どもどもこんばんは、そうだいでございます。
え~、今回は例によって、別に誰が待っているわけでもないのに個人的になんとな~く続けている「ヒッチコックのサスペンス映画をなるべくぜ~んぶ観てみよう企画」の続きでございます。巨匠ですから作品数も多いような先入観があるのですが、よくよく調べてみると黒澤明監督みたいな感じで、それほど多いってわけでもないんですよね。だいいち、おおむね面白い作品ばっかりなので苦痛じゃないし。
昨今のガチャガチャした最新映画もけっこうですが、たまには温故知新、昔の傑作もひもといてみないと、もったいないやねぇ。
そんでもって今回なのですが、これは世間的な評判はどうなのかわからないのですが、個人的には「珍しくヒッチコック監督の采配がうまくいっていない作品」であると見ました。いや、それでも合格点以上のおもしろさではあると思うんですけれど!
たまには、失敗から教訓を学んでみるというのもよろしいのではないでしょうか。
かの松村邦洋氏も言っております。「失敗に成長あり、成功に成長なし」! けだし金言ですね~。
映画『間諜最後の日』(1936年5月 87分 イギリス)
『間諜最後の日(かんちょうさいごのひ 原題:Secret Agent )』は、イギリスのスパイ・スリラー映画。イギリスの小説家サマセット=モーム(1874~1965年)原作の連作短編小説『アシェンデン』(1928年発表)内のエピソード『 The Traitor(裏切者)』と『 The Hairless Mexican(禿げのメキシコ人』の映画化作品である。
ヒッチコック監督は、本編開始約8分30秒にジョン=ギールグッドと共にスイスに降り立つ乗客の役として出演している。
あらすじ
第一次世界大戦中の1916年5月10日。イギリス帝国軍大尉で小説家のエドガー=ブロディは休暇で帰国したところ、新聞に自分の死亡記事を発見する。ブロディは「R」と名乗る軍高官のもとに連行され、Rはブロディに、中東で動乱を引き起こすためにアラビアに向かうドイツ帝国のエージェントを見つけ出し事前に排除するという極秘任務を命じた。同意したブロディには「リチャード=アシェンデン」という新たな名が与えられ、「禿げのメキシコ人」や「将軍」などと呼ばれるプロの殺し屋の協力を得ることとなる。
おもなスタッフ
監督 …… アルフレッド=ヒッチコック(36歳)
脚本 …… チャールズ=ベネット(36歳)他
製作・配給 …… ゴーモン・ブリティッシュ映画社
おもなキャスティング
エドガー=ブロディ / リチャード=アシェンデン …… ジョン=ギールグッド(32歳)
エルサ=キャリントン …… マデリーン=キャロル(30歳)
モンテスマ将軍 …… ピーター=ローレ(31歳)
ロバート=マーヴィン …… ロバート=ヤング(29歳)
ケイパー …… パーシー=マーモント(52歳)
ケイパー夫人 …… フローレンス=カーン(58歳)
R …… チャールズ=カーソン(50歳)
リリー …… リリー=パルマー(22歳)
こういう感じの基本情報なのですが、まずまぁ今回は作品を観て、具体的に「どこがどう良くないのか」を感じていただくのがよいかと思います。ですので、このブログ内で詳細に物語の経緯を説明するのも話が長くなるだけですし、最初にこの作品を鑑賞してみてのわたくしの感じたポイントをざっと羅列するところから始めさせていただきます。
もし、まだこの作品を観たことのない方でご興味がある方がいらっしゃったら、ぜひともこれを良い契機にご覧になってみてください! いかんせん90年近く昔(!)の映画なわけですが、少なくともピーター=ローレの演技には21世紀にも通用する不思議な魅力がありますよ。
≪いつものよぉ~に 視聴メモ≫
・冒頭でしめやかに行われた軍人の葬式の直後、参列者が式場から去って行った瞬間に、蝋燭の火でタバコをふかしながら空っぽの棺桶を片付けようとする片腕の上司らしき軍人高官の一見不可解な挙動が、これから始まる物語の波乱万丈っぷりを予見しているようで興味深い。にしても、参列者の誰かが「すんません、忘れもの……」なんて言って戻ってきてもおかしくないうちから、火の点いた蝋燭をぶっ倒してもおかまいなくドンガドンガと撤収にかかる段取りがいかにもマンガチックで、ヒッチコックらしい「論理よりも印象」な演出の一端が垣間見える。むちゃくちゃやな、君!
・第二次世界大戦のロンドン空襲はつとに有名だけど、第一次世界大戦でもロンドンは空襲されてたんだ……と今さらながら勉強になった冒頭の空襲シーンなのだが、マット画による遠景描写と爆発音に薄暗い照明という地味な演出ながらも、本作が制作されたのは「第一次世界大戦のおよそ20年後」で「第二次世界大戦のわずか3年前」である。つまりはリアルにきな臭い時期に作られたわけで、娯楽作品ながらも何かしらの危険な空気をかぎ取っていたのではないかと邪推してしまう切迫感があるような気がする。ま、経験していないにしても第二次世界大戦の歴史をちょっとでも知ってる未来人が見たら、そう思っちゃいますわな。
・勝手に死んだことにされてプンスカ憤る主人公に、大英帝国の存亡にかかわる重要な極秘プロジェクトの命がくだされる!という荒唐無稽な展開が非常にテンポよく進む。う~ん、007の大先輩!
・一国の首都に敵軍の空襲が及んでいるというかなりヤバい戦況なのだが、Rのおっちゃんが泰然自若として「部屋の水槽の金魚がおびえて困るよ。ははは。」みたいに受け流しているのが実にイギリスっぽい。日本じゃ真似できんわ……
・アシェンデンに協力する怪しい二重スパイのモンテスマ将軍役のピーター=ローレは『暗殺者の家』(1934年)に続いて二度目のヒッチコック作品への出演なのだが、さすが国際的怪優と言うべきか、前作とは全く違う意味で危険な男を嬉々として演じている。前作の落ち着きまくったラスボス役も良かったが、当時若干30歳前後ということで、今作のねずみ男みたいな小悪党キャラの方が実年齢に近そうなハイテンションで元気いっぱいな演技で楽しい。そして、どっちの作品でも染谷将太によく似てる……
・アシェンデンと初めて会った時に、アシェンデンそっちのけで Rのいる官邸のメイドを追っかけまわしていた好色な将軍を見て交わしたアシェンデンと Rとのそっけない会話が実にいい。「彼は女専門の殺し屋なんですか?」-「女以外も殺すよ。」
・今作のヒロインである女スパイのエルサを演じるのも、今作が前作『三十九階段』に続いて二度目の出演となるマデリーン=キャロルで、のちにヒッチコック監督作品のトレードマークとなる「金髪美女ヒロイン」の伝統が本格的に始まる最初の女優さんということになる。彼女もまた、前作で演じた「巻き込まれ型一般女性ヒロイン」とはまるで違う、クセも裏もありまくりで元祖ふ~じこちゃ~んみたいなスパイを好演している。前作もそうとうに気丈な女性ではあったが、今作もまた別のしたたかな魅力がある。
・出会った瞬間にエルサにモーションをかける将軍だが、アシェンデンの妻という名目になっていると知って途端にブチギレて暴れ出す。この情緒不安定さが『暗殺者の家』では観られなかったローレのコメディセンスを示してくれてうれしい。ただ、それだけに将軍の「プロの殺し屋」という裏の顔の闇が深まるんですけどね……
・スイス入りした翌日にランゲンタール村の教会におもむき、イギリスに寝返ったドイツのエージェントとの接触を試みるアシェンデンと将軍。しかし教会に足を踏み入れるとエージェントはすでに……という展開はテンポがよく、死体が教会のパイプオルガンの鍵盤に突っ伏しているために音が鳴り響き続けているという音響効果もけっこうなのだが、教会の外にいても聞こえるような音量になっているので村人が異常に気付かないわけがないし、近づく前から死んでいることが丸わかりなので結果が読めてしまうのが惜しい。アシェンデンと将軍がたっぷり時間をかけて慎重にエージェントに近づく挙動とも矛盾しちゃってるしなぁ。ここは絶対に無音の方が良かったと思う。演出の明確な失敗が見られる、ヒッチコック監督にしては珍しい例ではなかろうか。
・教会に入ってくる人影を見て、慌ててアシェンデンと将軍が上階の鐘楼に登るという判断も、とてもじゃないがプロのスパイのするものではないと思う。どうやったって逃げられない状況に自分達から突っ走っちゃうんだから、それをピンチと言われても、どうにも感情移入しづらい……
・教会で袋のネズミになっているアシェンデンと将軍の苦境も知らず、その頃エルサはホテルでプレイボーイのマーヴィンに言い寄られていた……という展開は皮肉が効いているのだが、アシェンデンとエルサをすぐ別行動にしてしまったことで、「かりそめ夫婦」というおいしいにも程のある設定を早々に放り投げてしまっている感がある。もったいな!
・教会で危機一髪か……と思ったら、特になんの説明もなく夜には無事ホテルに帰ってくるアシェンデンと将軍。大丈夫だったんかーい! ま、相手はただの村人だしね。
・教会で殺されたエージェントが持っていた、ドイツのスパイの遺留品と思われるスーツのカフスボタンの主が、見つけたその日の夜に分かってしまうのも、なんだか展開が急すぎてピンとこない。早すぎて伏線にならないでしょ……あと、「温厚そうな紳士が、実は」っていう流れも前作『三十九夜』のまんまなので、新鮮味のかけらもないという。
・ドイツのスパイの疑惑が濃厚なイギリス人紳士ケイパーを引っかけるために一計を案じ、ケンカの芝居を演じるアシェンデンと将軍。この、正真正銘正統派名優のギールグッドと無国籍怪優ローレとのかけ合いが非常に面白い。ほぼ同年代なのにキャラがこんなに違うのかっていう、マンガみたいな凸凹感が素晴らしいですね。
・エルサを過剰に突き放すのは、殺人という非道に彼女を導きたくないというアシェンデンの紳士らしい思いやりからきている判断であることはよくわかるのだが、それだと無理やり夫婦としてくっつけさせられているという設定が活きてこないような気がするんだよなぁ。う~む。
・プロの殺し屋であるのにも関わらず、プライベートでは子どもを犬の鳴きマネでおびえさせるような稚気もある将軍が実に個性的で、今日びの映画なら「おサイコで魅力的な犯罪者」としてもっとクローズアップされそうなキャラクターなのだが、いかんせん1930年代の映画なので単なる変わり者くらいで描写が終わっているのが実に惜しい。一瞬の出演だが、演技じゃなく本気でローレにおびえている子役の女の子がかわいい。
・ケイパーを殺すために登山の罠にはめているアシェンデン達と、ホテルでのんきにドイツ語の練習をしているエルサ達とを交互に描写して緊張と緩和を演出するというヒッチコックのテクニックはわかるのだが、双方のパートが有機的にからんでおらず無関係なので、これが逆に観客の集中を散漫にしてしまう。エルサも何かスパイとしての活動をしていれば良いのだが、ケイパー夫人の話し相手をしてるだけだし。
・ドイツ語の練習をしながらエルサにアタックするマーヴィンと、ドイツ語の練習をしながらマーヴィンをフるエルサの応酬が実に洒落ていて面白い。そこに主人公がいないのが残念。アシェンデン硬いからなぁ!
・殺人のタイミングが近づくにつれて息が荒くなり逡巡しだすアシェンデンと、殺すことに何の躊躇もなく殺す当人に冗談を言う余裕さえある将軍とで、暗に「踏んできた場数」の差を如実に示す演出が、さすがヒッチコックといったところ。ちょっと遠回しすぎるのだが、一方のホテルで急に騒ぎ始めるケイパーの飼い犬の様子を見て顔面蒼白になるエルサという描写にも苦心のほどが見られる。エルサ、ビクビクしすぎ!
・ケイパー殺害の瞬間を直接描かないという演出はよくあるとしても、そこに「アシェンデンが遠くから望遠鏡で見届ける」という新鮮な構図を取り入れるのが、いかにもヒッチコックらしい「のぞき趣味」満点な倒錯したチョイスである。こう観てみると、やっぱりヒッチコックは日本の江戸川乱歩とセンスがかなり通じるものがある。「実は勢い勝負がほとんどで論理だてたミステリーが苦手」っていうところもね……
・お国のためといえども、本当にケイパーを手にかけてしまったことに精神的にかなりダメージを受けて意気消沈するエルサとアシェンデンなのだが、よくよく考えてみると、実際の殺人という最もダーティな部分を将軍に丸投げしておいて、なに聖人君子を気取ってるんだというツッコミも入れたくなる。いや、確かに人殺しはよくないことだけど、あんたがたもけしかけてたでしょ!? 悲しいけど、これ、戦争なのよね!
・本作の主役アシェンデンは、いかにも主人公らしく品行方正で時として冷徹な判断も下す頼もしいヒーロー然とした英国紳士なのだが、異常性格すぎる将軍と、いきがっていながらも心根は非常に繊細なエルサに囲まれて、キャラクターがかなり中途半端で淡白な存在感になってしまっている。ここが、本作最大のウィークポイントなのではないだろうか。後輩の007ほどのスーパーマンでもないし。
・さすがに、アシェンデン達の狙い通りにケイパーがドイツのスパイでした、チャンチャン……となるわけがなく、他に本当のスパイがいるということで物語は続くのだが、ここまでで映画が半分以上の45分を費やしてしまっているのが、いかにも悠長すぎるような気がする。なんか、いろいろと見どころはあるのだけれど全体的にテンポが遅いような気がするんだよなぁ。
・ケイパーをスパイだと勘違いするきっかけとなったスーツのカフスボタンの幻影がエルサの脳裏に無数に現れるあたりで、ヒッチコックお好みの表現主義的オーバーラップが使われるのだが、そこにスイスの民族楽器らしい、陶器の器に鈴かなんかを入れて転がし「しゃらしゃら……」と音を立てるやつのイメージが重なるのがおもしろい。あれ、なんて名前!?
・夜のボート上での会話で、アシェンデンが直接ケイパーを殺したと思い込んでいるエルサが一方的にアシェンデンに別れを告げたのに、アシェンデンが手をかけたわけではないと聞いたとたんに「じゃあいいや♡」と前言撤回してキスするという展開が、なんかエルサの軽さしか感じられず引っかかってしまう。将軍がこのやり取りを聞いてたら、2人もぶっ殺されちゃうぞ……
・よりが戻りすぎて、かりそめでなく本気の相思相愛夫婦になってしまったアシェンデンとエルサは、スパイ任務を辞退するという旨の R宛ての手紙を書くのだが、そんな、第一次世界大戦中の国際的謀略戦の最前線にいるスパイって、バイト感覚で辞められるもんなのか? まっとうな常識人のようでいて、任務を失敗しておきながらそんな言い分が通じると思っているアシェンデンの感覚もそうとうヤバい。
・くどき相手のエルサの電話口にアシェンデンがいるのにも気づかず、連綿と恥ずかしすぎる恋のアッピールを続けるマーヴィン。なんだよ、この緊張感の無いくだり!? 意味もなく殺されたケイパーのみたまが浮かばれぬ……
・スパイを辞めると言うアシェンデンを口説き落として再び任務に引き込んだ時に、絶望的な表情になるエルサを見つめる将軍の目に、完全に恋人を取り返した勝利のまなざしが浮かんでいるのが、単なる色モノキャラにとどまらないローレの面目躍如たる無言の名演である。そうそう、ここ、完全な三角関係なのよね。そこらへんのジェンダーフリーな浮遊感もまた、将軍の得体の知れなさを象徴している。
・ドイツ側のスパイの情報交換所となっている場所が実はチョコレート工場だったという展開につながる伏線が、実はすでに前半でさりげなくほのめかされているという丁寧さがいい感じである。あぁ、だからか!みたいな。でも、将軍がタバコをぷかぷか吸いながらチョコレートの製造ラインを見学をしていても誰もなんにも言わないのは、衛生的にどうなんだろう!?
・特にたいした変装もせず見学者として工場に入ったアシェンデンと将軍を見て、当然ながらドイツ側のエージェントたちは結託しているスイス警察に通報し、2人を一網打尽にしようとする。でも、この第2のピンチの時も、エルサはアシェンデンのそばにいないのよね! もったいなさすぎ!!
・将軍にチョコレート工場とドイツ側スパイとの関係をリークした娘リリーの彼氏カール君は、チョコレート工場に勤務していながらも反ドイツ側の人間なのだが、助けようと思ってアシェンデン達に駆け寄ったのに問答無用で将軍に殴られてしまう扱いが実に哀しい。ま、イケメンだからしょうがねっか。
・カール君からの情報で、ドイツの本当のスパイが誰なのか正体がついに明らかになるのだが、登場しているキャラたちの顔ぶれを見れば、たぶんこいつなんだろうなと容易に察しがついてしまうのが非常に残念である。意外性もへったくれもないんですよね……
・「危うし、ヒロインが悪役の手中に!」というクライマックスの展開は洋の東西を問わず定番のものなのだが、悪役が積極的にヒロインをさらうのではなく、主人公に別れを告げたヒロインから悪役にゴリ押しでせがんで転がり込むという流れがかなり新鮮で面白い。しかもマーヴィン、若干ひいてるし! さらには、エルサがマーヴィンについて行ったと聞いてエルサが真相に気づいたと勘違いしてぬか喜びするアシェンデン達も実に滑稽である。こういう各人各様のすれ違いを描かせたら、イギリス人は天下一品ですよね! 『ロミオとジュリエット』とか。
・Rさん、サウナ室でふかす葉巻はおいしいですか? しけってそう(小並感)。
・映画の残り10分での、ドイツ帝国の同盟国オスマン=トルコ帝国の首都コンスタンティノープルに逃れんとするマーヴィンとアシェンデン達との追跡戦は、さすが筋金入りの鉄ヲタともいえるヒッチコックの独擅場である。ところどころ、スキさえあれば列車のミニチュア特撮を多用するのもうれしい。おまけには、鉄道とイギリス空軍戦闘機との機銃戦まで! 大盤振る舞いですね~。
・最後にアシェンデンとエルサの笑顔で終わるハッピーエンドはけっこうなのだが、やはり「直接殺したんじゃないから許す」というエルサの判断基準は、な~んか都合がよすぎるような気がしないでもない。いや、そりゃ殺人は大罪なんだけど、同じ穴のむじななんじゃないの……?
……ざっと、本作を観た雑感については以上でございます。
この映画、当然ながらめきめきと実力をつけている成長期のヒッチコック作品なものですから、当然『下宿人』(1927年)や『ゆすり』(1929年)のような初期作品に比べれば別次元の見やすさと面白さが保障されています。
そうではあるのですが、上に挙げたように前作『三十九夜』(1935年)や前々作『暗殺者の家』(1934年)に比べると「う~ん?」と首をかしげてしまうテンポのまだるっこしさと、「実行犯じゃなきゃいいのか?」という釈然としない消化不良感が残ってしまう問題があるような気がするのです。
いや、主人公たちがチョコレート工場に潜入するあたりから終幕までの30分間くらいは全然いいのですが、そこにいくまでの流れがかったるく感じてしまうのよねぇ。
具体的にどこがどうということはすでに言ったので繰り返しませんが、やっぱりこの原因は、主人公のアシェンデンが非常にお堅いまっとうな紳士であることによる不自由さと、そうであるがゆえにお転婆なヒロインのエルサを遠ざけてしまう相性の悪さが大きいのではないでしょうか。
前作『三十九夜』の主人公が、やや性格が破綻しているような自己中心的な冒険者だったことによる反動でそうなったのでしょうが、なんせ今作だって十分すぎる程のアドベンチャー映画なので、主人公はそのくらいおかしな奴であるべきだったのではないかなぁ。アシェンデンはいかにも、おとなしすぎですよね。
残念ながら今回はサマセット=モームの原作小説を読んでいないので、そこらへん映画化にあたってどういったアレンジがあったのかはわからないのですが、せっかくの国際的スパイなのに妙に地味なんですよね、映画のアシェンデンって。いや、たぶん本物のスパイは絶対に地味で目立たない方がいいに決まってるんでしょうけど!
また、本作は後年になって振り返ってみると、第一次世界大戦よりも実は第二次世界大戦の方がめちゃくちゃ近かったというゾッとするような恐ろしさがある時期に制作された娯楽映画なのですが、「何千何万という未来の犠牲を避けるためならば殺人は許されるのか?」という、解決しようのない深すぎる問題を扱っている作品でもあります。お国のための犯罪ならおとがめなし、というのが本作で Rがアシェンデン達に保障したスパイの特権であったのですが、それでもまっとうな価値観を捨てることのできないエルサやアシェンデンは、ドイツのスパイとの対決をもって「間諜最後の日」として、悠々と退場してしまうわけです。
これはもう、真剣に対峙したら映画中盤でのエルサのように頭がおかしくなってしまうことは必定な大問題なので、そこは娯楽映画らしく、「直接殺してないんならOK!」と割り切ってしまうエルサの選択も、ひとつの回答としてやむをえないことのような気もします。
でも、そうなると全く浮かばれないのがプロの殺し屋である将軍の立場で、汚れ仕事の責任は全部おれにおっかぶせてお前らだけハッピーエンドかい!という怨嗟の声が聞こえてくるようです。ほんと、本作の将軍は悪役でもないのにいいとこなし!
ただ、そんな大損こきまくりの将軍なのに、トータルで本作を観終えた後にその一挙手一投足が観客の印象に残っているのって、おそらく間違いなく、この将軍だけなんですよね。彼だけ他の登場人物たちと比べてキャラクターの深みが違うというか、解像度が段違いなような気がするのです。
それはやっぱり、ヒッチコック監督の計算とか脚本とかがまるで感知していない部分、最終的に演じる俳優さんのその役に対する解釈と思い入れの深みが、将軍の場合はまるで違っていたのではないでしょうか。
つまり、作中の将軍はただただ殺人を仕事の一環と受けとめて淡々とこなし、オフの時は身の回りにいるかわいこちゃんに見境なく色目を使いまくる異常な人物ではあるのですが、そういう自分が楽しく人生を生きられるのは「政府に殺人を公認されている」という、この戦時中というつかの間の異常な状況の中だけであることを、誰よりもドライに理解しているのです。だからこそ、将軍は今この瞬間の生を過剰なまでに謳歌しようとするし、同じスパイという日陰者の世界から一抜けしようとするアシェンデンを、あんなに寂しそうな目で見つめて必死に引き留めようとするのでしょう。単におかしなキャラと言うだけではない、異常者であるがゆえの哀しみと孤独をちゃんとにおわせているのが、ピーター=ローレのものすごいところなんですよね。
だから、彼が最期に見せた不用心にも程のあるあの挙動も、ある意味では自分で死を選んだということだったのかも知れません。ドイツのスパイを始末しようがしまいが、その後にアシェンデン達が去ってしまうことは確実でしたからね。哀しいな……
ちゃっちゃとまとめてしまいますが、本作『間諜最後の日』は、決して見て損をするというほどの失敗作でもないのですが、ヒッチコック作品にしては珍しく中盤過ぎまで退屈してしまう部分の多い作品です。ただ、コミカルながらも次第に心の闇をちらっちらっと垣間見せてくる将軍を演じるローレの目の演技と、クライマックスの鉄道と戦闘機とのミニチュア特撮のカット割りのキレには一見の価値があると思いますので、お暇な方はぜひともご覧になってみてください。ちょっと今回は停滞しましたが、ヒッチコックの映像センスが右肩上がりであることに違いはないし!
今回は演出よりもローレさんの演技に軍配が上がってしまいましたが、次回も期待してますよ、かんとくぅ~!!
え~、今回は例によって、別に誰が待っているわけでもないのに個人的になんとな~く続けている「ヒッチコックのサスペンス映画をなるべくぜ~んぶ観てみよう企画」の続きでございます。巨匠ですから作品数も多いような先入観があるのですが、よくよく調べてみると黒澤明監督みたいな感じで、それほど多いってわけでもないんですよね。だいいち、おおむね面白い作品ばっかりなので苦痛じゃないし。
昨今のガチャガチャした最新映画もけっこうですが、たまには温故知新、昔の傑作もひもといてみないと、もったいないやねぇ。
そんでもって今回なのですが、これは世間的な評判はどうなのかわからないのですが、個人的には「珍しくヒッチコック監督の采配がうまくいっていない作品」であると見ました。いや、それでも合格点以上のおもしろさではあると思うんですけれど!
たまには、失敗から教訓を学んでみるというのもよろしいのではないでしょうか。
かの松村邦洋氏も言っております。「失敗に成長あり、成功に成長なし」! けだし金言ですね~。
映画『間諜最後の日』(1936年5月 87分 イギリス)
『間諜最後の日(かんちょうさいごのひ 原題:Secret Agent )』は、イギリスのスパイ・スリラー映画。イギリスの小説家サマセット=モーム(1874~1965年)原作の連作短編小説『アシェンデン』(1928年発表)内のエピソード『 The Traitor(裏切者)』と『 The Hairless Mexican(禿げのメキシコ人』の映画化作品である。
ヒッチコック監督は、本編開始約8分30秒にジョン=ギールグッドと共にスイスに降り立つ乗客の役として出演している。
あらすじ
第一次世界大戦中の1916年5月10日。イギリス帝国軍大尉で小説家のエドガー=ブロディは休暇で帰国したところ、新聞に自分の死亡記事を発見する。ブロディは「R」と名乗る軍高官のもとに連行され、Rはブロディに、中東で動乱を引き起こすためにアラビアに向かうドイツ帝国のエージェントを見つけ出し事前に排除するという極秘任務を命じた。同意したブロディには「リチャード=アシェンデン」という新たな名が与えられ、「禿げのメキシコ人」や「将軍」などと呼ばれるプロの殺し屋の協力を得ることとなる。
おもなスタッフ
監督 …… アルフレッド=ヒッチコック(36歳)
脚本 …… チャールズ=ベネット(36歳)他
製作・配給 …… ゴーモン・ブリティッシュ映画社
おもなキャスティング
エドガー=ブロディ / リチャード=アシェンデン …… ジョン=ギールグッド(32歳)
エルサ=キャリントン …… マデリーン=キャロル(30歳)
モンテスマ将軍 …… ピーター=ローレ(31歳)
ロバート=マーヴィン …… ロバート=ヤング(29歳)
ケイパー …… パーシー=マーモント(52歳)
ケイパー夫人 …… フローレンス=カーン(58歳)
R …… チャールズ=カーソン(50歳)
リリー …… リリー=パルマー(22歳)
こういう感じの基本情報なのですが、まずまぁ今回は作品を観て、具体的に「どこがどう良くないのか」を感じていただくのがよいかと思います。ですので、このブログ内で詳細に物語の経緯を説明するのも話が長くなるだけですし、最初にこの作品を鑑賞してみてのわたくしの感じたポイントをざっと羅列するところから始めさせていただきます。
もし、まだこの作品を観たことのない方でご興味がある方がいらっしゃったら、ぜひともこれを良い契機にご覧になってみてください! いかんせん90年近く昔(!)の映画なわけですが、少なくともピーター=ローレの演技には21世紀にも通用する不思議な魅力がありますよ。
≪いつものよぉ~に 視聴メモ≫
・冒頭でしめやかに行われた軍人の葬式の直後、参列者が式場から去って行った瞬間に、蝋燭の火でタバコをふかしながら空っぽの棺桶を片付けようとする片腕の上司らしき軍人高官の一見不可解な挙動が、これから始まる物語の波乱万丈っぷりを予見しているようで興味深い。にしても、参列者の誰かが「すんません、忘れもの……」なんて言って戻ってきてもおかしくないうちから、火の点いた蝋燭をぶっ倒してもおかまいなくドンガドンガと撤収にかかる段取りがいかにもマンガチックで、ヒッチコックらしい「論理よりも印象」な演出の一端が垣間見える。むちゃくちゃやな、君!
・第二次世界大戦のロンドン空襲はつとに有名だけど、第一次世界大戦でもロンドンは空襲されてたんだ……と今さらながら勉強になった冒頭の空襲シーンなのだが、マット画による遠景描写と爆発音に薄暗い照明という地味な演出ながらも、本作が制作されたのは「第一次世界大戦のおよそ20年後」で「第二次世界大戦のわずか3年前」である。つまりはリアルにきな臭い時期に作られたわけで、娯楽作品ながらも何かしらの危険な空気をかぎ取っていたのではないかと邪推してしまう切迫感があるような気がする。ま、経験していないにしても第二次世界大戦の歴史をちょっとでも知ってる未来人が見たら、そう思っちゃいますわな。
・勝手に死んだことにされてプンスカ憤る主人公に、大英帝国の存亡にかかわる重要な極秘プロジェクトの命がくだされる!という荒唐無稽な展開が非常にテンポよく進む。う~ん、007の大先輩!
・一国の首都に敵軍の空襲が及んでいるというかなりヤバい戦況なのだが、Rのおっちゃんが泰然自若として「部屋の水槽の金魚がおびえて困るよ。ははは。」みたいに受け流しているのが実にイギリスっぽい。日本じゃ真似できんわ……
・アシェンデンに協力する怪しい二重スパイのモンテスマ将軍役のピーター=ローレは『暗殺者の家』(1934年)に続いて二度目のヒッチコック作品への出演なのだが、さすが国際的怪優と言うべきか、前作とは全く違う意味で危険な男を嬉々として演じている。前作の落ち着きまくったラスボス役も良かったが、当時若干30歳前後ということで、今作のねずみ男みたいな小悪党キャラの方が実年齢に近そうなハイテンションで元気いっぱいな演技で楽しい。そして、どっちの作品でも染谷将太によく似てる……
・アシェンデンと初めて会った時に、アシェンデンそっちのけで Rのいる官邸のメイドを追っかけまわしていた好色な将軍を見て交わしたアシェンデンと Rとのそっけない会話が実にいい。「彼は女専門の殺し屋なんですか?」-「女以外も殺すよ。」
・今作のヒロインである女スパイのエルサを演じるのも、今作が前作『三十九階段』に続いて二度目の出演となるマデリーン=キャロルで、のちにヒッチコック監督作品のトレードマークとなる「金髪美女ヒロイン」の伝統が本格的に始まる最初の女優さんということになる。彼女もまた、前作で演じた「巻き込まれ型一般女性ヒロイン」とはまるで違う、クセも裏もありまくりで元祖ふ~じこちゃ~んみたいなスパイを好演している。前作もそうとうに気丈な女性ではあったが、今作もまた別のしたたかな魅力がある。
・出会った瞬間にエルサにモーションをかける将軍だが、アシェンデンの妻という名目になっていると知って途端にブチギレて暴れ出す。この情緒不安定さが『暗殺者の家』では観られなかったローレのコメディセンスを示してくれてうれしい。ただ、それだけに将軍の「プロの殺し屋」という裏の顔の闇が深まるんですけどね……
・スイス入りした翌日にランゲンタール村の教会におもむき、イギリスに寝返ったドイツのエージェントとの接触を試みるアシェンデンと将軍。しかし教会に足を踏み入れるとエージェントはすでに……という展開はテンポがよく、死体が教会のパイプオルガンの鍵盤に突っ伏しているために音が鳴り響き続けているという音響効果もけっこうなのだが、教会の外にいても聞こえるような音量になっているので村人が異常に気付かないわけがないし、近づく前から死んでいることが丸わかりなので結果が読めてしまうのが惜しい。アシェンデンと将軍がたっぷり時間をかけて慎重にエージェントに近づく挙動とも矛盾しちゃってるしなぁ。ここは絶対に無音の方が良かったと思う。演出の明確な失敗が見られる、ヒッチコック監督にしては珍しい例ではなかろうか。
・教会に入ってくる人影を見て、慌ててアシェンデンと将軍が上階の鐘楼に登るという判断も、とてもじゃないがプロのスパイのするものではないと思う。どうやったって逃げられない状況に自分達から突っ走っちゃうんだから、それをピンチと言われても、どうにも感情移入しづらい……
・教会で袋のネズミになっているアシェンデンと将軍の苦境も知らず、その頃エルサはホテルでプレイボーイのマーヴィンに言い寄られていた……という展開は皮肉が効いているのだが、アシェンデンとエルサをすぐ別行動にしてしまったことで、「かりそめ夫婦」というおいしいにも程のある設定を早々に放り投げてしまっている感がある。もったいな!
・教会で危機一髪か……と思ったら、特になんの説明もなく夜には無事ホテルに帰ってくるアシェンデンと将軍。大丈夫だったんかーい! ま、相手はただの村人だしね。
・教会で殺されたエージェントが持っていた、ドイツのスパイの遺留品と思われるスーツのカフスボタンの主が、見つけたその日の夜に分かってしまうのも、なんだか展開が急すぎてピンとこない。早すぎて伏線にならないでしょ……あと、「温厚そうな紳士が、実は」っていう流れも前作『三十九夜』のまんまなので、新鮮味のかけらもないという。
・ドイツのスパイの疑惑が濃厚なイギリス人紳士ケイパーを引っかけるために一計を案じ、ケンカの芝居を演じるアシェンデンと将軍。この、正真正銘正統派名優のギールグッドと無国籍怪優ローレとのかけ合いが非常に面白い。ほぼ同年代なのにキャラがこんなに違うのかっていう、マンガみたいな凸凹感が素晴らしいですね。
・エルサを過剰に突き放すのは、殺人という非道に彼女を導きたくないというアシェンデンの紳士らしい思いやりからきている判断であることはよくわかるのだが、それだと無理やり夫婦としてくっつけさせられているという設定が活きてこないような気がするんだよなぁ。う~む。
・プロの殺し屋であるのにも関わらず、プライベートでは子どもを犬の鳴きマネでおびえさせるような稚気もある将軍が実に個性的で、今日びの映画なら「おサイコで魅力的な犯罪者」としてもっとクローズアップされそうなキャラクターなのだが、いかんせん1930年代の映画なので単なる変わり者くらいで描写が終わっているのが実に惜しい。一瞬の出演だが、演技じゃなく本気でローレにおびえている子役の女の子がかわいい。
・ケイパーを殺すために登山の罠にはめているアシェンデン達と、ホテルでのんきにドイツ語の練習をしているエルサ達とを交互に描写して緊張と緩和を演出するというヒッチコックのテクニックはわかるのだが、双方のパートが有機的にからんでおらず無関係なので、これが逆に観客の集中を散漫にしてしまう。エルサも何かスパイとしての活動をしていれば良いのだが、ケイパー夫人の話し相手をしてるだけだし。
・ドイツ語の練習をしながらエルサにアタックするマーヴィンと、ドイツ語の練習をしながらマーヴィンをフるエルサの応酬が実に洒落ていて面白い。そこに主人公がいないのが残念。アシェンデン硬いからなぁ!
・殺人のタイミングが近づくにつれて息が荒くなり逡巡しだすアシェンデンと、殺すことに何の躊躇もなく殺す当人に冗談を言う余裕さえある将軍とで、暗に「踏んできた場数」の差を如実に示す演出が、さすがヒッチコックといったところ。ちょっと遠回しすぎるのだが、一方のホテルで急に騒ぎ始めるケイパーの飼い犬の様子を見て顔面蒼白になるエルサという描写にも苦心のほどが見られる。エルサ、ビクビクしすぎ!
・ケイパー殺害の瞬間を直接描かないという演出はよくあるとしても、そこに「アシェンデンが遠くから望遠鏡で見届ける」という新鮮な構図を取り入れるのが、いかにもヒッチコックらしい「のぞき趣味」満点な倒錯したチョイスである。こう観てみると、やっぱりヒッチコックは日本の江戸川乱歩とセンスがかなり通じるものがある。「実は勢い勝負がほとんどで論理だてたミステリーが苦手」っていうところもね……
・お国のためといえども、本当にケイパーを手にかけてしまったことに精神的にかなりダメージを受けて意気消沈するエルサとアシェンデンなのだが、よくよく考えてみると、実際の殺人という最もダーティな部分を将軍に丸投げしておいて、なに聖人君子を気取ってるんだというツッコミも入れたくなる。いや、確かに人殺しはよくないことだけど、あんたがたもけしかけてたでしょ!? 悲しいけど、これ、戦争なのよね!
・本作の主役アシェンデンは、いかにも主人公らしく品行方正で時として冷徹な判断も下す頼もしいヒーロー然とした英国紳士なのだが、異常性格すぎる将軍と、いきがっていながらも心根は非常に繊細なエルサに囲まれて、キャラクターがかなり中途半端で淡白な存在感になってしまっている。ここが、本作最大のウィークポイントなのではないだろうか。後輩の007ほどのスーパーマンでもないし。
・さすがに、アシェンデン達の狙い通りにケイパーがドイツのスパイでした、チャンチャン……となるわけがなく、他に本当のスパイがいるということで物語は続くのだが、ここまでで映画が半分以上の45分を費やしてしまっているのが、いかにも悠長すぎるような気がする。なんか、いろいろと見どころはあるのだけれど全体的にテンポが遅いような気がするんだよなぁ。
・ケイパーをスパイだと勘違いするきっかけとなったスーツのカフスボタンの幻影がエルサの脳裏に無数に現れるあたりで、ヒッチコックお好みの表現主義的オーバーラップが使われるのだが、そこにスイスの民族楽器らしい、陶器の器に鈴かなんかを入れて転がし「しゃらしゃら……」と音を立てるやつのイメージが重なるのがおもしろい。あれ、なんて名前!?
・夜のボート上での会話で、アシェンデンが直接ケイパーを殺したと思い込んでいるエルサが一方的にアシェンデンに別れを告げたのに、アシェンデンが手をかけたわけではないと聞いたとたんに「じゃあいいや♡」と前言撤回してキスするという展開が、なんかエルサの軽さしか感じられず引っかかってしまう。将軍がこのやり取りを聞いてたら、2人もぶっ殺されちゃうぞ……
・よりが戻りすぎて、かりそめでなく本気の相思相愛夫婦になってしまったアシェンデンとエルサは、スパイ任務を辞退するという旨の R宛ての手紙を書くのだが、そんな、第一次世界大戦中の国際的謀略戦の最前線にいるスパイって、バイト感覚で辞められるもんなのか? まっとうな常識人のようでいて、任務を失敗しておきながらそんな言い分が通じると思っているアシェンデンの感覚もそうとうヤバい。
・くどき相手のエルサの電話口にアシェンデンがいるのにも気づかず、連綿と恥ずかしすぎる恋のアッピールを続けるマーヴィン。なんだよ、この緊張感の無いくだり!? 意味もなく殺されたケイパーのみたまが浮かばれぬ……
・スパイを辞めると言うアシェンデンを口説き落として再び任務に引き込んだ時に、絶望的な表情になるエルサを見つめる将軍の目に、完全に恋人を取り返した勝利のまなざしが浮かんでいるのが、単なる色モノキャラにとどまらないローレの面目躍如たる無言の名演である。そうそう、ここ、完全な三角関係なのよね。そこらへんのジェンダーフリーな浮遊感もまた、将軍の得体の知れなさを象徴している。
・ドイツ側のスパイの情報交換所となっている場所が実はチョコレート工場だったという展開につながる伏線が、実はすでに前半でさりげなくほのめかされているという丁寧さがいい感じである。あぁ、だからか!みたいな。でも、将軍がタバコをぷかぷか吸いながらチョコレートの製造ラインを見学をしていても誰もなんにも言わないのは、衛生的にどうなんだろう!?
・特にたいした変装もせず見学者として工場に入ったアシェンデンと将軍を見て、当然ながらドイツ側のエージェントたちは結託しているスイス警察に通報し、2人を一網打尽にしようとする。でも、この第2のピンチの時も、エルサはアシェンデンのそばにいないのよね! もったいなさすぎ!!
・将軍にチョコレート工場とドイツ側スパイとの関係をリークした娘リリーの彼氏カール君は、チョコレート工場に勤務していながらも反ドイツ側の人間なのだが、助けようと思ってアシェンデン達に駆け寄ったのに問答無用で将軍に殴られてしまう扱いが実に哀しい。ま、イケメンだからしょうがねっか。
・カール君からの情報で、ドイツの本当のスパイが誰なのか正体がついに明らかになるのだが、登場しているキャラたちの顔ぶれを見れば、たぶんこいつなんだろうなと容易に察しがついてしまうのが非常に残念である。意外性もへったくれもないんですよね……
・「危うし、ヒロインが悪役の手中に!」というクライマックスの展開は洋の東西を問わず定番のものなのだが、悪役が積極的にヒロインをさらうのではなく、主人公に別れを告げたヒロインから悪役にゴリ押しでせがんで転がり込むという流れがかなり新鮮で面白い。しかもマーヴィン、若干ひいてるし! さらには、エルサがマーヴィンについて行ったと聞いてエルサが真相に気づいたと勘違いしてぬか喜びするアシェンデン達も実に滑稽である。こういう各人各様のすれ違いを描かせたら、イギリス人は天下一品ですよね! 『ロミオとジュリエット』とか。
・Rさん、サウナ室でふかす葉巻はおいしいですか? しけってそう(小並感)。
・映画の残り10分での、ドイツ帝国の同盟国オスマン=トルコ帝国の首都コンスタンティノープルに逃れんとするマーヴィンとアシェンデン達との追跡戦は、さすが筋金入りの鉄ヲタともいえるヒッチコックの独擅場である。ところどころ、スキさえあれば列車のミニチュア特撮を多用するのもうれしい。おまけには、鉄道とイギリス空軍戦闘機との機銃戦まで! 大盤振る舞いですね~。
・最後にアシェンデンとエルサの笑顔で終わるハッピーエンドはけっこうなのだが、やはり「直接殺したんじゃないから許す」というエルサの判断基準は、な~んか都合がよすぎるような気がしないでもない。いや、そりゃ殺人は大罪なんだけど、同じ穴のむじななんじゃないの……?
……ざっと、本作を観た雑感については以上でございます。
この映画、当然ながらめきめきと実力をつけている成長期のヒッチコック作品なものですから、当然『下宿人』(1927年)や『ゆすり』(1929年)のような初期作品に比べれば別次元の見やすさと面白さが保障されています。
そうではあるのですが、上に挙げたように前作『三十九夜』(1935年)や前々作『暗殺者の家』(1934年)に比べると「う~ん?」と首をかしげてしまうテンポのまだるっこしさと、「実行犯じゃなきゃいいのか?」という釈然としない消化不良感が残ってしまう問題があるような気がするのです。
いや、主人公たちがチョコレート工場に潜入するあたりから終幕までの30分間くらいは全然いいのですが、そこにいくまでの流れがかったるく感じてしまうのよねぇ。
具体的にどこがどうということはすでに言ったので繰り返しませんが、やっぱりこの原因は、主人公のアシェンデンが非常にお堅いまっとうな紳士であることによる不自由さと、そうであるがゆえにお転婆なヒロインのエルサを遠ざけてしまう相性の悪さが大きいのではないでしょうか。
前作『三十九夜』の主人公が、やや性格が破綻しているような自己中心的な冒険者だったことによる反動でそうなったのでしょうが、なんせ今作だって十分すぎる程のアドベンチャー映画なので、主人公はそのくらいおかしな奴であるべきだったのではないかなぁ。アシェンデンはいかにも、おとなしすぎですよね。
残念ながら今回はサマセット=モームの原作小説を読んでいないので、そこらへん映画化にあたってどういったアレンジがあったのかはわからないのですが、せっかくの国際的スパイなのに妙に地味なんですよね、映画のアシェンデンって。いや、たぶん本物のスパイは絶対に地味で目立たない方がいいに決まってるんでしょうけど!
また、本作は後年になって振り返ってみると、第一次世界大戦よりも実は第二次世界大戦の方がめちゃくちゃ近かったというゾッとするような恐ろしさがある時期に制作された娯楽映画なのですが、「何千何万という未来の犠牲を避けるためならば殺人は許されるのか?」という、解決しようのない深すぎる問題を扱っている作品でもあります。お国のための犯罪ならおとがめなし、というのが本作で Rがアシェンデン達に保障したスパイの特権であったのですが、それでもまっとうな価値観を捨てることのできないエルサやアシェンデンは、ドイツのスパイとの対決をもって「間諜最後の日」として、悠々と退場してしまうわけです。
これはもう、真剣に対峙したら映画中盤でのエルサのように頭がおかしくなってしまうことは必定な大問題なので、そこは娯楽映画らしく、「直接殺してないんならOK!」と割り切ってしまうエルサの選択も、ひとつの回答としてやむをえないことのような気もします。
でも、そうなると全く浮かばれないのがプロの殺し屋である将軍の立場で、汚れ仕事の責任は全部おれにおっかぶせてお前らだけハッピーエンドかい!という怨嗟の声が聞こえてくるようです。ほんと、本作の将軍は悪役でもないのにいいとこなし!
ただ、そんな大損こきまくりの将軍なのに、トータルで本作を観終えた後にその一挙手一投足が観客の印象に残っているのって、おそらく間違いなく、この将軍だけなんですよね。彼だけ他の登場人物たちと比べてキャラクターの深みが違うというか、解像度が段違いなような気がするのです。
それはやっぱり、ヒッチコック監督の計算とか脚本とかがまるで感知していない部分、最終的に演じる俳優さんのその役に対する解釈と思い入れの深みが、将軍の場合はまるで違っていたのではないでしょうか。
つまり、作中の将軍はただただ殺人を仕事の一環と受けとめて淡々とこなし、オフの時は身の回りにいるかわいこちゃんに見境なく色目を使いまくる異常な人物ではあるのですが、そういう自分が楽しく人生を生きられるのは「政府に殺人を公認されている」という、この戦時中というつかの間の異常な状況の中だけであることを、誰よりもドライに理解しているのです。だからこそ、将軍は今この瞬間の生を過剰なまでに謳歌しようとするし、同じスパイという日陰者の世界から一抜けしようとするアシェンデンを、あんなに寂しそうな目で見つめて必死に引き留めようとするのでしょう。単におかしなキャラと言うだけではない、異常者であるがゆえの哀しみと孤独をちゃんとにおわせているのが、ピーター=ローレのものすごいところなんですよね。
だから、彼が最期に見せた不用心にも程のあるあの挙動も、ある意味では自分で死を選んだということだったのかも知れません。ドイツのスパイを始末しようがしまいが、その後にアシェンデン達が去ってしまうことは確実でしたからね。哀しいな……
ちゃっちゃとまとめてしまいますが、本作『間諜最後の日』は、決して見て損をするというほどの失敗作でもないのですが、ヒッチコック作品にしては珍しく中盤過ぎまで退屈してしまう部分の多い作品です。ただ、コミカルながらも次第に心の闇をちらっちらっと垣間見せてくる将軍を演じるローレの目の演技と、クライマックスの鉄道と戦闘機とのミニチュア特撮のカット割りのキレには一見の価値があると思いますので、お暇な方はぜひともご覧になってみてください。ちょっと今回は停滞しましたが、ヒッチコックの映像センスが右肩上がりであることに違いはないし!
今回は演出よりもローレさんの演技に軍配が上がってしまいましたが、次回も期待してますよ、かんとくぅ~!!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます