大阪市内で大きくなった私です。
小学校は繁華街難波にほど近いところにありました。
低学年の同級生の中には、漢字一文字の姓の人たちが多数いました。
長ずるにつれ、一文字の漢字の姓は、台湾の人の姓だと知りました。
《華僑》と言う言葉も知りました。
お父さんが台湾の人でお母さんが日本の人が多かったようです。
その人たちの家は、裕福で大きな家に住んでいました。
みんな優しくて、その家によく遊びに行かせてもらいました、
部屋数が多いのでかくれんぼもできて、遊んでいてもすごく楽しいのです。
『次郎物語』という本を貸してもらい、
感銘を受けて本の世界に入り込む体験をし、
『本の』楽しみを知ったのも、小学生の高学年でした。
そのおうちに、ロッキングチェアーに座ったお婆さんがいました。
独特の服を着て、その足の小ささにびっくりしました。
何かしゃべってくれているのですが、
言葉がわからず返事もできぬまま、その場を離れました。
今から思えば、何と失礼な事をしたのでしょう。
「こんにちは」ぐらい言える知恵も無いなんて。
ずいぶん昔の事でした。