穴にハマったアリスたち

生きてれば楽しい事がいっぱいある!の証明の為のページ。ぴちぴちピッチを大応援。第三期をぜひ!
→新章開始!ありがとう!

連休中のご連絡&お礼

2012年04月25日 | 王様の耳はロバの耳
【定時連絡】

私事ですが、連休中は更新が停止します。
次回の更新は5月第2週になる見込み。
毎度おなじみの感のあるフランスに行ってきます。4度目にしてようやくルーブルに行けそう!

出発自体はまだ先だけど、ばたばたしてうやむやになりそうなので取り急ぎ。
毎日更新を目指していたころが、もはや遠い過去のよう最近ですが、そんなわけなので「更新が1週間なかったら死んだと思ってくれ」は今回はなしでお願いします。

【お礼】

本当に、色々な方にお祝いをいただきました。
改めてありがとうございます。

「更新が1週間なかったら…」もそうですけど、所詮はネットの向こう側、私や貴方に何かがあってもお互いに知ることはできない。
急に倒れても、分かることと言えば「最近見かけないね」程度で、ほどなく忘却の彼方。
そんな侘しさもあったのですが、今回の件で吹き飛びました。
確かに実際のところをお互いに知ることは出来ないけど、一人じゃなかった…!
見守ってくださっていた方々には、本当に感謝しています。いつかお返しができるような人間に私もなりたい。

生活が変わっても、まぁこんな調子で性懲りもなくだらだらと続けていくつもりなので、引き続きお相手してくださるとありがたいです。

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生存連絡

2012年04月19日 | 王様の耳はロバの耳
はるかな以前に「1週間、更新がなかったら死んだと思ってくれ」と書いたことあったので、期限の1週間前に慌てて更新。

最近ヤバイです。
どれだけヤバイって、まだ前回のプリキュアさんを見ていないくらいヤバイ。
せっかく購入したプリートフォンを、梱包から出してないくらいにもヤバイ。
噂では、美翔さんをフォローしたりフォローされたりブロックしたり報復したり、そんな夢のようなネットライフを満喫できる超ツールだそうなのに…。

ヤバさの指標の一つとして、うつ病診断に使われる「直近でどういった変化やライフイベントを経験したか」というのがあるのですが。
今採点すると「すぐに病院に行け」レベルになるくらい、色々とまずいです。
悪いことばかりが重なってるというより、良いも悪いも含めて激動状態なだけなので、精神的にどうこうはしてないのですけど、疲れがたまってるのは確か。

これも前にも書きましたが、どういうわけか毎年のプリキュアさんのテーマと、その時の自分の生活は妙にリンクする。
(どういうわけもこういうわけも、時節を読んだテーマが選択されているのだからリンクするのは当然だし、毎週見てるのだから諸に影響を受けるのも不思議ではない、のだけど)

去年は「スイート」的に過去からの絆を再認識する前半。後半はそこから復活。
それはいいとして、おかげで後半からやたらに日々の動きが激しい。
しかも「スマイル」さんのテーマが、分かるようでいまいち見えないせいで、これから先行き不安です。
(星空さんは、自分が神託をつかさどってることを、もうちょっと自覚して欲しい。私、これからどうしたらいいの!)

まぁ変化すること自体がプリキュアさんのテーマなのだし、どうにかこうにか適応します…と思いつつ、去年の終わりから更新速度が遅れまくってる、そんな状況。
とりいそぎ、日曜までには先週分の感想を書かなきゃ。


…この手の、特に意味もない記事を書くこと自体が久しぶりな気がする。変化が激しい毎日だからこそ、ちょっと初心に戻ろう。

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非ロジカルにロジカルを語る

2012年04月07日 | 王様の耳はロバの耳
今週、新人さんの研修を垣間見る機会があったので、酒飲みながらその感想を書いてみる。

(1)
いわゆるロジカル系の講義というか、論理的思考を鍛えようみたいな講義だったのですが。
やってる内容が著しくレベルが低い。
根本的にはその程度の会社に勤めている自分を嘆くべきのような気もしますが、とにかく酷い。

例えば、「論理的とはそもそもどんなことか」みたいなテーマが扱われてた。
このテーマ自体は別にいいと思う。
答え方も色々あるでしょうけれど、私なりに思うシンプルな回答は「検証可能であること」。

「自分の主張や仮説が正しいこと」を証明するには、「自分が正しいことを示す根拠があること」を出すのが大事。
ですが、それと同時に「自分を否定する根拠がない」ことを示すのも大事。
「正しい」=「間違ってない」を完全無欠に証明するのは困難なので、「ほら実際に、間違いだという根拠がないでしょう?」というやり方で証明する。
「無罪」を証明するのではなく、「有罪の根拠がない」を証明するのと同じ。

こう書くと当たり前のことのように思えるけれど、現実にはうっかり混乱しがち。
よくある「何々はパクリだ」とか「こう考えれば辻褄がある」系の思考がまさにそれ。
「自分が正しい根拠」を示す(共通点や肯定根拠を羅列する)ことは大事だけど、同時に「自分を否定する根拠がない」(共通点が「ない」、否定根拠が「ない」)がないと、どれだけ肯定根拠を並べ立てても説得力はない。
(「確かに似ている部分や一致する個所もあるね」「でも全然違ったり、矛盾する点もあるね」で終わる)

ただ当然のこととして、「ない」を示すのは不可能です。いわゆる悪魔の証明。(パクリ論争のような単純な場面ではまた別ですが)
だから「こうすれば私の仮説は崩せる」という手順を示し、「反論したいならやってみな」というスタンスをとる。
できなければ、つまりは「否定根拠がない」のだから、持説が正しいと認めさせることができる。

この「こうすれば仮説を否定できる」があるかどうかが、論理的かどうかの分かれ目。

進化論VS創造論(=全ての生き物は神が作ったという説)を例に考えると分かりやすい。
一部の人たちに「創造論は科学だから公的教育で教えるべきだ」という主張があります。
しかし創造論は科学ではない。何故か。

創造論は神を前提にしているからとか、宗教が母体だから、ではなく。
創造論は否定が不可能なんですよ。
どれだけ「否定」の根拠(例えば、「現実に地層を見ると時代毎に出現する化石が違う」)を提示しても、「一見そう見えるように神が創造しただけだ」と言われたらそれまで。
つまり否定する方法がない。だから論理的ではない。

一方、進化論は否定が可能です。
恐竜と同時代にホモサピエンスの化石や道具が発見されればいい。他にも幾つも手段がある。
だけど現実には(捏造や曖昧なものを除けば)見つかっていない。だから正しい。

ロジカルであることは、「絶対に反論できないこと」ではなく「反論する方法はあるのだが、実際としてできない」。
原理的には反論できるが、現実に否定根拠が見つからないので、結果的に正しい。逆に原理的に反論不可能ならば、それはロジカルではない。
「原理的には反論可能だが、結果として反論できない」ことと「原理的に反論不可能」は全く違う。
でも「完璧な主張」を目指そうとして、うっかり後者になってしまう人がいる気がするから注意。

何か仮説を思いついたときは、自分で自分の仮説に対し、「ではどうすればこの仮説を否定できるか」の視点を持つことは非常に大事だと思う。
そしてその反論方法を試し、「よし、否定根拠はない」と確認できて、ようやく安心できる。
反論手段そのものがなかったり、否定根拠があるようなないような曖昧な時には、仮説の信憑性は低い。
どんだけ肯定する根拠を羅列したり、「こう考えれば辻褄が合う」と言ったところでスカスカになってしまう。

…と思うのですが。

件の研修では「数字で根拠を示すこと」とか「権威あるソースを示すこと」といった内容に終始していた。
ちょっと待て。それはむしろ、騙されやすい人の陥る罠じゃないか。
確かに「数字」や「権威」を出すと、人は信じやすい性質がありますけど、それは「相手を騙す」テクニックであって、「論理的」ではない。

確かにそれはそれで大事だし、ある意味実践的だとは思うのですよ。
でも種明かしを解説しないと、丸っきり無意味に思える。

「~が大事だとXXという学者も言っていて、実験の結果、平均YY%の結果も出ています」
「ほら、数字を出すと説得力があるでしょう」
「…嘘なんですけどね。そんな学者いないし、実験もされてません。でも数字を出すとそれっぽく聞こえるでしょう?」

みたいな。

(2)
もう一つ、説得の際には統計データを示そうといった話もあった。
これまた無意味だ。

例えば「給与を上げてくれ」と交渉する際。
「業界標準より低い。だから上げろ」というのは、一見すると説得力がありそうに見える。
でも無意味です。そもそもの前提である「何故、業界標準に揃えなければいけないのか」が証明されてないから。

それなのに「業界標準」に拘ると、自分たちの業績や実力が業界標準並であることを示す流れに行き始める。
これまた無意味です。
幾ら「業界標準」の根拠を並べたところで、「標準並みではない」根拠を一つ示されたらそれまで。

そうでなくても「業界標準」である必要性がそもそも証明されてないのだから、「標準?じゃあ世界標準と比べてみよう。餓死してないんだからむしろ厚遇だね」と言われたら反論できない。
標準として「業界」で区切るのはありだが、「世界全部」で区切るのはなし…という前提の証明ができていないのだから。
結局は「業界標準」という基準自体が、一見客観的に見えるけど、実は主観でしかない。

だからこういう交渉の際には、もっと個人の利害によった方がいい。
要は「私が不満だから給料上げろ」。
(1)で書いたことと表面的に矛盾しますが、論戦はるならこういうスタンスの方がいい。
論破不可能だから。
(より正確に書くと、論破自体は可能。「不満はない」と示すことができればいい。でもそれって「不満が解消」されてるのだから、結果的にはどっちに転んでも損はない)

もちろん会社としては「お前の不満など知ったことか」のスタンスを取れる。
だから社員同士で徒党を組んで、「社員個人の主観」を無視したら酷い目にあうことを示し、言い分を通す。
勘違いしてはいけないのは、「主観だから納得されない」(転じて「客観的なら納得される」)のではなく、「そもそも個人で文句を言っても会社には通らない」のが正。
ここを間違えると、「客観的な正当性がないのなら、文句を言ってはいけない」(そもそも「客観的な正当性」とやらが、何を基準としたものかが提示されていないのに)といった、わけのわからない思考にハマる。

本来これはシンプルな話なんだと思う。
「不満があるから改善しろと文句をいう」だけなんだから。
それなのに、中途半端に(誤った)理屈に頼って、錯乱してる気がする。

例えば「公務員の給料を下げろ。税金を圧迫してるし、民間平均よりも高くて云たら」みたいなの。
本来要求したかったことは「税金下げろ」とか「民間の給与を上げろ」のはずなのに、「税金が高いのは公務員の給与が高いから…」とか「社会の平均と比べて…」とか、変な方向に走ってる。
論理破綻の典型ですね。

本質的には、公務員の給与が高かろうが低かろうが、そんなことはどうでもいいんですよ。
いいから税金下げろ。公務員の人件費がかさんでるから無理?知らないよそんなお宅の事情は。
貴方の家の事情は、そちらで自由に解消すればよろしい。
公務員の給与を下げるでも、他の方法でもいいから、とにかく税金下げろ。
いえ、ですから公務員が抵抗してるから難航してるとか、そんなことは聞いてないんで。
私は「税金を下げろ」と言ってるんであって、実現方法は知ったことじゃないし、出来ないのなら文句を言うだけです。と。

(もちろん大前提として「業界標準」等が指標として有効であることを、相手にも認めさせることができているのなら別ですが。
よくあるのが、自分の主観で選択してしまっただけの基準を、相手も採用していると思い込んで(つまり「主観」に過ぎないのに「客観」だと勘違いして)、そこを突かれて負けてるケース。
そういった場合、得てしてこの構造自体に気づかず、何故論破されてるのかすら理解できなかったりする)

いわゆる統計が議論の材料に使えるのは、自分が第三者の時だけだと思う。
聞きかじっただけの知識ですけど、「確率」は問題が明確になっているときに、その頻度や確からしさを示すのに使う。
「統計」はそもそも問題すら分かっていないときに、結果から答えを得るときに使う…そうで。

例えば「統計取ったら高齢者が多い。だからこういう問題があるはずだ。調べてみよう。あぁやっぱりあった」とか、「統計取ったら早死にしてる人には塩分大好き人間が多い。何で?…調べてみたら塩分は健康に悪いと分かった」とか。

ですから、当事者として今まさに問題に直面している時には、統計はあんまり役に立たない。
統計の結果、世界中の全ての人が幸せでも、自分が不幸だったら、つまりは不幸なんですよ。だから堂々と文句を言っていい。
わざわざ必死に「いや不幸だと思ってる人は世界中にもいるはずだ」と統計に頼る必要はない。

(3)
いい感じに酒も回ってきたので、もう一つだけ。
まがりになりにも会社の研修としてやるのなら、議論の勝敗と、実利の勝敗は説明すべきだと思う。

「議論には負けたが、結果として勝利」ということは往々にしてある。
例えば「放射能汚染は深刻かどうか」。

「関東は既に甚大な放射能汚染がされている」と主張する人はいる。
逆に「汚染は軽微だ」という人もいる。

では「汚染甚大」派の人は、「大したことない」と証明されたら負けなのか?
もちろんそんなことはない。
確かに議論には負けてますけど、だから何だと。
汚染がなかったのなら、めでたいじゃないですか。
むしろ「はい、実は致命的に汚染されてます。貴方も手遅れで死にます」と証明された方が、(議論には勝ってるけど)人生的には大敗北ですよ。

逆に「たいしたことない」派も同じで、「マジでヤバイ」と分かっても負けじゃない。
逃げるなり対策するなりできるんだから。(仮に手遅れでも、覚悟できないよりはマシだろう)

この辺の「勝ち負け」は、「100%勝ち」「10:0で負け」と綺麗に分かれるものでもないので、微妙に矛盾してるように見えますけど。
要は議論の勝敗と、現実の勝敗は綺麗には一致しない。
ここを履き違えると、何のために主張してるのか分からなくなるし、陰謀論に走ったり、目的を見失ったりする。
(例:「放射能は危険だ」と主張したいあまり、放射能被害が発見された際に大喜びしてしまう、とか。いやそこは嘆くところのはずでしょうに)


…と、そんなことで悶々とした週末でした。

メタ的に見れば、会社や講師が、意図的に非ロジカルな研修してるのかなとも思う。
それはそれで良いとは思う。筋が通った戦略を採用してるのなら、まぁ理解はできるから。
でも本気でこの程度のレベルなのだとしたら、そんなところに所属してる自分も含めて、何やら猛烈に虚しい。


[蛇足]

書いてて思ったのですけど。
現代日本の統計を、プリキュアさんに当てはめて考察したら、何か面白いものが見えてくるかも。

いわゆる一般的な彼女たちの進路として予想されるのは、中学卒業後、高校行って大学受験して…ですけど、もちろん統計的には決して「当たり前」じゃない。
あの28人の中では、中卒で社会に出たり、高校中退したりする子がいても、統計上は不思議じゃない。
(そしてだからといって、見下したり「可哀そう」と思うのはおかしい)
28人もいる以上、不幸にして若い内に病死したり自殺したりする子だっている…はず。

「世界が100人の村だったら」論が流行った時期もありましたけど、「世界が28人のプリキュアだったら」は微妙に新しい知見が得られそうな気が…。
なんか長くなりそうなので、そんなとこで終わってみる。

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くまモン VS スイートプリキュア

2012年02月08日 | 王様の耳はロバの耳
唐突ですが、再来週に熊本城マラソンに参加します。
で、その縁もあって熊本のマスコット「くまモン」に触れてみる。
ゆるキャラグランプリで1位を取った、例の奴です。

くまモン公式サイト

表情があるようで読みとれない正面顔には、ゆるい恐怖を感じます。
底知れぬエロスの気配が漂ってる…。
キティ御大にも通じる不気味さ。

ゆるキャラといえば、普通は地元の名産品や観光スポット、偉人等々にちなむものだと思いますが、こいつはただのクマ。
見た目だけでは、何のマスコットか分かりません。正真正銘、ゆるいです。
そのくせこのクマ、素行が悪い。

[自己紹介より引用]

 一番のお友達
 蒲島知事と熊本県宣伝部長のスザンヌ。

[引用終]

一番の友達を聞かれ、迷わず知事の名を挙げ、次に芸能人とのコネをアピール。
そこは嘘でも「応援してくれる子供たち」とでも言うべきところでしょうに。
ゆるキャラの自覚が足りてません。まずは、知事。話はそれからだモン。

くまモンが活動を広げた経緯も血なまぐさいです。
昨年開通した九州新幹線のマスコットとして、西郷隆盛が使われたそうですが、これに熊本県民が激怒。
そりゃそうです。西南戦争で戦ってる上に、福岡-鹿児島でアピールされたら、熊本は素通りされてしまう。
そこで応戦するために抜擢されたのが、穀を潰していたこのクマ。始まりからして好戦的です。
こうしてみると、どこが「ゆるい」のか悩みたくなります。

そんなクマですが、キャッチフレーズの「くまもとサプライズ」の説明を見て、ちょっと感動した。

[引用]

 「くまもとサプライズ」は、平成23年3月の九州新幹線全線開業をきっかけに、熊本県の人びとが、自分たちの周りにある「サプライズ=ハッピーなびっくり」を再発見し、「サプライズ=ハッピーなびっくり」を熊本県の人びとをはじめ、全国の人びとへ広め、熊本をさらに活気とハッピーがあふれる街へと成長させていくプロジェクトです。

[引用終]

「熊本県の人びとが、自分たちの周りにある「サプライズ=ハッピーなびっくり」を再発見」。

これは凄くいい発想だと思う。
まず、県民自身が自分たちのハッピーを再発見しよう、か。
新しい観光資源を作るのではなく、「え、これ観光資源だったんだ。サプライズ!」と再発見。
地元民は地元の観光地に行かないもの。だからこそ、意識して掘り出そう。
グローバルとか変化の時代とか言われがちですが、地に足をつけて過去を再発見することを全面に押し出すとは…。

てっきり「街角を曲がったらクマとばったり!サプライズ!!」的クライシスな意味かと思っていたのですが…。
ごめんなさい。「そんな危険な街なんかには行きたくない」とか思ってごめんなさい。
過去を発掘し、力に変える。
どこぞのプリキュアさんたちが言っておられたことと、まさしく同じ。
やっぱ去年は、そういう年だったんだ。

それを踏まえた上で、「くまモン体操」を見ると、なかなかに熱い。

くまモン体操(くまもとサプライズ)(リンク先:YouTube)
くまもとサプライズ大辞典

正直なところ、熊本の観光地と言われても、熊本城や阿蘇山くらいしか思いつかなかった人間ですが、こうして見ると壮絶な気合が伝わってきます。
な、なるほど。確かにサプライズだ。
これが県民自身が再発見した成果か…。

歌のサビは秀逸すぎます。

 『くまもとが大好きでヨカッタ!!』

観光PRなら「大好きになってね」とか「大好きになった」とかにするのが普通。
しかしそこであえて「大好きでヨカッタ」。
漠然と持っていた郷土愛を、再発見。そして噛みしめる。大好きで良かったと。これは熱いな…。

あのクマがグランプリを取ったのも納得しました。こういう戦い方ができるのは凄い。

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webR25より:『愛社精神』は必要?不要?

2012年01月18日 | 王様の耳はロバの耳
Yahoo!のトップにリンクがあったのでネタにしてみる。

『愛社精神』は必要?不要?

私的には「必要」が答え。

というのも、結局は最後はこの問題にぶち当たる。
例えば「仕事は金のためにやってるんだ」というのは非常によくある答えだけど、徹底できてる人は少ないと思う。
本当に金を目的とするならば、生活残業は必須だし、そもそも仕事を完遂する理由も消える。

今のご時世、給料がガリガリと上がることはないのだから、成果だとかは無視していい。
優秀な成績を収めて昇給するよりも、適当に昼寝して生活残業した方が効率いい。
もっと言えば、生活残業どころか空残業や空出張でいい。会社には寝るために行こう。

でもそういうことをやってる人を美化する風潮は、私の知る範囲ではない。
ということは、「金のためにやっている」は、そう言ってる当人としても本心では納得してない。
無意識のうちに、仕事を一定以上の基準でクリアすることを目標にしてしまってる。

もちろん、そうやって適当な仕事をしてたら解雇されるといった事情はある。
が、だったら尚のこと「自分よりもサボっている人」の存在は、ありがたがらないと変。
要は安全基準になるわけですし。アレがクビにならない間は、適当にやってても大丈夫だ。

逆に言うと、給料が増えたところで満足度は上がらないとも思う。
頑張って成果を挙げて、それが高く評価されて、翌年の月給が1万円上がりましたと。
何か嬉しいんですか、それ?
だって、適当に数時間、生活残業すればいいじゃないか。
昼間は適当に寝て、終業後にむくりと起き上がって仕事する人より、給料効率悪いんですよ。

じゃあ給料が上がらなくても満足かと言うと、もちろんそうはならない。
上がらなくても不満に思う可能性が高いのに、上がりすらしなかったら満足するわけがない。
ただ、それだけでも駄目なんじゃないかと。

現実問題として、「愛」や「信仰」のレベルで仕事をしている人間には勝てないと思う。成果の面でも、やってる本人の幸せの度合いでも。
何のために仕事をしているかといえば、「商品を作るため」でも「金を儲けるため」でもなく、自分が幸せな人生を送るためなんだし。
だから決定要因は「愛」だろうと思う。

このブログを読んでくださってる方も、色んな仕事をされているでしょうけれど、ちょっと想像して欲しい。
例えばもしも仕事がプリキュアさん絡みだったら、幸せ度が違うと思うんですよ。
出社したら桃園さんが「おはよー」とか言ってくれるんですよ。
美翔さんが今日も怒られてる横でデスクに向かい、給湯室では陰鬱な顔した九条さんと立ち話し、来海さんの企画立案したアイデアの実現のために汗を流し、北条さんと一緒に共通体験を積み重ねるんです。
今の職場の上司に「大丈夫だから頑張れ」と言われても「まず根拠を示せ」と反感を持ちますが、それが夢原さんだったらどうか。
夢原さんが「大丈夫」と言うのなら、何かもう大丈夫に決まってる。だって夢原さんが「大丈夫」と言ったんだから。無条件で頑張れる。給料?いらないですよそんなもの。

そんな生活が送れることと、「年収2倍」とかのどちらを選ぶか…と言えば、私は迷うことなく前者。つまり愛社精神は大事だ。

ですが残念ながら、現実にはそんな「愛」を私的には仕事に対しては持てない。
そして好きではないものを、何の理由もなしに好きになることはできない。
ではどうすればいいかとなったら、相手に歩み寄ってもらうしかない。

既に書いたように、給料が上がっても特にありがたくはない。
だって立派な成績を上げたのだから、給料アップは最低限度の当たり前だ。
「上がらないと不満」であって、「上がれば満足」という基準じゃない。

じゃあ何なら満足できるかと言えば、規定されている以上のことで、社員に還元しろと思う。
「成果を上げたから給料アップ」ではなく、「成績とは一切関係なく給料2倍」とかそういうの。
それを継続してやってくれたら、愛社精神も芽生えるんじゃないかな。

というわけで、愛社精神は大事です。給料よりも大事で、社員のモチベーションアップや、ひいては業績アップにおいても必要不可欠。
だから会社は社員に対し、愛社精神を求めていくべき。しかし現時点で愛されていないのなら、規定以上の報酬でもって社員に接しないと、絶対に無理。
従って愛社精神は大事だと思うのなら、まず社員に対して会社が愛情を示せ。出来ないのなら、一方的に罵られ続け、業務が一切改善しないことを当然として受け入れるべき。

で、今現在、まだ学生の方はこういう面倒くさいことを考えないでもいいように、是非「愛せる会社・仕事」を選んで欲しい。
「自分にできる仕事」とか「自分にあった仕事」とか「待遇の良しあし」とかそんなのは無視して、好きな分野に邁進するのが一番。

全くもって本当に、過去の自分はどうしてそこまで頭が回らなかったのか。
出社したらミルミルさんが「おつかれー」とか言ってくれるんですよ。
レモネが今日も仕事取れなくてイライラしてる横でデスクに向かい、給湯室ではブッキーさんに籠絡され、月光さんの企画立案したアイデアの難易度に冷や汗を流し、日向さんと一緒に営業を頑張るんです。
「今日の業務はザケンナーを殴ることです。危険手当として100万出します」と言われても「危険なんだからそれくらいは当たり前だ。ていうか少なすぎる!」と不平を持ちますが、「共同作業者は花咲さんです。ちなみに彼女は今フリーで、守ってくれる人が好みです」と言われたらどうか。
命をベットして喜んで殴りに行きますよ。危険手当?そんなものより大事なものが、ある。

そういった生活が出来れば、月曜日の存在に暗澹としたり、待遇がどうの報酬がどうのと悩まなくても済むんです。なんて憧れる。やっぱり愛社精神は大事だ。

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Yahoo!ニュースより:「コールドプレイ、タンバリンを振っていたファンに注意」

2011年11月28日 | 王様の耳はロバの耳
場つなぎ的に。

コールドプレイ、演奏を中断してタンバリンを振っていたファンに「やめてほしい」と注意

[引用]
 ロンドンで行われた学習障害をサポートするチャリティ・イベントに出演したコールドプレイが、あるファンのタンバリンの伴奏に耐えられず演奏を中断する事態が起きた。

 英ザ・サン紙によると、コールドプレイが「The Scientist」を演奏していたところ、クリス・マーティンが歌を歌うのを突然やめ、ファンに声をかけた。「無礼な態度を取るつもりはないが、これはタンバリンを使うような曲じゃないんだ。正直言うと、この曲のレコーディング時にはタンバリンも試したけどボツになった。だからタンバリンなしで10年以上演奏をしてきた。合うかもしれないけど、僕はタンバリンなしに慣れてしまっている。悪く思わないでほしい」とステージからファンにやめてくれるよう呼びかけた。
[引用終]

ソースが「ザ・サン」というあたり、そもそも本当にあった出来事かどうかを疑う必要はありますが。
とりあえず事実だとしたら、良い話だと思う。
演者の方は神なのだから、こういう、すべき注意はしていって欲しい。

「客はお金を払ってるんだから」という考えもあるものの、個人的には逆だと思う。
「お金を払うから、唄ってください」の発想。
あちらは金を得るためだけなら歌以外の選択肢もあるのに対し、こっちはその方に唄ってもらう必要がある。
となると、立場は明らかに演者さんの方が上ですよ。
お願いですから、お金くらいなら払いますので唄ってください。

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悪魔の証明と不信感

2011年11月11日 | 王様の耳はロバの耳
色々と書きたい記事もたまってるのだけど、微妙にストレスな一週間だったので八つ当たりしてみる。

先日友人からこう言われました。

友人:
 「原発の汚染調査について、地上数メートルからの測定値ばかりで不十分だ」
 「放射性物質は地表に集まるのだから、地上1メートルから測定しないと安心できない」

一見正しそうに見えるし、理屈も通って見える。
でも凄く危うい思考だと思う。

まず「何で1メートルからの測定ならOKなのか?」に根拠がありません。
「放射性物質は地表に集まるから」だというのなら、何で50cmとか地表面とかじゃないの?
「地表数メートルから計るよりも正確だ」という理屈も同じ。じゃあどうして、10cmや地面を削って測定するのではなく、1mなの?
(更に言うなら高い数値が検出されても、そもそも本当に危険なのか?現実に異変は起きていないのに?といった不明点もあるのですが、それは割愛)

誤解のないように強く書きますが、私は「汚染は軽微で何の影響もない」と言いたいわけではない。
本当に「1m」で測定しないといけないのかもしれない。
ただ、非常に気になるのが、この思考の背景にあるのが「今の測定結果で問題が判明しないのは、測定方法が悪いからだ」だと思われる点。

言うまでもなく、「問題がない」ことを証明するのは困難です。
「問題がある」ならできる。問題を見つければいいんだから。
でも「ない」ことを証明するには、「実際にあるという報告がないから、ない」としか言えない。

で、ここで落とし穴にハマってると思うのですよ。

「汚染を調査しないと安心できない!」
→「5mの位置の放射線量を測定しました。異常なし。だから問題は無い」
→「いいや1mで測定すべきだ!安心できない!」
→「1mでも測定しました。異常なし。だから問題は無い」
→「いいや50cmで測定すべきだ!安心できない!」
→「50cmでも測定しました。異常なし。だから問題は無い」
→「風向きや海抜も考慮すべきだ!安心できない!」
→「そんな複雑な要因までは考慮できな…」
→「やはり発表できないんだ!日本政府は結果を隠している!!」

こういう構造になるのがありありと予測できます。
「不安だ」「問題がある」という前提があるので、実際に「問題」が見つかるまでひたすら「不安」で探し続ける。
その内に「証明不能」か「何らかの問題」の類に必ずぶつかるので、「やはり問題があったのだ!」となる。
もしくはお馴染みの「○○は隠している」や「影響がないとは断言できないはずだ」と言い張る。
なんかもう、うんざりなわけですよ。

似たようなパターンは幾らでも思いつきます。

(例)
ある人が、最近わけもなく体がだるいので、何かの病気ではないかと心配になり、病院に行きました。
そこの医者からは、「何も異常なし。気のせいか疲れのせいだ」と診断されました。
だけど納得がいかない。不安なので、別の病院にも行ってみることに。

 医者Bの診断:異常なし。病気ではない。→納得いかない!不安だ!
 医者Cの診断:異常なし。病気ではない。→納得いかない!不安だ!
 医者Dの診断:異常なし。病気ではない。→納得いかない!不安だ!
 医者Eの診断:異常なし。病気ではない。→納得いかない!不安だ!
 医者Fの診断:これは○○という病気だ。すぐに治療が必要だ。

そこでその人は、「ああやっと名医に出会えた」と満足して通院するようになりました。

…第三者の立場からすれば、すぐに不思議に思うはず。
他の大多数の医者の診断よりも、「病気だ」と診断した医者を信じる理由は何か?
もちろん、本当に名医だったとか、特殊な診療装置を持ってる病院だったとかで、真に病気だった可能性は当然あります。
ですが肝心な点として、「自分にとって望む結論」が出たというだけで信じるのは非常に危険です。
まさしく典型的な宗教のパターン。(注:宗教が悪い、と言いたいわけではない。実は根拠はないのに、筋が通っているように思うのは悪い)

なんなら人間関係の例でもいいです。

(例)
ある娘さんが、恋人さんと結婚するかどうか、このまま一緒に生活できるかと悩んでいました。

 食べ物の好みはどうか?うん、大丈夫。でも問題が見つからないのは逆に不安だ。
 服の好みは?うん、大丈夫。でも問題が見つからないのは逆に不安だ。
 ご両親との相性は?うん、大丈夫。でも問題が見つからないのは逆に不安だ。
 じゃあ健康は?たまにだるくて、休みの日は家にいたいことがある?私は遊びに行きたいのに?
 …やっぱり問題はあったんだ!私達、上手くいかない!

みたいな。
アホくさいけれど、似たようなケースは本当に頻繁に出くわします。
仕事の成果物に本当に問題がないかとか、自分はダメ人間なんだとか、人生の意味だとか何だとか。
もううんざりだ。

しかも困ったことに、いざ「本当に問題がある」と分かった時に、そこで何故か安心しがちなんですよね。
例えばしばらく前に、新型インフルエンザが流行った時。(今でも「新型」と言うんだろうか…?)
あの時も実際に感染が表面化するまでは、海外とは交流を断てくらいの勢いで騒いだものですが、いざ流行し出したら逆にどうでもよいノリに移ったように思います。

今回の放射能騒ぎも、本当に危険な数値と結果が出たら、「それみたことか」と勝ち誇って満足しちゃう人たちが、結構いると思うんですよ。
本当はそこからが大事だし、異常を検出してる時点で「科学の敗北」的なことではないのに。

「問題がない方が不安で、表面化したほうが安心する」というのは恐らくホモサピエンスの本能なんだと思う。
ですので、理屈ではこうだ、と言っても納得はできないはず。私もそうですし。
でもトリックが分かってるのに、振りまわされるのも馬鹿馬鹿しい。
初めの放射能の話で言えば、「この基準での調査が行われれば納得する」という自分のラインを決めたら、そこで納得するしかない。
結果論として、その判断が正しいか間違っているかは、ここではあまり問題じゃない。後出しで条件を変えて不安がるのはおかしいという話。

多分この心理を前向きな方向に使うと、「大きな課題に取り組む時は、細かな小目標を立てよう(「敵」を明確化しよう)」とか、「内部で結束するには仮想敵を作るべし」とかにつながるんじゃないかな。
漠然とした不安があるのなら、どうせ後出しで不安を探し求めてしまうのだから、最初からはっきりと「敵」を想定して、それを克服することに全力を注げば、少しは軽減できるんじゃないかと思う。
まぁそれが出来たら苦労しないよというのが、私のこの一週間の感想だったりもするのですが。

【蛇足】

逆の発想はなかなかされない、というのは不思議。

「危険は絶対にない、とは言い切れないはずだ」と考えて不安がる人と比べ、
「安全は絶対にない、とは言い切れないはずだ」と楽観する人は少ないと思う。
不安がって問題を探し続ける人は多いけど、面白がって幸福を探し続ける人は少ない。
(理屈としては同じ構造なのだから、説得力も同程度にはあるはずなのに、後者の方が胡散臭く見える)
ホモサピエンスは面倒くさい…。

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見つけてみた:24時間インドアマラソン

2011年10月25日 | 王様の耳はロバの耳
そういえば東京マラソンの当落発表の季節だな…と思いだしてみた。
まぁ今回は申し込んでいないので特には関係ないのですが、その流れでうろうろしてたら見つけてみた。

第1回日本24時間インドアウルトラマラソン

あらゆる面で意味が分からない。
「24時間」「インドア」「ウルトラ」「マラソン」。
一緒に並べてはいけない単語がぞろぞろと。

まさかそんなレギュレーションじゃないだろう、と誰もが思ったそれが、正真正銘のレギュレーションです。
指定の屋内会場を、24時間延々と走るだけ、という競技のようです。
「雨天決行」という一文がジョークの域。そりゃインドアですから。

「24時間」と言っても実感が湧かないかもしれないので、卑近な例にたとえてみましょう。
具体的には「ふたりはプリキュアSplashStar」を第1話から第49話まで視聴しても約21時間。
追加で「チクタク危機一髪」「DX1」「DX2」「DX3」と美翔さんの活躍ムービーを全制覇して、ようやく24時間です。
あの高飛車だったころの美翔さんから、猫背の美翔さんを経て、再びちょっと得意気になってるオールスターズ美翔まで堪能して、24時間。
それほどの長い間に、やってることといえば走るだけ。

距離にも換算してみよう。
過去のスタンプラリーの経験を踏まえると、私の体力では8時間で約50キロ。
24時間だと150キロ程度と予測されます。
わずか一日の間に、プリキュアさんスタンプラリーに3回挑戦するようなものですね。
生産的なのか、非生産的なのか、判断に悩む。

コースの周回が300メートル弱というのも酷い。
参加者をバターにすることが目的としか思えません。
「走って何が楽しいの?」という至極まっとうな疑問に対する、数少ない大義名分「景色を楽しむ」すら否定ですか。

まだ参加者募集のようですので、己の限界に挑戦したいという方は挑まれてください。
人生において、最も長い一日の一つにはなると思う。

【蛇足】

走ってる横で、24時間連続視聴の如くプリキュアさんを延々放送してくれてたら熱そうです。
シリーズのクライマックスで叫ばれる「絶対に諦めない」の台詞に、心の底から共感できそう。
もしくは「いい加減に諦めさせてくれ」と憎悪を抱くか。

ついでに思いましたけど、1シリーズを24時間視聴した方は意外と多いと思うのですが、全シリーズを同時24時間視聴は、ちょっと盲点かも。
画面を8台用意して、全シリーズを一斉に1話から視聴するの。
各シリーズが中盤戦で「ピンチ→追加アイテムや追加戦士の登場でカタルシス」な展開をやってる横で、美翔さんだけどんより展開してるの。
そんなシリーズ比較をしつつ、贅沢に楽しめるんじゃないでしょうか。
誰かやってみないかしら。

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TEAM廃墟 エロ本小屋

2011年10月05日 | 王様の耳はロバの耳
TEAM廃墟 エロ本小屋

なんか物凄い勢いでスパムを招きそうなタイトルですが。
某所で紹介されてて興味深かったので書いてみる。

世の中には「廃墟を探索して回る」という趣味人がいます。
気持ちはとても良く分かる。
かつては誰かが使っていたはずなのに、今では誰もいなくなった建物は、色々と胸に去就するものがあります。

そんな趣味を持った人たちが発見した謎の小屋「エロ本小屋」。
山奥の廃屋で、中は大量のエロ本の『切り抜き』で埋め尽くされてるという怪奇極まりない小屋です。
エロ本が落ちてるんじゃない。1枚1枚ばらばらにした切り抜きが落ちている。
それも明らかに定期的に補充されている感じで。
ぶっちゃけ「廃屋に白骨死体」とかよりも異様です。意味が、分からない。

当然、発見した方は異常に慄くわけですが。
同じように疑問を持っていた同士がネットを通じて知り合い、定点観測を行い、やがて真相へ。
「訳が分からない!本気で怖い!」から、みんなで遊びに行くまでになる過程が妙に熱いです。
そして最後の展開は、やっぱりとても悲しい。

私らの身近にも「意味が分からない」現象は結構あります。
で、そういった怪異を現実に調査していき、真相が分かるのはとても興味深い。
そこに物がある以上、絶対に何らかの事情があり、何らかの理由があり、誰かが介在しているはず。

もしもその真相に彼らが行きつかなかった場合、「意味が分からない」まま都市伝説化してたわけで。
結果は決して、無条件に楽しんでよいものではないけれど、何かの意義はあったんだと思いたい。
足掛け5年以上にも渡る現地調査にも、頭が下がる思い。
ネット上だけで、あれこれ推測して分かったような気になるのとは違いすぎる。

「世の中には謎の現象がある」という意味でも、「その謎の真相」という意味でも、「真相を突き止めるだけの行動力」という意味でも、色々と感じるところがありました。

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提唱したい:LoveDestiny 療法

2011年09月29日 | 王様の耳はロバの耳
Twitterの方でも書いたのだけど改めて書きたい。

ちょっと落ち込むことがあって、脳内で悶々と悩んでいました。
性質の悪いことに、考えれば解決できることでもないので、考えれば考えるほど悪い方に落ち込んで行く。
「これはまずい」と自分でも分かったので考えないようにしようとするけど、やっぱり気分が凹んでいるので考えてしまう。

問題点を列挙して、いかに問題であるかを確認し続ける。
既に何度も思考済みのことを、延々と繰り返し続ける。
自虐するのは一種の娯楽なので、いつまでもそこに留まって「不幸ごっこ」に浸ってしまう。
はたまた何が不安か分からないのだけど、何かが漠然と不安で頭から離れず落ち着かない。
解決方法を考えてもまとまらず、考えることでまた思考が混乱していく…。

ここから抜け出す単純な方法は、「考えない」こと。でもそれができれば苦労はしない。
問題そのものを解決する手もあるけれど、そもそもそれが困難だから悩んでいる。
誰かに相談しても、状況が変われないのであれば結局は解決しない。

そんなどうしようもない状況で、唐突に脳内にお歌が鳴り響きました。
本当に、何の脈絡もなく、唐突に。

『Love Destiny』(リンク先:YouTube)

なんかもう、どうでも良くなった。良い意味で。

ひたすら脳内をリピートし続ける「Love Destiny」を聞きながら、脳が弛緩していくのが良く分かりました。
弛緩なのか腐敗なのかは分かりませんが、とにかく力は抜けた。
さっきまで悩んでたアレはなんだったんだ。

これは割と真面目に前向きな効果があるんじゃなかろうか。
一見アホらしいけれど、それなりに理にはかなってます。
「何も考えない」は難しい。でも「無意識に思い浮かぶことを繰り返す」は楽。
考えることが問題ならば、別の思考で塗りつぶせばいいんだ。
「念仏を唱えると落ちつく」「子守唄を聞いた子が寝る」「羊を数えると安眠できる」「じっとしているより散歩したほうが考えがまとまる」など、同様の効果を使った例は幾らでもあります。

「Love Destiny」は延々繰り返すテンポの曲なので、脳内リピートしやすいのも良い。
落ち込んだ時は人に会うのも億劫になりがちで、それが更に凹みを招くものですが、歌詞が「会う」を連呼しているため、自己暗示もかかります。

「会う」以外の歌詞全体にも「勢い」と「覚悟」が満ちていて、BGMとして最適。
そして「いや待て、勢いと覚悟に走っちゃダメだろう、そこは」という「シスタープリンセス」を知っている人間にだけ通用する、この無意味な連帯感。
自分で客観的なツッコミを入れられることにより、勢いに熱せられすぎることも防げます。
あらゆる意味で心理療法として優秀だ…!

悶々と自己嫌悪や自己憐憫から抜け出せない時、「Love Destiny」をエンドレスリピートしてみよう。
「もはやどうでもいい」という思考に陥った後に、「咲耶うぜぇ」とぐったりし、最終的に立ち上がれたら勝ちです。
「シスプリ」をご存じの方になら、この心境、理解してもらえると信じてる。

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