人間は、幾らでも残虐にも非常にもなれる。
人にはロール・パーソナリティというのがあるらしい。
ある役割を与えられると、その役割通りの性格を演じる事だ。
37年前、スタンフォード大学で行われた
看守と囚人の実験をご存知の方も多いと思う。
そう、この実験は映画化もされている。
(確かドイツ映画でes(エス)という映画)
ちょっと前の映画なので、ご覧になった方も多いと思うけれど
かなり衝撃的だ。ホラーよりずっと怖い。
職業などの役割がどれほど性格の変化に影響を与えるものか…
普通の善良な市民も看守と囚人の役割を与えられると
看守役は残忍凶暴な看守となり、囚人役は囚人そのものになってしまう。
人間は権力を与えられると、その権力を濫用する性向を持ち、
閉鎖された環境(特殊な場)でなくとも、
人は周囲から扱われる様な人間になるという事だ。
不景気の拍車で、安易な雇用形態をとって生き残りに賭ける企業が
企業難民(正社員と同じ労働を強いられる派遣やアルバイト)や
企業囚人(人材(or能力)不足下の管理職の鬱の蔓延)を
せっせと生産し続けている。
大企業の役員さんは派遣さんの気持ちは解からないように
如何様な信念のもとに立候補された議員さんも
一所、権力や特権という魔力の前には踊らされるばかりだ。
とかく弱者の代弁者的な人間というのは
その役割を与えられた時点で
弱者の気持ちなど解かろう筈もない。
思いやりは大切だと解かってはいても
所詮、人の気持ちになって行動なんて出来やしないのだから。
忘れちゃいけないのは、
そこは檻のない狭い世界であって、
権力はそこ意外の場所では大して効力も無いという事実。
そしてもう一度、思い出さなければいけない事は
私達はその「役」である前に
「一市民」であり、「一人の人間」だと言う事だ。
「人は<何であるか>ではなく、<何をするか>」なのだし。
……足元の猫は、猫である。
今日は何位?
←今日は長くてすいません。