鬼束ちひろ『 X / ラストメロディー』(2009年5月20日リリース UNIVERSAL SIGMA )
時間 9分57秒
『 X(エックス)/ ラストメロディー』は、鬼束ちひろ(当時28歳)の15thシングル。
前年2008年9月の体調不良による休養宣言からの復帰後初となるシングルで、前作シングル『蛍』から9ヶ月ぶりの新作発表となる。オリコンウィークリーチャート最高11位を記録した。
収録曲
作詞・作曲 …… 鬼束 ちひろ
プロデュース …… 坂本 昌之
1、『 X 』 5分02秒
2008年8月に開催された野外ロック・フェスティバル『 ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2008』への出演時に、新曲として初披露されていた楽曲。その際はピアノ伴奏のみで歌唱されたが、本作ではバンドサウンドとストリングスのアレンジが主体となっている。なお、バンドサウンドの楽曲がシングルの A面として発表されるのは、2004年の11thシングル『育つ雑草』以来のことである。曲のタイトルについては、リリース当時のインタビューにて「曲の制作途中で思い浮かんだ記憶があり、それが呼び寄せたタイトル」とコメントしており、由来やイメージは一切ないという。
ミュージックビデオでは、鬼束との共演としてコンテンポラリーダンサーの森山開次(当時35歳)が出演している。
2、『ラストメロディー』 4分57秒
ピアノとバンドサウンドで構成されるロックバラード。本作はミュージックビデオが制作されておらず、鬼束の A面扱いの楽曲でミュージックビデオが制作されないのは本作が初となる。
ということでありまして、前作『蛍』でそうとうすごい新境地に至ったかのように見えたものの、折悪しく「極度の疲労による体調不良」ということで長期休養してしまった鬼束さんの、9ヶ月ぶりの復帰シングルでございます。
前作から始まった坂本昌之プロデュース時代ではあったのですが、シングルを1作出したのっけから休養に入ってしまい、当時予定されていた全国コンサートツアーも中止になってしまったため、「今度も11thシングル『育つ雑草』(2004年)の二の舞か……」という不穏な空気が流れていた中での本作リリースとなったのですが、さて今回はどのような作品となったのでしょうか。
実際に聴いてみれば明らかなのですが、今度の復帰は、間違いなく「完全復活」どころか、それ以上の「進化」を高らかに宣言するものになっていたと、今現在の私は確信し、この2つの A面曲のすばらしさを楽しむことができています。もはやそこに、『育つ雑草』にあったような無秩序・制御不能な感情の爆発は無い、と断言してよいでしょう。
ただ、その~、恥ずかしながら私、このシングルがリリースされた当初は、あんまりいい印象は抱いていなかったんですよね~! たかだか6年前の話ではあるのですが、まだまだ私もガキンチョだったというか……歌の本質を観ようとしてなかったんだなぁ。
なんで私がこのシングル……というか『 X』を好きになれなかったのかといいますと、その理由はミュージックビデオにあったんですよね。
上の情報記事にもある通り、『 X』のミュージックビデオはほぼ全編で鬼束さんがひたすら踊っているという内容になっており、後半からはプロのダンサーの森山開次さんも参戦して、周囲の物が破裂し、稲妻が絶えずほとばしる異様な状況の中で2人が対峙して踊り狂うという、ものすごい迫力の映像となっております。『ゴジラ VS キングギドラ』(1991年)のオープニングタイトルみてェ!
これがね~……これが好きじゃなかったんですよ。鬼束さんが元気ハツラツなのはいいんですけどね。元気に長髪を振り乱しすぎて顔がぜんぜん見えないんですが。
なんでかっていうと、鬼束さんが本領発揮の歌じゃなくて、全く別のジャンルの「踊り」で想いを爆発させてるっていう、その意味がよくわからなかったんですね。
いや、そりゃ確かに5分以上ずっと画面の中で踊り続けているというのは目を引くんですが、しばらく見続けているとわかってくるのです、鬼束さんは両足から胴体を経て頭にいたるまでの「身体の芯」がまったくブレてないと!
当然、激しく踊っているので身体は大きく動いているかのように見えるのですが、そう見えるのは両手がぶわー!ぶわー!と回っていて、カメラワークの都合で横に歩きながら踊っているからそう見えるだけなのであって、よくよく見れば……実に「安定した」振付の連続になっている、と私は感じたんですね。いや、疲れるとは思うのですが。
これは……この踊りは、一体なんなんだ? 鬼束さんの体幹のゆるぎなさを見て楽しめばいいのか? プロのダンサーでも5分間もソロダンスでもたせるのはかなり至難の業だと思うのですが、鬼束さんは昔からダンスの素養があったのか? それとも、この半年以上の休養期間の中でダンスの猛練習でもしたのか?
そしてさらにこのミュージックビデオをキツくしているのは、やはり最後まで一人で踊り続けるのを断念したかのように、後半から正真正銘のプロダンサーの森山さんを召喚しちゃってるってところなんですよね。
いやいや、それやっちゃ元も子もないでしょ!? ホレ見い、プロのダンスが近くにあるおかげで、鬼束さんの可動域の少なさが一目瞭然になっちゃったよ! ダイソーで売ってる「着せ替え人形エリーちゃん」の隣で、三人遣いがガッツリついた文楽人形を舞い踊らせちゃいかんでしょ!! 次元が違いすぎるって話なんですよ……
でも、当時の状況をかんがみるだに、鬼束さんとしても、自らの得意とする歌だけでなく何か別の世界に身をなげうって新境地を開拓したい、何か新しい自分を見つけ出したいという切なる願いがあったのかも知れません。そのあらわれが、成果はともかくやってみようと賭けに出た、この『 X』のミュージックビデオだったのかも知れず。
そんなことしなくても、『 X』は充分すぎるほどに名曲だったのにねぇ。でも、あれほどの奇跡的名曲だったのにもかかわらず、前作『蛍』もそれほど当時の J-Pop業界を騒然とさせるほどの話題にはならなかったので、なにかしらの不安を抱えたあせりはあったのかも……
さて、それでいよいよ本題の曲の内容のほうにいってみたいのですが、まずは両 A面のうちの『 X』から。
こちらは、先ほどから何かと比較している『育つ雑草』と同じ、激しいテンポと訴えかけるような鬼束さんの絶唱が印象的なバンドサウンドなのですが、よくよく聴いてみると、やはりおよそ5年を経ての鬼束さんの成長が著しいといいますか、プロの歌手としての安定感が段違いに身についている成熟した一曲となっております。
その安定感というのは、鬼束さんが武器として持っている自らの声の使い方をことごとく知り尽くしていることがわかるからでして、冒頭のささやくような「誰かの追憶……」では、その呼吸する音すらをも繊細かつ自由自在にコントロールするさまは、歌の第一声から聴く者の心をわしづかみにする伝説の怪物セイレーンの魔力を見るかのようです。船長、舵がとれねぇだ!!
序盤のささやきからいきなり入る野太い語り口、そしてサビ前の「 I`m just calling you!」でぐんぐん高くなるテンションは、もうジェットコースターの最頂点に昇りつめる寸前といったふぜいで、「きたきたきた~!!」と興奮せずにはいられません。「あいじゃす、こーりんぐ、ゆ~う~うぅ~!!」の「ゆ~う~うぅ~!!」の高まりに胸躍らない鬼束さんファンはいないでしょう。絶対この時、鬼束さん肩ちぢこまって左手あがってるよ!!
そして、サビの「この腕を掴んで」や「この胸を溶かして」での「この」で一瞬だけシャウトするテクニックも、鬼束さんお得意の制御され尽くした感情の発露です。そして、激しいサウンドの合間に突然入る、真空の裂け目のような無重力感のある「 So far……」のファルセット部分。もはや、『育つ雑草』とは比較することさえバカバカしい、聴く者を大いに意識したスキのない鉄壁の構成となっているのです。つまり、わかりやすく言えば『育つ雑草』の暴威は所詮は「新免のたけぞう」のバイオレンスであり、『 X』の猛威はまさしく「剣聖・宮本武蔵」の太刀筋なのです。井上先生~、巌流島の小次郎みたいに読者を待たせないでくんさい!!
ともかくこの『 X』は、こんな感じで鬼束さんがこれまで培ってきた歌唱テクニックの見本市のようなファンサービスたっぷりの一曲となっているのです。鬼束さんのものまねをしたい人は『 X』で練習するといいかも!? でも、唄っても「うま~い!」と賛同してくれる同志がそう多くはなさそうなのが哀しい……
一方、『 X』の歌詞について考えてみますと、こちらもまた、ただひたすらに「私は今、死んでいる!!」と叫び続けていた『育つ雑草』とは違って、かなり強い想いをもって唄いかける相手が確実におり、
「 I`m calling you」、「 I`m just calling you」、「 We`re calling」、「 We`re going high」
などなど、堕ちようが歪もうが狂おうが全然かまわないという覚悟に満ちたラブソングとなっているのです。
ラブソング……うん、内容から見ると、ラヴソングということになるんじゃないか、なぁ!? でも、こうやって呼びかけているのはよく分かるのですが、それに対して果たして相手がどう応えているのか、どう感じているのかがさっぱりうかがえない不穏さはぬぐえませんよね。とにもかくにも鬼束さんによる、曲は違いますが「♪あなーたがァ ほしぃ~い!!」な一方通行のパワーだけはものすごいという。
なんか、この曲を聴いてると、あの松本人志の『新・一人ごっつ』(1997~98年放送)の中で、松ちゃんが全身全霊をかけてやっていた神コーナー「マネキンとコント」を想起せずにはいられないんですよね。天才と木偶人形、この温度差が時空のはざまに「伝説」という名の真空の裂け目を切りひらくのです! もうすぐ彼女が来るんだよキミ~!!
ま、ま、そんな感じでこの『 X』は、半年以上の間隙を挟みはしましたが、歌手としての鬼束さんも、坂本昌之さんのプロデュース体制もまったく健在どころかさらに意気軒高であることを高らかに宣言するものになっていたかと思います。ほんと、ダンスなんてする必要なかったんだって!
ただ、一時期鬼束さんが標榜していた「誰か別人に仮託して曲を制作する」スタイルのようでもなく、ましてや前作『蛍』にあったような分かりやすい物や情景をつづる描写もきれいさっぱり消えてしまって、「最後の秘密」やら「禁断の迷路」やら「危険な正義」という一見さんお断りなワードのてんこ盛りとなってしまったので、確かにそういう意味では、『育つ雑草』とそう変わりないのでは……と思わせてしまうとっつきにくいイメージは出てしまったかな、といううらみはありますね。ちゃんと聴けばぜんぜん違うんだけどなぁ。
まぁ、だからこそ、もう一方の『ラストメロディー』を B面曲でなく「両 A面曲」にするという措置で比重を上げてバランスを取ろうとしたのでしょうが……う~ん、鬼束さんがノリにノッてるのがどう聴いても『 X』のほうなんだものなぁ。
それでもう片っぽの『ラストメロディー』なのですが、こちらは一転して、非常に聴きざわりの柔らかい、優しいバラードとなっております。
ただ、こちらは歌詞を聴いていくと、
「すべては夢で あとは目を覚ますだけ」
「季節を彷徨う 最後の言葉が まるで貴方のように横切る」
「待ち続けてる 途方も無いことくらい 分かっていても」
といった、ぬぐいようのない喪失感や寂寥感が、歌全体を寒い冬の空気のように包み込んでいることがよくわかります。こちらも『 X』と同様に、具体的な情景描写はないに等しいのですが、「聴こえないメロディー」と「涙をうかべて」という言葉が繰り返し謳いあげられるので、何かの「わかれ」があったのだろうな、というイメージは結びつきやすいですよね。
ただ、この15thシングルの面白いところは、相手がいて満たしあえているはずの『 X』が異常な精神の不安定さを提示しているのに、相手がいなくなって孤独でいる『ラストメロディー』が、すっぱりと解脱したような清澄さをたたえているという事実なのです。う~ん、これが愛欲というものなのか!
でも、この『ラストメロディー』も自分のもとを去った「貴方」を待ち続けていると明言していますし、「聴こえないメロディー」を感じ取ることも、いなくなった「貴方」を無意識に探してしまうくせを象徴しているようで、そういった未練がましさを十二分に「ゆるした」状態で心の安定にたどり着いているというこの境地は、まさに「わかっちゃいるけどやめられない」を許容する鬼束教の宗旨を象徴するものであると言えるでしょう。これはもう、鬼束さん初期に見られた厳格なキリスト教信仰の範疇を優に超えた、隠れキリシタン的なボーダレス神仏習合のかたちと言えると思います。さっすが九州人! でも、日向国に隠れキリシタンって、いたのかな……
これはもう、鬼束さん中期以降の定番カップリングとも言えるのですが、「アゲて落とす! そして底辺からまた浮かび上がる!」という、心の死と再生を2つの両極端な楽曲でどうどう巡りさせる、ダンテの『神曲』とか小野篁卿の地獄往還のような精神修養ツアーお得セットとなっていると思います。だから、『 X』だけをもって鬼束ちひろという歌手を語ることは不可能なのです。毒を飲んだら、解毒剤も飲まなきゃダメよ!
また、こちら『ラストメロディー』においても鬼束さんのプロフェッショナルな仕事は当然ありまくりでありまして、特にラストサビ直前の「日々は静かに過ぎる」の「過ぎる」からビヨ~ンとお雑煮のもちかトルコ風アイスのように急上昇する高音の無理やりすぎるギアチェンジ感がたまりません。♪すぅう~ぎぃ~っ、るぅ~ううぅ~!!
そして、最後の最後の歌詞「聴こえないメロディー」の唄い方なんて、もう……神業ですよね。ここでも、音声だけでなく吐息までをも物語の構成要素に組み込んだ匠の技が光ります。プロだねェ~!!
こんな感じでありまして、突然の活動休養宣言から、けっこうなブランクをおいて発表された本作は、かつての「変になっちゃった」トラウマを粉みじんに打ち砕く実力を鬼束さんが持つ歌手になったことを満天下に知らしめる大傑作となっていました。いやほんと2曲とも、聴けば聴くほど鬼束さんのものすごさがわかるスルメ曲の好例です。
ただ……このシングルがリリースされた当時の私は奇抜なミュージックビデオの方に目がいってしまい、歌でないジャンルに挑戦する鬼束さんに「そんなんせんでええのに」という違和感を持ってしまっていたのでした。その気持ちは今でも変わらないのですが、チャレンジする姿勢に難癖をつけるのはいけませんよね。
もっと寛容であるべきであったと反省するのですが……でも、ほんとにあの鬼束さんのダンスは、なんつうか、その……激しいわりに動きが少ないんですよね。そういう意味ではオンリーワンで稀有な踊り方なのです。どんなに踊っても、頭の高さが10cm くらいの範囲でしか上下しないし、基本的に腕しか動かないのでイソギンチャクの早回し映像みたいな感じなんですよね。
ま、それだけ鬼束さんは地に足の根付いた「芯の強い」女性なのだ、ということで。ハハハ、ハ……
時間 9分57秒
『 X(エックス)/ ラストメロディー』は、鬼束ちひろ(当時28歳)の15thシングル。
前年2008年9月の体調不良による休養宣言からの復帰後初となるシングルで、前作シングル『蛍』から9ヶ月ぶりの新作発表となる。オリコンウィークリーチャート最高11位を記録した。
収録曲
作詞・作曲 …… 鬼束 ちひろ
プロデュース …… 坂本 昌之
1、『 X 』 5分02秒
2008年8月に開催された野外ロック・フェスティバル『 ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2008』への出演時に、新曲として初披露されていた楽曲。その際はピアノ伴奏のみで歌唱されたが、本作ではバンドサウンドとストリングスのアレンジが主体となっている。なお、バンドサウンドの楽曲がシングルの A面として発表されるのは、2004年の11thシングル『育つ雑草』以来のことである。曲のタイトルについては、リリース当時のインタビューにて「曲の制作途中で思い浮かんだ記憶があり、それが呼び寄せたタイトル」とコメントしており、由来やイメージは一切ないという。
ミュージックビデオでは、鬼束との共演としてコンテンポラリーダンサーの森山開次(当時35歳)が出演している。
2、『ラストメロディー』 4分57秒
ピアノとバンドサウンドで構成されるロックバラード。本作はミュージックビデオが制作されておらず、鬼束の A面扱いの楽曲でミュージックビデオが制作されないのは本作が初となる。
ということでありまして、前作『蛍』でそうとうすごい新境地に至ったかのように見えたものの、折悪しく「極度の疲労による体調不良」ということで長期休養してしまった鬼束さんの、9ヶ月ぶりの復帰シングルでございます。
前作から始まった坂本昌之プロデュース時代ではあったのですが、シングルを1作出したのっけから休養に入ってしまい、当時予定されていた全国コンサートツアーも中止になってしまったため、「今度も11thシングル『育つ雑草』(2004年)の二の舞か……」という不穏な空気が流れていた中での本作リリースとなったのですが、さて今回はどのような作品となったのでしょうか。
実際に聴いてみれば明らかなのですが、今度の復帰は、間違いなく「完全復活」どころか、それ以上の「進化」を高らかに宣言するものになっていたと、今現在の私は確信し、この2つの A面曲のすばらしさを楽しむことができています。もはやそこに、『育つ雑草』にあったような無秩序・制御不能な感情の爆発は無い、と断言してよいでしょう。
ただ、その~、恥ずかしながら私、このシングルがリリースされた当初は、あんまりいい印象は抱いていなかったんですよね~! たかだか6年前の話ではあるのですが、まだまだ私もガキンチョだったというか……歌の本質を観ようとしてなかったんだなぁ。
なんで私がこのシングル……というか『 X』を好きになれなかったのかといいますと、その理由はミュージックビデオにあったんですよね。
上の情報記事にもある通り、『 X』のミュージックビデオはほぼ全編で鬼束さんがひたすら踊っているという内容になっており、後半からはプロのダンサーの森山開次さんも参戦して、周囲の物が破裂し、稲妻が絶えずほとばしる異様な状況の中で2人が対峙して踊り狂うという、ものすごい迫力の映像となっております。『ゴジラ VS キングギドラ』(1991年)のオープニングタイトルみてェ!
これがね~……これが好きじゃなかったんですよ。鬼束さんが元気ハツラツなのはいいんですけどね。元気に長髪を振り乱しすぎて顔がぜんぜん見えないんですが。
なんでかっていうと、鬼束さんが本領発揮の歌じゃなくて、全く別のジャンルの「踊り」で想いを爆発させてるっていう、その意味がよくわからなかったんですね。
いや、そりゃ確かに5分以上ずっと画面の中で踊り続けているというのは目を引くんですが、しばらく見続けているとわかってくるのです、鬼束さんは両足から胴体を経て頭にいたるまでの「身体の芯」がまったくブレてないと!
当然、激しく踊っているので身体は大きく動いているかのように見えるのですが、そう見えるのは両手がぶわー!ぶわー!と回っていて、カメラワークの都合で横に歩きながら踊っているからそう見えるだけなのであって、よくよく見れば……実に「安定した」振付の連続になっている、と私は感じたんですね。いや、疲れるとは思うのですが。
これは……この踊りは、一体なんなんだ? 鬼束さんの体幹のゆるぎなさを見て楽しめばいいのか? プロのダンサーでも5分間もソロダンスでもたせるのはかなり至難の業だと思うのですが、鬼束さんは昔からダンスの素養があったのか? それとも、この半年以上の休養期間の中でダンスの猛練習でもしたのか?
そしてさらにこのミュージックビデオをキツくしているのは、やはり最後まで一人で踊り続けるのを断念したかのように、後半から正真正銘のプロダンサーの森山さんを召喚しちゃってるってところなんですよね。
いやいや、それやっちゃ元も子もないでしょ!? ホレ見い、プロのダンスが近くにあるおかげで、鬼束さんの可動域の少なさが一目瞭然になっちゃったよ! ダイソーで売ってる「着せ替え人形エリーちゃん」の隣で、三人遣いがガッツリついた文楽人形を舞い踊らせちゃいかんでしょ!! 次元が違いすぎるって話なんですよ……
でも、当時の状況をかんがみるだに、鬼束さんとしても、自らの得意とする歌だけでなく何か別の世界に身をなげうって新境地を開拓したい、何か新しい自分を見つけ出したいという切なる願いがあったのかも知れません。そのあらわれが、成果はともかくやってみようと賭けに出た、この『 X』のミュージックビデオだったのかも知れず。
そんなことしなくても、『 X』は充分すぎるほどに名曲だったのにねぇ。でも、あれほどの奇跡的名曲だったのにもかかわらず、前作『蛍』もそれほど当時の J-Pop業界を騒然とさせるほどの話題にはならなかったので、なにかしらの不安を抱えたあせりはあったのかも……
さて、それでいよいよ本題の曲の内容のほうにいってみたいのですが、まずは両 A面のうちの『 X』から。
こちらは、先ほどから何かと比較している『育つ雑草』と同じ、激しいテンポと訴えかけるような鬼束さんの絶唱が印象的なバンドサウンドなのですが、よくよく聴いてみると、やはりおよそ5年を経ての鬼束さんの成長が著しいといいますか、プロの歌手としての安定感が段違いに身についている成熟した一曲となっております。
その安定感というのは、鬼束さんが武器として持っている自らの声の使い方をことごとく知り尽くしていることがわかるからでして、冒頭のささやくような「誰かの追憶……」では、その呼吸する音すらをも繊細かつ自由自在にコントロールするさまは、歌の第一声から聴く者の心をわしづかみにする伝説の怪物セイレーンの魔力を見るかのようです。船長、舵がとれねぇだ!!
序盤のささやきからいきなり入る野太い語り口、そしてサビ前の「 I`m just calling you!」でぐんぐん高くなるテンションは、もうジェットコースターの最頂点に昇りつめる寸前といったふぜいで、「きたきたきた~!!」と興奮せずにはいられません。「あいじゃす、こーりんぐ、ゆ~う~うぅ~!!」の「ゆ~う~うぅ~!!」の高まりに胸躍らない鬼束さんファンはいないでしょう。絶対この時、鬼束さん肩ちぢこまって左手あがってるよ!!
そして、サビの「この腕を掴んで」や「この胸を溶かして」での「この」で一瞬だけシャウトするテクニックも、鬼束さんお得意の制御され尽くした感情の発露です。そして、激しいサウンドの合間に突然入る、真空の裂け目のような無重力感のある「 So far……」のファルセット部分。もはや、『育つ雑草』とは比較することさえバカバカしい、聴く者を大いに意識したスキのない鉄壁の構成となっているのです。つまり、わかりやすく言えば『育つ雑草』の暴威は所詮は「新免のたけぞう」のバイオレンスであり、『 X』の猛威はまさしく「剣聖・宮本武蔵」の太刀筋なのです。井上先生~、巌流島の小次郎みたいに読者を待たせないでくんさい!!
ともかくこの『 X』は、こんな感じで鬼束さんがこれまで培ってきた歌唱テクニックの見本市のようなファンサービスたっぷりの一曲となっているのです。鬼束さんのものまねをしたい人は『 X』で練習するといいかも!? でも、唄っても「うま~い!」と賛同してくれる同志がそう多くはなさそうなのが哀しい……
一方、『 X』の歌詞について考えてみますと、こちらもまた、ただひたすらに「私は今、死んでいる!!」と叫び続けていた『育つ雑草』とは違って、かなり強い想いをもって唄いかける相手が確実におり、
「 I`m calling you」、「 I`m just calling you」、「 We`re calling」、「 We`re going high」
などなど、堕ちようが歪もうが狂おうが全然かまわないという覚悟に満ちたラブソングとなっているのです。
ラブソング……うん、内容から見ると、ラヴソングということになるんじゃないか、なぁ!? でも、こうやって呼びかけているのはよく分かるのですが、それに対して果たして相手がどう応えているのか、どう感じているのかがさっぱりうかがえない不穏さはぬぐえませんよね。とにもかくにも鬼束さんによる、曲は違いますが「♪あなーたがァ ほしぃ~い!!」な一方通行のパワーだけはものすごいという。
なんか、この曲を聴いてると、あの松本人志の『新・一人ごっつ』(1997~98年放送)の中で、松ちゃんが全身全霊をかけてやっていた神コーナー「マネキンとコント」を想起せずにはいられないんですよね。天才と木偶人形、この温度差が時空のはざまに「伝説」という名の真空の裂け目を切りひらくのです! もうすぐ彼女が来るんだよキミ~!!
ま、ま、そんな感じでこの『 X』は、半年以上の間隙を挟みはしましたが、歌手としての鬼束さんも、坂本昌之さんのプロデュース体制もまったく健在どころかさらに意気軒高であることを高らかに宣言するものになっていたかと思います。ほんと、ダンスなんてする必要なかったんだって!
ただ、一時期鬼束さんが標榜していた「誰か別人に仮託して曲を制作する」スタイルのようでもなく、ましてや前作『蛍』にあったような分かりやすい物や情景をつづる描写もきれいさっぱり消えてしまって、「最後の秘密」やら「禁断の迷路」やら「危険な正義」という一見さんお断りなワードのてんこ盛りとなってしまったので、確かにそういう意味では、『育つ雑草』とそう変わりないのでは……と思わせてしまうとっつきにくいイメージは出てしまったかな、といううらみはありますね。ちゃんと聴けばぜんぜん違うんだけどなぁ。
まぁ、だからこそ、もう一方の『ラストメロディー』を B面曲でなく「両 A面曲」にするという措置で比重を上げてバランスを取ろうとしたのでしょうが……う~ん、鬼束さんがノリにノッてるのがどう聴いても『 X』のほうなんだものなぁ。
それでもう片っぽの『ラストメロディー』なのですが、こちらは一転して、非常に聴きざわりの柔らかい、優しいバラードとなっております。
ただ、こちらは歌詞を聴いていくと、
「すべては夢で あとは目を覚ますだけ」
「季節を彷徨う 最後の言葉が まるで貴方のように横切る」
「待ち続けてる 途方も無いことくらい 分かっていても」
といった、ぬぐいようのない喪失感や寂寥感が、歌全体を寒い冬の空気のように包み込んでいることがよくわかります。こちらも『 X』と同様に、具体的な情景描写はないに等しいのですが、「聴こえないメロディー」と「涙をうかべて」という言葉が繰り返し謳いあげられるので、何かの「わかれ」があったのだろうな、というイメージは結びつきやすいですよね。
ただ、この15thシングルの面白いところは、相手がいて満たしあえているはずの『 X』が異常な精神の不安定さを提示しているのに、相手がいなくなって孤独でいる『ラストメロディー』が、すっぱりと解脱したような清澄さをたたえているという事実なのです。う~ん、これが愛欲というものなのか!
でも、この『ラストメロディー』も自分のもとを去った「貴方」を待ち続けていると明言していますし、「聴こえないメロディー」を感じ取ることも、いなくなった「貴方」を無意識に探してしまうくせを象徴しているようで、そういった未練がましさを十二分に「ゆるした」状態で心の安定にたどり着いているというこの境地は、まさに「わかっちゃいるけどやめられない」を許容する鬼束教の宗旨を象徴するものであると言えるでしょう。これはもう、鬼束さん初期に見られた厳格なキリスト教信仰の範疇を優に超えた、隠れキリシタン的なボーダレス神仏習合のかたちと言えると思います。さっすが九州人! でも、日向国に隠れキリシタンって、いたのかな……
これはもう、鬼束さん中期以降の定番カップリングとも言えるのですが、「アゲて落とす! そして底辺からまた浮かび上がる!」という、心の死と再生を2つの両極端な楽曲でどうどう巡りさせる、ダンテの『神曲』とか小野篁卿の地獄往還のような精神修養ツアーお得セットとなっていると思います。だから、『 X』だけをもって鬼束ちひろという歌手を語ることは不可能なのです。毒を飲んだら、解毒剤も飲まなきゃダメよ!
また、こちら『ラストメロディー』においても鬼束さんのプロフェッショナルな仕事は当然ありまくりでありまして、特にラストサビ直前の「日々は静かに過ぎる」の「過ぎる」からビヨ~ンとお雑煮のもちかトルコ風アイスのように急上昇する高音の無理やりすぎるギアチェンジ感がたまりません。♪すぅう~ぎぃ~っ、るぅ~ううぅ~!!
そして、最後の最後の歌詞「聴こえないメロディー」の唄い方なんて、もう……神業ですよね。ここでも、音声だけでなく吐息までをも物語の構成要素に組み込んだ匠の技が光ります。プロだねェ~!!
こんな感じでありまして、突然の活動休養宣言から、けっこうなブランクをおいて発表された本作は、かつての「変になっちゃった」トラウマを粉みじんに打ち砕く実力を鬼束さんが持つ歌手になったことを満天下に知らしめる大傑作となっていました。いやほんと2曲とも、聴けば聴くほど鬼束さんのものすごさがわかるスルメ曲の好例です。
ただ……このシングルがリリースされた当時の私は奇抜なミュージックビデオの方に目がいってしまい、歌でないジャンルに挑戦する鬼束さんに「そんなんせんでええのに」という違和感を持ってしまっていたのでした。その気持ちは今でも変わらないのですが、チャレンジする姿勢に難癖をつけるのはいけませんよね。
もっと寛容であるべきであったと反省するのですが……でも、ほんとにあの鬼束さんのダンスは、なんつうか、その……激しいわりに動きが少ないんですよね。そういう意味ではオンリーワンで稀有な踊り方なのです。どんなに踊っても、頭の高さが10cm くらいの範囲でしか上下しないし、基本的に腕しか動かないのでイソギンチャクの早回し映像みたいな感じなんですよね。
ま、それだけ鬼束さんは地に足の根付いた「芯の強い」女性なのだ、ということで。ハハハ、ハ……