はいど~もぉ、こんばんは。そうだいでございますよぉーいっと。
どうにもまだまだ寒い日が続いてるんですけれども、みなさまは今日はどんな土曜日になりましたか? 私はまぁ~のんびりしてましたね。
先日、前々からほしくてほしくて仕方がなかった CDアルバムを手に入れました。やった~。
坂本 美雨 『Harmonious 』(2006年)
これは坂本さんの2枚目のオリジナルアルバムなのですが、1999年のファーストから実に7年ぶりの発表ということで、現在にいたるまでの彼女の歌手活動の、実質的なスタートを飾る意味合いの強い作品だったようです。
いろいろいい曲が入っているんですが、実は私、このアルバムの最後に収録されている『遠くへ行きたい』がど~しても欲しかったんです!!
『遠くへ行きたい』。言わずと知れた永六輔・中村八大ゴールデンコンビによる名曲の、九じゃない坂本さん歌唱ヴァージョンです。
いい曲ですなぁ~! もう1回言っとこう。いい曲ですなぁ~!!
これはもう、永さんの歌詞だけを読めば「知らない街を 歩いてみたい」とか「知らない海を ながめていたい」とか、とにかくなんでもいいから「遠くへ行きたい」「遠くへ行きたい」の連発で、挙句の果てには「愛する人と めぐり逢いたい」といいたい放題、逃避し放題のものすごい内容なんですけど、そこを雄弁に弁護してあまりあるのが八大サウンドであり美雨さんの声なんですよね。
普段の生活でなにがあったのかは知らないですけど、歌詞の主人公をしてここまでどうでもいい感じにすべてを投げ出させている出来事は尋常なレベルではないはずです。そこらへんのいきさつをまったく語っていない永さんの歌詞は、ともすれば聴く人の共感を得られない他人事に取られても仕方のない極端さがあるのですが、あの、聴くだに吹雪のふきすさぶ北海道の平原や、鉛色によどむ日本海の荒れた海原を想起させる八大サウンドは、聴く人にいやおうなしに、その人自身のつらかった体験やそれにともなって心中に巻き起こった寂寥感を思い出させてくれる魔力がこめられているのです。あの曲を聴いて、人がガヤガヤワイワイしているタイのプーケット島とかに行きたいと思う人はまずいませんよね!?
坂本美雨さんの声は、どちらかというと沖縄の感じが似合うし実際にそんな曲も収録されているのですが、重すぎる八大サウンドに対していかにも身軽な坂本さんの雰囲気がものすごい好対照でいいんですよねぇ! 曲調にのっかるかたちで重く切々と唄う歌手だと「重い×重い」でトゥーマッチになっちゃうんですよ。
その点、非常に素直にメロディにのりながらも、ちょっと永さんの歌詞にただよう「オトナ社会のルールを放り投げた」アナーキーさもしっかり受け継いでいる坂本さんヴァージョンは、数年前になにかのきっかけで耳に入れたときからず~っと気になり続けていたのです。
いい曲ですなぁ~! でも、リピートで何回も聴くと心がすさむすさむ!!
別に逃避したいトラブルをかかえているわけでもないのに、この曲を聴くと強制的に「旅に出たいモード」になってしまいます。危険だよ~!! ひかえめに聴くことにいたしましょう。
さて、わたくし最近、あるマンガを集中的に読んでおりました。
奥 浩哉 『変 HEN 鈴木君と佐藤君』
いや~、ずいぶんと古いマンガであります。1992年の8月から94年の12月にかけて『週刊ヤングジャンプ』(集英社)で連載されていた作品ですね。
しかし、そう考えると奥先生はデビュー期から現在にいたるまで、20年もの長きにわたってず~っと『ヤングジャンプ』に貢献し続けていることになるんですなぁ! どの作品も内容はあんなに革新的なのに、ご本人はものすっごく義理堅い方なのではないだろうか!? ゲームの『信長の野望』で言うのならば、「高坂昌信」とか「直江兼続」なみに主君を裏切らないお人なのか。
去年に「ぬらりひょんサーガ」の中で『GANTZ 』にふれた時にもちょっと言ったかと思うのですが、私はほんとのところ、奥作品はまったく好きでありませんでした。むしろ、意識して読むことを避けていたほどです。
理由というのは実に他愛もないことなのですが、とにかくどの作品にでも、1コマ1コマに過剰なまでに熱い「エロ魂」が練りこめられているのことにたいして拒否反応を持つようになっていたからなんですなぁ~!
こんなことはあらためて申すまでもないことなのですが、いやぁ~エロいエロい。
特に、女性の胸部に対する執着が、芥川龍之介の『地獄変』の絵師レベルに高い気がするんですね。奥先生の日本指折りの実力派マンガ作家としてのキャリアの原動力がそこにあることは間違いないでしょう。
ただ、その道の専門家であるはずの「成人向けマンガ」の巨匠たちもなかなか太刀打ちできないような世界が、なんの罪悪感もいだくことなく鼻歌まじりに一般誌の『ヤンジャン』で楽しめるのだから、奥先生に感謝こそすれ「エロい!」と拒否するとは、そうだいはよほどの潔癖症か女体に興味がない MOYASI野郎なのかと思われる方もおられるかもしれません。
私は、今となってはそんなことは決してない普通のエロいの大好き人間なんですけど、奥先生の世界に関してはまったく「出会いのタイミング」が悪かったというかなんというか....
私がマンガ家・奥浩哉という存在を知ることとなったのは1990年代初頭だったので、思い起こせば中学生になりたての頃だったということになります。
要するに、奥先生がその独自の世界観と作画力をひっさげてデビューした時期、その衝撃を目の当たりにしたそうだい少年は、はっきり言って具体的にその中で展開されていた「男と女のチョメチョメ」にたいする知識が圧倒的に不足しており、その上さらに「男が男と? 女が女と? っていうか、あいつ男? 女? もしかして、どっちでもない?」という、当時の私の中にあった「男は男、女は女!」という価値観をグラッグラにゆるがす『変』ワールドは、明らかにスペックオーバー、理解不能な作品となってしまっていたのです。
その結果、私に残った感想はひたすらの「?」と軽い吐き気だけ。エロさなんて感知する余裕もなくフラフラと書店をあとにするヘル中・ジャージのガキンチョだったというわけなのです。青いねぇ~。
しかも、『変』の時代の奥先生は登場する女性キャラクターを「意図的に」似た風貌に統一させていたきらいがあったため、私としましてはなおさら誰が誰とどうなったかがさっぱりわからない印象しか残らなかったのです。
あれですね、見慣れない外国の映画って、ちょっとでも似た感じの人が2人以上出てくると「え? 同じ人?」という混乱におちいっちゃうじゃないですか。要するに「異人種の方々の顔をいっぱい見ていない」から起こる現象らしいんですけど、当時マンガ読書経験の少なかった私も似たようなものだったのかしら。
そんな状態で『変』を読んじゃったんだからさぁ! そりゃあ当惑しちゃいますよね~。
ま、こんなことだったので、その時の思いがあって私は奥先生の作品全体を「なんか複雑」「エロいけどクセが強すぎる」と長いこと敬遠していたわけだったと。同じ経路で、なんと当時の私はあの高橋留美子先生の『らんま1/2 』をも食わず嫌いで避けていました。
とにかく、思春期に激突してしまった奥ワールドによって、私の中で「TSF (トランスセクシュアル=性転換ものフィクション)」はひっじょ~に! デリケートな扱いを要する領域になってしまっていたということだったんですな。
あの、賢明な読者の中には(この言い方、いつか使ってみたかったのよねェ~!)、もしかしたら今、私が言った『変』=TSF ものという文言にふれて「あれ、そうだった?」と思われる方もおられるかもしれません。ま、それはさておき。
話を現在に戻しまして、そんな私も去年にようやく、この『長岡京エイリアン』でやらかした「ぬらりひょんサーガ」の一環として奥先生の『GANTZ 』にふれ、真正面から奥ワールドに向き合うということとなりました。あのぬらりひょん様が御出馬なされるのですから、これはさすがに無視することはできないと!
で、満を持して『GANTZ 』を読んでみたんですけれど、やっぱり奥先生の世界はエロくもありエグくもあり、さらに扱った場所がよりにもよってあの悪名高い『道頓堀百鬼夜行編』だったこともあって「キッツいなぁ....」というところは再認識したのですが、無条件で忌避するべきでない超一流のエンタテインメントであるということも、グウの音も出ずに思い知らされることとなったわけです。おもしろいものはおもしろいんですよね。あの、どんなに重要そうなキャラクターでも1コマ後には強制退場させられているかも知れない、問答無用で非情な緊張感は恐ろしいものがあります。
ということで、
「私も30歳をこえたことだし、そろそろ『変』を読んでもいい頃合いなんじゃないだろうか。」
なんていう思いが首をもたげてきたんですよね。ほぼ20年ぶりの再会ですよ!
んでもって、近所の本屋さんや古書店を駆けずり回って奥浩哉の原点とも言える『変』を買い集めようとしたのでありますが....
実はその前途には、驚くべき障壁がいくつも横たわっていたのだった!!
障壁その1
奥浩哉の『変』というタイトルの作品はひとつではない
障壁その2
奥浩哉の『変』は、さまざまなヴァージョンの単行本が世に出ている
障壁その3
奥浩哉の『変』は、書店で新品を取り寄せるという形では全エピソードが集まらない(2012年2月時点)
とにかく、私が動き出すのが遅すぎたということなんでしょうか....なんたること。
そうなんです、障壁その1について簡単に言いますと、奥浩哉先生による『変』というマンガ作品は、内容で分類すると、
・男の主人公「鳥合衆(とりあい しゅう)」が女になってしまう TSFもの
・男どうし「鈴木一郎」と「佐藤ゆうき」が主人公の男性同性愛もの
・女どうし「吉田ちずる」と「山田あずみ」が主人公の女性同性愛もの(タイトルはアルファベット表記の『HEN 』)
の3パターンがあるのです。しかも、どれも発表されているのが1作品だけじゃないの!
これには私も面食らってしまいました....具体的にどの作品が、「あの日」の私に衝撃を与えた『変』なのかがわかんねぇ!
続きまして障壁その2については、私がかつて『変』の連載中に書店で手に取った単行本は、ふつうのサイズよりも大きい『ヘタリア』や『けいおん!』のような A5判コミックだったのですが、その後は1999~2001年に刊行された、『GANTZ 』と同じサイズの『新装版』と『短編集 赤&黒』、2002年にコンビニコミック版、2006年と2011年に「男のほう」と「女のほう」とで各自刊行されたコミック文庫版といった感じで、人気タイトルらしくいろんなヴァージョンが世に出ていると。
それはそれでいいんですけど、とにかく問題なのは障壁その3!
おりゃあもうビックラこいたよぉ。だって、2006年に刊行された男のほうの『変 HEN 鈴木君と佐藤君』の文庫版第1巻が、書店で問い合わせたら「品切れ重版未定」だってんだから。第1巻だけっすか!?
連載リアルタイムの A5判も、10年前の新装版もコンビニ版も現在はとっくに絶版ですからね。
なんということでしょうか。天下の『GANTZ 』の作者である奥浩哉の出世作が新品で全巻入手できないとは! 日本はマンガの黄金郷ではなかったのか。
いや、そんなに世をはかなまずとも、アマゾンで注文したら安い値段で第1巻は買えるんですけどね。
結局、ひとまず私がかき集めることができた奥先生の『変』の陣容はこんなものとなりました。
2000~01年に出版された新装版の第2~4巻と、2006年に出版された文庫版の第2巻と9巻
バラッバラ! もう1回言っときましょう。バラッッバラ!!
これだと、奥先生の『変』のうち「鳥合くん」ヴァージョンと「ちずるちゃんとあずみちゃん」ヴァージョンが読めないし、残る「鈴木君と佐藤君」ヴァージョンだって、超重要な序盤の第1~13話と、新装版第2巻と文庫版第2巻とのはざまに拾い忘れられてしまった第28話が読めません。その代わりにと言ってはなんですが、最終話とラス前の第113話はカブッているので2回たのしめます。
まいったねぇ。こんなことで、奥先生の『変』ワールドを堪能することなんてできるのだろうか。っていうか、私があの時ビックラこいたページにたどりつくこと自体できるのか!?
とにかく、なかば見切り発車で途中から読み始めることとなった『変 HEN 鈴木君と佐藤君』だったのでありますが、その結果は、「案の定....」と「意外!」とが拮抗するすてきな体験となったのでありました。
ということで、字数がかさんできましたので、この続きはまったじっかい~。
やっぱ、印象だけからの食わず嫌いはイカンよ、うん!
どうにもまだまだ寒い日が続いてるんですけれども、みなさまは今日はどんな土曜日になりましたか? 私はまぁ~のんびりしてましたね。
先日、前々からほしくてほしくて仕方がなかった CDアルバムを手に入れました。やった~。
坂本 美雨 『Harmonious 』(2006年)
これは坂本さんの2枚目のオリジナルアルバムなのですが、1999年のファーストから実に7年ぶりの発表ということで、現在にいたるまでの彼女の歌手活動の、実質的なスタートを飾る意味合いの強い作品だったようです。
いろいろいい曲が入っているんですが、実は私、このアルバムの最後に収録されている『遠くへ行きたい』がど~しても欲しかったんです!!
『遠くへ行きたい』。言わずと知れた永六輔・中村八大ゴールデンコンビによる名曲の、九じゃない坂本さん歌唱ヴァージョンです。
いい曲ですなぁ~! もう1回言っとこう。いい曲ですなぁ~!!
これはもう、永さんの歌詞だけを読めば「知らない街を 歩いてみたい」とか「知らない海を ながめていたい」とか、とにかくなんでもいいから「遠くへ行きたい」「遠くへ行きたい」の連発で、挙句の果てには「愛する人と めぐり逢いたい」といいたい放題、逃避し放題のものすごい内容なんですけど、そこを雄弁に弁護してあまりあるのが八大サウンドであり美雨さんの声なんですよね。
普段の生活でなにがあったのかは知らないですけど、歌詞の主人公をしてここまでどうでもいい感じにすべてを投げ出させている出来事は尋常なレベルではないはずです。そこらへんのいきさつをまったく語っていない永さんの歌詞は、ともすれば聴く人の共感を得られない他人事に取られても仕方のない極端さがあるのですが、あの、聴くだに吹雪のふきすさぶ北海道の平原や、鉛色によどむ日本海の荒れた海原を想起させる八大サウンドは、聴く人にいやおうなしに、その人自身のつらかった体験やそれにともなって心中に巻き起こった寂寥感を思い出させてくれる魔力がこめられているのです。あの曲を聴いて、人がガヤガヤワイワイしているタイのプーケット島とかに行きたいと思う人はまずいませんよね!?
坂本美雨さんの声は、どちらかというと沖縄の感じが似合うし実際にそんな曲も収録されているのですが、重すぎる八大サウンドに対していかにも身軽な坂本さんの雰囲気がものすごい好対照でいいんですよねぇ! 曲調にのっかるかたちで重く切々と唄う歌手だと「重い×重い」でトゥーマッチになっちゃうんですよ。
その点、非常に素直にメロディにのりながらも、ちょっと永さんの歌詞にただよう「オトナ社会のルールを放り投げた」アナーキーさもしっかり受け継いでいる坂本さんヴァージョンは、数年前になにかのきっかけで耳に入れたときからず~っと気になり続けていたのです。
いい曲ですなぁ~! でも、リピートで何回も聴くと心がすさむすさむ!!
別に逃避したいトラブルをかかえているわけでもないのに、この曲を聴くと強制的に「旅に出たいモード」になってしまいます。危険だよ~!! ひかえめに聴くことにいたしましょう。
さて、わたくし最近、あるマンガを集中的に読んでおりました。
奥 浩哉 『変 HEN 鈴木君と佐藤君』
いや~、ずいぶんと古いマンガであります。1992年の8月から94年の12月にかけて『週刊ヤングジャンプ』(集英社)で連載されていた作品ですね。
しかし、そう考えると奥先生はデビュー期から現在にいたるまで、20年もの長きにわたってず~っと『ヤングジャンプ』に貢献し続けていることになるんですなぁ! どの作品も内容はあんなに革新的なのに、ご本人はものすっごく義理堅い方なのではないだろうか!? ゲームの『信長の野望』で言うのならば、「高坂昌信」とか「直江兼続」なみに主君を裏切らないお人なのか。
去年に「ぬらりひょんサーガ」の中で『GANTZ 』にふれた時にもちょっと言ったかと思うのですが、私はほんとのところ、奥作品はまったく好きでありませんでした。むしろ、意識して読むことを避けていたほどです。
理由というのは実に他愛もないことなのですが、とにかくどの作品にでも、1コマ1コマに過剰なまでに熱い「エロ魂」が練りこめられているのことにたいして拒否反応を持つようになっていたからなんですなぁ~!
こんなことはあらためて申すまでもないことなのですが、いやぁ~エロいエロい。
特に、女性の胸部に対する執着が、芥川龍之介の『地獄変』の絵師レベルに高い気がするんですね。奥先生の日本指折りの実力派マンガ作家としてのキャリアの原動力がそこにあることは間違いないでしょう。
ただ、その道の専門家であるはずの「成人向けマンガ」の巨匠たちもなかなか太刀打ちできないような世界が、なんの罪悪感もいだくことなく鼻歌まじりに一般誌の『ヤンジャン』で楽しめるのだから、奥先生に感謝こそすれ「エロい!」と拒否するとは、そうだいはよほどの潔癖症か女体に興味がない MOYASI野郎なのかと思われる方もおられるかもしれません。
私は、今となってはそんなことは決してない普通のエロいの大好き人間なんですけど、奥先生の世界に関してはまったく「出会いのタイミング」が悪かったというかなんというか....
私がマンガ家・奥浩哉という存在を知ることとなったのは1990年代初頭だったので、思い起こせば中学生になりたての頃だったということになります。
要するに、奥先生がその独自の世界観と作画力をひっさげてデビューした時期、その衝撃を目の当たりにしたそうだい少年は、はっきり言って具体的にその中で展開されていた「男と女のチョメチョメ」にたいする知識が圧倒的に不足しており、その上さらに「男が男と? 女が女と? っていうか、あいつ男? 女? もしかして、どっちでもない?」という、当時の私の中にあった「男は男、女は女!」という価値観をグラッグラにゆるがす『変』ワールドは、明らかにスペックオーバー、理解不能な作品となってしまっていたのです。
その結果、私に残った感想はひたすらの「?」と軽い吐き気だけ。エロさなんて感知する余裕もなくフラフラと書店をあとにするヘル中・ジャージのガキンチョだったというわけなのです。青いねぇ~。
しかも、『変』の時代の奥先生は登場する女性キャラクターを「意図的に」似た風貌に統一させていたきらいがあったため、私としましてはなおさら誰が誰とどうなったかがさっぱりわからない印象しか残らなかったのです。
あれですね、見慣れない外国の映画って、ちょっとでも似た感じの人が2人以上出てくると「え? 同じ人?」という混乱におちいっちゃうじゃないですか。要するに「異人種の方々の顔をいっぱい見ていない」から起こる現象らしいんですけど、当時マンガ読書経験の少なかった私も似たようなものだったのかしら。
そんな状態で『変』を読んじゃったんだからさぁ! そりゃあ当惑しちゃいますよね~。
ま、こんなことだったので、その時の思いがあって私は奥先生の作品全体を「なんか複雑」「エロいけどクセが強すぎる」と長いこと敬遠していたわけだったと。同じ経路で、なんと当時の私はあの高橋留美子先生の『らんま1/2 』をも食わず嫌いで避けていました。
とにかく、思春期に激突してしまった奥ワールドによって、私の中で「TSF (トランスセクシュアル=性転換ものフィクション)」はひっじょ~に! デリケートな扱いを要する領域になってしまっていたということだったんですな。
あの、賢明な読者の中には(この言い方、いつか使ってみたかったのよねェ~!)、もしかしたら今、私が言った『変』=TSF ものという文言にふれて「あれ、そうだった?」と思われる方もおられるかもしれません。ま、それはさておき。
話を現在に戻しまして、そんな私も去年にようやく、この『長岡京エイリアン』でやらかした「ぬらりひょんサーガ」の一環として奥先生の『GANTZ 』にふれ、真正面から奥ワールドに向き合うということとなりました。あのぬらりひょん様が御出馬なされるのですから、これはさすがに無視することはできないと!
で、満を持して『GANTZ 』を読んでみたんですけれど、やっぱり奥先生の世界はエロくもありエグくもあり、さらに扱った場所がよりにもよってあの悪名高い『道頓堀百鬼夜行編』だったこともあって「キッツいなぁ....」というところは再認識したのですが、無条件で忌避するべきでない超一流のエンタテインメントであるということも、グウの音も出ずに思い知らされることとなったわけです。おもしろいものはおもしろいんですよね。あの、どんなに重要そうなキャラクターでも1コマ後には強制退場させられているかも知れない、問答無用で非情な緊張感は恐ろしいものがあります。
ということで、
「私も30歳をこえたことだし、そろそろ『変』を読んでもいい頃合いなんじゃないだろうか。」
なんていう思いが首をもたげてきたんですよね。ほぼ20年ぶりの再会ですよ!
んでもって、近所の本屋さんや古書店を駆けずり回って奥浩哉の原点とも言える『変』を買い集めようとしたのでありますが....
実はその前途には、驚くべき障壁がいくつも横たわっていたのだった!!
障壁その1
奥浩哉の『変』というタイトルの作品はひとつではない
障壁その2
奥浩哉の『変』は、さまざまなヴァージョンの単行本が世に出ている
障壁その3
奥浩哉の『変』は、書店で新品を取り寄せるという形では全エピソードが集まらない(2012年2月時点)
とにかく、私が動き出すのが遅すぎたということなんでしょうか....なんたること。
そうなんです、障壁その1について簡単に言いますと、奥浩哉先生による『変』というマンガ作品は、内容で分類すると、
・男の主人公「鳥合衆(とりあい しゅう)」が女になってしまう TSFもの
・男どうし「鈴木一郎」と「佐藤ゆうき」が主人公の男性同性愛もの
・女どうし「吉田ちずる」と「山田あずみ」が主人公の女性同性愛もの(タイトルはアルファベット表記の『HEN 』)
の3パターンがあるのです。しかも、どれも発表されているのが1作品だけじゃないの!
これには私も面食らってしまいました....具体的にどの作品が、「あの日」の私に衝撃を与えた『変』なのかがわかんねぇ!
続きまして障壁その2については、私がかつて『変』の連載中に書店で手に取った単行本は、ふつうのサイズよりも大きい『ヘタリア』や『けいおん!』のような A5判コミックだったのですが、その後は1999~2001年に刊行された、『GANTZ 』と同じサイズの『新装版』と『短編集 赤&黒』、2002年にコンビニコミック版、2006年と2011年に「男のほう」と「女のほう」とで各自刊行されたコミック文庫版といった感じで、人気タイトルらしくいろんなヴァージョンが世に出ていると。
それはそれでいいんですけど、とにかく問題なのは障壁その3!
おりゃあもうビックラこいたよぉ。だって、2006年に刊行された男のほうの『変 HEN 鈴木君と佐藤君』の文庫版第1巻が、書店で問い合わせたら「品切れ重版未定」だってんだから。第1巻だけっすか!?
連載リアルタイムの A5判も、10年前の新装版もコンビニ版も現在はとっくに絶版ですからね。
なんということでしょうか。天下の『GANTZ 』の作者である奥浩哉の出世作が新品で全巻入手できないとは! 日本はマンガの黄金郷ではなかったのか。
いや、そんなに世をはかなまずとも、アマゾンで注文したら安い値段で第1巻は買えるんですけどね。
結局、ひとまず私がかき集めることができた奥先生の『変』の陣容はこんなものとなりました。
2000~01年に出版された新装版の第2~4巻と、2006年に出版された文庫版の第2巻と9巻
バラッバラ! もう1回言っときましょう。バラッッバラ!!
これだと、奥先生の『変』のうち「鳥合くん」ヴァージョンと「ちずるちゃんとあずみちゃん」ヴァージョンが読めないし、残る「鈴木君と佐藤君」ヴァージョンだって、超重要な序盤の第1~13話と、新装版第2巻と文庫版第2巻とのはざまに拾い忘れられてしまった第28話が読めません。その代わりにと言ってはなんですが、最終話とラス前の第113話はカブッているので2回たのしめます。
まいったねぇ。こんなことで、奥先生の『変』ワールドを堪能することなんてできるのだろうか。っていうか、私があの時ビックラこいたページにたどりつくこと自体できるのか!?
とにかく、なかば見切り発車で途中から読み始めることとなった『変 HEN 鈴木君と佐藤君』だったのでありますが、その結果は、「案の定....」と「意外!」とが拮抗するすてきな体験となったのでありました。
ということで、字数がかさんできましたので、この続きはまったじっかい~。
やっぱ、印象だけからの食わず嫌いはイカンよ、うん!