長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

1977年の『八つ墓村』(監督・野村芳太郎)って、一体なんだったんですか?  「ふたりはプリキュア~」の章

2012年11月14日 23時13分38秒 | ミステリーまわり
 ええっ! も、森光子さんが!? 
 みなさまどうもこんばんは、そうだいでございます……今日も一日、お疲れさまでした。

 お元気に舞台復帰に向けてトレーニング中だって聞いたばっかりだったのに……ご冥福をお祈りいたします。
 まさかとは思いますが、おのれに課したトレーニングが過酷すぎたのでは……もしそうなのだとするのならば、これはまさしく「舞台の上で斃れる」こととまったく同価値な、プロフェッショナルの鑑ともいうべき退場の姿なのではなかろうか。
 そんな勝手気ままな妄想をしつつも、2012年という年にまたしても偉大なる先達が去っていったことに感慨をいだいている私でございます。生きる者は、必死に生きなくちゃなんねぇわな!


 さてさて、話題はガラッと変わりまして、このごろの我が『長岡京エイリアン』では、今さらながら35年前の金田一耕助映画にねちねちうつつを抜かしておるわけなのですが、21世紀の世間ではこんなニュースが。


山田涼介主演『金田一少年の事件簿』、新春放送へ
 (読売 ONLINE 2012年11月9日の記事より)

アジアのトップ・アイドルが競演、香港を舞台に国際的なスケールで展開する『金田一少年の事件簿 香港九龍財宝殺人事件』

 アイドルグループ「Hey!Say!JUMP」の山田涼介(19歳)主演で制作が進んでいる『金田一少年の事件簿 香港九龍財宝殺人事件』が、日本テレビ開局60年特別番組として、来年2013年新春に放送されることが決まった。大規模な香港ロケを敢行、アジアのトップスターが顔をそろえたドラマということもあり、アジア各地で、日本テレビとしては史上初の同日放送を実施する予定。

 実写ドラマ版の『金田一少年の事件簿』シリーズは、1995年に「 KinKi Kids」の堂本剛(当時16~18歳)の主演で放送された第1シリーズが平均視聴率23.9%を記録する大ヒットとなり、翌1996年には第2シリーズ、1997年には初実写映画化された。2001年にはキャストを一新、「嵐」の松本潤(当時17~18歳)主演で第3シリーズ、2005年には「 KAT-TUN」の亀梨和也(当時19歳)主演で TVスペシャル版が放送された。今年、原作マンガの連載が20周年を迎えたことから、その記念として今回の TVスペシャルが制作されることになった。
 今回、主人公である4代目の「金田一一(はじめ)」役に山田涼介を起用したほか、物語の舞台を香港として現地でロケを実施。台湾のスーパーアイドルグループ「飛輪海(フェイルンハイ)」の元メンバーで、台湾版『花ざかりの君たちへ』などの主演で日本でも人気のウーズン(呉尊 33歳)、韓国のアイドルグループ「BIGBANG」のV.I(21歳)、日本のドラマへの出演は11年ぶりとなるビビアン・スー(37歳)、香港映画『インファナル・アフェア』シリーズ(2002~03年)のエリック・ツァン(59歳)など、豪華な俳優陣をそろえている。
 また、日本人の共演者は、ヒロイン・七瀬美雪役に、ドラマや CMなどで活躍する川口春奈(17歳)、一の頼れる後輩・佐木竜二役に「Hey!Say!JUMP」の有岡大貴(21歳)のほか、桐谷健太(32歳)も出演する。

 主演の山田は、「ずっと見てきた作品で、金田一一役をやらせていただけるとは思わなかった。歴史のある作品に携われて光栄です。」と語る。香港ロケについては、「映画でしか見たことないような街並みで、ジャッキー・チェンの世界に飛び込んだみたいでした。撮影は慣れない環境で正直大変でしたが、いい作品になっていると思います。」と話し、アジアのトップスターとの共演については「言葉の壁は全然感じなかった。カメラが回っていないときも、ボディーランゲージで各国のドラマの撮り方の違いを話し、和気あいあいと過ごしていました。壁を越えられるということが、このドラマを見てもらえれば伝わると思います。日本にとどまらず、アジアのスターと一緒にそれを感じられるのが光栄です。」と話している。


 Hey!Say!JUMPのみなさんって、けっこう大人なのね……あのビビアンさんも、もう37歳におなりんさるのね。

 あの~、お孫さんは別にどうでもいいです! いいからおじいちゃんの方を映像化してください!!
 もう、こちとら7年も待ってるんですからね……いや、もう TV持ってないから、特にそんなに真剣に渇望してるわけでもないんですけどね。
 でもさぁ、高望みを言わせていただければ、ぜひとも銀幕にカムバックする金田一耕助の勇姿が観たいですよね! 森田芳光監督の金田一シリーズが本当に観たかったです……求む、新世代の金田一耕助&監督さま!! 『本陣』が観たいな、『本陣』。


 さぁ、そんなキャピキャピしたホットなニュースはうっちゃっておきまして、今日も今日とて1977年の『八つ墓村』についてでございます。
 いや~、もう3回目になっちゃいましたよ! ほんとは前回までの前後篇でおしまいにしたかったんですが、例によって本編のダイジェストに字数をついやしすぎてしまったために、まとめが今回に持ち越しになってしまいました……このショートカットのできなさこそが、『長岡京エイリアン』。
 前後篇のつもりだったから、サブタイトルも小竹さんと小梅さんにしたのにさぁ! おかげで今回のサブタイトルがご覧のありさまですよ!! なんてこったい My Brother 。

 そんなこんなで前置きが長くなってしまいましたが、ちゃっちゃと1977年の『八つ墓村』のまとめに入っちゃうことにいたしましょう。気がつけばもう、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 Q』の公開もさしせまってきてんのよ~!?


 前回にそんな感じの、「自分なりになるべくしっかりと整理したつもり」のタイムスケジュールを作ってみたことから私が強く感じたのは、この1977年の『八つ墓村』という作品が、見事なまでに「大作映画の衣を着た趣味のよろしくない映画」だった、ということです。
 しかも始末が悪いのは、他の大作映画のように緩急、盛り上がりどころがエンドロールにいたるまでかなり精巧に計算されていることからもわかるとおり、ちゃ~んと「まともな作品」を作る腕がガッチリ仕上がっているメンバーが、奇をてらったり観客をだますなどという軽いノリではなく、本気で! 時間と予算と全精力を傾注して! 「ひどすぎる映画」を作っちゃってるというところなんですな。まさしくこれは、百獣の王ライオンが120% のハイテンションをもって紀文のはんぺんに挑みかかっているかのような、あまねく観る者に相当な衝撃と感動と残念さをもたらすものとなっているのです。心のうちふるえるバカバカしさですね。

 1977年当時、『八つ墓村』の製作スタッフが、そして「これから『八つ墓村』っていう映画が公開されるみたいだよ~。」という情報を耳にしていた映画封切り前(これもずいぶんと古臭くなっちゃった日本語ですねェ~!)の日本国民のほとんどが、この作品と比較する過去の作品としてすぐさま連想したのは、やはり昨年に公開されて大ヒットとなった、一連の「金田一耕助ブーム」の実質的なきっかけとなった市川崑監督による角川映画第1作『犬神家の一族』(1976年)。そしてなんと言っても、『八つ墓村』の「監督・野村、脚本・橋本、音楽・也寸志」というトライアングルにとっては前作にあたり、3年前に公開されてこれまた大ヒットしていた、日本映画史上に残る名作と今なおたたえられる大作『砂の器』(1974年 原作・松本清張)。この2作だったのではないでしょうか。どっちも相手にとって不足のないビッグタイトル!!

 まず『犬神家の一族』にかんして言いますと、前にも触れたとおり、メジャー映画としては1970年代以降の「金田一ジャンル」に先鞭をつける最初の記念碑的存在となった本作は、すでに「配給収入13億円」という大記録を打ちたてていました。
 この「配給収入」と、現在よくメディアで公表されている「興行収入」というそれぞれの数値のちがいは、すでに何回かまえのコメントで言ったので省略してしまいますが、「1976年に公開されて配給収入13億円をかせいだ映画」は、私そうだいなりのざっくりした計算法で換算してしまいますと、「2012年に公開されて興行収入33億円をかせいだ映画」と同じくらいの観客動員規模の大ヒットとなったということになりますね。1976~77年当時は映画のチケット料金が現在の「3分の2」だったんですって! 夢のようですわ……
 脱線ついでに言いますと、以上のような私の強引グマイウェイな比較でいくのならば、『犬神家の一族』は今年公開の邦画でいう『 ALWAYS 三丁目の夕日'64』、『八つ墓村』は『 BRAVE HEARTS 海猿』くらいの大ヒットとなっていた、ということになります。ピンとこねぇ~!! ちなみに、今年11月の時点では、『海猿』を超える大ヒットを記録した邦画は『テルマエ・ロマエ』の「58億円」ただひとつです。意外なことに、日本国内にかぎった興行収入では洋画も『メン・イン・ブラック3』の「31億円」が最高となっています。邦画も洋画も今年はそれほどのオバケ作品は無かった、ということになるのでしょうか。『Q』はどうなるかしらねェ~!?

 それはともかくとして、ブームのとっかかりとして充分すぎるインパクトを残した『犬神家の一族』での「崑ちゃん&兵ちゃん(石坂浩二)」コンビは好評によりシリーズ化されることとなり、1977年には『八つ墓村』が公開されるまでにすでに、東宝で名作『悪魔の手毬唄』と迷作『獄門島』がポンポンと公開される事態となっていました。それにくわえて TVの世界では毎週、古谷金田一がいろんな事件に挑戦中! はっきり言って、「他の金田一作品と比較されないほうがおかしい」金田一イヤーになっていたというわけなのです。

 こういったアウェー状態に松竹の『八つ墓村』は、一体どういった攻勢を仕掛けたのか? これはもう、それらに対しての徹底的な「差別化とエクストリーム化」だったのではないのでしょうか。

 差別化というところからいくと、なんと言っても無視できないのは、『八つ墓村』が物語の時代設定を原作小説どおりの「戦後まもなく」ではなく、作品の製作された「1977年現在」においているということです。
 もちろん、長い金田一ジャンルの歴史の中では1975年公開の映画『本陣殺人事件』(監督・高林陽一、主演・やせてる中尾彬)や、『八つ墓村』とおなじ1977年に『土曜ワイド劇場』で放送された怪作『吸血蛾』(主演・愛川欽也)のように、当時の現代に舞台をアレンジした作品も少なからずあるわけなのですが、『本陣殺人事件』は ATG映画だったために全国規模でのヒットにはつながらず、「洋服を着た金田一耕助」というものがどうしても和装の原作準拠型に勝てない風潮はすでにブーム当初からわだかまっていました。結局のところ、金田一ジャンルに観客が期待していたものは、発生する殺人事件のミステリー作品としてのクオリティもさることながら、「下駄履きで袴姿の金田一耕助」や「謎の傷痍軍人」や、「空襲跡地の荒野」や「戦争が引き起こした悲劇」というなつかしいキーワードがあふれている、「日常を忘れる風景と明解な事件解決が用意されている定型時代劇」としての娯楽性だったのかもしれません。

 だが、しかし! 1977年の『八つ墓村』にとっては、そんなことは知ったことじゃなかったのです。

 まず、松竹版の『八つ墓村』は原作小説が設定していた「1940年代」という時代を意図的にスルーして、そこをはさんでかろやかにバンブーダンスを踊るかのように、かなり昔すぎる「戦国時代」と「1977年」とを行ったり来たりしているのです。ここはもう完全に確信犯的なのですが、「矢傷をおった尼子義孝と落ち武者ーズ」のショットの次に「大轟音を響かせながら国際空港を往来するジャンボジェット」のショットが来るというムチャクチャなシーン構成が、この『八つ墓村』ではご丁寧にもプロローグとエンディングの両方に用意されています。要するにここからは、他の金田一作品はどうだか知らないが、俺たちの『八つ墓村』にかぎっては「あぁ、この時代かぁ~。なつかしいね。」などという安住の地は観客には与えないぞというものすごい闘志が垣間見えるわけなのです。計算してバランスが崩されているわけなんですね。
 現に、作品はこれらの「戦国時代」と「1977年」のほかに、ちゃんと「多治見32人殺し」が発生した「1940年代後半」という時間軸のシーンもあったはずなのですが、白塗りに着物姿、2本ざしの懐中電灯に散弾銃に日本刀という時空を軽く超越したいでたちになった山崎努が、桜の花びらが大量に舞い散る中を疾走してくるイメージに占領されてしまったこのシーンは、わざと「終戦直後」というキーワードをガン無視した「リアリティのなさ」に埋め尽くされています。ここでの山崎さんの怖さはもう、フランス人にもケニア人にも通用する普遍性があるでしょうよ……ミナ、ニゲテー!!

 もうひとつ、これも有名なお話なんですが、この『八つ墓村』は「ミステリー」という原作小説内での不可欠な魅力的要素をわざと軽量化して、かわりに「ホラー」要素をドクドクとつぎ込んでしまいました。この輸血効果によって、作品は本来の横溝正史の作風にあったはずの「数学的な犯罪計画の展開」という部分が大幅に消えてしまったという感が大きいです。高校数学の教科書を楳図かずお先生がマンガ化しちゃったって感じ? ギャー!! 頭に入ってこない……
 「ホラー」要素をこれでもかってくらいにつぎ足していたのはもう、前回の記事を見てもわかるように、多治見要蔵パートと落ち武者ーズのみなさんパートの功績ですよね。ところで完全に脱線しますが、史実の戦国大名・尼子家は確かに毛利家によって崩壊させられているのですが、当主(尼子義久 江戸時代まで生存)じたいは毛利家の厳重な保護下に置かれることとなったために、せまい意味では尼子家は「滅亡してはいません」。映画の中での尼子義孝たちの苦労って、いったい……

 でも、もし自分が主人公の辰弥さんの身になったらって考えてみると、やっぱりクライマックスに鍾乳洞の中でえんえんと追いかけられるハメになる「真犯人」パートがいっちゃんこえぇわ!! なんなんでしょうか、あのどぎつい変身メイク……

 つまるところ、1977年の『八つ墓村』は当時の懐古感をまったく喚起しない「現在そのもの」と「戦国時代」と「どの時代でもいい恐怖」というあたりをそろえることによって、スタイリッシュな時代劇のようになっていた「石坂金田一シリーズ」「古谷金田一シリーズ」とはまるで違った場所に作品の見どころを置く作戦を選んだというわけだったのです。
 ただし、そのために21世紀になってすでに10年以上の時がたってしまった今現在の視点から観れば、「終戦直後」を舞台にした他の作品よりも、それから30年くらい未来になっているはずの「1977年」のほうがよっぽど古臭くて、泣けるほどなつかしい風景に彩られているという事実を、野村芳太郎監督は果たしてどこまで予見していたのでしょうか……少なくとも、私そうだいはこういった違いから、他のどの『八つ墓村』よりも、この1977年の『八つ墓村』が大好きなの! あざやかな青い空と白い雲、緑の大地と真っ暗な家屋の中。色彩感覚ゆたかな真夏の蒸し暑い田舎、万歳。

 それから、もうひとつの「石坂金田一シリーズ」との差別化ポイントとして、どうしても見逃すことができないのは、なんてったってエグいにもほどがある「殺人シーンの過激さ」ですね! 最初の井川丑松にしろ中盤の工藤校長にしろ、胃の中のものをぶちまけすぎです……あと、戦国時代の落ち武者ーズ皆殺しにしろ多治見32人殺しにしろ、40年近く前の製作であるために多少は撮影技術に安っぽさがあるものの、後味が悪すぎる死亡シーンが全編にわたって展開されています。なぜ井戸に突き落とす……
 この過激さはもう、間違いなく「石坂金田一シリーズ」の残酷な殺人シーンを意識して負けじとボリュームアップさせた『八つ墓村』製作スタッフの意地だったのではないのでしょうか。
 東宝の石坂シリーズの方はもう、生首を菊人形の中に飾るわ、死体を逆さにして湖につっこむわ、じょうごをくわえた死体が滝つぼに浮かんでるわ、倒れてきた寺の鐘の重みで娘さんの首は勢いよく吹っ飛ぶわというパンキッシュ・キルのオンパレード! もうムッチャクチャです。

 あと、これは舞台裏の話ですが、本来ならばこの松竹の『八つ墓村』こそが、当時カリスマと呼ばれていた角川書店の若き社長・角川春樹が発足した「角川春樹事務所」による角川映画第1作になるべき作品だったのですが、松竹と角川春樹事務所とで折り合いがつかなくなったために角川さんのほうが撤退、その結果として実際の第1作となったのが東宝の『犬神家の一族』だった、という因縁の経緯もありました。
 製作の開始自体は、『八つ墓村』のほうが早かったんですか……野村監督のじっくりスタイルと市川崑監督のさっさか早撮りスタイル、どっちに驚いたらいいんだかわからねぇや、コンチクショウメーイ!

 ところで、ここで忘れてならないのは、作り物の生首だのヘンな凶器だのとやたらガジェット感覚のある小道具が先に立っていた「石坂金田一シリーズ」にくらべて、『八つ墓村』の方は、もがき苦しむ被害者の演技や表情に残酷さの比重が大きくかかっていたということです。観てください、あの加藤嘉さんや下條正巳さんのダイナミックな死にざま! お2人とも当時の段階で60代なんですよ!? 尼子義孝役の夏八木勲さんもものすごいメイクではありましたが、そのインパクトの本質にあるものは間違いなくご本人のアツすぎる演技魂です。
 この残酷さだけに関しては、映像の古臭さが石坂シリーズと『八つ墓村』とで逆転しているような気がしますね。時間がたつにつれて作り物感が強まっていく石坂シリーズのショックシーンにくらべて、『八つ墓村』はその核に生身の人間の苦しみがちゃんと入っているから、いつ観ても目を背けたくなるような禍々しさがあるのです。
 それから、ここまで製作スタッフが殺人シーンに力を入れたのにはもうひとつの理由があるような気が私はしていまして、それは、よくよく考えてみれば、『八つ墓村』における連続殺人事件の殺害方法が「毒殺」か「絞殺」のどっちかしかないという地味さがあったからなのではないかと思うんです。横溝ワールドにおけるだいたいの事件では、被害者によくわからないポーズをさせたりヘンな物を持たせるという「見たて殺人(死体になにかの伝説や歌詞を連想させるメッセージ性を持たせること)」が出てくるのですが、『八つ墓村』にかぎってはそういうハデな殺人がいっさい出てこないんですよね! 犯人はかなり現実志向な人間のようでありまして、殺せるのならば田舎のお医者さんからかっぱらてきたネコイラズかそれじゃなきゃロープでいいや、という感じなんですよね。まぁそのぶん、戦国時代から数えれば物語の中では実に「51名」もの人間が死亡している(八つ墓村に到着する前に死亡した落ち武者や病死した井川鶴子はのぞく)という『八つ墓村』は、他の作品には類を見ない大量殺人グラフィティになっているんですが……


 さて、そんな1977年の『八つ墓村』が、『犬神家の一族』と同じかそれ以上に強く意識していた作品なのではと私がにらんでいるのが、『八つ墓村』とほぼ同じ製作スタッフでつくられた前作『砂の器』(1974年)です。

 この『砂の器』はもう、今となってはキワモノっぽさに彩られた『八つ墓村』とは、ちょっと比較にならないほど高い次元に置かれて称賛されている「ごくごく正統派な感動の名作映画」と定義された感のある作品であるわけなのですが、野村監督による役者の名演をじっくり写し撮っていく演出、橋本忍による単純明快でありながらも多くの「生きた人間の味わい」が交錯していく重厚な脚本、そして、物語をサポートするどころか、むしろ先頭に立って物語を牽引していく芥川也寸志による饒舌な音楽といった3つによるポリリズムは、たしかに『砂の器』と『八つ墓村』が表裏一体の「兄弟関係」にある作品なのだということを物語ってくれています。PERFUME もかくやというこの3人のコンビネーション!

 とは言っても、『八つ墓村』は『砂の器』の完全なネガという関係になっており、その最たる例としては、『砂の器』のクライマックスであれほどの感動の演技を見せた加藤嘉さんが、細かい点では違いはあるものの、「肉親との久々の再会」という同じシチュエーションでありながら、『八つ墓村』のオープニングではあっという間におっ死んでしまうという、意地悪にもほどのある演出があげられます。ひどいね~! これには当時の観客のみなさんもビックリでしたでしょう。
 また、加藤さんに限らず、主演陣こそガラリと変わってはいるものの、この2つの映画には渥美清、花沢徳衛、山谷初男、島田陽子らといったぐあいに、共通して出演している役者さんがたが多いです。見比べてみるとおもしろいんだ!

 ともあれ、『八つ墓村』は『砂の器』の成功を逆手に取って、「あの感動の大作を撮ったスタッフが再結集!」という前情報からくるギャップの甚大さをこれでもかというほどに大爆発させたものすごいビックリ作になりおおせたわけなのでした。
 もうひとつ、実は『砂の器』は原作者の違いもあってか、発端や中盤の「殺人そのもの」のシーンは意図的に描写されておらず、全編にわたって捜査開始から犯人逮捕の寸前にいたるまでの「警察主観のなめ撮り」に終始しています。クライマックスの「真犯人の過去」も、主人公の刑事(演・丹波哲郎!)の語りが主体になって展開されるというていですね。
 それに比較すれば、殺人シーンをてんこ盛りにしてわざと物語の時間軸や視点をとびとびにした『八つ墓村』が、いかに『砂の器』を強く意識したものであるのかがわかるのではないでしょうか。
 感動の名作『砂の器』の「裏コード THE BEAST」こそが、この『八つ墓村』だったというわけなんですね! まさしく小竹・小梅姉妹のような「白と黒」の双生児の関係なんですなぁ~、ってまとめかたは、強引すぎ!? ぷりっきゅあ~、ぷりっきゅあ~♪


 あ~もう、とにかく言いたいことがひっちゃかめっちゃかになるわ、日常生活が忙しくて更新が遅れるわでずいぶんとのびのびになってしまった今回のお話だったのですが、この記事を読んでいて、まだ1977年の『八つ墓村』をご覧になられていない方って、いらっしゃいますかね? もしいたら、悪いことは言わないから1回、観てみてください! 「多治見32人殺し」のシーンに入るときの唐突さが本当にものすごいです!! ひどい映画でいいじゃないか、本気でひどさを追究しているんだから!! おすすめで~す。

 ちょっとだけの出演でしたけど、大滝秀治さんの演技もすばらしかったね。あのこまかすぎる演技プラン! その生産性をねらわないこだわりこそが、名優の証拠よ~! 「石坂金田一シリーズ」ではついに観られることのなかった「役者馬鹿っぷり」がよくわかります。


 余談ですが、執筆して30年も経過した自分の作品が、似ても似つかないホラー映画に作り変えられて公開されて、しかもそれが全国的なフィーバーの中心になっちゃったという1977年当時の横溝正史先生のお気持ちは、どんなもんだったんでしょうかね……ほんとに浦島太郎みたいな奇妙な感覚だったのかもね。器が本当に大きかったという先生のことですから、こうなったらもう「私の作品と違うぞ!」などといちいち怒る気分にもならなかったんでしょう。他の金田一映画では「役者として出演」すらしている横溝先生なのですが、人生の秋を楽しみつくしてやろうという最高な笑顔がいたるところで拝見することができます。



《1977年の『八つ墓村』のために製作された予告編の1ヴァージョンにおさめられた、野村監督と横溝正史との会話より》

横溝 「やっぱ、あの時代にしたわけですか。あの、原作の時代に。」

野村 「いえ、あの、松本(清張)さんのイメージで、話はやっぱりこう、完全な現代に持ってきたんです。」

横溝 「あぁ、そうですかぁ。」

野村 「で、問題は金田一耕助で……」

横溝 「それでも、渥美(清)さんなら大丈夫。あの人も、芝居はうまい人ですからねェ。」



 おおらか~♡  横溝ワールド、サイコ~!!
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1977年の『八つ墓村』(監督・野村芳太郎)って、一体なんだったんですか?  「ハイ、小梅さんや」の章

2012年11月10日 22時23分21秒 | ミステリーまわり
 どひ~っ! どうもこんばんは、そうだいでございます。みなさま、土曜日の今日も働いていましたか? お疲れさまでございました……
 いや~、この1週間、私は非常に忙しかったです。まだ、明日もたっぷり働きづめの予定になっているんですが、もうひとふんばりで休みもあるしお給料もいただけるということで! かなり疲れますけど、働く現場が楽しいということは素晴らしいですな。

 最近は深夜2時ごろに寝て朝6時前後に起きるという生活パターンになってきております。こういう感じになってくると、人それぞれかとは思うんですが、私という人間がいかに「睡眠が好きなタイプ」だったかということがわかってきておもしろいですね。食事とかお風呂とか遊びとか、ストレスを発散する手段はいろいろあるんですが、私はやっぱり寝る時間が確保できるのが最高の順位になっているんですよね。
 「何時までに起きなきゃいけない」っていうしばりがない睡眠、最高ですね~!! 今のところ、そこまでたっぷり休みをとる予定は、ない! まぁ、それは高望みですね~。

 先日、1歳ちょっとのお子さんがいる親友に会いに東京に行きました。ちょうど保育園に行ってお子さんを連れて帰るのにも同行したんですが、まだ日本語はしゃべらないけど「あ~あ~う~う~」一生懸命になにかを伝えようとしているその姿勢……感動してしまいますな!
 その帰りに、地下鉄高田馬場駅ちかくの名画座「早稲田松竹」で、今週いっぱいしか上映していない映画『桐島、部活やめるってよ』を観に行こうとしたのですが、上映10分前に到着したら「立ち見まで満員」で門前払いをくらってしまいました。あそこ、最終上映は「800円」という安さですからなぁ~。無念! あれ、場内を埋めてたのほとんど、早稲田大生だったんじゃないの!? もっと早く行っておけばよかったわぁ。


 さてさてそんなわけでして今回は、映画は映画でも『桐島』とはまるでテンションの方向性が違う、昭和のトンデモ映画『八つ墓村』(1977年)に関するあれこれの後編にうつってみたいと思います。

 ほんじゃさっそく、前回に予告したここからいってみましょうかねぇ!


ドキッ☆ 1977年の『八つ墓村』 たたりだらけの本編タイムスケジュール

0~2分 プロローグからタイトルロール
 永禄9(1566)年秋、戦国時代の中国地方
 毛利家に敗れた戦国大名・尼子(あまご)家の武将・尼子義孝(演・夏八木勲)と7人の家臣が命からがら、山奥のひなびた村落(のちの八つ墓村)にたどり着く描写
 村落を背景に赤字ででかでかと「八つ墓村」というタイトルが映し出され、芥川也寸志による郷愁に満ちたテーマ曲が流れる

2~5分 1977年7月の東京・羽田空港(成田空港はまだ開港してませんでした!)
 空港でマーシャラー(航空機誘導員)として働いていた青年・寺田辰弥(演・萩原健一)に、上司が「新聞の人捜し欄に君の名前が出ていた」と告げ、辰弥は自分を捜しているという諏訪啓弁護士(演・大滝秀治)に会うために大阪に向かう
 ※このときの新聞の記載によると辰弥は「昭和22年3月16日生まれ」であり、多治見要蔵の「32人殺し」が発生したのは1949年の春であるため、辰弥は2歳になるまで八つ墓村に住んでいたということになる

5~10分 大阪の諏訪弁護士事務所
 諏訪弁護士の面談によって、辰弥が諏訪に人捜しを依頼した岡山県の資産家・多治見家の捜している人物に間違いないことが判明する
 辰弥は多治見家の使いとして大阪にやって来た祖父・井川丑松(演・加藤嘉)と面会するが、丑松は会った直後に血を吐いて死亡してしまう(第1の殺人)
 ※ここでの諏訪弁護士の発言やのちの森美也子のセリフから、八つ墓村は2~3年前の町村合併にともない行政上は消滅し、現在は「岡山県阿哲(あてつ)郡三田村川上」(岡山県北西部で鳥取県と接する)という地名になっていることがわかる(ただし、現地の住民はまだ一般的に「八つ墓村」という呼称を使っている)
 ※丑松役の加藤嘉はろくなセリフもないまま登場して5分後に死んでしまうが、その死亡シーンはこまかいカットごとに「白い食べ物」「茶色い胃液」「赤い血」を吐くという異常なこだわり方を見せている
 ※諏訪弁護士役の大滝秀治は同時期に公開されていた市川崑監督の「石坂金田一シリーズ」の常連俳優でもあったが、そちらでの間の抜けたユーモアのある演技とは打って変わって、こちらでは冷静沈着で理知的な弁護士を演じている(大滝は1996年の市川版『八つ墓村』には出演していない)

10~17分 辰弥、八つ墓村へ
 大阪府警の捜査によって丑松の死は硝酸ストリキニーネによる毒殺であることが判明するが、辰弥は多治見家の意志により予定通りに八つ墓村に向かうこととなる
 丑松に代わる多治見家の使いとして、多治見家の分家で村の有力者の森家から、当主の息子(故人)の未亡人である森美也子(演・小川真由美)が選ばれる
 森美也子は商船貿易の事業を経営しており、商用で神戸に来ていたために辰弥の付き添いを任されることとなった
 ※八つ墓村は国鉄伯備線の備中神代(びっちゅうこうじろ)駅が最寄で、駅から車で移動した山奥にあるという設定になっている
 ※岡山に向かうまでのエアコンのないすし詰めの国鉄電車や、黄色い公衆電話などの風景がいちいち昭和ですばらしい

17~29分 八つ墓村と多治見家
 八つ墓村に到着し、美也子から莫大な山林の権利を所有する資産家・多治見家のことなどを聞く辰弥
 ※セリフの内容から、森美也子自身は八つ墓村の出身ではなく多治見一族との血縁がないということがわかる
 不吉な空気を予感させる芥川の音楽が流れるなか、多治見家に向かう辰弥たちの前に村の狂女・濃茶の尼があらわれ、「八つ墓明神はお怒りじゃ、今に血の雨が降るぞ!」と不気味極まりない予言を叫ぶ(第1のたたりじゃ~!)
 ※濃茶の尼は村人からも「完全に頭がおかしい」と馬鹿にされており、この時点では村中の笑いもの扱いになっている
 辰弥は石垣づくりのいかめしい多治見家の屋敷に到着し、病床の当主・多治見久弥をのぞいた多治見家の面々と顔を合わせる
 辰弥自身は挨拶だけをすませて東京に帰るつもりだったが、多治見家の実権を握っている双子の老婆(多治見小竹・小梅)は、辰弥に多治見家の次期当主になってもらうように強く要請する
 現在の多治見家には、辰弥の母ちがいの兄・久弥と姉・春代、3人の大大伯母にあたる小竹・小梅姉妹がいるが、久弥は重病で瀕死の状態であり、春代は子宮摘出手術を受けたことが原因で嫁ぎ先から離縁されてきていた
 ※森美也子とならぶヒロインである多治見春代役の山本陽子さんがものすごい美人! 小川さんはちょっと化粧が濃い……
 辰弥は、幼いころに母から「辰弥の生まれた場所」だと聴かされてきた「龍のあぎと(顎)」という名前の土地が村のどこにあるかを尋ねるが、美也子も春代も知らないと答える

29~32分 母の夢
 辰弥はその夜、死んだ母の思い出がないまぜになった夢を見るが、自分に激しい虐待を加える見知らぬ父の姿を思い起こしてうなされる
 ※この夢のシーンで流れる芥川音楽も幻想性に満ちていて非常に印象的
 深夜に目を覚ました辰弥は、偶然に庭の土蔵に入っていく小竹・小梅姉妹の姿を目撃する

32~34分 井川丑松の葬儀
 翌日、村内で井川丑松の葬儀がとりおこなわれるが、式の最中に濃茶の尼と、多治見家に強い不満を持つ村人の片岡吉蔵が乱入し、「辰弥が村にい続ければ、必ず八つ墓明神のたたりで次の死者が出る」と主張する(第2のたたりじゃ~!)
 この時点でも、村人のほとんどは濃茶の尼の予言に動揺する気配はない

34~36分 八つ墓明神の墓所
 葬儀の後、辰弥は濃茶の尼が言っていた「八つ墓明神のたたり」の意味を美也子に尋ね、美也子は辰弥を、村はずれの小高い丘の上にある荒れ果てた神社跡に連れて行く
 神社跡に行くと、そこにはすでに麦わら帽子によれよれの白い夏背広姿の見知らぬ中年男がおり、「八つ墓明神の由来は私も知りたい」と、美也子の話を聞かせてほしいと申し出てくる
 神社跡は整備されなくなってからだいぶ時間が経過していたが、そこにある8つの石塔こそが「八つ墓明神」であり、それはかつて戦国時代にこの村に落ち延びてきた8人の尼子家の落ち武者の墓だと美也子は語る

36~42分 落ち武者狩り
 ここで場面は再び戦国時代にもどり、いったんは落ち武者たちと親密な関係になった村人が、毛利家の強い圧力と莫大な報奨金のために、夏祭りの場に8人をまねいたすきに毒薬を飲ませて皆殺しにするという凄惨なショックシーンが流れる
 ※焼いたり刺したり首切ったり……もうグロテスクきわまりない集団殺人が展開されるのだが、それに輪をかけて、死にかけた武将・尼子義孝が「お前ら(村人)全員の血筋が絶えるまでたたり続けてやる!!」と絶叫する義孝役の夏八木勲の演技が悪ノリにもほどがあるハイテンションぶりでとんでもない(だって、顔は白塗りで目にはブルーのカラコンよ!?)
 ※落ち武者の1人を演じる田中邦衛は、毒薬の入った酒を飲んで気分が悪くなり嘔吐するという演技をしていたが、その彼がのちに「食べる前に飲む!」の大正漢方胃腸薬の CM(1988~95年放送)で世間の絶大な支持を受けることとなったことを考えると、非常に興味深い
 ※完全に余談だが、この『八つ墓村』で落ち武者を演じた夏八木と田中は、のちにそれぞれ別の映画作品で、金田一耕助ものには欠かせない名サブキャラクターである「等々力大志警部」役を演じることとなる。ど~でもいいですよ~だ

42~49分 多治見家当主・久弥
 多治見家の屋敷にもどった辰弥は、多治見家の親族である久野医院の久野恒三郎医師や美也子の義父にあたる森荘吉らの挨拶を受け、病床の兄・久弥に初めて面会する
 重い病の身の久弥は健康な弟の辰弥に多治見家の全財産をゆずると宣言するが、病気の常備薬を飲んだ直後に血を吐いて死亡してしまう(第2の殺人)
 ※山崎努が演じる多治見久弥は、登場して3分後に死亡というかなり不幸な役回りとなるが、山崎の目の光り方が尋常でないために、観客に強いインパクトを残してくれる。いい仕事だ……

49~56分 金田一耕助と磯川警部
 多治見久弥の葬儀は翌々日(辰弥が村に来て4日目)にとりおこなわれることになったが、この時点でも八つ墓村の住民は「たたり」という風聞には懐疑的であり、若者には笑って冗談にする余裕も残っている
 多治見久弥の葬儀の最中に岡山県警の磯川警部(演・花沢徳衛)と矢島刑事(演・綿引勝彦)らが現れ、「多治見久弥の死に殺人の疑いがあるため司法解剖する」と宣言して土葬されるはずだった久弥の遺体を回収する
 辰弥と美也子は、磯川警部といっしょに現れた八つ墓明神の麦わら帽子の中年男に驚き、ここで初めて、この男が私立探偵の金田一耕助(演・渥美清)であるということが判明する
 磯川警部と金田一の会話から、多治見久弥の死を毒殺だと推測して警察に働きかけた人物が金田一その人であることがわかり、この段階での金田一の発言力の大きさがうかがえる
 ※原作どおりの1940年代ではなく70年代であるということで、和服の金田一も洋服姿になって今風にアレンジされているはずなのだが……なんでいっそう古臭く見えるのだろうか!? さすがは渥美清

56~61分 洞窟と武者姿の屍蝋死体
 その夜、眠れない辰弥は深夜にまた小竹・小梅姉妹が土蔵に入っていくのを目撃し、翌日(5日目)に1人で土蔵に忍び込んで、そこが地下の広大な鍾乳洞につながる秘密の入り口になっていることを発見する
 鍾乳洞に踏み込んだ辰弥は、迷路のように入り組んだ広大な空間の一角で、ミイラ化した死体が甲冑を着て祀られているのを発見して驚愕する
 屋敷に逃げ帰った辰弥は、たまたま居合わせた姉・春代とともに再び武者死体のもとに行くが、春代はその死体が自分たちの父親である多治見要蔵のものであると断定し、28年前の春に村人32人を惨殺して行方不明になった要蔵を小竹・小梅姉妹が秘密裏に殺害してここに隠していたのではないかと、多治見家にまつわる忌まわしい過去を初めて辰弥に語る
 ※ここでの回想シーンで、多治見要蔵が久弥・春代兄妹の実母である要蔵の正妻を斬殺するもようが一瞬だけ映されるが、そこで正妻を演じているのは当時人気絶頂だった超美人女優の島田陽子(当時24歳)である。島田さんクラスを妻にしていながらよその村娘に手を出す要蔵の美的センスはいったいどうなっているのだろうか……まさに狂気!

61~64分 多治見32人殺し
 ここで場面は1949年春の多治見要蔵による「32人殺し」のシーンとなる
 32人全員の殺害のもようは描かれていないが、白塗りのメイクで頭に2本の懐中電灯をさし、猟銃と日本刀を持って次々に老若男女見境なく村人を血祭りにあげていく要蔵の凶行は、このシーンが「たった3分」であるとは信じられないほどにインパクトが絶大
 鍾乳洞で静かにセリフを語る春代から、唐突に舞い散る桜を背景に要蔵がカメラに向かって疾走してくるショットに切り替わり、そのタイミングで芥川による壮絶な音楽が流れ出す演出も、見る者の度肝を抜くものすごさがある
 ※他の映像化作品や、このくだりのモデルとなったある実在の事件のイメージから深夜に発生した印象の強い「多治見32人殺し」だが、この1977年の『八つ墓村』では、村人がまだ全員目覚めていない早朝に起きたという設定になっている

64~72分 辰弥の出奔
 「自分の父親が大量殺人事件の犯人だった」という事実を隠していた多治見家に大きく失望した辰弥は、即日で東京に帰ろうと荷物をまとめて多治見家を飛び出すが、自分が多治見要蔵の息子であることから、濃茶の尼ら過去を知る村人たちの強い恨みをかう存在であり、さらに毒殺だと判明した丑松・久弥連続殺人事件の容疑者の1人として磯川警部にマークされているという事実に直面して途方に暮れる(第3のたたりじゃ~!)
 ※それほど重要な役ではないが、磯川警部について行動し、常に周囲の人間を眉毛のない鋭いまなざしでにらみつけている矢島刑事役の綿引勝彦さんの迫力がハンパない! その貫禄とドスのきいた低音で当時31歳!?
 疲労困憊する辰弥のもとに金田一があらわれ、「君は32人殺しの多治見要蔵の実の子ではない」という意味深な発言をし、疑問に感じた辰弥は自分の母・鶴子の実家である井川家を訪れて、丑松の甥の井川勘治(演・井川比佐志)にその真相を聞く

72~78分 辰弥の出生の秘密
 勘治の話によると、辰弥の母・鶴子は多治見要蔵に拉致されて強引に愛人にされてしまった後に辰弥を産んでおり、28年前の「32人殺し」は辰弥が自分の子でないと疑った要蔵が鶴子や辰弥に虐待を続け、そのために鶴子が辰弥を連れて逃亡したことが直接の原因だった
 ※このときの回想シーンで山崎努が見せる、多治見要蔵の井川鶴子への異常な愛情の演技が、ある意味で32人殺しのシーン以上にこわい! あの悪魔みたいな笑顔!! もう笑うしかありません
 さらに勘治は、村の小学校の工藤校長が「辰弥は多治見要蔵ではない別の人物と鶴子とのあいだに産まれた子である」と丑松に語っていたことを辰弥にうちあける

78~81分 工藤校長の出張
 辰弥はこの事実を森美也子に伝え、一緒に小学校の工藤校長(演・下條正巳)のもとへ駆けつけるが、工藤校長は岡山市での教育委員会の会議のために数日のあいだ村を留守にする出張に出かける直前であったため、辰弥の実父であるという人物の写真を見せただけで、詳しいことは帰ってきてからゆっくり話すと答えてそそくさと村を出発してしまう
 ※このシーンで、美也子の自宅の居間にある「巨大なレコードのオーディオセット」や「緑地に白の水玉模様のカバーのついた黒電話」といったなにげないアイテムがいちいち味わい深い

81~83分 磯川警部の捜査
 村の駐在所を拠点にして捜査を続ける磯川警部と矢島刑事だったが、駐在の新井巡査(演・下條アトム)が、今回の連続殺人事件が400年前の落ち武者のたたりによるものなのではないかと真剣に語りだすために当惑する
 ※いかにも気の弱い新井巡査らしいコメディシーンだが、それだけ「たたりのうわさ」が狭い村の中にじわりじわりと浸透してきているという変化がわかる重要なくだりでもある
 ※この時点で磯川警部は、今回の連続殺人事件を「多治見家の財産横領を狙った犯行」であると推定して親族の久野医師を容疑者とにらんでおり、犯人はともかくも犯行目的においてすでに事件の核心に迫っていたことがわかる
 ※このシーンで、磯川警部はその場にいない金田一のことを「それにしても、あの男はどうしたんだ、金田一は?」と語っている。このニュアンスから、本作での磯川と金田一との関係は原作小説ほど親しいものではなく、磯川警部からすれば金田一は、「警察としては捜査に役立ってくれる無視できない人物だが、個人的に信頼しているほどではない」存在であることがうかがえる
 ※ちなみに原作小説では、磯川と金田一は「八つ墓村」事件の段階ですでに10年以上のつきあいのある親密な関係である

83~87分 金田一耕助のまなざし
 磯川警部は、村内の寺で過去帳から28年前の「32人殺し」の被害状況を調べ上げている金田一に会って捜査状況を聞きだそうとするが、金田一は多くを語らないまま翌日から捜査の裏づけを得るために県外に旅に出かけると語る
 ※ここでの2人の会話から、今回の事件における金田一耕助の直接の依頼人は、自分の事務所で殺人が起きたことに強い憤りを感じた大阪の諏訪弁護士であるということがわかる
 ※この会話のシーンは、村のなんでもない道を歩く2人を正面から約1分間の長回しで撮るという演出になっているのだが、いかにも暑そうな強い日差し、雑草のあざやかな緑一色に染まった田んぼ端、朽ちかけた農機具置き場や放置されたトラクター、きわめつけに道ばたに置かれたかわいい道祖神といった風景になぜか激しく感動してしまう。ほら、私、田舎の出なもんですから……
 ※寺で過去帳を熱心に読みあさっている金田一のかたわらで、住職夫人と思われるおばさん(セリフなし)がゆっくりとうちわを動かして金田一に風を送っている姿がなぜか心に残る。それで冷房のつもりなのか!? どうもありがとうございます!!

87~93分 金田一の旅
 ここで、基本的に会話がなく芥川の旅情たっぷりな音楽が流れる中、金田一が捜査のための旅を続けていくという非常にメロウなシーンが入る
 金田一耕助は、具体的には2日間かけて和歌山、大阪、滋賀、京都、兵庫の各地をめぐっている
 ※金田一が駅前などの人通りの多い街中を歩いていくカットは基本的にエキストラを使わないゲリラ的な手法で撮影されたらしく、たまに通行人が「あっ、渥美清だ……」という表情で見つめる様子が映りこんでいるのがちょっとおもしろい

93~96分 工藤校長の死
 金田一がまだ村に戻らない中、多治見屋敷でとりおこなわれた久弥の初七日の席(辰弥が村に来て7日目)で、岡山市から帰ってきたばかりの工藤校長が食事中に激しく嘔吐して死亡してしまう(第3の殺人)
 ※またしても、食べたばっかりのものをスプラッシュさせながら映画『フラッシュダンス』のような激しいアクションでもがき苦しみ死んでいく工藤校長。もうカンベンしてください……
 ※多治見久弥の初七日は、東日本の慣習でいうのならばその次の日(死亡日から数えて7日目)になるはずなのだが、本作の舞台は西日本であるため、その慣習にしたがって「死亡の前日から数えて7日目」にあたるこの日に行われていた
 ※ちなみに21世紀現在のご葬儀事情では、いちいち親族に集まっていただく手間をはぶくために、葬儀の日に初七日の儀式もまとめて行ってしまう方式が浸透してきているようです。大変なのねぇ……
 工藤校長の死の原因は調べるまでもなく毒殺だったが、自身の医院で毒物を所有していたために第一の容疑者として磯川警部にマークされていた久野医師が混乱にまぎれて失踪してしまい、警部は正式に久野の捜査令状を発行して捜索する

96~99分 村の大混乱
 多治見久弥の死までは表だった動きのなかった村人の間でも、その人望からあつく尊敬されていた工藤校長が殺害されてしまったことで不満は一気に爆発し、犯人を検挙できない警察やかつての「32人殺し」の犯人を生んだ多治見家に怒りの矛先は向かっていく
 そんな中、工藤校長の死の翌日(辰弥が来て8日目)に濃茶の尼の絞殺死体が発見され(第4の殺人)、村内では「八つ墓明神のたたり」といううわさが極めて現実的な空気をおびてくるようになり、村は大混乱におちいる
 八つ墓村の連続殺人事件は TVの全国ニュースでも報じられる事態となるが、ニュース自体は「村の人の一部には『たたりではないか』という風評も強く……」と、村の雰囲気に比べればかなり冷静な報道の姿勢になっている
 ※ここでの TVニュースの報道という存在は1940年代を舞台とした原作小説にはなかった新たな視点であり、物語の舞台が1977年になったことで、実は「たたりに見せかけた犯罪」というものがすでに成立しようがない社会になっているということが如実に露呈する意味深いシーンでもある。でも、事件の真相はさらにその上をいくもので……?

99~108分 辰弥、鍾乳洞に潜伏
 たたりの恐怖にかられた村人の一部は暴徒と化して多治見屋敷に乱入し、危険を感じた春代は辰弥を地下の鍾乳洞に潜伏させる
 鍾乳洞をさまよう辰弥は旅から帰ってきた金田一や磯川警部たちにめぐり合うが、鍾乳洞内では多治見小梅の絞殺死体(第5の殺人)や、容疑者だったはずの久野医師の毒殺死体が次々と発見され(第6の殺人)、警察の捜査は暗礁に乗り上げてしまう

108~125分 結ばれる辰弥と美也子
 その翌日(辰弥が来て9日目)、金田一は美也子に会って鍾乳洞についての詳細を聞き出し、事件が解決するまで辰弥を保護する役目を美也子にやってほしいと要請し、美也子は快諾する
 ※この会話での金田一の「ほぉ~……あぁ、これ(鍾乳洞の地図)で見るとわかんないですけど、そうですか、村の真下になってるんですか。」というなにげない発言が、『刑事コロンボ』なみに観客と真犯人を動揺させるセリフでかなりうまい
 美也子は食料などを運んで辰弥の世話をするが、鍾乳洞をさまよった2人は、かつて鶴子と辰弥の実父とが密会の場所にしていた洞窟の一角「龍のあぎと」にたどり着き、結ばれる
 ※この鍾乳洞のくだりで大音量で流れる芥川の音楽が、んまぁ~ロマンティック
 ※ここで辰弥に出会ったときの美也子のファッションが、胸のあいた上下黒のライダースーツに首のスカーフというけっこう攻めている感じで、演じる小川のむっちり感もあって容易にこの先の展開を予想させてくれる

125~130分 多治見春代の死
 辰弥が1人でいるときに鍾乳洞に叫び声が響きわたり、駆けつけた辰弥は血だらけで倒れている瀕死の姉・春代を発見する
 春代は鍾乳洞で辰弥に物を運ぼうとする途上で何者かに襲われて重傷を負ったが、その人物の指を強く噛んで撃退したと語る
 続けて春代は辰弥に、実は辰弥が多治見家の血を引いていない子であるということを多治見家の家族全員がすでに知っていたが、「自分たちが死んで欲に目がくらんだ親戚に財産を奪われるよりは、まったく血のつながっていない辰弥に継承して多治見家の血を一新してしまったほうがよっぽどいい」という久弥の強い意志があったために辰弥を捜索したという真実を告白して息絶える(第7の殺人)
 ※物語の終盤にいたって男前な一面を見せる多治見久弥

130~32分 真犯人の豹変!
 辰弥は春代の死をみとった直後にある人物と出会うが、偶然に決定的な証拠を発見して、その人物が一連の事件の真犯人であることを悟る
 真犯人であることがばれたその人物は、一瞬にして白塗りに金色や真紅のカラコンというとてつもないメイクに豹変し、鍾乳洞の中で逃げる辰弥を追いかける。こわすぎ!

132~41分 金田一耕助の解明
 そのころ地上では、金田一が大阪から駆けつけた諏訪弁護士の持ってきた資料を読んで事件の真相を確信し、村人や磯川警部らが見守る中で今回の連続殺人事件の真犯人とその犯行の経緯を説明する
 ※このシーンを観てもわかるように、原作ではそれなりの必然性のあった「多治見家に直接の関係のない数名の人物」の殺害動機は、「村人と捜査を混乱させるのが目的で相手は誰でも良かった」というざっくりした説明になっており、肝心のミステリー部分を大幅に省略した本作の姿勢が如実にわかる最たる例となっている

141~46分 大崩壊
 金田一の語りと同時並行で、えんえん10分ものあいだ鬼の形相の真犯人に追いかけられ続けた辰弥はついに追い詰められるが、土壇場で発生した鍾乳洞の崩落によって九死に一生を得て地上に生還する
 鍾乳洞の崩落からピタゴラスイッチ的に引き起こされた失火によって多治見屋敷は全焼し、残された多治見小竹も炎にまかれて焼死したため、多治見一族の血は完全に絶えてしまう
 そのとき、村を見下ろす山の頂には、夕刻に大炎上する屋敷を見ながら高らかに笑い声をあげる尼子義孝以下、8人の落ち武者の姿が……
 ※真犯人が辰弥を追い詰めたときに流れる芥川のホルン吹きまくりの恐怖音楽がかなりおそろしいが、それにも増して真犯人の最後の「あなただけはと思ったけど……」というつぶやきが最高にゾクッとする!! これは多治見要蔵にゆうにタメをはる恐ろしさ
 ※ミニチュアではなく、実寸大の大屋敷セットを本当に燃やしている炎上シーンのスペクタクルがとてつもない
 ※最後の最後で再び姿を見せた落ち武者たちの姿に、観客は「あぁ、やっぱりそういう映画だったんだ、これ……」と大いに納得する

146~51分 エピローグ
 数日後、辰弥はふたたび東京に帰って空港のマーシャラーを勤める日常にもどる
 金田一は大阪の諏訪弁護士事務所に立ち寄り、八つ墓村ではついに語ることのなかった「事件のさらなる真相」を諏訪に告白する
 辰弥の見送る離陸したジャンボジェットをバックに、オープニングと同じテーマ曲とともにエンドロールが流れて、おっしま~い!!



 こんな感じなんですけど、ね……

 ギャー、長い長い、長すぎる! まとめる余地がなくなっちゃったよ。
 ということで、ここからわかるつれづれはまた次回ってことで、カンベンしてちょ~だいませ。
 予想外に話が長くなっちゃって、ごめんなさいね~! 好きってこういうことなのよ……
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1977年の『八つ墓村』(監督・野村芳太郎)って、一体なんだったんですか?  「小竹さんや」の章

2012年11月06日 11時13分27秒 | ミステリーまわり
 どもども、こんにちは~いっと。そうだいでございます。
 雨、雨、雨……今日の千葉は朝からの大雨ですね。こういう日にかぎって、遠くに出かけるお仕事があるのよねぇ~! へいへい、ありがたくがんばらせていただきますよ~だ。


 さてさて、先月から生活がかんなりバタバタしてきだしまして、せっかく買っておいた本やら DVDやらも消化がけっこう遅れるようになってきております。うれしいことに、最近読んだり観たりしているものは大いに感ずるところのある作品ばかりなので、できれば1作1作ちゃんとレビューしたいくらいなんですが、にんともかんとも時間がねぇということで。無念なれどもいたしかたなしィ。

 そんな中でも今回は、先月にお店で「あっ、安い!」と思ってパパッと購入してしまった、この映画についてのあれこれをつぶやいてみたいと思います。
 いやはやこれはですね、いやしくも「金田一耕助の原作リスト」とか「金田一耕助の映像化作品リスト」なんてものを自分なりにいじくっている私ならば、ちょっと避けては通ることができない作品なんですなぁ!

 そんじゃま、いつもどおりの流れで基本情報のあれこれを~。

 
映画『八つ墓村』(1977年10月公開 松竹 151分)
 監督 …… 野村 芳太郎(58歳 2005年没)
 脚本 …… 橋本 忍(59歳 今もご健在!)
 音楽 …… 芥川 也寸志(52歳 1989年没)

おもなキャスティング
 寺田辰弥               …… 萩原 健一(27歳)
 森美也子               …… 小川 真由美(37歳)
 多治見春代              …… 山本 陽子(35歳)
 多治見小竹              …… 市原 悦子(41歳 バアちゃん若っ!)
 多治見久弥・要蔵(2役)       …… 山崎 努(40歳)
 久野恒三郎医師(原作の恒実)     …… 藤岡 琢也(47歳 2006年没)
 工藤校長(原作の慶勝院梅幸尼にあたる)…… 下條 正巳(62歳 2004年没)
 美也子の義父・森荘吉(原作の野村荘吉)…… 浜村 純(71歳 1995年没)
 井川勘治(原作の兼吉)        …… 井川 比佐志(40歳)
 濃茶の尼・妙蓮            …… 任田 順好(とうだ じゅんこう ?歳)
 村人・片岡吉蔵            …… 山谷 初男(43歳)
 16代目・金田一耕助          …… 渥美 清(49歳 1996年没)
 9代目・磯川常次郎警部        …… 花沢 徳衛(66歳 2001年没)
 磯川警部の部下・矢島刑事       …… 綿引 勝彦(31歳)
 村の交番の新井巡査          …… 下條 アトム(30歳 言うまでもなく下條正巳の息子)
 諏訪啓弁護士             …… 大滝 秀治(52歳 2012年没……)
 井川丑松               …… 加藤 嘉(64歳 1988年没)
 井川鶴子               …… 中野 良子(27歳)
 武将・尼子義孝            …… 夏八木 勲(37歳)

 ※日本ミステリー界の巨星・横溝正史による金田一耕助ものの第4長編『八つ墓村』(1949年3月~51年1月連載)の4度目の映像化
 ※本作は、金田一耕助が登場する映画の中では歴代最高の「配給収入19億9千万円」を記録している(「配給収入」は、現在メディアでよく使われている「興行収入」のうちの「映画会社の取り分60% ほど」ということになるので、『八つ墓村』の「興行収入」はだいたい「32億円」ということになる)
 ※本作における「監督・野村&脚本・橋本&音楽・也寸志」という松竹黄金トリオは、『ゼロの焦点』(1961年3月公開 原作・松本清張)から組まれていたが、現在では『八つ墓村』の前作にあたる『砂の器』(1974年10月公開 原作・松本清張)が特に有名
 ※監督・野村と音楽・也寸志のタッグはそれ以降も松本清張作品で組まれていたが、脚本・橋本の参加はこの『八つ墓村』が最後になった
 ※時代設定が原作の「1948年」ではなく「1977年現代(当時)」に修正されている
 ※原作での重要登場人物である「里村兄妹」「麻呂尾寺・蓮光寺・慶勝院の僧たち」「新居医師」らが本作ではカットされている
 ※原作では八つ墓村の有力者一族は「田治見」なのだが、本作ではなぜか「多治見」表記になっている
 ※『八つ墓村』は2012年11月時点では最新作となる2004年10月放送の TVスペシャルドラマ版(主演・稲垣吾郎)まで「9回」映像化されており、この回数は金田一耕助ものの映像化された原作の中でも最多となる(次に多いのは映像化「8回」の『犬神家の一族』)
 ※当時、同じ時期に公開されていた市川崑監督による東宝の「石坂金田一シリーズ」では、2ヶ月前の1977年8月に第3作『獄門島』が公開されており、TV ドラマでも1977年4~10月に「古谷金田一」による連続ドラマシリーズ(第1シーズン)が放送されているという盛況ぶりだった
 ※公式資料によると、原作で「八つ墓村」事件の捜査にあたった時点(1948年5月)での金田一耕助の年齢は「35歳」だった
 ※映画にはその他、田中邦衛、吉岡秀隆(子役)、島田陽子、風間杜夫らがチョイ役で出演している



 いや~、出ましたね、山崎努の『八つ墓村』、「たたりじゃ~っ!」の『八つ墓村』、被害者1人1人の死にざまがいちいちハデで気持ち悪い『八つ墓村』が!!

 我が『長岡京エイリアン』でも再三再四くっちゃべっているように、この『八つ墓村』という大長編小説は多くの横溝正史作品の中でも最多の回数で映像化されている超メジャータイトルであり、そのいっぽうで、あまりにも質・量ともに「頭からしっぽの先まで」内容のぎっちり詰まったミステリー作品であるがゆえに、「原作に忠実な映像化」がそうとう難しいものであるという点でも有名です。
 要するに、これまでに映像化された9作品のすべてがそれぞれの持ち味のあるものになっており、同時にビミョ~に原作小説とは距離のある出来上がりになっているのです。

 もしも、これまでに『八つ墓村』を1度も観たことがない、もしくは1~2作くらいしか観たことがないという方がいらっしゃるのだとしたら、私としてはこう言わせていただきたいです。

「人生は長い。『八つ墓村』は原作と9ヴァージョンの映像化作品しかない。コンプリートしたっていいじゃないか!!」

 ほんとよ。なにはなくとも、「ミステリー」としても「冒険小説」としても「幻想小説」としても完成された大傑作である原作小説の『八つ墓村』を堪能していただくのは大前提だとして、『八つ墓村』の場合は、それを読んで自分の脳内に構築された「おらが八つ墓村」と映像化作品の中での八つ墓村とを比較してみて、その意外な情景・展開の違いに驚くという素晴らしい楽しみ方ができるわけなのです。
 これはやっぱり、何度も映像化されている作品であるからこその愉悦ですね……しかも昨今は、だいたいの金田一作品が映像ソフト化されている幸せな状況ですので、入手できるうちに「あぁ~、そうそう、こういう話だったわ!」とか、「そうか、これが伝説となったヴァージョンなのか……」とか味わいつくさない手はないんじゃないでしょうか。迷ってるヒマはありませんよ!?

 個人的な意見を言わせていただきますと、これは前にも触れたかと思うのですが、原作に最も忠実な映像化作品は、私が生まれて初めて『八つ墓村』に出会うこととなった1991年7月放送の古谷一行による TVスペシャル版の『八つ墓村』なんじゃなかろうか、と思っています。登場人物も里村兄妹以外はだいたい出そろっていたし、「寺田辰弥の実の父」のエピソードとかをちゃんと後半に扱っていたのが良かったですね。あれ、当時の私、小学生!? これもちゃんと観なおさないといけませんかねぇ。夏木マリ、こわいよ~。


 とまぁ、そんな中での、1977年映画版の『八つ墓村』であります。

 これはもうなんと言っても、「山崎努の演じた『多治見32人殺し』シーンがとんでもなく怖い!」というビジュアルイメージが一人歩きしまくっている作品ということがまず最初にきますし、「映像化された金田一作品」の映画の中でも最大級のヒットを記録したタイトルだということでも知られています。
 「金田一耕助の出てくる映画」とくると、おそらくほとんどの方が思い出すのは、市川崑監督による東宝の「石坂金田一シリーズ」ということになるでしょうし、まずはそっちのシリーズの第1作で、この『八つ墓村』の丸1年前に公開された大ヒット作品『犬神家の一族』(1976年10月公開)が頭に浮かぶかとは思います。実際に、今回私が購入した DVDの特典映像としておさめられていた予告編の中には、インタヴュアーが街の人々に「金田一耕助といえば?」と聞いて、「石坂浩二でしょ!」「えぇ~、渥美清がやるの?」という反応を受けるというひとこまもありました。
 でも、『犬神家の一族』の配給収入は「13億円」だったので、結局いちばんの大成功をかっさらっていったのは、シリーズ化されることもなかったこの「渥美金田一」による『八つ墓村』だったんですね。

 ところがこの1977年の『八つ墓村』は、他のヴァージョンと比較してももっとも「金田一・横溝テイストの希薄な作品」だと言い切ってもおかしくはない大幅なアレンジが加えられているのです。いや、完全に別作品になっているとまではいかないんですけど、「え! そこ広げるの!?」という脱線のぐあいがトンデモないと言いますか、話の大筋は同じなのに、映画のジャンルが思いっきり変わっちゃってるんですよね……ミステリーじゃなくて、丸っきりの「ホラー映画」になっちゃってんの!

 「金田一・横溝テイスト」が薄まっているのならば、そのぶん何が作品の主成分になっているのかといいますと、これはやはり「野村・橋本・也寸志トリオ」による松竹大作映画テイストなんじゃないでしょうか。しかも、どこに大作の比重を置いているのかといえば、原作ではそれほど中心に入ってこなかったはずの「戦国時代の尼子家の落ち武者のたたり!」という部分だったのですからさぁ大変。

 1977年版の『八つ墓村』は、その「たたりじゃ~!」のイメージを頭に置いて観始めるとちょっと肩透かしをくらってしまうほどに、いくつかの決めどころでの「也寸志オーケストラの入った超ハイテンションシーン」をのぞけば、いたって物静かな画面が淡々と続いていく作品になっています。その点からしてまず、きわめてアクの強い登場人物が連続して顔を出してくる横溝正史ワールドとはちょっと違う空気感があり、それこそ、松竹大作映画の『砂の器』を思わせるような松本清張的社会派ミステリー演出を押し出しているような印象もあります。だいたい、中盤であんなにものすごい感じになる山崎努さんでさえ、序盤は病弱な設定の別の役で登場しているので、全体的におかしいくらいのテンションの低さになっているわけなのです。そういえば、このヴァージョンの『八つ墓村』での「不気味な双子の老婆」も、それほど不気味ではなく単に陰険なバアちゃん2人組になっていますね。

 ただし、この『八つ墓村』に淡々としたまま静かな社会派ミステリー映画として終わっていくつもりが毛頭ないことがわかる伏線はのっけから提示されており、なにはなくともタイトルロール前、物語は現代ではなく戦国時代! 1566年の中国地方の山奥を命からがら落ちのびる尼子家の武将一行というところから始まっていくのです。え、金田一耕助の出てくる映画じゃないの、これ!?


 ……と、ですね。ここまでつづってきて思ったのですが、この1977年版の『八つ墓村』は、監督と脚本と音楽、特に完成された本編の中でのインパクトの割合を考えれば、音楽をうまく利用した「なにか大変なことが起こるような予感のある静けさ」と「ほんとに大変なことになっちゃった!」の2パターンの相互作用で2時間半という長丁場をのりきっている作品だといえるのではないのでしょうか。ほんとにそれだけ! 他の映画とかでは、あとは「テーマの重さ」とか「泣ける感動の展開」とかが必要になってくるかもしれないのですが、そのへんはこの作品は完全にかなぐり捨てているいさぎよさがあります。もしかしたら、「テーマとか感動とかは『砂の器』でやりきったしな……」という思いが製作陣にはあったのかも?
 最初っから最後まで、じめじめ系のドキドキワクワクしかない! 全施設、木造築200年の建物しかならんでいないディズニーランド級の遊園地みたいなものですね。さぁ、キミは帰って来られるかな!?

 ということなので、少々長くなってしまうのですが、やっぱりここは、この記事を読んでいるみなさとご一緒に『八つ墓村』を観るということができない以上、我が『長岡京エイリアン』恒例の流れで、

「ドキッ☆ 1977年の『八つ墓村』 たたりだらけの本編タイムスケジュール」

 をまとめてみるのがいちばんわかりやすいかと思われます。

 この作品は「本編時間151分」というてんこ盛りなボリュームになっているわけなのですが、これは、これまで世に出てきた金田一耕助もの横溝小説の映像化作品の中でも、ぶっ通しで観る1本の作品の中でいえば「歴代最長」となっています。やたら大作な印象のある市川崑の「石坂金田一シリーズ」でも、この2時間半をこえるものはなかったんですね。ただしその例外として、1949年に「前後篇2部作」というかたちで公開された映画『獄門島(ごくもんじま)』(監督・松田定次、主演・片岡千恵蔵)はトータルで169分。1977~78年に2シーズン放送されて TVの世界から当時の横溝ブームを牽引することとなった古谷金田一による『横溝正史シリーズⅠ、Ⅱ』は1回1時間分の連続ドラマだったため、こっちのヴァージョンでの『八つ墓村』も含めて、全回分あわせれば3時間をゆうにこえる長編作品が7作あります。最長は『悪魔の手毬唄』(1977年)の「284分(4時間44分)」!! そりゃあ DVDも2巻組になるわ!
 余談ですが、1978年に放送された古谷金田一のほうの『八つ墓村』は「犯人の設定」が原作から大幅にアレンジされているため、こっちもこっちで原作からは距離を置いた映像化作品になっています。

 ま、とにかく2時間半という長さの1977年の『八つ墓村』であるわけなんですが、これがまぁ、観れば観るほど興味深いタイムスケジュールになっとるんですわ!

 はいっ、そんな感じで、なつかしい昭和の風景をとらえた紀行番組みたいな空気感から、なんの遠慮もなく一瞬にしてテンションMAX のホラー映画へとカットインしてしまう、「ふつうのおそばと真っ赤なハバネロ練りこみ麺とが、か~りぺったか~りぺったでお椀にとびこんでくる」古今無双のムチャクチャ映画『八つ墓村1977』についてのあれこれの続きは、また次回のココロだ~。

 2012年、こんな殺伐とした現在だからこそ、みんなでもう一度、能天気に元気よくあの言葉を叫んでみようじゃありませんか。

たたりじゃ~っ☆
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ありがとうギャバン!! 我が人生最重要級プロジェクト「HO2 計画」、無事完遂

2012年11月03日 22時06分51秒 | 日記
 うっひょ~い! つっかれたぁ~。どうもこんばんは、そうだいでございます。関東では、非常に空気が冷えつつもきれいな晴天だった本日11月3日の文化の日、みなさまにおかれてはいかがお過ごしになられましたでしょうか?

 私はねぇ~、今日という今日は疲れたぞぉ~!! とは言っても、自分の中では大きな達成感と反省材料に包まれた、とっても充実した疲れであります。
 もちのろんで、日々のお仕事もちゃんとやりがいはあるわけなんですが、今日のミッションはそういったものとはちょっと別格で責任感が重かったぞ。いつもならば何人かの大人で分けあう重大な責任を、今回ばかりはわたくし! わたくしただひとりが請け負うこととあいなったのであります。てぇへんだ、てぇへんだ!!


 そんな、今日1日の時間をついやした、我が人生でも最大級の重要度を持ったプロジェクト。
 その名は、「HO2 計画」!

 説明させていただければありがたい! 「HO2 計画」とは、

「ひとさまの(H ) お子様を(O ) お預かりする(O )」計画であるッッ!! それも、朝から晩まで。

 これはまことに危険なことでした……そりゃそうっすよ、なんてったって預かるのがオレ1人なんだから!


 私ひとりと道中をともにするというデンジャラスな経験をすることとなった受難のお子様は、私がもう10年来お世話になっているお方のご長男ぎみで、当年とってまだ5歳なのですが、思い起こせばだいたい彼が生まれたころから、私はなにかにつけては彼に会いに遊びに行ったりしておりました。最初に会った時にはあんなに小さな赤子だったのに、気がつけばもう、一人で歩いたり走ったり考えたりしゃべったりするのが当たり前なりっぱな男の子に! そりゃあわたくしもオッサンになりますよ。
 そんな感じなので、非常にうれしいことに彼は私にたいしてだいぶ打ち解けた感じになっていてくれています。ま、今のところはね!!

 そういう関係がすでにあったもんで、今回のマンツーマン休日という計画も実現化したわけなのですが、よくよく考えてみればそれもそうで、私が自分の5歳だったころのことを思い出してみても、その時期にあんまり親しくないおじさんと長時間いっしょにほっつき歩くことはそうとうなストレスになったでしょうから、もし当時、親がそういう日があると言ってもかなりな全力フルパワーで難色を示していたんじゃなかろうかと思います。そう考えると、5年かけて彼に接してきた成果は十二分すぎるほどに本日でむくわれたのだとも言えましょう。ありがてぇ、ありがてぇ……そして、よかったらこれからもよろしくね!

 今回、文化の日というとびっきりの休日にこういう運びにあいなったのは、彼の両親のうち、まずお父さん(私にとりましては一生分の大恩のある方です)が県外に長期出張している最中だったところ、この日にかぎってお母さん(このお方にも大っ変お世話になっております!)も朝から夜まで県外に出かける用事ができ、「休日に臨時で保育所にあずけるよりは、子ども好きでヒマなあの男にまかせたほうが……試してみるか。」という流れになったからのようです。ありがたきしあわせェ!! ずいぶんと想像で勝手なこと言ってますけど。

 このお話をいただいたのはだいたい1週間前だったかと思うのですが、私のほうはいちもにもなく11月3日の予定をオールリセットして計画を立案することとなりました。なんてったって、世界一おのれに正直な未就学幼児(しかもテンションと機動力がハンパない男子)を相手にするのです! そりゃあも~できうる限り最高のレシピにしなければなりませんよ。

 と、いうことで、今回のわたくしの「HO2 計画」のコンセプトと具体的タイムスケジュールは、「構想2時間」という厳密な作業をへて完成されました。いや、こういうのはインスピレーションですから……実際にその時にならねぇとわかんないことも多いし。


2012年11月3日決行(予定) そうだいHO2 計画 試案
コンセプト 「なにはなくともイベントだのみ」

6:30 起床

7:15 京成線に乗り集合場所へ

7:45 集合場所でお母様にお子をあずかり、引き続き京成線を利用して2人行動開始
   京成線「船橋競馬場駅」で下車し、徒歩でららぽーと船橋へ向かう

9:20 ららぽーと船橋内の映画館「TOHO シネマズ」で映画『宇宙刑事ギャバン THE MOVIE 』を鑑賞する
   ※1日1回のみの上映のため、当日満員の事態に備えて前日に座席をネット予約しておく

11:00 映画、上映終了
   適当な場所で昼食をとりつつ、徒歩で JR京葉線「南船橋駅」に向かい京葉線と内房線を乗り継いで「千葉駅」へ
   千葉駅東口から「千葉中央バス」「京成バス」「ちばシティバス」のいずれかに乗車し、千葉県立中央博物館へ向かう

13:00 千葉県立中央博物館で12月24日まで展示中の特別展『ティラノサウルス 肉食恐竜の世界』を鑑賞する

16:00 適当な場所で夕食をとりつつ、「京成バス」に乗車して千葉市中央区4丁目にある官民複合施設「きぼーる」へ向かう
   きぼーる内の「千葉市科学館」でなんやかや時間を過ごす

19:00 きぼーる内のプラネタリウムでその日の最終回上映を鑑賞する

20:00 きぼーるから徒歩で京成線「千葉中央駅」に向かい、ふたたびお母様との集合場所へ

20:30 集合場所でお母様にお子をかえし解散、ミッション終了!


 どうですか、この、イベント以外はかなりぐずぐずなプランニング。
 でも、「ギャバン」「恐竜」「プラネタリウム」と三拍子そろっております。これらのどれにもひっかからない5歳男子など、5歳男子では、ない!!
 どうにも「ギャバン」というところが昭和くさくて、いかにもこんな『長岡京エイリアン』をやっているわたくしらしいのですが、実は3つのイベントの中でも、お子さんが今年1月公開の映画『海賊戦隊ゴーカイジャー VS 宇宙刑事ギャバン』ですっかりギャバンにハマってしまい、彼の盛り上がりがいちばん鉄板で信頼できるものがこれであることはすでにリサーチ済みでした。最初っから四番打者投入ってことですよ!
 しっかしまぁ、今年はじめにオッサン1人でさみしく観ていたギャバンを、まさか暮れ近くになってお子さんといっしょに観ることになろうとは……生きていれば、予測もつかないようなおもしろいことに出会うもんなのねぇ!

 とにもかくにも、お相手はおなかも空けばトイレにも行きたくなるし、テンションMAX ではしゃぎまわることもあれば乗り物酔いでダウンすることも充分に予測できる「ミニ怪獣」であります。とにかく心して、さまざまなその場の状況に柔軟に対応する! そこだけは何度も確認しつつ、運命の11月3日当日はやってまいりました。


 結論。いろんなポイントで多少の変更はありましたが、おおむね成功! ふぅ~。

 いちおう! いちおう、お子様をほぼ一日あずかりきって無事にお母さんにお返しすることはできた……たぶん。カゼなんかひいてなければいいんですが。
 今日の関東は天気は良かったのですが、朝と夕方の冷え込みがけっこう厳しくて、温度差のはげしい日になりました。でも、まず天気がいいというのはうれしかったですね。今回の計画はなにげに移動が多い!

 これは全面的にわたくしの責任なのですが、今回はやたらと移動時の失敗が多くて、予定よりも時間がかかることがしょっちゅうになってしまいました。
 だって、まず集合の段階で京成線の電車に乗り遅れちゃって、そうとうギリギリな状況でお母さんたちと落ち合いましたからね……あぁ~、お母様、本当にすみませんでした! 京成線はなんで、肝心なときに本数が少ないんだろうか……いや、ハイ、そうじゃなくて私のせいです、すみません。
 しかも、京成線について言えば、最後の千葉中央駅から集合場所に移動した時も、津田沼駅で乗り換える電車を乗り間違えちゃって、また来た路線を逆に戻ってしまうという、5歳のお子さんも呆れ顔の大ミスをやらかしちゃったし。アホですか、アホなんですか!?
 京成線はなんで、ホームをちゃんと変えたのに、別のホームでもさっきとおんなじ路線の電車が走っていたりすることがあるんだろうか……あぁ~ハイハイ、ちゃんと車両の行く先を確認しなかったオレの責任ですよーだ、メンゴメンゴ!! お母さん、最後も遅刻してほんとにすみませんでした……

 移動のミスとしては、バスのほうでも乗るバス会社を間違えて1本よけいにバスに乗ることになっちゃったり、JR千葉駅から県立中央博物館に向かう途上で、あいだに「郷土博物館」という停留所があったために、勘違いしてそこで降りちゃってよけいに歩くハメになっちゃったり……郷土博物館というのは、歴史上あるはずのなかった、豪壮華麗な白壁の「千葉城天守閣」のかたちをした歴史博物館のことで、そこから本当の目的地である県立中央博物館まではだいたい1キロほどの距離があります。1キロ!?
 おかしい……私は千葉市にある郷土博物館と県立中央博物館のどちらにも行ったことがあって、それらの違いを知らないはずはないのに。バカじゃあ仕方ねぇか。

 こんなていたらくで、移動にかんするひどいミスが多かったわけなのですが、そこはそれ、お子さんにはかくさずに「まちがえちゃった☆」と早めにうちあけて、電車の時間が増えたら仮面ライダーについて語り合う時間が増えた、バスに乗る機会が増えたら「降りますボタン」を押すチャンスが増えた、歩く距離が長くなったらそのぶんだけおじさんにおんぶしてもらう時間が増えた、などとお子さんにはとらえなおしていただくことにして、とにっかく! なにはなくともお子さんのテンションの維持を第一に対応策を講じていきました。少なくとも、私から見た彼の表情は曇ってはいなかった……と、信じたい。でも、私がかなり頼りにならないいきあたりばったりなおじさんであることは見事に露呈したかと思われます。ザッツ・トゥルー!!

 そんなこんなでほころびまくりの計画ではあったのですが、それでもなんとか笑顔のうちに解散するグッドエンディングを迎えることができたのは、これはもう、ひとえに今回の3本柱となった「ギャバン」「恐竜」「プラネタリウム」が磐石のおもしろさを誇っていたからでしょう。ここをしっかりおさえられたのがなによりでした。

 ちょっと、今回は映画のレビューだけにしぼらないので詳細なところまでには触れないのですが、まず最初に楽しんだ映画『宇宙刑事ギャバン THE MOVIE 』(監督・金田治、主演・石垣佑磨 83分)は、いっしょに観たお子さんの反応を見ても一目瞭然でしたが、とにかく単純におもしろくて、それでいてちゃんと作り手側が伝えたいことも伝わってくるエンタテインメント作に仕上がっているように感じられました。

 実は、今日2人で観るにあたって事前にネット上の『ギャバン』レビューをちらほら読んだりもしてみたのですが、なんだか1982年のオリジナルTV シリーズ以来のファン層にはいまいちウケがよくないように感じられたんですね。ただし、これは今年はじめの「ギャバン、平成に大復活!」フィーヴァーに比較してのことであって、『海賊戦隊ゴーカイジャー VS 宇宙刑事ギャバン』に引き続いての大葉健二さんの続投には称賛の声しかなかったわけなのですが、どうやら「2代目ギャバン」たる石垣佑磨さんが演じる主人公キャラクターの造形が未熟すぎるという部分に批判の声があがっているようだったんです。

 確かに、私も映画本編を観てそれを感じないわけではなかったのですが……
 いいんじゃないっすか? お子さんがちゃんと興奮して楽しんでましたから。それで充分じゃないですか。
 まぁ、私もいつものように自分ひとりで観ていたらこんなにおおらかな感想になっていたのかどうかはわからないのですが……でも、今回の場合は全面的に、映画がおもしろかったかどうかの感触は、自分のひざの上に乗っている5歳のお子さんのリアクションと体温にしたがうことにいたしました。

 そうなんですよ、映画館の、特にシネコンの座席は本当にきれいに掃除されていてすわり心地もいいのですが、5歳男子にはやっぱりまだまだサイズが大きすぎて、前の座席に大人が座ったりしちゃうとスクリーンが見えにくくなっちゃうんですよね。かといって座席に正座して観ようと思っても、1時間半ちかく正座をキープできる5歳児なんて、いるほうが気味が悪いです。
 結局は私のひざの上にのっかって全編鑑賞という態勢になったのですが、大迫力のアクションシーンでは身を乗り出すようにしてスクリーンに釘づけになり、怖いショックシーンではいちいち正直に「ビクッ!」とこわがって私の手を強く握りしめ、クライマックスでラスボスが倒れてギャバンが生還したところでは糸が切れたように肩の力が抜けて「ふーっ」と大きな息をつき、エンドロールでオリジナル版のテーマソング『宇宙刑事ギャバン』(歌唱はもちろん串田アキラ!)が流れたときには、ノリノリでうろおぼえの歌詞を唄う……もう、最高のお客さんじゃないですか。
 私はもう、どちらかというと本編よりもそのお子さんを見ていて充分すぎるほどに満ち足りた気分になってしまいました。もう、それでいいじゃねぇかと。

 2代目ギャバンこと、主演の石垣佑磨さん演じる青年・十文字撃の未熟さは、主人公の成長を描くうえでの大前提なんでねぇ。確かに、あんなに現役な初代ギャバンをさしおいて2代目になるにはまだまだ修行不足のような感じではありましたが、初代である一条寺烈との父子のような師弟愛も描ききってあったし、『海賊戦隊ゴーカイジャー VS』ではあまり見られなかった一条寺のお茶目なコミカルシーンも見られたし、小林雄次さんの脚本はやっぱり信頼できるものがあるなと再認識いたしました。ライヴァル役の永岡卓也さんが予想外に味わい深い悪役を演じておられましたね。ヒロインの2人(滝裕可里と森田涼花)もとても魅力的でした。コム長官役の西沢利明さんも、張りのある声にお変わりがなくてカッコよかった! 穂花さん、そのせつは大変お世話になっておりました……あいかわらずおきれいで♡

 とにかくこんな感じで、夢中になっているお子さんといっしょにギャバンの世界にひたるという今回のシチュエーションは最高でした。そのあと小1時間にわたって、買った映画パンフレットをかこんで彼とギャバンの魅力およびメタルヒーローシリーズの将来的展望について熱く語り合ったことはいうまでもありません。
 全然関係ないんですけど、『ギャバン』の観客席はやっぱり休日の1日1回こっきりの上映ということで、子ども連れがメインで盛況だったのですが、ど真ん中に陣取った我々の座席の隣に、図書館の司書さんでもやっていそうなお堅い感じのおばさんが1人で座って、かなりの眼力でじっとスクリーンを凝視していたのにはちょっとびびりました。オリジナル世代のファンか、石垣さんか永岡さんのファンだったのか……? どちらにしろ、盛り上がるシーンでちょいちょいなにごとかをつぶやいていたので、彼女も映画を楽しんでいましたよ~☆ よかった、よかった。

 さて、そんな感じで最初の映画は終わったのですが、上映中にお子さんがポップコーン(塩)のSサイズをすっかりひとりで完食してしまっていたため、昼食はカットでお次の県立中央博物館に向かうこととなりました。映画館のポップコーンはSサイズでけっこう大人1人前ですよね。キャラメル味なら、私にとってはSサイズで2食分です。

 県立中央博物館は、通常ならば特別展開催中は大人の入場料金は800円(中学生以下は無料)だったのですが、文化の日だった今日は特別にオール無料になっていました。ラッキー! 博物館の入り口に近づいていき、特別展の看板にでかでかと描かれているティラノサウルスの雄姿を遠目にみとめたとたんに「うおぉー!」とボルテージが最高潮に達した、背中のお子さんが実にいとおしい。私が彼をおんぶしている理由は、さきほどに申し上げたとおりです……

 今回開催中の特別展『ティラノサウルス 肉食恐竜の世界』は恐竜の化石などの展示は全部で55点ということで、実は歩いてみればそれほどの広さではないコンパクトな規模のものになっています。
 しかし! 逆にそれだからこそ映えてくるのが、カルノタウルス(全長8メートル)、アフロベナトル(全長8メートル)、そして今回最大の見どころであるティラノサウルスの現時点における完全骨格標本「パーフェクト・スタン」(全長12メートル)という3体の肉食恐竜の威容なんですよねェ~。ギャー、カッコイイ!!
 ティラノサウルスのおなかには、人間にはない「ガストラリア(腹肋骨)」という内臓をささえる骨があったんですか。最新の学説はやっぱり興味深いなぁ!

 これらの恐竜特別展はもちろん十二分にお子さんの期待に応えうるものになったかと思うのですが、実は彼はそれと同じかそれ以上に「現在も生きている生物全般」に興味があったようで、県立中央博物館の常設展示である房総半島の「海洋生物」「陸上動物」「昆虫」「植物」「地層」などといったものにもれなく大いに反応していたのがおもしろかったです。なんて守備範囲の広い子どもなんだ! だって、顕微鏡で見る「花粉のつぶ」なんてのをいつまでもしげしげと眺めてましたからね……これには T-レックスもかたなしだぜ!!
 なかなかね、この県立中央博物館には、ティラノサウルスと同じくらいの大きさのマッコウクジラやナウマンゾウの全身骨格標本もあったりするんでね。とにかく恐竜だけにかぎらず見ごたえのありまくる博物館でした。

 ここで計画以上の時間をかけて博物館をまわったのちは、恐竜関係のグッズが集まったミュージアムショップで「なんでも好きなものを選びなさ~い。」と余裕顔で言っておきながらも結局は自分がいちばん買ってあげたい恐竜百科に誘導させて買ったり、レストランで昼・夕どっちつかずの食事をとったりとゆったりした時間をすごしました。
 あれなのね、恐竜系の図版書籍って、いまだに肉食恐竜が「ゴジラみたいに上体をあげてしっぽを地面につけて歩く体型」に描かれている古いタイプの本が修正されないまま重版されてるのもあるんですね……ちょっと驚きました。もちろん、今日はちゃんと新しいイラストの描かれた絵本を買いましたけど。

 そんなこんなで、県立中央博物館で意外に時間を使ってしまったため、最後のきぼーる千葉市科学館に到着したのはすっかり日も暮れた夕方5時すぎになり、音や光などの自然現象をテーマにした「ワンダータウン」と最新科学技術をテーマにした「テクノタウン」の2階ぶんだけを堪能して夜7時からのプラネタリウムに駆け込むこととなりました。もうひとつの地球や宇宙をテーマにした「ジオタウン」の階には行けなかったのですが、それはまぁプラネタリウムで充分すぎるほどにカバーできるということで。自動車の機関部分をむきだしにした装置で、運転席に座って無心にハンドルをきり回していたお子さんの表情に……なぜか感動!

 今日の計画のしめとなったプラネタリウムも最高でしたね~!
 実は、このきぼーる内のプラネタリウムには「来たことがある。」とのたまっていたお子さんだったのですが、ありがたいことにここのプラネタリウムでは、その季節ごとの星空の解説のあとに毎日4~6種類の特別上映作品のうちのいずれかを流しているそうで、今回観る予定のものが彼の観たことのない作品であることを確認して、「わたしは運がいい。」とほくそ笑みました。仮面つきヘルメットではないですけど、今日の私は赤い帽子はかぶっていました。

 秋の空はペガサス座だとかくじら座だとか、あのレイ=ハリーハウゼンの特撮超傑作映画『タイタンの戦い』(1981年)の元ネタとなった「英雄ペルセウスの大冒険」神話にまつわる星座がいっぱいあってねぇ~。このお子さんにも是非ともあの映画を見せてあげたいと思いましたけど、魔女メデューサとの対決シーンが失禁確実モノでこわいので、まだムリかな?

 また、観た特集上映が地球の生物の歴史をたどるという、今回の計画のしめにはジャストフィットな内容で! さっき実物を観たティラノサウルスもちょっとだけ大地をカッポしていたりして素晴らしい内容になっていましたよ。空いっぱいがスクリーンになるというスケールのでかさもよかったのですが、ナレーションの女性が特にきれいな声でもないのにやたら心にひびく語り方をしているなぁ~、と感心していたら、エンドロールで歌手の UAさんだということがわかったりして。さすがはお母さんだ。

 こんな感じでプラネタリウムの出し物自体は文句の言いようもなかったのですが、最初の映画館と同じで、やっぱり5歳の子どもには座席が大きすぎるという問題が出来してしまいました。
 あの、ほんとにきれいで、リクライニングもできる素晴らしい座席なんですが、座っている人が身を起こすと自然にリクライニングが元にもどるシートなんですね。んで、またリクライニングしようとすれば、ひじかけにあるレバーを引かなければならないんです。これが、5歳児ではちょっと簡単には引けない重さなんですな。
 つまり、頭上に360°展開しているスクリーンを見るために、お子さんは身を起こして頭をまわして後ろを見たりもします。その時にいちいちシートが元にもどったりして、隣の私が手をまわしてまたリクライニングさせる必要が生じるというわけなんです。
 でも、それじゃあお子さんの気も散るだろうし、かといってさっきの映画館みたいに私のひざの上に乗せるってのもワンパターンだし……っつうことで、私が選んだのは、常に私が隣のお子さんのシートの上部に手をまわして、全力で「ギュー!」と座席を押さえつけるという手段でした。これならお子さんも身を起こし放題だし、私も居眠りすることはな……って、なんか、私の姿勢がまぬけな『サタデーナイトフィーバー』みたいになって、片腕と床でふんばった片足がつらい!! プルプルプルプル、なんだこの苦行は。

 まぁ、そんな隠れた(たぶん、隠れてない)努力もむくわれたのか、お子さんは満足顔でプラネタリウムを堪能してくれた……と、信じたい。


 そんなこんなで、今日という一日は非常に充実した、でも、こうして文字にしてみると失敗ばっかがやたらと目立つひとときだったわけなのですが。
 彼は楽しんでくれただろうか……いつまでもこの日のことをおぼえていてくれ、なんて大それたことは言いませんが、彼がこれから楽しく生きていくためのエンジン機関の、どこかすみっこで働いている歯車のひとつにでもなってくれたらこれ以上の喜びはありません。

 お子さんにめんと向かって、「キミも、ギャバンみたいに強くてかっこよくて優しいお兄さんになるんだぞ!」と言った時には、恥ずかしながらも自分で言っておきながらウルッときてしまいました。守る人がいるということの幸せ、ね……

 これからも、たぶんしょっちゅう彼とは会うことになると思うし、そうあってほしいのですが、どんどん成長して変わっていく彼をできるだけ長く見つめていきたいですね。本当に今日は、ありがとう。


 余談ですが、電車の中で彼に披露した、私が最近『ワクテカ Take a chance 』を見て練習した「首スライド」が大いにうけていたのが地味にうれしかったです。まーちゃんに感謝せねばなりますまい。
 ただ、彼以外にも、彼の肩ごしに向こうにいた何人かの大人の乗客さんがたにかなり注視されていたのは誤算でした……大人って、どうやったらなれるんでしょうかねぇ!? おしえて、ギャバ~ン。
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2012年10月度版 そうだい短期観測調査(そうだい短観)

2012年11月01日 22時55分41秒 | 日記
 のーべんばぁあ~。どうもこんばんは! そうだいでございます。みなさま、今日も一日お疲れさまでした!
 いやぁ、ついに今年2012年もおしまいが見えてまいりましたよ。来年用の年賀状の販売が始まっちゃったってさ!

 わたくしは相変わらず、そんな世間の話題はどこ吹く風で、一日一日をヒーコラヒーコラ言いながらしのいでおりますよ。
 仕事で忙しいっていうのは、本当にありがたいことですね。5時起き、6時起きなどなんのその……つい去年までは深夜ラジオを毎晩欠かさず夜明けまで聴き続けていたこのわたくしが、まさかここまで朝型人間になってしまうとは。今のところはなんとか遅刻せずにやれてきておりますが、たった2ヶ月しかたっていないんでねぇ! まだまだ、反省反省の毎日よぉ。
 でもまぁ~、やればやるほど痛感してしまうのが、今年の資格試験を取り逃がしたことね! やっぱり、無資格のままじゃあ内容から見てもモチベーションから見ても限界のあるお仕事なわけなんですよ。
 かえすがえすも無念ですが、今はただ、次なる来年夏の試験に向けて修養を重ねるだけです。

 受かったらちゃんとここでも報告しますが……とにかく今は、めっちゃくちゃ疲れますが、それ以上に素晴らしいやりがいがあって、いろんな方々のパワーに満ち満ちた職場に大満足しております。せいぜい命を賭けてがんばるぞーい。

 ほんじゃまー、今日も今日とて先月のもさもさを整理しときますかぁ。

 2012年10月の『長岡京エイリアン』全10回。ラインナップは以下のようになりました。


好きなアイドルについて
 対談ムック『RIVAL 12少女の10年物語』からいろいろ妄想(全2回)
 奇跡の60分間『岡井ちゃん、寝る! 第2回配信』(全2回)
観た映画・ドラマについて
 大好き!『薔薇の名前』(全2回)
 映画『ツナグ』
 映画『アウトレイジ ビヨンド』
 土曜ワイド劇場『化粧台の美女』
お疲れさまでした……
 俳優・大滝秀治、旅路へ


 いやはや、「週2回更新」がこれほどまでにしんどいものだとは! 『化粧台の美女』の話題、現時点ではまだまとまってねぇよ!
 ただまぁ、私もしっかり休んだりしてるんでねぇ。お芝居を観たとかおもしろい本を読んだとか、お話したいことは他にもいっぱいあったんですよ。

 え? 毎回1万字付近になってる文量を減らせばいいんじゃないかって?
 それができたら苦労はありゃしませんよ~! そして、それができたら『長岡京エイリアン』でも、ない?


 あと、10月はバタバタの合間をぬって、こんな本とマンガを~。

江戸川 乱歩  『江戸川乱歩全集 第20巻 堀越捜査一課長殿』(1956~58年)  光文社文庫
          『江戸川乱歩全集 第21巻 ふしぎな人』(1957~60年)
辻村 深月   『ツナグ』(2009~10年)                           新潮文庫
円城 塔    『セルフリファランス・エンジン』                       ハヤカワ文庫
伊坂 幸太郎  『グラスホッパー』(2004年)                        角川文庫
          『死神の精度』(2003~05年)                       文春文庫
道尾 秀介   『鬼の跫音』(2006~08年)                         角川文庫
          『カラスの親指』(2007~08年)                      講談社文庫
宇月原 晴明  『安徳天皇漂海記』(2006年) 中公文庫
兵藤 裕己   『王権と物語』(1982~2002年)                      岩波現代文庫

宮下 英樹   『センゴク 天正記 第15(最終)巻』(2012年)             集英社
          『センゴク 一統記 第1巻』(2012年)


 キャー、円城塔サマ~!! なにが書いてあるのか、文系落第生の私にはさっぱりわかんないけど、なんか大好き♡
 兵藤先生、大学ではお世話になりました……愛してます。


 そんなこんなで、明日からも生き抜いてくぞぉ~。
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