神聖ローマ帝国ー6 ハプスブルグ帝国=神聖ローマ帝国の始まり
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からの続き
前回の投稿で、神聖ローマ帝国の皇帝に、ハプスブルグの家の『ルドルフ・フォン・ハプスブルグ』が、1218年に『西ローマ皇帝カール大帝』ゆかりの地『アーヘン大聖堂』でドイツ王としての戴冠式が行われ、
これ以降、『ハプスブルグ帝国』=『神聖ローマ帝国』になったことを紹介しました。
今回は、スイス出身のハプスブルグ家が、なぜローマ帝国なのか説明するために、800年12月25日に、カール立大帝がローマ教皇であるレオ三世によって、バチカンのサンピエトロ大聖堂で皇帝戴冠式が行われたところに戻ります。
カロリング朝のフランク国王ピピンが亡くなり、長男のカール大帝は目覚ましい活躍をして、ザクセン、バイエルン、ボヘミア、イタリア、スペインと緑地を拡大し、フランク王国最大の版図を広げました。
それだけの権力者の『カール大帝』が何故に、『ローマ教皇のレオ三世』によって、わざわざサンピエトロ大聖堂で、戴冠をうけなければならないのか?
まるでレオ三世の方が偉く、ローマ教皇のドイツ皇帝選任権ヲ持っているかの如くです。
当時のローマ教皇レオ三世は、その権力基盤は脆弱でローマ貴族の抵抗に手を焼いていました。それどころローマ教会が分れるしかねないほどの危機を迎えていました。 レオ三世はカール大帝に教会の保護者になってもらうべく、破天荒な計画を起こいついたのです。 それがローマ教皇レオ三世によるカール大帝への戴冠です。
レオ三世は、もとはと言えば、自堕落な生活のために教皇位を追われそうになっていて、信じられないエネルギーでこの戴冠式にかけたのです。
当然、カール大帝も自分の方が圧倒的な権力者なのに、なんでやねん。 と思っていましたが、広大な領地の統治手段として、ローマ教会の宗教的権威もあったほうが良いと考えたのです。
レオ三世にとって、してやったりだったのです。
まあ、とにかく、これで西ローマ帝国の復活となり、そしてこのことが後々になって西ヨーロッパの歴史に大きく響くことになったのです。これが『神聖ローマ帝国』という仰々しい帝国称号が使われるようになった理由です。
このカール大帝の皇帝戴冠は、かつての古代ローマのように世界統一し、王のなかの王である皇帝が、これを統治するという途方もない世界帝国理念を生み出したのです。
カール大帝の皇帝戴冠は世界平和の訪れであり、かつての『パックス・ロマーナ(ローマによる平和)』の再来です。
世界に平和をもたらすという職責を担うこの帝国の中心は千年の都ローマでなければなりません。
しかし、皇帝カール大帝は、アルプスの北に本拠を構えています。 ということは、この帝国の北方移動はかりそめのものでなければなりません。
『やがては皇帝は永遠の都ローマに帰還し世界を治めなければならない!』 このような中世的帝国理念が中世ヨーロッパを突き動かしたのです。
ローマが世界を支配するという中世的帝国理念は、後のドイツの歴代皇帝に『イタリアを支配せずに何が皇帝か?』という強迫観念が植え付けられ、ドイツ王のみならずフランス王も低位奪還を狙い、イタリアに触手を伸ばし続けました。
そして、そもそもカール大帝は何人なのか? ドイツととフランスはカール大帝の出自争いを繰り広げるのです。
ドイツは大帝を『カール・デア・グローセ』、フランスは『シャルルマーニュ』と呼び、それぞれ自らを皇帝の後裔と主張しました。
こうして、イタリアを巡るドイツとフランスの激突が、中世ヨーロッパの歴史のねじを巻いたのです。
今回の投稿のタイトル『コンスタンティヌス大帝の寄進状』に話を戻します。 ローマ教会はこの『皇帝選任権』の『理論的根拠』を、この『寄進状』にあるとしたのです。
ローマ皇帝コンスタンティヌス大帝がローマ教会に帰依し、帝国の西半分をローマ教会に寄進するという内容の寄進状は今では、世界最大の偽書として知られています。 作成はおそらく8世紀中頃で、ラテラノの救世主協会の下級聖職者が偽作したものとみなされています。
この偽作は、コンスタンティヌス大帝のキリスト教改の地てあるラテラノの地位を高めようという狙いがあったとされています。
出来れば、同じローマにありながら、かたやローマ教会の総本山となった聖ペテロ大聖堂に匹敵する権威をというわけです。 ともかくローマ教会はこの『寄進状』を盾にとり、カール大帝に皇帝戴冠と引き換えに次の条件を突きつけました。
『寄進状』によれば、ローマ教皇はローマ帝国西半分を領有することになる。 ところが教皇自身が皇帝に即位するわっけにはいかない。 そこで教皇が工程を選任し。皇帝をローマ教会の保護者に任ずる。
そして、皇帝の持つローマ教会保護権とはあくまでも教皇に危害を加える者を追放することにのみ限定されている。 なお、カール大帝の父ピピンが寄進したローマ教皇領は、皇帝の徴税権が及ばない一つの主権国家とする。
というような皇帝側にとっては、完全な不平等条約でしたが、前述の通りカール大帝は広大な領地の統治手段として、ローマ教会の宗教的権威もあったほうが良いと考えたのです。
古代ローマ帝国とバチカンの関係を簡単にまとめると次のようになります。
・313 コンスタンティヌス帝 キリスト教公認
帝都移転 ローマ→コンスタンティノーブル(現イスタンブール)
『コンスタンティヌス大帝の寄進状』帝国西半分をローマ教皇に寄進
・391 テオドシウス帝 キリスト教国教化
キリスト教は飛躍的に発展、なかでも使徒の長であったペテロ殉教の地に建
てられた『サン・ピエトロ大聖堂』が揺るぎない地位を築く
・395 古代ローマ帝国東西に分裂
・476 親衛隊司令官オドアケル(ゲルマン・スキリオ族)宮廷クーデター
西ローマ帝国滅亡
・ 481 フランク人・サリ族のクローヴィス(メロヴィング家)がフランク人の各部族統一
ガリア(後のフランス)北部にフランク王国を建国(メロヴィング朝の始まり
・751 ピピン(カロリング家)フランク国王に就任、メロリング朝→カロリング朝
・800 ピピンの息子カール大帝12月25日、ローマのサン・ピエトロ大聖堂でローマ教皇レオ三世から皇帝戴冠式挙行。 事実上、バチカンによる西ローマ帝国の復活
『カール大帝は何人なのか? フランク王国内で、ドイツとフランスで出自争い』
ドイツは大帝をカール・デア・クローゼと呼び、フランスはシャルル
マーニュと呼び、それぞれ自らを大帝の後継ぎと主張。
・1273 ルドルフ・フォン・ハプスブルグが西ローマ皇帝カール大帝ゆかりの地アーヘン大聖堂でドイツ王としての戴冠式が行われる。
・1763 ハプスブルグ家・ヨーゼフ二世のローマ王(神聖ローマ帝国継承者の称号)の戴冠式がフランクフルトで行われる。 彼はハプスブルグ生んだ14番目のローマ皇帝で、18番目のドイツ王。
多くの人が勘違いしているのですが、必ずしも神聖ローマ帝国=ハプスブルグ帝国ではありません。そもそも神聖ローマ帝国とは、962年から1806年まで844年間ドイツ王によって統治されていた諸地域の総称です。
ドイツ王がいかなる手続きもなしに、そのまま皇帝になるという習慣が出来上がったのは1508年から。」
ただ、このルドルフ一世が、同家ではじめて神聖ローマ皇帝選ばれ、後に中世ヨーロッパを支配する超巨大国家となるので、この期間は確かに神聖ローマ帝国=ハプスブルグ帝国といっても過言ではありません。
もともとハプスブルク家は10世紀にスイスで興り、1273年にルドルフ一世が同家で初めて神聖ローマ皇帝に即位し、後にヨーロッパの覇権を握る超巨大帝国へと変貌します。
「ハプスブルク家」という名は、同家の祖がスイスのアールガウ地方に築いた城「鷹の城(ハービヒツブルク城)」と呼ばれたことに由来しています。
12世紀初めにオットー2世が伯爵位を得てハプスブルク伯と名乗りました。それから5代目が名前のように鷲鼻だったといわれる始祖ルドルフです。
当時の神聖ローマ帝国は、ドイツ王が存在しない「大空位時代」を経ていたので、ドイツの有力諸侯は、裏から帝国を操ろうと考え、当時はスイス地方の一諸侯に過ぎなかったハプスブルク家のルドルフ一世を大抜擢したと言われています。
1278年、ルドルフ一世は自分の神聖ローマ皇帝即位を認めなかった「オットカール二世(オタカル二世)」を『マルヒフェルトの戦い』で破り、オーストリアの地を得ました。
領邦国家である神聖ローマ帝国は一つの統一された国家では無く、○○公とか△△公とかの集合体で、アメリカ合衆国が50州にそれぞれ分かれて独立しているのと似ています。
・日本人が理解しがたい欧州の『同君連合』 ユナイテッド・キングダム(UK)
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/a4f7b27f35ea09b3ed935f4f9f4215f4
・欧州の『同君連合』ハプスブルグ帝国
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(関連情報)
・神聖ローマ帝国-1 古代ローマこそヨーロッパ人の理想https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/533c7414e9fa85b426143633f15f6078
・神聖ローマ帝国-2 『古代ローマ帝国の留学制度』と『ローズ留学制度』『フルブライト留学制度』
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・神聖ローマ帝国ー3 欧米人は古代ローマと神聖ローマ帝国(ハプスブルグ帝国)が大好き
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・神聖ローマ帝国ー4 バチカン・ローマ教皇との関係-1
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・神聖ローマ帝国ー5バチカン・ローマ教皇との関係-2
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・神聖ローマ帝国ー6 ハプスブルグ帝国=神聖ローマ帝国の始まり
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