長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

サスペンスの巨匠ヒッチコックのデビュー戦は、いかが!? ~映画『下宿人』~

2023年08月25日 19時00分07秒 | ミステリーまわり
 今日も暑かったな~!! みなさまどうもこんばんは、そうだいでございます~。本日も無事に過ごせましたか? 熱中症、大丈夫!?
 いや~、これ「残暑」って言うべきものなんですかねぇ!? ほんとに夏が終わってくれるのかどうか、はなはだ不安になる連日の暑さでございます。うちの地元では、若干朝夕しのぎやすくなったかな~ってくらいで、お盆前とぜんぜん変わらないんですがねぇ……
 ともあれ、今年2023年の夏も過ぎゆこうとしております。なんだかんだ言っても光陰矢のごとし。今年ももう後半戦ですか~。一日一日、健康に、悔いなく過ごしていきたいものですね。こちとら、来月以降の秋もいろいろと楽しみなスケジュールでうまってるんでい!

 さて今回は、自分の中でハッと思い立って、昨年の暮れくらいから個人的に始めたくわだて「黒澤明とアルフレッド=ヒッチコックのほぼ全作品を観てみる」から、記念すべきこの作品の感想記をば!!


映画『下宿人』(1927年2月公開 アメリカ公開版80分 イギリス)
 『下宿人( The Lodger A Story of the London Fog)』は、1927年に制作されたイギリスのサイレント映画である。

あらすじ
 毎週火曜日の夜に、必ず金髪巻き毛の美人女性を殺害する謎の殺人鬼「 THE AVENGER(復讐者)」による7件目の凶行に騒然とする帝都ロンドン。貸部屋業をいとなむバウンティング家に、入居を希望する謎の男がやって来る。

おもなスタッフ(年齢は映画公開当時のもの)
監督  …… アルフレッド=ヒッチコック(27歳)
助監督 …… アルマ=レヴィル(27歳 ヒッチコック夫人 新婚ほやほや)
製作  …… マイケル=バルコン(30歳)
原作  …… マリー=ベロック・ローンズ(58歳)
脚本  …… アルフレッド=ヒッチコック、エリオット=スタナード(38歳)
製作  …… マイケル=バルコン(30歳)

おもなキャスティング(年齢は映画公開当時のもの)
下宿人 …… アイヴァー=ノヴェロ(34歳)
デイジー=バウンティング …… ジューン=トリップ(25歳)
バウンティング夫人    …… マリー=オールト(56歳)
バウンティング      …… アーサー=チェスニー(45歳)
ジョー=ベッツ刑事    …… マルコム=キーン(39歳)


 ついに、正面切ってちゃんと観る時が来ましたか、この作品を! いや、そんなに思い入れがあるわけでもないんですが。

 まず、黒澤明とヒッチコックという取り合わせについてなのですが、まぁ要するに、「なんとなく世間的に有名なものを、ちゃんと観てないのにふわっと知った気になるのはよそう。」という気持ちと、「人生もどうやら半分を過ぎたみたいなんで、おもしろい監督の作品くらいは全作観てみよう。」という、ぬるっとした決意に基づくチョイスなのであります、はい。
 それで、黒澤明作品の方は30作なのでまぁまぁ全部観られる範囲ですし、もうすでに何回も観ている作品も多いので簡単そうなのですが(現時点でのマイベストはやっぱ『用心棒』!)、ヒッチコックさんの方はといいますと、黒澤明と同じくらいの約半世紀の作家人生の中で、その監督作数、53本!! さすがはサスペンスの巨匠であります。なんてったってサイレント時代からのたたき上げですから!
 ただ、ご存じの方も多いかとは思いますが、ヒッチコック監督はその全作がサスペンススリラーものというわけでは決してなく、そのキャリアの初期は、当時のベストセラー小説や戯曲を、文芸作やコメディ、メロドラマといった作風にこだわらずにポンポン無難に映画化するエンタメ職人監督という感じの方だったのです。今回私は、ソフト商品の形で手軽に入手できるヒッチコック作品を、いちおう最初っから順番に観ているのですが、肩の力を抜いてフフッと笑いながら観られる作品が、そのサイレント時代のキャリアには多かったかと思います。全般的にテンポはゆるめですけど、まぁそこは時代が時代ですからね。映画と言うよりは、たまたま TVをつけた時にやってたドラマを観ているような感覚でした。
 そんでま、この試みを始めて半年が経ったのですが、現時点ではヒッチコック監督の方は第12作『殺人!』(1930年)を観ているところです。一般に、ヒッチコック監督がサスペンススリラー専門になるのは第17作『暗殺者の家』(1934年)あたりからと言われていますので、まだまだヒッチコック監督の全盛期は遠いですね。もちろん、まだまだイギリス時代のモノクロ映画です。
 ちょっと、さすがに100年近い昔の映画なので見づらい部分も多いし、日本語訳ソフト商品が入手困難になっている作品もあります。そして、アマゾンレビューを読むだに買う気になれないタイトルもあるのですが……腐ってもヒッチコック監督作品ですので、さすがといいますか、非サスペンス映画でも、やっぱりおおっと目を見張ってしまう斬新なカット割りや演出は、どの作品でもちらほらあるんですよね。そこはやっぱり、すごい。
 現時点では、私が観たヒッチコック監督の非サスペンス系映画の中では、第9作『マンクスマン』(1929年)が頭一つ抜きんでて面白かったでしょうか。ラストカットの登場人物のむなしさに満ちたまなざしが印象的でしたね。

 さて、それで本題となるこの『下宿人』はといいますと、ヒッチコック監督としては第3作、初めてサスペンススリラーに挑戦した記念すべき作品となります。とはいえ、その後またサスペンス系を撮るのは第10作『ゆすり』(1929年)までしばらくお預けとなりますので、ヒッチコック監督にとって、この『下宿人』で「この路線でいこう!」みたいな気になった手ごたえは、正直言ってそんなには無かったのではないでしょうか。
 実は私も、この作品の存在自体はヒッチコックの人生を扱った伝記バラエティ番組(『知ってるつもり?!』とか『西田ひかるの痛快人間伝』とか。なつかし~!!)の中で必ず取り上げられるので幼い頃から知っていましたし、なにしろあの「切り裂きジャック事件」を元にした物語だそうなんですから! 興味がわかない訳がありませんよね。
 だもんで、なにしろ暇な時間がジャブジャブある大学生時代にこの『下宿人』も VHSビデオの形で入手しまして、あの伝説の作品をやっと手に入れたぞ~!なんて意気込んで、デッキにカセットをガチャコンと入れて観てみたんですよ。それが……

 ぜんっぜん最後まで観れない。必ず開始30分で眠くなっちゃう……結末の記憶がまるでない!!

 ビックラこいた……私、当時から『カリガリ博士』(1919年)や『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922年)といったサイレント映画は大好きだったので、多少の画質の悪さやテンポの悪さには耐性ができてるとふんでいたのですが、この『下宿人』だけはホンマ、眠くなって眠くなって……ぜんぜんダメだったんですよ。結局、一度もちゃんと観られないまま忘却の彼方に。

 それで、あの大学生時代のトラウマも薄れかけた2020年代の今になって、四半世紀ぶりのリベンジに挑むべく、あらためて DVDと、今作の原作であるマリー=ベロックローンズの小説(早川書房ハヤカワポケットミステリ版)を手に入れてのぞんだわけだったのですが……

 やっぱ、つらかった。80分間という上映時間の、長いこと長いこと!

 でも今回、6月ごろに入手したはずの『下宿人』のレビュー記事を、なんでまた夏も終わろうかという8月にあげてるのかといいますと、これは映画のほうじゃなくて、原作小説を読破するのに2ヶ月もかかっちゃったからなんですよ! こっちが、また難物だったの!!
 眠い、ひたすら眠い……私がトシになっちゃったことが一番大きいのでしょうが、2~3行読むとすぐに眠くなっちゃうの。まさか、1987年に翻訳された文章が、これほどまでに読みにくいものであるとは……いや、訳文が下手とかじゃなくて、少なくとも私の感覚的には「そこ、そんなに掘り下げる必要ある!?」みたいな回想とか人物描写に異常に文章を割いてる脱線のオンパレードのような気がして、とにかく読むのが苦痛になっちゃうんですよね。いや~、そもそも私、若かった大学生の頃から、ヴァン=ダインとかエラリイ=クイーンの創元推理文庫版とか翻訳ミステリを読むの苦手だったからなぁ。
 まぁ、とにもかくにも最近になってやっと原作小説も読み終えましたので、やっとこさ『下宿人』のレビューに入ろうかという段階に入ったわけなのでした。でも、苦労して原作小説を読んだ意味は、ちゃんとあった! だって、原作小説とヒッチコック監督版って、内容ぜんぜん別ものなんだもん!! いや~これはビックラこいた。作品それぞれの内容よりも、両者の違いの方が断然おもしろかったりして。

 そこらへんの原作小説の話は後にしまして、まずはヒッチコック監督版を単体で観て気になったポイントだけを、ずらずらっと羅列してみましょう。
 眠くなるとかテンポが悪いとか散々言っておりますが、でもまぁ、ほぼ100年前の映画ですから、しょうがない部分は多いですよね。むしろ、ちゃんと腰を据えて観れば、評価すべき点は充分にありますよ、ええ。

≪注意! ここからはヒッチコック版および原作小説版『下宿人』のオチに触れる内容がズビズバ出てきます。未見未読の方の中で、これから作品を楽しむ予定のある方は、以下の文章を読むことはお勧めしません! 楽しんでから読んでください!!≫


・エドワード=エルガー『行進曲 威風堂々』(1901年初演)が盛大に流れて始まる DVD版。こういうサイレント映画の音楽選曲って、誰がやってるんだろう。DVDの製作会社が全責任を負っているのか?
・ロンドンでの電話ボックスの普及は1926年から(コンクリート製の電話ボックスは1920年から運用開始)。それがさっそく登場している。
・本作のモデルとなった「切り裂きジャック」による連続殺人事件は1888年に発生した。確実な犯行は5件、可能性のある犯行も含めると11件(1891年まで)。原作小説『下宿人』は1913年刊行。
・広告ネオンのように明滅する字幕、鏡に写ってゆがむ顔、人間の目のように見える新聞紙輸送車のリアウィンドウ、口をポカーンと開けてラジオに夢中になる若者、金髪の女性を狙う復讐者対策のために黒髪の付け毛をして帰宅するモデルなどなど、いろいろと印象的なカット演出が。
・記者の電話、新聞社のタイプライター、大手新聞紙の巨大な印刷輪転機、街頭の電光字幕ニュース、ラジオの全国ニュース、モードファッションショーといった当時最新の都市文化が出てくる。
・扉に迫る影から映すテクニック、室内のガス灯の光量が少なくなる演出、下宿人の玄関登場シーンのカット割りの異常な細かさ。
・動作が異様に緩慢な下宿人のミステリアスな演技。
・電気のついていない暗い部屋の中に一瞬、外を走る自動車のライトが差し込んで明るくなる演出が細かい。
・金髪の美人画や人の声を過剰に嫌悪する下宿人、中性的な容貌、大切にしている往診カバンの謎。
・1ヶ月分の宿代をいっきに払う、気前のいい下宿人。下宿人に一目惚れしたらしいデイジー。
・復讐者の逮捕に異常に自信満々な刑事ジョー。もう7人死んでるんですが……
・有名な二階の下宿人の透明床シーン。
・火かき棒を握る下宿人のショットでシーンが切り替わる演出が、実にヒッチコックらしい。
・公務用の本物の手錠で恋人にからみまくる刑事ジョー……現代だったら懲戒免職モノじゃない!?
・自室の暖炉の上に硬貨を放り投げ、金銭にあまり頓着しない下宿人。ドレスのプレゼントもなんなくできる。
・深夜11時30分に下宿を抜け出す下宿人。しかし、30分後には帰ってきたとバウンティング夫人は語る。
・吹き抜け階段の上から、手すりをつたう下宿人の手首だけが見えるショット。
・切り裂きジャックと違い、毛皮のコートを着た婦人も被害者にする復讐者。
・あくびが何往復もうつるバウンティング夫妻。
・デイジーの絶叫を聞いて下宿人の部屋に押しかける刑事ジョー。しかし、その理由は……
・ふだんはボーダー柄のベストを着ている下宿人。冷徹な表情のわりにポップなファッションセンスでかわいい。
・後ろめたいことのない人間でも、借りている部屋に勝手に知らない男があがりこんできたら怒ると思うが、ましてやその男の職業(警察官)を知ってしまえば……解約どころか刑事ジョーの責任問題では!?
・デイジーに逢いにファッションショーに来た下宿人をゲットしようとして失敗するモダンガールの悔しがり方が、ちょっと粋で面白い。
・深夜に徘徊する下宿人への疑心から、彼がデイジーに贈ったドレスを箱ごと突き返すバウンティング夫妻。
・シャワールームの扉ごしの下宿人とデイジーの会話シーンは、当時としては結構攻めていたのでは?
・下宿人とデイジーの仲直りデートの出発が、雨のために遅くにずれこんでいるという伏線が用意周到。
・おそらくは公務の警邏中にデイジーと下宿人のデートに出くわし、ショックで復讐者の捜査どころじゃなくなる刑事ジョー。こいつ……!!
・下宿の部屋に戻ったデイジーと下宿人のラブシーンが、キスまでたっぷり2分もかけるという粘着質な構成。デイジーからの目線で、スクリーンいっぱいに迫る下宿人の顔が、いくら美形とはいえキツい!!
・証拠品はいっさい無いはずなのに、完全な私怨で下宿人を逮捕する刑事ジョー。令状、よく出たな!
・ガサ入れの結果、部屋の鍵付き金庫から復讐者の犯行現場をメモしたロンドンの地図や事件記事の切り抜きを入れた往診カバンを発見して、確かな手ごたえを感じる刑事ジョー。しかし下宿人が、カバンに一緒に入っていた復讐鬼の第1の犠牲者の写真を指して「妹だ」と語った瞬間に、あからさまに「あ、やべ……」という表情になるのが、なんとも正直でよろしい。
・クライマックス前に語る下宿人の回想から、復讐者が完全に上流階級の女性を狙っていることと、下宿人がダンスパーティに家族(母と妹)で参加できるという相当な身分の人物であることがわかり、物語はサスペンス映画と言うよりは伝奇ロマンス映画の様相を呈してくる。この構造は、『緋色の研究』や『恐怖の谷』的な探偵小説の古態を連想させるものがある。そこはやっぱ、1910年代の小説よね。
・パブの電話を借りた刑事ジョーの警察連絡を小耳にはさんだ客達が義憤に駆られて下宿人狩りに乗り出し、あっという間に暴徒と化してしまうさまと、その直後に下宿人が復讐者でないことが明らかになるくだりが非常にスピーディでうまい。さすがですわ。
・刑事ジョーが、「急げ、大変なことになるぞ!」と部下にあごで指示してパブを出るしぐさが、今までの愚行の数々から一転してカッコいいだけに、めちゃくちゃ腹立つ。誰のせいでこうなったと思ってんだコノヤロー!!
・かなりの数の群衆が下宿人のリンチに殺到するシーンでヒッチコック監督自身もエキストラとして出演しているのだが(本作では2回目の登場)、セリフこそないものの、わりとど真ん中の位置に陣取って「あいつ、復讐鬼じゃなかったのか……」という反応の演技もしているのが珍しい。しかし、若いな~!
・エンディングの「 ALL STORIES HAVE AN END(めでたしめでたし)」という字幕の後に、ちゃんとハッピーエンドのおまけも付いているのが粋である。ここで、やっぱりこの作品がロマンス映画であることがよくわかる。窓越しにちょっとだけ見えるロンドンのネオンが、またいい。


 とまぁ、こんな感じなんですけれども、とにかく驚いてしまうのは、この作品において、帝都ロンドンを恐怖のどん底に叩き込んだ殺人鬼「復讐者」の正体は、まるで明かされないという点なのです。それどころか、クライマックス直前に登場人物のだぁれも知らないロンドンのどっかで捕まっちゃってるという! エンタメ映画の展開として、そんなのあり~!? OSO18じゃないんですから、あーた……

 つまるところ、このヒッチコック版『下宿人』の最大の特徴は、「サスペンス映画ではあるがミステリー映画ではまったくない。」という、この一点に尽きます。突然ふらりとやって来た下宿人の正体が殺人鬼なのか?というハラハラ要素は十二分に効いていますし、クライマックスにおいて「殺人鬼じゃなかった!」と判明した下宿人の救出に向かう登場人物たちが、果たして間に合うのか?という展開も非常にドキドキものなわけですが、ふつう「切り裂きジャックの映画やるよ~。」と聞いたら、お客さんの9割9分が興味を持つ「殺人鬼の正体は?」という問題は、ビックリするくらい華麗にスルーしてしまっているのです。なので、はっきり言ってこの作品は、いいとこ『切り裂きジャック外伝』、感覚としては『切り裂きジャックこぼれ話』といったポジションにとどまる異色作なのではないでしょうか。
 お話の筋の他にも、「切り裂きジャック事件の映画化」と聞いてこの作品を観た人がまず違和感を覚えるものとして、この映画が撮影された1920年代の最先端文明が、冒頭から意図的に多用されていることも挙げられます。「復讐者また犯行」というニュースを聞いて記者が公衆電話を利用して報告し、それを記事に載せた新聞が大量に印刷され、朝イチでロンドン中の売店に配るべく配送トラックが市内を爆走するというくだりは、切り裂きジャック事件の発生したヴィクトリア朝では見られなかったスピーディな風景ですよね。原作小説『下宿人』でも、確かに新聞というメディアの重要性は言及されているのですが、どっちかというと「かわら版」のような悠長な空気が漂っていました。

 こんな感じの、実に近代的でヒッチコック的な冒頭シークエンスを観るだに、私は「これ、切り裂きジャックの時代じゃないよな……?」と強く感じたわけだったのですが、逆に終盤に判明する下宿人の正体と、その下宿人と真の復讐者との因縁、そしてすべてが解決したのちの、下宿人とヒロインとの甘ったるいにも程のある結末といったつれづれは、ディズニー系のおとぎ話かと見まごうご都合主義にまみれており、ロマンあふれる「貴種流離譚」の典型となっているのでした。この、最先端の時代に展開されるベッタベタなロマンスという感じが、実にトレンディで韓流……
 こういった点から見ても、この『下宿人』という作品は、「サスペンスの巨匠の記念すべき実質第1作」というしゃっちょこばった肩書は決して似合わず、「器用なプロが売れ線目当てでやってみたハラハラドキドキもの」というくらいの扱いでよろしいのではなかろうかと思うわけなのです。
 そう考えてみると、男である私から観たら「誰得!?」としか思えない、あの下宿人のキス顔アップの長回し接写も、観客が女性層メインであることを想定したからに他ならず、美形でお財布にも余裕のありそうな下宿人をゲットしそこねて悔しそうにするモデルっぽい女性というモブキャラ造形も、いかにも同性ウケのしそうなギャグカットですよね。
 あと、ヒロインのデイジーの職業が「ファッションモデル」というのも、実に先鋭的です。物語が始まると、結局そこら辺の要素は薄まってふつうに下宿で下働きをする物静かな女性に収まってしまうのですが、ヒロインの生き方にあこがれを抱く女性も多かったのではないでしょうか。それでしまいにゃ、ああいうご身分の彼氏とねんごろになっちゃうんだもんねぇ。理想的な玉の輿ストーリーですよ。

 こういう風にヒッチコック版『下宿人』の印象を整理してみると、これって、今でいう「女子中高生中心のカップル向け青春恋愛映画 or ホラー映画」とまったく同じ需要にこたえた作品なのではないかと思い当たるわけでして、監督の個性や思想というよりは、完全にニーズ重視で作った「商業映画」のお手本のような作品であろうことを確信せずにおられません。筒井康隆先生でいうところの『時をかける少女』だ、こりゃ!

 ただ、さすがそこはヒッチコックといいますか、そんな中でも下宿人のファーストカットを筆頭として、100年経った今でも絶対的にセンスの良いカット割りの技術は随所に見られます。ただ短いカットを連続させるだけでは目が疲れるだけですが、カットそれぞれに意味のある要素(開くドア、下宿人の全身シルエット、おびえるバウンティング夫人の表情など)があり、それらの連続で周辺情報と観る者の注目が集約されていき、最後に「観たいもの(下宿人の顔のアップ)」がドーン!と画面に現れるという、観客の渇望と充足のツボを的確につかんでいる映像感覚は、ちょっとこの才能が政治的なものに利用されたら怖いぞ……とゾッとしてしまうくらいの鋭さに満ちているのです。この時、ヒッチコック若干27歳! この青年がイギリス生まれで、ほんとによかった。
 すごいなぁ。もうこの時点で、後年の『サイコ』(1960年)のシャワーシーンとほぼ同じレベルのスピード感ができあがってるんだもんなぁ。こういうのを見ちゃうと、あの歴史的怪SF『フェイズ4』(1973年)を世に出したソウル=バスの肩も持ちたくはなりますが、やっぱヒッチコックに軍配が上がりますよね。
 そういえば、『サイコ』でもヒッチコックは、序盤から観客の興味を引きまくっていた「マリオンが持ち逃げした現金4万ドル(-中古車代)の行方」というサスペンス要素を、いとも簡単にぽいっと捨てちゃうんですよね。そこらへんの、観客の心理状態をわかったうえで繰り出す裏切りセンスは、ほんとに『下宿人』の頃から変わってないんですねぇ。

 この他にも、ヒッチコック版は「透明な二階の床を歩く下宿人を一階から見上げる」という伝説的なカット挿入も有名ですし、一定の見ごたえのある作品にはなっています。なってはいるのですが、そこはやっぱり甘~い味付けの当時はやりのエンタメ作のひとつという但し書きは忘れてはならず、間違っても「映画史上に残る巨匠のサスペンス第1作!!」という惹句を鵜吞みにして期待値を上げてはいけないのではないのでしょうか。

 そんなな感じで、ヒッチコック版『下宿人』を観た感想はここまでなのですが、ここからは、マリー=ベロックローンズの原作小説『下宿人』(1913年刊)について、ちょっとだけ。

 私、大学時代にヒッチコック版『下宿人』を観てからず~っと気になってたのが、「こんなミステリ要素皆無の作品が、なんでイギリス推理小説史上に残る名作と評されているのか?」という点だったんです。だって、はっきり言って謎解きしてないじゃん! なんなら切り裂きジャック関係ないし!
 でも、これは原作小説からすれば完全事実無根なとばっちりで、原作小説の内容は、ヒッチコック版とはまるで違うんです。ほんと、登場人物の頭数が同じだけで、そのキャラクターも時代設定も、話の流れも結末もぜ~んぶ別もの! これを見比べちゃうと、キューブリック版の『シャイニング』(1980年)とか市川崑監督版の『獄門島』(1977年)やら『八つ墓村』(1996年)がかわいく見えてきちゃう。

 まず、原作小説は1913年ですから、ヒッチコック版の公衆電話やらファッションモデルやらは出てくるわけがありません。そして、物語の主人公は下宿を切り盛りしているバウンティング夫人であり、ヒッチコック版でヒロインを務めていたデイジーは登場こそするものの、バウンティング夫人の夫と先妻との間の子という微妙な距離感のある関係にあるため夫人とは同居しておらず、普段住んでいる伯母(夫人の夫バウンティング氏の姉)の家で感染症がはやったために一時的に夫人の下宿に住み込むという設定になっているのです。したがって、デイジーが下宿にやって来るのは下宿人(原作では「スルース」という名前がある)が来てだいぶお話が進んでからで、当然、ロンドン警視庁勤務のジョー刑事(原作では「ジョー=チャンドラー」という名前)と恋仲になるのも下宿に来て以降になるので、ヒッチコック版の序盤から観られていたような「むしろ倦怠期になりつつある半婚約状態」になどなっておりません。
 そして、最大の違いは何と言っても下宿人スルースの正体とその結末で、原作版のスルースは「きわめてクロに近いグレー」といった感じの扱いで、ある偶発的に起きたアクシデントをきっかけに何の前触れもなく下宿から姿を消して、「あの下宿人は、いったい何者だったんだろう……?」というバウンティング夫人の感慨をもって、物語は終わってしまうのです。もちろん、殺人鬼「復讐者」も逮捕されずじまいです。

 え、えぇ~!? 違う、何もかもが違う! もうこれ、ヒッチコック版は「映画化」じゃなくて「パロディ映画化」ですよ! 原作者のベロックローンズさんも、よく許可したな!

 こんな感じの筋立てなので、ヒッチコック版がミステリーじゃないのとは全く別の意味合いで、原作小説もまた、ミステリーではありません。だって、「復讐者」の正体はわからずじまいなんですからね。ただし、かなり肉薄するところまで状況証拠はそろい、バウンティング夫人の下宿人スルースへの疑惑は高まっているので、「最後の答え」が無いだけでミステリーとしては充分に成立しているとも、原作小説に関しては言えるとも思います。
 それよりも印象的なのは、自分よりも「先妻との間にできた娘」デイジーを大切にしている夫への複雑な思いや、体面的にデイジーに優しく接しなければならないという道徳観に無言の圧力を感じていたり、普段のたたずまいは知的かつ紳士的な下宿人スルースを殺人鬼の可能性があるとして疑いながらも、金払いのいい客としての恩もあるという「ストックホルム症候群」みたいな秘密の共有関係を持ってしまうバウンティング夫人の心理状態の彫りの深さがものすっごく現代的で、そういう心理小説という意味でも、原作小説の『下宿人』は、イギリス文学史上に残る名作であると思うのです。これは間違いない! 新訳版、早川さんか創元さんで出してくんないかなぁ!?

 『下宿人』における原作小説版とヒッチコック版の異様な相対関係は、実に興味深いですね! 原作小説の方が前近代的なはずなのにあいまいな物語の結末も登場人物の心理描写もかなりモダンで、ヒッチコック版の方が20世紀的なお膳立てなのにむちゃくちゃ古臭くて子どもだましに見えてしまうのです。「時代に寄り添うエンターテインメントとは何なのか?」という問題を思い起こさせる好例だと思います。

 いや~、こういう知見を得るためにも、やっぱ原作小説はちゃんとチェックしとかなきゃいけませんわな! にしても、読むのに2ヶ月かかっちゃったよ……
 さぁ、こうして始まりました「ヒッチコックほぼ全作コンプリート計画」、こんどレビューするのは第10作『ゆすり』になりますかね! 故きを温ねて新しきを知る旅になりそうで、非常に楽しみであります! 肝心かなめの『サイコ』にいたるのは、一体いつのことになるのやら……

 あらためて思いましたが、ヒッチコック映画はミステリーじゃありませんよね。とにかく徹底的にその場のスリラー展開にこだわる、その即物性! しかし、その即物性が100年を超えるエターナルな魅力になっているのだ……

 いや~、映画って、ホンッッッットに!! すばらしいもんですねェ。それじゃあまた、ごいっしょに楽しみましょう~。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

狂犬か!? 小林版犬神家、いろいろ噛みつきすぎ!! ~『犬神家の一族』2023エディション~

2023年04月30日 22時31分49秒 | ミステリーまわり
 ゴールデンウィーク!! みなさま、どうもこんばんは、そうだいでございます。
 いや~、皆さんいかがですか、ゴールデンウィークですよ。奇跡の9連休いただいてる方、いらっしゃいますか? 幸せそうですねぇ。
 私はと言いますと、カレンダー通りに月火はお仕事があるので飛び石連休になっちゃうんですが、でももう40歳を過ぎちゃうと、度を過ぎる連休も逆にキツくなっちゃうんですよねぇ。やることも無くなってきちゃうし、第一、仕事が始まる初日というか、その前日の連休最終日の気分がロー&ローになるのがイヤでイヤで、ほんとイヤ! なので、まぁまぁこのくらいでいいかなぁって感じですね。
 ゴールデンウィークと言えば、昨年はわたくし、山形県の米沢市に行って、あの伝統の「上杉まつり」の川中島合戦再現に参加したのですが、まことに遺憾ながら、今年はお客さんとして観に行くつもりです。応募締め切りを完全に見逃しちゃって……来年こそは、再びいくさ場へ!! 身体の備えは万端だったのになぁ。それにしても、合戦の日の米沢ってほんとに天気がいいですよね、毎年毎年! 昨年は寒いくらいに風が吹いていましたが、確かにピーカンでした。

 さてさて、今回の記事はお待ちかね、全国800万人くらいの横溝正史ファンが首を長~くして楽しみにしていた、まさしく黄金週間の口火を切るのにふさわしいビッグイベントを目の当たりにしての感想記でございます。
 いや~、定番中の定番、もう見飽きたよってくらいに展開が読めている超メジャーな作品といくら言っても、やっぱ、最新バージョンをやるとなったら、観ちゃうよねぇ。実家に帰ったような安心感というか、『金曜ロードショー』でジブリ作品を観るような「しあわせ」に包まれながら鑑賞いたしました。

 だが、しかし……!?


ドラマ『犬神家の一族』(2023年4月22・29日放送 NHK BS プレミアム 180分)
 34代目・金田一耕助 …… 吉岡 秀隆(52歳)
 16代目・磯川常次郎 …… 小市 慢太郎(54歳)

 『犬神家の一族(いぬがみけのいちぞく)』は、横溝正史の長編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の一作で、1949年12月~51年4月に連載された。
 本作を原作として、これまで映画3本・TVドラマ8本(2023年版を含む)・舞台2作が制作された。また、コミカライズもされている。
 作者自身は本作を、「金田一もの自選ベスト10」の第3位に推している(第1位『獄門島』、第2位『本陣殺人事件』、第4位『悪魔の手毬唄』、第5位『八つ墓村』)。
 2016年から NHKが制作を手がける「金田一耕助シリーズ(長谷川博己版『獄門島』、吉岡版『悪魔が来りて笛を吹く』、同『八つ墓村』)」の第4弾として前・後編形式で放送された。
 今回の2023年ドラマ版の内容についてはおおむね原作どおりであるが、主に以下のような変更点がある。

・犬神家の三姉妹やその子たちは戸籍上は佐兵衛の親族とみなされておらず、佐兵衛の遺言で規定されなければ相続権が無い。
・岡山県警の磯川警部が栄転して長野県警の那須署長になっている。
・冒頭で転覆しかけたボートから珠世を救出するのは金田一で、猿蔵は間に合っていない。
・犬神佐武の殺害現場が原作小説の犬神邸の那須湖畔に面した展望台でなく、湖岸の庭地になっている。
・金田一は手形押捺の場にはおらず、その時は佐武の胴体を運んだボートを別のボートで探して発見し、電話を借りようと旅館柏屋を訪ねたところ、復員兵の情報を尋ねていた磯川署長たちに遭遇していた。
・犬神佐智の遺体の状況が原作小説と異なる。また発見された廃屋は那須湖畔の単なる空き家ではなく、佐兵衛が青沼菊乃を住まわせていた家だった。
・原作小説と違って佐智は以前から珠世に好意を寄せており、そのために物語の冒頭で珠世に加えられた数件の危害事件の犯人が原作小説と異なる。
・佐智の遺体発見後の物語の重要な展開の順番が原作小説と異なる。
・原作小説と違って青沼静馬は母・菊乃を幼い時に失っており、犬神家への恨みを動機に行動していない。
・生後間もない静馬に火傷を負わせたのは原作小説では犬神梅子だが本作では松子になっており、そのことがきっかけで松子は静馬の正体に気付く。
・一連の事件の解決後、金田一はある人物の行動に疑問を抱き、その人物と対話するエピソードが付け加えられる。

主なキャスティング
犬神 松子   …… 大竹 しのぶ(65歳)
犬神 竹子   …… 南 果歩(59歳)
犬神 梅子   …… 堀内 敬子(51歳)
犬神 佐清   …… 金子 大地(26歳)
犬神 佐智   …… 渋谷 謙人(34歳)
犬神 佐武   …… 今井 悠貴(24歳)
犬神 小夜子  …… 菅野 莉央(29歳)
犬神 寅之助  …… 遠山 俊也(60歳)
犬神 幸吉   …… 坂田 聡(51歳)
野々宮 珠世  …… 古川 琴音(26歳)
猿蔵      …… 芹澤 興人(42歳)
古館 恭三   …… 皆川 猿時(52歳)
若林 豊一郎  …… 松川 尚瑠輝(なるき 31歳)
大山 泰輔   …… 野間口 徹(49歳)
宮川 香琴   …… 田根 楽子(76歳)
犬神家の女中  …… 野々目 良子(46歳)
吉井刑事    …… 大津 尋葵(ひろき 36歳)
沢田刑事    …… 永沼 伊久也(31歳)
藤崎鑑識課員  …… 木原 勝利(41歳)
志摩 久平   …… 川島 潤哉(43歳)
那須ホテルの女中・加代 …… 久間田 琳加(22歳)
那須湖の船着き場の管理人 …… 華井 二等兵(45歳)
野々宮 大弐  …… 柾 賢志(38歳)
野々宮 晴世  …… 羽瀬川 なぎ(24歳)
青沼 菊乃   …… 喜多 乃愛(22歳)
犬神 佐兵衛  …… 栗田 芳宏(65歳)
せつ子     …… 倍賞 美津子(76歳)

主なスタッフ
演出 …… 吉田 照幸(53歳)
脚本 …… 小林 靖子(58歳)


 はい~、というわけで、なんだかんだ言って、令和の御世にも数年に一度のペースで映像化されている「金田一耕助もの」作品の中でも、とりわけ世に出る機会の多いビッグタイトル『犬神家の一族』、ついに11度目のバージョンのご出来でございます。
 我が『長岡京エイリアン』でもたびたび取り上げているように、横溝正史先生の金田一耕助シリーズの中で映像化の最多を争っているのは、今回の『犬神家の一族』と、10回映像化された『八つ墓村』の両巨頭でありまして、特にここ数年来は、2018年にフジテレビで加藤シゲアキ金田一版の『犬神家』が来たと思ったら2019年に吉岡金田一版の『八つ墓村』、そうかと思ったら2020年にまさかの池松壮亮金田一で30分の短縮『犬神家』と、あたかも映画『ロッキー』のロッキー=バルボア VS アポロ=クリード戦を彷彿とさせる激しい打ち合いを繰り広げているのです。となると、次は池松金田一による30分バージョン『八つ墓村』ということになってしまうのか……!? やめて~! そんなおふざけやってるヒマがあるんだったら、私の大好きな『三つ首塔』を映像化してやってよ!! 全身黒タイツオトネ~!!

 ともあれ、令和に入って数年、今もシリーズ継続の気炎を吐いているのは、どちらも NHK BS プレミアムで制作されている吉岡金田一の長編ドラマシリーズと、池松金田一の短編ドラマシリーズにとどまっているのですが、そのうちの吉岡金田一による『犬神家の一族』が、満を持して今回、2夜連続計180分という大ボリュームで誕生したわけだったのです。前回映像化された池松金田一版の6倍の長さよ!? あらためて、池松版の「30分で『犬神家』」という企画の異常性が際立ちますね……

 ただ、今回の吉岡金田一版を最後まで観てみますと、果たしてほんとうに「異常」なのはどっちなのかと!
 見終えてから数日う~んと首をひねりまくり、「なんであそこ、そうしたん!?」と思いを巡らすだに、かつて映像化された諸バージョンの『犬神家』、例えばド定番の1976年石坂浩二版もそうですし、池松版、加藤版、そして、犯人の演技インパクトがもはや伝説の域にまで到達しているわたくし個人的にベスト犬神家の2004年稲垣吾郎版でさえもが、「あぁ、ふつうに原作小説を映像化してくれていたんだな。」と感じてしまうものがあるのです。

 おかしい! 今回の『犬神家の一族』は、な~んかおかしいぞ!!

 いやいや、横溝先生の金田一ものに限った話でなく、小説の映像化なんて、いろんな事情により「あ、そこ、そうするんだ。」という意図的なアレンジ、改変はあって当たり前の話ですし、今回もや~っぱり映像化されなかった「スキー板を履いた金田一耕助の雪山チェイスシーン」が示す如く、100% 小説の文面を映像化することなんてどだいYS 無理な話なんであります。
 ですので、多少、原作小説と違った解釈や、登場人物の行動の変更があったって全然問題ありませんし、ましてや金田一シリーズの場合、推理小説である以上、物語の根幹に関わってくるはずの「犯人が誰か」までもが、「小説と違ってたらお客さんがびっくりするから。」というムチャクチャな動機でゴリっと改変されてしまうことだって、けっこうあったわけなのです。しかも、横溝先生のご存命中に……いや~、こういうのをニコニコして「よろしいんとちゃいます?」と寛恕していた横溝先生は、ほんとうに仏さまだ!!

 ただ、今回の吉岡版『犬神家』における、特にラスト45分になってからの「あれ、あのイベント、この後にやるんだ?」という微妙な違和感から始まるドミノ倒し式の改変は、まさに観終わった後の印象を、これまでのどのバージョンとも違う「ビョーキとしか思えない」狂ったものにしているのでした。もちろん、原作小説を読んでもこんな読後感には普通ならないと思うので、そういう意味では、今回の吉岡版は、ドラマが始まってからほぼ4分の3ほど原作小説に忠実ですよ~みたいな顔をしておきながら、ラスト4分の1になって突如として全く異なる表情を見せて牙をむいてくるという、オオカミに先祖返りしたかのような狂暴きわまりない別作品に変貌してしまっていたのです。前回の池松版は、チャカチャカうるさいながらもかわいげのあるチワワみたいな『犬神家』だったのに、なぜ!?

 この異常さの原因はもう、「脚本・小林靖子」、脚本・小林靖子!! この一点につきますよね。アマゾォオン!!

 現在の日本特撮&アニメ界において、不動の地位を築く大脚本家・小林靖子。その業績のすさまじさ、特異さは、もはや言い尽くされている感もあるのでいちいち触れません。というか、実は私も全作品を観ているわけではなく、むしろどっちかというと門外漢に近い疎さなのですが、そんな私でも、あの伝説『仮面ライダーアマゾンズ』2シーズン(2016~17年)で心の臓を見事に射抜かれてしまいました。とんでもなく過酷な設定のオンパレード! それなのに、なぜか憂鬱な気分にならない、登場人物ひとりひとりの生きようとする魂の輝き!! 小林作品は、観るのにそれ相当なエネルギーを要しますが、それに倍する衝撃と感動を呼び覚ましてくれる世界なのです。

 そんな小林さんが、ついに金田一耕助ものを手がける! 期待感は嫌がおうにも高まりますが、NHK 金田一長編シリーズの4作目から途中参戦する形になるので、いったいどんな影響をシリーズに与えるのかが、非常に気になるところではありました。
 その結果として、今回の吉岡……というか小林版『犬神家』は、「はいはい、役割わかってますよ~。わかってるっつってんだろがオラァあ!!」みたいな気迫をムンムンにさせて、いろいろやたらにアグレッシブな作品に仕上がっていたのではないでしょうか。ラスト4分の1で、いきなり展開にオリジナリティが入ってくるんですよね。
 ただそのオリジナリティは、非常にさりげなく、かつ巧妙に差し込まれてくるもんですから、過去の映像化作品を何作か観ている人には「ん~? なんか違う感じかな?」とにおわせる程度ですし、原作小説を読んでいる人も「あれ、この人、そんな感じだっけ?」と、思わず本を読み返してしまうような自然な感じなのです。きわめてサイレントに、横溝先生の『犬神家』が小林靖子の『犬神家』になりおおせている!

 原作小説と小林版との見た目上の差異は先述した通りなのですが、特に私が注目する小林オリジナルのポイントは以下のとおり。

1、冒頭の野々宮珠世に対する諸々のいやがらせが、犬神佐兵衛の遺言書と全く関係の無い動機で行われている。
2、犯人が若林殺害を決意したきっかけが違っている。
3、犬神佐清が確保された経緯がオリジナル展開。
4、青沼静馬が犬神家に接近する動機が違う。
5、なにはなくともエピローグの対話シーンの追加!

 最初に、我が『長岡京エイリアン』としての、今回の小林版に対する姿勢をはっきり言ってしまいますが、

おもしろいけど、やや空回り気味か。原作小説の良さとケンカしている部分多し!

 という感じになります。
 字数の関係もありますし、今回の作品を観て良いと感じたところ、良くないと感じたところを逐一並べ立てるわけにもいきませんので、私がこれからメインで触れたいのは脚本のことになります。なので、もう一方の俳優さんがたの演技についてのことを先にざっくり言ってしまいますと、まず松子役の大竹さんと金田一役の吉岡さんの存在感と実力は、本当に素晴らしかったと思いました。
 かつて、天下の珍品と謳われるサイコホラー映画『黒い家』(1999年 監督・森田芳光!)で、あんな大爆発っぷりを見せつけ、蜷川幸雄の『メディア』をはじめとする多くの演劇作品でも凄絶かつパワフルな演技を見せつける大竹さんですから、むしろ今まで松子やってなかったんだ!とビックリしてしまうほどジャストフィットなキャスティングなのですが、あえてそこらへんの猛獣性を、最後の最後の佐清との会話まで抑えていたところに、大竹さんらしい勘の鋭さを感じました。やろうと思えば、最初っから最後まで母性だだもれの鬼子母神みたいなキャラにもなりかねない松子をあえて抑制させて、今目の前にいる仮面の男が本当に佐清なのか信じきれないでいる、実に人間的な「揺れ動き」を濃厚に漂わせるからこそ、今回の松子は一瞬たりとも目を離せない緊張感と人間臭さをはらんでいるんですね。やや天然っぽいチャーミングさのある高峰三枝子さんや、堂々たる女優力で押し切る三田佳子さんとは全く違う令和の松子像を打ち出していたと思います。ラストカットの、列車中での哀しそうなまなざしが最高でしたね。
 吉岡さんのほうは、もう、ね……吉岡さん専売特許の「目の動きが超怖い金田一」が、今回の小林脚本によって、あの長谷川博己版『獄門島』の金田一像ともリンクして、サイコっぽい方向に怖さを深化させている気がしました。あの、クライマックスの事件解明シーンでの、泣き叫ぶ梅子に対して笑いながら言う「あの、この先こういう話ばっかりなので~草」というセリフに象徴される、気遣いに全然なってない気遣いのしかたね! 金田一が周囲の人達から浮いてしまう原因は、生き方が不器用だからではでなく、もしかしたら人間性の欠如から来ているのではなかろうかと思わせてしまう言動の危険さ、笑い方の気持ち悪さに、吉岡さんの金田一解釈の現代性を感じました。「金田一は天使」などとのたまっていた市川崑監督がご存命だったら、いったいどう反応されていたことやら……天使のような悪魔の笑顔!! 宝生舞さんはおげんきでせうか。

 その他のキャスティングに関しても言いますと、やはり、原作小説でどどどんと「第一章 絶世の美人」とまで作者に太鼓判を押されていた珠世さんを古川さんが演じているという点が物議をかもしているようなのですが、そりゃまぁ、美人の基準は人それぞれでありますので……ここにも「横溝ワールドのロマン成分を親の仇のように除去する吉田演出」の端緒を観た思いがしますね。それなのに、那須ホテルの女中さんだけは1976年版を踏襲してやけにかわいいという、このアンビバレンツさ加減よ……関係ありませんが、女中さんは出てきても那須ホテルの番頭さんは画面に登場しないという部分に、そこはかとない大横溝への配慮を感じました。三谷幸喜がしゃしゃり出てくる余地は1平方mm もございません。
 古川さんに同じく、原作から大幅にパワーダウンした猿蔵のキャスティングも徹底していましたね。ご丁寧にボートの珠世さんを助けられてないんだもの! こういうところから逆に1976年版の『犬神家』を振り返ってみますと、いかにかの作品がロマンティックきわまりない始まり方をしていたのかがわかります。演出もそうですが、大音量で流れる大野雄二さんの音楽が単純明快でいいんですよね。大野サウンドの功績は大きい!! それ以降の市川金田一シリーズでも、あれほどわかりやすい音響演出はありませんから。
 ま、前回の池松版『犬神家』の猿蔵がロマンというか男汁だだもれでしたからね。たまには弁当の隅っこに取り残されたひじきみたいな猿蔵もいいんじゃないでしょうか。
 「岡山県警から長野県警の署長に栄転していた」という、磯川さんの強引な登場っぷりも話題となりましたが、「なんだチミは? 探偵ぃ~!?」みたいな序盤の警察関係者と金田一とのいざこざをスキップするシステムとしては妙案だったかと思います。小市さんの堂に入ったパートナーっぷりも良かったですしね。また、おそらくは NHK長編金田一シリーズの次回作へのフックとなるはずの「かの『本陣殺人事件』をうんぬん」発言のためには最適な人選だったわけで、特にご都合主義だなんだと目くじら立てて怒ることもないかと思います。
 脱線しますが、もし本当に次回作が『本陣殺人事件』になるとすると、金田一役が吉岡さんには、さすがになりませんよね……? かといって長谷川さんがカムバックするとも思えないし。正直なところ、池松さんが演じるのがいちばん「ヤング金田一」っぽくていい気がしますけどね。まさか、加藤シゲアキさんをさしおいて道枝くんが金田一耕助を演じちゃったりして……NHK じゃ、ありえないか。

 あと、なにはなくとも皆川さん、皆川さん!! 皆川猿時さんの古舘弁護士、最高だったなぁ。真面目だしプロフェッショナルだし一生懸命なんだけど、若林の怪しい挙動には激甘スルーというおっちょこちょいな愛嬌あるキャラクターを好演していたと思います。大河ドラマ『いだてん』でもかなり良い味を出していましたし、伊達に10年間のながきにわたり、明るい家庭を築きつつキッチン戦隊と血みどろ(トマト味)の闘争を続けていませんね。

 すみません、「俳優さんについてざっと」と言いながら、ずいぶんと字数を割いてしまいました!!

 肝心の、いろいろアグレッシブな今回の小林脚本に関して触れてみたいのですが、原作小説から大幅に改変されている要素として、「松子&犬神家」と「青沼静馬」、この2つの性質がだいぶ変わっており、その帰結として佐清もあんな感じになってしまった、という意図的な物語の「現代化」があったかと思います。そしてそれは、今回のドラマを原作小説とは全く違う土俵で戦うお話にしてしまっていたのではないでしょうか。原作と小林版とでどっちが面白いのかは人それぞれかとは思うのですが、原作小説の世界が大好きな私としましては、あまり良い気分にはなりませんでした。じゃあ、小林脚本による全く別の作品でいいんじゃないっすか、みたいな……

 具体的に言うと、まず大前提として今回の小林版では、「犬神家の一族」が「一族」とは言えない烏合の衆までに解体されてしまっています。それは生前の犬神佐兵衛が自分の愛人と私生児の一家(×3)を「親族として認めていない」という小林版オリジナルの設定が原因となっていて、それはそれで佐兵衛の底の知れない心の闇を象徴する要素として非常に効果的なものになってはいるのですが、その反面として、「じゃあ遺言書でどんなにクソミソに書かれようが文句は言えないね、佐兵衛だから……」という空気にもつながってしまうので、ドラマのように遺言書を聞いて「私たちのこと軽く扱いすぎ! ムキー!!」と三姉妹が激高する反応がむしろ不自然になってしまうのです。一族ともみなされていなかったのに何を今さら、って感じですよね。そこらへん、原作小説では「確かに好かれてはいなかったけど、さすがに遺産の何分の一かはもらえるでしょ。」という空気もたもつ絶妙な距離感が佐兵衛と三姉妹との間にはあったはずなのですが、そこをけっこう簡単に断絶させてしまう小林版の判断はどうなんでしょう。しょっぱなからタイトル全否定って……そもそも、佐兵衛以外に『犬神家の一族』なんかどこにもいねぇ!!
 だいいち、松子夫人の家庭も佐兵衛に認められていないとなると、仮面の男が佐清かどうかの手形判定をつっぱねる時の、松子の「この佐清は、かりにも犬神家の総本家ですよ。総本家の跡取り息子ですよ。」という口ぶりともだいぶ矛盾してきやしないでしょうか。1976年版での高峰三枝子さんの傲岸不遜な演技も印象的なこのシーンが、今作ではなんとも白々しく迫力の無いものになっていましたね。まさに「ちょっと早く生まれたくらいで、何言ってんだか……」みたいな感じ。小林版の設定に言わせれば、三姉妹の重要性はどんぐりの背比べであるはずなのです。原作の設定を強化したはずが、オーバー過ぎて元も子もなくなっちゃったという図式ですね。
 ついでに今回は、松子自身が「犬神の名前さえもらえなかった」という原作に無い発言もしているので、あの三姉妹は平常「犬神」という名字さえ使わせてもらっていなかった可能性すらある徹底ぶりです。例えば、夫の名字に従って「山田松子」と「中村竹子」と「小川梅子」とか……サマにならないこと山のごとし!

 続いて、小林版では序盤の「ボートに穴」だとか「ベッドにヘビ」だとか「上からレンガがドスッ」だとかいう珠世さんへの嫌がらせの犯人も原作小説とは別人になっているのですが、これも、ドラマ版で嫌がらせの犯人になった人物のキャラクターに厚みを持たせる効果にはなっていたかと思うのですが、「若林が嫌がらせの犯人を、若林に遺言書の盗み読みを依頼した人間(原作小説の犯人)と同一だと勘違いして動揺した」→「だから若林の暴露を恐れて殺した」という筋立ても、なんかおかしいような気がします。だって、佐兵衛の遺言書を盗み読みさせた時点で、犯人は若林にそれをネタに一生ゆすられかねない共犯関係を築いてしまっていたわけなので、盗み読みを依頼した時点で若林を始末することは既定路線になっていたはずなのです。それを、今さら若林が動揺したから困ったとかなんとか……一連の事件の犯人が「ひとりじゃない」という意外性は別にあっても良いとは思うのですが、今回の「嫌がらせの犯人だけ別人」という小林版のかじ取りは、まず原作小説の犯人の冷徹無比な思考力を行きあたりばったりなもろさのあるものに貶めているし、「遺言書を聞いたとたんに小夜子を捨てて珠世に鞍替えする」という佐智のクズ性を「前から珠世LOVE だった」というだいぶマイルドなものにするマイナス作用が大きいと感じました。令和の佐智は、女性層の人気に色目を遣っとるのか!? 不甲斐なしィ!!

 それに加えて決定的な小林版の改変として、「青沼静馬が犬神家をそんなに恨んでない」というポイントにはビックラこきました。なにしろ、やっぱり1976年版の「おれは犬神一族に、勝ったんだァアー!!」のインパクトは絶大ですからね……
 ただしこれに関して言うと、実は原作小説でも静馬が犬神家への母譲りの恨みを吐露するというシーンは存在しておりません。それは、何を隠そう原作小説において青沼静馬の母である青沼菊乃が困窮の末に死亡しておらず「存命している」というサプライズもありますし、何よりも静馬にとって復讐心以上に困る事態となって自分の正体を明かした結果、逆上した犯人に殺されるという展開があったからなのです。1976年版に比べると随分と人間臭い最期を遂げる原作版静馬ではあるのですが、さすがに「松子の献身的な介護に、記憶の果てにいる母の幻影を重ねて愛を求める」とまで軟化してしまう小林版の静馬は、ちょ~っと菊乃の怨恨エピソードを無駄にしすぎなのではないでしょうか。あまりにも静馬が頭お花畑というか、一時の感情にとらわれ過ぎて肩すかしもいいとこのような気がするのですが……そこも過酷な従軍体験ゆえの PTSDってことにしちゃうのか。
 またしても余談なのですが、原作小説で静馬の正体がバレる直接の原因となった「急に珠世と結婚したくなくなった理由」なのですが、これこそ、『本陣殺人事件』の犯行動機と同じかそれ以上に現代の日本人にとってはピンとこない隔世の感がありますよね。いや、それ自体は現在でも解決しえない大変な障害なのですが、だからといって絶対的に珠世と結婚できない理由にはならないんじゃないかっていう……少なくとも、自分が殺されかねない「正体の暴露」と天秤にかけるものではないような気がします。そこらへんの倫理観というか社会的価値観は、原作小説の発表から約30年が経過した昭和中期の時点で風化していたようで、だからこそ、1976年版の段階でこのくだりはカットされてしまったのでしょう。でも、あれだけ犬神家を恨んでいた一方で、いっぱしに珠世との明るい家庭の甘い夢も抱いていた原作の静馬も、それはそれで人間的でチャーミングですね。
 果たして、これから「生きている青沼菊乃」が登場する『犬神家の一族』の映像化作品は生まれるのでありましょうか……これも、「珠世と結婚したくない静馬」や「スキー板を履いた金田一の雪山チェイスシーン」と同じく、きわめてはかない望みですよね。だって、いくらなんでも、ねぇ……やっぱり、横溝ワールドはロマンに満ち溢れているなぁ!

 そんでま、私が決定的に今回の小林版に疑義を抱いたのは、やっぱり「ラストの対話シーンの論拠が原作小説を元にしていない創作」になっていること! これに尽きるんですよね。
 はっきり申しますと、金田一が事件解決にたどり着いたにも関わらず、その後ある人物の行動に疑惑を抱く、そのきっかけとなる最重要アイテムが「手紙」なのですが、その手紙の使われ方が原作小説と全く違う小林オリジナルの設定なのです。

 いや、それ、いくらなんでもルール違反じゃない? 大相撲の千秋楽だけ特設リングでボクシングルールにするっていうレベルの!!

 わたし、たぶん今作の衝撃的なラストの対話に比較されることも多いであろう、長谷川版『獄門島』の金田一 VS 犯人の異様なテンションの口論シーン、あれは全く問題ないと思うんです。あれは立脚している事件の諸要素が原作小説と矛盾していないので、「もしかしたらああいう闘いが2人の間にあったのかも知れないし、それを金田一が伝記作家の横溝先生にあえて言わなかったのかも知れない。」という解釈(妄想)が成り立つからです。
 でも、今回の「手紙」は、原作小説の記述と全く違う、「そこらへんのガキンチョに託す」という重大な改変を経ているのです。これ、どうしようもない「捻じ曲げ」じゃないのかな~と。ダメじゃない!? 少なくとも、ある先行作品を原作にして、後からきてお話を考えるプロの人間がやっていい手段じゃないと思う。フェアじゃないんですよね。だから、同じ衝撃的アレンジだったとしても長谷川版『獄門島』とは全く似て非なる物だと思うのです。
 細かいことですかね……でも、原作小説が大好きな私は、オンエアを観た瞬間からモヤモヤしたものを抱える原因になったのでした。
 大竹さんや吉岡さんの演技が素晴らしかったからこそ、なおさらね……第一、この事件で犯人の自殺をみすみす見逃してしまったという金田一の大失敗が、これじゃあ全然きわだってこないじゃないですか。ていうか、映像では死なせてしまった数日後には東京でのほほんと新聞記事を読んでるという非常に悪意のある編集になってしまっているので、サイコパスとは違う意味で金田一の人間性が疑われる雑な扱いになってしまいましたよね、「しまったー!!」が。まぁ、金田一の「しまったー!!」は、こと映像化される事件の中では、よくある風景なんですけどね……

 くだくだと申しましたが、要するに今回の小林版『犬神家の一族』は、登場人物の個々の生きざまを小林流に掘り下げんと勇躍挑んだのは良いものの、その噛みつき具合いがあまりに苛烈で現代的であったがために、大前提の「一族」のつながりを徹底的に破壊してしまったのではなかろうかと。やっぱこれ、喰い合わせが悪かったのでありましょうか。これだったら、一族の崩壊がテーマとなっている『本陣殺人事件』のほうが小林ワールドの展開には向いているのかも知れないし、もっと言えば、一族だなんだという価値観が完全に消滅した先にお話が始まっている『仮面舞踏会』や『白と黒』のほうが断然ピッタリだったのではないでしょうか。ほらほらきたきた、『白と黒』の初映像化~!! 小林さま NHK BSプレミアムさま、どうぞよろしくお願い致し奉りまする~!!

 長い! 長いよー!! また記事が長くなってしまったのでここらへんでお開きとしたいのですが、まぁ、ともかく今回も金田一ものの映像化、ほんとうにありがとうございました!! コストパフォーマンス、非常にたこうございました。原作小説と小林版、どっちが心に刺さったのかは、観た人それぞれの話ですからね。まぁどないでもよろしいんとちゃいますのん?という、大横溝の仏の心をみならおう!!
 一番嫌なのは、可もなく不可もない無難なダイジェスト映像化よ。その期待通りにいろんな意味で超攻撃的なものではありましたが、小林靖子×横溝正史、また観てみたいですね~!

 次回は、ほんとに予告通りに『本陣殺人事件』なのかしら!? 中尾彬金田一による伝説の1975年映画版を超える最新映像化、なるか!? 実に楽しみですね。
 景気づけに、今年の秋にもやるかもしれない岡山の「1000人の金田一耕助」イベントに参加してみようかな!? それまでは、わしゃ死なんぞ☆
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

更新しただけメモ 『金田一少年の事件簿』シリーズ 映像化史

2022年07月03日 23時31分59秒 | ミステリーまわり
金田一一が、東京都不動山市の私立不動高等学校に通っていた期間 …… 1991年4月~94年3月(一は1975年8月5日生まれ)
最初の事件『オペラ座館殺人事件』が発生した時期 …… 1992年10月
ちなみに……一の母方の祖父とされる金田一耕助は1913年生まれ。
さらにちなみに……一の母(耕助の娘とされる)の名前も年齢も不詳だが、第2シリーズのドラマスペシャル『魔術列車殺人事件』(2001年3月放送)で母を演じた室井滋は1958年生まれ。


ポイント計算 …… 前後編2、初回3、最終回4、スペシャル5、映画6、OVA化1、アニメシリーズ2、アニメ初回3、アニメ最終回4、アニメスペシャル5、アニメ映画6、原作初回1、原作最終回2、原作スペシャル3

初代・堂本剛
スペシャル『学園七不思議殺人事件』(1995年4月8日)P8
 長編第4作 1993年6~8月連載
第1シリーズ
1、『異人館村殺人事件』(1995年7月15日)P3
 長編第2作 1992年12月~93年3月連載
2、『悲恋湖殺人事件』(7月22日)P3
 長編第6作 1993年10月~94年1月連載
3、『オペラ座館殺人事件』(7月29日)P4
 長編第1作 1992年10~12月連載
4、『秘宝島殺人事件』(8月5日)P3
 長編第5作 1993年8~10月連載
5、『首吊り学園殺人事件』(8月19日)P1
 長編第8作 1994年4~7月連載
6、『首無し村殺人事件』(9月2日)P3
 長編第9作『飛騨からくり屋敷殺人事件』1994年8~10月連載
7、『蝋人形城殺人事件 前・後』(9月9・16日)P8
 長編第12作 1995年6~9月連載
スペシャル『雪夜叉伝説殺人事件』(1995年12月30日)P7
 長編第3作 1993年3~5月連載
第2シリーズ
1、『悪魔組曲殺人事件』(1996年7月13日)P5
 オーディオブック第1作 1996年1月リリース
2、『タロット山荘殺人事件 前・後』(7月20・27日)P4
 長編第11作 1995年3~6月連載
4、『金田一少年の殺人』(8月3日)P3
 長編第10作 1994年11月~95年3月連載
5、『怪盗紳士の殺人 前・後』(8月10・17日)P4
 長編第13作 1995年10月~96年1月連載
7、『異人館ホテル殺人事件』(8月31日)P3
 長編第7作 1994年1~4月連載
8、『墓場島殺人事件 前・後』(9月7・14日)P8
 長編第14作 1996年1~4月連載
映画『上海魚人伝説』(1997年12月13日)P8
 小説長編第5作 1997年11月刊行

二代目・松本潤
スペシャル『魔術列車殺人事件』(2001年3月25日)P7
 長編第15作 1996年4~7月連載
第3シリーズ
1、『幽霊客船殺人事件 前・後』(2001年7月14・21日)P7
 小説長編第2作 1995年4月刊行
3、『フランス銀貨殺人事件』(7月28日)P3
 長編第17作 1996年11月~97年3月連載
4、『黒死蝶殺人事件 前・後』(8月4・11日)P4
 長編第16作 1996年8~11月連載
6、『速水玲香誘拐殺人事件』(8月25日)P5
 長編第19作 1997年9~11月連載
7、『魔犬の森の殺人』(9月1日)P4
 長編第20作 1998年1~4月連載
8、『ロシア人形殺人事件 前・後』(9月8・15日)P8
 長編第24作 1999年10月~2000年2月連載

三代目・亀梨和也
スペシャル『吸血鬼伝説殺人事件』(2005年9月24日)P11
 長編第27作 2004年8~10月連載

四代目・山田涼介
スペシャル『香港九龍財宝殺人事件』(2013年1月12日)P8
 長編第36作 2012年7~10月連載
スペシャル『獄門塾殺人事件』(2014年1月4日)P7
 長編第29作 2006年4~8月連載
第4シリーズ『金田一少年の事件簿 neo』
1、『銀幕の殺人鬼』(2014年7月19日)P5
 長編第21作 1998年6~8月連載
2、『ゲームの館殺人事件』(7月26日)P7
 長編第34作 2011年4~6月連載
3、『鬼火島殺人事件 前・後』(8月2・9日)P4
 小説長編第4作 1997年5月刊行
5、『金田一少年の決死行 前・後』(8月16・23日)P7
 長編第26作 2000年8月~01年1月連載
7、『雪影村殺人事件』(9月6日)P3
 長編第23作 1999年4~6月連載
8、『薔薇十字館殺人事件 前・後』(9月13・20日)P10
 長編第37作 2012年12月~13年4月連載

五代目・道枝駿佑
第5シリーズ
1、『学園七不思議殺人事件』(2022年4月24日)P11
 長編第4作 1993年6~8月連載
2、『聖恋島殺人事件 前・後』(5月8~15日)P2
 長編第46作 2016年12月~17年4月連載
3、『白蛇蔵殺人事件』(5月22日)P1
 長編第45作 2016年6~9月連載
4、『トイレの花子さん殺人事件』(5月29日)P3
 短編第12作『亡霊学校殺人事件』 1999年8・9月連載
5、『金田一少年の殺人 前・後』(6月5~12日)P5
 長編第10作 1994年11月~95年3月連載
6、『首狩り武者殺人事件』(6月19日)P4
 長編第9作『飛騨からくり屋敷殺人事件』 1994年8~10月連載
7、『オペラ座館 ファントムの殺人 前・後』(6月26日~7月3日)P11
 長編第28作『オペラ座館 第三の殺人』 2005年9~12月連載

主要登場人物
金田一一、七瀬美雪、剣持勇警部、速水玲香、いつき陽介、明智健悟警視、真壁誠、佐木竜太(竜二)、鷹島友代、俵田孝太郎刑事、向井猛夫刑事、怪盗紳士、高遠遙一、一の母、剣持和枝


未映像化長編
小説長編第1作『オペラ座館 新たなる殺人』1994年9月刊行(アニメ映画化あり)P6
小説長編第3作『電脳山荘殺人事件』1996年4月刊行(アニメ化あり)P2
長編第18作『魔神遺跡殺人事件』1997年3~6月連載(アニメ化あり)P2
オーディオブック第2作『死神病院殺人事件』1997年4月リリース(アニメ化あり)P5
小説長編第6作『雷祭殺人事件』1998年6月刊行(アニメ化あり)P2
長編第22作『天草財宝伝説殺人事件』1998年10月~99年1月連載(アニメ化あり)P2
小説長編第7作『殺戮のディープブルー』1999年7月刊行(アニメ映画化あり)P6
アニメオリジナル第1作『嘆きの鬼伝説殺人事件』2000年1月放送 P2
長編第25作『怪奇サーカスの殺人』2000年4~6月連載(アニメ化あり)P4
アニメオリジナル第2作『出雲神話殺人事件』2000年5~6月放送 P2
小説長編第8作『邪宗館殺人事件』2001年4月刊行
長編第30作『雪霊伝説殺人事件』2007年1~4月連載
長編第31作『黒魔術殺人事件』2008年5~7月連載(OVA化あり)P1
長編第32作『剣持警部の殺人』2009年4~7月連載(アニメ化あり)P2
長編第33作『錬金術殺人事件』2010年4~7月連載(アニメ化あり)P2
長編第35作『人喰い研究所殺人事件』2012年3~5月連載 P1
長編第38作『雪鬼伝説殺人事件』2013年11月~14年3月連載(アニメ化あり)P3
長編第39作『亡霊校舎の殺人』2014年4~7月連載
長編第40作『狐火流し殺人事件』2014年7~10月連載(アニメ化あり)P4
長編第41作『蟻地獄壕殺人事件』2014年12月~15年3月連載
長編第42作『吸血桜殺人事件』2015年4~7月連載
長編第43作『人形島殺人事件』2015年11月~16年1月連載
長編第44作『黒霊ホテル殺人事件』2016年2~3月連載
長編第47作『金田一二三誘拐殺人事件』2017年7~10月連載 P2
長編第48作『八咫烏村殺人事件』2022年1月~連載中 P3


総合ポイントランキング(短編作品を除く)
≪実写映像化済み≫
P11
『学園七不思議殺人事件』長編第4作 1993年6~8月連載
『吸血鬼伝説殺人事件』長編第27作 2004年8~10月連載
『オペラ座館 第三の殺人』長編第28作 2005年9~12月連載
P10
『薔薇十字館殺人事件』長編第37作 2012年12月~13年4月連載
P8
『蝋人形城殺人事件』  長編第12作 1995年6~9月連載
『墓場島殺人事件』   長編第14作 1996年1~4月連載
『上海魚人伝説殺人事件』小説長編第5作 1997年11月刊行
『ロシア人形殺人事件』 長編第24作 1999年10月~2000年2月連載
『香港九龍財宝殺人事件』長編第36作 2012年7~10月連載
P7
『雪夜叉伝説殺人事件』長編第3作 1993年3~5月連載
『幽霊客船殺人事件』 小説長編第2作 1995年4月刊行
『魔術列車殺人事件』 長編第15作 1996年4~7月連載
『金田一少年の決死行』長編第26作 2000年8月~01年1月連載
『獄門塾殺人事件』  長編第29作 2006年4~8月連載
『ゲームの館殺人事件』長編第34作 2011年4~6月連載
P5
『金田一少年の殺人』  長編第10作 1994年11月~95年3月連載
『悪魔組曲殺人事件』  オーディオブック第1作 1996年1月リリース
『速水玲香誘拐殺人事件』長編第19作 1997年9~11月連載
『銀幕の殺人鬼』    長編第21作 1998年6~8月連載
P4
『オペラ座館殺人事件』 長編第1作 1992年10~12月連載
『飛騨からくり屋敷殺人事件』長編第9作 1994年8~10月連載
『タロット山荘殺人事件』長編第11作 1995年3~6月連載
『怪盗紳士の殺人』   長編第13作 1995年10月~96年1月連載
『黒死蝶殺人事件』   長編第16作 1996年8~11月連載
『鬼火島殺人事件』   小説長編第4作 1997年5月刊行
『魔犬の森の殺人』   長編第20作 1998年1~4月連載
P3
『異人館村殺人事件』  長編第2作 1992年12月~93年3月連載
『秘宝島殺人事件』   長編第5作 1993年8~10月連載
『悲恋湖殺人事件』   長編第6作 1993年10月~94年1月連載
『異人館ホテル殺人事件』長編第7作 1994年1~4月連載
『フランス銀貨殺人事件』長編第17作 1996年11月~97年3月連載
『雪影村殺人事件』   長編第23作 1999年4~6月連載
『亡霊学校殺人事件』  短編第12作 1999年8・9月連載
P2
『聖恋島殺人事件』長編第46作 2016年12月~17年4月連載
P1
『首吊り学園殺人事件』長編第8作 1994年4~7月連載
『白蛇蔵殺人事件』  長編第45作 2016年6~9月連載

≪未実写映像化≫
P6
小説長編第1作『オペラ座館 新たなる殺人』1994年9月刊行
小説長編第7作『殺戮のディープブルー』  1999年7月刊行
P5
オーディオブック第2作『死神病院殺人事件』1997年4月リリース
P4
長編第25作『怪奇サーカスの殺人』2000年4~6月連載
長編第40作『狐火流し殺人事件』 2014年7~10月連載
P3
長編第38作『雪鬼伝説殺人事件』2013年11月~14年3月連載
長編第48作『八咫烏村殺人事件』2022年1月~連載中
P2
小説長編第3作『電脳山荘殺人事件』1996年4月刊行
長編第18作『魔神遺跡殺人事件』1997年3~6月連載
小説長編第6作『雷祭殺人事件』1998年6月刊行
長編第22作『天草財宝伝説殺人事件』1998年10月~99年1月連載
アニメオリジナル第1作『嘆きの鬼伝説殺人事件』2000年1月放送
アニメオリジナル第2作『出雲神話殺人事件』2000年5~6月放送
長編第32作『剣持警部の殺人』2009年4~7月連載
長編第33作『錬金術殺人事件』2010年4~7月連載
長編第47作『金田一二三誘拐殺人事件』2017年7~10月連載
P1
長編第31作『黒魔術殺人事件』2008年5~7月連載
長編第35作『人喰い研究所殺人事件』2012年3~5月連載
P0
小説長編第8作『邪宗館殺人事件』2001年4月刊行
長編第30作『雪霊伝説殺人事件』2007年1~4月連載
長編第39作『亡霊校舎の殺人』2014年4~7月連載
長編第41作『蟻地獄壕殺人事件』2014年12月~15年3月連載
長編第42作『吸血桜殺人事件』2015年4~7月連載
長編第43作『人形島殺人事件』2015年11月~16年1月連載
長編第44作『黒霊ホテル殺人事件』2016年2~3月連載
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

求む、池松金田一大改革!!《急募》 ~『女の決闘』2022エディションと第3シーズン全体のまとめ~

2022年03月12日 23時09分09秒 | ミステリーまわり
 どもども、みなさんこんばんは! そうだいでございますよっとぉ。
 いや~、やっと! やっと暖かくなってきましたね~、こちら山形も。日が暮れるとやっぱり極寒ではあるのですが、日中のぽかぽか感がぜんぜん違いますね! この1週間で劇的に雪が解けていきました。今この時期ばっかりは、雨がありがたいありがたい。あ、でもすぐに花粉の季節もやって来ちゃうから、雨さんにはもうちょっと長く降ってほしいかしら。
 ホントね、この冬は雪にさんざん振り回されたと言いますか、2015年に千葉からこちら山形に帰ってきて以来、いちばんの降雪量だったと思いますね。職場での雪かきもほぼ毎日だったしなぁ。今週まで残ってる雪なんか、もう密度ギッチギチの氷塊になっちゃってますからね! 駐車場の雪なんか、車の重みでさらに圧縮されてるからなおさらよ……連日の氷くだきで肩の関節がもうガッタガタです。
 次の冬はぜひとも雪少な目でお願いしたいのですが、日本海側のドカ雪は地球温暖化の一傾向らしいんでねぇ。なるべくお手柔らかにしていただきたい!

 さてさて、今回も今回とて、先月に一挙放送された池松金田一シリーズの第3シーズン全3話の感想をつづる企画なのですが、ついに最後のお話となりました。なので、最後の方では余力が残っていたら第3シーズン全体の印象にも触れておしまいにしたいと思います。今回も、制作スタッフのみなさまはお疲れさまでした!
 というわけでありまして、最後のエピソードは、放送順でいいますとトップバッターだった、この作品。


ドラマ『女の決闘』(2022年2月26日放送 NHK BS プレミアム『シリーズ・横溝正史短編集Ⅲ 金田一耕助、戸惑う』 30分)
 33代目・金田一耕助 …… 池松 壮亮(31歳)

 『女の決闘』は、横溝正史の短編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の一作。月刊『婦人公論』の昭和三十二(1957)年1~3月号に『憑かれた女』という表題で連載された。

あらすじ
 昭和三十一(1956)年の秋に入るころ。東京世田谷区・緑ヶ丘のアメリカ人バイヤー宅で、急に帰国することになったロビンソン夫妻のさよならパーティが開かれていた。その席上、隣人の流行作家・藤本哲也の現在の妻である多美子と、藤本の前妻である河崎泰子が並んでソフトクリームを食べていると、多美子が毒に中って倒れる。ソフトクリームは哲也が多美子に頼まれて持ってきたもので、そのあと哲也は中井夫人に誘われて踊っていた。招待されていた金田一耕助は、哲也が泰子に毒を盛ろうとして誤って多美子が食べた可能性を指摘するが、泰子はそれを強く否定する。多美子は命に別状無く快復し、ロビンソン夫妻は予定通り1週間後に出国する。

主なキャスティング
河崎 泰子  …… 菊池 亜希子(39歳)
藤本 多美子 …… 板谷 由夏(46歳)
藤本 哲也  …… 首藤 康之(50歳)
木戸 郁子  …… 山本 容子(69歳)
中井夫人   …… YOU(57歳)
ジャック安永 …… 岩下 尚史(60歳)
木下医師   …… 中村 靖日(49歳)
島田警部補  …… みのすけ(56歳)
ジェームス=ロビンソン  …… ジョン=カビラ(63歳)
マーガレット=ロビンソン …… ヤンニ=オルソン(36歳)
朗読     …… 土岐 麻子(45歳)

主なスタッフ
演出 …… 宇野 丈良(?歳)


 はいっ、そんな感じで、放送順は最初なんですが、金田一耕助の解決した事件としては、他2作よりも後に起きたものになります。まだまだ1950年代の事件ではあるのですが、金田一も含めて登場人物の生活に戦争の影はほぼ無くなってきており、安定した平和な日常の中で謎の毒殺未遂事件が発生するという流れになっております。第一、イギリス人であるロビンソン夫妻をあたたかく見送る東京都世田谷区緑ヶ丘の面々には、「もはや戦後ではない」という、1956年度の我が国の『経済白書』の序文に書かれた一節がしっくりくる穏やかな空気に満ちていますね。
 しかし、そういう安穏とした生活の中にも、「犯罪」の温床が醸し出す腐臭は漂ってくるようで、今回の事件に関していえば、主要登場人物が生活のつてにしているある職業にまつわる「プロ意識」と「人間としてのプライド」が激しくせめぎ合った末に起こってしまったわけなのです。つまり国こそ違えども、アガサ=クリスティが得意とした「平和な日常の裏に隠された憎しみ合いの構図」を自家薬籠中の物にした、横溝正史先生の後期の特色を色濃く投影した傑作短編となっているのが、この『女の決闘』なのです。

 とはいうものの……この作品は、まぁ『女怪』もそうなんですが、タイトルの時点でだいたい犯人は彼女と彼女のどっちかかな?という感じになっており、物語の面白さは「意外な犯人」とか「意外なトリック」にはなく、「どうして事件が起きた?」に絞られていると言って間違いないでしょう。
 そんでま、物語は片方のヒロイン河崎泰子に濃厚な疑いがかかりまくるというサスペンス劇場あるあるな流れなんですから、まぁ犯人は明々白々と言ったところでしょうか。でも、横溝先生はそこらへんを見越してもう一ひねりした別作品を残したりもしているのですが。

 ですので、この『女の決闘』を映像化するのならば、たった30分の内容なのだとしても、登場人物の「表と裏の顔」のどっちも思いっきり魅力的に描いて、可能なのならば、事件の核心に関わる三角関係が目立たなくなるくらいに、周囲の脇役たちの人間関係もふくらませてカモフラージュさせる必要があると思うのです。そうしないと、事件の謎だけでは視聴者の興味を引っ張っていけないもんねぇ。この「事件の謎がうす味なんだったら、人間ドラマを濃厚にすればよろしいのでなくって?」という調理テクニックは、さすがミステリーの女王クリスティ……というか、スーシェポワロシリーズの常套手段ですよね!

 ところがよォ……この『女の決闘』2022エディションときたら、どうだいあんた。
 いや、いやいや、その役とかその役とか、あろうことか事件の核となる三角関係の一角である藤本哲也の役までプロの俳優さんじゃない人に演じさせて、ンどぉ~おすんの!?

 俳優としての話ですよ? あくまでも演技を専門技能、なりわいとする俳優としてどうなのか?という話なので、決して演じられた方々のそれまでの各分野でのキャリアをどうのこうの言うつもりは全くないのですが、ほとんどの出演キャスト、演技上手じゃねぇだろ~!! ロビンソン夫妻のお別れパーティなんか、お遊戯会って言うのもお遊戯会に失礼なくらい、地獄の惨状になってませんでした!? 
 ひどい、ひどい&ひどい!! いや、人間が裏の顔を隠して作り笑いをしている仮面舞踏会パーティって、そういうニュアンスじゃねぇから! 見え見えのウソなんかウソになんないから!! ヘタックソな順番棒読みのやりとり見せられても、こっちは面白くもなんともないのよ~。お話への興味がゴリゴリ減ってく一方なのよ~。

 この『女の決闘』2022エディションの罪が深いのは、これが池松金田一第3シーズンのトップバッターだってことなんですよ。私ものすご~く嫌な予感がするのですが、3本あわせて1時間30分のドラマが始まったと思ってチャンネルを合わせた貴重な視聴者さんのうち、最初のこの作品のド頭5分くらいを観た時点で、「え、こんなコントみたいなのがずっと続くの……?」と辟易して視聴をやめた人も少なからずいたのではないのだろうか。
 もともと、あんまり知名度の高くない作品を映像化するシリーズなのですから(『犬神家の一族』を除く)、視聴者というか横溝ワールドに何となく興味のあるライト層にとって入り込みやすいドラマの内容にするべきだし、多少どぎつい彩色になってもインパクトのある画作りに徹するべきなのではないでしょうか。まぁ、そこら辺のバランス調整の難しさは、かの古谷一行金田一シリーズの後期~末期の苦難の道行きが雄弁に証明していることでもあるのですが。

 それなのに、今回の『女の決闘』は、そもそもどこをどう観たら面白く受けとめられるのかが、さぁっぱりわからない。私自身、放送された日から本日にいたるまで、録画したこの作品を2週間ほど繰り返し観ているのですが、単に原作小説を縮小コピーしているだけにしか見えず、作品を面白くしようとする演出意図が……私には一向に見えてこないのです。
 まるで、

「いや、原作にほぼ忠実に映像化していることに徹してますんで、面白いかどうかは私の責任じゃないです。」

 と言わんばかりの、非常に淡々とした映像と棒読みの羅列が続くのです。画面は、まぁ容姿のきれいな方が多いので一見すれば品質が高いかのように見えるのですが、全体の色調をややセピアっぽくしたりカメラのピントをわざと甘くしている演出がひたすら最後まで延々と続くので、飽きること飽きること。

 キッツいなぁ~。あれ、宇野さんの演出って、こんなにひどかったんだっけ?

 これまでの池松金田一シリーズにおける宇野演出作品をおさらいしてみますと、『黒蘭姫』は戦後間もなくの百貨店の宝石陳列コーナーや、空襲爆撃の跡も生々しい東京の大地にぬぼーっと建つ三角ビルといった、21世紀に住む我々からすると時代劇やファンタジーの世界に近いような場が事件の舞台であるために、セピアの色調やスタジオセット感、ミニチュア感、CG感を隠さない宇野演出は、ミステリー作品の「えそらごと」な雰囲気を象徴していて非常に面白かったと思います。あと、レイザーラモンHG さんや鳥居みゆきさんの演技も達者で良かったのですが、これは全く演者のそれまでの半生が培ってきた努力のたまものであって、演出のなせる業ではないと思います。
 そんで演出2作目の『貸しボート十三号』については、スタジオ撮影でこそなくなったものの、まず死体の損壊状況が凄惨な謎に満ちていることと、事件の舞台がボート置きガレージと大学ボート部の合宿寮ということで映像インパクトが大だったこと。そして、若いながらも一途に演技をする若手俳優陣のフレッシュさも良い印象を与えていたのではないかと思います。ただ、これも演出の腕で俳優陣が引き立って見えたのかというと、それはちょっと……だって、今をときめく演技派女優の蒔田あじゅさんが見事なまでに目立たなかったもんね。あじゅさんの無駄遣いよこれ! 映画『朝が来る』でのあじゅさんの入魂の演技を観ろって話ですよ。でも、少ない出番ながらも、最後に嶋田久作さんが出てきて作品を引き締めていたのは実によかったですね。

 なるほど。「作品のえそらごと感にフィットした画面作り」、「芸達者な演者」、「珍しい事件舞台」、「フレッシュな演技」。そういった今までの宇野作品の良い点を占めていた要素の数々が、今回はものの見事に無かったわけだ。『女の決闘』は完全にリアル志向の人間群像劇ですもんね。純粋ミステリーの空想性はないかな。

 手駒が悪すぎた運を呪うべきなのか、そのチョイスで良しとした責任を断じるべきなのか。難しい問題なのですが、少なくともはっきり言えるのは、今回の初映像化が『女の決闘』と視聴者にとって非常に不幸な結果しか残さなかった、ということなのではないでしょうか。
 原作小説、それなりに面白いんですけどね……少なくとも、今回映像で観られたよりは魅力的なキャラクターなんですよ、木戸郁子さんとか中井夫人とか島田警部補って! それをど~してああしちゃうのかなぁ!? 横溝正史先生の筆の評判を落とすためにやってるとしか思えないキャスティングなんですよ。あんなつまんない棒人間、先生が描くわけないでしょ!!

 いや本当に、イヤミとかじゃなくて純粋に聞いてみたいんですが、宇野さんは今回どこにモチベーションを持って『女の決闘』を映像化したんですかね!?
 「原作に忠実に映像化すること」じゃないですよね。だって、キャラクターは軒並み原作よりも没個性になってるし、原作では犯人の動機にも関わりのあるけっこう重要人物だった作曲家の井出清一とか、作品の読後感にとってかなり大切な存在である元軍人の椙本三郎とかを思いっきりカットしちゃってるんだもんねぇ。これ、原作に愛のある人ならできない判断だと思いますよ。これでのうのうと「原作にほぼ忠実」とか、よく言えたもんだよ! こんな致命的なカット、『女怪』でも『蝙蝠と蛞蝓』でもやってませんよ。
 この、「足すのはダメだけどカットはいいよ。」みたいなシリーズ暗黙のルールもよくわかんないです。それで面白くなるんならまだいいけど、構造がスッカスカになってつまんなくなるだけでしたね、『女の決闘』に関しては。

 まぁこんな感じで、口を開けば愚痴しか出てこないんですよ、『女の決闘』2022エディションに関しては。なんでこ~なるの!?
 せめて、なんかひとつだけ! ひとっつだけでいいから、『黒蘭姫』とか『貸しボート十三号』と比べて、成長して面白くなっていたポイントって、ありませんでしたかね!? どなたか、教えてブリーズ!
 今回の敗因はただ一つ、「キャラクター造形の浅さ」。これに尽きると思います。これが演出のせいなのか演者の実力のせいなのかは……どっちでも関係無いか、ダメだったんだから。でもとにかく、なにがなんでも藤本哲也だけは、しっかりした演技のできる俳優さんに演じていただきたかった! 最低限ここさえ押さえておけば、なんとかなったはずなんです。だって、事件の諸悪の根源はこの人の浅はかな生き方と、それを一向に改めようとしない筋金入りのだめんず気質にあるんですもんね。そんなムチャクチャな人物、ただ見た目が良いだけの人にやれって言ってできるわけがないんですよ。これはオファーされた首藤さんもかわいそうではあるのですが、そんな誘いは絶対に断って、ついでにそんな無茶ぶりをしてくる制作スタッフに、世界レベルのクラシックバレエ仕込みの竜巻旋風脚でもお見舞いしてやるべきだったのではないのでしょうか。演技をなめるな、横溝ワールドをなめるなって話ですよ。


 もう、いつまでこのへんの話をぐだぐだやっても仕方がないので、そろそろ話題を今回の池松金田一シリーズ第3弾ぜんたいに振り向けていきたいのですが、はっきり言いまして、今回の第3弾は、かなりシビアな課題を残すものになったと感じました。池松金田一シリーズ、いろいろと行き詰まってきているのではなかろうかと。
 思うに、今後もし池松金田一シリーズが更新されていくとしても、演出はこれまでの宇野・渋江・佐藤のお3方じゃなくてもいいのではないのでしょうか。というか、むしろ変わった方がいい!

 つい言い方がキツくなってしまうのですが、要するにあくまでも個人的な感想ではあるのですが、今回の第3シーズン、程度に差はありますがお3方とも、過去シーズンよりも面白くなったと感じる部分があんまり見受けられなかったんですね。それどころか、過去作よりも見づらくなっている、はっきり言えば面白くなくなっているのではないかと。私から観れば、もともと横溝正史先生のファンな人でない限り、よその人に「これ観てみてよ!」と勧められる作品は無かったです。断然、原作の文庫本を貸してあげた方がよっぽどいいと判断しますね。今回の3作品の中でいちばん面白いと感じたのは『女怪』だったのですが、これも原作を読んだほうが、金田一耕助の悲喜こもごもの表情がちゃんと伝わってきていいです。
 佐藤演出の『女怪』は、テイストがかなりおセンチな方向に入ったので、あえて面白さ控え目にしましたという言い訳が立ちそうなのですが、それでも前回の『華やかな野獣』を観た人間としてはちょっぴり期待値よりも下だった印象は残るし、宇野演出の『女の決闘』と渋江演出の『蛞蝓と蝙蝠』にいたっては、これまでちゃんとやっていたはずのことができなくなっている! 『女の決闘』はドラマを面白くすること、『蝙蝠と蛞蝓』は原作の面白さをちゃんと伝えること。これがすっぽり欠落しちゃってるんですから、致命的ですよね。

 とにもかくにも、一時に比べて再び横溝ワールドの映像化に関する状況がだいぶ落ち着いてしまい、そんな中で唯一の「現存シリーズ」がどうやらこの池松金田一シリーズらしいぞという現状において、どうしてもこのシリーズは、なんとかして続いてほしいんですよね。そして、まぁ吉川ゆりりんシリーズのファインプレーのおかげもありましたが、現在、昭和以来のファンが涙を流して喜んでいる角川文庫レーベルの復刊ラッシュは、ひとえにこの池松金田一シリーズの孤軍奮闘によるものが大きいわけなのです。私とて、この大恩を忘れるほど無節操ではないつもりのですが、であるからこそ! 池松金田一シリーズには、なんとしても第1・2シーズンのクオリティをしっかり維持した上で存続していただきたいと切望するのです。たのむよホントに!
 ちなみに、私の中での演出3人衆それぞれのベスト作品は、宇野演出が『黒蘭姫』、佐藤演出が『華やかな野獣』、渋江演出が『百日紅の下にて』になります。その中でもベスト・オブベストは『百日紅の下にて』になるでしょうか。やっぱ嶋田久作さんは最高だ!!

 つまるところ私が申したいのは、なにもこの3人のレギュラー体制にこだわる必要はない、演出のコンペティション形式になってもいいから、いちばん大切なのは「横溝正史作品の面白さ、すばらしさを伝えること」なんじゃないのか?ということなのです。「原作にほぼ忠実に映像化」って、そういうことでしょう?
 そして、『犬神家の一族』という例外もありましたが、映像化するのは是非とも、横溝ワールドの中の「埋もれた名作」であってほしいのです。そしてそして!そうである以上、「原作小説よりも先に映像化された作品を観る人が多い可能性が高い」ということのハードルの高さを今一度、確認していただきたいのです。映像化の先例がある『女怪』のようなパターンもあるでしょうが、そこはそれ、1976年版『犬神家の一族』や1977年版『八つ墓村』ほどの認知度はないでしょう。なのならば、我々こそが、原作小説の面白さを先陣切ってこの令和の御代に満天下に知らしめるパイオニアなのだ!という自負と責任を忘れないでいただきたいと思うんだなぁ!!
 だからこそ、現行の演出のお3方は、横溝先生の原作小説の映像化という大偉業を決して作業ルーチンにせずに、「これ、どうしても面白く映像化できねぇな……」とちょっとでも感じたのならば、演出の席を後進に譲ってとっとと自分のやりたいお仕事に邁進していただきたいのです。もっともっとおもしろく映像化できる才能のある方は、きっと必ずおられるでしょうから。
 あと、あんまり、俳優として他の方の演出作品にチラッと出演みたいなファッキンど~でもいい遊びなんかチャラチャラやってないで、ご自分の演出に専念していただきたい、とも思います。ぜんぜん面白くないし。

 この池松金田一シリーズって、再放送する時に池松さんと演出3人衆とかプロデューサーさんとかが集まって、制作時の裏話をするおまけがつきますよね? 今回の第3シーズンのアフタートークが楽しみですね~。どんな言い訳がとび出すのでしょうか。お通夜みたいになってないといいんだけど。


 なんか、つづっていくに従ってこわい方向にボルテージが上がっているような気がするので、キーキー言うのはここまでにしておきたいのですが、要は、ちょっぴり動脈硬化と血のドロドロ化におちいりつつある池松金田一シリーズに思い切った変革をお願いしたいというのが、私の第3シーズンを観た正直な感想なのです。
 リアルタイムでこの第3シーズンのオンエアを観た直後、はっきり言って少なからず落ち込んじゃいましたからね……3作別々に感想を記事にしたいことは観る前から心に決めてワックワクしていたのですが、ちょっとこれど~するよオイ!?みたいな。ガックシときちゃいましたよ。それだけ期待値が上がっちゃってたんですね。
 ホントね、この直後のNHK BSプレミアムの『プレミアムシネマ』で放送された映画が、あの伝説のカルトアニメ『ファンタスティック・プラネット』だったからなんとか回復できたものの、そうとうの精神的ダメージを受けちゃいましたよ。『ファンタスティック・プラネット』サイコー!!

 実はこうまでいろいろと言ってきたのは、本心を白状しますと、そろそろ池松金田一の「正統長編」が観た~い!というファン心理もムクムクと首をもたげてくるからなんですよね。短編を30分サイズでこつこつ映像化させていくのもいいのですが(『金田一耕助の冒険』の全作映像化もいいよね!)、せっかく1時間30分の放送枠があるのならば、『幽霊男』とか『夜の黒豹』の1本ロング映像化なんかも非常にステキだと思うんですよね~!! そして、行き着く究極の夢は、横溝先生の金田一もの長編小説の中で最も不遇の状況にある、あの『白と黒』の初映像化(ラジオドラマ化はあったらしいけど)よ~!! ウヒョ~、私の存命中に、是非ともこの目で観てみたいぃ~。
 BS プレミアムでの長谷川金田一や吉岡金田一の生存確認がとれない今、池松金田一で短編と長編を一本化してもいいじゃないか! ひょっとすると、『八つ墓村』の直後の事件である『女怪』というチョイスは、吉岡金田一から池松金田一への「継承」という意味合いが込められていたのでは!? なるほどねェ~。ところで、吉岡金田一版『八つ墓村』のエピローグで匂わされていた『悪魔の手毬唄』のほうは、いつになるんですかね……? まぁ、加藤シゲアキ版で観たから、別にいいけど。吉岡金田一、とにかく目が怖かったから好きだったんだけどなぁ~。

 んまぁともかく、ぐだぐだとイヤミったらしいことも申しましたが、池松金田一シリーズさまには、どういった形であれ、今後も何としても継続していただきたいと思います。池松さんも、『シン・仮面ライダー』主演もあることですし、今後めきめきと他のお仕事殺到で忙しくなるでしょうが、飽きずに是非ともご愛顧いただきたいと思います。
 がんばれけっぱれ、池松金田一シリーズ!!


≪特別ふろく まだまだストックぞっくぞく!! 角川文庫でまだ復刊されていない横溝正史作品リスト≫
※エッセイ集、映画のシナリオは除く
『幽霊座』(金田一もの)、『仮面劇場』(由利麟太郎もの)、『吸血蛾』(金田一もの)、『女が見ていた』、『夜光虫』(由利麟太郎もの)、『悪魔の設計図』(由利麟太郎もの)、『毒の矢』(金田一もの)、『金田一耕助の冒険』(金田一もの)、『花園の悪魔』(金田一もの)、『幻の女』(由利麟太郎もの)、『呪いの搭』、『恐ろしき四月馬鹿』、『刺青された男』、『双仮面』(由利麟太郎もの)、『ペルシャ猫を抱く女』、『塙侯爵一家』、『誘蛾燈』、『悪魔の家』(由利麟太郎もの)、『芙蓉屋敷の秘密』、『殺人暦』、『青い外套を着た女』(由利麟太郎もの)、『空蝉処女』(由利麟太郎もの)、『死仮面』(金田一もの)、その他『迷宮の扉』や『怪獣男爵』などのジュブナイル16タイトル
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嗚呼、哀しき女と男(ついでに金田一耕助)のすれちがい ~『女怪』2022エディション~

2022年03月06日 14時30分07秒 | ミステリーまわり
 ヘヘヘイど~もこんにちは! そうだいでございます~。
 山形、雪降ってるよ~! しかもドカ雪……もう、いつまで降るんだよ!! 明日の出勤、気が重い……でも、今度こそ最後の雪になるのかな。まさか、桃の節句の後に雪かきすることになろうとはね! やっぱり、雪国なんだよなぁ。

 いや~、映画『THE BATMAN 』、楽しみだなぁオイ! 他のヒーローと徒党を組まない、ゴッサムシティのご当地ヴィジランテの復活だい!! 噂に聞く新生リドラーの鬼畜っぷりにも大いに期待ですね。『GOTHAM 』でのペンギン&リドラーのコンビもステキでしたが、新解釈の2人がどう描かれるのか。ワクワクが止まりませんな! 『ダークナイト・ライゼズ』ではちょっぴり消化不良気味な扱いだったキャットウーマンも、今回はどんな活躍を見せてくれるかな?
 ヒーローと言えば、実は本日から始まる、日本の『暴太郎戦隊 ドンブラザーズ』も、非常に楽しみなんですよ。録画した奴を夜に観る予定なのでまだチェックできてないのですが、単純に戦隊のビジュアルがハチャメチャですよね。まるでゴレンジャイのようなカオス感、すばらしい! 仮面ライダーのほうは、毎週観るとまではいかないものの一応気にしてはいるのですが、スーパー戦隊ものを初回からちゃんと観るのは、もしかしたら『電撃戦隊チェンジマン』(1985~86年放送)以来37年ぶりになるかもしんないね! 頑張ってほしいなぁ。


 さてさてそんな感じの、今回の記事と全く関係の無い世間話はここまでにしておきまして、さっさか本題に入ってまいりましょうかね。
 え~、前回から続いております、池松金田一シリーズ第3弾についてのあれこれ、第2回でございます!


ドラマ『女怪』(2022年2月26日放送 NHK BS プレミアム『シリーズ・横溝正史短編集Ⅲ 金田一耕助、戸惑う』 30分)
 33代目・金田一耕助 …… 池松 壮亮(31歳)

 『女怪(じょかい)』は、横溝正史の短編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の一作。月刊『オール讀物』昭和二十五(1950)年9月号に掲載された。
 1992年7月(主演・古谷一行)と1996年4月(主演・片岡鶴太郎)に TVドラマ化されている。
 本作には、金田一耕助が愛した2人の女性のうちの1人である持田虹子が登場する。もう1人の『獄門島』(1946年10月発生の事件)に登場する女性・鬼頭早苗に対する愛情が、どちらかというと淡い気持ちであったのに対し、虹子に対する気持ちは深刻に思いつめたもので、本作の悲劇的な結末を迎えた後、金田一は傷心旅行先から本作の執筆者である「先生」に宛てて、「ぼくは決して、自殺などしないから」と手紙を送っている。
 2022年のドラマ版では、本作は昭和二十五(1950)年9月に発生した事件、先生の住所は「東京都世田谷区病院坂四丁目五番地」に設定されている(金田一が先生に送った絵葉書の消印と宛書から)。

あらすじ
 昭和二十三(1948)年の夏に、『夜歩く』と『八つ墓村』という2つの大事件を解決し、『八つ墓村』事件で充分な報酬を得た金田一耕助は、9月の初め、先生と伊豆の鄙びた温泉場Nの宿屋に逗留する。近所には狸穴(まみあな)の行者・跡部通泰の修行場があり、その修行場は元は持田電機社長・持田恭平の別荘であった。持田恭平は、金田一が恋愛感情を寄せる銀座裏の「虹子の店」のマダムである持田虹子の死んだ夫で、死因は脳溢血であった。
 金田一たちはそこで最近、墓場荒らしが何度も発生していると聞き、狸穴の行者の修行場を見物がてら墓場に赴くと、跡部通泰が蜜柑箱くらいの木の箱を隠すように抱えて立ち去るところに遭遇する。墓場を見ると持田恭平の墓が荒らされ、頭蓋骨がなくなっていた。
 それからほどなく帰京した2人だが、10月の中頃、先生に再会した金田一はひどく憔悴していた。どうやら虹子は狸穴の行者・跡部通泰に恐喝されているようであった。金田一は虹子が夫を殺し、それをネタに跡部に脅されているのではないかと考えていた。一方、虹子には貿易商の賀川春樹が恋人として現われたが、金田一の虹子への思いは変わらず、彼女の幸福を願い、跡部の脅迫のネタと彼の過去の秘密を何としてもつかみたいと思いつめていた。
 それからしばらく経ったある日、跡部通泰が脳溢血で急死する。さらにそれからひと月あまりが過ぎたある日、先生の元に北海道から金田一の手紙が届く。そこには一連の事件の真相と、その顛末が記されていた。

主なキャスティング
持田 虹子 …… 芋生 悠(24歳)
賀川 春樹 …… 安藤 政信(46歳)
おすわ   …… 神野 三鈴(56歳)
持田 恭平 …… 小浦 一優(芋洗坂係長 54歳)
先生    …… 清水 ミチコ(62歳)

主なスタッフ
演出 …… 佐藤 佐吉(57歳)

主な使用楽曲
オープニングの Tik Tok風ダンス 『Talking Box 』(2021年 WurtS )
金田一耕助と先生の逗留    『カナリア諸島にて』(1981年 大瀧詠一)
金田一耕助の恋        『何にも言えないの』(1968年 ヒデとロザンナ)
狸穴の行者の修行場      『KUMI Jefferson 』(1991年 平沢進)
持田虹子と狸穴の行者の密会  『NIGHTMARE 』(1991年 平沢進)
持田恭平の凋落        『リンゴの唄』(1945年 並木路子)
金田一耕助の激情       『恋するリボルバー』(2020年 伊藤蘭)
賀川春樹との遭遇       『恋のバカンス』(1963年 ザ・ピーナッツ)
持田虹子の手紙        『空洞空洞』(2017年 amazarashi )
事件の行方          『ウナ・セラ・ディ東京』(1964年 ザ・ピーナッツ)
エンドロール         『帰れない二人』(1973年 井上陽水)


 はいっ、というわけで、横溝正史先生による原作小説の中では、今回映像化された3作の中で2番目に発生した事件ということになる『女怪』の登場でございます。
 とはいえ、視聴なされた方ならご存知のように、この『女怪』は今回の3作一挙放送の堂々たるトリを務めていまして、過去の金田一もの映像化作品の歴史を振り返ってみましても、3作の中で唯一、映像化の前例のある作品となっております。さすがに映画にはなっていないのですが、なんとすでに2回もドラマ化されているんですよね! つまり、知名度で頭一つ抜きんでている作品なんですな。まぁ、今回の第3シーズンの目玉と言って差し支えないでしょう。

 ここでちっと、2022エディションの感想に入る前に「過去2度のドラマ化」について触れてみたいのですが、最初はご存知、「演じた回数史上最多」のミスター金田一こと、古谷一行バージョンによる2時間ドラマ版『女怪』( TBS制作)です。きたきたきた~!
 古谷版『女怪』は1992年7月の放送だったのですが、この「1992年」は悠久の古谷金田一史においてもひとつのピークを迎えたスペシャルイヤーでありまして、だいたいスペシャルドラマ期の古谷金田一シリーズは年に2回くらいのペースで放送されていたのですが、この1992年は4月に『悪魔が来りて笛を吹く』、12月には『病院坂の首縊りの家』が放送されていたので、なんと「年に3本もの古谷金田一の新作がおがめる」という、令和の横溝ファンからしたら失禁しかねない活況にあったのです。
 わたくしごとで恐縮なのですが、1980年代生まれの私は、確か1989年放送の『薔薇王』あたりが記憶の中での「最初の金田一映像体験」で、この古谷版『女怪』もベータビデオ(古!)で録画して観ているはずなのですが、なんせ古谷さんと丘みつ子さんの40代の恋 in 古都ということで、山形の中学生男子にはレベルが高すぎたため、はっきり言ってあんまりよく覚えていません。原作よりかは増えてるけど、殺人シーンもきわめて地味だし……

 でも、ありがたいことに古谷金田一シリーズは連続ドラマ期もスペシャルドラマ期も全作ソフト商品化されているため、92年版はいつでもチェックすることができるのです。いい時代になったもんだ!
 あらためて観直してみますと、古谷版『女怪』は短編小説を93分のスペシャルドラマサイズに膨らませなければならないということで、ざっくり言うと以下のようなアレンジが加えられていました(脚本・中村努)。

変更1 事件の舞台が伊豆~東京から京都になっている(虹子の店と跡部通泰の祈祷所は京都市中心部、おすわの家や跡部の修業場は京都市右京区周山村)。
変更2 原作に登場していたおすわの役割が大幅に増えて虹子や恭平と縁の深い人物となり、原作にいなかった虹子の弟・谷村貞夫や跡部の修業場の管理人・寺坂が事件の重要人物として登場する。
変更3 金田一の逗留に付き合うのは等々力警部(所属は大阪府警)で、虹子は偶然10年ぶりに再会した金田一の学生時代の恋人となっている。
変更4 恭平殺害の動機が、犯人の過去とからめて大幅に補強されている(恭平が犯人の両親を自殺に追い込んでいる)。
変更5 金田一は今回の事件の捜査を自分からではなく、おすわからの失踪した貞夫の捜索依頼と、おすわと親交のある等々力警部の後押しから始めている。
変更6 金田一は跡部の正体を調査報告書の形でなく、直接犯人に語る形で伝えている。
変更7 跡部の正体の解釈が、原作小説と違う。

 ざっくりといっても、こんなにアレンジを重ねてるわけなんですよね~。短編をふくらますのって大変なんだなぁ。
 2000年代の古谷金田一シリーズ末期を観てもお分かりのように、『犬神家の一族』やら『八つ墓村』やらといった長編小説を刈り込んで2時間サイズに仕上げるのと違って、短編小説を原作にない要素を注入することによってふくらませる手段というのは、ともすれば原作にあった主眼や魅力を薄れさせてしまいかねないリスクがあのですが、この古谷版『女怪』は、とにかく「犯人の動機の説得力を強化する」ことと、「京都を舞台にして物語の画的な美しさを強化する」ことにしっかり照準を当てているので、観ていて特に気になる矛盾もなく、非常に観やすい佳作に仕上がっています。まぁ、全体的に犯人がバレバレ、しかも犯人に同情的でウェットな内容になっているのでミステリー本来の犯人当ての面白さは皆無なんですけれども、それはあんた、原作からして題名が「女怪」なんだもんねぇ……
 あ、矛盾と言えばひとつだけあった。古谷版『女怪』は昭和二十七(1952)年の夏に発生した事件という設定なのですが(賀川春樹の戸籍謄本の記述から)、虹子のバーで流れていた江利チエミの『テネシー・ワルツ』を聴いて、虹子は金田一と10年前に交際していた学生時代によく聴いていたと懐かしみます。でも、江利チエミ版の『テネシー・ワルツ』は昭和二十七(1952)年1月にリリースされた楽曲であるので、学生時代に聴いてるわけがないんですよね。でも、多少矛盾してでも『テネシー・ワルツ』を楽曲に利用したい気持ちは、よ~くわかる!! 2人の切ない関係を彩る超名曲です。それにしても、古谷さんと丘さん(当時どちらも40代)が「10年前に学生だった」という設定も、たいがいですよね。映画版『女王蜂』の仲代達矢さんにはかなわねぇけどさぁ。
 こんな調子で話してると、記事のメインが古谷版『女怪』になってしまうのでいい加減にしますが、この古谷版『女怪』最大のアレンジは、「金田一が一方的に虹子を好きになっているわけではない」というところ。ここに尽きますよね。あくまでもここでの虹子は金田一の「昔の恋人」であって、それなりに愛情も復活しますが金田一は非常に大人な醒めた対応に徹しており、それがクライマックスでの「犯人を直接断罪する金田一」という、ちょっと厳しすぎるんじゃないかとも見える姿となるのです。
 「人を愛する人間・金田一耕助」という、原作小説最大のオリジナルポイントをあっさりと捨ててしまった感もある古谷版『女怪』なのですが、これはやっぱり、当時48歳の古谷さんが演じるには、原作版の金田一はあまりにも若すぎるという判断が働いたのではないでしょうか。はっきり言って「見苦しい」、「見ていてツラい」という域にまでいってますもんね、原作の金田一は。でも、原作小説の金田一耕助も『女怪』事件の時は35歳くらいじゃなかったっけ? けっこう、笑えない良い歳なんですが……

 1992年の古谷版についてはここまでにしておきまして、あと1996年4月に放送された片岡鶴太郎版の『女怪』(フジテレビ制作)にも触れておきましょう。
 この、片岡鶴太郎の金田一シリーズというのもまた、私にとっては思い入れの強いバージョンでねぇ! なんでこのシリーズって、いまだにソフト商品化されてないんだろう!? 出たら絶対に全作買うんだけどなぁ。いったい誰がリリースに難色を示してんの!? 鶴ちゃんか? マキセか!?
 鶴太郎金田一シリーズは、先行して放送中だった TBSの古谷金田一シリーズに比べれば、原作改変が多いのはどっこいどっこいにしても、キャスティングがだいぶ若々しい印象もあって(牧瀬里穂さんとか高橋由美子さんとか)、当時ガキンチョだった私にとっては古谷版よりもよっぽどとっつきやすかったんですね。記憶する限り、「生まれて初めて最後までちゃんと観た金田一映像作品」は、この鶴太郎バージョンの『獄門島』(1990年)だったなぁ。鶴ちゃん&フランキー堺の「鎌倉幕府滅亡コンビ」、最高!!

 そして、鶴太郎金田一シリーズとしては第7作に当たる『女怪』もまた、同じ1996年の10月に『悪魔が来りて笛を吹く』が放送されているため、「年に2本も鶴太郎金田一の新作がおがめる」という、シリーズの絶頂期を彩る作品になっていたのです(鶴太郎金田一シリーズは年1放送のペースだった)。金田一シリーズの頂点に常に『女怪』あり!!
 んで、こっちも2時間ドラマサイズに内容が膨らんでいるわけなんですが、鶴太郎版『女怪』は古谷版とはまた違ったアプローチからの変更がなされていて、こちらはなんと、横溝正史先生の別の金田一もの短編『霧の中の女』(1957年発表)の内容をドッキングさせることでボリュームアップを果たしているのです。
 これはこれで、面白そう! でも、ソフト商品化されてないし、内容ぜんぜん覚えてないんだよなぁ……残念ながら、こちらに関する考察は現在不可能であります! でもいつかちゃんと観てみたいなぁ。
 ちなみに、こちらで金田一のパートナーとなっている、原作の「先生」ポジションの推理小説作家「硯川酒肴」を演じたのは、再び登板のフランキー堺さま! なおさら観たいよ~!!


 はぁ、はぁ……なんか、2022年エディションの内容に入る前にこんなに字数くっちゃってるんですけど……これだけ映像化金田一作品の歴史は奥が深いということで、何卒御容赦を!
 もういい、いこういこう、今回の池松金田一バージョンの感想!!

あの~、面白かったです! 面白かったんだけど、非常にせつない作品でしたね。

 せつない&痛々しい! シーンによっては、「もう見てらんない……」という醜態までさらしていたのではないでしょうか、今回の金田一耕助は。でも、これはそのまんま、古谷版のように原作最大のポイントから逃げずに、「ちゃんと」原作を映像化した証拠なんですよね。

 まず何がせつないって、のっけから金田一と虹子が Tik Tokみたいなダンスを踊ってるのがもう、せつなすぎます。
 あのダンスは、振付のクオリティがどうこういう問題ではなく、とにかく踊っている人たちが「楽しくなる」ことに主眼がおかれていると思います。それなのに、すぐ隣で踊っているはずの相手と目を合わせることはほぼなく、2人とも正面向きのカメラ目線で意図的に視線を外しているので、おそらくは録画した動画をチェックするまで、相手と息が合っているのかどうかさえわからない状態で踊り続けているのです。それ、楽しいか……?
 また、Tik Tokというツール自体、その場のノリを重視する「遊び」なのであって、できあがった動画自体の質などは問題にならないでしょう。作品の完成が最終目的ではなくて、記録する行為が楽しいことがいちばん大事なのです。
 つまり金田一と虹子の関係が、明確な終着点のないその場しのぎの「刹那的なすれちがい」であることを象徴するのが、この Tik Tokダンスであるわけなのです。どんなに近くにいるようでも、この2人は根本的にわかりあえない。金田一は心底楽しくて笑っていても、虹子は自分がキレイに映ることにこだわって笑顔を作っているだけなのかもしれない……振付の最後のコマネチポーズを決めた時の2人の顔を見てください! 金田一はひたすらバカみたいでしょう? 虹子はいちばんいい顔をしているでしょう? これが男女の違いなのです。今回の佐藤佐吉演出は、ひたすらに鋭利で残酷だ!! まさしくこれ、「切れたナイフ」の如し……ヤバいよヤバいよ~!!

 ところが、実は佐藤演出以上に金田一耕助にキビしいのが原作・横溝正史先生の筆なのでありまして、この『女怪』という物語の中の金田一耕助の役割って、完全に「虹子と賀川春樹」とか「虹子と狸穴の行者」とかいう、とっくにできあがっちゃってる関係の、「feat.」どころかスタジオコーラスの端っこにすら入れてもらえない蚊帳の外でしかないんですよね。当然そこは名探偵なので、作中の事件を解決に導くことはできるのですが、ハッピーエンドにはならないし(関係者全員が……)、金田一は一途に恋をした虹子を救うことさえできないのです。しかも、金田一が虹子を救えなかったのは、金田一側でなんとかできる次元の問題ではなく、そもそも虹子の方がまるっきり金田一をアウト・オブ・眼中といいますか、賀川春樹と比較するという発想さえ生まれないほど「意識していなかったから」だったからという、この単純明快な理由の残酷さよ! 要するに、「お店によく来る、ちょっと変わったお客さんくらいにしか思ってませんでした。」ってこと!?
 こんなんだったら、「なんでほんとのこと言ったのよ! もう大キライ!! 一生許さないから!!」とか激怒して殴りかかってくるくらいの感情をぶつけてくれた方が、金田一にとってはまだマシだったでしょう。

 極論すると、約束した時間に来てくれなかった段階で、賀川を失った虹子はすでに生きる意欲を失っていたのです。さらに言えば、金田一の調査報告を読んで、虹子は安心すらできたのかも知れません。おそらく、賀川が自分を捨てて新しい彼女とどこかで楽しくのうのうと生きているルートこそ、虹子が女として最も許容できない最悪のシナリオだったのではないでしょうか。そのくらいのプライドはあったでしょうし、それを知ってか知らずか、私立探偵としてきわめて愚直に真実を伝えてしまった金田一の選択が、虹子に引導を渡す決定打になってしまったわけなのです。つまり、今回の事件の結末は、金田一が試合に勝って勝負に負けたといいますか、「犯人の逃げ勝ち」と言えるものだったのではないでしょうか。いずれにせよ、金田一に犯人を救うことは全くできなかったのです。つらいな……

 ですので、今回の2022エディションにおける、虹子の手紙を読んだ金田一の「完全な妄想」として描かれていたクライマックスの「解決編」は、どこからどう見ても金田一のひとりよがりな主観がだいぶ混入した、実にスウィーティな PV風の仕上がりになっており、あたかも虹子が「金田一さんが助けてくれれば、あるいは、わたしも……」みたいな湿っぽい匂わせ空気を作ってはいましたが、実際の虹子さんの意向を反映させたものではまっっっったくないことを断言しておきたいと思います。目を醒ませ、耕さん!!

 巷説、この『女怪』と比較されることの非常に多い、江戸川乱歩の大傑作『陰獣』(1928年発表)と比較してみれば分かりやすいのですが、主人公がいちおうの探偵役になる(ご存知明智小五郎は登場しない)『陰獣』では、他ならぬその主人公がヒロインと恋愛関係におちいるため、そのヒロインに迫りくる異様な怪人「大江春泥」との間に完全な三角関係ができあがり、主人公も読者もかなり濃厚な妖しいロマンの世界にいざなわれることになります。こりゃもう、大乱歩の領域展開といいますか、大得意のホームタウンですよね。
 それに対して、『女怪』は物語の語り手である先生はおろか、探偵役の金田一さえもが三角関係に入れてさえもらえない外野席しか用意されていないため、最初っから「アホくさ……」とドン引きしている先生と、勝手に「大好き!」とか「彼氏いるのかな!?」とか大興奮している金田一の対比と、その挙句に虹子に意識さえしてもらえていなかったという当たり前の事実に落胆しまくる金田一のスレてなさといいますか、天然っぷりが、もはや笑ってさしあげるしかないおかしみに満ちているのです。
 要するにこれ、「横溝が大乱歩に挑戦した!!」とかいう大上段に構えた正攻法の推理小説ではなくて、完全なパロディなんじゃない? そう読むと、淡々とした手紙調で語られる後半の語り口も、先生の非常にドライな距離感の象徴でしかないし、金田一の本作随一の名言である、

「先生御心配なさらないで下さい。ぼくは決して、自殺などしないから。」

 という妄言に対しても原作の先生は、2022エディションでの清水ミチコ先生のように、真に受けて慌てて金田一を探し回ったり、優しく抱きしめたりなどは絶対にしなかったでしょう。

「アホか。北海道でもどこでも放浪して頭冷やしてきさらせ、この中学二十三年生!!」

 っていうツッコミでおしまいだろ、こんなの。
 はからずもここで再び、ロマンあふれる乱歩ワールドと、本質は超ドライな横溝ワールドとの差が明瞭に見えてくると感じました。横溝先生の原作をウエットに映像化するのは、あくまでも映像作品の作り手の方々の作品解釈でしかないと思うんですよね。原作はひたすら理系だよな~。

 ここまでつづってきて感じたのですが、そんな原作『女怪』をここまで金田一主観でしっとりと描いた今回の佐藤演出の解釈は、果たして「ほぼ原作に忠実」と言えるのかどうか? 少なくとも、同じ佐藤演出の前作『華やかな野獣』のような仰々しいにぎやかし的なおもしろ要素はかなり鳴りを潜めていて、ひたすら(金田一にとって)悲劇的な事件の結末へと向かっていく「正統派」な作りになっていたと思います。原作は、その金田一のピュアさと存在価値の相対的なちっぽけさが笑うしかない「喜劇」だと思うんですけどね。山口百恵さんとか宝塚歌劇団とかネタ要素の高い懐メロをふんだんに使っていた前回に対しても、今回は曲数自体少なくなっていたし、はっきり言ってジャストフィット過ぎて印象に残らないあっさり感はありましたよね。良くも悪くもおさまりがいい、というか。
 ふざけてる演出なんか、最初の伊豆旅行でネコの真似をしてた金田一&先生と、暗黒面のフォースの使い手だった狸穴の行者くらいなもんじゃないの? 狸穴の行者、実力ありすぎでしょ。極東の小国で祈禱師やってる場合じゃないよ!!

 そうそう、狸穴の行者の「正体」のくだりって、完全に某・世界一有名な名探偵のある大傑作の真相とおんなじですよね。これはあまりにも有名だし、トリックのネタとかでなくあくまでも動機の話なのでパクリとは言えないでしょうけど、そこら辺を虹子に告白するタイミングを絶望的に誤ってしまったという男女のすれ違いの哀しさも、まるで笑えない人生の喜劇ですよね。ほんとうにかわいそうなのは金田一じゃないんだよなぁ、このお話は。グラナダホームズ版のドラマも、去ってゆく男女の後ろ姿が非常に味わい深いエンディングでしたね。


 そんなこんなで、「えっ、なんでそんなにウエッティに描いたの!?」と驚きもしましたが、『女怪』2022エディション、面白かったと思います! 個人的には『華やかな野獣』くらいに振り切った作品のほうが好きなんですけどね。
 あれか、池松さんはそういう意味で「生身の」金田一耕助を演じたかったのか。恋に有頂天になり、そこから一転、絶望して悲しみに暮れる人間・金田一耕助。
 まるで、彼氏(もしくは彼女)なんかいるわけもないと一方的に思い込み、オフィシャルグッズを買い込んでいちばんのおめかしをして、高いチケット代を払っていそいそとライブ会場へと向かうアイドルファンの如し!! それである日突然にネットニュースで熱愛お泊り報道が暴露されちゃうんだもん、真面目な信者にとっちゃあ、たまったもんじゃねぇよなぁ。

 金田一耕助……まさにいちずな東北人の宿命を背負った、哀しき漢よ!!

 ……生粋の関西人の先生からしたら、最高のネタ素材よね。嗚呼、ここにも笑うしかない東西すれ違いの人生交差点が!!
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする