どうもこんばんは! そうだいでございます~。みなさま、今日も一日たいへんお疲れさまでございました!
いや~、秋は忙しい。なんかいっつも忙しい忙しいって言ってばっかしなんですが、私の今やってるお仕事は、秋が特に忙しいのよ~。今日だって、土曜日ながらもビッグイベントの当日だったもんね。なんとかうまくいったみたいでしたが、とにかく疲れましたわ!
お仕事の職種自体は数年前からずっと変わってないんですが、アルバイト時代のわたくしが、いかに無責任な立場に乗っかってのうのうと暮らせる安楽をむさぼっていたのか、という事実に愕然となる毎日でございます……そりゃ千葉と山形とで、そもそも職場自体がまったく違うわけなんで簡単に比較はできないんですが、お給料は少ないにしても、まぁ~お気楽に過ごしてたもんですわな。
今だって諸先輩方のおんぶにだっこという半人前な状況に変わりはないんですが、ほんとに少しづつながらも、正式な職員として働き始めた今年の初めに比べて、やっと今頃になってじょじょ~に「楽になってきた」ような気分になる瞬間が増えてきました。最初はほんとにもう、できないことばっかしだったもんねぇ。今もできないことや宿題は山ほどありますが、それでも気持ちはだいぶ軽くなってきた……ような気がする!
まず、身体があいた時は大好きな温泉につかって、精神的余裕とたくわえが少しで~も増えるように、引き続きがんばっていこう。
にしても、寒いのイヤ~!! 東北の暑さ、みじかすぎ! 冬の足音が日に日に近づきつつある10月の朝夕の寒さときたら……自分の鼻とつまさきがいっつも冷たいのが本当に嫌です。布団から出るのがますます億劫になる季節がやってきてしまいました。春まだ、遠し!
そんな相変わらずの近況なのですが、なんとか時間を見つけまして、山形では一日一回のレイトショー上映しかやっていない、ちょっと気になる映画を観てまいりました。今月の公開なのにすでに一日一回。でも、映画館でやってるだけ山形はすごいんだよなぁ。
惜しむらくは、あんまり気分のリフレッシュには向いていなさそうなお題の映画であること! 仕事に疲れた身としては、もっと頭をからっぽにして楽しめる作品でも観たかったのですが、まぁこれは必ず観たいと思っていたものだったので、仕方がない。
アニメ映画『屍者の帝国』(2015年10月2日公開 119分 東宝)
ノイタミナムービー第2弾「Project Itoh」として、『ハーモニー』(2015年11月公開予定)と『虐殺器官』(公開予定未定)にさきがけて劇場アニメ化された。監督は『ハル』(2013年)の牧原亮太郎が、キャラクター造形原案は人気イラストレーターの redjuice(レッドジュース)が、アニメーション制作は『ハル』やアニメ版『進撃の巨人』(2013年~)などを手掛けてきた WIT STUDIO(ウィットスタジオ)が手がける。
主なキャスティング
ジョン=H=ワトソン …… 細谷 佳正(33歳)
屍者フライデー …… 村瀬 歩(26歳)
フレデリック=ギュスターヴ=バーナビー …… 楠 大典(48歳)
ハダリー …… 花澤 香菜(26歳)
ニコライ=クラソートキン …… 山下 大輝(26歳)
アレクセイ=フョードロウィチ=カラマーゾフ …… 三木 眞一郎(47歳)
山沢 静吾 …… 斉藤 次郎
ユリシーズ=シンプソン=グラント …… 石井 康嗣(55歳)
ミス・マニーペニー …… 桑島 法子(39歳)
M …… 大塚 明夫(55歳)
ザ・ワン …… 菅生 隆之(63歳)
ナレーション …… 二又 一成(60歳)
主なスタッフ
監督 …… 牧原 亮太郎(35歳)
脚本 …… 山本 幸治(40歳)、瀬古 浩司、後藤 みどり
キャラクター作画原案 …… redjuice(39歳)
キャラクターデザイン …… 千葉 崇明(39歳)
総作画監督 …… 千葉 崇明、加藤 寛崇(38歳)
美術監督 …… 竹田 悠介(47歳)
3D監督 …… 西田 映美子(36歳)
音響監督 …… はた しょう二(48歳)
音楽 …… 池 頼広(52歳)
アニメーション制作 …… WIT STUDIO
配給 …… 東宝
原作小説『屍者の帝国』(2012年8月 河出書房新社)について
『屍者の帝国(ししゃのていこく)』は、伊藤計劃(けいかく)と円城塔の共著による長編 SF小説。第33回日本 SF大賞特別賞、第44回星雲賞日本長編部門受賞。
元々は伊藤の第3長編として計画されていたが、冒頭の草稿30枚を遺して伊藤が早逝したため(2009年3月 享年34歳)、生前に伊藤と親交の深かった円城が書き継ぎ完成させた。
天才科学者ヴィクター=フランケンシュタインが創始した「屍体蘇生術」が普及した19世紀の世界を舞台とするスチームパンク SFであり、実在の人物に加えて、主人公のワトソンを始めとして多くの著名なフィクション作品のキャラクターたちが登場するパスティーシュ小説でもある。
あらすじ
時は19世紀。スイスの天才科学者ヴィクター=フランケンシュタインによって創始された屍体の蘇生技術が確立され、屍者が労働力として世界の産業・文明を支える時代が到来していた。
1878年。イギリス帝国ロンドン大学の医学生ワトソンは、指導教官セワード教授とその師ヘルシング教授の紹介で、政府の諜報機関「ウォルシンガム機関」の指揮官「M」と面会し、機関の一員に迎えられ、アフガニスタンでの諜報活動を依頼される。その目的は、屍兵部隊と共にロシア軍を脱走してアフガン北方に「屍者の王国」を築いた男カラマーゾフの動向調査だった。
アフガニスタンに到着したワトソンは、インド副王リットン卿から「人間と同じ俊敏さを持つ屍者」の存在を聞かされ、カラマーゾフが新型の屍者を創造していると考える。ワトソンは機関に所属するバーナビー大尉と記録専用屍者フライデー、ロシアから派遣された諜報員クラソートキンと共にアフガン奥地の「屍者の王国」を目指していた。その途中、ワトソンはアメリカの民間軍事会社「ピンカートン」メンバーのバトラーとハダリーに出会い、彼らから「アダムに気をつけろ」と忠告される。辿り着いた「屍者の王国」で彼らを待っていたカラマーゾフは、かつてヴィクターの創造した最初の屍者ザ・ワンが現在も生存し、人造生命創造の秘密の記された「ヴィクターの手記」を所持していると告げ、ザ・ワンの追跡を依頼する。
主な登場人物
ジョン=H=ワトソン(1852~?年)
ロンドン大学医学部生。セワードとヘルシングの紹介で「ウォルシンガム機関」の一員となり、ザ・ワンと「ヴィクターの手記」を巡る諜報活動に関わる。
フライデー
「ウォルシンガム機関」が所有する青年型の屍者。記録係としてワトソンに同行する。
フレデリック=ギュスターヴ=バーナビー(1842~85年)
イギリス帝国陸軍大尉。「ウォルシンガム機関」の一員。単身でロシア帝国とヒヴァ・ハン国を歴訪し、手記を出版する。
怪力の持ち主で、多少の攻撃を受けても動じることがない。度々トラブルを引き起こすため、ワトソンからは煙たがられている。
マイクロフト=ホームズ(1847~?年)
「ウォルシンガム機関」の指揮官。探偵稼業を営む弟がいる。
アレクセイ=フョードロウィチ=カラマーゾフ(1845~?年)
僧侶。ロシア帝国軍事顧問団の一員としてアフガニスタンに派遣されるが、そこで新型屍者を率いて脱走し、アフガン奥地に「屍者の王国」を築く。「ヴィクターの手記」を手に入れ屍者の研究とザ・ワンの追跡を行っていた。
ニコライ=クラソートキン(1855~?年)
ロシア帝国皇帝官房第三部の諜報員。カラマーゾフ追跡のために派遣され、ワトソンに同行する。カラマーゾフとは同郷の友人で、彼の依頼によりワトソンをカラマーゾフに引き合わせる。
ドミートリイ=フョードロウィチ=カラマーゾフ(1841~77年)
アレクセイの兄。父親殺しの罪でシベリアに流刑されていたが、そこで屍者化される。
山沢 静吾(1846~97年)
大日本帝国陸軍将校。剣術の達人で、ワトソンの大里化学潜入に同行する。
ハダリー
アメリカの天才科学者トーマス=エジソン(1847~1931年)が造り出した人造人間。アメリカの諜報機関「ピンカートン」に所属し、ザ・ワンからは「リリス」と呼ばれている。解析機関並みの計算能力を持ち、屍者を自由に操ることができる。
ユリシーズ=シンプソン=グラント(1822~85年)
諜報機関「ピンカートン」の代表。アメリカ合衆国前大統領で、退任後は屍兵の売買のため世界一周の旅に出る。ザ・ワンの行方を追っている。
ザ・ワン
100年前の1790年代に天才科学者ヴィクター=フランケンシュタインが造り出した最初の屍者。別名「第二のアダム」。北極で自殺を図るが「ウォルシンガム機関」に保護され、「チャールズ=ダーウィン(1809~82年)」の経歴を与えられ管理下に置かれる。その後、魂の存在を巡って「ウォルシンガム機関」と対立し行方不明となり、以来100年間屍者の研究に没頭し「屍者の帝国」を築いた。
エイブラハム=ヴァン=ヘルシング
「ウォルシンガム機関」の一員。諜報活動に従事する傍ら吸血鬼の研究もしているため、世間では「ヴァンパイア・ハンター」として知られている。20年前にトランシルヴァニアでザ・ワンが創建した「屍者の帝国」を壊滅させ、以後もザ・ワンを追っている。
ジャック=セワード
「ウォルシンガム機関」の一員。ロンドン大学でのワトソンの指導教官。師匠のヘルシング教授と共にザ・ワンの「屍者の帝国」を壊滅させた。
……仕事終わりに、死体がうじゃうじゃ出てくる難しめの映画か……でも、好きなジャンルなんだからしょうがない。
『屍者の帝国』の本編とは関係のない余談なのですが、今回のノイタミナによる「Project Itoh」の映画3部作は、作品中の時間軸の順番に『屍者の帝国』(過去)→『虐殺器官』(現在)→『ハーモニー』(未来)と公開されていく予定だったのだそうですが、『虐殺器官』のアニメーション制作を担当したマングローブが先月9月に破産申請をした経緯もあって『虐殺器官』の公開だけが未定の状態になってしまい、なんとか『虐殺器官』が公開にこぎつけたとしても、公開の順番は『屍者の帝国』→『ハーモニー』(来月11月公開予定)→『虐殺器官』というガッチャガチャなものになってしまいそうです。この順番、伊藤計劃さんの発表順番の真逆になっているので、それはそれで意味がなくもないような気がするのですが、トリが長編処女作になっても、ねぇ。小説を読んだ人間としては、やっぱり『ハーモニー』が最後じゃなきゃおさまりがつかないような気はします。
それと同時に、「Project Itoh」の一発目に持ってきたのが、大部分が円城塔さんの手になる『屍者の帝国』っていうのも、どうかとは思うんですが……まぁそれは、『屍者の帝国』のわずかな遺稿が放つ魅力がそれだけまばゆいものだったのですから、しかたがない。
にしても、映画のパンフレット(1冊1200円……たけぇ!)で脚本の山本幸治さんも半ば言い訳めいた口調で「泣く泣くカットした」と語ってはいるのですが、伊藤さんが直接執筆したわずかなプロローグ部分を1秒も映像化しなかったというのは、「Project Itoh」の作品として、いかがなものなのだろうか……結局、円城塔さんの小説のアニメ映画化になっちゃったんじゃないの!?
あの膨大な情報量の原作小説を2時間に収めるにあたっての苦渋の決断だったことはよくわかるんですが……あたしゃ観たかったですよ、ヘルシング教授とセワードの、『ドラキュラ』事件から20年後のお姿が! まぁ、その後物語にまったくからんでこないんだから仕方ないけどさ。
ちなみに、『屍者の帝国』の中では当時の約20年前、1856年にトランシルヴァニアで発生したとされるヘルシング教授とザ・ワン(=ドラキュラ伯爵?)との対決なのですが、ヘルシング教授が活躍する原典のブラム=ストーカーによる恐怖小説『ドラキュラ』(1897年発表)の中で発生した一連の事件は、直接の言及こそないものの「1893年」の出来事に想定して執筆されたそうです。登場する舞台設定やら小道具やらが、完全に1890年代なんですもんね。
つまり、『屍者の帝国』におけるドラキュラ事件と実際の『ドラキュラ』内の物語とでは、『屍者の帝国』の1878~79年をはさんで実に30~40年ものひらきがあるということになるのですが、これはつまり、『ドラキュラ』以前にも1回すでに若き日のヘルシング教授とザ・ワンが熱い対決を繰り広げていたということになるのでしょうか……なんか、映画の『ヴァン・ヘルシング』(2004年)みたいで、かっけぇ! でも、それだと弟子のセワードさんの年齢設定が怪しくなってくるんですが……
もしかしたら伊藤計劃さんは、『屍者の帝国』の続編として、ワトスンとかシャーロック=ホームズが参戦した形でヘルシング教授が再び大活躍する『ドラキュラ1893』を執筆する腹積もりだったのかも知れませんね。非常に面白そうなんですが……なんかずいぶん前からそういうの、あるよね。
話を映画に戻しまして、小説『屍者の帝国』の「Project Itoh」内でのアニメ映画化という問題については、同じパンフレットの中で他ならぬ円城さんご自身も、「伊藤計劃の遺稿から出発した、小説とはまったく違うアプローチの物語を映画のために新たに創造してほしい」と当初要望しておられたと語っているのですが、円城さんの小説を向こうに回してそんな余裕もあるわけがなく、おおむね小説版の筋を追ったアニメ映画『屍者の帝国』が完成したわけなのでありました。
とはいえ映画版には、小説版とはだいぶ違った印象を受ける設定の変更がけっこう大胆になされていました。
一番大きな変更は、なんといっても主人公の医学生ワトスンと記録専用屍者フライデーが生前から親しい仲だったという設定の追加で、原作小説では、フライデーはウォルシンガム機関からワトスンにあてがわれた「記録&通訳機」といった道具的扱いから関係から始まっていたのですが、映画でのワトスンは、冒頭からそうとうな思い入れを持ってフライデーに接しており、彼を道具でなく大切なパートナーとみなしています。当然、フライデーを記録専用屍者にカスタマイズしたのもウォルシンガム機関ではなくワトスン自身ですし、その点でいえば、単なるロンドン大学の優等生だった原作小説のワトスンに比べて、映画版のほうが「すでに自分で屍者を動かしている」という実地の腕とマッドサイエンティスト性が高まっていて、これはけっこう、主人公としてなかなか良い変更なのではないかと感じました。
ただし、ここでしっかりとワトスンが「友情に篤いタイプ」なのだという印象が強調されているのがすばらしいところで、原作小説でのいかにも諜報エージェントらしいドライなワトスンもいいわけなのですが、エピローグの大転換でワトスンのキャラクターが「いったんリセットされる」とはいえ、リセット前の『屍者の帝国』時代でも、リセット後の『シャーロック=ホームズ譚』時代でも、一貫してワトスンは「友だちがいちばん。」なんだ、というほっこり感が加えられているんですね。これは、いいですよ! さすがは、世界一有名なサイドキック。記憶があろうがなかろうが、すでにその友情属性は DNAに刻み込まれているんですね。
このへんの、『屍者の帝国』を「ワトスンとフライデーの物語」に置き換えた視点は非常に新鮮で、映画を観ない前に映画の宣伝用のイメージイラストを見て「え……誰だ、この男の子は?」と感じていた私も、本編の前半を観て得心がいったのですが、まぁやっぱり、文庫本にして500ページ強の小説を2時間の映画という箱にきっちり収めることの大変さといいますか哀しさといいますか、個人的には残念に感じる変更点もあったわけなんですね。それはもう、しかたのないことなんですけれども!
私の感じた最大の「え~、そこ、はずす!?」なポイントは、なにはなくともウォルシンガム機関の巨魁「M」のキャラクターから、「マイクロフト=ホームズ」という要素がごっそり抜け落ちていた、というところでした。
要するに、映画版の「M」は、小説版では単なる脇役の一人にすぎなかったところを思いっきりクローズアップして、「人類の変革に執念を燃やす悪のラスボス」にまで仕立て上げたわけだったのですが、そのために完全なオリジナルキャラクターになってしまい、娯楽映画の悪役ならではの単純明快さに満ちたワルさを振りまくおじいさんになってしまったのです。小説版にあった権謀術数の策士といった底の知れなさとか、英国紳士らしい知性が感じられなくなった気がするんですね。
いや~、それはそれで娯楽映画なんだからいいんでしょうけど、『屍者の帝国』のストーリーラインが複雑で、「死とは何か」というテーマが重厚なだけに、クライマックスになっていきなりムチャクチャな暴挙に出てくるMっていうのがミョ~に唐突で、なんか別のアニメ映画になっちゃったのかな? みたいな強烈な違和感をはなってしまうように感じたわけで。
大塚明夫さんが演じているMが、特になんの説明もないんだけど眼帯をしているというのも、多分くだんの大ヒットゲームを意識してのファンサービスなんでしょうが、私ゲームやらないからなぁ……でも、久しぶりに聞いたら、明夫さん年とってたねぇ! 年を取ると声が高くなる人もいるんですねぇ。なんだかお父様に似てきたような気がしました。私が前に聞いたの、『プリキュアオールスターズDX3』(2011年)の再生ムシバーン役でだったんですが、ここ数年でだいぶ変わってこられましたね。『声優魂』(星海社新書)は、本当に素晴らしい名著です。
映画版のMの役どころは、小説版のマイクロフト=ホームズとエイブラハム=ヴァン=ヘルシング教授のそれを合わせた立ち位置をぐっと単純な悪役にしたという感じなのですが、『屍者の帝国』の物語が始まる1878年の時点では、マイクロフトは31歳、ヘルシング教授は「60代の恰幅の良い老学者」と描写されています。マイクロフトの年齢自体がコナン=ドイルの小説で直接言及されているわけではないのですが、シャーロキアンの中で最も有力なシャーロック=ホームズの生年が「1854年」説なので、マイクロフトはシャーロックの7歳年上という原作での言及により、「1847年生まれ」としました。ただ、小説版の『屍者の帝国』では「40代前半の痩せた紳士」と描写されているので、どうやら実年齢よりもだいぶフケて見えているようなのですが……30そこそこでウォルシンガム機関の顔役になっているとは! やっぱり兄貴も天才だ!!
ともかく、そんな感じのマイクロフトをまるごとカットしたのならば、ちゃんと伊藤計劃さんの執筆部分も含めて、映画版にヘルシング教授を出すという形でMにしたら良かったと思うのですが……なんでよくわかんないオリジナルキャラにしちゃったんだろ? まぁ、ヘルシング教授にしたところで、映画版のMのような理屈を持ってきてあんな暴挙に出るほどバカだとは思えないのですが。60すぎのヘルシング教授があんなことやっちゃったら、ちょっと早めにボケちゃったか、「ドラキュラ伯爵」としてのザ・ワンにどうしても会いたくてムチャしたとしか解釈できませんもんね。
それはそれで観たかったけど……ヘルシング教授とザ・ワン、ワトスンとフライデー以上にアツい友情と因縁の対決!! 友情かな、これ? どっちにしろ、あの頃に戻りたいという老人の暴走で屍者に噛まれまくってしまうその他人類はいい迷惑です。Ms.マネーペニーもヒドいとばっちりを受けちゃったもんですよ! 天下のキュアサンシャイン様だぞコノヤロー!!
そして、Mがそれだけムチャクチャな挙に出ていながらも、結局は小説版と同じように本当のラスボスはザ・ワンなのだった、というクライマックスの展開になるわけで、そうなるとMはいったい何のためにオリジナルキャラになったんだろうという残念感と徒労感が……
そうそう、この徒労感ね! 原作小説では、主人公ワトスンが世界中を股にかけて駆けずり回っておきながら、結局は最初のロンドンに戻ってきて、ザ・ワンとヘルシングの対決に持ってかれるのかよと感じてしまった徒労感と、そこから「誕生」することになったリセットワトスンと新生フライデー=「007」といった流れが、また新たな大いなる物語の始まりを予感させるラストとなったわけなのですが、映画版はその徒労感だけを強く引き継いでしまった、という印象だったんですよね。
それはもちろん、映画版でもワトスンの自ら行った記憶消去と、人間らしさを取り戻したフライデーの描写はあったわけなのですが、そこらへんの経緯が思いっきり説明抜きになっていたために、「ワトスンが自殺したのに生き返ってる!?」みたいなわかりづらいエピローグになってしまった感じはありますよね。あんなワンカット出演なんだったら、マイクロフトもカットされたんだからシャーロックだっていっそ出てこなかったら良かったのに……単なる馬車乗り回す威勢のいいあんちゃんみたいな扱いになってましたから。
エピローグがはしょりすぎという点も釈然としない要因のひとつなのですが、それ以上に徒労感を強めるポイントになってしまったのが、ザ・ワン登場時からの「絵の単調さ」なのではないでしょうか。
つまり、ロンドン、ボンベイ、北アフガン奥地、日本ときた後の、後半のサンフランシスコとロンドンがあまりにも単調で陰鬱なんですよね! いや、夜のシーンしかなかったので暗くなるのは仕方がないんですが、暑苦しいボンベイとか荒涼としたアフガンの山々とか原色バリバリの日本を見せられた後で暗い色調が続いちゃうと、それは観る人の集中力も期待度も途切れてしまうんじゃなかろうかと。そこでいよいよ「死」とか「解析機関」とか、話が難しくなってきちゃうもんだからねぇ。こんなにお客さんに優しくないジェットコースターもないですよ。序盤あんなにぐ~るぐる回りに回ってたのに、残りもうちょっとでいきなり泥沼にズブズブはまって止まっちゃった、みたいな!?
これはまぁ、小説版も後半に入ってしっかり失速している展開なんですからすべてが映画版のせいとも言えないわけなのですが、小説版は「円城塔なんだからしかたがない。」というか、むしろ円城塔らしくなってきたぞ~、という感じで許容できたし、ザ・ワンの存在感で走り切れるギリギリのペース配分ではあったのですが、映画版はいろいろと、前半に力を入れすぎて後半の分が悪くなった感がありますよね。それでMみたいなヘンな噛ませ犬まで出てきて茶番を打っちゃうんですから、後半のもったもった感ここに極まれり、といったところで。
いやぁほんとに、序盤からして生前のフライデーとの友情という呪縛に捕らわれるワトスンという、スパイ戦に身を投じる積極的な動機がオリジナルに投入されるし、ある意味では『虐殺器官』や『ハーモニー』につながる伊藤計劃っぽさをどのシーンよりも濃厚に継承している北アフガン奥地の凍える山脈の情景も、息を呑むほどに美しく映像化してみせきった前半の勢いがあっただけに、後半のいろいろは実に惜しいというか、残念に感じてしまう部分の多い映画版『屍者の帝国』なのでありました。冒頭から日本パートまでは十二分に劇場で観る価値あり、だったんですけれどもねぇ。
なにはなくとも、マイクロフトとヘルシング教授を無理に物語から追い出そうとした判断が裏目に出ちゃったやねぇ。みんな、兄貴とヴァンパイア・ハンターはもっと大切に遇しよう☆
……なにげに「1931年ジェイムズ=ホエール型」の屍者が大活躍してたのはよかったなぁ。
いや~、秋は忙しい。なんかいっつも忙しい忙しいって言ってばっかしなんですが、私の今やってるお仕事は、秋が特に忙しいのよ~。今日だって、土曜日ながらもビッグイベントの当日だったもんね。なんとかうまくいったみたいでしたが、とにかく疲れましたわ!
お仕事の職種自体は数年前からずっと変わってないんですが、アルバイト時代のわたくしが、いかに無責任な立場に乗っかってのうのうと暮らせる安楽をむさぼっていたのか、という事実に愕然となる毎日でございます……そりゃ千葉と山形とで、そもそも職場自体がまったく違うわけなんで簡単に比較はできないんですが、お給料は少ないにしても、まぁ~お気楽に過ごしてたもんですわな。
今だって諸先輩方のおんぶにだっこという半人前な状況に変わりはないんですが、ほんとに少しづつながらも、正式な職員として働き始めた今年の初めに比べて、やっと今頃になってじょじょ~に「楽になってきた」ような気分になる瞬間が増えてきました。最初はほんとにもう、できないことばっかしだったもんねぇ。今もできないことや宿題は山ほどありますが、それでも気持ちはだいぶ軽くなってきた……ような気がする!
まず、身体があいた時は大好きな温泉につかって、精神的余裕とたくわえが少しで~も増えるように、引き続きがんばっていこう。
にしても、寒いのイヤ~!! 東北の暑さ、みじかすぎ! 冬の足音が日に日に近づきつつある10月の朝夕の寒さときたら……自分の鼻とつまさきがいっつも冷たいのが本当に嫌です。布団から出るのがますます億劫になる季節がやってきてしまいました。春まだ、遠し!
そんな相変わらずの近況なのですが、なんとか時間を見つけまして、山形では一日一回のレイトショー上映しかやっていない、ちょっと気になる映画を観てまいりました。今月の公開なのにすでに一日一回。でも、映画館でやってるだけ山形はすごいんだよなぁ。
惜しむらくは、あんまり気分のリフレッシュには向いていなさそうなお題の映画であること! 仕事に疲れた身としては、もっと頭をからっぽにして楽しめる作品でも観たかったのですが、まぁこれは必ず観たいと思っていたものだったので、仕方がない。
アニメ映画『屍者の帝国』(2015年10月2日公開 119分 東宝)
ノイタミナムービー第2弾「Project Itoh」として、『ハーモニー』(2015年11月公開予定)と『虐殺器官』(公開予定未定)にさきがけて劇場アニメ化された。監督は『ハル』(2013年)の牧原亮太郎が、キャラクター造形原案は人気イラストレーターの redjuice(レッドジュース)が、アニメーション制作は『ハル』やアニメ版『進撃の巨人』(2013年~)などを手掛けてきた WIT STUDIO(ウィットスタジオ)が手がける。
主なキャスティング
ジョン=H=ワトソン …… 細谷 佳正(33歳)
屍者フライデー …… 村瀬 歩(26歳)
フレデリック=ギュスターヴ=バーナビー …… 楠 大典(48歳)
ハダリー …… 花澤 香菜(26歳)
ニコライ=クラソートキン …… 山下 大輝(26歳)
アレクセイ=フョードロウィチ=カラマーゾフ …… 三木 眞一郎(47歳)
山沢 静吾 …… 斉藤 次郎
ユリシーズ=シンプソン=グラント …… 石井 康嗣(55歳)
ミス・マニーペニー …… 桑島 法子(39歳)
M …… 大塚 明夫(55歳)
ザ・ワン …… 菅生 隆之(63歳)
ナレーション …… 二又 一成(60歳)
主なスタッフ
監督 …… 牧原 亮太郎(35歳)
脚本 …… 山本 幸治(40歳)、瀬古 浩司、後藤 みどり
キャラクター作画原案 …… redjuice(39歳)
キャラクターデザイン …… 千葉 崇明(39歳)
総作画監督 …… 千葉 崇明、加藤 寛崇(38歳)
美術監督 …… 竹田 悠介(47歳)
3D監督 …… 西田 映美子(36歳)
音響監督 …… はた しょう二(48歳)
音楽 …… 池 頼広(52歳)
アニメーション制作 …… WIT STUDIO
配給 …… 東宝
原作小説『屍者の帝国』(2012年8月 河出書房新社)について
『屍者の帝国(ししゃのていこく)』は、伊藤計劃(けいかく)と円城塔の共著による長編 SF小説。第33回日本 SF大賞特別賞、第44回星雲賞日本長編部門受賞。
元々は伊藤の第3長編として計画されていたが、冒頭の草稿30枚を遺して伊藤が早逝したため(2009年3月 享年34歳)、生前に伊藤と親交の深かった円城が書き継ぎ完成させた。
天才科学者ヴィクター=フランケンシュタインが創始した「屍体蘇生術」が普及した19世紀の世界を舞台とするスチームパンク SFであり、実在の人物に加えて、主人公のワトソンを始めとして多くの著名なフィクション作品のキャラクターたちが登場するパスティーシュ小説でもある。
あらすじ
時は19世紀。スイスの天才科学者ヴィクター=フランケンシュタインによって創始された屍体の蘇生技術が確立され、屍者が労働力として世界の産業・文明を支える時代が到来していた。
1878年。イギリス帝国ロンドン大学の医学生ワトソンは、指導教官セワード教授とその師ヘルシング教授の紹介で、政府の諜報機関「ウォルシンガム機関」の指揮官「M」と面会し、機関の一員に迎えられ、アフガニスタンでの諜報活動を依頼される。その目的は、屍兵部隊と共にロシア軍を脱走してアフガン北方に「屍者の王国」を築いた男カラマーゾフの動向調査だった。
アフガニスタンに到着したワトソンは、インド副王リットン卿から「人間と同じ俊敏さを持つ屍者」の存在を聞かされ、カラマーゾフが新型の屍者を創造していると考える。ワトソンは機関に所属するバーナビー大尉と記録専用屍者フライデー、ロシアから派遣された諜報員クラソートキンと共にアフガン奥地の「屍者の王国」を目指していた。その途中、ワトソンはアメリカの民間軍事会社「ピンカートン」メンバーのバトラーとハダリーに出会い、彼らから「アダムに気をつけろ」と忠告される。辿り着いた「屍者の王国」で彼らを待っていたカラマーゾフは、かつてヴィクターの創造した最初の屍者ザ・ワンが現在も生存し、人造生命創造の秘密の記された「ヴィクターの手記」を所持していると告げ、ザ・ワンの追跡を依頼する。
主な登場人物
ジョン=H=ワトソン(1852~?年)
ロンドン大学医学部生。セワードとヘルシングの紹介で「ウォルシンガム機関」の一員となり、ザ・ワンと「ヴィクターの手記」を巡る諜報活動に関わる。
フライデー
「ウォルシンガム機関」が所有する青年型の屍者。記録係としてワトソンに同行する。
フレデリック=ギュスターヴ=バーナビー(1842~85年)
イギリス帝国陸軍大尉。「ウォルシンガム機関」の一員。単身でロシア帝国とヒヴァ・ハン国を歴訪し、手記を出版する。
怪力の持ち主で、多少の攻撃を受けても動じることがない。度々トラブルを引き起こすため、ワトソンからは煙たがられている。
マイクロフト=ホームズ(1847~?年)
「ウォルシンガム機関」の指揮官。探偵稼業を営む弟がいる。
アレクセイ=フョードロウィチ=カラマーゾフ(1845~?年)
僧侶。ロシア帝国軍事顧問団の一員としてアフガニスタンに派遣されるが、そこで新型屍者を率いて脱走し、アフガン奥地に「屍者の王国」を築く。「ヴィクターの手記」を手に入れ屍者の研究とザ・ワンの追跡を行っていた。
ニコライ=クラソートキン(1855~?年)
ロシア帝国皇帝官房第三部の諜報員。カラマーゾフ追跡のために派遣され、ワトソンに同行する。カラマーゾフとは同郷の友人で、彼の依頼によりワトソンをカラマーゾフに引き合わせる。
ドミートリイ=フョードロウィチ=カラマーゾフ(1841~77年)
アレクセイの兄。父親殺しの罪でシベリアに流刑されていたが、そこで屍者化される。
山沢 静吾(1846~97年)
大日本帝国陸軍将校。剣術の達人で、ワトソンの大里化学潜入に同行する。
ハダリー
アメリカの天才科学者トーマス=エジソン(1847~1931年)が造り出した人造人間。アメリカの諜報機関「ピンカートン」に所属し、ザ・ワンからは「リリス」と呼ばれている。解析機関並みの計算能力を持ち、屍者を自由に操ることができる。
ユリシーズ=シンプソン=グラント(1822~85年)
諜報機関「ピンカートン」の代表。アメリカ合衆国前大統領で、退任後は屍兵の売買のため世界一周の旅に出る。ザ・ワンの行方を追っている。
ザ・ワン
100年前の1790年代に天才科学者ヴィクター=フランケンシュタインが造り出した最初の屍者。別名「第二のアダム」。北極で自殺を図るが「ウォルシンガム機関」に保護され、「チャールズ=ダーウィン(1809~82年)」の経歴を与えられ管理下に置かれる。その後、魂の存在を巡って「ウォルシンガム機関」と対立し行方不明となり、以来100年間屍者の研究に没頭し「屍者の帝国」を築いた。
エイブラハム=ヴァン=ヘルシング
「ウォルシンガム機関」の一員。諜報活動に従事する傍ら吸血鬼の研究もしているため、世間では「ヴァンパイア・ハンター」として知られている。20年前にトランシルヴァニアでザ・ワンが創建した「屍者の帝国」を壊滅させ、以後もザ・ワンを追っている。
ジャック=セワード
「ウォルシンガム機関」の一員。ロンドン大学でのワトソンの指導教官。師匠のヘルシング教授と共にザ・ワンの「屍者の帝国」を壊滅させた。
……仕事終わりに、死体がうじゃうじゃ出てくる難しめの映画か……でも、好きなジャンルなんだからしょうがない。
『屍者の帝国』の本編とは関係のない余談なのですが、今回のノイタミナによる「Project Itoh」の映画3部作は、作品中の時間軸の順番に『屍者の帝国』(過去)→『虐殺器官』(現在)→『ハーモニー』(未来)と公開されていく予定だったのだそうですが、『虐殺器官』のアニメーション制作を担当したマングローブが先月9月に破産申請をした経緯もあって『虐殺器官』の公開だけが未定の状態になってしまい、なんとか『虐殺器官』が公開にこぎつけたとしても、公開の順番は『屍者の帝国』→『ハーモニー』(来月11月公開予定)→『虐殺器官』というガッチャガチャなものになってしまいそうです。この順番、伊藤計劃さんの発表順番の真逆になっているので、それはそれで意味がなくもないような気がするのですが、トリが長編処女作になっても、ねぇ。小説を読んだ人間としては、やっぱり『ハーモニー』が最後じゃなきゃおさまりがつかないような気はします。
それと同時に、「Project Itoh」の一発目に持ってきたのが、大部分が円城塔さんの手になる『屍者の帝国』っていうのも、どうかとは思うんですが……まぁそれは、『屍者の帝国』のわずかな遺稿が放つ魅力がそれだけまばゆいものだったのですから、しかたがない。
にしても、映画のパンフレット(1冊1200円……たけぇ!)で脚本の山本幸治さんも半ば言い訳めいた口調で「泣く泣くカットした」と語ってはいるのですが、伊藤さんが直接執筆したわずかなプロローグ部分を1秒も映像化しなかったというのは、「Project Itoh」の作品として、いかがなものなのだろうか……結局、円城塔さんの小説のアニメ映画化になっちゃったんじゃないの!?
あの膨大な情報量の原作小説を2時間に収めるにあたっての苦渋の決断だったことはよくわかるんですが……あたしゃ観たかったですよ、ヘルシング教授とセワードの、『ドラキュラ』事件から20年後のお姿が! まぁ、その後物語にまったくからんでこないんだから仕方ないけどさ。
ちなみに、『屍者の帝国』の中では当時の約20年前、1856年にトランシルヴァニアで発生したとされるヘルシング教授とザ・ワン(=ドラキュラ伯爵?)との対決なのですが、ヘルシング教授が活躍する原典のブラム=ストーカーによる恐怖小説『ドラキュラ』(1897年発表)の中で発生した一連の事件は、直接の言及こそないものの「1893年」の出来事に想定して執筆されたそうです。登場する舞台設定やら小道具やらが、完全に1890年代なんですもんね。
つまり、『屍者の帝国』におけるドラキュラ事件と実際の『ドラキュラ』内の物語とでは、『屍者の帝国』の1878~79年をはさんで実に30~40年ものひらきがあるということになるのですが、これはつまり、『ドラキュラ』以前にも1回すでに若き日のヘルシング教授とザ・ワンが熱い対決を繰り広げていたということになるのでしょうか……なんか、映画の『ヴァン・ヘルシング』(2004年)みたいで、かっけぇ! でも、それだと弟子のセワードさんの年齢設定が怪しくなってくるんですが……
もしかしたら伊藤計劃さんは、『屍者の帝国』の続編として、ワトスンとかシャーロック=ホームズが参戦した形でヘルシング教授が再び大活躍する『ドラキュラ1893』を執筆する腹積もりだったのかも知れませんね。非常に面白そうなんですが……なんかずいぶん前からそういうの、あるよね。
話を映画に戻しまして、小説『屍者の帝国』の「Project Itoh」内でのアニメ映画化という問題については、同じパンフレットの中で他ならぬ円城さんご自身も、「伊藤計劃の遺稿から出発した、小説とはまったく違うアプローチの物語を映画のために新たに創造してほしい」と当初要望しておられたと語っているのですが、円城さんの小説を向こうに回してそんな余裕もあるわけがなく、おおむね小説版の筋を追ったアニメ映画『屍者の帝国』が完成したわけなのでありました。
とはいえ映画版には、小説版とはだいぶ違った印象を受ける設定の変更がけっこう大胆になされていました。
一番大きな変更は、なんといっても主人公の医学生ワトスンと記録専用屍者フライデーが生前から親しい仲だったという設定の追加で、原作小説では、フライデーはウォルシンガム機関からワトスンにあてがわれた「記録&通訳機」といった道具的扱いから関係から始まっていたのですが、映画でのワトスンは、冒頭からそうとうな思い入れを持ってフライデーに接しており、彼を道具でなく大切なパートナーとみなしています。当然、フライデーを記録専用屍者にカスタマイズしたのもウォルシンガム機関ではなくワトスン自身ですし、その点でいえば、単なるロンドン大学の優等生だった原作小説のワトスンに比べて、映画版のほうが「すでに自分で屍者を動かしている」という実地の腕とマッドサイエンティスト性が高まっていて、これはけっこう、主人公としてなかなか良い変更なのではないかと感じました。
ただし、ここでしっかりとワトスンが「友情に篤いタイプ」なのだという印象が強調されているのがすばらしいところで、原作小説でのいかにも諜報エージェントらしいドライなワトスンもいいわけなのですが、エピローグの大転換でワトスンのキャラクターが「いったんリセットされる」とはいえ、リセット前の『屍者の帝国』時代でも、リセット後の『シャーロック=ホームズ譚』時代でも、一貫してワトスンは「友だちがいちばん。」なんだ、というほっこり感が加えられているんですね。これは、いいですよ! さすがは、世界一有名なサイドキック。記憶があろうがなかろうが、すでにその友情属性は DNAに刻み込まれているんですね。
このへんの、『屍者の帝国』を「ワトスンとフライデーの物語」に置き換えた視点は非常に新鮮で、映画を観ない前に映画の宣伝用のイメージイラストを見て「え……誰だ、この男の子は?」と感じていた私も、本編の前半を観て得心がいったのですが、まぁやっぱり、文庫本にして500ページ強の小説を2時間の映画という箱にきっちり収めることの大変さといいますか哀しさといいますか、個人的には残念に感じる変更点もあったわけなんですね。それはもう、しかたのないことなんですけれども!
私の感じた最大の「え~、そこ、はずす!?」なポイントは、なにはなくともウォルシンガム機関の巨魁「M」のキャラクターから、「マイクロフト=ホームズ」という要素がごっそり抜け落ちていた、というところでした。
要するに、映画版の「M」は、小説版では単なる脇役の一人にすぎなかったところを思いっきりクローズアップして、「人類の変革に執念を燃やす悪のラスボス」にまで仕立て上げたわけだったのですが、そのために完全なオリジナルキャラクターになってしまい、娯楽映画の悪役ならではの単純明快さに満ちたワルさを振りまくおじいさんになってしまったのです。小説版にあった権謀術数の策士といった底の知れなさとか、英国紳士らしい知性が感じられなくなった気がするんですね。
いや~、それはそれで娯楽映画なんだからいいんでしょうけど、『屍者の帝国』のストーリーラインが複雑で、「死とは何か」というテーマが重厚なだけに、クライマックスになっていきなりムチャクチャな暴挙に出てくるMっていうのがミョ~に唐突で、なんか別のアニメ映画になっちゃったのかな? みたいな強烈な違和感をはなってしまうように感じたわけで。
大塚明夫さんが演じているMが、特になんの説明もないんだけど眼帯をしているというのも、多分くだんの大ヒットゲームを意識してのファンサービスなんでしょうが、私ゲームやらないからなぁ……でも、久しぶりに聞いたら、明夫さん年とってたねぇ! 年を取ると声が高くなる人もいるんですねぇ。なんだかお父様に似てきたような気がしました。私が前に聞いたの、『プリキュアオールスターズDX3』(2011年)の再生ムシバーン役でだったんですが、ここ数年でだいぶ変わってこられましたね。『声優魂』(星海社新書)は、本当に素晴らしい名著です。
映画版のMの役どころは、小説版のマイクロフト=ホームズとエイブラハム=ヴァン=ヘルシング教授のそれを合わせた立ち位置をぐっと単純な悪役にしたという感じなのですが、『屍者の帝国』の物語が始まる1878年の時点では、マイクロフトは31歳、ヘルシング教授は「60代の恰幅の良い老学者」と描写されています。マイクロフトの年齢自体がコナン=ドイルの小説で直接言及されているわけではないのですが、シャーロキアンの中で最も有力なシャーロック=ホームズの生年が「1854年」説なので、マイクロフトはシャーロックの7歳年上という原作での言及により、「1847年生まれ」としました。ただ、小説版の『屍者の帝国』では「40代前半の痩せた紳士」と描写されているので、どうやら実年齢よりもだいぶフケて見えているようなのですが……30そこそこでウォルシンガム機関の顔役になっているとは! やっぱり兄貴も天才だ!!
ともかく、そんな感じのマイクロフトをまるごとカットしたのならば、ちゃんと伊藤計劃さんの執筆部分も含めて、映画版にヘルシング教授を出すという形でMにしたら良かったと思うのですが……なんでよくわかんないオリジナルキャラにしちゃったんだろ? まぁ、ヘルシング教授にしたところで、映画版のMのような理屈を持ってきてあんな暴挙に出るほどバカだとは思えないのですが。60すぎのヘルシング教授があんなことやっちゃったら、ちょっと早めにボケちゃったか、「ドラキュラ伯爵」としてのザ・ワンにどうしても会いたくてムチャしたとしか解釈できませんもんね。
それはそれで観たかったけど……ヘルシング教授とザ・ワン、ワトスンとフライデー以上にアツい友情と因縁の対決!! 友情かな、これ? どっちにしろ、あの頃に戻りたいという老人の暴走で屍者に噛まれまくってしまうその他人類はいい迷惑です。Ms.マネーペニーもヒドいとばっちりを受けちゃったもんですよ! 天下のキュアサンシャイン様だぞコノヤロー!!
そして、Mがそれだけムチャクチャな挙に出ていながらも、結局は小説版と同じように本当のラスボスはザ・ワンなのだった、というクライマックスの展開になるわけで、そうなるとMはいったい何のためにオリジナルキャラになったんだろうという残念感と徒労感が……
そうそう、この徒労感ね! 原作小説では、主人公ワトスンが世界中を股にかけて駆けずり回っておきながら、結局は最初のロンドンに戻ってきて、ザ・ワンとヘルシングの対決に持ってかれるのかよと感じてしまった徒労感と、そこから「誕生」することになったリセットワトスンと新生フライデー=「007」といった流れが、また新たな大いなる物語の始まりを予感させるラストとなったわけなのですが、映画版はその徒労感だけを強く引き継いでしまった、という印象だったんですよね。
それはもちろん、映画版でもワトスンの自ら行った記憶消去と、人間らしさを取り戻したフライデーの描写はあったわけなのですが、そこらへんの経緯が思いっきり説明抜きになっていたために、「ワトスンが自殺したのに生き返ってる!?」みたいなわかりづらいエピローグになってしまった感じはありますよね。あんなワンカット出演なんだったら、マイクロフトもカットされたんだからシャーロックだっていっそ出てこなかったら良かったのに……単なる馬車乗り回す威勢のいいあんちゃんみたいな扱いになってましたから。
エピローグがはしょりすぎという点も釈然としない要因のひとつなのですが、それ以上に徒労感を強めるポイントになってしまったのが、ザ・ワン登場時からの「絵の単調さ」なのではないでしょうか。
つまり、ロンドン、ボンベイ、北アフガン奥地、日本ときた後の、後半のサンフランシスコとロンドンがあまりにも単調で陰鬱なんですよね! いや、夜のシーンしかなかったので暗くなるのは仕方がないんですが、暑苦しいボンベイとか荒涼としたアフガンの山々とか原色バリバリの日本を見せられた後で暗い色調が続いちゃうと、それは観る人の集中力も期待度も途切れてしまうんじゃなかろうかと。そこでいよいよ「死」とか「解析機関」とか、話が難しくなってきちゃうもんだからねぇ。こんなにお客さんに優しくないジェットコースターもないですよ。序盤あんなにぐ~るぐる回りに回ってたのに、残りもうちょっとでいきなり泥沼にズブズブはまって止まっちゃった、みたいな!?
これはまぁ、小説版も後半に入ってしっかり失速している展開なんですからすべてが映画版のせいとも言えないわけなのですが、小説版は「円城塔なんだからしかたがない。」というか、むしろ円城塔らしくなってきたぞ~、という感じで許容できたし、ザ・ワンの存在感で走り切れるギリギリのペース配分ではあったのですが、映画版はいろいろと、前半に力を入れすぎて後半の分が悪くなった感がありますよね。それでMみたいなヘンな噛ませ犬まで出てきて茶番を打っちゃうんですから、後半のもったもった感ここに極まれり、といったところで。
いやぁほんとに、序盤からして生前のフライデーとの友情という呪縛に捕らわれるワトスンという、スパイ戦に身を投じる積極的な動機がオリジナルに投入されるし、ある意味では『虐殺器官』や『ハーモニー』につながる伊藤計劃っぽさをどのシーンよりも濃厚に継承している北アフガン奥地の凍える山脈の情景も、息を呑むほどに美しく映像化してみせきった前半の勢いがあっただけに、後半のいろいろは実に惜しいというか、残念に感じてしまう部分の多い映画版『屍者の帝国』なのでありました。冒頭から日本パートまでは十二分に劇場で観る価値あり、だったんですけれどもねぇ。
なにはなくとも、マイクロフトとヘルシング教授を無理に物語から追い出そうとした判断が裏目に出ちゃったやねぇ。みんな、兄貴とヴァンパイア・ハンターはもっと大切に遇しよう☆
……なにげに「1931年ジェイムズ=ホエール型」の屍者が大活躍してたのはよかったなぁ。
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