鬼束ちひろ『僕等 バラ色の日々』(2007年9月19日リリース UNIVERSAL SIGMA )
時間 9分18秒
『僕等 バラ色の日々(ぼくらバラいろのひび)』は、鬼束ちひろ(当時26歳)の13thシングル。
4thアルバム『 LAS VEGAS 』(2007年10月リリース)に先駆けてリリースされた、小林武史のプロデュースによるシングルの第2弾。
オリコンウィークリーチャートでは最高13位と、3rdシングル『 Cage 』(2000年11月リリース 最高15位)以来、6年10ヶ月振りにオリコントップ10位割れとなり、初動売上枚数も前作『 everyhome 』を下回った。
収録曲
作詞・作曲 …… 鬼束 ちひろ
プロデュース …… 小林 武史
1、『僕等 バラ色の日々』(5分07秒)
ピアノとストリングスを基調としたロックバラードで、ピアノの重低音を重視したり打ち込みのドラムスを使用するなど、活動休止以前にはなされなかった方法が試みられている。リリース当時のインタビュー記事によれば、楽曲そのものは2004年6月の所属音楽事務所の移籍前に制作されたものであり、レコーディングは活動休止中の2005年に済ませたものであるという。
タイトルの『バラ色の日々』とは、本人曰く「字面で見れば楽しいイメージであるも、(そのイメージを)繰り返し求めることに対する皮肉を込めている。」ということであり、楽曲の世界観を、「その何度も何度も繰り返す行為が表す人生観を絶望的にぼんやり見ている」、「絶望と手をつないで歩いている」と説明している。楽曲は、バラの花びらがくるくると旋回しているイメージで書き上げたという。ちなみに本人は、黒に近い真紅のバラが好きであるという。
2、『 NOW 』(4分11秒)
2004年10月にリリースした11thシングル『育つ雑草』のカップリング曲『 Rainman 』以来の英語詞による楽曲。リリース当時のインタビュー記事によれば、『僕等 バラ色の日々』と同時期(2004年の移籍前)に制作されたもので、本人曰く「このメロディだったら英語。」という理由で英語詞で書き上げられた。
復帰作『 everyhome 』や4thアルバム『 LAS VEGAS 』の収録曲『 Angelina 』と同様に、2007年2月の鬼束ちひろ復帰の発表と共に曲名のみが明らかにされていたもので、2007年の復帰後の楽曲の中では、最も早く存在が告知されていた曲のひとつだった。
というわけで、2007年から始まった小林武史プロデュース体制によるシングルの第2弾でございます。
この作品がリリースされた当時、CD屋さんでタイトルを見て「バラ色って……そんなハイテンションなタイトル、どうした鬼束さん!?」と色めき立って購入したのですが、家で聴いてみたら驚くほど通常運転な鬼束さん過ぎて拍子抜けしたという思い出があります。名曲ですけどね。
このシングルの2作は、どちらも2004年にすでに制作されていたという話の作品なのですが……なぜ? この翌月に満を持してリリースされるファン超待望の4thオリジナルアルバム(3rdから4~5年ぶりですよ!)の先行シングルという重要な立ち位置なのに、なぜに最新作でなく古~いやつを押し出すのか? レコード会社の移籍前に制作されていたって、つまり、あの11thシングル『育つ雑草』よりも昔の作品ってこと!?
当時のファンからしてみれば、レコード会社がどうこうという「すったもんだ期の鬼束さん」よりも、今現在小林プロデュース体制の中で彼女が創出した最新アップデート版の音楽世界に触れたいという気持ちが強いのではないかと思うのですが、そこをなぜあえて、羽毛田時代の影響色濃い2004年の2作で押し通って行こうとしたのでしょうか。
実際に、タイトル曲の『僕等 バラ色の日々』の歌詞世界は、もう何度かこれまでにも聴いてきた「生きることの不自由さ、愚かさ」を訴えるもので、タイトルの陽気な印象とは全く逆にせつなく、悲壮感たっぷりに繰り返される出逢いと別れの悲しみを唄い上げるものとなっています。皮肉がきいてますねぇ!
いつものように、「どうぞ手を離して」や「消えて行く まるでいなかったように」と言ったそばから「ああ僕等バラ色の日々」とつながり合う輪舞のような人間関係、「この闇は光だと言い聞かせた」、「君が泣くように笑うから」、「凍えては火傷しながらも」、「噓をつき過ぎて本当になったこの世界」などと、矛盾しまくる僕等や世界を、肯定するでもなく否定するでもなく受け入れていく諦念がつづられている作品なのですが、「楽園は遥か向こうで」に象徴されるように、かつて神の子だったはずの人間たちが、エデンの園を追放されてなぜこれほどまでに苦しみながら生きていかねばならないのかと問い続ける、鬼束さんの内面に渦巻く自問自答がありありと感じられます。
そういえば、サビのとっかかりの「人は迷子に」と「人は飛べずに」の部分で、「に」のところだけ一瞬高くなるというか、まるで頭上の天使から耳を引っ張られたかのように「にぃい~!」と引きつってしまうところが、幸せにひたっているところで冷水をぶっかけられるごとき意地悪さに満ちていますよね。ここ、鬼束さんが自分で作っていながら、自分に思いもかけない負荷をかけているようで地味にすごい作曲センスだと思います。
鬼束さんにはキリスト教的な考え方があるのでしょうが、私は生まれてこのかた100% 禅宗ストレートの人間なので、これを「鬼束式禅問答ソング」と表現してしまいますが、この「生きている限り永久に続く苦しみとよろこび」をテーマにしている曲をアルバムの先行シングルの A面に持ってくるあたり、荒涼とした灰色の大地に一輪の花を見いだす奇跡を信じ続けようとする人々へ勇気を与えるまなざしが生まれているような気がします。
聴いた感じは、確かにさほど羽毛田時代の鬼束さんとは変わっていないような気がするのですが、歌を誰に対して唄っているのかという方向性の見方で言うのならば、鬼束さんは「過去の自分」に対して唄っていた時期から、明らかに「今なお苦しんでいる自分に似た人々」に対象をシフトしたような気がするんですね。
これ、まさに菩薩なり! どっちかというとマリア観音か。いかにも、鬼束さんを信奉する人々は現代の隠れキリシタンと言えるかも。生きづら~!!
もう一つ、この古めの時期に制作された作品を最新アルバムの先触れに抜擢した理由としては、逆にそういった曲でも、小林プロデュースでここまで新しくアップデートできるんだぞという、新体制としての自負と手ごたえがあったからなのではないでしょうか。
確かに、よくよく聴いてみるとこの曲は後半でのドラムスによる盛り上がりが非常に印象的で、「あぁ、今はすっごく幸せだけど、きっとまたあの地獄に戻るんだろうなぁ神様よう!!」という哀しすぎる予感をビンビンに感じさせる無常観を引き立てていますね。ヤだな~ヤだな~!!
ただ、ここで特筆すべきなのは、バンドもそうとう音を主張しているはずなのに、あくまでも楽曲の中心にいるのは鬼束さんの歌声である、というところだと思うんです。ここが小林体制のオリジナリティなのではないかと。
つまり、羽毛田体制では、鬼束さんの歌声ありきではありつつも、ピアノや弦楽器、アイリッシュホイッスルといった伴奏の主張もなかなか強く、ともすれば鬼束さんの歌詞世界に合ってるのか?とも思えてしまう対等、ともすれば対立の力関係が見られたのですが、小林体制はよわい25も過ぎて十二分に成長した鬼束さんのプロとしての歌声を全面的にバックアップする関係を、今回の13thシングルで表明しているわけなんですね。
2004年制作の作品ということもあってか、前作の12thシングル『 everyhome』で宣言していた「自分以外の人物や作品をモチーフにする」というスタイルが、その直後の今作で思いッきりなかったことにされているのが剛毅すぎるのですが、それもまぁいつも通り、人間の矛盾をありのままに謳い上げる鬼束さんの真骨頂といったところでしょう。朝令暮改を恥ずることなかれェエイ。
その一方で、カップリング曲の『 NOW』に関してなのですが、これ、歌詞の内容でいくともっとロック調でハイテンションな盛り上げ曲になるのが常道なはずなのに、「今よ、今よ!」と言いながらも、どことなく後ろ髪引かれるというか、立ち上がる腰がめっちゃくちゃ重いことを表すかのようにねっとりしたバラードになっているのが特色だと思います。ここでも、「今だ」という決心と、それでも未練なく歩きだすことに踏み切れないでいる迷いとの両面を皮肉に浮き彫りにする姿勢が見てとれるんですね。
最後の最後の「♪いっつ、なぁあ~ぅう……」という消え入るような絶唱を聴いて、この世界の主人公が本当に歩きだしている姿をイメージできる人はどのくらいいるのでしょうか。う~ん、いくのは明日かナ!? でもそれでいいじゃねぇかという、海よりも広いふところの深さよ。
今回の13thシングルと前回の12thシングルは、確かに誰が見てもわかるような鬼束さんの新時代をあらわすものにはなっておらず、むしろ変わらず彼女の作品世界を貫いている「矛盾こそ自然、矛盾こそ人間。」という強固な人生観をさらに強化させるものになっていると思います。でも、10thシングル『私とワルツを』以来4年にも及ぶ漂泊の旅を続けてきた末に、つかの間かも知れないにせよ腰を落ち着ける安住の地をついに見いだした鬼束さん。
さぁいよいよ、新たな地平に築き上げた4thアルバムが生まれる素地は整いました! 一体どんな世界が、そこには広がっているのかな!?
そこは、まことの薔薇が咲き乱れる理想郷か、それとも~!?
時間 9分18秒
『僕等 バラ色の日々(ぼくらバラいろのひび)』は、鬼束ちひろ(当時26歳)の13thシングル。
4thアルバム『 LAS VEGAS 』(2007年10月リリース)に先駆けてリリースされた、小林武史のプロデュースによるシングルの第2弾。
オリコンウィークリーチャートでは最高13位と、3rdシングル『 Cage 』(2000年11月リリース 最高15位)以来、6年10ヶ月振りにオリコントップ10位割れとなり、初動売上枚数も前作『 everyhome 』を下回った。
収録曲
作詞・作曲 …… 鬼束 ちひろ
プロデュース …… 小林 武史
1、『僕等 バラ色の日々』(5分07秒)
ピアノとストリングスを基調としたロックバラードで、ピアノの重低音を重視したり打ち込みのドラムスを使用するなど、活動休止以前にはなされなかった方法が試みられている。リリース当時のインタビュー記事によれば、楽曲そのものは2004年6月の所属音楽事務所の移籍前に制作されたものであり、レコーディングは活動休止中の2005年に済ませたものであるという。
タイトルの『バラ色の日々』とは、本人曰く「字面で見れば楽しいイメージであるも、(そのイメージを)繰り返し求めることに対する皮肉を込めている。」ということであり、楽曲の世界観を、「その何度も何度も繰り返す行為が表す人生観を絶望的にぼんやり見ている」、「絶望と手をつないで歩いている」と説明している。楽曲は、バラの花びらがくるくると旋回しているイメージで書き上げたという。ちなみに本人は、黒に近い真紅のバラが好きであるという。
2、『 NOW 』(4分11秒)
2004年10月にリリースした11thシングル『育つ雑草』のカップリング曲『 Rainman 』以来の英語詞による楽曲。リリース当時のインタビュー記事によれば、『僕等 バラ色の日々』と同時期(2004年の移籍前)に制作されたもので、本人曰く「このメロディだったら英語。」という理由で英語詞で書き上げられた。
復帰作『 everyhome 』や4thアルバム『 LAS VEGAS 』の収録曲『 Angelina 』と同様に、2007年2月の鬼束ちひろ復帰の発表と共に曲名のみが明らかにされていたもので、2007年の復帰後の楽曲の中では、最も早く存在が告知されていた曲のひとつだった。
というわけで、2007年から始まった小林武史プロデュース体制によるシングルの第2弾でございます。
この作品がリリースされた当時、CD屋さんでタイトルを見て「バラ色って……そんなハイテンションなタイトル、どうした鬼束さん!?」と色めき立って購入したのですが、家で聴いてみたら驚くほど通常運転な鬼束さん過ぎて拍子抜けしたという思い出があります。名曲ですけどね。
このシングルの2作は、どちらも2004年にすでに制作されていたという話の作品なのですが……なぜ? この翌月に満を持してリリースされるファン超待望の4thオリジナルアルバム(3rdから4~5年ぶりですよ!)の先行シングルという重要な立ち位置なのに、なぜに最新作でなく古~いやつを押し出すのか? レコード会社の移籍前に制作されていたって、つまり、あの11thシングル『育つ雑草』よりも昔の作品ってこと!?
当時のファンからしてみれば、レコード会社がどうこうという「すったもんだ期の鬼束さん」よりも、今現在小林プロデュース体制の中で彼女が創出した最新アップデート版の音楽世界に触れたいという気持ちが強いのではないかと思うのですが、そこをなぜあえて、羽毛田時代の影響色濃い2004年の2作で押し通って行こうとしたのでしょうか。
実際に、タイトル曲の『僕等 バラ色の日々』の歌詞世界は、もう何度かこれまでにも聴いてきた「生きることの不自由さ、愚かさ」を訴えるもので、タイトルの陽気な印象とは全く逆にせつなく、悲壮感たっぷりに繰り返される出逢いと別れの悲しみを唄い上げるものとなっています。皮肉がきいてますねぇ!
いつものように、「どうぞ手を離して」や「消えて行く まるでいなかったように」と言ったそばから「ああ僕等バラ色の日々」とつながり合う輪舞のような人間関係、「この闇は光だと言い聞かせた」、「君が泣くように笑うから」、「凍えては火傷しながらも」、「噓をつき過ぎて本当になったこの世界」などと、矛盾しまくる僕等や世界を、肯定するでもなく否定するでもなく受け入れていく諦念がつづられている作品なのですが、「楽園は遥か向こうで」に象徴されるように、かつて神の子だったはずの人間たちが、エデンの園を追放されてなぜこれほどまでに苦しみながら生きていかねばならないのかと問い続ける、鬼束さんの内面に渦巻く自問自答がありありと感じられます。
そういえば、サビのとっかかりの「人は迷子に」と「人は飛べずに」の部分で、「に」のところだけ一瞬高くなるというか、まるで頭上の天使から耳を引っ張られたかのように「にぃい~!」と引きつってしまうところが、幸せにひたっているところで冷水をぶっかけられるごとき意地悪さに満ちていますよね。ここ、鬼束さんが自分で作っていながら、自分に思いもかけない負荷をかけているようで地味にすごい作曲センスだと思います。
鬼束さんにはキリスト教的な考え方があるのでしょうが、私は生まれてこのかた100% 禅宗ストレートの人間なので、これを「鬼束式禅問答ソング」と表現してしまいますが、この「生きている限り永久に続く苦しみとよろこび」をテーマにしている曲をアルバムの先行シングルの A面に持ってくるあたり、荒涼とした灰色の大地に一輪の花を見いだす奇跡を信じ続けようとする人々へ勇気を与えるまなざしが生まれているような気がします。
聴いた感じは、確かにさほど羽毛田時代の鬼束さんとは変わっていないような気がするのですが、歌を誰に対して唄っているのかという方向性の見方で言うのならば、鬼束さんは「過去の自分」に対して唄っていた時期から、明らかに「今なお苦しんでいる自分に似た人々」に対象をシフトしたような気がするんですね。
これ、まさに菩薩なり! どっちかというとマリア観音か。いかにも、鬼束さんを信奉する人々は現代の隠れキリシタンと言えるかも。生きづら~!!
もう一つ、この古めの時期に制作された作品を最新アルバムの先触れに抜擢した理由としては、逆にそういった曲でも、小林プロデュースでここまで新しくアップデートできるんだぞという、新体制としての自負と手ごたえがあったからなのではないでしょうか。
確かに、よくよく聴いてみるとこの曲は後半でのドラムスによる盛り上がりが非常に印象的で、「あぁ、今はすっごく幸せだけど、きっとまたあの地獄に戻るんだろうなぁ神様よう!!」という哀しすぎる予感をビンビンに感じさせる無常観を引き立てていますね。ヤだな~ヤだな~!!
ただ、ここで特筆すべきなのは、バンドもそうとう音を主張しているはずなのに、あくまでも楽曲の中心にいるのは鬼束さんの歌声である、というところだと思うんです。ここが小林体制のオリジナリティなのではないかと。
つまり、羽毛田体制では、鬼束さんの歌声ありきではありつつも、ピアノや弦楽器、アイリッシュホイッスルといった伴奏の主張もなかなか強く、ともすれば鬼束さんの歌詞世界に合ってるのか?とも思えてしまう対等、ともすれば対立の力関係が見られたのですが、小林体制はよわい25も過ぎて十二分に成長した鬼束さんのプロとしての歌声を全面的にバックアップする関係を、今回の13thシングルで表明しているわけなんですね。
2004年制作の作品ということもあってか、前作の12thシングル『 everyhome』で宣言していた「自分以外の人物や作品をモチーフにする」というスタイルが、その直後の今作で思いッきりなかったことにされているのが剛毅すぎるのですが、それもまぁいつも通り、人間の矛盾をありのままに謳い上げる鬼束さんの真骨頂といったところでしょう。朝令暮改を恥ずることなかれェエイ。
その一方で、カップリング曲の『 NOW』に関してなのですが、これ、歌詞の内容でいくともっとロック調でハイテンションな盛り上げ曲になるのが常道なはずなのに、「今よ、今よ!」と言いながらも、どことなく後ろ髪引かれるというか、立ち上がる腰がめっちゃくちゃ重いことを表すかのようにねっとりしたバラードになっているのが特色だと思います。ここでも、「今だ」という決心と、それでも未練なく歩きだすことに踏み切れないでいる迷いとの両面を皮肉に浮き彫りにする姿勢が見てとれるんですね。
最後の最後の「♪いっつ、なぁあ~ぅう……」という消え入るような絶唱を聴いて、この世界の主人公が本当に歩きだしている姿をイメージできる人はどのくらいいるのでしょうか。う~ん、いくのは明日かナ!? でもそれでいいじゃねぇかという、海よりも広いふところの深さよ。
今回の13thシングルと前回の12thシングルは、確かに誰が見てもわかるような鬼束さんの新時代をあらわすものにはなっておらず、むしろ変わらず彼女の作品世界を貫いている「矛盾こそ自然、矛盾こそ人間。」という強固な人生観をさらに強化させるものになっていると思います。でも、10thシングル『私とワルツを』以来4年にも及ぶ漂泊の旅を続けてきた末に、つかの間かも知れないにせよ腰を落ち着ける安住の地をついに見いだした鬼束さん。
さぁいよいよ、新たな地平に築き上げた4thアルバムが生まれる素地は整いました! 一体どんな世界が、そこには広がっているのかな!?
そこは、まことの薔薇が咲き乱れる理想郷か、それとも~!?