みなさんど~うもこんにちは。そうだいでございます~。今日も千葉はカラッとした晴天です。
いや~、私の中では淡々と2012年の正月が過ぎてまいります……めでたいのはあやかりたいんですけど、新年を迎えた実感がわかねぇな~。
初もうで? 行きました行きました、近所の稲荷神社。お堂がひとつだけの。でも鳥居がズラズラ~っとならんでる形式の。
ここがなかなか雰囲気たっぷりの場所でしてね……「パワースポット」というよりはむしろ「心霊スポット」として有名らしいです。
正月になってから1時間以内、午前1時になるまでのド深夜にササーッとおもむいてお参りするのがここ数年のパターンとなっているのですが、毎回毎回、みごとに参詣客がいません。ただ風がざざーっと吹きわたっているだけ。近くに松林があるので街灯のあかりもおよんできません。
いいんですよね。黒地に多めの紺がまじっている無明の闇の中、ぼーっと朱色の空間が口をあけているんですねぇ。これは心が改まるわ。
でね、今年も行って、例年通りにガラガラと鈴ひもをならしてお賽銭を投げることにしたんですよ。
そしたら起きたねぇ~、ちょっとした「神のお怒り」が! 私そうだいの2012年の初笑いは稲荷神社のまっ暗な境内の中でした。ひでぇ年明け!
毎年毎年、大晦日は判で押したようにサイフの中がスッカラカンだった私は、サイフを持ち歩く必要がなかったので5円玉だけをにぎって神社に向かっていたのですが、今年はい・く・ら・か! 余裕ができたので普通にサイフを持って初もうでに行きました。
これがいけなかった……
こちらとしては慣例として、サイフの中から5円玉だけを取り出し、鈴ひもをならして目の前の賽銭箱に投げ入れた。
そ・し・た・ら!! 揺れた鈴ひもが私の投げた5円玉をはじきかえしたの!
ちゃり~ん。掃き清められた参道わきの闇に消えていく5円玉。
私だってね、揺れる鈴ひもの軌道をよまないで投げるほどぽけぽけぷうじゃありませんよ。ちゃんと鈴ひもの揺れがおさまるのを待って投げたつもりだったんです。
それなのに、私は見た。鈴ひもがまるで生きているかのごとく「ぴよんっ」とはねて5円玉をはじきかえしたのを……
ハッ!? その動き、まさにおキツネ様のおっぽのごとし。
その瞬間、私は誰もいないはずの闇の境内の中で、「2匹ぶん」の強烈な視線を感じるようになりました。
視線のあるじは言うまでもなく、おやしろの両脇にひかえておられるおキツネ様ペアの石像です。
右 「おめぇ、そのポケットに入ってるジャラジャラしてんのはなんだ……」
左 「そんなに持ってんのに、出すのは5円玉ぽっちってか。えらくなったもんだなぁオイ!」
あはっ、あはははっ、そんなわけないじゃないですかぁ~!? 冗談に決まってますよ神さまぁ~!
あらためて、私は地面にはいつくばって見つけたさっきの5円玉と(これが不思議と暗いのに見つかるのよ!)、サイフの中から出した小銭ありったけを賽銭箱の中につぎ込んだのでした。ていっても、小銭だから結局は総額5~600円くらいだったんですけど。
この時もガラガラと鈴ひもをならしてから投げたんですが、こんどはとどこおりなく賽銭箱の中に吸い込まれていきました。良かった……これでダメだったら諭吉っつぁんにいくしかなかったからね。
え~、今年もいいことありますように、っと。
本年もご加護のほどをよろしくお願いいたします。ほんじゃ、失礼いたしました~っ!
こんな感じで、新年あけて早々、数十分後に神様の存在に気づかされる奇跡を目の当たりにした私は、逃げるように無人の稲荷大明サマのおやしろをあとにしたのでした。
まぁ、単に私が気持ち強めに鈴ひもをならしすぎたってだけだったんでしょうけど……いい体験をさせていただきました。来年はサイフは持っていかないことに……いえ、持っていきます。
話が長くなってしまいましたが、まぁこんな2012年の幕あけだったわけでございますよ、わたくしは。祝福アレ~。
さてさて、そうこうしつつも年末年始なにかと忙しかった私は、去年の12月に「桜木町ひとりツアー」ができなかったので、今年最初の丸1日休みとなった昨日に2012年最初の桜木町行きとしゃれこむこととなりました。
もう、「恨み」もへったくれもありません……いい加減、出発地点に行ったり、桜木町から千葉に帰るまでの電車賃で往復2千円くらいかかってしまう、この正気をうたがう企画もおしまいにしたいと思っております。道もだいたいわかるようになってきちゃいましたし。「知らない街に来ちゃった~!」というアウェー感はさすがになくなりましたね。
出発地点に選ぶ駅もだいぶゴールの JR桜木町駅に近づいてきてしまいまして、今回は「京浜急行神奈川新町駅」(横浜市神奈川区)! もう目と鼻の先です。6km もないかな? 時間も1時間かかりませんでしたね。
そんなこんななので、JR桜木町駅に歩いて行くことを目的とする散歩は、あと2~3回で終わりにするつもりです。アホみたいな交通費の無駄遣いもこれでおっしま~い!
ということで、桜木町駅近くのシネコン「ブルク13」に1人でおもむくのもあとわずかです。いい映画館なので、近いうちに「ふたり」で行きたいね~!! 誰と?
んでもって余裕で到着して体力ありあまる中で観た、私そうだいの2012年、記念すべき鑑賞1発目の映画とは!?
『源氏物語 千年の謎』(角川映画 主演・生田斗真 監督・鶴橋康夫)
う~ん、大丈夫か!? 大丈夫なのか、日本映画!?
2時間16分におよぶボリュームたっぷりの内容だったんですが、観終わったあとの私の感想は、簡単にまとめるならば以下のとおり。
『源氏物語 千年の謎』での紅白演技合戦は、「赤組」の圧勝!! っていうか、生田くん以外の「白組」は勝負になってない……
いや~、圧倒的な力の差がありましたね。女優と男優とで。
俳優のみなさんのことはちょっとおいておきまして、まずはこの作品の内容について。
この作品は、日本が世界に誇る平安文学の大古典『源氏物語』をストレートに映画化したものではありません。
その『源氏物語』をもとにして脚本家の高山由紀子さんが創作した小説『源氏物語 悲しみの皇子』(2010年)を映画化したものが今回の『千年の謎』なんです。
私は最初に、この『千年の謎』にかんする「原作・脚本 高山由紀子」という情報を知った時、
「えっ、高山さんって、あの高山さん!? それじゃあ絶対に観に行かなきゃ!」
と驚いてしまいました。
そうなんです。特撮ファンを自称する私ならば、高山さんのお名前を聞いて動かないわけにはいきません。
脚本家の高山由紀子さんは、あの「昭和ゴジラシリーズ」の荘厳なる最終作『メカゴジラの逆襲』(1975年)がデビュー作なんですねぇ。
聞くところによると、当時若干30歳でシナリオスクールの学生だった高山さんは、先生でもあった本多猪四郎(いしろう 一般的には「いのしろう」)神監督がおこなった脚本コンペの中で、あの作品をものして大抜擢されたのだとか。
興行成績が思わしくなかったということもあってか、結果的にはゴジラシリーズの最終作(当時)、しかも本多先生の監督最終作となってしまった『メカゴジラの逆襲』でしたが、日本特撮史上の原点ともいえる第1作『ゴジラ』(1954年)で組まれた黄金タッグ「監督・本多猪四郎&音楽・伊福部昭」が久々に復活したこの作品は、それ以上に、
「男と女、父と娘、人間と人間でないもの、それぞれの業としての愛」
という、おめめがクリックリしてすっかりマイルドな子どものヒーローと化してしまった「怪獣王ゴジラ」が一瞬にして霞んでしまう、重厚すぎる高山脚本が実におごそかな味わいを残してくれる激シブの名作でした。作品のテイストにあわせて機体色がくすんだメタリックグレーになった「メカゴジラ・マーク2」も前作に増してカッコ良かったなぁ!
ともかく、のっけのデビュー作からこういった「人間の業としての愛」を真正面から見据えていた高山さんが『源氏物語』に挑戦!ってんですからね……これは観ないわけにはいきません。
高山さんの『千年の謎』は、「紫式部はなぜ『源氏物語』を執筆したのか?」といったあたりに主眼を置いた「半分史実、半分フィクション」といった物語となっており、時の権力者・藤原道長(「この世をば~」の人)の、
「時の帝さえもが夢中になってしまう『ものがたり』を書くのじゃ~!」
という激ムズのミッションを引き受けてしまった、道長の娘「彰子(しょうし)」の家庭教師・紫式部の現実の世界での執筆風景と、彼女がつづった『源氏物語』の中での主人公「光源氏のきみ(光源氏というのはいわゆるニックネームで、姓が『源』というだけで本名は作中では明らかにされない)」の半生とが並行して展開されていくのがこの『千年の謎』のストーリーラインなのです。
したがってこの作品自体は、『源氏物語』の宮廷での大ヒットをうまく操作して天下の権力をまんまと我がものにしてしまった道長の「かけたることもなし」がごとき絶頂期と、それを見届けていったん『源氏物語』の筆をおき、家庭教師の任を辞して宮廷を去っていく紫式部の旅立ちをもって完結しており、古典作品の『源氏物語』ぜんたいをダイジェスト的に映像化したものではないのです。
そうなんですよ。2時間以上かけて繰り広げられたこの作品も、おおもとのネタとなった『源氏物語』全54帖(じょう 「巻」と同じ意味)のうちの、たった「10帖ぶん」(『賢木 さかき』まで)しかあつかっていないんですよ! うぬぬ……『源氏物語』は深すぎる。
でも、私はこの「『源氏物語』の前半ちょっとだけと現実世界とをかーりぺったかーりぺった(『ドリフ大爆笑』より)でえがく。」という高山采配はそうとういいと感じました。
だってね、『源氏物語』の濃厚すぎる世界はこのくらいの「つまみ方」で充分におなかいっぱいになっちゃうんですから。とってもいいあんばいなんです。
しかも! この作品は話が進んでいくにつれてそんな「紫式部の現実世界」と「光源氏のフィクション世界」とかズルズルと接近していってしまい、最終的にはそのふたつが融合してしまうというアクロバティックなクライマックスを迎えてしまうのです!
これ、な~んかおもしろくない? 自分でこの文章をうっていて私は思わず、
「ああ、この高山作品をデイヴィッド=リンチ監督が手がけていたならば、どんなことになっていたであろうか!?」
と感じてしまいました。まぁ……完成しないでしょうね。
作者・紫式部のえがく「光源氏」とは、現実世界でのカリスマ「藤原道長」の姿を大きく投影させた存在であり、そんな光源氏をとりまく正妻「葵の上」や愛人「夕顔のきみ」、そして彼が自分の亡き母「桐壺更衣(きりつぼのこうい)」の姿をかさねて恋い慕うあこがれのひと「藤壺中宮(ふじつぼのちゅうぐう)」といったさまざまな「おんな」たちは、全員どこかで紫式部のどこかの部分や願望を具現化した存在なのです。
そして、愛憎なかばする紫式部と道長との関係の中でついに登場したのが、紫式部の「嫉妬」の部分を強く受けた光源氏の年上の愛人「六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ みんな、「みやすんどころ」の「ん」はちゃんと入れよう! そっちのほうがきれいだから!)」!! きたきた~。
六条御息所は光源氏の他の愛人を生き霊(いきりょう)となって激しく呪い殺していき、ついには光源氏の待望の子をやどした正妻・葵の上までをも手にかけんとせまっていく。
光源氏の愛したおんなたちは全員不幸になるしかないのか。そんな運命を背負った光源氏の行く末は? そして、みずからの「嫉妬」の感情を開放してしまった現実世界での紫式部と藤原道長との関係はどうなってしまうのか!?
どうですか~、『源氏物語 千年の謎』。おもしろそう?
まぁとにかく、この作品は「紫式部と藤原道長」という構図と「おんなたちと光源氏」という構図とが、あるポイントではそっくりになってあるポイントでは正反対となり、じょじょに接近していって融合しかねない危険性をはらんでいくという緊張感が重要な「きも」となっております。そここそが高山由紀子えがくところの『千年の謎』の真骨頂となっているわけなのですが。
この映画はそういったおいしいストーリーをいぃ~っさい活かしてくれてない!! ムダにしすぎ!!
はっきり言ってしまいますと、この映画『千年の謎』は、「現実世界」と「フィクション世界」の行き来にたいして映像の作り方がザツすぎるんです。その2つの世界が「相容れないものである」というところの前ふりがあまりにもなさすぎるので、最終的に「実在の人物が『源氏物語』の世界に現れて『源氏物語』の登場人物が現実の世界に現れる」というサプライズが全然サプライズになっとらんのですよ。もう、「ふ~ん。」みたいな受け入れ方になっちゃうの。もったいないったらありゃしねぇ~!!
なんか、「どっちも平安時代のコスチューム・プレイです。」みたいにいっしょくたにしてるとしか思えない平板なシーン割りの連続で、どうしても、
「中谷美紀(紫式部)が出てるとこが現実世界で、斗真くんが出てるとこが『源氏物語』世界で~す。わかるよね?」
という軽いノリしか伝わってこないんですよ~。凡百のTVドラマがごときこのぬるさ!
そう。そして、この『源氏物語 千年の謎』の「2つの世界の語り方」に関するザツさは、冒頭に私が「女優大勝利!」と言った「キャスティング」でも巨大すぎるマイナスをつくっていたのであります。
キーワードは、「安倍晴明役に窪塚洋介」。
はぁああああ!!? おぬし、ちょっと待てぇェエ~ぃい!!
ちきしょう、こうなったら……「次回に続く」だコンチキショウメーイ!!
いや~、私の中では淡々と2012年の正月が過ぎてまいります……めでたいのはあやかりたいんですけど、新年を迎えた実感がわかねぇな~。
初もうで? 行きました行きました、近所の稲荷神社。お堂がひとつだけの。でも鳥居がズラズラ~っとならんでる形式の。
ここがなかなか雰囲気たっぷりの場所でしてね……「パワースポット」というよりはむしろ「心霊スポット」として有名らしいです。
正月になってから1時間以内、午前1時になるまでのド深夜にササーッとおもむいてお参りするのがここ数年のパターンとなっているのですが、毎回毎回、みごとに参詣客がいません。ただ風がざざーっと吹きわたっているだけ。近くに松林があるので街灯のあかりもおよんできません。
いいんですよね。黒地に多めの紺がまじっている無明の闇の中、ぼーっと朱色の空間が口をあけているんですねぇ。これは心が改まるわ。
でね、今年も行って、例年通りにガラガラと鈴ひもをならしてお賽銭を投げることにしたんですよ。
そしたら起きたねぇ~、ちょっとした「神のお怒り」が! 私そうだいの2012年の初笑いは稲荷神社のまっ暗な境内の中でした。ひでぇ年明け!
毎年毎年、大晦日は判で押したようにサイフの中がスッカラカンだった私は、サイフを持ち歩く必要がなかったので5円玉だけをにぎって神社に向かっていたのですが、今年はい・く・ら・か! 余裕ができたので普通にサイフを持って初もうでに行きました。
これがいけなかった……
こちらとしては慣例として、サイフの中から5円玉だけを取り出し、鈴ひもをならして目の前の賽銭箱に投げ入れた。
そ・し・た・ら!! 揺れた鈴ひもが私の投げた5円玉をはじきかえしたの!
ちゃり~ん。掃き清められた参道わきの闇に消えていく5円玉。
私だってね、揺れる鈴ひもの軌道をよまないで投げるほどぽけぽけぷうじゃありませんよ。ちゃんと鈴ひもの揺れがおさまるのを待って投げたつもりだったんです。
それなのに、私は見た。鈴ひもがまるで生きているかのごとく「ぴよんっ」とはねて5円玉をはじきかえしたのを……
ハッ!? その動き、まさにおキツネ様のおっぽのごとし。
その瞬間、私は誰もいないはずの闇の境内の中で、「2匹ぶん」の強烈な視線を感じるようになりました。
視線のあるじは言うまでもなく、おやしろの両脇にひかえておられるおキツネ様ペアの石像です。
右 「おめぇ、そのポケットに入ってるジャラジャラしてんのはなんだ……」
左 「そんなに持ってんのに、出すのは5円玉ぽっちってか。えらくなったもんだなぁオイ!」
あはっ、あはははっ、そんなわけないじゃないですかぁ~!? 冗談に決まってますよ神さまぁ~!
あらためて、私は地面にはいつくばって見つけたさっきの5円玉と(これが不思議と暗いのに見つかるのよ!)、サイフの中から出した小銭ありったけを賽銭箱の中につぎ込んだのでした。ていっても、小銭だから結局は総額5~600円くらいだったんですけど。
この時もガラガラと鈴ひもをならしてから投げたんですが、こんどはとどこおりなく賽銭箱の中に吸い込まれていきました。良かった……これでダメだったら諭吉っつぁんにいくしかなかったからね。
え~、今年もいいことありますように、っと。
本年もご加護のほどをよろしくお願いいたします。ほんじゃ、失礼いたしました~っ!
こんな感じで、新年あけて早々、数十分後に神様の存在に気づかされる奇跡を目の当たりにした私は、逃げるように無人の稲荷大明サマのおやしろをあとにしたのでした。
まぁ、単に私が気持ち強めに鈴ひもをならしすぎたってだけだったんでしょうけど……いい体験をさせていただきました。来年はサイフは持っていかないことに……いえ、持っていきます。
話が長くなってしまいましたが、まぁこんな2012年の幕あけだったわけでございますよ、わたくしは。祝福アレ~。
さてさて、そうこうしつつも年末年始なにかと忙しかった私は、去年の12月に「桜木町ひとりツアー」ができなかったので、今年最初の丸1日休みとなった昨日に2012年最初の桜木町行きとしゃれこむこととなりました。
もう、「恨み」もへったくれもありません……いい加減、出発地点に行ったり、桜木町から千葉に帰るまでの電車賃で往復2千円くらいかかってしまう、この正気をうたがう企画もおしまいにしたいと思っております。道もだいたいわかるようになってきちゃいましたし。「知らない街に来ちゃった~!」というアウェー感はさすがになくなりましたね。
出発地点に選ぶ駅もだいぶゴールの JR桜木町駅に近づいてきてしまいまして、今回は「京浜急行神奈川新町駅」(横浜市神奈川区)! もう目と鼻の先です。6km もないかな? 時間も1時間かかりませんでしたね。
そんなこんななので、JR桜木町駅に歩いて行くことを目的とする散歩は、あと2~3回で終わりにするつもりです。アホみたいな交通費の無駄遣いもこれでおっしま~い!
ということで、桜木町駅近くのシネコン「ブルク13」に1人でおもむくのもあとわずかです。いい映画館なので、近いうちに「ふたり」で行きたいね~!! 誰と?
んでもって余裕で到着して体力ありあまる中で観た、私そうだいの2012年、記念すべき鑑賞1発目の映画とは!?
『源氏物語 千年の謎』(角川映画 主演・生田斗真 監督・鶴橋康夫)
う~ん、大丈夫か!? 大丈夫なのか、日本映画!?
2時間16分におよぶボリュームたっぷりの内容だったんですが、観終わったあとの私の感想は、簡単にまとめるならば以下のとおり。
『源氏物語 千年の謎』での紅白演技合戦は、「赤組」の圧勝!! っていうか、生田くん以外の「白組」は勝負になってない……
いや~、圧倒的な力の差がありましたね。女優と男優とで。
俳優のみなさんのことはちょっとおいておきまして、まずはこの作品の内容について。
この作品は、日本が世界に誇る平安文学の大古典『源氏物語』をストレートに映画化したものではありません。
その『源氏物語』をもとにして脚本家の高山由紀子さんが創作した小説『源氏物語 悲しみの皇子』(2010年)を映画化したものが今回の『千年の謎』なんです。
私は最初に、この『千年の謎』にかんする「原作・脚本 高山由紀子」という情報を知った時、
「えっ、高山さんって、あの高山さん!? それじゃあ絶対に観に行かなきゃ!」
と驚いてしまいました。
そうなんです。特撮ファンを自称する私ならば、高山さんのお名前を聞いて動かないわけにはいきません。
脚本家の高山由紀子さんは、あの「昭和ゴジラシリーズ」の荘厳なる最終作『メカゴジラの逆襲』(1975年)がデビュー作なんですねぇ。
聞くところによると、当時若干30歳でシナリオスクールの学生だった高山さんは、先生でもあった本多猪四郎(いしろう 一般的には「いのしろう」)神監督がおこなった脚本コンペの中で、あの作品をものして大抜擢されたのだとか。
興行成績が思わしくなかったということもあってか、結果的にはゴジラシリーズの最終作(当時)、しかも本多先生の監督最終作となってしまった『メカゴジラの逆襲』でしたが、日本特撮史上の原点ともいえる第1作『ゴジラ』(1954年)で組まれた黄金タッグ「監督・本多猪四郎&音楽・伊福部昭」が久々に復活したこの作品は、それ以上に、
「男と女、父と娘、人間と人間でないもの、それぞれの業としての愛」
という、おめめがクリックリしてすっかりマイルドな子どものヒーローと化してしまった「怪獣王ゴジラ」が一瞬にして霞んでしまう、重厚すぎる高山脚本が実におごそかな味わいを残してくれる激シブの名作でした。作品のテイストにあわせて機体色がくすんだメタリックグレーになった「メカゴジラ・マーク2」も前作に増してカッコ良かったなぁ!
ともかく、のっけのデビュー作からこういった「人間の業としての愛」を真正面から見据えていた高山さんが『源氏物語』に挑戦!ってんですからね……これは観ないわけにはいきません。
高山さんの『千年の謎』は、「紫式部はなぜ『源氏物語』を執筆したのか?」といったあたりに主眼を置いた「半分史実、半分フィクション」といった物語となっており、時の権力者・藤原道長(「この世をば~」の人)の、
「時の帝さえもが夢中になってしまう『ものがたり』を書くのじゃ~!」
という激ムズのミッションを引き受けてしまった、道長の娘「彰子(しょうし)」の家庭教師・紫式部の現実の世界での執筆風景と、彼女がつづった『源氏物語』の中での主人公「光源氏のきみ(光源氏というのはいわゆるニックネームで、姓が『源』というだけで本名は作中では明らかにされない)」の半生とが並行して展開されていくのがこの『千年の謎』のストーリーラインなのです。
したがってこの作品自体は、『源氏物語』の宮廷での大ヒットをうまく操作して天下の権力をまんまと我がものにしてしまった道長の「かけたることもなし」がごとき絶頂期と、それを見届けていったん『源氏物語』の筆をおき、家庭教師の任を辞して宮廷を去っていく紫式部の旅立ちをもって完結しており、古典作品の『源氏物語』ぜんたいをダイジェスト的に映像化したものではないのです。
そうなんですよ。2時間以上かけて繰り広げられたこの作品も、おおもとのネタとなった『源氏物語』全54帖(じょう 「巻」と同じ意味)のうちの、たった「10帖ぶん」(『賢木 さかき』まで)しかあつかっていないんですよ! うぬぬ……『源氏物語』は深すぎる。
でも、私はこの「『源氏物語』の前半ちょっとだけと現実世界とをかーりぺったかーりぺった(『ドリフ大爆笑』より)でえがく。」という高山采配はそうとういいと感じました。
だってね、『源氏物語』の濃厚すぎる世界はこのくらいの「つまみ方」で充分におなかいっぱいになっちゃうんですから。とってもいいあんばいなんです。
しかも! この作品は話が進んでいくにつれてそんな「紫式部の現実世界」と「光源氏のフィクション世界」とかズルズルと接近していってしまい、最終的にはそのふたつが融合してしまうというアクロバティックなクライマックスを迎えてしまうのです!
これ、な~んかおもしろくない? 自分でこの文章をうっていて私は思わず、
「ああ、この高山作品をデイヴィッド=リンチ監督が手がけていたならば、どんなことになっていたであろうか!?」
と感じてしまいました。まぁ……完成しないでしょうね。
作者・紫式部のえがく「光源氏」とは、現実世界でのカリスマ「藤原道長」の姿を大きく投影させた存在であり、そんな光源氏をとりまく正妻「葵の上」や愛人「夕顔のきみ」、そして彼が自分の亡き母「桐壺更衣(きりつぼのこうい)」の姿をかさねて恋い慕うあこがれのひと「藤壺中宮(ふじつぼのちゅうぐう)」といったさまざまな「おんな」たちは、全員どこかで紫式部のどこかの部分や願望を具現化した存在なのです。
そして、愛憎なかばする紫式部と道長との関係の中でついに登場したのが、紫式部の「嫉妬」の部分を強く受けた光源氏の年上の愛人「六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ みんな、「みやすんどころ」の「ん」はちゃんと入れよう! そっちのほうがきれいだから!)」!! きたきた~。
六条御息所は光源氏の他の愛人を生き霊(いきりょう)となって激しく呪い殺していき、ついには光源氏の待望の子をやどした正妻・葵の上までをも手にかけんとせまっていく。
光源氏の愛したおんなたちは全員不幸になるしかないのか。そんな運命を背負った光源氏の行く末は? そして、みずからの「嫉妬」の感情を開放してしまった現実世界での紫式部と藤原道長との関係はどうなってしまうのか!?
どうですか~、『源氏物語 千年の謎』。おもしろそう?
まぁとにかく、この作品は「紫式部と藤原道長」という構図と「おんなたちと光源氏」という構図とが、あるポイントではそっくりになってあるポイントでは正反対となり、じょじょに接近していって融合しかねない危険性をはらんでいくという緊張感が重要な「きも」となっております。そここそが高山由紀子えがくところの『千年の謎』の真骨頂となっているわけなのですが。
この映画はそういったおいしいストーリーをいぃ~っさい活かしてくれてない!! ムダにしすぎ!!
はっきり言ってしまいますと、この映画『千年の謎』は、「現実世界」と「フィクション世界」の行き来にたいして映像の作り方がザツすぎるんです。その2つの世界が「相容れないものである」というところの前ふりがあまりにもなさすぎるので、最終的に「実在の人物が『源氏物語』の世界に現れて『源氏物語』の登場人物が現実の世界に現れる」というサプライズが全然サプライズになっとらんのですよ。もう、「ふ~ん。」みたいな受け入れ方になっちゃうの。もったいないったらありゃしねぇ~!!
なんか、「どっちも平安時代のコスチューム・プレイです。」みたいにいっしょくたにしてるとしか思えない平板なシーン割りの連続で、どうしても、
「中谷美紀(紫式部)が出てるとこが現実世界で、斗真くんが出てるとこが『源氏物語』世界で~す。わかるよね?」
という軽いノリしか伝わってこないんですよ~。凡百のTVドラマがごときこのぬるさ!
そう。そして、この『源氏物語 千年の謎』の「2つの世界の語り方」に関するザツさは、冒頭に私が「女優大勝利!」と言った「キャスティング」でも巨大すぎるマイナスをつくっていたのであります。
キーワードは、「安倍晴明役に窪塚洋介」。
はぁああああ!!? おぬし、ちょっと待てぇェエ~ぃい!!
ちきしょう、こうなったら……「次回に続く」だコンチキショウメーイ!!