穴にハマったアリスたち

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映画「プリキュアオールスターズF」感想

2023年09月15日 | プリキュア映画シリーズ
■映画「プリキュアオールスターズF」感想


(公式パンフレットより)

20周年記念作。
最初に、あえて一言で無粋にまとめてしまうのなら。

『強大な外敵に対し、プリキュア20シリーズを一気見させて、こちらの価値観に共感させる』

という映画。
まとめると冗談に聞こえてもしまうかもしれないけれど、これが「破壊と創造」へのプリキュアさんの解なんだろうと思うし、とても納得できる。

外世界から飛来した謎の敵・シュプリーム。圧倒的な力の前に、プリキュア全チームは敗北。世界は破壊され、創造という名のグロテスクな遊び場とされた。
だけど消されたはずの「プリキュア」は、なぜか存在した。

世界がどれほど変わろうと、汚されようと、「プリキュア」はいる。戦ってくれる。だって「プリキュア」なんだから。
壊れて歪んだ世界でも、仲間と引きはがされても「プリキュア」たちはいつものように笑い、旅をし、また集まって戦う。

悪い敵をやっつける。無力な人々を守る。
そんな単純な理解では、「プリキュア」ではない。

シュプリームによる「プリキュアパロディ」は、何がどうおかしいのか表面的には説明できないものの、醜悪な何かが確かにあった。
敵と戦い、敵を倒す。それっぽい変身バンクと決めポーズ。見た目はプリキュアなのに、薄っぺらなモノマネ。
(メタ的には「玩具を持っていない(≒誰からも承認や期待をされず、何も背負っていない)」ことが決定打とも言えるかもしれない。妖精には気づいたが、玩具には気づかなかったらしい)

「破壊と創造」の名のもとにグチャグチャにされた世界で、プリキュアさんたちは戦う。20年のこれまでの歩みを背負って。
シュプリームとの対話の大半が、かつてのアーカイブで成立するのは凄まじい。その疑問も、その反論も、とっくの昔に私たちは通過してきた。その答えを、私たちは持っている。
特にマナさんの登場シーンは見事すぎる。圧倒的な説得力。

対ミデンは救済の側面が強かった。対シュプリームはそれとは異なる切実さがある。
私たちが私たちであるために、外敵と戦う。
浴びせ続ける20周年のアーカイブ。ある意味、禁じ手の「価値観の上書き」。でも知り合うということは、そういう側面も避けられない。

幾つもの世界を滅ぼしてきた、「至高」を自称する絶対正義者の敵。
「プリキュアになれば何かが変わる」と思い込み、薄い理解で「プリキュアになっただけ」のプリキュアごっこに興じる者。
「破壊と創造」を嘯き、その世界に住む存在を無視して弄ぶ。

これまでとは本質的に異なる敵に対し、突き付けた解答は「相手をプリキュア化する」。

正体不明の謎の敵シュプリームは、再戦時にはプリキュアに酷似した姿に。
異物がプリキュアに侵食してきた、のではない。接触を通じて、異物をもプリキュアに変えた。
そうやって「プリキュア」を繋いでいく。

実生活においても言えることだろうと思う。
今年はプリキュア20周年。最初期の視聴者が就職し、社会にでて数年たったのが今。
「プリキュアを布教しよう」なんて単純な話ではなく、プリキュアに触れて育ってきた人々が、そこから得た何某かで社会を生きていくなら、何らかの影響は社会にもあるはず。プリキュアが変わるのではなく、社会が変わる。大袈裟ではあるけれど、昨今の環境を思うに、矜持として大事にしたい。

【オールスターズ】
選抜チームの皆様も、スポット参加の皆様も、とても「らしい」活躍でときめきました。
適当に数合わせの賑やかしをしているのではなく、ちゃんと「その子ならでは」の動きをなさってる。
結果的に出番に差はあったけど、とても納得いく。マカロンさんを初め、皆さま株を下げることなく活躍されてた。

良い意味での省略・割愛の高速展開も素晴らしい。変身バンクとOPを重ねる発想はなかった。
小ネタの数々も言うまでもなく。ビクトリー!
身長ではなく体長を使った活躍とか、人魚さんをよく分かってらっしゃる。

「プリキュア」を日常的に使ってる描写が幾つかあったのも象徴的。
調理のために変身するとか、壁をぶち抜くために一人だけ変身するとか。

マジェスティさんをどう登場させるのかと思ってたけど、「最後のプリキュア」発言からの「最後ではない」での参加。まさに「繋ぐ」。そして歴代キュアやオアシスさんやペコリンなどなどに繋いでいく。
シュプリームからすれば理解不能の恐怖だろうと思う。繋いでいくプリキュアの力。

ハグプリのオルスタ回のオマージュも、目まぐるしい展開に脳が追いつきません。
旅立ったはずのミラージュさん達までいるあたり、つくづく全世界規模の総力戦だったんだなと。

状況的に、モエルンバやキントレスキー、ジコチューの皆様やノイズ様といった面々も戦っていたんじゃないかとすら思う。
シュプリームが生み出したアーク(※)は、これまでの敵を侮辱した幼稚なパロディ。敵には敵の矜持があるはずで、立ち上がっていたはず。
アレは「プリキュア」の世界の外から来た存在。私たちが私たちであるために、彼らも戦う。

※アークって「箱舟」かと思ったんですけど、もっと単純に「悪」かしら。ふざけ切ったネーミング。確かに「サイアーク」等も過去にいたものの、「プリキュアってこういうのでしょ?」という安易なパロディ。

壊れたタコカフェ等の、負の参加も切ない。
それこそもっと踏み込むなら、あの世界には「破壊と創造」で無残にキャラ変された七瀬さんとか誠司くんとかも、画面外にいたのかもしれない。
最終決戦で呼び出されていた無数の敵も、イメージ的には「プリキュア」の紛い物ですよね。もしかしたら実際(?)には、ドリームやミラクルといったプリキュアたちをコピーしていたのかも。

城内での戦いも、あっさり吹っ飛ばされて負けるのではなく、生き残っていた各自がそれぞれ思考して戦ってる。
そのせいで、とにもかくにも辛い。適当に「はい負けシーン」と流せない重みが全編にあり、全滅の絶望が胸を締め付ける。
過去に類を見ないほどのグロテスクで辛い戦いだったし、館内ではお子様の泣き声が幾つか聞こえてた。
本当にきつい。スカッと爽快に勝つといった映画ではない。

最初の戦いの回想シーン、ミルキィローズの墜落シーンが妙にクローズアップされてた。
やられる1人を見せるのであれば、ブラックやドリームが撃破されている方がインパクトはあったと思うのだけど、なぜローズだったんだろう?
ただ展開としては分かる気はする。アナコンディを一人で足止めしたり、ムシバーンとの一騎打ちなどを見るに、ミルクさんは最も苛烈な場所を支えてくれる気がする。
多分、スターやハッピーの接近戦のために真正面で攻撃を引き付けてたんじゃないかな。

こういう「直接の描写はされていないけど想像できること」が山盛りの映画だった。
繰り返し見るたびに発見があると思うけど、まずは初回の感想として残したい。

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