今ここで書いているのは小説の素人書評ブログなわけですが、そういや「若者の〇〇離れ」といわれていつも上位にくるのが「読書」なのではないでしょうか。もっとも中には「若者の漬け物離れ」といったように、いやいや若者なんてもともと漬け物好きじゃねーし、みたいな自分たちの営業努力不足を棚に上げてなんでも若者のせいにしてる向きもあったりしますが、まあでもこれは実は良い現象だとする考え方もあって、昔の若者の夢とか目標とかって、ともすれば国家戦略や企業戦略であったり、「大人のたしなみ」といって好きでもないのに酒タバコをやったり、バブル期の「クリスマスにはイタ飯で赤プリでティファニー」みたいなマニュアル好きであったり、そういった「呪縛」から解放されて、趣味の多様性、主観的幸福感、自分はこれが好き(これが嫌い)と言い易い世の中になったのかな、と。
以上、若者いまむかし。
さて、宮部みゆきさん。このシリーズも現時点で7巻まで出版されていまして、1巻で4話か5話くらいあったとして「百物語」まで少なくとも20巻は超えないと到達しないのですが、100話までやるんでしょうか。それはそれとして、そもそも主人公のおちかの(心の傷)を癒すためにこんな酔狂なことを始めたのであって、ぶっちゃけ傷が癒えたら百までいかなくても途中でやめても別にいいんですけどね。どうなんでしょ。
お客さんは、(おつぎ)という名の女の子。江戸から相模国の平塚までの中原街道の途中にある小さい村から来ました。おつぎは(お化け)を見た、というのですが、正確には(もうじゃ)つまり亡者、亡くなった人。この村では、春先に、ある「祭り」が毎年開催されるのですが、今年は諸事情で中止との噂が。しかしその祭りは田圃の神様にお祈りするものなので、中止なんてしようものなら秋に米が収穫できなくなると恐れて一部の人らは強硬開催しようとします。そんな中、おつぎが山の中の小屋で見たのは、死んだはずの人で・・・という「迷いの旅籠」。
おちかたちは花見に出かけます。そこで「だるま屋」の弁当を食べたらこれがめっぽう美味しくて、でも話によればだるま屋は一年の半分は休業するというのです。そのだるま屋の主人がやって来て「うちが夏場に店を閉めるのには、面妖な理由がございまして・・・」ときました。主人が房州の田舎から江戸に出て料理人の修行をして、葬式で実家に戻ってまた江戸に戻ろうとしたとき、道の途中で急に空腹に襲われ身動きが取れなくなります。ところがそれからツキが回ってきて・・・という「食客ひだる神」。
今回のお客は、齢五十半ばという武士。といっても、この武士の主家が改易となって、今は浪人暮らし。まだ藩士だったころ、ある揉め事から、山奉行の山番士という役に就かされ、三年という期間、山の中の村に送られることになります。村に行くのはもうひとり、二十歳の若侍。雨が降れば土砂崩れが起き、風が吹けば木々が倒れ、真冬は大雪が降って凍えるほど寒いという過酷な場所。ちなみに前任者のうちひとりは逃亡し、ひとりは行方不明。この村の住人は、過去に罪を犯した者かその家族、または他の藩から逃げてきた者、といった、もう他所には行けないような人たち。そして、この村に伝わる、頭に黒い籠を被った、ものすごい速さで移動する「鬼」が・・・という表題作の「三鬼」。
三島屋に主人の次男が怪我をして奉公先から戻ってくるという話もありつつ、お客が。年配の女性でありながら島田髷に振袖という若い娘の恰好をしているというちょっと変わった(お梅)という老婆。家は芝の神明町で(美仙屋)という香具屋をやっています。初代の嫁がたいそう美人で、それから代々、生まれる娘はみな美人という話で、お梅は三姉妹の末っ子で、長女も次女も巷で評判の美人。ある風の強い日、火事が起こって、周りが焼け落ちてしまったのに、美仙屋はなぜか無事でした。しかし、家の中では、次女のお菊が亡くなって・・・という「おくらさま」。
最終話の中で、「瓢箪古堂」という貸本屋が登場します。おちかと「百物語」を陰で支えるお勝が「お嬢さんは、あの方とご縁があります」と意味深なことを言います。さらに、三島屋の、現在は他所で奉公をしている次男の富次郎が怪我をして三島屋に戻って来て、おちかが面白いことをやっているということで、手伝うことになります。そしてさらに、手習い塾の師匠で浪人の青野利一郎に、仕官の話が・・・
冒頭で説明したおちかの過去の(心の傷)も、少しずつではありますが、癒えてきているところではあります。
以上、若者いまむかし。
さて、宮部みゆきさん。このシリーズも現時点で7巻まで出版されていまして、1巻で4話か5話くらいあったとして「百物語」まで少なくとも20巻は超えないと到達しないのですが、100話までやるんでしょうか。それはそれとして、そもそも主人公のおちかの(心の傷)を癒すためにこんな酔狂なことを始めたのであって、ぶっちゃけ傷が癒えたら百までいかなくても途中でやめても別にいいんですけどね。どうなんでしょ。
お客さんは、(おつぎ)という名の女の子。江戸から相模国の平塚までの中原街道の途中にある小さい村から来ました。おつぎは(お化け)を見た、というのですが、正確には(もうじゃ)つまり亡者、亡くなった人。この村では、春先に、ある「祭り」が毎年開催されるのですが、今年は諸事情で中止との噂が。しかしその祭りは田圃の神様にお祈りするものなので、中止なんてしようものなら秋に米が収穫できなくなると恐れて一部の人らは強硬開催しようとします。そんな中、おつぎが山の中の小屋で見たのは、死んだはずの人で・・・という「迷いの旅籠」。
おちかたちは花見に出かけます。そこで「だるま屋」の弁当を食べたらこれがめっぽう美味しくて、でも話によればだるま屋は一年の半分は休業するというのです。そのだるま屋の主人がやって来て「うちが夏場に店を閉めるのには、面妖な理由がございまして・・・」ときました。主人が房州の田舎から江戸に出て料理人の修行をして、葬式で実家に戻ってまた江戸に戻ろうとしたとき、道の途中で急に空腹に襲われ身動きが取れなくなります。ところがそれからツキが回ってきて・・・という「食客ひだる神」。
今回のお客は、齢五十半ばという武士。といっても、この武士の主家が改易となって、今は浪人暮らし。まだ藩士だったころ、ある揉め事から、山奉行の山番士という役に就かされ、三年という期間、山の中の村に送られることになります。村に行くのはもうひとり、二十歳の若侍。雨が降れば土砂崩れが起き、風が吹けば木々が倒れ、真冬は大雪が降って凍えるほど寒いという過酷な場所。ちなみに前任者のうちひとりは逃亡し、ひとりは行方不明。この村の住人は、過去に罪を犯した者かその家族、または他の藩から逃げてきた者、といった、もう他所には行けないような人たち。そして、この村に伝わる、頭に黒い籠を被った、ものすごい速さで移動する「鬼」が・・・という表題作の「三鬼」。
三島屋に主人の次男が怪我をして奉公先から戻ってくるという話もありつつ、お客が。年配の女性でありながら島田髷に振袖という若い娘の恰好をしているというちょっと変わった(お梅)という老婆。家は芝の神明町で(美仙屋)という香具屋をやっています。初代の嫁がたいそう美人で、それから代々、生まれる娘はみな美人という話で、お梅は三姉妹の末っ子で、長女も次女も巷で評判の美人。ある風の強い日、火事が起こって、周りが焼け落ちてしまったのに、美仙屋はなぜか無事でした。しかし、家の中では、次女のお菊が亡くなって・・・という「おくらさま」。
最終話の中で、「瓢箪古堂」という貸本屋が登場します。おちかと「百物語」を陰で支えるお勝が「お嬢さんは、あの方とご縁があります」と意味深なことを言います。さらに、三島屋の、現在は他所で奉公をしている次男の富次郎が怪我をして三島屋に戻って来て、おちかが面白いことをやっているということで、手伝うことになります。そしてさらに、手習い塾の師匠で浪人の青野利一郎に、仕官の話が・・・
冒頭で説明したおちかの過去の(心の傷)も、少しずつではありますが、癒えてきているところではあります。
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