長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

帰ってきたぜ……へろへろで!!

2012年03月21日 15時49分30秒 | 日記
 ヘヘイヘ~イ。どうもこんにちは、そうだいでございます。
 今日もまた、いいお天気でしたね~。もう春でいいんじゃないか? という気もするのですが、まだまだ気象予報の見方では決定的な感じじゃないのだそうで。やっぱり日が暮れると寒くなっちゃうんでしょうか。

 いや~、でもねぇ、春分の日、昨日3月20日の岡山県岡山市はひっじょ~に!! 春らんまんでしたよぉ~。
 ほんとにね、行ってよかったです、岡山! 体力、おサイフ、ともに多少のムリをしてでも行った甲斐はじゅうぶんにありまくりでした。


 前にもふれたように、今回、20日をまるまる1日岡山市で過ごすという計画を思い立った直接のきっかけは、そこ、岡山県岡山市だけでしか、しかも2日間1回ずつしか上演されていなかったお芝居を観に行くためでした。

ルネスホール特別企画『晴れ時々、鬼』(演出・関 美能留、作・大戸 彰三)

 ルネスホールは岡山市にある、ふだんは音楽コンサートや美術展などの場になっている多目的ホールなのですが、大正11(1922)年に建造された旧・日本銀行岡山支店を改築してホールにしているという、ちょっと珍しい雰囲気の空間になっています。

 私のつたない記憶の中では、千葉市中央区中央にある千葉市美術館の「さや堂ホール」(もとは1927年に建造された旧・川崎銀行千葉支店)や、横浜市中区関内の「バンカート」(もとは1929年に建造された旧・第一銀行横浜支店)が似たような前身をもっている空間なのではないかと思っていたのですが、実際に岡山のルネスホールも、古代ギリシア様式を意識した外観と、石造りの巨大な円柱・エンタシスにささえられた吹き抜けで天井の高い内装が、両者をパッと思い起こさせてくれる印象がありました。

 さてそうなりますと、壁や床といった部分も硬質な大理石や御影石が張りめぐらされ、音の反響の大きな広い空間となってしまうため、生の楽器の演奏にはピッタリでも、演劇での役者のセリフは普通の劇場以上に空間いっぱいに反響してうまく聴き取りづらくなるのでは……という余計な心配も一瞬、頭をよぎってしまいました。ましてや、出演する役者のみなさんは、今回の公演に向けて去年からおこなわれていたワークショップに参加して、今年の1月から稽古を開始したという岡山県民の方々だというのだそうですから。

 だが、しかし。
 そんなことを気にする心配は、じぇ~んじぇんなかったですね!

 も~、なんだかんだ、あーだこーだ言う前にとにかく大前提なのは、「おもしろかった」!! それだけ!
 わざわざ千葉から岡山に行っただけのものは、そりゃもうおつりでベガスに行って豪遊できるくらいにいただきましたよ。気分は!

 これは、こうやって観たお芝居のことを、少なからぬ(?)人数の他人が見るかもしれないこのブログにつづっている人間としては非常にイヤミな言い草なのですが、私はあの『晴れ時々、鬼』が、たとえ撮影した映像資料という形で残されたにしても、そこではすくいとることができない「あの3月19・29日に1回ずつしか観ることができなかったなにか」に接したことを、めっちゃんこ嬉しい優越感をもって世間に自慢したいのです。要するに、この記事であの作品の具体的なよさを伝えるつもりはないし、そんなことできないの!

 観た人は大ラッキーで、観られなかった人は超残念。まとめてしまえばこれしかないんです。

 だったら、なんでそんな文章をわざわざつづるのかというと、それが演劇というものの「すごみ」だからなんじゃないかということを、今回あらためて強く感じたからだったんですね。とにかく、むき身のそれに出逢えた稀有な体験だったと。

 ある時間にある場所に居合わせた人でしか共有できない幸せがある。文章でも写真でも映像でも伝えられないそれが一瞬でも現れることを期待して、奇跡的な確率を超えて集まった大勢の人間たちがひとつになることのものすごいパワーというか。

 要は心意気っていうんですかねぇ。「東京や大阪に対する岡山」とかいう小さな枠におさまらない「いらっしゃ~い!!」な感じに圧倒されたんだなぁ。それは、私が遠路はるばる来たから特別に感じたことなんじゃなくて、その場に来た人全員に無心に振り向けられた愛情なんじゃないかと。無心とこられたら、感動するしかないでしょ!


 ただし、地元の人々の笑顔が前面に出ているだけなのならばそれは演劇である必要はなく、全国各地、おそらくは毎日どこかで必ずもよおされている町おこしソングの合唱でも地元の伝統芸能でも物産展でもよかろうもんということになってしまうのですが、そこのレベルを数段飛び越えて、そうそう簡単にはやれそうにない唯一無二、空前絶後な2日間だけの奇跡をあの岡山ルネスホールで生み出したのが、やっぱりなんと言っても演出の力量だったのではないかと。

 わたくし、別に演出の劇団に所属していたことのある人間だからこんなことを言っているのでは毛頭ありません。持ち上げてるぅ? とんでもハップン歩いて2分ですよ! 観たらわかる。

 いろいろ、あれがよかったこれがすばらしかったと言いたいことは山ほどあるのですが、きりがないのでひとつだけ挙げておきますと、とにかく私は、この作品が最後に持ってきた感動の「種類」にいたく感じ入りました。

 この『晴れ時々、鬼』は、タイトルやチラシなどでの情報からもわかる通り、古代日本の「吉備国」(現在で言う岡山県全域と広島県の東半分をさす地方名)につたわる鬼の伝承と、それをもとに作られたとされる日本昔話の超メジャータイトル『ももたろう』に独自の解釈をほどこした内容となっています。
 んで、私はこの作品を観る前に、絵に描いたような勧善懲悪の『ももたろう』をもとにしている以上、作品が「正義と悪の逆転した、悪側から見た悲劇の物語」になるのではなかろうか、もしそうだったとしたら、わざわざ千葉からやってきてそういう辛い結末の感慨にふけりながらサヨウナラはしんどいなぁ……などと勝手に懸念していたのですが。

 これがねぇ、見事に裏切られてしまいました!! 非常に前向きでありながらも、同時に主人公の哀しみがズビズバ伝わってくる、静かであり、かつ壮絶なラストシーンだったと思います。過酷な現実はちゃんとありつつも、そこにおかれた主人公の姿を俯瞰カメラで終わりにしていないのです。
 主人公が最後にあえて勇気をもって選択した、「他人と共有できないものの見方が生み出す険しい生き方」をああいった方法で舞台にのせるとは。完全に参りました。

 この感動にいたる約1時間半の道のりを、すべて岡山県民の皆様が演じきっておられるというのもとてつもないことですしねぇ。
 ワークショップや数ヶ月間の稽古をへて一般の方が舞台に上がるという形式はあまたあるかと思うんですけれど、「演劇」のすばらしさの核心にここまで迫った作品に役者として参加できるなんてこたぁ、そうそうめったにあるもんじゃないと思うんだなぁ、あたしゃ。

 「奇跡」、「奇跡」と、使いすぎるとありがたみが薄くなってしまうのが「奇跡」なのですが、あれは「奇跡」でいいんじゃない!? そうだよ、きっと!

 そうしみじみ感じながら千葉への帰路についた、今回の『晴れ時々、鬼』観劇記だったのでありました~。

 うらやましくなりました? なった方は、ぜひとも次のチャンスに賭けることをおすすめいたします。これからは「ライヴ」の時代でございますよ!



《次回予告》
 そして、時間はその日の早朝にさかのぼる。

 深夜急行バスで岡山市に到着した時刻は午前7時半。『晴れ時々、鬼』の開演時刻は午後2時。
 このあいだの6~7時間をどうやって過ごすかって?

 そりゃもォ~あなた、備前国を代表する漆黒の名城・岡山城(今はコンクリート製)を探訪するに決まってるじゃあ~りませんか!!

 っつうことで、次回は千葉県からズドバビューンと飛んでしまった「全国城めぐり宣言」の第4弾「岡山城編」なのであった。

 朝食がわりにマシュマロをつまみながら、戦国乱世に想いをはせろ~。
コメント
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