念する
・保田の卒業により、矢口真里(20歳)が2代目サブリーダーに就任する
・安倍なつみ(22歳)が歌手グループ「六文銭」(小室等が結成 1968~72年)のヴォーカルだった四角佳子とのデュエット曲『母と娘のデュエットソング』を発表する

7月
・藤本美貴ら第6期メンバーが参加した15名体制での初のシングルとなる19th『シャボン玉』がリリースされる(オリコン最高2位)
・前年2002年7月の「第1次ハローマゲドン」で予告された矢口真里とハロー!プロジェクト・キッズによるユニット「ZYX(ジックス)」が結成される
・夏恒例のハロプロシャッフルユニット企画が発表されるが、2003年からは3ユニット合同のミニアルバムという形でのリリースとなる
 ※「7AIR」の『壊れない愛がほしいの』、「SALT5」の『GET UP!ラッパー』、「11WATER」の『BE ALL RIGHT!』のオムニバス形式(オリコン最高2位)
・メンバーのエース安倍なつみの翌2004年1月でのモーニング娘。卒業が発表される

8月
・カントリー娘。の楽曲に参加するモーニング娘。メンバーが、石川梨華から紺野あさ美・藤本美貴の2名に交替する
・ZYXの1stシングル『行くZYX!FLY HIGH』がリリースされる
・安倍なつみがソロシングル『22歳の私』をリリースしオリコン最高2位のヒットとなる

9月
・モーニング娘。15名が「モーニング娘。さくら組」8名(安倍・矢口・高橋ら)と「モーニング娘。おとめ組」7名(飯田・石川・藤本ら)の2組に分割して個別のCDリリースやコンサートを上演していく計画が発表される
・「さくら組」の1stシングル『晴れ雨のちスキ』(オリコン最高2位)と「おとめ組」の1st『愛の園 Touch My Heart!』(オリコン最高3位)が同時リリースされる
・モーニング娘。の田中れいなをリーダーとした3人組ハロプロユニット「あぁ!」が結成される
・ハロー!プロジェクトの公式フットサルチーム「Gatas Brilhantes H.P.(ガッタス・ブリリャンチス・ハロー!プロジェクト)」が結成される
 ※当初はモーニング娘。・カントリー娘・メロン記念日・後藤真希・松浦亜弥が選手として参加していた
 ※2003年限定の活動予定だったが、継続されて現在まで公式試合出場を続けている

10月
・あぁ!の1stシングル『FIRST KISS』がリリースされる

11月
・20thシングル『Go Girl 恋のヴィクトリー』がリリースされる(オリコン最高4位)

2004年
1月
・安倍なつみ在籍最後のシングルとなる21st『愛あらば IT'S ALL RIGHT』がリリースされる(オリコン2位)
・エース安倍なつみ(23歳)がモーニング娘。を卒業し、これによって1997年からの結成メンバーはリーダーの飯田圭織(23歳)ただ1人となる
・メンバーの辻希美(17歳)と加護亜依(16歳)の8月でのモーニング娘。同時卒業が発表される

2月
・「さくら組」の2stシングル『さくら満開』(オリコン最高2位)と「おとめ組」の2st『友情 心のブスにはならねぇ!』(オリコン最高5位)が同時リリースされる
 ※以降、「さくら組」と「おとめ組」の新曲はリリースされていない

3月
・辻希美と加護亜依のグループ内ユニット「ダブルユー」が結成される

4月
・ココナッツ娘。のミカ(20歳)のハロプロ卒業により「第2期ミニモニ。」の活動が停止となる
・小学生~18歳の女性を対象としたハロー!プロジェクトの公式タレント研修生制度「ハロプロエッグ」の募集告知が『ハロー!モーニング』で開始される
 ※合格した時点でハロー!プロジェクトのタレントとして扱われていた「ハロー!プロジェクト・キッズ」とは違う本格的な研修制度
 ※「ハロプロキッズ」の正式名称は「ハロー!プロジェクト・キッズ」だが、「ハロプロエッグ」の正式名称は「ハロプロエッグ」

5月
・安倍なつみ卒業後の14名体制での初のシングルとなる22nd『浪漫 MY DEAR BOY』がリリースされる(オリコン最高4位)
・リーダー飯田圭織とエース石川梨華(19歳)の翌2005年でのモーニング娘。卒業が発表される(飯田は1月、石川は5月)
 ※石川梨華の「卒業宣言期間1年」は史上最長

6月
・安倍なつみの卒業後初の音楽活動となる2ndシングル『だって生きてかなくちゃ』がリリースされる(オリコン最高7位)

7月
・辻希美・加護亜依在籍最後のシングルとなる23rd『女子かしまし物語』がリリースされる(オリコン3位)
 ※『女子かしまし物語』はキャンディーズやおニャン子クラブなどの伝統を受け継ぐ「メンバー紹介ソング」

8月
・メンバー辻希美と加護亜依がモーニング娘。を卒業
 ※2人のユニット「ダブルユー」の活動は継続
 ※メンバーだった安倍・辻・加護の卒業により「さくら組」と「おとめ組」の本格的な活動は事実上終了
 ※ただし2009年までは、コンサートで「さくら組」と「おとめ組」に近いメンバー構成を再現してそれぞれの楽曲を歌唱することはあった
・応募者約1万600名の中から選ばれた32名によってハロー!プロジェクトの公式研修生制度「ハロプロエッグ」が発足する
 ※以後、ハロプロエッグは定期的に研修生を募集している
 ※合格した32名のうち、岡田唯(17歳)はその直後にユニット「美勇伝(びゆうでん)」のメンバーとなっているためハロプロエッグ扱いにはなっていない
・アテネ五輪の「なでしこジャパン」を応援するために開催された芸能人対抗フットサルトーナメント「お台場カップ」で、ハロプロのガッタス・ブリリャンチスが総合優勝を飾る
 ※このトーナメントでのフジテレビ女子アナチームからの勝利がガッタス史上初の勝ちゲーム

9月
・モーニング娘。の新エースを募集する「ラッキー7オーディション」の告知が開始される(対象年齢は今までより高めの「翌年中学校卒業見込みの14歳から20歳」)
・石川梨華とハロプロのオーディション合格者2人によるユニット「美勇伝」が結成される

10月
・安倍なつみ、後藤真希(19歳)、松浦亜弥(18歳)による期間限定ユニット「後浦なつみ(のちうらなつみ)」のシングル『恋愛戦隊シツレンジャー』がリリースされる(オリコン最高4位)

11月
・24thシングル『涙が止まらない放課後』がリリースされる(オリコン最高4位)
・ハロー!プロジェクトのアイドル総勢46名(当時)が結集した「H.P.オールスターズ」の結成が発表される
・安倍なつみが1999~2004年に発売された自身の写真集やフォトエッセイ3冊に執筆した詩が、複数の他人の作品からの盗作に当たると指摘され問題となる

12月
・「H.P.オールスターズ」のミニアルバム『ALL FOR ONE & ONE FOR ALL』がリリースされる(オリコン5位)
・安倍なつみが盗作問題の責任をとる形で2004年12月~2005年1月の活動を休止する(後浦なつみの活動も休止)
・NHK『紅白歌合戦』でモーニング娘。と辻・加護のダブルユーが共演するが、後浦なつみの出場は辞退となる(後藤と松浦はデュオとして出場)
 ※後浦なつみは翌2005年4~5月の単独ライヴツアーで復活して活動終了


2003~04年に結成されたハロー!プロジェクトのアイドルグループ

ZYX(ジックス 2003年7月~)6名 ハロー!プロジェクト内ユニット
 11~20歳
 リーダー矢口真里(20歳 モーニング娘。)、清水佐紀(12歳 のちのBerryz工房キャプテン)、矢島舞美(11歳 のちの℃-uteリーダー) ら
 2003年7月に矢口と、ハロー!プロジェクト・キッズ15名の中から選抜された精鋭5名により結成
 激しいダンスとアップテンポなダンスチューン
 結成された2003年内に2枚のシングルをリリースするが、メンバー中2名が翌2004年に結成されたBerryz工房に所属したため目立った活動はなくなる
 2006年1月のコンサート出演をもって第1期ZYXは活動を停止
 現在は2009年7月から始まった2代目リーダー新垣里沙(21歳)による第2期体制「ZYX-α(ジックスアルファ)」となっている
 ※ZYX-αは当初は8人組だったが、メンバーの卒業により2011年6月時点では6人組
 代表曲 2nd『白いTOKYO』(2003年12月 オリコン最高11位)

あぁ!(2003年9月~)3名 ハロー!プロジェクト内ユニット
 リーダー田中れいな(14歳 モーニング娘。)、夏焼雅(なつやき みやび 11歳)、鈴木愛理(9歳)
 ※のちに夏焼は「Berryz工房」、鈴木は「℃-ute」に所属
 ハロプロ史上最年少の「平均年齢11歳」ユニット
 2003年10月に1stシングル『FIRST KISS』をリリースする(オリコン最高18位)
 ※以降、「第1期あぁ!」の新曲シングルは発表されていない
 子どもがアダルトなR&Bを唄う不思議な違和感
 2006年1月のコンサート出演をもって第1期あぁ!は活動を停止
 現在は2009年7月から始まった「第2期あぁ!」となっている
 ※田中とハロプロエッグの佐保明梨(14歳)が交替し、夏焼が2代目リーダーに

W(ダブルユー 2004年3月~07年4月)モーニング娘。のグループ内デュオ
 モーニング娘。第4のグループ内ユニット
 ※モーニング娘。メンバーのみでの純粋なグループ内ユニットとしては2011年6月までの時点では最後のユニット
 リーダー辻希美(17歳)とサブリーダー加護亜依(16歳)
 辻・加護のモーニング娘。卒業宣言後に結成されており、卒業後の活動ユニットとして計画されていた
 まだモーニング娘。に在籍していた5月に1stシングル『恋のバカンス』(ザ・ピーナッツのカヴァー曲)をリリースする
 モーニング娘。卒業直後の8月に2ndシングル『あぁいいな!』をリリースして本格的なデュオ活動を開始
 2人のプリティさを前面に押し出したアイドル路線
 単独コンサートや主演ミュージカルを上演する大人気だったが、ツアー公演はおこなっていない
 2006年2月に加護が不祥事により謹慎処分となったため、予定されていた7thシングルと3rdアルバムが発売中止となりダブルユーとしての活動は停止状態となる
 2007年4月に加護がふたたびの不祥事によりハロプロ解雇となったため、ダブルユーも自動的に消滅
 代表曲 3rd『ロボキッス』(2004年10月 オリコン最高5位)

美勇伝(2004年8月~2008年6月)3人組 ハロー!プロジェクト内ユニット
 17~20歳 石川梨華(19歳 モーニング娘。)、岡田唯(17歳)、三好絵梨香(20歳)
 モーニング娘。の石川と、ハロプロオーディションの合格者だった岡田と三好で結成
 ※期間限定のものをのぞけば、2011年6月時点ではモーニング娘。メンバーが参加した最後のユニット
 石川のモーニング娘。卒業宣言後に結成されており、卒業後の活動ユニットとして計画されていた
 まだモーニング娘。に在籍していた9月に1stシングル『恋のヌケガラ』(この曲のみシャ乱Qはたけのプロデュース)をリリースする
 モーニング娘。卒業直後の2005年5月に3rdシングル『紫陽花(あじさい)アイ愛物語』をリリースして本格的なユニット活動を開始
 つんく♂得意のアダルト歌謡を唄うセクシー路線
 ハロプロアイドルには珍しく水着・バニーガール・ミニスカなど露出度の高い衣装が多かった
 2006年9月に公開された松浦亜弥主演の映画『スケバン刑事 コードネーム麻宮サキ』にも全員メイン格で出演しており、特に石川は堂々たるボンテージ姿であややとタイマンをはっている
 シンガポールと中国で海外コンサートをおこなった
 10枚のシングルと2枚のオリジナルアルバムをリリース
 2008年6月のライヴツアー「美勇伝説5 最終伝説」の終了をもって解散
 石川と三好はソロとして活躍しているが、岡田は2010年6月に芸能界を引退
 現在は2009年7月から始まった新たな3人組による第2期体制「続・美勇伝」が活動している(2010年12月からはデュオ)

Berryz工房(2004年1月~)7名
 10~13歳 清水佐紀(13歳)、嗣永桃子(12歳)、夏焼雅(12歳) ら
 ハロー!プロジェクト・キッズ15名の中から選ばれた8名で結成
 「リーダー」はおらず、それに相当する役割として清水佐紀が「キャプテン」となっている
 2005年10月にメンバー石村舞波(13歳)が卒業し芸能界を引退したのちは7名体制となっている
 低年齢ながら激しいダンスと高い歌唱力を武器とする
 学業を優先させていたため、過去は土日休日や連休中にコンサートを上演することが多かった
 ハロー!プロジェクトには珍しく、結成以来メンバーの追加加入がまったくないグループ
 アメリカ・韓国・タイでコンサートをおこなっている
 2005年ごろからオリコンチャート上位にランクインすることが多くなり、2007年にNHK『紅白歌合戦』への初出場を果たす
 ※オリコンチャート週間ランキング1位を獲得したことはまだない
 2011年6月までの時点で26枚のシングルと8枚のオリジナルアルバム(ミニを含む)をリリースしている実力派
 代表曲 22th『雄叫びボーイWAO!』(2010年3月 オリコン最高3位)


 長いよ……ほんとにすんません。

 これらにかんするつらつら考は次回で~っす。
 この頃のチャーミーさんは完全無欠にかわいいな……「同性に人気がなさそうなかわいさ」って、もしかしたらこういうものなのか。いや、石川さんは嫌われるよしもないんだろうけど。もう今から『篤姫ナンバー1』の公開が待ち遠しいです。

 それまでは、おらしなねえ! おらしなねえど!!
 
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第28回 『第4次モーニング包囲網。 2001~AKB以前』

2011年07月05日 23時15分41秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 どうもこんばんは~、そうだいです。こっぺりお~ん。
 風があるのでさほど暑くは感じないんですけど、やっぱり基本的に体力を消耗する日々が続いておりますなぁ。水分と塩分はコンスタントに摂っていきましょう。

 またAKB48関連で新たな動きがありましたね。「新たな」っていうか、なんか恒例になるみたいですけど。


《AKB48またじゃんけん選抜! 9月に武道館》(日刊スポーツ.com 2011年7月4日の記事などより)

 AKB48が、今年12月に発売する24枚目のシングル曲を歌う選抜メンバーを、再びじゃんけんで選ぶことになった。
 前田敦子(19歳)VS 前田亜美(16歳)の「前田対決」や、大島優子(22歳)ら上位メンバーの早期敗退など、波乱が相次いだ昨年のじゃんけん大会。今年はよりスケールアップして帰ってくる。
 3日、東京・有明の東京ビッグサイトで開催された『Everyday、カチューシャ』握手会の最中に2年連続のじゃんけん大会実施がサプライズ発表された。イベントに参加していた前田敦子や大島ら中心メンバーは、急報に「えーっ。」と驚きの声をあげた。
 今年6月9日に行われた「選抜総選挙」同様、勝ち上がった上位メンバーは最新シングルを歌う選抜入りを果たし、1位はセンターの位置をゲットできるというサバイバル戦だ。人気に関係なく、じゃんけんの実力だけで選抜メンバーを決めるだけに下位メンバーにとっては絶好の下克上の機会となる。
 昨年9月に日本武道館で開かれたじゃんけん大会では内田真由美(17歳)が勝ち抜き、12月発売の『チャンスの順番』でセンターポジションを獲得。内田は第1回、第2回の総選挙ともに圏外のダークホースだったが一躍脚光を浴びた。
 今回も日本武道館で9月20日に行われ、AKB48メンバーと予備選を勝ち抜いた研究生3名のほか、姉妹グループのSKE48とNMB48からも予備選を勝ち抜いた5名ずつの計71名が参戦する。AKB48は、先日の選抜総選挙の結果を反映した22枚目のシングル『フライングゲット』を8月24日に発売し、10月には23枚目のシングルをリリースする予定。AKB史上最大規模のじゃんけん大会となるだけに、前回大会を超える名勝負が繰り広げられることは間違いなさそうだ。

 
 楽しそうでよろしおすなぁ。なるほど、無名のメンバーにチャンスを与えるという新奇さもいいんですけど、こういう形で加熱スケジュールにあえいでいる人気メンバーに休みをあげる方法もあるんですねぇ。さすがは秋元神先生。
 でも、そうやってセンターになったからといって、やはりファンの目や芸能界の荒波は思ったよりも甘くはないようで……内田さんももう一度圏外から這い上がれぃやァ!!
 ただ、なんかじゃんけんには「運」だけじゃなく「技術」もあるようで。私、むかし『笑っていいとも』で、少なくとも放送中には100%の確率でじゃんけんに勝ち続けていたバーのママが出てたのを見ましたよ。あれは相手の視線なのか手の動き方なのか。何回かやってみて相手それぞれの習性をおぼえるんじゃなくて、初戦から勝っていくんだぜ!? 不思議だなぁ~。いいともレギュラー全員もスタジオも「ええ~!!」と大騒ぎしている中で、ひとり「ほほほ……」と静かに笑っていた美人ママのほほえみが恐かった恐かった。


 さぁさぁ、今日もまた新世紀「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の続きに入っていきたいのですが、今回はいよいよAKB48が登場してくるあたり、それ以前にちょっと早く登場した他のアイドルグループのみなさんをざざーっとならべていきたいと思います。

 いやー、今回のモーニング娘。包囲網はすごいですよ……なんてったって、脈絡がまったくと言っていいほどありません。日本のアーティストじゃない方々もいるし。しかもほっとんどが哀しい結果に……
 もうズバズバいっちゃおう! 2000年代前半のハロプロ以外のアイドルグループのごった煮、なつかしさのラタトゥイユをめっしあっがれ~いっと。


ZONE(ゾーン 1997年12年~2005年4月)4人組ガールズバンド
 9~12歳(1997年の結成時)
 メンバー全員が北海道札幌市出身で、もともとは8人組の小学生ヴォーカルダンスグループだった
 ※同じ「北海道出身のガールズバンド」ということで、2000年に『夏祭り』でブレイクしたwhiteberryとよく比較される
 1999年12月のインディーズデビューから4人体制となる
 2001年8月にリリースした3rdシングル『secret base 君がくれたもの』から、全員ヴォーカル兼任のガールズバンド体制に転身する
 その『secret base』が大ヒットして全国的知名度をえる(オリコンチャート最高2位)
 ※『secret base』はラブソングではなく、小学生男子どうしの友情をえがいた名曲
 2005年4月1日の東京・日本武道館コンサートをもって解散する
 解散後にリリースされたベストアルバム『E』が自身唯一のオリコン1位を記録する
 現在はギターの長瀬実夕、ベースの舞衣子、キーボードの西村朝香が音楽活動を継続している
 2011年8月に1ヶ月間限定で再結成する予定(長瀬・舞衣子・西村の3名で)

推定少女(2001年8月~06年年7月)デュオ
 どちらも14歳 リノとリサ
 ミニスカ制服がユニフォームで、パンチラが武器
 9枚のシングルと2枚のアルバムをリリースするがヒットせず

BOYSTYLE(ボーイスタイル 2001年4月~07年7月)4人組
 全員14歳 村川絵梨(14歳)ら
 村川以外のメンバー3人は沖縄アクターズスクール大阪校の生徒だった
 ※村川のみ大阪のヴォーカル&ダンス学校「キャレス」の出身
 主に大阪を拠点に活動
 グループ名が「BOYSTYLE」に決定して音楽活動を開始したのは2002年から
 同じ事務所だったPerfumeやBUZY(2002~06年)とも一緒に活動していた
 8枚のシングルと1枚のアルバムをリリースするがヒットせず
 2005年7月にメンバーの1人が脱退し、村川が2005年下半期のNHK朝ドラ『風のハルカ』の主役に抜擢されたため、事実上の活動停止状態となる
 そのまま個々のソロ活動が進み、2007年7月に正式に解散が発表される
 現在は村川絵梨、田野アサミ、上原香代子の3名が女優・タレントとして活動している

t.A.T.u(タトゥー 1999~2011年)ロシアのポップデュオ
 正確にはプロデューサー・作曲家・作詞家・マネージャーを含めてのグループ名が「t.A.T.u」
 色白のほうがリェーナ(初来日時19歳)で、色黒のほうがユーリャ(初来日時18歳)
 リェーナとユーリャはもともと同じ児童合唱団に所属していた
 最初はリェーナのみのソロプロジェクトだったが、2000年にユーリャが加入してデュオとなる
 プロデューサーのイワン=シャポヴァロフが発案した同性愛をにおわせるような演出で大ヒットするが、本人たちはイヤだった
 2002年にヨーロッパ各国やアメリカでも大ブレイクし、翌03年に日本で人気沸騰となる
 日本では2003年3月に発売されたデビューアルバム『t.A.T.u』が売り上げ200万枚の大ヒットとなる
 ※日本のオリコンチャートで、海外アーティストのデビューアルバムがランキング初登場1位を獲得したのはタトゥーのみ
 熱狂的な人気のなか2003年6月に初来日を果たすが、音楽番組『ミュージックステーション』(テレビ朝日)への出演ドタキャン騒動が物議をかもす
 ※この来日時には2人はすでに同性愛路線を放棄しており、ユーリャはノドの不調を訴えて満足な歌唱ができない状態にあった
 話題づくりのためには出演拒否も辞さないイワンのあこぎな商法があだとなり、日本でのブームは2003年内に急速に沈静化する
 2004年にプロデューサーのイワンを解雇し、以降は堅実な歌手活動に徹する
 2011年に解散

女子十二楽坊(2001年6月~)13~20名
 中国の女性古楽器演奏グループ
 中国国内の古楽器(二胡・琵琶・揚琴など)演奏の第一人者たちで結成
 楽曲は主に中国伝統音楽や西洋クラシック、日本のポップスなどのカヴァー
 グループ名の「十二」というのは縁起の良さからつけた数字であり、実際のメンバー数はもっと多い
 2002年に中国国内でブレイクし、翌03年に日本に進出する
 2003年7月にリリースされた日本版1stオリジナルアルバム『女子十二楽坊 Beautiful Energy』が売り上げ200万枚の大ヒットとなる
 ※アルバム『女子十二楽坊』は、日本で初めて「特典DVDつきCD」というセールス法を成功させた
 2004年には日本で武道館コンサートや全国ツアーを成功させ、2ndオリジナルアルバム『輝煌 Shining Energy』も大ヒットする
 2005年にはアメリカにも進出し、アジア人アーティストとして最大のヒットを記録
 現在はメンバーの交替をへて中国国内を中心に活動している

Springs(スプリングス 2002年10月~03年9月)3人組
 伊藤彩華(15歳)・平野綾(15歳)・吉田有希(13歳)
 3人とも子役出身であり、伊藤はミュージカル、平野はTVCM、吉田はTVドラマで活躍していた
 フジテレビの深夜番組内オーディションで結成され、『深夜戦隊ガリンペロ』(毎週土曜深夜2時から・2002年10月~03年3月放送)のエンディング曲を担当する
 ※『深夜戦隊ガリンペロ』はかつての『オールナイトフジ』と同じ土曜深夜の生放送番組だったが、内容は特撮作品でブレイクしたイケメン俳優を司会に起用した女性向けのものだった
 結成当初のグループ名は「ユニット名未定」だったが、2003年2月の放送中にさまぁ~ずが命名した
 楽曲は洋邦ポップスのカヴァーが中心
 4枚のシングルと1枚のアルバムをリリースするが話題にならず自然消滅
 現在、伊藤と吉田は歌手として活動しており、平野は言うまでもなく2006年から声優として大ブレイク中

SweetS(スイーツ 2003年8月~06年6月)5人組
 12~13歳 瀧本美織(12歳)ら
 全員が平成うまれのヴォーカルダンスユニット
 エイベックスのオーディション合格者により結成
 2003年4~9月に放送されたテレビ東京のドキュメントバラエティ番組『プラチナチケット』(毎週日曜夜10時から)の企画で、もう2人を追加加入させてからCDデビューする予定だったのだが、番組の人気不振からの企画打ち切りにより5人のままでデビュー
 11枚のシングルと3枚のオリジナルアルバム(ミニを含む)をリリースするがヒットせず
 メンバーの学業専念などの理由により2006年6月のラストシングルのリリースをもって解散
 現在は元リーダーの柏木亜季子がダンサー、吉村綾花が歌手、瀧本美織が女優として活動している
 瀧本は2010年下半期のNHK朝ドラ『てっぱん』の主役に抜擢される

Negicco(ねぎっこ 2003年7月~)3~4人組
 12~15歳 Nao☆(15歳)、Megu(14歳)、Kaede(12歳)
 新潟のローカルアイドル(ロコドル)グループ
 新潟県産の長ねぎ「やわ肌ねぎ」のPRキャンペーンのために4人組で結成
 「やわ肌ねぎキャンペーン」終了後もグループの活動は地元新潟を拠点に継続
 2004年9月に放送されたNHKの音楽番組『ポップジャム』に出演して全国的な知名度を得る
 2008年5月からは3人組となる
 2010年12月に開催された「U.M.Uアワード2010 全国アイドルお取り寄せ展」のグランプリに輝く
 ※「U.M.U」とは「Under Major Unit idol」の略(要するにマイナーなアイドルグループのこと)
 8枚のシングルと1枚のミニアルバムをリリースしている
 2011年7月(今月)には、タワーレコードのアイドル専門レーベル「T-Palette Records」から待望の2ndミニアルバム『GET IT ON!』をリリースして本格的な全国進出を狙う

美少女クラブ21(2003年8月~06年12月)21人組
 12~19歳 原幹恵(16歳)、森田彩華(15歳) ら
 オスカープロモーションの「第8~10回 全日本国民的美少女コンテスト」入賞者によって結成
 2004年10月には福田沙紀(14歳)ら10名が追加加入して「美少女クラブ31」に改称する
 2003年10月~06年9月に放送されたテレビ東京のバラエティ番組『GIRLS A GOGO!』(毎週土曜夕方4時半から)を中心に活動していた
 2枚のシングルをリリースするがヒットせず
 「森田クラブ」、「D.D.D」、「ティーンエイジクラブ」など6つのグループ内ユニットも活動していたがさほど話題にならず
 2006年いっぱいの活動をもって自然消滅

PARADISE GO!!GO!!(2004年8月~06年8月)7人組
 13~18歳 松本美咲(13歳)ら
 関西出身のメンバーによるヴォーカルダンスグループ
 全員が大阪のヴォーカル&ダンス学校「キャレス」の出身(ボーイスタイルの村川絵梨の出身校)
 2004年に東京進出を果たし8月にエイベックス所属でCDデビューする前から、「9SOULS」というグループ名で大阪を拠点に活動していた
 6枚のシングルと1枚のアルバムをリリースするがヒットせず
 2006年8月のライヴDVD発売記念イベントへの出演以降は活動が一切なくなり自然消滅
 現在は松本美咲と藤田ハルカのみが歌手として活動している

80_pan(ハレパン 2004年4月~09年6月)2~3人組
 小笠原朋美(19歳 ヴォーカル担当)と奥菜真子(19歳 ラップ担当)が一貫して所属
 京都を拠点に活動していたが、2005年8月のCDデビューから全国進出する
 グループ名は結成当初は「ハレンチ☆パンチ」だったが、2007年3月から「80★pan!」、さらに08年4月からは「80_pan」に改称される
 ギター担当の大空さや(16歳 2005年5月~07年10月在籍)が珍しいメガネキャラだった
 「ハレンチ☆パンチ」時代は正統派アイドル路線、「80★pan!」時代はガールズバンド路線、「80_pan」時代はニューレイヴロック路線をとっていた
 5枚のシングルと3枚のオリジナルアルバムをリリースするが、方向性の迷走によりヒットせず
 2009年6月に解散

AAA(トリプルエー 2005年4月~)男5名と女2~3名の男女混合グループ
 17~23歳 宇野実彩子(19歳)、伊藤千晃(18歳) ら
 エイベックスの各種オーディション合格者で結成されたヴォーカルダンスグループ
 エイベックスの創業者・MAX松浦こと松浦勝人の総合プロデュース
 メインヴォーカルは宇野と男子2人の3人体制
 グループ名の「AAA」は、「Attack All Around(全方位攻撃)」の略
 ライヴでは歌とダンスの他にアクロバットや演劇も上演する
 2005年4月にメンバー7人で結成され、6月に伊藤千晃(18歳)が加入したことにより8人編成となる
 グループとしての歌手活動と並行して、メンバーそれぞれも俳優として積極的に活動している
 2007年6月の後藤友香里(19歳)の体調不良からの脱退により、7人体制になって現在にいたる
 2005年5月のCDデビュー時からオリコン上位の常連だったが、2008年1月の17thシングル『MIRAGE』で初めて1位を獲得する
 2010年5月にリリースされた24thシングル『逢いたい理由』からは小室哲哉が楽曲をプロデュース
 脱退した後藤は現在はタレントとして活動


 いや~、ほんとに脈絡がありません。
 現在も現役バリバリで活動しているグループももちろんあるんですが、全体的な印象は……「死屍累々」? 「国やぶれて山河あり」?
 トリプルエーは女性アイドルグループではないのですが、エイベックス関連で小室さんのプロデュースを受けているところから見ても、かつてのtrfをほうふつとさせるものがあったので取り上げておきました。
 でも今回調べてみてびっくりしたんですけど、トリプルエーのみなさんも実はそう若くはないのね。いや、20代ですけど。

 なつかしいのは2003年のタトゥーと女子十二楽坊ですよね! アイドルじゃないけど。
 残念ながら、小学校の教室で、
「おまえ、リェーナとユーリャのどっちが好き!?」
 とか、
「おれは揚琴のホイちゃんもいいけど、つきあうなら独弦琴のシャオイェンだなぁ。」
 という会話はなかったと思うのですが、2010年代の韓流アイドルグループブームの予兆となる部分もあったような気がしたのでピックアップしてみました。考えすぎ?

 村川さんや瀧本さん、それに平野さんと、のちに個人でブレイクした方はいらっしゃるのですが、アイドルグループとしてはもう惨憺たる状況のものがほとんどでしたね。
 美少女21(31)は「大人数」に「グループ内ユニット」に「夕方のレギュラー番組」と、なんか前にも何回か聞いたことのある条件がそろっていたのですが、驚くほどパッとしませんでした。全員かわいくても、やっぱりメンバーのグループにかけるやる気みたいなものがなければいけないんでしょうね。アツさは大事だ!
 推定少女は海外ではやっていた頃のタトゥーから着想を得たんでしょうか。ニューレイヴ路線のハレパンは、やっぱり同時期に念願のブレイクを果たしたパフュームのテクノ路線に影響されてのことだったのかしら。でも、結果はどちらも対照的なものになりました……
 結論としては、やはりハロプロ勢に太刀打ちできた勢力はまったくなかった、ということで。

 私としましては、現在進行形で今年これから大きな動きがあるというゾーンとねぎっこに注目していきたいですなぁ。


 ってなわけで、次回はまたモーニング娘。の悠久の歴史にもどりま~っす。
 ハバナイスデ~イ。
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第27回 『モーニング黄金期。 2001~02 雑想編』

2011年07月03日 22時10分47秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 どうもこんばんは~。そうだいですだすまんねん。
 いやぁ、今日は私、日曜日にふさわしいまる一日の休みだったんですけどねぇ。

 イエ~イ、なんにも遊ぶ気がしねぇぜ~い。ずっと家でのべ~んとしてたぜぇ。

 やっぱり、基本的に蒸し暑いっていうのは、体力を知らず知らずのうちに消耗してるんでしょうかねぇ? なんかダルいんだよなぁ。ま、休みだから休みますけど。
 なんだかわかんないですけど、最近いきなり「かわきもの」にハマってしまっているのも塩分不足のためなのか!? 酒なんか一滴も飲まないのに、やたらと肴はあぶったイカでいいモードなんですよ。
 どうでもいいんですけどスーパーをうろついてて知ったんですが、近ごろの「よっちゃんイカ」って、なにあれ、白いの? 赤く着色されてなくて真っ白のまんまの「よっちゃんイカ しろ」っていうのがあんのね。
 着色料を使ってないっていうのはいいことなのかもしれませんけど、なんかよっちゃんイカが白いっていうのは、私個人はちょっとピンとこないなぁ。あれはやっぱり赤くないと。みなさんも、シン=マツナガ専用とシャア=アズナブル専用がならんでたら、どっちかっつうとシャア専用の「うすい朱色」のほうがいいですよね? そうそう、よっちゃんイカの「赤」って、まさにシャアの「赤」で、ジョニー=ライデンの赤じゃないのよねぇ。あっ、「三杯酢」使用だし。うわ~、もう誰かとっくの昔に気づいてそう!
 さらにどうでもいいんですけど、よっちゃんイカを世に出している大企業「よっちゃん食品工業」って、山梨県の中央市にあるんですね。海辺じゃねぇんだ……

 ところで、山梨県の「中央市」って……ねぇ。

 別に悪く言うつもりはないですけど、そんなにセンターにこだわんなくてもいいんじゃないですか?
 「集英高校」とか「講談組」じゃないんですからね。もうちょっと、他のアピールポイントを押してもよかったのでは? 完全無欠の余計なお世話でした。


 さてさて、今日も今日とて「ざっくりすぎるアイドルグループ史」でございます。今回は、前回にズラズラッとならべたモーニング娘。まわりの2001~02年に起きたいろんな出来事についてのざっくりした考察をば。

 1999年のごっちん加入と『LOVEマシーン』以来、じょじょにその体質を変容させていき、2000年の辻ちゃん加護ちゃんら個性のやたら強い第4期メンバー4名の加入と出す曲出す曲の大ヒットによって「ひとり勝ち時代」を築きあげたモーニング娘。だったのですが、それに続く2001年もまた、その勢いを衰えさせることなく進めつつも、さらなる変革を求めていくアグレッシヴな年となりました。

 2001年に起きたことで忘れてならないのは、まずはなんと言っても結成メンバーの中核にして栄光の前期をささえた初代リーダー中澤裕子(27歳)の卒業と第5期メンバー4名の加入ですね。
 中澤さんの偉業のほどは、モーニング娘。という存在の隅から隅までにその影響を与えているその「まとめっぷり」が第一に挙げられるかと思います。年齢が自分の半分くらいしかない子といっしょに仕事をするって、これ以上のプロ修行があるでしょうか。おたがいにとってね。
 モーニング娘。史上初のソロ活動を担当したのも中澤さんだったのですが、ソロ1st『カラスの女房』を聴いてみてもわかるとおり、その歌声は思いのほか正統派で繊細。それこそごっちん加入前の「コーラス重視」のモーニング娘。に最適な人材ではあったのですが、その後のモーニング娘。独自の「ディスコ・ザ・つんく♂」の繰り広げるハチャメチャ路線の中では影が薄くなりがちなところもありました。ダンスもなかなかしんどそうだったし。
 そんな中でついに発表されたリーダーの勇退だったのですが、今回の卒業は、以前に卒業した誰よりも「卒業っぽくなく、かつ卒業らしい」卒業だったのです。なにこの日本語。

 中澤さんは4月に卒業した後ただちに、今度はモーニング娘。を含めた「ハロー!プロジェクト」全体の初代リーダーに就任しており(ハロプロ初代サブリーダーは元・太陽とシスコムーンの稲葉貴子)、以前にモーニング娘。を卒業した3名とちがってモーニング娘。とはその後もさまざまな番組やイベントで共演することがしょっちゅうでした。このブログを読んでいるみなさんの中には、あるいは現役時代よりもこの卒業後の「司会の中澤さん」のほうが記憶に色濃いという方も多いのかもしれません。
 つまり、中澤さんの卒業は他のメンバーにとっても多くのファンにとっても、それまでにあったような別れの哀しみや実感は比較的わかない「卒業っぽくない」ものだったのですが、それだけに「脱退じゃなくて、卒業。」というハロプロオリジナルの解釈をはじめて強く物語るものとなったのです。

 それまでのメンバーの卒業は、そのまま(一時的にせよ)その人の芸能活動の停止を意味しており、その点では「脱退」と言い換えてもなんの問題もないもので、実際に「卒業」と「脱退」のどちらを使ってもいいような状況が続いていたのですが、中澤さんのハロプロ内での活動継続という選択によって、「モーニング娘。の卒業」は普通のニュアンスでいう「脱退」とはまったく色合いの異なるものとなったのです。ここにまず、モーニング娘。独自の、他のアイドルグループにはまったく見られなかった「卒業システム」が誕生しました。前提としてここに必要なのは、卒業したメンバーの新たな活躍の場となる「ハロー!プロジェクト」というもうひとまわり大きな場ですね。スケールがでかいなぁ!

 そして、2001年には「卒業」と同時にモーニング娘。にとってもうひとつ重要なシステムが転機を迎えました。出るものがあったら入るものもなくてはならない。「追加加入」システムですね。
 こちらは、オーディションの結果が発表される番組が古巣の『ASAYAN』でなくモーニング娘。メインの特別番組やレギュラー番組になったという変化はありましたが、一般公募するというシステム自体は1998年の『(第1回)追加メンバーオーディション』からほぼ変わっていません。
 私が言いたい、追加加入にかんする2001年の変化というのはむしろ外側から見たアピールの仕方の点でして、この年に加入した「福井の革命児」こと高橋愛をふくめた4名のメンバーから、積極的に「第~期」という呼称が頻繁に使われるようになったことです。
 たとえば、この時期のモーニング娘。はメンバー全員の写真集を順ぐりに出版していく「第1次モーニング娘。ソロ写真集シリーズ」(ワニブックス社)というプロジェクトを組んでおり、その最後に位置するものとして2002年の8月に出版された第5期メンバー全員がモデルとなった写真集のタイトルはまんま『5』です。

「『5』!? 4人しか写ってないのに『5』!? 俺に見えないもう1人がいるのか? ああ、撮ってるカメラマンもあわせて『5』ってことなのか。」

 という壮烈な勘違いをした人は……いませんよね。
 ま、とにかくこの時期からモーニング娘。の中で「第~期加入メンバー」という言葉が一般化していき、それが世間にも広まっていったわけなのですな。これはつまり、「モーニング娘。は定期的に新しいメンバーが加入していくアイドルグループなのね。」という認識が定着されていったということになります。

 「卒業」と「加入」があって当たり前のグループということはつまり、誰がメンバーになっても、あるいは誰がメンバーでなくなっても「モーニング娘。」という名前に影響はないということになります。これってつまりは……永遠。
 奇しくも、モーニング娘。はこの黄金期に当たる2001年の10月に男装歌劇をイメージした13thシングル『Mr.Moonlight 愛のビッグバンド』をリリースしており、そのつながりであの宝塚歌劇団との共演を果たしています。なるほど……モーニング娘。もゆくゆくはそっちらへんのエターニティをもった名前にしていきたい、という考えもあった上での、あのよっすぃ~の男装だったというのか。


 2001~02年のモーニング娘。は、楽曲でいうと初めてリリースした中澤リーダー時代を網羅したベストアルバム『ベスト!モーニング娘。1』で自身最高の226万枚の売り上げを記録しています。女性アイドルグループでは最高のアルバムセールスとなったSPEEDのベスト盤『MOMENT』には、惜しくもあと5万枚とどかなかった! ま、どっちにしろ今から見ると夢のような数字なんですけど。でも、楽曲アルバム全体での最高記録となった宇多田ヒカルさんの1stアルバムは860万枚だっていうんだぜ!? どんだけ~。

 中澤時代に一区切りをうったモーニング娘。は、ごっちん在籍時代に12~15thシングルをリリースし、2002年最後のシングルとなる10月リリースの16thシングル『ここにいるぜぇ!』では、ごっちんという強力なエースの去ったあともモー娘。健在なりというパワフルな12名の勇姿を見せてくれています。さすがにミリオンというわけにはいかなかったのですが、引き続きこの時代のモーニング娘。も、「黄金期」と言ってさしつかえのない楽曲世界を展開していました。
 とにかく「10名以上いる」という声のぶあつさに、モーニング娘。ならではのアイドルグループらしからぬ迫力があっていいのですが、個性のガッチリついてきた1~4期の面々がほんとにバラエティ豊かで楽しいです。さすがに第5期はまだ見習い中といったところなのですが、高橋さんをはじめとして基礎はしっかりしています。
 ただ、だんだんとつんく♂ワールドが複雑になっていく傾向に入り、単純で口ずさみやすかった中澤時代にくらべておぼえにくい作品が続いた、ということはあったかしら。もちろんテンションの上がるダンスチューンもしっとり唄うバラードも変わらずツボをおさえてはいるのですが、まさに「集団戦法」といった感じで、悪く言うと「曲も歌い手もみんなが目立ちすぎてかえってみんなの印象がなくなる」という飽和状態に入っていたかと。歌ってむずかしいですね~!

 実際にごっちん最後のモーニング娘。時代の楽曲となるヒップホップを導入した15th『Do it Now!』では久しぶりにオリコン順位トップをのがしているのですが(次作『ここにいるぜぇ!』では再びトップに返り咲いている)、こういったことがあると「かれこれ3~4年続いたモーニング娘。の天下も、そろそろ……?」という空気が流れてしまうものです。

 しかし、ここで機能してくるのが、モーニング娘。ならではのバックアップシステム「ハロー!プロジェクト」なんですねぇ!
 要するに、モーニング娘。以外のハロプロ内アーティストを伸ばすことによって、それとの競合でモーニング娘。の人気とクオリティを維持し、最終的にはハロプロ全体のレベルを上げていくというシステムですね。
 こう言うと、大ブレイクしたアイドルグループの「妹分」アーティストをいっしょに売り出すというそれまでの他の芸能事務所のやり方といっしょですし、実のところ2000年までの時点でのハロプロも、モーニング娘。だけへの人気の一極集中におちいっている状態になっていたのです。

 ところが、2001年に歌手デビューしたあるハロプロ所属のソロアイドルのブレイクによって、状況は一変します。運命の神はハロプロにほほえんだ!

 はい~、言うまでもなく、あやや!! 松浦亜弥さんの登場でございますなぁ。

 前年2000年に開催された「第4回モーニング娘。&平家みちよ妹分オーディション」に優勝した松浦さんは約半年の準備期間をおいて2001年4月に1stシングル『ドッキドキ!LOVEメール』でデビューするのですが、携帯電話のメールのやりとりにおける恋愛の多幸感+ちょっぴり不安を見事に堂々と唄いきったその姿は実に鮮烈で、モーニング娘。の狂騒ともとれるにぎやかさについていけなかった人にもやさしいその単純明快さは大いにウケました。同じつんく♂さんのプロデュースなんですが、あややのほうが日常生活の描写でつづる歌詞が多くてわかりやすいのね。この時期のモーニング娘。は「愛」とか「平和」とか、ちょっと話がでかすぎかと。
 松浦さんのブレイク時期はだいたい2005年まで続くのですが、10代とは思えない肝の据わったパフォーマンスと歌唱力はまさに「THE アイドル」といった感じで、モーニング娘。以外としてはハロプロ初のビッグアーティストの登場となりました。

 でも、今回調べてみて気づいたんですけど、松浦さんって、シングルもアルバムもすべてあわせて、オリコンチャートで1位を獲得した経験がないのね(2011年6月時点)……心の底から意外でした。
 それでも、私は松浦さんにたいする「ソロとしては今のところ日本最後の国民的アイドル歌手」というイメージがものすごく強力にあるんですよね。
 「スターは記録じゃない」ってことなんですねぇ。ものまねもめちゃくちゃされてたし。主に男にだけど。

 このモーニング娘。との両輪体制となった「ハロプロソロアイドル路線」はあやや以降も続いていき、あややデビューの翌2002年には「スケートをしないほうのミキティ」こと藤本美貴も歌手デビューしているのですが、こののちミキティはあややよりももっと直接的な方法でモーニング娘。にかかわっていくこととなります。その手があったか。


 まぁこんなわけでして、いかに永久機関を目指すといえどもモーニング娘。の人気だけではそのシステムの生命線となる「追加加入オーディション」の求心力を維持することには不安があり、そのためにはあややのようにハロプロをささえてくれる第2第3の人気アーティストが不可欠だったわけなのです。

 そう考えてみると、この2001~02年から本格的に始まった「辻ちゃん加護ちゃん」のかわいい路線や子供向けレギュラー番組『ティンティンTOWN!』の開始など、一見「幼稚になった」ともとられたモーニング娘。の小学生向け戦略も、実はのちのちハロプロの直接の戦力になってくれるアイドルの卵を育てるという、十二分に重要な意義のある仕事だったわけだったのですな。
 実際にさっそく2001年に加入した第5期メンバーは13~15歳という低年齢でしたし、おかげで第5期の4名が加入した時期のモーニング娘。は平均年齢15歳という状況になりました。
 また、2002年6月に結成された小学生グループ「ハロー!プロジェクト・キッズ」も、ハロプロ研修生といった役割でのちに「Berryz工房」や「℃-ute」というアイドルグループに成長していますし、このころのハロプロは常に将来の展開までを視野に入れた活動をおこなっていたと見ていいでしょう。

 そして、その流れの一環として起こったのが2002年の7月末日に発表された「第1次ハローマゲドン」(これは通称で、発表したアップフロントエージェンシー自身がそう呼んでいたわけではない)だったわけなのですが、エースごっちんとサブリーダー保田の卒業にまだまだ活躍できる余地のあったタンポポやプッチモニの大幅な人員整理と、これはずいぶんと唐突で強引な改革であるように見えました。
 だいたいはごっちんのソロ活動だったりタンポポやプッチモニにココナッツ娘。やメロン記念日のメンバーが加入するという、いわば2000年から始めて好評を博しているシャッフルユニット企画のような、モーニング娘。の大人気をハロプロ全体に分散させる戦略の拡大版だったわけなのですが(「チャーミー」こと石川さんのカントリー娘。テコ入れ作戦もまさにそう)、結局はごっちんの卒業後最初の本格的な活動が「ごまっとう」だったためにソロ歌手としてのインパクトが欠けてしまったり、保田さんの主な卒業理由が扁桃炎の悪化だったことを公表しなかったために無用な憶測を呼んでしまったりして、どうにもよくない印象の残る改革となってしまいました。
 あと、それぞれ第3期メンバーに改編されたタンポポとプッチモニが以前ほど目立った活動をせずに自然消滅に向かっていったのも、なんとなくそれまでのモーニング娘。やハロプロの流れにいったんのピリオドをうつものとなったことは間違いありません。
 平家さんも、ひっそりとハロプロを去っていきましたしね……いろいろと大変だったろうのう。


 こんなわけで、依然として続くモーニング娘。の黄金期にのって、ハロプロ全体の世代交代と「モーニング娘。」というアイドルグループの永久機関化をくわだてるアップフロントエージェンシー。
 このあとはいったいどんな変革の路をたどっていくのでありましょうか? 以下次回!

 あやや、カムバ~ック。
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