長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

片道100km かけて、知人の一家だんらんのもようを観に行ってきました

2015年08月22日 23時58分54秒 | 日記
 どうもこんばんは! そうだいでございまする~。
 みなさま、今年のお盆は、いかがお過ごしでしたでしょうか? お休みとはいえ、大変お疲れさまでございました!

 わたくしめはと言いますと、今年は山形での就職1年目という新人真っ只中の状態でしたので、お盆シーズンは諸先輩がたが休んでおられる間にヒーコラヒーコラ働かせていただきまして、お盆明けからボチボチ遅れてお休みをいただくというスケジュールになっておりました。
 まぁ、ちょっと時期が遅れたというところで、実家なんですからご先祖様のお墓参りなんて一人でチャッチャとできますし、だいたい行楽シーズンも帰省ラッシュもおさまって静かになった町で休めるなんて、むしろなんというぜいたくか! ありがとうございます~。

 というわけでありまして、今週は連休をいただいてちょっと出勤して、また連休をいただくという飛び石なのんびりウィークとなりました。そして、土曜日には、わたくしの生涯で初めての「長距離ドライブ&帰りは夜道」を敢行しまして、知り合いのお方の舞踏公演を観に行くという一大イベントがあったのでありました! うをを、大丈夫なのか!?
 ……って、まぁこうやってのほほんとブログを更新してる段階で、大丈夫だったということなんですけれども。


 私が今回おもむいたのは、山形県の中西部に位置する「庄内町(しょうないまち)」という町でして、この庄内町は、日本海に面する山形県の2大市「鶴岡市(県内人口第2位)」と「酒田市(県内人口第3位)」に挟まれたかたちになっており、庄内平野の中央部を占める県内でも重要な穀倉地帯となっております。ただし、庄内町自体は海に面してはいません。
 庄内町の人口は約2万2千人ということで、山形県内の「町」の中では人口第2位となっているそうです。

 いや~、前にも言ったかと思うんですが、私、いちおう山形生まれの山形育ちではあるんですが、故郷の山形市から外には、ほっとんど行ったことがないのよね。もちろん、庄内町なんて今回が初めての来訪になるわけでして。

 そもそも、私がこの庄内町へ行くきっかけとなった知り合いの舞踏公演は、山形県内でのツアー公演という形を取っていたようでして、21日金曜日に山形県内の東根市(ひがしねし)で上演して、22日の土曜日には庄内町のホールで上演するという日程になっていました。
 東根市ね! そこだったら、私の住んでいる山形市からも近いから良かったんですよ。車で40分といったところですよね。でも、金曜日は仕事だったのでどうしてもそっちにできず、やむなくむちゃくちゃ遠い庄内町公演のほうを予約することになってしまったと。

 山形市から庄内町までの移動距離、およそ100km。

 車で100km……どうなんでしょう、ドライブが好きな方にとっては、どうってことない距離なんでしょうかね。ただ、私はこんな距離、続けて運転したことなかったもんで……かなりの難業のようにとらえて、この予定が決まった1ヶ月前からそ~と~気構えて待ち受けておりました。
 だからといって、たいして練習という練習ができるわけでもないし……まぁ強いてあげれば、数日前の連休のドあたまに、20km くらいの山道を運転して朝日町の温泉に行ったことくらいが練習になるんですが、20km だもんねぇ。

 そんな感じでなんとも心もとないまま土曜日当日となり、公演の開演時刻は夜7時ということだったので、余裕を持って昼すぎの3時30分に出発という運びになりました。さすがにこれだけあれば、迷って間に合わなくなるということもなかろうて……

 それで、恥も外聞も無く躊躇せずに我が車のカーナビゲーションシステム発動! とあいなったのですが、カーナビ自体めったに使ったことのない初心者の悲しさといいますか、「着くんならどんな道でもいいっす!」という飛びつき方が裏目に出てしまい、最初に出てきたルートを妄信してその通りに猛進(法定速度内)しますと、

 高速道路つかっちゃったよ……

 まぁ、いいんですけどね。ちゃんと行けたからいいんですけど、そんなに急いでるわけでもないんだから、2000円、使わなくてもよかったんじゃないかと思うんだけどなぁ!

 いいですいいです、行きと帰りが違う道のほうがおもしろいしねぇ。いざ運転を始めてみたら、あれよあれよといううちに事前に一般道で調べてたルートとはぜんぜん違う方向に向かいだして、「あぁ~、これ、お金払うやつだ。」と事態を飲み込んだときには、すでに私は時速100km を出してほぼ無人のハイウェイをひた走っていたのでありました……と~ば~す~ぞ~!!

 結局、私が行きに選んだのは「東北中央自動車道」から「山形自動車道」に接続して、山形市から見れば「時計回り」に西にいって北へとまわる「月山越え」ルートとなりました。一般道で行くとしたのならば、それとは逆の、「国道13号線」から「国道47号線」に接続して、「反時計回り」に北にいって西にまわる「最上川沿い」ルートになるわけですね。なるほどなるほど。

 いや~、前後にほとんど車のない高速道路の快適なこと! 途中で雨も降りましたが、基本的に山沿いのカーブが続くのですっ飛ばすわけにもいかず、ほどよいスピードで運転の練習に最適だな、と思っているうちに、あっという間に庄内平野に出て、見わたす限りの田園地帯が広がる目的地周辺に着いてしまいました。実は高速から降りるタイミングを間違えて遠回りになってしまったのですが、それでも2時間きっかりで会場の庄内町文化創造館ホールに到着してしまいました。ホールは見間違えようがありませんやね。田んぼしかないところに、ドデーンとコンクリートの巨大なオブジェが置いてあるって感じでしょうか……?

 2時間で到着って、夕方5時30分だから、開演の1時間30分前に見知らぬ町に着いちゃったよ! とりあえずおなかはすいてるけど、どうやって時間をつぶせばいいんだ!?

 そんな不安をいだきつつ、いちおう会場だけ確認しておこうと館内に入ってみますと、施設はコミュニティセンターとしても機能しているらしく、どうやら小学生の演奏練習会や中高生の部活でどこかの部屋を利用するらしいわこうどでにぎわう活気がありました。そうそう、こういうホールは使う人がいなくっちゃあしょうがないですよね。

 そして、そんな中でも、やたら異彩をはなつ身のこなしでウォーミングアップをしている方々が、廊下にちら、ほら……ミュージシャンでもない、スポーツマンでもない、役者でもない……じゃあダンサーさんだ、ありゃ!

 多分あの中に、だいたい13~4年ぶりに会うことになる私の知人もいらっしゃるんだろうなぁ、と近づいてみますと、なんとその輪の中には、壁に両手をついて、両足をこきざみに震わせながら微妙に横に移動していき、館内にすえつけてある消火器になみなみならぬ関心を見せる、赤ちゃんの姿が! あらかわいい!! あぶないからさわっちゃダメよ!

 近づいてみると、やはりあにはからんや、その赤ちゃんのかたわらで入念なアップを重ねるお母さんこそが、私の知人であり、今回の舞踏公演の企画・上演を一手に取りまとめた、ダンサーで NPO法人「手をつなぐメキシコと日本」の創設者でもある横尾咲子(よこお・さきこ)さんだったのでありました。お久しぶりでございます!


 咲子さんは、もともと私の高校時代の同学年で、確か1~2年同じクラスだったこともある同年のお方でした。私は当時、演劇部に所属していろいろバカなことをしていたのですが、咲子さんはとっても熱心に部の公演を観にきてくださるステキな麗人、といった印象で、とてもじゃないですが気楽に友達なんて言える距離の近さは、私のほうにまるで築く度量がそなわっていなかった、という感じでしたね。美人なんだなぁ。

 そんな高校時代を経て、その後、少なくとも私にとっては思ってもみなかったことなのですが、大学も卒業かという2001年ごろになにげなく観に行った東京の舞踏公演の折り込みチラシの中に、あの咲子さんと同じ名前の方の公演のお知らせが入っていて、どうやらプロフィールから見てもあの咲子さんに違いないと連絡してみたところ、やっぱりあの咲子さんだったということで、彼女の練習風景を見学に行くという名目で、天下のお茶の水大学の構内に侵入しおおせたのも、学生時代の良い思い出であります。なぎなた持ったお女中がたに「不心得者!」って追いかけられるような深窓の聖域なのかと思ったら、意外とふつうの大学キャンパスだったので安心しました。あと、お茶の水大学に行こうとして JRの「御茶ノ水駅」で降りたのも、いい思い出です……東京あるあるミス! みんなも気をつけよう!

 高校時代から、とにかく身のこなしがかっこよくて歌がうまいということは存じ上げていたのですが、まさかダンサーを目指しているとは……
 当然、練習を拝見した後に、その成果のダンス公演も観たのですが、その終演後に、本人から「日本じゃなくて海外に行く」という言葉を聞いたときには、さらにビックリしたものです。このお方は、いったいどこまで羽ばたいていくのであろうかと……

 そして、その後メキシコで同じくダンサーの伴侶を得て、かの地の大学芸術部で教鞭を執りながら3児の母となり、そして、NPO法人を立ち上げて日墨両国を股にかける舞踏人生を謳歌しておられるとか。

 結局、私が千葉にいた時代は、咲子さんの帰朝公演も山形県内が多かったようなので、それらのことを風のうわさで知るのみだったのですが、今年になっていよいよ私も山形暮らしとなったので、どうにかして十数年ぶりに咲子さんとコンタクトをとってみよう、と模索していた矢先の、今回の山形ツアー公演だったのであります。こりゃ行かないわけにはいかない!!


 とまぁ、そんな歳月を経て庄内町へ、ということになったのですが、特に劇的なこともなく、予定の1時間30分も前にあっさりと咲子さん本人に再会することができまして、「じゃあ、開場までそこらへんうろうろしてきますんで、また。」と実に煮え切らない挨拶をして、外をほっつき歩くこととなりました。

 しかしまぁ、ほっつき歩くと言いましても、ホールの周辺はただただ地平線のかなたまで広がる青々とした田園地帯と、街道沿いの大手スーパーやらガソリンスタンドやらパチンコ屋がボンボンボンと並んでるといった感じで、生活するには困らないけど、みたいな……
 ちょっと歩いたら、なんだか日本の城郭の天守閣みたいな造りのビルがあったので、おおっと思って中に入ってみたら、何の建物なのかはっきりしない上に、天守閣部分は関係者以外立ち入り禁止。さらにその付近には、「和心」というショッピングセンターみたいな建物の隣に、高さ10m はあろうかという、江戸時代のお代官さまみたいな風貌をした男性の巨大銅像があったのですが、これも、ショッピングセンターがまるごと全店閉店のようにひっそりと静まりかえっている上、銅像も「和心の像」と名前があるだけで、いったい誰をモデルにしたのかもさっぱりわからない始末。

 さびしい……よくわかんないけど、今は機能していない建物に出会うこと自体さびしいのに、答えのないモヤモヤがたまっていき、それを聞くべき人に出会えないのもさらにさびしく。見知らぬ土地でさびしくなるのは、やーねー!

 のちに調べてみたところ、あの天守閣みたいなビルは、かつて温泉施設だった場所らしいんですが、今は営業を終えており、温泉としては、その向かいにある「町湯」という非常にスマートなデザインの施設がその役目を継承しているそうです。もうちょっと時間があったら入りたかった!
 そして「和心の像」は、幕末の家老とか実業家とか、庄内平野の近代化と発展に大いに寄与した5人の偉人をモチーフに造られたモニュメントだったのだそうです。なるほど、それで個人名がなかったんだ。
 余談ですが、文化創造館の中でいろんな催し物のチラシやポスターを眺めていたら、庄内町の公式イメージキャラクターとして、明らかに郷土出身の、あの幕末の尊皇攘夷家・清河八郎を意識したかと思われる、「八郎くん」というカッコかわいいキャラクターのイラストが描かれていたのには度肝を抜かれました。清河八郎がマスコット化してるよ……「回天」って書いてある扇もってるよ……
 革命家が公的機関のマスコットになるって……有名人だからいいんでしょうけど、清河八郎とか最上義光がマスコットキャラクターになる世界って、ご本人はどう思われるんでしょうかね。苦笑してる表情しか浮かびませんけど。

 そんなこんなで、閉め切ったお店が並ぶ無人区域と、車がどんどん集まっていく大手スーパー区域との対比を見ながらしみじみ感じ入るわたくしだったのですが、結局、街道沿いによくありがちなラーメンチェーン店に入り、「土曜日の夕方」といえば、異常に高い確率でお店の TVで流れている印象のある、「西田敏行さんがナレーションをやってる旅番組」を眺めながらラーメンをすすったのでした。あれ、あの『人生の楽園』っていう番組、なんであんなに観ていてさびしい気持ちになっちゃうのかね!? やっぱ、あれも『サザエさん』効果みたいなやつなのか!

 ともあれ、そういった「さびしい一人旅」気分に叩き込まれるパンチをわりとラッシュで喰らったあと、あらためて文化創造館ホールに乗り込んだ私。どうしよう、これで舞踏公演もなんかさびしい内容なんだったら、100km の夜道を2時間かけて山形に帰る気力なんてあったもんじゃないぞ!?


日本メキシコ協同制作舞踏公演 『ともに在る juntos existimos 』 (2015年8月22日 山形県庄内町文化創造館・響ホール 小ホール)


 いや~そこはそれ、全身全霊をかけて「生きることはすばらしいことだ」を体言する舞踏公演なのであります。よかったねぇ、おもしろかったねぇ、元気になったねぇ!!

 今回の公演は小ホールでの上演ということで、客席も定員50名という設定で非常にコンパクトな360°円形の舞台構成になっていたのですが、客席もほどよく埋まり、こう言ってはなんなのですが、地方ホールで1回しかやらないこの公演をよくぞ見つけて集まってくれた、というにぎわいになっていると感じました。観てくれる方が多いのは、客としてもうれしいものですよね。

 作品の内容は、咲子さんと、新潟県十日町市を拠点とする芸能集団「巫座(かんなぎざ)」の女優でダンサーの佐藤あゆ子さん、山形県中西部の霊峰・羽黒山で現役の山伏を務めていらっしゃる文化調査団体「日知舎(ひじりしゃ)」主宰の成瀬正憲さん、そして咲子さんのだんな様でメキシコ合衆国公式契約アーティストのエスパルタコ=マルティネス・カルデナスさんの4名の組み合わせで送られる、何パートかの舞踏で構成された1時間ちょいほどのものでした。

 だいたい、言葉のほぼない舞踏を言葉で解釈することほど野暮な作業もないので、感想をつらつらと述べるのもあんまり意味がないのですが、とにもかくにも、出演者、特に私と同い年で3児の母でもあるはずの咲子さんが、あいも変わらず思いっきり元気に全身をフル稼働させて踊りまくっていたのが、理屈抜きでとってもうれしかった!

 やっぱりこう、自分の肉体の細部まで意識がゆきわたり、パーツごとの動き方を知り尽くしている人のダンスというものは、身体全体が非常に大きく見えるもので、踊っているときの咲子さんは、とにかく力強く、すばやく、しなやかな動物になっているんですね。知性を捨てているわけではないんだけど、その人生で身につけてきた膨大な知性を、その1時間のうちだけ、全て「動性」に変換して放出している、という感じなのでしょうか。もちろん、それはムチャクチャに身体を動かしまくって最後までつっぱしるということなのではなく、会場の空気を敏感につかみとりながら動き、休み、また立ち上がるという、ごく自然な「生のいとなみ」の凝縮ですよね。

 そういう身体全体の動きもすごいのですが、ダンサーさんはやっぱりチャーミングな「稚気」があってこそなんだな、ともしみじみ感じたのが、咲子さんとあゆ子さんとのかわいらしい「いたずらしあいっこ試合」で、そこで一言もしゃべらないのに、とにかく2人、特に咲子さんの表情が雄弁に試合の一進一退を実況しているわけなんですね。
 端的に言えば、咲子さんの「まゆげがうるさい」ということになるのですが、顔の表情、特に眉毛の微細な上下やカーブが、相手の攻め方に対して「やるわね……」とか「そこそうくると思った!」とか「そうきたんだとしたら、次はどういこうかな……」などと、まぁ~饒舌に言葉を発しているわけなのです。うるさいです! 最高ですね~。

 そして最も重要なのは、咲子さんが、お客さんにそういった微細な点をちゃんと観させるクローズアップの仕方を心得ているというか、いつのまにかお客さんの視線のカメラワークを乗っ取ってしまっているというテクニックを備えた舞踏家になっている、ということなのでした。
 これはすごい! 咲子さんは確かに、始めから美しい肢体を兼ね備えて舞踏の道に入るという天賦の幸運に恵まれていましたが、その上に、いまや若さだのみでなくとも「一生踊っていける」技量を確実に身につけていたのです。彼女の知人として、こんなにうれしいことがあるでしょうか。「知人」だなんてもどかしい、なにを今さらですが友人になりたい、できれば親友になりたい!! でも、メキシコは遠い……ま、とりあえずは大ファンということで。

 もうひとつ、今回とってもしたたかに思い知らされたのは、「母は強し。」ということで、そりゃさぁ、最近生まれたばっかりの赤ちゃんを抱っこしながら踊られちゃったら、そりゃあ目を見張らざるをえんだろう! あの赤ちゃん、私が開場1時間30分前に出くわしたあの子じゃないの。
 そうか、あの壁づたいプルプル歩きは、彼女(赤ちゃん)なりの入念なウォーミングアップだったのか……こいつぁ将来、両親に負けない大物になるぞ! と思っていたら、舞台に出ているあいだじゅう、ず~っとスヤスヤ眠ってました。やっぱり大物だ、この子!! 

 そして、実父のエスパルタコさんの犬になりきった舞踏を指さして、その赤ちゃんに「ほら、ワンワンだよ~。」と語って聞かせる咲子さん……母ちゃんが「犬だ」って言ったら、さすがの父ちゃんも子どもにとっちゃあ犬同然よ!! 圧倒的すぎる母性の勝利を見た瞬間でした。

 今回の作品は、「母性」の咲子さん、「少女性」のあゆ子さんといった姉妹のような女性2人の軽やかな躍動感に満ちた舞踏に対比して、エスパルタコさんは舞踏を通じて「思い悩みながら生きていく」、山伏の成瀬さんは本場、修験道仕込みの呪術ステップ「反閇(へんばい)」を通じて「大地に根ざしながら生きていく」というテーマを持っていたように見受けたので、男性2人は自分の肉体、特に脳みその重さや、地球の重力といった「重さに耐えながら生きる」宿命を演じていたと思います。そういう意味では、日本とメキシコという範疇でとらえるよりも、むしろ「生きてるんだからどこもいっしょ」という在り方を4者4様であらわす、単なる異種コラボレーションにとどまらない一貫性を持った、とてもおさまりのよい協同作品だと感じました。

 それにしても、上演中は客席から、咲子さんとエスパルタコさんという母父の生きざまを見届け、その後はカーテンコールからアフタートークにかけて舞台上でうろちょろ遊びまわっていた2人のお子さんといい、舞台で早すぎる親子共演を果たした赤ちゃんといい、両親が心の底から好きでいっしょにやっていることを、子供たちが隠し事なく間近で見ることができている家族の姿って、とてつもなく美しい風景だな、と感じました。ここに大人の計算が入ったウソがあったらどうしようもなく自画自賛な話になって見るに耐えなくなってしまうのかもしれませんが、いかんせん、裸一貫で他者と勝負する舞踏の世界なんでねぇ。とってもハッピーな『子連れ狼』なわけです、咲子さんとこのご一家は。そもそも、母ちゃんが先陣きってエネルギッシュに生きてる時点で『子連れ狼』もへったくれもないんですけど。

 いや~、実に! 実にすばらしい一家だんらんの様子を拝見いたしました。片道100km かけて、見知らぬ土地に来た甲斐は十二分にありました。

 これほどまでにクオリティの高い作品が、山形県の、しかも人口が多めの山形市とかでもない地方の小さな会場で、1日1回だけという稀少さで上演されているとは……でも、あくまで舞踏はライブの息遣いを感じるものなのですから、東京のお客さんがいっぱい入る会場でやっても、動画で録画しても、おのずと限界というものがあるのよね。とにもかくにも、こんなに近くで感じられる会場で、あの日あの時の4人の躍動に接することができた奇跡に感謝、感謝であります。咲子さん、また近いうちに日本で踊ってくれませんか!? いつまででも、お待ちしております!!


 そんでまぁ、あらためて車に乗り込み、一般道で最上川沿いに東に向かってから南の山形市を目指すという夜のドライブを敢行して帰宅したのですが……
 こわ~!! 夜の大きな川のすぐ近くを、ほとんど私の車しか走ってない状況で1時間くらい運転するのって、めちゃくちゃ怖かった! ていうか、寂しかった!!
 そりゃまぁ、ガードレールも土手もちゃんとあるから川面そのものとの距離はけっこうあるはずなんですが、そこらへんが照明いっさいなしでなんにも見えず、ただひたすら、たまにかかる車のヘッドライトの光も吸収してしまうような、墨汁みたいな液体のかたまりが確実に近くにあるという存在感が、ひんやりした湿気をまといながらず~っとまとわりついてくるわけです。

 やっぱり、行きを最上川沿いにするべきだった……帰りはとにかく孤独な2時間でしたよ! 山形市にそうとう近くなるまで、他の車がほぼない状態でしたからね。おかげで、行きと同じくらいの2時間ほどで家についたのでよかったはよかったんですけど。
 しかも、さすがは2003年モデルのカーナビを搭載したままの中古車というべきか、大事なジャンクションに限って、カーナビの画面上で私の車が空中を飛ぶ飛ぶ! 道路のない空間をぐ~るぐる回る一台の車。もちろん最終的にふつうの道に乗っかるわけなのですが、「道路があって当たり前」という私のあさはかな常識の世界の殻をいとも簡単にうちやぶるアウタ~ゾ~ンの存在を肌で感じた30秒間でした。こわ~。


 そんなこんなもありましたが、今回の往復計200km のドライブは、余計な出費をはさみつつも無事大成功に終わりました。まぁ、なにはなくとも目的のダンスがおもしろかったのが決定的だったわけなのですが、庄内町にまた行くかどうかは……どうかな。

 さぁ、まず片道100km と夜道はなんとか経験したので、お次のドライブはさらに遠出して、どこらへんに行きましょうかねぇ。東京くらいまで車で行けたら最高なんですが、1人で行くとしたらどうやっても新幹線で行くほうが割に合うそうなんで、ねぇ。


 結論、「咲子さんファミリー、大変お疲れ様でございました!」&「一人ドライブはさびしい!」
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