ヘヘイヘ~イ! どうもこんばんは、そうだいでございますよ~ん。みなさま、今日も一日、暑い中ほんとうにお疲れさまでございました。
8月もなかばを過ぎまして、前半にくらべればいくぶん気温もおとなしくなってきた感じはあるんですが、相変わらず暑いもんは暑いということで! 熱帯夜はホントにカンベンしてほしいですね。
さて、今年の夏最大の山場だった資格試験もいちおう終わったわけなんですが、家にたまった DVDの山の鑑賞処理が、いっこうに進んでおりません!!
理由は「暑くて観る気にならない!」ということも含めていろいろあるんですが、やっぱり仕事が忙しい! という大問題が第一であります。ありがたいことでございますけどねぇ。
世間一般でいう夏休みの時期、私のお仕事は忙しいのなんのって。現在、私の担当している部署は平常時の5~8倍忙しくなっています。それが来月9月の第1週くらいまでは続くわけよ。月例の報告会のときに、自分で報告しててビックラこいたよ、あたしゃ……
そんなわけで、家に帰っても即効で眠りについて、早朝に起きて出勤するという健康的な日々を送っているので、晩酌でもたしなみながら楽しみにしていた DVDをゆっくりと眺めるなんていう余裕なんか、土台あるわけがないっつうのよ! 毎晩、『日曜洋画劇場』とか『金曜ロードショー』を見つめながらウイスキーの水割りを飲んでいた我が父よ、あなたは強かった。
まぁそれに加えまして、やっぱり個人的には大いに不本意な結果に終わった資格試験のこともありまして、しかもその正式な成績通知が来月にならないとわからないということなので、どうにもこうにも気持ちが落ち着けられない状況が続いているところでして、なんだかのんびりと作品を楽しむ気になれないんですよね、今。おちおち『風立ちぬ』も観に行けない精神状態なんですよ。必ず映画館で観るつもりではいるんですけどね。
もうね、こんな私の気分は、おそらく来月上旬の一大イベント「℃-uteの日本武道館初コンサート」まで晴れない感じなんでしょうねぇ。おそらくその決戦に臨場してやっと心の重しがずっしんと落ちる流れになるんじゃないのでしょうか。そこで私の夏は終わるんでしょうが、振り返れば、今年もオレの夏休みはまるでなかったぜ、コンチクショー!! できれば9月にささやかなお休みをいただきたいねぇ。
あっ、そういえば、家の DVDは観れていないんですが、仕事のなりゆきで、前からいつか観よう観ようと思いながらおざなりになってしまっていた、細田守監督のアニメ映画『おおかみこどもの雨と雪』(2012年)をやっと観ました。
ちょっと仕事の一環として観たので画面に集中することができず、はっきり作品全体を把握したとは言えない状態だったんですが、おもしろかったですね、はい。主人公が自分の理想の通りに行かなかった現実をはっきりと受容して肯定するという、ものすごくアニメ的でないクライマックスにやけに感動してしまいました。単純なハッピーエンドでないという時点で、もう私としては100点満点。なんてったって「家族」がテーマの物語なんですからね、そりゃそうです。
物語のスケールでいったら、どうしても『サマーウォーズ』に比べて見劣りしてしまうのかも知れませんが、監督が明らかに今までのキャリアの中で自分の作品に入れていた「きれいごと」に満足していないという攻めの姿勢が観られたのが本当に気持ちよかったですね。前半の恋愛関係の甘ったるい雰囲気が、子どもの誕生と突然の別れでどんどん生臭くなっていく展開も、細田監督一流の構成センスと作品世界で非常に味わいやすくなっていたと思います。
まぁ、なんてったって後半の自然描写の水墨画のようなシンプルさと美しさですよね。子どもの名前だけでなく「雨」と「雪」がとても効果的に作品に入り込んでいたのが素晴らしかったですわ。「夏」だけじゃあない細田ワールドの新境地!
ちょっぴり怖くもあるんですが、細田監督の次回作に大いに期待したいと思います。いったいどんな次元のアニメになるんだろうか? アニメの「きれいごと」と闘いながらもアニメであり続けるという厳しい選択肢を、ぜひともこれからも貫いていってほしいと思います。今度は必ずスクリーンで観ます。すいませんでしたァ!
さて、そんなこんなでやっと今回の本題に入るんですが、同じアニメでもむっちゃくちゃクラシックなアニメ作品のお話。
何を今さらって感じなんですが、今年の5月から、アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』の第2シリーズ、第1シリーズの全話を収録対象とした DVDマガジン『ゲゲゲの鬼太郎 TVアニメ DVDマガジン』(隔週刊 講談社)の刊行が開始されました。第2シリーズが全話ぶん刊行された後に第1シリーズの刊行が始まるというヘンな順番なのですが、来年までまる1年続いていく予定のようです。
そんでもって、『ゲゲゲの鬼太郎』といえば「猫娘ヒストリー」だとか「ぬらりひょん・妖怪総大将への道」だとかいう実に自己マンな企画をやらかしていた私も黙ってはいられないということで、フハッと鼻息を荒くしたわけだったのですが、いくら安くてもさすがに全巻全話をチェックするのはしんどすぎるし観る時間もないということで、自分の特に興味のあるエピソードが収録された巻だけを購入しておくということにしていました。
こういう DVD主体の隔週刊雑誌に注目するのは、『ゴジラ』シリーズとか「変身人間シリーズ」とか『血を吸う』シリーズとかが2000円という脅威の価格で限定販売されていた『東宝特撮 DVDコレクション』(2009~12年 全65巻 ディアゴスティーニ)以来なんですが、それよりもさらにお得な1600円! 映画の VHSビデオが平気な顔して1本1万5千円とかで売られていた私の青春時代からしたら、実にいい世の中になったもんです…… THE・隔世。
現在、随時刊行されているのは初カラー作品となったアニメ第2シリーズなのですが、それではざっと、第2シリーズの基本情報をまとめてみましょう。
アニメ版『ゲゲゲの鬼太郎』第2シリーズ とは
1971年10月~72年9月放送。全45話。前作アニメ第1シリーズ(1968年1月~69年3月放送 全65話)から2年半後の製作。スタッフ、キャストはほぼそのままで初めてカラー作品となり、前作と同様に高い支持を得た。平均視聴率は17.0%。
第1シリーズの完全な続編という位置づけであるため、エピソードのリメイクは行われなかった。そのため、マンガ『ゲゲゲの鬼太郎』以外の水木しげる作品を原作にアレンジしたエピソードが全体の約半分を占める(第1シリーズでは終盤の第62話『海じじい』、第63話『なまはげ』の2エピソードのみが非鬼太郎もの原作だった)。これらの作品はもともと単体で物語が完結しているために鬼太郎がストーリーに介入する余地が少なく、「正義のヒーロー鬼太郎が悪い妖怪をやっつける」という子ども向け番組としての基本コンセプトから外れて、鬼太郎が単なる傍観者で終わってしまう話や、非常に怖く救いのない話も続出した。その反面、風刺色や怪奇色の強い大人向け作品を取り上げたことにより、水木作品の持つピュアなエッセンスの忠実な映像化に成功した。原作の意図をよく理解したスタッフは当時の風俗や世相などを取り入れ、風刺やアイロニー、人間の業の深さなどを描き切り、他のシリーズには見受けられない強いメッセージ性と独特の深い味わいを持ったシリーズとなった。
また、東映動画のアニメ『タイガーマスク』(1969~71年)を終了した製作スタッフが合流していることなどにより、第1シリーズに比べて劇画調のタッチの作画が増え、異色のエピソード群をさらに特徴あるものに仕上げている。
モノクロ作品であるために再放送の少なかった第1シリーズと違い、第2シリーズは夏休みの子ども向けアニメの定番作品としてその後何度も再放送され、リアルタイムでない世代のファンも多く生み出した。
おもなキャスト
ゲゲゲの鬼太郎 …… 野沢 雅子(35歳)
目玉の親父 …… 田の中 勇(39歳 2010年没)
ねずみ男 …… 大塚 周夫(42歳)
猫娘 …… 小串 容子(?歳 猫娘の声優としては2代目)
とまぁこんなわけなんですが、周知の通り、この第2シリーズは今や鬼太郎ファミリーにとって必要不可欠な「萌え担当」要員となった猫娘が、初めてレギュラー出演することとなった重要な作品でありながらも、と同時に、先の第1シリーズで原作マンガどおりのあっさり感でリタイアしてしまったために我がいとしのぬらりひょん様が1秒たりとも出演していない唯一の作品でもありました。であるがゆえに、私としても「なんだ、第2シリーズかよ……」というがっかり感もないと言えば嘘になっていたのですが。
だが、しかし。思い起こせば私が生まれて初めてアニメの鬼太郎に出会ったのは、親か児童館の先生がレンタルビデオ店から借りてきた第2シリーズがきっかけでした。その素地があった上で、リアルタイムの吉幾三な第3シリーズの洗礼を浴びて現在にいたるわけ。それじゃあ軽視するわけにはいきませんやね。
しかも、上の解説にもあるように、第2シリーズはその「第1シリーズの直接の続編」という縛りがあったがゆえに、深刻な原作不足を解消するために水木しげるの「非鬼太郎もの」を苦心して鬼太郎ものに変換するという努力が大いになされたシリーズでもありました。その中には多くの異色の傑作が生まれ、それ以降の第3~5シリーズで他の原作マンガと同じようにリメイクされたエピソードも少なくありません。
それじゃあ、なるべくチェックしなくっちゃあね!
というわけで、自分が購入した巻だけを扱うのではなはだ穴だらけな感じにはなってしまうのですが、だいたい「非鬼太郎もの」を原作とするエピソードを収録した巻を観た簡単な感想のようなものを、これからぽつぽつと我が『長岡京エイリアン』でつづっていきたいと思います。
これぞ温故知新! 予定通りに刊行されていけば、第1シリーズのモノクロぬらりひょん様がおがめるのは11月のころですか。遠いようであっという間なんだろうなぁ……
『ゲゲゲの鬼太郎 TVアニメ DVDマガジン 第2巻』(2013年6月11日発売 講談社)の収録内容
第5話『あしまがり』 1971年11月4日放送 脚本・柴田夏余、演出・高畑勲(36歳)
原作……マガジン版『ゲゲゲの鬼太郎』第126話『妖怪あしまがり』(1969年6月掲載)
ゲスト妖怪……タヌキ妖怪あしまがり(声・富田耕生)、あしまがりの使役する気体妖怪、妖怪花の精(声・杉山佳寿子)
他シリーズでのリメイク……第3シリーズ(1985~88年)※あしまがりはぬらりひょんの用心棒として登場する
第1シリーズの製作に間にあわなかったマガジン版『ゲゲゲの鬼太郎』の末期エピソードをアニメ化したものですが、1話だけで完結していながらも鬼太郎をけっこういいところまで苦しめる妖怪あしまがりとの激闘を非常にうまく30分の内容にふくらませた名編だと感じました。
なんといっても、肝心のバトルシーンを無駄に長くするという安易な演出を避けて、第2シリーズのオリジナリティともいえる猫娘の活躍を前半に用意して、自然破壊のむなしさや妖怪花のミステリーの描写に時間を割いたのが実にうまいですね。猫娘のロマンチックな部分が早くも全開になっていたと思います。ねずみ男とのツンデレ関係がしっかりできあがっているのも、なんという先見の明か!
原因はどうであれ、現実にホテルの営業を妨害されて困っている人間側の味方にならずに、同じ「滅びゆく種族の生き残り」である妖怪花の精に一も二もなく力を貸す鬼太郎。その行動原理が非常にはっきりと言及されているエピソードだと思います。正義の味方が必ずしも人類の味方であるわけではないという重要なお話ですね。
「正義」に正直な鬼太郎、「金」に正直なねずみ男、「酒」に正直な妖怪あしまがり。それぞれの原理がぶつかりあう後半の展開はとても手に汗握るものがあるのですが、しょせんは鬼太郎のゲタを見落としてしまったあしまがりの完敗ということで一件落着となります。鬼太郎強すぎ……
この戦いで、人類の立場につけいってあしまがりに鬼太郎退治を依頼した張本人は他ならぬねずみ男。はっきりいって鬼太郎に殺されてもおかしくない戦犯っぷりなんですが、あしまがりとの決戦のあいまにゲタでビンタをしたり、落下時にクッションにしたりするくらいのお仕置きで許してやっているようです。この第2シリーズって、ねずみ男がいなければ成立しないエピソードが多いんですよね。死んでもらっては困るということなんでしょうか。寛大だ!
上のように、本作での妖怪あしまがりは、人間語を話し衣服を着た化け狸と、それが鐘と太鼓と銅鑼を鳴らして使役する気体妖怪とのペアなのですが、さすがは約20年後に『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)を世に問うた高畑勲監督だけあって、少ないセル画ながらも、不敵な戦巧者である化け狸が実に活き活きと描かれていました。酒を呑むしぐさが本当においしそうなのよね~! 富田耕生さんは、こういう自信過剰気味な悪党の役がうまいうまい。
第6話『死人(しびと)つき』 11月11日放送 脚本・安藤豊弘、演出・茂野一清
原作……非鬼太郎もの短編『妖怪魍魎の巻 死人つき』(1967年2月掲載)
ゲスト妖怪……魍魎(声・渡辺典子)、土精、魍魎の仲間、つるべ火
他シリーズでのリメイク……第5シリーズ(2007~09年)
第2シリーズで、初めて「非鬼太郎もの」が原作となったエピソードです。鬼太郎ものにも魍魎が登場するエピソードはあるのですが(マガジン版第69話『モウリョウ』)、こちらは別の個体の魍魎が出てくる話ですでに第1シリーズでアニメ化されていました(第31話『もうりょう』)。
『死人つき』の原作マンガは、19世紀のロシア帝国の文豪ニコライ=ゴーゴリがロシアの魔女伝説をもとに著したという短編『ヴィイ』(1835年)を日本の物語にリライトしたもので、魔法陣に隠れた人間が妖怪の目に見えないという設定や、それを見破る邪眼を持った土精の存在は濃厚にヨーロピアンな香りをおびていますね。とはいっても、完全にキリスト教的でないところに、スラヴ民族文化ならではの豊潤なミックス感があると思います。
何を隠そう、今回この DVDマガジンの第2巻を購入した私のいちばんの目的はこの『死人つき』でありまして、萌え萌え作画に加えてかなりコメディ要素の強かった第5シリーズの中でも異様に怖いエピソードに仕上がっていた第64話『もうりょうの夜』のオリジンが第2シリーズの本作だということを知り、どうしてもこの目でしかと観たいという思いがあったのでした。
それで満を持して観たわけだったのですが、まぁやっぱりそこはそれ、いくら怖い話だといっても『ゲゲゲの鬼太郎』ですからそんなにドギツい描写はなかったのですが、真夜中の森をほほえみながら歩いてくる白装束の娘だとか、実は彼女が3日前に死亡していたということが判明する展開、そして毎晩その彼女の死体がむっくりと起き上がって婚約者(ねずみ男)を探しさまよい、ついに現れる魍魎の本性!
たしかにいちいち古典的でベタではあるのですが、あぁ、私はいま正真正銘の怪奇譚を楽しんでいるのだなぁ、という充実感がひしひしと湧いてくる素晴らしい傑作になっています。
いうまでもなく、このエピソードの原作はゲゲゲの鬼太郎のような万能ヒーローの活躍しない、実録怪談的な伝承であるはずなのですが、後半に実にうまく鬼太郎と魍魎軍団との大立ち回りが差し込まれているため、鬼太郎サーガの一編としてまったく破綻のない構成になっているのも見逃せないポイントですね。鬼太郎の出番もちゃんとあり、死人に求婚されるという絶妙な役回りにねずみ男も大いにハマッています。そして誰よりも、魍魎から人間を守る魔法陣の知識を駆使するのが目玉の親父であるという役割分担がものす~っごくしっくりきてるんですよね!
う~ん、ヒーローとトラブルメイカーとマスター。鬼太郎ファミリーは本当に完成されているうまいメンバー構成なんですよね。猫娘は……このお話ではあんまし出番がなかった。
第7話『猫又』 11月18日放送 脚本・雪室俊一、演出・新田義方
原作……非鬼太郎もの短編『世界怪奇シリーズ 猫又の恋』(1968年7月掲載)
ゲスト妖怪……猫又ジーダ(声・千葉順二)、ボロゴン島の妖狐
他シリーズでのリメイク……なし
前話の魍魎と同じように、本作の主要な存在となる妖怪「猫又」もまた、鬼太郎もの原作の中ではマガジン版第77話『ばけ猫』(アニメ第1シリーズ第41話ですでにアニメ化)や、のちの『鬼太郎の世界お化け旅行』第13話『ベルサイユの化け猫』(1976年7月)や『新ゲゲゲの鬼太郎』第8話『猫町切符』(1978年8月)など、数え切れないほど多くの名エピソードに登場しているモティーフですね。水木先生はほんとうに猫が好きねぇ!
ただし、先の『ばけ猫』に登場した化け猫の正体が、人間の自動車社会の発展によって急増した轢き逃げなどで非業の死を遂げた動物たちの死霊の集合体であった、つまりは「猫」とも言いがたい存在であったのに対して、本エピソードに登場した化け猫は50年生きて妖力を持つようになった、尻尾の二股に分かれた正真正銘の「猫又」であるということからも、むしろこっちのほうが正統派の「化け猫もの」であるという印象が強いですね。
ちなみに、私そうだい自身は猫どころかペットを飼育した経験がまったくないので猫に関する知識は皆無なのですが、ちょっと調べてみたら現代日本における飼い猫は平均寿命がおおよそ15歳で人間でいう70歳代くらい。野良猫になると体力が衰え始めてきた4~5歳くらい(人間でいう30歳代後半)が寿命なんですって。シビアねぇ~!
それで猫の寿命の公式ギネス記録が「34歳」で、だいたい20歳くらいが人間でいう100歳代だっていうんですから、猫の尻尾が分かれるらしい50歳という猫又認定ラインがどんだけハードルの高い厳しいものなのかということがわかります。そりゃあまぁ、人間語を話したり2本足で立つくらいはできなきゃあ割に合いませんよね。
『世界怪奇シリーズ』の一篇として発表された原作マンガを鬼太郎ものにアレンジするため、物語は東南アジアのインドネシアの奥地にあるボロゴン島に住む猫又ジーダが自分の娘エリーメにつきまとうので何とかしてほしいという依頼のために、島の有力者バンダがはるばる日本の鬼太郎のもとにまでやって来るという発端となります。原作では、猫語の研究家である男が、「投げても木に絶対に当たらない糞」を探すために自分からボロゴン島にやって来るという筋なのですが……もうなんか、原作はどこからツッコんだらいいのかわかんない!! こんなストーリーを思いつく人のことを「天才」と呼ばずしてどう呼んだらいいのでしょうか。きぃちがいじゃがしかたがない。
物語を見ていくと、鬼太郎一行が「エリーメにつきまとう猫又ジーダの謎を追う」という展開から、実はジーダの行動はエリーメを独占したいという欲望からきたものではなかったという意外な真実が発覚し、クライマックスでは身の丈数十メートルはあろうかという怪獣級の巨大妖怪・妖狐と鬼太郎とのバトルアクションが繰り広げられるという息をもつかせぬ内容になっていました。
ただ、展開は文句なしにおもしろいのですが、このエピソードを『ゲゲゲの鬼太郎』の一篇として観たときにどう感じるのかと考えてみると……どうにも印象が散漫になっちゃうんですよね。
要するに、この作品はやっぱり『猫又の恋』という原題の示すようにあくまでも猫又が中心となった物語であるがために、最終的に妖狐を倒していいところを持っていくのは猫又なんですよね。鬼太郎はどう脚色されて登場しても、どうしても添え物になってる感がいなめないんです。日本ではあんなに無敵なちゃんちゃんこもゲタも妖狐の息を止めるにはいたっていないし、ただ妖狐の強大さと猫又ジーダの身を挺した勇気ある行動を強調する説明役にしかなっていないという物足りなさが残るんですよね。
「猫又」ということでそれを擁護するような立場につく猫娘も、発言は確かにオリジナリティがあっていいんですが文句を言うにとどまる中途半端な扱いになっているし、ねぇ。
ともかく、この作品はシリーズ初の海外ものエピソードということでヴィジュアルは新奇さに満ちていて見飽きないのですが、ただでさえ成立しているひとつの物語に鬼太郎ファミリーが混ざってしまったことで、ちょっと話がこんがらがってしまってどこを楽しんだらいいのかがわからない混線をまねいてしまった感じがしました。考えてみたら、この事件の解決者は中盤に突然登場してくる「謎の老僧」で充分なわけでして、日本からわざわざやって来た鬼太郎さまご一行の立ち位置はどこにもなかったのよね……
ゲゲゲの鬼太郎というキャラクターをどう作品にからませるのかというポイントを考えた場合、この『猫又』は前話『死人つき』とかなり好対照な結果を招いていたと思いました。
物語自体はおもしろかっただけに、非常に残念! のちのアニメシリーズでもリメイクされることが絶えてないという事実も、非常に賢明な判断かと。原作どおりの鬼太郎ものでないスタイルがいちばんいいお話ですよね、やっぱ。
第8話『マンモスフラワー』 11月25日 脚本・辻真先(39歳)、演出・蕪木登喜司
原作……非鬼太郎もの短編『マンモスフラワー 巨大な花』(1965年10月掲載)
ゲスト妖怪……マンモスフラワー、あかなめ(声・北川米彦)、つるべ火、一反木綿、塗り壁
他シリーズでのリメイク……第3シリーズ、第4シリーズ(1996~98年)
これまた非鬼太郎もの原作のアレンジエピソードであるわけなのですが、社会風刺以外の何者でもなかった物語の中に、「マンモスフラワーを発生させた妖怪あかなめ」というキャラクターを差し込んだのは、鬼太郎ものへのアレンジという意味で大正解だったと思います。明確なマンモスフラワー大量発生の原因を作らないと、事件がまるで解決しないですもんね。
このエピソードに登場する、「ちょっとベロが長いくらいのいかついおっさん」という体格の妖怪あかなめは、水木しげるのマンガにもイラストにも出てこないアニメオリジナルのデザインなのですが、同じ第2シリーズで第28話『あかなめ』(1972年4月放送)、ひいてはその原作となったサンデー版『ゲゲゲの鬼太郎』第9話『あかなめ』(1971年11月掲載)に出てくる巨大あかなめとはまったく関連のない知的なキャラクターになっていて、けっこうかっこいいです。鬼太郎に退治される対象ではなく、現代日本文明への警告者になってるんですね。
鬼太郎が出てきても、原作の通りにこの作品の持ち味は、都会の日常に「悪夢のような」非日常が現出するというハプニングにこそ意味があるわけなので、冒頭に異常な力の入れ方をもって克明に描写される「マンモスフラワーの気持ち悪さ」は実に的を得た演出だと感じました。
いいおとぎ噺を観た、っていう感触でしたね。
でも、私としてはこの作品もまた、鬼太郎ものになってしまったことで失われてしまった原作マンガの「衝撃のラストコマ」オチこそが最高にして至高の終わり方だと思うのよね……あれはやっぱ、水木先生だからこそできる締めかたですよ、うん。
第9話『髪さま』 12月2日放送 脚本・柴田夏余、演出・山口康男
原作……マガジン版『ゲゲゲの鬼太郎』第113・114話『髪さま』(1969年1月連載)
ゲスト妖怪……髪さま(声・北川米彦)、毛目玉(声・矢田耕司)
他シリーズでのリメイク……第3シリーズ、第5シリーズ
この作品はまさしく原作マンガからして鬼太郎ものの充実した傑作エピソードであるし、20分ほどのアニメ作品にするのに最も無理がない(と私が勝手に解釈している)週刊連載2話ぶんというサイズがとっても的確な、原作にかなり忠実な一編に仕上がっていたかと思います。
なので、特に記すこともないわけなのですが、相変わらず淡々としたノリの原作の中から、島を支配する地方神「髪さま」のいけにえにされてしまった少女(「美」はつかない)とそれを嘆き鬼太郎に事件解決を依頼するカラスのカー坊、そのいっぽうで因習に従い少女を積極的に髪さまに捧げようとする島民の不気味な忠実さ、そして髪さまの使いとして暗躍する謎の生命体「毛目玉」のコミカルさといったあたりがひとつひとつ実に丁寧に抽出されてバランスよく配置されていたのが素晴らしかったです。後半に活躍する「まったく役に立たない警察機動隊」のなぜかニセ外国人口調な隊長もいい味出してます。
いけにえという実にじめじめした因習が残る島の物語ということで前半こそ確かに重苦しい雰囲気が続くのですが、怒り狂った髪さまが発現するたたりが「人間の頭髪を奪い去って島民総ツルッパゲ地獄にする」という恐ろしすぎる能力であったがために、後半になってどうにも笑うしかない展開におちいるという、実に水木しげる的なカオスが炸裂するのは、まさしく素晴らしいの一言に尽きますね。
人間の頭部から鳥のように飛びたっていく黒髪を老若男女がおろおろと追いかける大混乱といい、集合してひとつの巨大な怪物となった髪が機動隊のヘリや船を襲撃するアクションの見事なアニメ化は文句の言いようがなかったのですが、私はそれもともかくとして、浮遊する自分の髪の毛を追いかけて外にまろび出る大人たちの後ろに、ひときわ小さな髪のかたまりをハイハイでおいかけるハゲた赤ちゃんがしっかりいるという芸の細かさにやけに感動してしまいました。これがまた、一瞬画面の隅にいるだけの扱いなんだけど、かわいいんだよなぁ~!! 神は細部に宿る。まさしくその証左を観た思いでした。
実はその後あっさりと鬼太郎に退治されてしまう髪さまなんですが、そういう部分をアクションの継ぎ足しではなく、原作の持ち味のふくらませでカヴァーする製作陣の心意気に非常に感じいった傑作エピソードでした。これこそ、マンガの理想的なアニメ化のかたちなんじゃないんでしょうか!
スペシャル特典映像『水木しげる最新撮り下ろしインタビュー 後編』(約7分)
ちょっと DVDマガジンの第1巻を購入していないのでインタビューの全編を観たわけではないのですが、少なくともこの後編における水木先生のアニメ第2シリーズへの言及は、7分間におよぶ内容の中でも、
「別になんとも思わないですね、別にね。」
「結局、ある程度金ができればねぇ、別にどうでもいいんですよ。その……評判が悪かろうがなにしようが、別に平気です。」
これくらいでしたね。っていうか、これも特に第2シリーズについての発言じゃあないね。
もう、まっとうな水木しげるファンならば、現在の水木先生に『ゲゲゲの鬼太郎』に関するサービス的なコメントは期待しないのが当たり前ですし、ともかく今年収録のこのインタビュー映像で元気なお姿が観られた。それだけでいいんじゃないでしょうか。
それ以上に、まったく DVDマガジンに関係のないいつもの昔話や近況報告で、
「戦争でもう私は、死に合うところにばっかりいたからね。」
「バナナはあれ、神の果物ですよ。きっとね。」
「人が馬鹿に見えるよね、もうね。」
といった爆弾発言がポンポン飛び出ていたのが、毎度おなじみのことながらもやっぱりうれしかったですね。
現在の水木先生を見ると、いつも「そういう老後を迎えたい!」と感じてしまうんですが、そうなるためには若い頃の地獄のような苦労と天才的センスが必要なんですよね。結局は、時間を無駄にしなさんなってことなんですな。
多くの先生のファンキーな答えの中でもひときわ力強かったのは、『ゲゲゲの鬼太郎』が誕生から半世紀を超えた今現在でも絶大な人気を集め続けている、その秘訣を尋ねられたときに答えた、
「自分がおもしろいと思うことを、描く。
人におもしろく思われようとかなんかっちゅうことは、三流です。すぐ消えます。一年以内に消えます。」
という言葉でした。
すっごく重たいですよね……今は1年どころか、3ヶ月くらいで消えるアニメ作品が氾濫してる環境が常態になってるんですからね。
とにかく確かなのは、アニメ第2期『ゲゲゲの鬼太郎』が、製作後40年を経た今でも十二分に楽しめるアニメ作品になっているということ。これを超一流と言わずになんと言えましょうか。
そして、それは水木しげるという巨大すぎる山にいどんだ多くのプロフェッショナルたちの登攀の記録でもあるわけなのです。
本来ならば鬼太郎ものではなかった原作マンガの換骨奪胎という道を選んだ、アニメ第2期『ゲゲゲの鬼太郎』の数々のエピソード群。
そのひとつひとつを噛みしめる旅に、これからもしばしお付き合いくださいませ~。
8月もなかばを過ぎまして、前半にくらべればいくぶん気温もおとなしくなってきた感じはあるんですが、相変わらず暑いもんは暑いということで! 熱帯夜はホントにカンベンしてほしいですね。
さて、今年の夏最大の山場だった資格試験もいちおう終わったわけなんですが、家にたまった DVDの山の鑑賞処理が、いっこうに進んでおりません!!
理由は「暑くて観る気にならない!」ということも含めていろいろあるんですが、やっぱり仕事が忙しい! という大問題が第一であります。ありがたいことでございますけどねぇ。
世間一般でいう夏休みの時期、私のお仕事は忙しいのなんのって。現在、私の担当している部署は平常時の5~8倍忙しくなっています。それが来月9月の第1週くらいまでは続くわけよ。月例の報告会のときに、自分で報告しててビックラこいたよ、あたしゃ……
そんなわけで、家に帰っても即効で眠りについて、早朝に起きて出勤するという健康的な日々を送っているので、晩酌でもたしなみながら楽しみにしていた DVDをゆっくりと眺めるなんていう余裕なんか、土台あるわけがないっつうのよ! 毎晩、『日曜洋画劇場』とか『金曜ロードショー』を見つめながらウイスキーの水割りを飲んでいた我が父よ、あなたは強かった。
まぁそれに加えまして、やっぱり個人的には大いに不本意な結果に終わった資格試験のこともありまして、しかもその正式な成績通知が来月にならないとわからないということなので、どうにもこうにも気持ちが落ち着けられない状況が続いているところでして、なんだかのんびりと作品を楽しむ気になれないんですよね、今。おちおち『風立ちぬ』も観に行けない精神状態なんですよ。必ず映画館で観るつもりではいるんですけどね。
もうね、こんな私の気分は、おそらく来月上旬の一大イベント「℃-uteの日本武道館初コンサート」まで晴れない感じなんでしょうねぇ。おそらくその決戦に臨場してやっと心の重しがずっしんと落ちる流れになるんじゃないのでしょうか。そこで私の夏は終わるんでしょうが、振り返れば、今年もオレの夏休みはまるでなかったぜ、コンチクショー!! できれば9月にささやかなお休みをいただきたいねぇ。
あっ、そういえば、家の DVDは観れていないんですが、仕事のなりゆきで、前からいつか観よう観ようと思いながらおざなりになってしまっていた、細田守監督のアニメ映画『おおかみこどもの雨と雪』(2012年)をやっと観ました。
ちょっと仕事の一環として観たので画面に集中することができず、はっきり作品全体を把握したとは言えない状態だったんですが、おもしろかったですね、はい。主人公が自分の理想の通りに行かなかった現実をはっきりと受容して肯定するという、ものすごくアニメ的でないクライマックスにやけに感動してしまいました。単純なハッピーエンドでないという時点で、もう私としては100点満点。なんてったって「家族」がテーマの物語なんですからね、そりゃそうです。
物語のスケールでいったら、どうしても『サマーウォーズ』に比べて見劣りしてしまうのかも知れませんが、監督が明らかに今までのキャリアの中で自分の作品に入れていた「きれいごと」に満足していないという攻めの姿勢が観られたのが本当に気持ちよかったですね。前半の恋愛関係の甘ったるい雰囲気が、子どもの誕生と突然の別れでどんどん生臭くなっていく展開も、細田監督一流の構成センスと作品世界で非常に味わいやすくなっていたと思います。
まぁ、なんてったって後半の自然描写の水墨画のようなシンプルさと美しさですよね。子どもの名前だけでなく「雨」と「雪」がとても効果的に作品に入り込んでいたのが素晴らしかったですわ。「夏」だけじゃあない細田ワールドの新境地!
ちょっぴり怖くもあるんですが、細田監督の次回作に大いに期待したいと思います。いったいどんな次元のアニメになるんだろうか? アニメの「きれいごと」と闘いながらもアニメであり続けるという厳しい選択肢を、ぜひともこれからも貫いていってほしいと思います。今度は必ずスクリーンで観ます。すいませんでしたァ!
さて、そんなこんなでやっと今回の本題に入るんですが、同じアニメでもむっちゃくちゃクラシックなアニメ作品のお話。
何を今さらって感じなんですが、今年の5月から、アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』の第2シリーズ、第1シリーズの全話を収録対象とした DVDマガジン『ゲゲゲの鬼太郎 TVアニメ DVDマガジン』(隔週刊 講談社)の刊行が開始されました。第2シリーズが全話ぶん刊行された後に第1シリーズの刊行が始まるというヘンな順番なのですが、来年までまる1年続いていく予定のようです。
そんでもって、『ゲゲゲの鬼太郎』といえば「猫娘ヒストリー」だとか「ぬらりひょん・妖怪総大将への道」だとかいう実に自己マンな企画をやらかしていた私も黙ってはいられないということで、フハッと鼻息を荒くしたわけだったのですが、いくら安くてもさすがに全巻全話をチェックするのはしんどすぎるし観る時間もないということで、自分の特に興味のあるエピソードが収録された巻だけを購入しておくということにしていました。
こういう DVD主体の隔週刊雑誌に注目するのは、『ゴジラ』シリーズとか「変身人間シリーズ」とか『血を吸う』シリーズとかが2000円という脅威の価格で限定販売されていた『東宝特撮 DVDコレクション』(2009~12年 全65巻 ディアゴスティーニ)以来なんですが、それよりもさらにお得な1600円! 映画の VHSビデオが平気な顔して1本1万5千円とかで売られていた私の青春時代からしたら、実にいい世の中になったもんです…… THE・隔世。
現在、随時刊行されているのは初カラー作品となったアニメ第2シリーズなのですが、それではざっと、第2シリーズの基本情報をまとめてみましょう。
アニメ版『ゲゲゲの鬼太郎』第2シリーズ とは
1971年10月~72年9月放送。全45話。前作アニメ第1シリーズ(1968年1月~69年3月放送 全65話)から2年半後の製作。スタッフ、キャストはほぼそのままで初めてカラー作品となり、前作と同様に高い支持を得た。平均視聴率は17.0%。
第1シリーズの完全な続編という位置づけであるため、エピソードのリメイクは行われなかった。そのため、マンガ『ゲゲゲの鬼太郎』以外の水木しげる作品を原作にアレンジしたエピソードが全体の約半分を占める(第1シリーズでは終盤の第62話『海じじい』、第63話『なまはげ』の2エピソードのみが非鬼太郎もの原作だった)。これらの作品はもともと単体で物語が完結しているために鬼太郎がストーリーに介入する余地が少なく、「正義のヒーロー鬼太郎が悪い妖怪をやっつける」という子ども向け番組としての基本コンセプトから外れて、鬼太郎が単なる傍観者で終わってしまう話や、非常に怖く救いのない話も続出した。その反面、風刺色や怪奇色の強い大人向け作品を取り上げたことにより、水木作品の持つピュアなエッセンスの忠実な映像化に成功した。原作の意図をよく理解したスタッフは当時の風俗や世相などを取り入れ、風刺やアイロニー、人間の業の深さなどを描き切り、他のシリーズには見受けられない強いメッセージ性と独特の深い味わいを持ったシリーズとなった。
また、東映動画のアニメ『タイガーマスク』(1969~71年)を終了した製作スタッフが合流していることなどにより、第1シリーズに比べて劇画調のタッチの作画が増え、異色のエピソード群をさらに特徴あるものに仕上げている。
モノクロ作品であるために再放送の少なかった第1シリーズと違い、第2シリーズは夏休みの子ども向けアニメの定番作品としてその後何度も再放送され、リアルタイムでない世代のファンも多く生み出した。
おもなキャスト
ゲゲゲの鬼太郎 …… 野沢 雅子(35歳)
目玉の親父 …… 田の中 勇(39歳 2010年没)
ねずみ男 …… 大塚 周夫(42歳)
猫娘 …… 小串 容子(?歳 猫娘の声優としては2代目)
とまぁこんなわけなんですが、周知の通り、この第2シリーズは今や鬼太郎ファミリーにとって必要不可欠な「萌え担当」要員となった猫娘が、初めてレギュラー出演することとなった重要な作品でありながらも、と同時に、先の第1シリーズで原作マンガどおりのあっさり感でリタイアしてしまったために我がいとしのぬらりひょん様が1秒たりとも出演していない唯一の作品でもありました。であるがゆえに、私としても「なんだ、第2シリーズかよ……」というがっかり感もないと言えば嘘になっていたのですが。
だが、しかし。思い起こせば私が生まれて初めてアニメの鬼太郎に出会ったのは、親か児童館の先生がレンタルビデオ店から借りてきた第2シリーズがきっかけでした。その素地があった上で、リアルタイムの吉幾三な第3シリーズの洗礼を浴びて現在にいたるわけ。それじゃあ軽視するわけにはいきませんやね。
しかも、上の解説にもあるように、第2シリーズはその「第1シリーズの直接の続編」という縛りがあったがゆえに、深刻な原作不足を解消するために水木しげるの「非鬼太郎もの」を苦心して鬼太郎ものに変換するという努力が大いになされたシリーズでもありました。その中には多くの異色の傑作が生まれ、それ以降の第3~5シリーズで他の原作マンガと同じようにリメイクされたエピソードも少なくありません。
それじゃあ、なるべくチェックしなくっちゃあね!
というわけで、自分が購入した巻だけを扱うのではなはだ穴だらけな感じにはなってしまうのですが、だいたい「非鬼太郎もの」を原作とするエピソードを収録した巻を観た簡単な感想のようなものを、これからぽつぽつと我が『長岡京エイリアン』でつづっていきたいと思います。
これぞ温故知新! 予定通りに刊行されていけば、第1シリーズのモノクロぬらりひょん様がおがめるのは11月のころですか。遠いようであっという間なんだろうなぁ……
『ゲゲゲの鬼太郎 TVアニメ DVDマガジン 第2巻』(2013年6月11日発売 講談社)の収録内容
第5話『あしまがり』 1971年11月4日放送 脚本・柴田夏余、演出・高畑勲(36歳)
原作……マガジン版『ゲゲゲの鬼太郎』第126話『妖怪あしまがり』(1969年6月掲載)
ゲスト妖怪……タヌキ妖怪あしまがり(声・富田耕生)、あしまがりの使役する気体妖怪、妖怪花の精(声・杉山佳寿子)
他シリーズでのリメイク……第3シリーズ(1985~88年)※あしまがりはぬらりひょんの用心棒として登場する
第1シリーズの製作に間にあわなかったマガジン版『ゲゲゲの鬼太郎』の末期エピソードをアニメ化したものですが、1話だけで完結していながらも鬼太郎をけっこういいところまで苦しめる妖怪あしまがりとの激闘を非常にうまく30分の内容にふくらませた名編だと感じました。
なんといっても、肝心のバトルシーンを無駄に長くするという安易な演出を避けて、第2シリーズのオリジナリティともいえる猫娘の活躍を前半に用意して、自然破壊のむなしさや妖怪花のミステリーの描写に時間を割いたのが実にうまいですね。猫娘のロマンチックな部分が早くも全開になっていたと思います。ねずみ男とのツンデレ関係がしっかりできあがっているのも、なんという先見の明か!
原因はどうであれ、現実にホテルの営業を妨害されて困っている人間側の味方にならずに、同じ「滅びゆく種族の生き残り」である妖怪花の精に一も二もなく力を貸す鬼太郎。その行動原理が非常にはっきりと言及されているエピソードだと思います。正義の味方が必ずしも人類の味方であるわけではないという重要なお話ですね。
「正義」に正直な鬼太郎、「金」に正直なねずみ男、「酒」に正直な妖怪あしまがり。それぞれの原理がぶつかりあう後半の展開はとても手に汗握るものがあるのですが、しょせんは鬼太郎のゲタを見落としてしまったあしまがりの完敗ということで一件落着となります。鬼太郎強すぎ……
この戦いで、人類の立場につけいってあしまがりに鬼太郎退治を依頼した張本人は他ならぬねずみ男。はっきりいって鬼太郎に殺されてもおかしくない戦犯っぷりなんですが、あしまがりとの決戦のあいまにゲタでビンタをしたり、落下時にクッションにしたりするくらいのお仕置きで許してやっているようです。この第2シリーズって、ねずみ男がいなければ成立しないエピソードが多いんですよね。死んでもらっては困るということなんでしょうか。寛大だ!
上のように、本作での妖怪あしまがりは、人間語を話し衣服を着た化け狸と、それが鐘と太鼓と銅鑼を鳴らして使役する気体妖怪とのペアなのですが、さすがは約20年後に『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)を世に問うた高畑勲監督だけあって、少ないセル画ながらも、不敵な戦巧者である化け狸が実に活き活きと描かれていました。酒を呑むしぐさが本当においしそうなのよね~! 富田耕生さんは、こういう自信過剰気味な悪党の役がうまいうまい。
第6話『死人(しびと)つき』 11月11日放送 脚本・安藤豊弘、演出・茂野一清
原作……非鬼太郎もの短編『妖怪魍魎の巻 死人つき』(1967年2月掲載)
ゲスト妖怪……魍魎(声・渡辺典子)、土精、魍魎の仲間、つるべ火
他シリーズでのリメイク……第5シリーズ(2007~09年)
第2シリーズで、初めて「非鬼太郎もの」が原作となったエピソードです。鬼太郎ものにも魍魎が登場するエピソードはあるのですが(マガジン版第69話『モウリョウ』)、こちらは別の個体の魍魎が出てくる話ですでに第1シリーズでアニメ化されていました(第31話『もうりょう』)。
『死人つき』の原作マンガは、19世紀のロシア帝国の文豪ニコライ=ゴーゴリがロシアの魔女伝説をもとに著したという短編『ヴィイ』(1835年)を日本の物語にリライトしたもので、魔法陣に隠れた人間が妖怪の目に見えないという設定や、それを見破る邪眼を持った土精の存在は濃厚にヨーロピアンな香りをおびていますね。とはいっても、完全にキリスト教的でないところに、スラヴ民族文化ならではの豊潤なミックス感があると思います。
何を隠そう、今回この DVDマガジンの第2巻を購入した私のいちばんの目的はこの『死人つき』でありまして、萌え萌え作画に加えてかなりコメディ要素の強かった第5シリーズの中でも異様に怖いエピソードに仕上がっていた第64話『もうりょうの夜』のオリジンが第2シリーズの本作だということを知り、どうしてもこの目でしかと観たいという思いがあったのでした。
それで満を持して観たわけだったのですが、まぁやっぱりそこはそれ、いくら怖い話だといっても『ゲゲゲの鬼太郎』ですからそんなにドギツい描写はなかったのですが、真夜中の森をほほえみながら歩いてくる白装束の娘だとか、実は彼女が3日前に死亡していたということが判明する展開、そして毎晩その彼女の死体がむっくりと起き上がって婚約者(ねずみ男)を探しさまよい、ついに現れる魍魎の本性!
たしかにいちいち古典的でベタではあるのですが、あぁ、私はいま正真正銘の怪奇譚を楽しんでいるのだなぁ、という充実感がひしひしと湧いてくる素晴らしい傑作になっています。
いうまでもなく、このエピソードの原作はゲゲゲの鬼太郎のような万能ヒーローの活躍しない、実録怪談的な伝承であるはずなのですが、後半に実にうまく鬼太郎と魍魎軍団との大立ち回りが差し込まれているため、鬼太郎サーガの一編としてまったく破綻のない構成になっているのも見逃せないポイントですね。鬼太郎の出番もちゃんとあり、死人に求婚されるという絶妙な役回りにねずみ男も大いにハマッています。そして誰よりも、魍魎から人間を守る魔法陣の知識を駆使するのが目玉の親父であるという役割分担がものす~っごくしっくりきてるんですよね!
う~ん、ヒーローとトラブルメイカーとマスター。鬼太郎ファミリーは本当に完成されているうまいメンバー構成なんですよね。猫娘は……このお話ではあんまし出番がなかった。
第7話『猫又』 11月18日放送 脚本・雪室俊一、演出・新田義方
原作……非鬼太郎もの短編『世界怪奇シリーズ 猫又の恋』(1968年7月掲載)
ゲスト妖怪……猫又ジーダ(声・千葉順二)、ボロゴン島の妖狐
他シリーズでのリメイク……なし
前話の魍魎と同じように、本作の主要な存在となる妖怪「猫又」もまた、鬼太郎もの原作の中ではマガジン版第77話『ばけ猫』(アニメ第1シリーズ第41話ですでにアニメ化)や、のちの『鬼太郎の世界お化け旅行』第13話『ベルサイユの化け猫』(1976年7月)や『新ゲゲゲの鬼太郎』第8話『猫町切符』(1978年8月)など、数え切れないほど多くの名エピソードに登場しているモティーフですね。水木先生はほんとうに猫が好きねぇ!
ただし、先の『ばけ猫』に登場した化け猫の正体が、人間の自動車社会の発展によって急増した轢き逃げなどで非業の死を遂げた動物たちの死霊の集合体であった、つまりは「猫」とも言いがたい存在であったのに対して、本エピソードに登場した化け猫は50年生きて妖力を持つようになった、尻尾の二股に分かれた正真正銘の「猫又」であるということからも、むしろこっちのほうが正統派の「化け猫もの」であるという印象が強いですね。
ちなみに、私そうだい自身は猫どころかペットを飼育した経験がまったくないので猫に関する知識は皆無なのですが、ちょっと調べてみたら現代日本における飼い猫は平均寿命がおおよそ15歳で人間でいう70歳代くらい。野良猫になると体力が衰え始めてきた4~5歳くらい(人間でいう30歳代後半)が寿命なんですって。シビアねぇ~!
それで猫の寿命の公式ギネス記録が「34歳」で、だいたい20歳くらいが人間でいう100歳代だっていうんですから、猫の尻尾が分かれるらしい50歳という猫又認定ラインがどんだけハードルの高い厳しいものなのかということがわかります。そりゃあまぁ、人間語を話したり2本足で立つくらいはできなきゃあ割に合いませんよね。
『世界怪奇シリーズ』の一篇として発表された原作マンガを鬼太郎ものにアレンジするため、物語は東南アジアのインドネシアの奥地にあるボロゴン島に住む猫又ジーダが自分の娘エリーメにつきまとうので何とかしてほしいという依頼のために、島の有力者バンダがはるばる日本の鬼太郎のもとにまでやって来るという発端となります。原作では、猫語の研究家である男が、「投げても木に絶対に当たらない糞」を探すために自分からボロゴン島にやって来るという筋なのですが……もうなんか、原作はどこからツッコんだらいいのかわかんない!! こんなストーリーを思いつく人のことを「天才」と呼ばずしてどう呼んだらいいのでしょうか。きぃちがいじゃがしかたがない。
物語を見ていくと、鬼太郎一行が「エリーメにつきまとう猫又ジーダの謎を追う」という展開から、実はジーダの行動はエリーメを独占したいという欲望からきたものではなかったという意外な真実が発覚し、クライマックスでは身の丈数十メートルはあろうかという怪獣級の巨大妖怪・妖狐と鬼太郎とのバトルアクションが繰り広げられるという息をもつかせぬ内容になっていました。
ただ、展開は文句なしにおもしろいのですが、このエピソードを『ゲゲゲの鬼太郎』の一篇として観たときにどう感じるのかと考えてみると……どうにも印象が散漫になっちゃうんですよね。
要するに、この作品はやっぱり『猫又の恋』という原題の示すようにあくまでも猫又が中心となった物語であるがために、最終的に妖狐を倒していいところを持っていくのは猫又なんですよね。鬼太郎はどう脚色されて登場しても、どうしても添え物になってる感がいなめないんです。日本ではあんなに無敵なちゃんちゃんこもゲタも妖狐の息を止めるにはいたっていないし、ただ妖狐の強大さと猫又ジーダの身を挺した勇気ある行動を強調する説明役にしかなっていないという物足りなさが残るんですよね。
「猫又」ということでそれを擁護するような立場につく猫娘も、発言は確かにオリジナリティがあっていいんですが文句を言うにとどまる中途半端な扱いになっているし、ねぇ。
ともかく、この作品はシリーズ初の海外ものエピソードということでヴィジュアルは新奇さに満ちていて見飽きないのですが、ただでさえ成立しているひとつの物語に鬼太郎ファミリーが混ざってしまったことで、ちょっと話がこんがらがってしまってどこを楽しんだらいいのかがわからない混線をまねいてしまった感じがしました。考えてみたら、この事件の解決者は中盤に突然登場してくる「謎の老僧」で充分なわけでして、日本からわざわざやって来た鬼太郎さまご一行の立ち位置はどこにもなかったのよね……
ゲゲゲの鬼太郎というキャラクターをどう作品にからませるのかというポイントを考えた場合、この『猫又』は前話『死人つき』とかなり好対照な結果を招いていたと思いました。
物語自体はおもしろかっただけに、非常に残念! のちのアニメシリーズでもリメイクされることが絶えてないという事実も、非常に賢明な判断かと。原作どおりの鬼太郎ものでないスタイルがいちばんいいお話ですよね、やっぱ。
第8話『マンモスフラワー』 11月25日 脚本・辻真先(39歳)、演出・蕪木登喜司
原作……非鬼太郎もの短編『マンモスフラワー 巨大な花』(1965年10月掲載)
ゲスト妖怪……マンモスフラワー、あかなめ(声・北川米彦)、つるべ火、一反木綿、塗り壁
他シリーズでのリメイク……第3シリーズ、第4シリーズ(1996~98年)
これまた非鬼太郎もの原作のアレンジエピソードであるわけなのですが、社会風刺以外の何者でもなかった物語の中に、「マンモスフラワーを発生させた妖怪あかなめ」というキャラクターを差し込んだのは、鬼太郎ものへのアレンジという意味で大正解だったと思います。明確なマンモスフラワー大量発生の原因を作らないと、事件がまるで解決しないですもんね。
このエピソードに登場する、「ちょっとベロが長いくらいのいかついおっさん」という体格の妖怪あかなめは、水木しげるのマンガにもイラストにも出てこないアニメオリジナルのデザインなのですが、同じ第2シリーズで第28話『あかなめ』(1972年4月放送)、ひいてはその原作となったサンデー版『ゲゲゲの鬼太郎』第9話『あかなめ』(1971年11月掲載)に出てくる巨大あかなめとはまったく関連のない知的なキャラクターになっていて、けっこうかっこいいです。鬼太郎に退治される対象ではなく、現代日本文明への警告者になってるんですね。
鬼太郎が出てきても、原作の通りにこの作品の持ち味は、都会の日常に「悪夢のような」非日常が現出するというハプニングにこそ意味があるわけなので、冒頭に異常な力の入れ方をもって克明に描写される「マンモスフラワーの気持ち悪さ」は実に的を得た演出だと感じました。
いいおとぎ噺を観た、っていう感触でしたね。
でも、私としてはこの作品もまた、鬼太郎ものになってしまったことで失われてしまった原作マンガの「衝撃のラストコマ」オチこそが最高にして至高の終わり方だと思うのよね……あれはやっぱ、水木先生だからこそできる締めかたですよ、うん。
第9話『髪さま』 12月2日放送 脚本・柴田夏余、演出・山口康男
原作……マガジン版『ゲゲゲの鬼太郎』第113・114話『髪さま』(1969年1月連載)
ゲスト妖怪……髪さま(声・北川米彦)、毛目玉(声・矢田耕司)
他シリーズでのリメイク……第3シリーズ、第5シリーズ
この作品はまさしく原作マンガからして鬼太郎ものの充実した傑作エピソードであるし、20分ほどのアニメ作品にするのに最も無理がない(と私が勝手に解釈している)週刊連載2話ぶんというサイズがとっても的確な、原作にかなり忠実な一編に仕上がっていたかと思います。
なので、特に記すこともないわけなのですが、相変わらず淡々としたノリの原作の中から、島を支配する地方神「髪さま」のいけにえにされてしまった少女(「美」はつかない)とそれを嘆き鬼太郎に事件解決を依頼するカラスのカー坊、そのいっぽうで因習に従い少女を積極的に髪さまに捧げようとする島民の不気味な忠実さ、そして髪さまの使いとして暗躍する謎の生命体「毛目玉」のコミカルさといったあたりがひとつひとつ実に丁寧に抽出されてバランスよく配置されていたのが素晴らしかったです。後半に活躍する「まったく役に立たない警察機動隊」のなぜかニセ外国人口調な隊長もいい味出してます。
いけにえという実にじめじめした因習が残る島の物語ということで前半こそ確かに重苦しい雰囲気が続くのですが、怒り狂った髪さまが発現するたたりが「人間の頭髪を奪い去って島民総ツルッパゲ地獄にする」という恐ろしすぎる能力であったがために、後半になってどうにも笑うしかない展開におちいるという、実に水木しげる的なカオスが炸裂するのは、まさしく素晴らしいの一言に尽きますね。
人間の頭部から鳥のように飛びたっていく黒髪を老若男女がおろおろと追いかける大混乱といい、集合してひとつの巨大な怪物となった髪が機動隊のヘリや船を襲撃するアクションの見事なアニメ化は文句の言いようがなかったのですが、私はそれもともかくとして、浮遊する自分の髪の毛を追いかけて外にまろび出る大人たちの後ろに、ひときわ小さな髪のかたまりをハイハイでおいかけるハゲた赤ちゃんがしっかりいるという芸の細かさにやけに感動してしまいました。これがまた、一瞬画面の隅にいるだけの扱いなんだけど、かわいいんだよなぁ~!! 神は細部に宿る。まさしくその証左を観た思いでした。
実はその後あっさりと鬼太郎に退治されてしまう髪さまなんですが、そういう部分をアクションの継ぎ足しではなく、原作の持ち味のふくらませでカヴァーする製作陣の心意気に非常に感じいった傑作エピソードでした。これこそ、マンガの理想的なアニメ化のかたちなんじゃないんでしょうか!
スペシャル特典映像『水木しげる最新撮り下ろしインタビュー 後編』(約7分)
ちょっと DVDマガジンの第1巻を購入していないのでインタビューの全編を観たわけではないのですが、少なくともこの後編における水木先生のアニメ第2シリーズへの言及は、7分間におよぶ内容の中でも、
「別になんとも思わないですね、別にね。」
「結局、ある程度金ができればねぇ、別にどうでもいいんですよ。その……評判が悪かろうがなにしようが、別に平気です。」
これくらいでしたね。っていうか、これも特に第2シリーズについての発言じゃあないね。
もう、まっとうな水木しげるファンならば、現在の水木先生に『ゲゲゲの鬼太郎』に関するサービス的なコメントは期待しないのが当たり前ですし、ともかく今年収録のこのインタビュー映像で元気なお姿が観られた。それだけでいいんじゃないでしょうか。
それ以上に、まったく DVDマガジンに関係のないいつもの昔話や近況報告で、
「戦争でもう私は、死に合うところにばっかりいたからね。」
「バナナはあれ、神の果物ですよ。きっとね。」
「人が馬鹿に見えるよね、もうね。」
といった爆弾発言がポンポン飛び出ていたのが、毎度おなじみのことながらもやっぱりうれしかったですね。
現在の水木先生を見ると、いつも「そういう老後を迎えたい!」と感じてしまうんですが、そうなるためには若い頃の地獄のような苦労と天才的センスが必要なんですよね。結局は、時間を無駄にしなさんなってことなんですな。
多くの先生のファンキーな答えの中でもひときわ力強かったのは、『ゲゲゲの鬼太郎』が誕生から半世紀を超えた今現在でも絶大な人気を集め続けている、その秘訣を尋ねられたときに答えた、
「自分がおもしろいと思うことを、描く。
人におもしろく思われようとかなんかっちゅうことは、三流です。すぐ消えます。一年以内に消えます。」
という言葉でした。
すっごく重たいですよね……今は1年どころか、3ヶ月くらいで消えるアニメ作品が氾濫してる環境が常態になってるんですからね。
とにかく確かなのは、アニメ第2期『ゲゲゲの鬼太郎』が、製作後40年を経た今でも十二分に楽しめるアニメ作品になっているということ。これを超一流と言わずになんと言えましょうか。
そして、それは水木しげるという巨大すぎる山にいどんだ多くのプロフェッショナルたちの登攀の記録でもあるわけなのです。
本来ならば鬼太郎ものではなかった原作マンガの換骨奪胎という道を選んだ、アニメ第2期『ゲゲゲの鬼太郎』の数々のエピソード群。
そのひとつひとつを噛みしめる旅に、これからもしばしお付き合いくださいませ~。
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