長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

行ってきま~っす

2012年03月19日 17時54分07秒 | 日記
 どうもこんにちは~、そうだいでございます。みなさま、今日も1日お疲れさまでした!


 いや~、突然ですが私、激動の数日間の真っ最中なんです。充実してますね~。

 まず昨日は、長距離バスに乗って早朝に千葉にやってきた弟と久しぶりに会って、ほぼ一日中の東京見物をしました。
 まぁ、東京見物ったって、ほとんど一ヶ所をわいのわいの言いながらうろうろしてただけだったんですけど……昔は「東京見物」といえば「江戸城・眼鏡橋」とかだったのかも知れませんが、2012年の見物対象はずいぶんと変わってましたね。楽しかったなぁ~。

 ごはんを食べたり買い物をしたり、スパに入ったり。
 1日の終わりには、「魔窟」ともいえる私のぼろアパートに泊まって、今日の午前中に別れることとなりました。

 大学生の弟は、まだまだ会うたびに、その人となりに新たな一面が増えているような気がして、そんな彼をたまに見ると、ふだんは何も変わっていないように見える日常の繰り返しでも、確実に時間が流れて現在にいたっているんだなぁ、ということをまざまざと実感させられます。驚きつつも、うれしいことでもありますね。

 まぁ、私がそんなに若くないことも痛感させられるわけなんですけど……今回の2人旅のなかで、ことあるごとに弟に「頭髪ケア」に関する懇切丁寧なアドバイスをいただいてしまっていたのが、私の新たな一面かな? 新しくねぇし、その点については私は「去るものは追わず」という方針を保持しています。捨ておけェイ!!


 あと、実家からのことづてをおおせつかった弟からは、私が予想だにしなかったプレゼントをいただくこととなりました。

 ビックラこきましたね、これには!! さすがは血を分けた家族。私がボンヤリとでも「そろそろ新品にしてぇなぁ。」と心中にいだいていた思いを、はるか遠くの山形から超鋭敏にキャッチしてくれました。非常にありがたい。生活が一新しましたよ~。

 あと、そのついでに渡された好物のマシュマロも地味に、しかし確実にうれしかったです。マシュマロって、好きでも自分1人じゃあめったに買わないんですよねェ~。売っている量の単位が「1人用」じゃないことが多いからでしょうか。


 ということとなりましたので! 今日はこれから、マシュマロとメモノートをたずさえて一路、岡山県は岡山市に行ってまいりま~っす!!

 夜9時に新宿ターミナル出発の深夜バスに乗って岡山へ。明日早朝に到着して昼にお芝居を観て、それ以外の時間はすべて岡山城見物。夜にまた復路バスに乗ってあさって早朝に帰宅~。その午後から仕事~。仕事のあとは深夜に退職予定スタッフをまじえての送別飲み会~。


 いぃ~ひっひ!! わずかな若さとポケットいっぱいの狂気で走りぬけますよぉ~いっと。


 弟にすすめられた『水曜どうでしょう』の「日本全国サイコロツアーの旅」を楽しんだあとなので、バス発着所に向かう足が極端に重いぜぇ~!!

 行って参ります。
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トラウマの 正体みたり? やっぱ変  奥浩哉『変』シリーズ ひとまず第1章

2012年03月16日 15時55分15秒 | マンガとか
 どうもこんにちは~、そうだいでございま~っす。
 今日も千葉はいいお天気でした。ただ、明日は久しぶりに雨が降るかもって言うんでねぇ。あさってぐらいから、この前にも言った岡山行きとか、個人的な重要行事がバタバタッとたてこむ予定なので、体調に気をつけないといけませんなぁ~。


 さてさて、前回は観た映画のことをつらつらくっちゃべってしまいました。今回はそのおかげでのびのびになった、いまや日本を代表するマンガ家の1人となった奥浩哉先生が、その若き日の情熱をかたむけた有名な『変』シリーズの、私の「現時点での」つれづれをちゃっちゃとまとめてしまいたいと思います。
 「現時点での」と強調したのは、私がまだ、この広大なるシリーズの全貌を把握していないからなんですね……にんともかんとも中途半端な感じなんですよぉ。

 前回まであれこれを整理しますと、まず最初に、私が『変』シリーズに踏み込むために用意したのは2000~01年に出版された新装版コミックスの第2~4巻と、2006年に出版された文庫版コミックスの第2巻と9巻だけでした。
 これだけだと、読むことができるのは「ある日突然、男の鈴木一郎が女の子のような外見の佐藤ゆうきに一目惚れする」という内容の『変 HEN 鈴木君と佐藤君』(1992年8月~94年12月)の大部分と、その原型となった全3話の中編『嫌(いや)』(1989年9~12月)、そしてそれらの「鈴木君と佐藤君」ものとはまったく異なる内容の、「ある日突然、女の吉田ちずるが女の山田あずみに一目惚れする」という『好(すき)』(1991年10月~92年12月)の3作品だけになってしまいます。
 ちなみに、この『好』がさらに拡大されて奥先生の現時点での『変』シリーズの最後を飾る作品となったのが、『HEN ちずるちゃんとあずみちゃん』(1995年1月~97年3月)ということになるわけなんですね。こっちのほうは去年に全6巻の文庫版コミックスが出版されたばかりなので、比較的かんたんに書店で手に入れることができるようです。ここまできちゃったんでねぇ、いずれ私も買いそろえるつもりです! ただし、こちらは「女×女」ということで、奥先生の女体への探究心が究極までに凝縮された内容と装丁になっているので、ちょっとレジに持っていくのが恥ずかしい……まぁ、何をいまさらって話ですけど。


 とにかく、不完全ながらも以上の手ゴマだけでまず『変』の世界をのぞいてみたわけだったのですが……

 なにはともあれ、変なマンガだった!!

 タイトルにいつわりがまったくないんですよ。まさしくこの一連のマンガは、『変』!!


 私が読んだ3つの『変』作品のうち、まずは中編作品の『嫌』と『好』とを比較してみましょう。

 それぞれ、「鈴木君と佐藤君」もの、「ちずるちゃんとあずみちゃん」ものの原型となり、のちの長期連載の雛型となった重要な作品であるわけなのですが、『嫌』が全3話、『好』が全7話とスマートな容量におさまっているため、どちらも作者の描きたい「変な愛のかたち」といったものがわかりやすくストレートに投影された作品になっています。

 たぶん、奥先生がプロのマンガ家としての活動を始めた1980年代後半にはすでに、男女それぞれの「同性愛」を題材にしたマンガ作品は、もうそれこそくさるほど氾濫していたのではないかと思うのですが、『嫌』と『好』の内容が「変」なのは、それぞれで同性の誰かのことが好きになる人物が、「自分が同性愛者であることを徹底的に否定している」という部分です。
 『嫌』で佐藤君のことが好きになる鈴木君はリーゼントのがっちりきまった高校生で、それまでは女性経験も普通にあったはずなのに佐藤君に出逢った瞬間から彼に夢中になってしまうし、『好』のちずるちゃんにいたっては、肉体関係が目的としか思えない大学生の彼氏がちゃんといるのに、それと並行する形であずみちゃんに心を奪われてしまうのです。

 当然、物語の中で佐藤君につきまとう鈴木君や、あずみちゃんにべったりなちづるちゃんを見る周囲の目は大半が「気持ち悪いな……」という冷たい視線になってしまうのですが、鈴木君やちづるちゃんは「惚れたのがたまたま同性だっただけ! しょうがねぇだろ!!」といったひらきなおりに近い明るさで相手にアタックしていくのです。

 この、「つきあったところで、行きつく先は幸せなのかどうか……」というあたりの一抹の不安を吹き飛ばすキャラクターの陽性さかげんは『嫌』も『好』も同様なのですが、1989年の『嫌』、1991~92年の『好』と奥先生がキャリアを積むごとにそのぶっとび感はアップしていき、その方向性でマンガならではのキャラクターの縦横無尽な活躍ぶりがついに爆発してしまったのが、『好』の次に連載が開始されることとなった『変 HEN 鈴木君と佐藤君』なんじゃないかと思うんですねぇ。


 ところが、この『変 HEN 鈴木君と佐藤君』は、「変な愛のかたち」というストーリーの根幹にかかわる「変さ」の他に、さらなる新要素の「変さ」を奥先生に開眼させてしまうこととなったのでした。

 それはすなはち、「長期連載の迷走ぶりが変」!! これはいけませんよ! あまりにもデンジャラス!!

 この前にもまとめましたが、『変 HEN 鈴木君と佐藤君』のおおまかなストーリーの変遷をおってみましょう。


第1部 .... 鈴木君と佐藤君との出逢い(第1~14話)

第2部 .... 鈴木君の恋がたき・冴木貴仁の登場(第14~26話)

第3部 .... 鈴木君と冴木君のマンガ対決(第27~67話)
       鈴木君の妹・早映菜と冴木君に想いをよせる滝川美咲の登場

第4部 .... 自信家の美少女・山本静香と自称「真性半陰陽」西条ひろみの挑戦(第68~85話)

第5部 .... 鈴木君と佐藤君の前世にまつわる騒動(第86~113話)

最終話 .... 日本マンガ史上もっとも最終回らしくない衝撃の最終回


 こんな感じになっておりまして、あいまに同性愛のお兄さんから鈴木君(リーゼントのほう)が追いかけられるというミニエピソードもはさみつつも、だいたいはこんな流れの連続ストーリーになっております。
 このうち、原型の『嫌』のかおりを残している内容は第1部と4部のみ。第4部のメインキャラとなる山本さんと西条さんが『嫌』に登場するわけではないのですが、魅力的な人物が現れて鈴木君に強烈なアプローチをかけるという構図は共通するものがあります。

 ということなので、逆に言えば、『変 HEN 鈴木君と佐藤君』はそのほとんどがオリジナル要素でできあがっているんですね。要するに、主軸となる鈴木君と佐藤君との「変なつきあい」はもちろんあるにはあるのですが、1990年代前半に成長した奥先生が当時リアルタイムで関心を持ったテーマが第2・3・5部には投影されているのです。

 まず第2・3部にかんしては、やっぱり鈴木君と同じように同性愛者ではないはずなのに佐藤君に興味を持ってしまうイケメンの冴木君の登場と、高校のマンガ研究クラブに所属しながらプロのマンガ家になるため研鑽を重ねているメガネ女子の滝川さん(メガネをはずすまでもなく美人)、そして、中学生でありながらすでにマンガ家デビューして大ヒット作『NIGHT RUNNER (ナイトランナー)』を連載しているペンネーム「大野克幸」こと、鈴木君の実妹の早映菜ちゃんの登場と、はっきりいって「鈴木君と佐藤君のあれこれ」が無くても十二分に話がゴロゴロ転がっていきそうな面白要素にあふれているのです。

 余談ですが、早映菜ちゃんの連載しているマンガ『ナイトランナー』自体のストーリーは作中では紹介されないのですが、真っ黒でピッチピチのスーツをまとい、口径のばかにでかい銃のようなものをかまえている青年が描かれている単行本の表紙イラストといい、異形のクリーチャーとの激しいバトルアクションがスケッチされている彼女のイラストメモといい、『ナイトランナー』はおそらく、奥先生その人の現在の代表作となっている『GANTZ 』にきわめて酷似したマンガであるようです。つながってるねぇ~!!

 第2部は、学園コメディによくあるような佐藤君をめぐっての鈴木君と冴木君とのバスケ対決などが健康的に展開され、佐藤君が普通の女の子だったらどこからどう見ても王道のスポーツマンガなのに……という様相を呈しています。
 ここを見ると、どうやら当時の奥先生はスポーツで激しく躍動する筋肉やコマ展開のテンポの技術を貪欲に吸収しようと努力を重ねていたようです。

 ここ!! ここなんです。奥浩哉先生のキャリアは、まさしく「なにかの分野に挑戦する」対象の移り変わりでその20数年間がいろどられて現在にいたっているんですね。奥先生の努力のすさまじさはその作品を観ても一目瞭然で、たとえば『嫌』と『変 HEN 鈴木君と佐藤君』にはたかだか3年ほどの時間差しかないのですが、そのタッチには別人かというほどの劇的な進化が見られ、さらに『変 HEN 鈴木君と佐藤君』だけの中でも、第1話と最終話(時間差およそ2年半)とでは格段のレベル差があります。

 たとえば、奥先生の画風はデビュー当初は「リアル志向」で、『嫌』の鈴木君は「やんちゃしている雰囲気たっぷりの不良」で佐藤君は「女に見間違えられなくもない華奢な男子」という感じになっていたのですが、その3年後の『変 HEN 鈴木君と佐藤君』にいたっては、鈴木君は「なぜ不良になっているのか理由がさっぱりわからない美青年」で佐藤君は「もはや女子が男装しているとしか思えないかわいこちゃん」というふうに衝撃的な変貌を遂げているのです。同じキャラクターなはずなのに、なにこれ!?


 ただ……その移り変わりの激しさゆえに、『変 HEN 鈴木君と佐藤君』には作品カラーの一貫性がなかなかない!! どうやら奥先生は、作中で起こる出来事の「脈絡」というか「つながり」のようなもののディティールには、作画ほどの興味を持っていないのではないでしょうか。
 も~う読者をふりまわすふりまわす。

 第2部のスポーツ対決で、両者とも拮抗した高い身体能力を持っていたために勝負がつかなかった鈴木君と冴木君。
 そんな2人にあきれた佐藤君は、『かぐや姫』理論で2人に無理な難題をふっかけてあきらめさせるために、続けてこんな第2回戦を提案します。

「マンガ対決! それぞれがマンガ作品を執筆して『ヤングジャンプ』の新人賞に応募して、より高い賞に入選したほうが佐藤君の恋人になれる。負けたほうはあきらめる。もし2人とも入選されなかったらどちらもあきらめる。」

 体育会系の対決から思いっきり文化部系にふり切れてしまいました! 両極端だな~。

 佐藤君が提案した時点では、鈴木君も冴木君もともに、マンガどころか絵心が皆無に近かったのですが、「勝ったほうが佐藤君をゲット」ということで、本人たちの驚異的な努力はもちろんのこと、それぞれ鈴木君に妹のプロマンガ家の早映菜ちゃん、冴木君に高校のマン研随一の実力を誇る滝川さんがコーチについたことによって、にわかに新人賞の獲得は現実味を帯びたものとなってくるのでありました。

 こういった流れの第3部「マンガ対決編」は、以上のような経緯のために「佐藤君×鈴木君」という構図は一気にうすれ、そういった前提があった上での進行ではあるものの、一緒に努力する「鈴木家の兄妹」と「冴木君×滝川さん」の2ペアが物語の主軸となっていくのです。佐藤君は完全に高みの見物! 気楽な主人公もいたもんです。

 このため、第3部によって『変 HEN 鈴木君と佐藤君』における「男が男を好きになる」テイストはサーっと影をひそめるようになり、この対決がきっかけで急速に距離を縮めた冴木君と滝川さんはきわめて普通のラブコメチックな愛をはぐくむこととなり、最終的に冴木君は佐藤君を鈴木君にまかせて滝川さんとともにお話の舞台を去っていくのです。ふっつー! ふつうの高校の恋愛だ~。

 こんなことからもわかるとおり、奥先生は第3部の時点で早々に「鈴木君と佐藤君」の物語を中心におくことを放棄しています。飽きたと言ってしまえばそれまでなのかも知れませんが、『変』という枠を守るかたちで、そこにどうにかして「今、自分が描きたいもの」をぶち込んでいきたいという情熱は尋常でないものがあります。普通なら飽きた時点で『変』というマンガ自体をたたむのが自然であるような気がするのですが、そういったありきたりな選択をしなかったところに、奥浩哉先生の『変』シリーズの「変」たるゆえんがあるんじゃないでしょうか。

 あと、『バクマン』や『まんが道』ではないのですが、第3部に「プロのマンガ家」と「マンガ家になりたい少女」という2者を登場させたところは、当時の奥先生の「今」と「あのころ」を投影させた興味深い部分もあるかと思います。どっちも男じゃなくて美少女ですけど。

 ちなみに、『変』シリーズの諸作にはいたるところに「奥浩哉」という名前のちんちくりんな体型をした青年か、そのヘアスタイルが単にロングになっただけの少女「奥園さん」が登場するのですが、このキャラクターは作者本人というよりも物語全体に的確なツッコミやちゃちゃを入れる便利な観察者として機能しています。美青年、美少女ばっかりの『変』シリーズの中では貴重な箸やすめになる「非美形キャラ」ですね。


 第3部ののち、第4部に入ると今度は鈴木君に2人の美しき挑戦者「山本さんと西条ひろみ」がたて続けにモーションをかけてくるという、うらやましいにも程がある展開となり、そういった外的要因のために佐藤君にたいする鈴木君の愛情はさらに燃え上がっていくこととなります。ただ、絵的には「美青年に接近する美少女」という構図が前面に押し出されることとなるため、やっぱりここでも「男×男」という部分の背徳感のようなものはうすれていく一方です。

 そして、実質的な最終章にあたる第5部になると、構図は原点回帰な「鈴木君×佐藤君」になりながらも、「鈴木君が佐藤君に一目惚れした原因はなんと、2人の前世の因縁によるものだったのだ!!」という、現実的な問題をズドバビューンとぶっ飛ばした非常に空想的な物語が展開されていくのです。
 もう、「鈴木君と佐藤君は前世、太平洋戦争中に生き別れになった兄妹だった」とか、「前世の鈴木君が乗っていたゼロ戦が南国の小島に不時着して、そこで出会った部族の娘が妹の早映菜ちゃんの前世だった」とか、「佐藤君の前世が盲目の女性だったために現世の佐藤君までもが盲目になってしまう」とか……なにがなんだか。きわめてインスタントラーメン的な三島由紀夫の『豊饒の海』みたいになってますよ、これ。

 また、これらの前世がたりの大部分が「自称・前世が見える男」の口から出た内容だけで構成されているというのだからぶっ壊れています。なんなんでしょうか、この「筋ともいえない筋」。もう同性愛もへったくれもあったもんじゃありません。

 そして、その混沌たる第5部がモヤモヤ~ッとした結末とともに終幕して、そのまたあとに「とってつけたような」第114話、すなはち最終話が登場します。

 これはもう、ホンットにふつうの「ある日」!
 佐藤君が「つきあうとしたらどんなことすんの? 『彼女』になってあげるとしたら?」という言葉を鈴木君に投げかけて、酒を飲んだり女装したりして逆に鈴木君を振り回すといった内容のドタバタでこの回は終わり、これとともにおよそ2年半続いた『変 HEN 鈴木君と佐藤君』は「完!!」となるのでありました。

 まさしく「はへっ? こ、これでおしまい!?」という終結。
 記念すべき最後のコマでの2人の会話のやりとりは、


佐藤 「さて、帰るか……」

鈴木 「帰るかじゃねーよっ。どこが『彼女』だよっ。いったい何しに来たんだよォ!」


 でした。普通だ……ごく普通のラブコメのオチです。でも、「男が男を好きになる?」「2人はどうなる?」「っていうか、そもそもあんなにかわいい佐藤君は男なのか?」というもろもろの問題をひとっつも解決させないで普通に「チャンチャン☆」としめてしまうこの最終回は、あまりにも異常! あまりにも「変」です。
 しいて似た雰囲気のあったマンガの最終話を思い出してみるとするならば、『行け!稲中卓球部』(作・古谷 実)のしんみりした終わり方があげられるんですけどね……あれも「えっ、終わり!?」という不思議な空気が流れていました。

 まったくわけのわからない、しかし、今までさんざん鈴木君に追い回されてきた佐藤君がついにその「本性」をあらわし、「ほんとに変なのはやっぱり佐藤君のほうなんだ……」という転換でおしまいにしてしまうこの最終話は、まぁ見事にこの作品と奥浩哉という作家の特徴とを体現したものだったのではないでしょうか。とにかく「正体不明」なんですよ、このお方は。


 ただ、やっぱりこういった経緯でうやむやになった「鈴木君と佐藤君」には奥先生自身もなにがしかの「やり残し感」をいだいていたのでしょう。実はこの2人の「変な愛の結末」は、その直後に連載が開始された「ちずるちゃんとあずみちゃん」ものの完成形『HEN ちずるちゃんとあずみちゃん』の後半で再びあつかわれているのだそうで。

 まいりましたね~。だったら、また『HEN ちずるちゃんとあずみちゃん』をいちから読まなきゃいけないんじゃないっすかぁ!

 やってやろうじゃありませんか……つい最近に『変 HEN 鈴木君と佐藤君』の欠巻部分となる「文庫版第1巻」もアマゾンで注文しましたからね。コンプリートしなきゃいかんわ。


 というか、今回読んではじめてわかったのですが、「男×男」ヴァージョンの『変 HEN 鈴木君と佐藤君』は、3パターンある『変』シリーズの中でもいちばん刺激がうすかったですね……

 なんとなくわかってきた。私が中学生時代に立ち読みして大きな衝撃を受けたのは、「男×男」でも「女×女」でもなく、奥先生が最初に手がけた、男が女になっちゃう「鳥合くん」シリーズですわ!!

 そうだ、そうだ……だって、私が読んだマンガは大友克洋みたいな線描の多いリアルタッチな絵だったんだけど、今回の『変 HEN 鈴木君と佐藤君』の時点ですでに奥先生は、現在に通じる無駄な線描を排した独自の作風になってたもんなぁ。

 しかも今回、いろんな資料を調べてみたら、奥先生が最初に世に出したコミックス『変』というものは、正確には長期連載された『変 HEN 鈴木君と佐藤君』の単行本コミックスなのではなくて、デビュー時から奥先生が発表してきた短編のあれこれが第1~3巻に収録されていて、肝心の「鈴木君と佐藤君」のやりとりが始まるのは第4巻からだったんですって!!

 第4巻から本編スタートって……どんだけ「変」な作家さんなのでしょうか!?

 これじゃあ、当時ガキンチョだった私も混乱するわけですよ……お話が連続してなかったり、似たような話が違う設定で繰り返されたりしてたんですからねぇ。


 ということで、そうだいはいまだ、少年時代の強烈体験マンガそのものには出逢っていないと言う結論に達してしまいました!!

 今度、私にとっての本物の『変』にたどりついた時に、この企画の「第2章」としゃれこむことにいたしまっしょ~!!

 ひっぱるよねぇ~! ひっぱるほど、奥浩哉のことが好きになっちゃったのよねェ~。
 まんまと策にひっかかり~のォ~。

 でも、女体はロマンだよね、うん。
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夢みる子どもじゃいられない!?  映画『戦火の馬』

2012年03月14日 15時10分33秒 | ふつうじゃない映画
 人はなぜ、わたぼこりなしでは生きていけないのだろうか……

 どうもこんにちは、久しぶりの部屋大掃除で、想像を絶する量のほこりごみの発覚に唖然としているそうだいです。すごいもんですねぇ~。よくもまぁ、知らんぷりして生活してこられてたな、わたくし。

 でも、そういった掃除も苦にならないようないいお天気が続いてるんですよねぇ、ここ数日。ありがたいことですよぉ。
 まして、去年の3月にくらべたら、なんとこの日常の幸せなことか。まだ苦労している地域も多いだろうし、問題も山積のまま1年がたってしまっているわけなのですが、それでも普通に24時間電気が通っている私の町のありがたみに大いに感謝したいことです。


 さて先日! ついに「最後の桜木町散歩」に行ってまいりました。もう、いい加減におしまい!!
 当初は「知らないがゆえに道に迷うことが多く、なんとなく苦手な街」になってしまっていた横浜・桜木町界隈を克服するために、周囲半径20キロほどの地点から散歩して桜木町に向かい、そこにあるシネコン「ブルク13」でジェラートを食べながら映画を観て帰るという気ままなそぞろ歩きだったのですが、最初こそ新鮮な感覚はあったものの、1年くらい続けたらだいたい道すじが把握できるようになり、そもそもよく考えてみたら、千葉からわざわざ東京を通り越して神奈川に向かう電車賃がバカにならないということで、いよいよこの放蕩も今回がラストということになったのであります。次からは、近場の千葉か東京に行って映画を楽しむことにしよう。

 今回の記事は、「ブルク13」でいちおう最後に観ることとなった映画の感想を中心にしたいので、ちょっとそこはおいときまして、先にこっちも最後になった散歩のほうをしたためておきたいと思います。

 今まではだいたい、昼間に桜木町周辺のどこかの駅で下車してから歩いていき、浅い夜に桜木町に到着して映画鑑賞、そして終電近くの千葉行きに乗って帰るという進行になっていたのですが、今回はちょっと、日中に部屋を掃除するための備品を買うという予定があったため、いささか順番が変わって夕方に出発して桜木町までズドバビューンと直行し、そこで映画を観たあとに桜木町周辺の駅まで歩いていってそこから千葉に帰るというあべこべのスケジュールとあいなりました。なにやってんでしょうか。もはや目的も手段もあったもんじゃありません。

 で、私が選んだ最後の桜木町周辺の駅というのが、「東急東横線 反町(たんまち)駅」(横浜市神奈川区上反町)。

 桜木町駅からはだいたい5キロくらいの距離にあるのですが、今回観た映画の上映終了時刻が「23時ちょうど」で、ケータイのアプリで調べてみたら、反町駅から出る千葉行き最後の電車が「23時35分」ということでね。
 余裕があるように見えながら、実際に歩いてみたら意外とぎりぎりだったりしてねぇ~。走った走った。

 そして、道に迷って、「23時35分」発の電車、とりのがしたね……笑ってくれよ。

 いや、途中までは順調に反町に向かっているはずだったんですけど、終盤になっていきなり人通りの少ない標高100メートルくらいの高台にあれよあれよという間に登っていっちゃって! なんか頂上にあった数棟のマンションがまるで山城の天守閣みたいな威容をほこるいい場所でしたね。
 「こんなところに駅があったら、ふもとの横浜駅まで登山列車みたいな角度になっちゃうなぁ。」とハッと気がついて振り向いたら、また、そこから見おろす夜の横浜のビル街と、そこのてっぺんに並ぶように顔を出しているまるいお月様がとにかく絶景で!! ほんとに息を呑むような美しさだったんですよ。

 高台から見下ろす大都市の夜景とくると、私はいやおうなしにあの『攻殻機動隊』の印象的なラストシーンを連想してしまいます。

「ネットは広大だわ……」

 じゃねぇ!! 早く下山しないと始発まで秋葉原か津田沼の道端でガタガタ震えることになるぞ!
 と、急いだわけなのですが時すでに遅し。例の「23時35分」発の電車は反町駅を出たあと。私が乗ったのはその次の電車でした。投了です。

 んだが、しかし!! 天は我を見捨ててはおられなかった。
 なんと、秋葉原で走って乗り換えたら、千葉行きの各駅停車最終に間に合うことができたのです。や、やった!? 奇跡?

 おそらくケータイのあのアプリは、「急いで移動しないと間に合わない乗り継ぎ」はあえて掲示していなかったのでしょう。
 ともあれ、どこかの途中の駅で下車して始発を待つ、あるいは津田沼くらいだったら歩いて帰宅できないこともないから、重い足をひきずって真夜中をさまようという末路を覚悟していた私にとってはまさしく、

「た、助かった。おれは生き残ったんだ……家が、(誰もいないけど)あたたかい家が待っている。」

 という感慨に浸る幸せをもたらしてくれる天佑となった、その日の千葉行き最終電車だったのでした。


 あ、あれ? この「生き残った……」という感覚、さっき観た映画でも主人公が味わってたぞ。
 なんということでしょう。私の最後の桜木町散歩は、私に映画の主人公の心境を身をもって追体験させるという、「いき」というよりは限りなく「ドS」に近いはからいを贈ってくれたのです。心臓に悪い。

 桜木町。今まで本当にありがとう。しばらくはもう行かねぇよ、コノヤロー!!


 と、いうことでありまして、今回、私が観た「ブルク13」最後(?)の映画は、これでした~。


『戦火の馬』(2011年 監督・スティーヴン=スピルバーグ、主演・ジェレミー=アーヴァイン)

 
 久しぶりの王道エンタテインメントの選択となりましたね~。

 ただし、この作品は「スピルバーグ監督にしては」規模の小さい制作費7千万ドルでつくられており(たとえば、2008年に監督した『インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』は制作費約1億9千万ドル!!)、今月始まった日本上映も、興行収入ランキングでは『ヒューゴの不思議な発明』や『シャーロック・ホームズ シャドウゲーム』におさえられてちょっとパッとしない印象になってしまっているようです。確かに、私も『ヒューゴ』と『ホームズ』は観たい!
 『戦火の馬』は先日の「第84回アカデミー賞」でも作品賞、撮影賞などの6部門にノミネートされたのですが、惜しくも受賞は逃がしてしまいました。

 実際、この作品は「CG 技術フル活用!」や「超有名豪華スターたちの競演!」といったケレン味は意図的にかなり抑えられたシックなつくりになっており、第一次世界大戦という大変な規模の戦争を舞台にした物語でありながらもスペクタクルシーンはきめどころの数箇所だけに集中されていて、主要な出演者もイギリス、ドイツ、フランスといった「現地」の俳優さんがたで固められていて地味めな顔ぶれになっています。

 まぁ、全体的にシブい出来なんですよね。まさしく、他ならぬスピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』や彼の製作した『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(言わずと知れたクリント=イーストウッド監督)など、名作や名戦闘シーンが目白押しの「第二次世界大戦もの」にたいして、あまりにも地味な「第一次世界大戦もの」にふさわしい雰囲気になっているわけなんです。

 この『戦火の馬』は、なんとスピルバーグ監督がよわい65歳にして初めて手がけた「第一次世界大戦もの」だったのです。
 そうだったんだ……「第二次世界大戦もの」は1979年の『1941』以来6作も監督しているお方だったので、もうやったことあったのかと思ってたんですけど、意外でしたねぇ。

 映画の原作は、1982年にイギリスの作家マイケル=モーパーゴが発表した児童向け小説で、これが2007年に舞台化されてロンドンの演劇界で評判になっていたところを、スピルバーグ側が映画化権取得に乗り出したのだそうです。

 物語の筋はまさに子ども向けらしいシンプルなもので、イギリスで生まれたサラブレッドの名馬「ジョーイ」がひょんなことから貧しい小作農民の家にひき取られ、なぜか農耕馬として育てられながらも、おりしもヨーロッパ大陸で勃発してしまった「第一次世界大戦」のために軍馬として徴用され、非情な運命に翻弄されて戦場のイギリス人、フランス人、そして敵側のドイツ人と、さまざまな人の手にわたっていくという激動の半生を丁寧にえがく流れになっています。
 こういった感じなので、この映画の主人公はまごうかたなく「名馬ジョーイ」なんですけど、人間側の主人公は最初にジョーイを育てた農家の1人息子「アルバート」(演・ジェレミー=アーヴァイン)ということになっていまして、生まれた瞬間からジョーイに惚れこんでいたアルバートは命を賭ける情熱でジョーイの教育にあたり、ジョーイが軍馬に徴用されたあとはなんと自ら従軍を志願して、ドンパチのあいまをぬってジョーイを捜し求めるというド根性を見せてくれます。見た目はいかにも純朴そうな青年なのに、なかなかクレイジーな道を選択してくれますね。

 ここまで来てしまったら、もうこの映画のクライマックスは「涙、涙の再会!!」ということで決まりですよねぇ。

 そうなんです。この『戦火の馬』は、枝葉がいかにアレンジされていたとしても、「世界的な規模の大戦争に消えていった馬と、それを捜しに戦場に飛び込んでいった青年とが再び出逢う」といった「児童向け小説ならではの奇跡としか言いようのない奇跡」がガッチーンと結末に用意されているのです。これ、ネタばれにはなってませんよね!? そこをゴリ押しに押してる感動ものなんですから。

 つまり、最悪の場合「そんなのありえな~い!」とシラけられかねない展開が最後にひかえている以上、そこにいくまでの雰囲気づくりというか、道すじづくりといったものには細心の注意を払わなければいけないはずなのです。

 で、今回の場合、私が最後の感動のクライマックスを前にしてどういった感情にひたることになったのかと言いますと……


シラけちゃった~!! 私、見方がスレているんでしょうか? もう夢みる子どもじゃいられないんでしょうか!?


 なんといいますか、最後の最後に来て展開されたクライマックスの「ジョーイとアルバートの再会」のシーンと、そこまでに展開された第一次世界大戦の「屍山血河」「阿鼻叫喚」の惨状とで、な~んかつながりようのない温度差が生じてしまっているような気がして、

「え、ええ~……あんなに何千何万何十万という人や馬が無駄死にしていったシーンを撮っておいて、ジョーイとアルバートだけにこういう奇跡が起こるんだ。重要な脇役もけっこうバタバタ死んでるのにねぇ……」

 という違和感が先に立っちゃってたんですね、私。

 いや、そりゃあ奇跡は起きていいですよ!? ましてや子どもに夢をあたえるお話なんですから、主人公ペアが無事に戦場から生還してきても一向にかまわないんです。ハッピーエンド最高じゃないですかぁ。

 じゃあ私は何が不満なのかといいますと、やっぱりそれは、原作『戦火の馬』という食材と、それを調理するスピルバーグ監督の「作り方」とに大きな齟齬が生じていたのではないかと思うんですね。松阪牛で牛丼を作るみたいな。そりゃおいしいだろうけど!

 極端な話、『戦火の馬』でジョーイとアルバートがおもむいた戦場は、そこに奇跡が起こるという条件が満たされているのであれば「遠くの地で始まったいくさ」という童話的なくくりで充分だったはずです。そこで、味方のイギリス軍、現地のフランス人、敵方のドイツ軍といった各地を転々として、それぞれの場で人々に愛されながら最終的にアルバートと再会するジョーイという、「まんが日本昔話」にも匹敵するような「ありえなさ」を堂々とさらけ出して話を進めたほうが、観ている側もつられて牧歌的な気分になって「い~い話だねぇ~。」としみじみ感じ入ってしまう童話性にひたることができていたはずなのです。

 なのですが……はっきり言って、スピルバーグ監督の視線は実際に歴史上に展開された「第一次世界大戦」というものの再現にとらわれすぎたきらいがあるんじゃあなかろうかと。自分が序盤と終盤とで丁寧にお膳立てしたジョーイとアルバートの物語を、中盤の戦争描写でみずから星一徹のごとくにドンガラガッシャ~ンと盛大にひっくり返す様相を呈していたんじゃないでしょうか。

 戦争を徹底的にリアルに、無益に、汚く描く。それがスピルバーグの性(さが)!! ♪わぁかっちゃい~るけ~ど、やぁ~めらぁれな~い


 1914年7月~18年11月という、実に「4年強」の長きにわたって繰り広げられた人類史上初の世界大戦「第一次世界大戦」のうち、『戦火の馬』が特にクローズアップしたのはジョーイが参戦した「イギリス軍騎兵隊130騎 VS ドイツ軍の機関銃部隊」と、大戦中最大規模の長期戦闘と言われた「ソンム河畔の会戦」です。

 ソンム河畔の会戦。世界史でも有名な戦闘ですが、1916年7~11月にフランス北部で繰り広げられたここだけでもイギリス・フランス連合軍約70万、ドイツ軍約40万の戦死者が出たという酸鼻を極めた戦場で、過酷な塹壕戦や悪魔の毒ガス戦が展開された恐怖の地でもありました。

 ここを『プライベート・ライアン』のスピルバーグ監督が描写してるんですから、もう……人がバタバタ、何の意味もなく死んでいく死んでいく。「軍人の美学」などといったものはそこにはなく、つい最近まで普通の一般市民だった青年たちが次々と無慈悲に、平等に命を奪われていくのです。
 もちろん、こういったところに顕著に現れるスピルバーグ監督の「戦争批判」は大いに賛成なのですが、その姿勢が今回の『戦火の馬』のストーリーテリングにプラスに働いていたのかというと……どうもそうじゃないような。

 また、もうひとつ言っておかなければならないのは、ここでのスピルバーグ監督の手腕も、「『戦火の馬』に観客年齢制限をかけないために血がいっさい流れない不思議な演出」になっているために実に違和感たっぷりでヘンな出来になっていることです。まぁ、これはディズニー配給の映画ですからねぇ……
 ガタガタ震える兵士や汚れきった軍服などはリアルなのですが、どうも中途半端。か~なり目立たない感じで画面のすみっこに人の首が1コだけころがっていたのがなんかおかしかったです。『ウォーリーをさがせ』か!

 あとさぁ、私も前回言ったとおりにけっこう期待していたんですけど、「ソンム河畔の会戦」で1916年9月に世界で初めて実戦投入された戦車「大英帝国マークⅠ戦車」ね! その装備や動きのよさから見ても、どうやら登場したのは最初の「マークⅠ」ではなくて、それが改良された「マークⅣ」か「マークⅤ」だったみたいですけど。
 これが『戦火の馬』にちゃんと駆動したかたちで登場すると聞いてものすんごく楽しみにしていたのですが、まぁ~出る意味なかったなかった。あんなの、ただの「友情出演」じゃないの! あんなおためごかしの扱いだったら、むしろ出さないでほしかった……複雑な戦車ファンの心情です。

 まさか、ね……だって、『プライベート・ライアン』でドイツ軍のティーガー戦車をあれほどまでに恐ろしげに描ききった監督がよ? そのご先祖様をあんなにお粗末に遇するとは。非常に残念なひとこまでした。


 いろいろ言ってきましたが、原作者のモーバーゴの研究によりますと、第一次世界大戦ではイギリス側だけで実に100万頭の馬が軍馬として徴用されたとされておりまして、そのうち終戦後に母国に帰ってきたのはわずか6万頭! この惨状は人間も同じようなもので、イギリスの男性は約89万人が戦死し、これは戦争に行ったうちの8人に1人、国全体の人口の2%に当たるのだといいます。もうなんと言いますか……さだまさしの『防人の歌』しか頭に浮かんできません。

 このへんの現実を、どのくらいフィクションの『戦火の馬』に組み入れるのかというところで、スピルバーグ監督は多少見誤ったところがあったのではないかと思うのですが……どうでしょうか。でも、監督がおのれの哲学に忠実になりすぎた結果というのならばそれはそれで天晴れだったのですが、それにしても中途半端な出来になっちゃったし。むずかしいもんですね。

 ただ、そういったストーリーそっちのけでも、全編にわたる撮影監督ヤヌス=カミンスキーの手腕は「美麗!」の一言に尽きておりまして、イギリスやフランスの自然やジョーイの筋肉美を眺めるだけで、上映時間の146分はあっという間に過ぎ去っていきました。まったく退屈しなかったことも確かなので、そういった画面の美しさを楽しむだけでも、大スクリーンで観る価値は十二分にあったと思います。

 中盤の「騎兵隊 VS 機関銃部隊」の大迫力の決戦シーンは黒澤明監督の『影武者』を意識してましたねぇ~!! ただ、そこに漂うのがリスペクトだけで、先人を超えようという気概のようなものがさほど感じられなかったのが気になりました。天才も老いたり?


 それにしても、『戦火の馬』を観てしみじみ思ったんですけど、「良き俳優」って、なんなんでしょうかねぇ。

 この作品に出演した俳優たちは、そろって天下のスピルバーグ監督の目に留まった名優ばかりで、それぞれ「貧しい農民の青年」や「誇り高い将校」や「戦争を憎む老人」といった役どころを100点の演技でになっているのですが、「この俳優さんの出演作をこれからもチェックしていきた~い!」と、思わず両目に「♡」が浮かんでしまうような方はついにお1人もおられなかったのです。
 教科書どおりの雑味のない演技。若者は若者らしい演技、悪人は悪人らしい演技、ねぇ……なぁにがおもしろいんだか。

 ただちょっとだけ不思議なことがありまして、序盤で1カットだけ、アルバートをいじめる地主のボンクラ息子(演・ロバート=エムズ)の演技で、彼の眼に「あれっ、もしかしたらこの人、重要な役なのかな?」とにおわせる確かな光があったのですが、結局は最後までスネ夫くんな役回りで終わってしまいました。
 あれ~? と思いながら家に帰って、この記事のために『戦火の馬』のあれこれを調べてみたところ、なんとボンクラ息子役のロバートさんは、ロンドンで上演された舞台版『戦火の馬』で他ならぬ主人公アルバート役を演じた俳優さんだったのだそうです。

 久しぶりに自分の目が確かだったことに感心してしまいました。はいはい、えらいえらい。


 あと、これは私が観た映画館の中での出来事だったのですが、私の隣の席にすわっていたのがゴキゲンに酔っ払ったおじさんとおばさんとのご夫婦らしいカップルだったんですが。
 映画が始まって、劇中で農民の青年アルバートの両親の会話があり、みずからの失敗で家の破産の危機をまねいてしまいすっかり打ちひしがれた親父が、がっくりとうなだれながら「おれはもうだめだ……今度こそお前も失望しただろう? おれへの愛もすっかりなくなっちまっただろうな……」と話しかけたところ、それを受けて妻が「憎しみがいくら増えたって、愛は減りゃしないわよ。」と親父にお茶をさし出すというなかなかのシーンがあった時に、観客のほうのおじさんがガクンガクンと首を上下させてはげしくうなずき、隣の奥方に向かって、

おじさん 「聞いた? 聞いた?」
奥方   「ちょっと、しずかにしてよ……」

 というやりとりをやっているのを見たのには、映画本編以上に深く感じ入ってしまいました。もう、この体験だけでわざわざ桜木町にまで来て『戦火の馬』を観た意義はありあまるほどにありましたね。グッジョブ!


 最後にじぇんじぇん『戦火の馬』とは関係がないのですが、今回、この作品のオーディションで人間の主人公アルバート役をみごと獲得したイギリスの舞台俳優ジェレミー=アーヴァインくんは1990年生まれの21歳だそうです。

 なぬ? イギリスの俳優で「ジェレミー」とは。
 さては、ジェレミーくんのご両親は「ジェレミー=ブレット」からご子息の名前を頂戴したのではなかろうか。なんかそんな気がする!
 これは要するに、日本に置き換えていえば、「ユウサク」という名前の20代の俳優が今ブレイクするようなものなのではなかろうかと……ちょっとちがう?

 まぁ、言うまでもなく、これは100% 根拠の無い極東のいち変人の妄想なのですが、これで今回の『戦火の馬』、感想を総括する言葉は決まりました。


「はやく『シャーロック・ホームズ シャドウゲーム』がみたい。」


 ズコー!!!! ってコケてくれたら、うれしいです、ハイ……


 桜木町! ブルク13さん! 今までどうもありがとう。そしてこれからも、よろしくね~!!
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トラウマの 正体みたり? やっぱ変  奥浩哉『変』シリーズ 毎度おなじみ資料編

2012年03月12日 15時28分02秒 | マンガとか
 はいど~もぉこんにちはっと。そうだいですよぉ~い。
 晴れましたね。千葉はまだ暖かいとは言えない空気なのですけど、確実に春は近づいとるということで。
 明日ちょっと、久しぶりに部屋を大掃除したいんでね、予報どおりにこの晴れが続いてほしいなぁ。

 今日はね、この記事を更新したあとにまた出かけるんですよ、桜木町に。
 いよいよこれがラストでございます。だって電車賃がバカみたいに高いんだもの!! 今さらになってしみじみ再認識。
 まぁ、だいたい歩くコースも「ここらへんに来たらあと1時間でゴールだな。」「あそこのタバコ屋、まだやってるかな。」「生麦のキリンビール工場、前を通るとビールのかほりで酔っ払っちゃうんだよなぁ。」といった感じでおぼえるようになってきちゃったんでね。
 やっぱり散歩は「知らない街を 歩いてみたい」でなきゃ!

 あっ、「知らない街を」といえば!!

 人間の言霊(ことだま)というのは恐ろしいもので、前回さんざん、坂本美雨さんの『遠くへ行きたい』がいい、いいと言っていたら、その願望が顕在化してしまい、来週に本当に「遠くの知らない街」に旅に出ることになってしまいました。

 目指す先は岡山県岡山市!! 深夜長距離バスで0泊3日の旅ィ~。

 私にとっては生まれてはじめての岡山行です。およそ10年前に比較的近所の鳥取県に行ったことはあるのですが、岡山はなかったんですね~。

 生まれてから30年以上東日本で生き延びてきた私にとって中国地方はなかなか縁遠い地なんですけれども、「岡山」といったらあーた、かの横溝正史超先生の「金田一耕助シリーズ」の聖地であるわけなんですから、ファンの私にとっては死ぬまでに必ず100回は訪れなければならない場所だとは思っていたんですよ。
 ただ、ここらへんは岩井志麻子の諸作でも詳しいんですけど、私がこれからおもむく「岡山市」自体は「岡山県内の各地とは性質の違う大都市」「最も身近にあるあこがれのメガロポリス」という位置づけになっているためか、そのあたりの作品の舞台に選ばれることは意外と少なく、山陽有数の歴史ある街として落ち着いたたたずまいを今に残しているのだそうです。同じ地方でも、中国は山陰と山地と山陽とで見せる顔がまったく違うんですなぁ。毛利元就は怖かったなぁ~。

 岡山市に行く理由は無論のこと「岡山城」....もあるんですけど、演出家の関美能留さんが、地元岡山の有志の皆さんの出演でおくるという公演『晴れ時々、鬼』(脚本・大戸彰三)を観に行くためです。岡山市のルネスホールで今月の19~20日に上演!

 そりゃあアンタ、なんとしてでも行きますよ....と最初っから威勢よく言い放ちたかったのですが、実は来月にそ~と~バカにならない出費が連発する予定になっていたので「う~ん、岡山、行けるかなぁ。」などと最近まで迷っていたのですが、無限リピートで『遠くへ行きたい』を聴いているうちに腹が決まってしまいました。


「行かないで『行きたかったなぁ~。』とかウジウジして枕を濡らすつもりか、貴様は!! そんな不甲斐なさで、これからもおめおめと城好きを自称し続けるのか....そんな人生をこれからも選択していくというのならば、金輪際お前に『信長の野望』における宇喜多秀家公の能力値を『役に立たねぇ~。』とさげすむ資格は断じて無い!! この、一条兼定野郎!!』


 まぁ、こんなわけでね。知らないうちに目的が岡山城見物のほうにシフトしてしまいました。あと、一条兼定ファンのみなさま、すみません。土佐国の中村御所も、死ぬまでにいつか必ず行きますから!

 とにかく来週の岡山小旅行、楽しみですね~。来週はそれ以外にもビッグイベントがあるんですけど....くれぐれも、この前みたいにダウンしないように体調管理に気をつけるようにします。行って来ますよ~。


 さてさてお話かわりまして、今回も引き続いて奥浩哉先生の前期キャリアをいろどる魅惑の『変』シリーズについてのつれづれに移りたかったのですが。

 あらためてマンガ家・奥浩哉が世に問うた『変』『へん』『HEN 』という共通タイトルの作品群を整理してみようとすると、まぁ~情報量がいっぱい、いっぱい。
 昨年に映画2部作というボリュームで実写化された『GANTZ 』も現在にいたるまで大変な人気を獲得しているわけなんですけど、1990年代前~中期に原作マンガ以外にもさまざまなメディアに拡大していった『変』ブームも、やはりすごいものがあったらしいんですね。

 確かに、それくらいにヒットして単行本が書店に平積みになっていたからこそ、そのころ中ボーだった私の目にも留まったんでねぇ。

 ただし、このブームに関してとにかく特異なのは、その時に人々の注目の的となった『変』という作品が、その時点ですでに「3つのまったく違うストーリー」が並列している状況だったということなんです。そりゃあ混乱しますわなぁ。


 ということで! 今回は例のごとく、奥浩哉先生の『変』シリーズの具体的なラインナップと、私が比較的もっとも詳しく読むこととなった「男×男」ヴァージョンの作品『変 HEN 鈴木君と佐藤君』の、大きな物議をかもした大筋の内容を整理してみようかと思います。
 それらについての具体的なつれづれは、また次回~!! もうテンプレートねぇ、この流れ。


奥浩哉の『変』シリーズとは?

1、『変』(『週刊ヤングジャンプ』1989年1月掲載 全1話)
 「鳥合くん」シリーズ
 奥浩哉が1988年に「ヤングジャンプ青年漫画大賞(現・MANGA グランプリ)」の「準入選」を獲得したデビュー作品
 A5判単行本『変 HEN』のほか、『短編集 黒』(1999年)と文庫版『変』のいずれかに収録

2、『嫌(いや)』(『週刊ヤングジャンプ』1989年9~12月不定期連載 全3話)
 「鈴木君と佐藤君」シリーズ
 不定期ながら初の連載作品
 A5判単行本『変 HEN』のほか、『短編集 赤』(1999年)と文庫版『変』第9巻に収録

3、『へん』(『週刊ヤングジャンプ』1991年9月連載 全4話)
 「鳥合くん」シリーズ
 1、の内容を大幅に拡大してリメイクしたもの
 A5判単行本『変 HEN』のほか、『短編集 黒』と文庫版『変』第8巻に収録

4、『好(すき)』(季刊『ヤンジャンベアーズ』1991年10月~92年12月連載 全7話)
 「ちずるちゃんとあずみちゃん」シリーズ
 A5判単行本『変 HEN』のほか、『短編集 赤』と文庫版『変』第9巻に収録

5、『雑(ざつ)』(1992年3月発売のA5判単行本『変 HEN 鈴木君と佐藤君』第2巻の書下ろし作品)
 「ちずるちゃんとあずみちゃん」シリーズ
 2人と「マンガ家の奥浩哉」が出会うというエピソード
 A5判単行本『変 HEN』のほか、『短編集 赤』と文庫版『変』のいずれかに収録

6、『変 HEN 鈴木君と佐藤君』(『週刊ヤングジャンプ』1992年8月~94年12月 全114話)
 「鈴木君と佐藤君」シリーズ
 2、の内容を大幅に拡大してリメイクしたもの
 1993~95年にはソニー・集英社・ビクターの3社から1巻ずつのドラマCD が発売されている
 ・ソニー版の配役  .... 「鈴木役」置鮎龍太郎・「佐藤役」檜山修之(ひやま のぶゆき)
 ・集英社版の配役  .... 「鈴木役」森川智之・「佐藤役」結城比呂(現・優希比呂)
                特別出演の「ちずる役」折笠愛・「あずみ役」荒木香恵
 ・ビクター版の配役 .... 「鈴木役」置鮎龍太郎・「佐藤役」緒方恵美
 1996年に「鈴木役」青木伸輔・「佐藤役」佐藤藍子の主演で TVドラマ化されている
 A5判単行本(全13巻)のほか、コンビニコミック版と文庫版(全6巻)が発売されている

7、『熱(ねつ)』(1993年10月発売のソニー版ドラマCD『変』の書下ろし作品)
 「鳥合くん」と「鈴木君と佐藤君」とが出会うという番外編エピソード
 『短編集 赤』と文庫版『変』のいずれかに収録

8、『HEN ちずるちゃんとあずみちゃん』(『週刊ヤングジャンプ』1995年1月~97年3月 全94話)
 「ちずるちゃんとあずみちゃん」シリーズ
 4、の内容を大幅に拡大してリメイクしたもの
 物語の途中から5、の「鈴木君と佐藤君」が登場してくる
 1996年に「ちずる役」城麻美・「あずみ役」木内美穂の主演で TVドラマ化されている
 1997年に「ちずる役」木地谷厚子(きちや あつこ)・「あずみ役」桜井亜弓の主演で OVAアニメ化(全2話)、ドラマCD 化(全2巻)されている
 A5判単行本(全8巻)のほか、新装版(全4巻)と文庫版(全9巻)が発売されている


『変 HEN 鈴木君と佐藤君』の主軸ストーリーの変遷

第1~14話  .... 鈴木君と佐藤君との出逢い

第14~26話 .... 鈴木君の恋がたき・冴木貴仁の登場

第27~67話 .... 鈴木君と冴木君のマンガ対決
         鈴木君の妹・早映菜と冴木君に想いをよせる滝川美咲の登場

第68~85話 .... 自信家の美少女・山本静香と自称「真性半陰陽」西条ひろみの挑戦

第86~113話 .... 鈴木君と佐藤君の前世にまつわる騒動

第114話   .... 日本マンガ史上もっとも最終回らしくない衝撃の最終回



 こんなで~す。それじゃ、これから映画を観てきま~っす。
 楽しみだなぁ、世界初の戦車「大英帝国・マークⅠ戦車」! 走行時速6キロ!! 走行してねぇ!!
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トラウマの 正体みたり? やっぱ変  奥浩哉『変』シリーズ とっかかり

2012年03月10日 22時01分28秒 | マンガとか
 はいど~もぉ、こんばんは。そうだいでございますよぉーいっと。
 どうにもまだまだ寒い日が続いてるんですけれども、みなさまは今日はどんな土曜日になりましたか? 私はまぁ~のんびりしてましたね。

 先日、前々からほしくてほしくて仕方がなかった CDアルバムを手に入れました。やった~。

坂本 美雨 『Harmonious 』(2006年)

 これは坂本さんの2枚目のオリジナルアルバムなのですが、1999年のファーストから実に7年ぶりの発表ということで、現在にいたるまでの彼女の歌手活動の、実質的なスタートを飾る意味合いの強い作品だったようです。

 いろいろいい曲が入っているんですが、実は私、このアルバムの最後に収録されている『遠くへ行きたい』がど~しても欲しかったんです!!

 『遠くへ行きたい』。言わずと知れた永六輔・中村八大ゴールデンコンビによる名曲の、九じゃない坂本さん歌唱ヴァージョンです。

 いい曲ですなぁ~! もう1回言っとこう。いい曲ですなぁ~!!

 これはもう、永さんの歌詞だけを読めば「知らない街を 歩いてみたい」とか「知らない海を ながめていたい」とか、とにかくなんでもいいから「遠くへ行きたい」「遠くへ行きたい」の連発で、挙句の果てには「愛する人と めぐり逢いたい」といいたい放題、逃避し放題のものすごい内容なんですけど、そこを雄弁に弁護してあまりあるのが八大サウンドであり美雨さんの声なんですよね。

 普段の生活でなにがあったのかは知らないですけど、歌詞の主人公をしてここまでどうでもいい感じにすべてを投げ出させている出来事は尋常なレベルではないはずです。そこらへんのいきさつをまったく語っていない永さんの歌詞は、ともすれば聴く人の共感を得られない他人事に取られても仕方のない極端さがあるのですが、あの、聴くだに吹雪のふきすさぶ北海道の平原や、鉛色によどむ日本海の荒れた海原を想起させる八大サウンドは、聴く人にいやおうなしに、その人自身のつらかった体験やそれにともなって心中に巻き起こった寂寥感を思い出させてくれる魔力がこめられているのです。あの曲を聴いて、人がガヤガヤワイワイしているタイのプーケット島とかに行きたいと思う人はまずいませんよね!?

 坂本美雨さんの声は、どちらかというと沖縄の感じが似合うし実際にそんな曲も収録されているのですが、重すぎる八大サウンドに対していかにも身軽な坂本さんの雰囲気がものすごい好対照でいいんですよねぇ! 曲調にのっかるかたちで重く切々と唄う歌手だと「重い×重い」でトゥーマッチになっちゃうんですよ。
 その点、非常に素直にメロディにのりながらも、ちょっと永さんの歌詞にただよう「オトナ社会のルールを放り投げた」アナーキーさもしっかり受け継いでいる坂本さんヴァージョンは、数年前になにかのきっかけで耳に入れたときからず~っと気になり続けていたのです。

 いい曲ですなぁ~! でも、リピートで何回も聴くと心がすさむすさむ!!
 別に逃避したいトラブルをかかえているわけでもないのに、この曲を聴くと強制的に「旅に出たいモード」になってしまいます。危険だよ~!! ひかえめに聴くことにいたしましょう。


 さて、わたくし最近、あるマンガを集中的に読んでおりました。

奥 浩哉 『変 HEN 鈴木君と佐藤君』

 いや~、ずいぶんと古いマンガであります。1992年の8月から94年の12月にかけて『週刊ヤングジャンプ』(集英社)で連載されていた作品ですね。
 しかし、そう考えると奥先生はデビュー期から現在にいたるまで、20年もの長きにわたってず~っと『ヤングジャンプ』に貢献し続けていることになるんですなぁ! どの作品も内容はあんなに革新的なのに、ご本人はものすっごく義理堅い方なのではないだろうか!? ゲームの『信長の野望』で言うのならば、「高坂昌信」とか「直江兼続」なみに主君を裏切らないお人なのか。


 去年に「ぬらりひょんサーガ」の中で『GANTZ 』にふれた時にもちょっと言ったかと思うのですが、私はほんとのところ、奥作品はまったく好きでありませんでした。むしろ、意識して読むことを避けていたほどです。

 理由というのは実に他愛もないことなのですが、とにかくどの作品にでも、1コマ1コマに過剰なまでに熱い「エロ魂」が練りこめられているのことにたいして拒否反応を持つようになっていたからなんですなぁ~!

 こんなことはあらためて申すまでもないことなのですが、いやぁ~エロいエロい。
 特に、女性の胸部に対する執着が、芥川龍之介の『地獄変』の絵師レベルに高い気がするんですね。奥先生の日本指折りの実力派マンガ作家としてのキャリアの原動力がそこにあることは間違いないでしょう。

 ただ、その道の専門家であるはずの「成人向けマンガ」の巨匠たちもなかなか太刀打ちできないような世界が、なんの罪悪感もいだくことなく鼻歌まじりに一般誌の『ヤンジャン』で楽しめるのだから、奥先生に感謝こそすれ「エロい!」と拒否するとは、そうだいはよほどの潔癖症か女体に興味がない MOYASI野郎なのかと思われる方もおられるかもしれません。

 私は、今となってはそんなことは決してない普通のエロいの大好き人間なんですけど、奥先生の世界に関してはまったく「出会いのタイミング」が悪かったというかなんというか....

 私がマンガ家・奥浩哉という存在を知ることとなったのは1990年代初頭だったので、思い起こせば中学生になりたての頃だったということになります。

 要するに、奥先生がその独自の世界観と作画力をひっさげてデビューした時期、その衝撃を目の当たりにしたそうだい少年は、はっきり言って具体的にその中で展開されていた「男と女のチョメチョメ」にたいする知識が圧倒的に不足しており、その上さらに「男が男と? 女が女と? っていうか、あいつ男? 女? もしかして、どっちでもない?」という、当時の私の中にあった「男は男、女は女!」という価値観をグラッグラにゆるがす『変』ワールドは、明らかにスペックオーバー、理解不能な作品となってしまっていたのです。

 その結果、私に残った感想はひたすらの「?」と軽い吐き気だけ。エロさなんて感知する余裕もなくフラフラと書店をあとにするヘル中・ジャージのガキンチョだったというわけなのです。青いねぇ~。
 しかも、『変』の時代の奥先生は登場する女性キャラクターを「意図的に」似た風貌に統一させていたきらいがあったため、私としましてはなおさら誰が誰とどうなったかがさっぱりわからない印象しか残らなかったのです。
 あれですね、見慣れない外国の映画って、ちょっとでも似た感じの人が2人以上出てくると「え? 同じ人?」という混乱におちいっちゃうじゃないですか。要するに「異人種の方々の顔をいっぱい見ていない」から起こる現象らしいんですけど、当時マンガ読書経験の少なかった私も似たようなものだったのかしら。

 そんな状態で『変』を読んじゃったんだからさぁ! そりゃあ当惑しちゃいますよね~。

 ま、こんなことだったので、その時の思いがあって私は奥先生の作品全体を「なんか複雑」「エロいけどクセが強すぎる」と長いこと敬遠していたわけだったと。同じ経路で、なんと当時の私はあの高橋留美子先生の『らんま1/2 』をも食わず嫌いで避けていました。

 とにかく、思春期に激突してしまった奥ワールドによって、私の中で「TSF (トランスセクシュアル=性転換ものフィクション)」はひっじょ~に! デリケートな扱いを要する領域になってしまっていたということだったんですな。
 あの、賢明な読者の中には(この言い方、いつか使ってみたかったのよねェ~!)、もしかしたら今、私が言った『変』=TSF ものという文言にふれて「あれ、そうだった?」と思われる方もおられるかもしれません。ま、それはさておき。


 話を現在に戻しまして、そんな私も去年にようやく、この『長岡京エイリアン』でやらかした「ぬらりひょんサーガ」の一環として奥先生の『GANTZ 』にふれ、真正面から奥ワールドに向き合うということとなりました。あのぬらりひょん様が御出馬なされるのですから、これはさすがに無視することはできないと!

 で、満を持して『GANTZ 』を読んでみたんですけれど、やっぱり奥先生の世界はエロくもありエグくもあり、さらに扱った場所がよりにもよってあの悪名高い『道頓堀百鬼夜行編』だったこともあって「キッツいなぁ....」というところは再認識したのですが、無条件で忌避するべきでない超一流のエンタテインメントであるということも、グウの音も出ずに思い知らされることとなったわけです。おもしろいものはおもしろいんですよね。あの、どんなに重要そうなキャラクターでも1コマ後には強制退場させられているかも知れない、問答無用で非情な緊張感は恐ろしいものがあります。

 ということで、

「私も30歳をこえたことだし、そろそろ『変』を読んでもいい頃合いなんじゃないだろうか。」

 なんていう思いが首をもたげてきたんですよね。ほぼ20年ぶりの再会ですよ!

 んでもって、近所の本屋さんや古書店を駆けずり回って奥浩哉の原点とも言える『変』を買い集めようとしたのでありますが....

 実はその前途には、驚くべき障壁がいくつも横たわっていたのだった!!


障壁その1
 奥浩哉の『変』というタイトルの作品はひとつではない

障壁その2
 奥浩哉の『変』は、さまざまなヴァージョンの単行本が世に出ている

障壁その3
 奥浩哉の『変』は、書店で新品を取り寄せるという形では全エピソードが集まらない(2012年2月時点)


 とにかく、私が動き出すのが遅すぎたということなんでしょうか....なんたること。


 そうなんです、障壁その1について簡単に言いますと、奥浩哉先生による『変』というマンガ作品は、内容で分類すると、

・男の主人公「鳥合衆(とりあい しゅう)」が女になってしまう TSFもの
・男どうし「鈴木一郎」と「佐藤ゆうき」が主人公の男性同性愛もの
・女どうし「吉田ちずる」と「山田あずみ」が主人公の女性同性愛もの(タイトルはアルファベット表記の『HEN 』)

 の3パターンがあるのです。しかも、どれも発表されているのが1作品だけじゃないの!
 これには私も面食らってしまいました....具体的にどの作品が、「あの日」の私に衝撃を与えた『変』なのかがわかんねぇ!


 続きまして障壁その2については、私がかつて『変』の連載中に書店で手に取った単行本は、ふつうのサイズよりも大きい『ヘタリア』や『けいおん!』のような A5判コミックだったのですが、その後は1999~2001年に刊行された、『GANTZ 』と同じサイズの『新装版』と『短編集 赤&黒』、2002年にコンビニコミック版、2006年と2011年に「男のほう」と「女のほう」とで各自刊行されたコミック文庫版といった感じで、人気タイトルらしくいろんなヴァージョンが世に出ていると。

 それはそれでいいんですけど、とにかく問題なのは障壁その3!

 おりゃあもうビックラこいたよぉ。だって、2006年に刊行された男のほうの『変 HEN 鈴木君と佐藤君』の文庫版第1巻が、書店で問い合わせたら「品切れ重版未定」だってんだから。第1巻だけっすか!?
 連載リアルタイムの A5判も、10年前の新装版もコンビニ版も現在はとっくに絶版ですからね。

 なんということでしょうか。天下の『GANTZ 』の作者である奥浩哉の出世作が新品で全巻入手できないとは! 日本はマンガの黄金郷ではなかったのか。
 いや、そんなに世をはかなまずとも、アマゾンで注文したら安い値段で第1巻は買えるんですけどね。


 結局、ひとまず私がかき集めることができた奥先生の『変』の陣容はこんなものとなりました。

2000~01年に出版された新装版の第2~4巻と、2006年に出版された文庫版の第2巻と9巻

 バラッバラ! もう1回言っときましょう。バラッッバラ!!


 これだと、奥先生の『変』のうち「鳥合くん」ヴァージョンと「ちずるちゃんとあずみちゃん」ヴァージョンが読めないし、残る「鈴木君と佐藤君」ヴァージョンだって、超重要な序盤の第1~13話と、新装版第2巻と文庫版第2巻とのはざまに拾い忘れられてしまった第28話が読めません。その代わりにと言ってはなんですが、最終話とラス前の第113話はカブッているので2回たのしめます。

 まいったねぇ。こんなことで、奥先生の『変』ワールドを堪能することなんてできるのだろうか。っていうか、私があの時ビックラこいたページにたどりつくこと自体できるのか!?


 とにかく、なかば見切り発車で途中から読み始めることとなった『変 HEN 鈴木君と佐藤君』だったのでありますが、その結果は、「案の定....」と「意外!」とが拮抗するすてきな体験となったのでありました。

 ということで、字数がかさんできましたので、この続きはまったじっかい~。


 やっぱ、印象だけからの食わず嫌いはイカンよ、うん!
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