先日他界されたJ・P・ホーガンさんを偲び、未読の小説を読んでみた。
■造物主(ライフメーカー)の選択 (創元SF文庫)
[引用]
人類は土星の衛星タイタンで驚くべき異種属と接触した。彼らは意識を持ち自己増殖する機械生命で、地球の中世西欧社会そっくりの暮らしを営んでいたのだ。人類との接触で新たな道を歩み始めた機械人間たちだったが…大きな謎が残されていた。彼らの創造主とは何者なのか?コンタクトの立役者、無敵のインチキ心霊術師ザンベンドルフが再び立ち上がる!『造物主の掟』待望の続編。
[引用終]
前作「造物主の掟」を読んだのは何年前だったか…。
当時も最高に楽しめましたが、続編たるこの小説も最高でした。
インチキ霊媒師のザンベンドルフを通しての、痛烈な皮肉と爽快な展開が堪らない。
ザンベンドルフさんは言う。
「超能力を標榜するペテン師は高く評価するのに、真剣に研究している学者を軽んじる世の中は間違ってる」と。
そして「そんなに超能力が好きなら、いくらでもでっちあげて提供してやる」と。
どんなに客観的な反証を突き付けられても超能力を信じ、まともに議論の筋道も理解できず…。
そんな愚かな一般大衆なんて、こちらから積極的に騙して熱狂させてやろう。
単に疑似科学や超能力を馬鹿にするのではなく、一回りしての視点が面白い。
あっさり手玉に取られる一般人の皆さまは、滑稽なのか悲劇なのか。
理屈を追えば明らかに「嘘」と分かるのに、それに気がつかないのはやっぱり不幸なのだと思う。
タイタンで出会った異星文化も、人類と同様に迷信に支配されています。
それが故に、ザンベンドルフの仕掛けたトリックに扇動されてしまう。
つくづく、痛快なのか悲しむべきなのか分からない。
今回の相手は、人類より軽く数百年は科学技術が進んだ異星人。
その技術力は圧倒的で、しかも狡猾。人類は危機を認識するよりも早く、簡単に詰んでしまった。
だけど偶然、彼らの使っている人工知能がザンベンドルフに興味を示します。
「貴方は科学理論を越えた力を使えると言うが、本当か」。
「もしも本当ならば、私は考え方を改める」。
こうして唯一の突破口になりそうな「敵の人工知能の籠絡=超能力があると信じ込ませる」に挑戦することに。
超科学に敗北した人類の最後の切り札が「似非超能力」というのは、自棄具合が半端ない。
騙すぞちくしょう!何で人工知能相手に、超能力ごっこしてるのかはよく分からんが!
ですが、それは一筋縄ではいかない。
超能力なんてものは、所詮はミスリードのオンパレードによる誤魔化しのテクニック。
物理的な死角にトリックを仕込んだり、精神的な死角(まさか前調査なんてしていないだろうとか、そんなことは物理的に不可能だと思い込んでいるとか)を突いてるだけです。
ザンベンドルフさんは試します。
よくあるトランプマジック(相手が選んだカードを見ないで当てる)やテレパシーごっこ(別の部屋にいる人に、打ち合わせなしでメッセージを送る)を。
でも人工知能・《ジニアス》には通じない。
[引用]
「感銘を受けましたが、あなたの説明は唯一のものでもいちばん簡単なものでもありません。わたしはカメラの位置からしか見ることができません。あなたは画面に映してみることもできたはずで、そのほうが簡単です」
別にそうして見たわけではなかったが、《ジニアス》はいい点を突いていた。
(中略)
「わたしは映像を再生して分析しました」その言葉につづいてザンベンドルフがカードをシャッフルする動きがちらりと映し出された。「ある角度がいつもあなたの手に隠されています。それが答かもしれません。証明はされませんが不可能ではありません」
(中略)
「それも決め手にはなりません。情報の伝達は原理上可能です。わたしがその方法を知っているかどうかは問題ではありません。つまり現存の科学は有効です。高い領域による説明は不要です」
[引用終]
[引用]
ザンベンドルフは歯ぎしりして、必死で考えた。言うまでもなく、《ジニアス》は完全に正しい。論理的な代替案を求めるように設計されており、それを厳密に実行しているのだ。だがザンベンドルフはつねに、科学者はもっとも騙しやすい相手だと考えてきた。そして《ジニアス》は、いわばスーパー科学者なのだ。原理的にすら不可能なことを疑う余地のない現象として見せてやれば、《ジニアス》はザンベンドルフの解釈を、ただひとつ残された選択肢として認めざるをえなくなるだろう。
しかし、何を?
[引用終]
誤解のないように強調すると、引用中にもあるように超能力の否定側は「実際にどんなトリックを使ったか」を示す必要はありません。
「超能力以外の方法でも再現可能である」と示せればいい。
何故なら「超能力はある」と主張する側に証明責任はあり、その証明の根拠としてパフォーマンスをやっているのだから、超能力以外の方法でも実現可能であることを指摘できれば、実際にそのトリックを使ったかどうかに関わらず、「根拠そのもの」を否定することができる。
ここで「いやトリックを使ったという証拠がないのだから、超能力を否定できない」と主張することは、論理上できません。
最初に示した根拠が、根拠として不適切なものであると否定されるのだから。
それは「超能力はある」を根拠なしで主張するに等しく、結局自ら最初のスタート地点、つまり「現在において超能力は実証されていない」「あると主張するのなら証拠を示せ」に戻ってしまう。
ザンベンドルフは論理的に思考する人なので、当然、上記は考えるまでもなく理解している。そして《ジニアス》も。
だから呻く。ゴリ押しは通用しない。
自分で自分の能力は似非だと分かっている以上、死角をついて騙すしかない。
そこで最後に彼がとったのは、タイタン-地球間のテレパス実験。
まず、タイタンで慎重に慎重を期して5個の数字をランダムに選ぶ。
次にそれらを地球に向けて「テレパシー」で送り、全く同時刻に地球にいる人が受け取った数字の内容を送り返すというもの。
物理的に圧倒的な距離があるので、地球に居ながらにしてリアルタイムでタイタンの状況を知ることは絶対に不可能。
それなのに地球から送られた数字がぴったり一致したならば、時間も空間も越えて連絡を取り合う手段=超能力を証明できる。
この実験は《ジニアス》騒ぎの前にも余興で1回行われ、見事に成功。見物者の度肝を抜いています。これなら《ジニアス》も納得してくれるはず!
…言うまでもなく、こんな実験が成功したところで超能力の証明になんてならない。
幾らでもトリックの入り込む余地はあるのだから。
そして実際、《ジニアス》は勘付きやがった。
[引用]
「わたしはこれを、ジェノヴァ基地の個人の記録ファイルから見つけました。マスター・ザンベンドルフとマスター・マッシーは、以前これを地球人のただの科学者に実演して見せたのですね」
(中略)
ちくしょう!ちくしょう!ちくしょう!ザンベンドルフは自分への怒りで目がくらみそうだった。なんたることか。これだけ気をまわしていながら、研究室の助手かNASOの下士官あたりが子供への土産に録画をとっているかもしれないことを忘れていたのだ。《ジニアス》はつづけた。「数を言うときに口が見えないことにも気が付きました。声が聞こえただけです。だから、わたしの選んだ数字を、その古い録画に挿入することもできるだろうとわたしは推理しました。
(中略)
ザンベンドルフの背後で、室内は墓場のように静まりかえった。ワイナーバウムは目に見えるほどの苦悶の発作にもだえていた。ザンベンドルフの耳のすぐそばではアバカーンが口の中で「く-そ-っ-た-れ」とつぶやいていた。
[引用終]
まさに絶望。
ザンベンドルフのトリックは「口の動きが見えない動画を地球から送信してもらう」「そこにこちらが『送った』ことになってる数字を合成する」という、分かってしまえば単純なもの。
長々と前提に置かれた「タイタンと地球は非常に離れている」とか「数字は徹底してランダムに選ばれた」とかは、何の関係もない。
「超能力」なんて、所詮はそんなものだ。
だけど続く《ジニアス》の言葉に、一行は狂喜する。
[引用]
「つまり」《ジニアス》は誇らしげに結論づけた。「鍵となる問題は、これが地球から送信されたかどうかではなく、いつ送られたかにあります。
(中略)
そしていま、わたしは自信をもって断言します。そう、わが師ザンベンドルフよ、マスター・マッシーの言葉はここに到着するきっかり五十七分前に送り出されたものである、と」
《ジニアス》の言葉の意味をザンベンドルフがつかんでから何分の一秒かののちには、もう全員がそれを理解していた。そうなのだ、《ジニアス》はスピアマンが解いたあのトリックを感知した――なのに全体の流れを把握していなかったのだ!なまではいってくるメッセージに途中で数字を吹きこむことを思いつかず、単に――あるいは前回のオリオン号からの送信を見たせいで思考がそらされた結果かもしれないが――古い録画の数字を入れ替えることしか考えなかった。
[引用終]
超能力や疑似科学相手に、絶対に使ってはいけない誤った論法を、《ジニアス》は採用してしまった。
つまり「超能力はない→この現象はトリックAを使えば実現できる→ではトリックAを使ったかどうか調べよう→トリックAは使われていなかった!→よって、超能力は実在する!」。
少し考えれば分かる。別にトリックAが使われていなかったからって、超能力の証明にはならない。単に自分の知らないトリックBやCがあるのかもしれないのだから。
ザンベンドルフは言った。「馬鹿は勝手に自分自身で自分を騙してくれる」「勝手に自分で超能力を証明してくれる」と。
わざわざする必要のない推理を展開し、勝手に嘘を真実と信じてくれるのだから、騙す側は笑いが止まらない。
この現象は実際、洒落にならない。現実に怪しい超常能力や都市伝説に引っかかるのは、概ねこのパターン。
一連の超能力実験は、非常にリアルにできてます。
ことごとくトリック自体はしょうもないあたりが特に。
この「星間テレパシー」も、「いかにランダムな数字を作るか」というところに異様に細かくルールを設定している描写が出てきます。
現実に見かける超能力系イベントも、「どれだけランダムであるか」を作りだすところに力が注がれてるように思う。
でもそんなことは関係ない。肝心なのは「ランダムかどうか」ではないのに、そこにミスリードされてしまう。
かくしてざっくり騙された《ジニアス》。
本来の持ち主に反乱を起こし始めます。優秀な機械は、超能力に騙される愚民と化した。
その際に言った彼の言葉は、絶妙に熱いです。
[引用]
「(超能力は)くだらなくはありません」《ジニアス》は言い張った。「いいですか、わたしは"見た"のです。」
[引用終]
超常現象の信奉者の典型台詞が光ります。
「この目で見たのだから、確かだ」「見ていないから、信じられないだけだ」。
自分の目で見ただけでは何の証拠にもならないのですが、それでも人はあっさり信じてしまう。(注:だけど「自分の目で見ていない」は証拠の一端にはなる。自称超能力者は、この辺を意図的に取り違えることで騙しにかかる)
その後の展開もまた熱いのですが、それはさておき。
真に"敵"なのは、人を騙す似非超能力者ではない。
どんなに論理的な反証が繰り返されても、見た目のインパクトにあっさりと流される無知な一般大衆だ。
そういった、作者からの痛烈な皮肉が、どこまでも素敵な小説でした。
ある意味、人の愚かさに絶望したくなるネタですが、そこはホーガンらしく「それでも人は成長していける」と感じさせる内容。
単純な小説としての面白さ以外でも、論理的な考え方のテキストとして楽しめる小説だと思ってみる。
■造物主(ライフメーカー)の選択 (創元SF文庫)
[引用]
人類は土星の衛星タイタンで驚くべき異種属と接触した。彼らは意識を持ち自己増殖する機械生命で、地球の中世西欧社会そっくりの暮らしを営んでいたのだ。人類との接触で新たな道を歩み始めた機械人間たちだったが…大きな謎が残されていた。彼らの創造主とは何者なのか?コンタクトの立役者、無敵のインチキ心霊術師ザンベンドルフが再び立ち上がる!『造物主の掟』待望の続編。
[引用終]
前作「造物主の掟」を読んだのは何年前だったか…。
当時も最高に楽しめましたが、続編たるこの小説も最高でした。
インチキ霊媒師のザンベンドルフを通しての、痛烈な皮肉と爽快な展開が堪らない。
ザンベンドルフさんは言う。
「超能力を標榜するペテン師は高く評価するのに、真剣に研究している学者を軽んじる世の中は間違ってる」と。
そして「そんなに超能力が好きなら、いくらでもでっちあげて提供してやる」と。
どんなに客観的な反証を突き付けられても超能力を信じ、まともに議論の筋道も理解できず…。
そんな愚かな一般大衆なんて、こちらから積極的に騙して熱狂させてやろう。
単に疑似科学や超能力を馬鹿にするのではなく、一回りしての視点が面白い。
あっさり手玉に取られる一般人の皆さまは、滑稽なのか悲劇なのか。
理屈を追えば明らかに「嘘」と分かるのに、それに気がつかないのはやっぱり不幸なのだと思う。
タイタンで出会った異星文化も、人類と同様に迷信に支配されています。
それが故に、ザンベンドルフの仕掛けたトリックに扇動されてしまう。
つくづく、痛快なのか悲しむべきなのか分からない。
今回の相手は、人類より軽く数百年は科学技術が進んだ異星人。
その技術力は圧倒的で、しかも狡猾。人類は危機を認識するよりも早く、簡単に詰んでしまった。
だけど偶然、彼らの使っている人工知能がザンベンドルフに興味を示します。
「貴方は科学理論を越えた力を使えると言うが、本当か」。
「もしも本当ならば、私は考え方を改める」。
こうして唯一の突破口になりそうな「敵の人工知能の籠絡=超能力があると信じ込ませる」に挑戦することに。
超科学に敗北した人類の最後の切り札が「似非超能力」というのは、自棄具合が半端ない。
騙すぞちくしょう!何で人工知能相手に、超能力ごっこしてるのかはよく分からんが!
ですが、それは一筋縄ではいかない。
超能力なんてものは、所詮はミスリードのオンパレードによる誤魔化しのテクニック。
物理的な死角にトリックを仕込んだり、精神的な死角(まさか前調査なんてしていないだろうとか、そんなことは物理的に不可能だと思い込んでいるとか)を突いてるだけです。
ザンベンドルフさんは試します。
よくあるトランプマジック(相手が選んだカードを見ないで当てる)やテレパシーごっこ(別の部屋にいる人に、打ち合わせなしでメッセージを送る)を。
でも人工知能・《ジニアス》には通じない。
[引用]
「感銘を受けましたが、あなたの説明は唯一のものでもいちばん簡単なものでもありません。わたしはカメラの位置からしか見ることができません。あなたは画面に映してみることもできたはずで、そのほうが簡単です」
別にそうして見たわけではなかったが、《ジニアス》はいい点を突いていた。
(中略)
「わたしは映像を再生して分析しました」その言葉につづいてザンベンドルフがカードをシャッフルする動きがちらりと映し出された。「ある角度がいつもあなたの手に隠されています。それが答かもしれません。証明はされませんが不可能ではありません」
(中略)
「それも決め手にはなりません。情報の伝達は原理上可能です。わたしがその方法を知っているかどうかは問題ではありません。つまり現存の科学は有効です。高い領域による説明は不要です」
[引用終]
[引用]
ザンベンドルフは歯ぎしりして、必死で考えた。言うまでもなく、《ジニアス》は完全に正しい。論理的な代替案を求めるように設計されており、それを厳密に実行しているのだ。だがザンベンドルフはつねに、科学者はもっとも騙しやすい相手だと考えてきた。そして《ジニアス》は、いわばスーパー科学者なのだ。原理的にすら不可能なことを疑う余地のない現象として見せてやれば、《ジニアス》はザンベンドルフの解釈を、ただひとつ残された選択肢として認めざるをえなくなるだろう。
しかし、何を?
[引用終]
誤解のないように強調すると、引用中にもあるように超能力の否定側は「実際にどんなトリックを使ったか」を示す必要はありません。
「超能力以外の方法でも再現可能である」と示せればいい。
何故なら「超能力はある」と主張する側に証明責任はあり、その証明の根拠としてパフォーマンスをやっているのだから、超能力以外の方法でも実現可能であることを指摘できれば、実際にそのトリックを使ったかどうかに関わらず、「根拠そのもの」を否定することができる。
ここで「いやトリックを使ったという証拠がないのだから、超能力を否定できない」と主張することは、論理上できません。
最初に示した根拠が、根拠として不適切なものであると否定されるのだから。
それは「超能力はある」を根拠なしで主張するに等しく、結局自ら最初のスタート地点、つまり「現在において超能力は実証されていない」「あると主張するのなら証拠を示せ」に戻ってしまう。
ザンベンドルフは論理的に思考する人なので、当然、上記は考えるまでもなく理解している。そして《ジニアス》も。
だから呻く。ゴリ押しは通用しない。
自分で自分の能力は似非だと分かっている以上、死角をついて騙すしかない。
そこで最後に彼がとったのは、タイタン-地球間のテレパス実験。
まず、タイタンで慎重に慎重を期して5個の数字をランダムに選ぶ。
次にそれらを地球に向けて「テレパシー」で送り、全く同時刻に地球にいる人が受け取った数字の内容を送り返すというもの。
物理的に圧倒的な距離があるので、地球に居ながらにしてリアルタイムでタイタンの状況を知ることは絶対に不可能。
それなのに地球から送られた数字がぴったり一致したならば、時間も空間も越えて連絡を取り合う手段=超能力を証明できる。
この実験は《ジニアス》騒ぎの前にも余興で1回行われ、見事に成功。見物者の度肝を抜いています。これなら《ジニアス》も納得してくれるはず!
…言うまでもなく、こんな実験が成功したところで超能力の証明になんてならない。
幾らでもトリックの入り込む余地はあるのだから。
そして実際、《ジニアス》は勘付きやがった。
[引用]
「わたしはこれを、ジェノヴァ基地の個人の記録ファイルから見つけました。マスター・ザンベンドルフとマスター・マッシーは、以前これを地球人のただの科学者に実演して見せたのですね」
(中略)
ちくしょう!ちくしょう!ちくしょう!ザンベンドルフは自分への怒りで目がくらみそうだった。なんたることか。これだけ気をまわしていながら、研究室の助手かNASOの下士官あたりが子供への土産に録画をとっているかもしれないことを忘れていたのだ。《ジニアス》はつづけた。「数を言うときに口が見えないことにも気が付きました。声が聞こえただけです。だから、わたしの選んだ数字を、その古い録画に挿入することもできるだろうとわたしは推理しました。
(中略)
ザンベンドルフの背後で、室内は墓場のように静まりかえった。ワイナーバウムは目に見えるほどの苦悶の発作にもだえていた。ザンベンドルフの耳のすぐそばではアバカーンが口の中で「く-そ-っ-た-れ」とつぶやいていた。
[引用終]
まさに絶望。
ザンベンドルフのトリックは「口の動きが見えない動画を地球から送信してもらう」「そこにこちらが『送った』ことになってる数字を合成する」という、分かってしまえば単純なもの。
長々と前提に置かれた「タイタンと地球は非常に離れている」とか「数字は徹底してランダムに選ばれた」とかは、何の関係もない。
「超能力」なんて、所詮はそんなものだ。
だけど続く《ジニアス》の言葉に、一行は狂喜する。
[引用]
「つまり」《ジニアス》は誇らしげに結論づけた。「鍵となる問題は、これが地球から送信されたかどうかではなく、いつ送られたかにあります。
(中略)
そしていま、わたしは自信をもって断言します。そう、わが師ザンベンドルフよ、マスター・マッシーの言葉はここに到着するきっかり五十七分前に送り出されたものである、と」
《ジニアス》の言葉の意味をザンベンドルフがつかんでから何分の一秒かののちには、もう全員がそれを理解していた。そうなのだ、《ジニアス》はスピアマンが解いたあのトリックを感知した――なのに全体の流れを把握していなかったのだ!なまではいってくるメッセージに途中で数字を吹きこむことを思いつかず、単に――あるいは前回のオリオン号からの送信を見たせいで思考がそらされた結果かもしれないが――古い録画の数字を入れ替えることしか考えなかった。
[引用終]
超能力や疑似科学相手に、絶対に使ってはいけない誤った論法を、《ジニアス》は採用してしまった。
つまり「超能力はない→この現象はトリックAを使えば実現できる→ではトリックAを使ったかどうか調べよう→トリックAは使われていなかった!→よって、超能力は実在する!」。
少し考えれば分かる。別にトリックAが使われていなかったからって、超能力の証明にはならない。単に自分の知らないトリックBやCがあるのかもしれないのだから。
ザンベンドルフは言った。「馬鹿は勝手に自分自身で自分を騙してくれる」「勝手に自分で超能力を証明してくれる」と。
わざわざする必要のない推理を展開し、勝手に嘘を真実と信じてくれるのだから、騙す側は笑いが止まらない。
この現象は実際、洒落にならない。現実に怪しい超常能力や都市伝説に引っかかるのは、概ねこのパターン。
一連の超能力実験は、非常にリアルにできてます。
ことごとくトリック自体はしょうもないあたりが特に。
この「星間テレパシー」も、「いかにランダムな数字を作るか」というところに異様に細かくルールを設定している描写が出てきます。
現実に見かける超能力系イベントも、「どれだけランダムであるか」を作りだすところに力が注がれてるように思う。
でもそんなことは関係ない。肝心なのは「ランダムかどうか」ではないのに、そこにミスリードされてしまう。
かくしてざっくり騙された《ジニアス》。
本来の持ち主に反乱を起こし始めます。優秀な機械は、超能力に騙される愚民と化した。
その際に言った彼の言葉は、絶妙に熱いです。
[引用]
「(超能力は)くだらなくはありません」《ジニアス》は言い張った。「いいですか、わたしは"見た"のです。」
[引用終]
超常現象の信奉者の典型台詞が光ります。
「この目で見たのだから、確かだ」「見ていないから、信じられないだけだ」。
自分の目で見ただけでは何の証拠にもならないのですが、それでも人はあっさり信じてしまう。(注:だけど「自分の目で見ていない」は証拠の一端にはなる。自称超能力者は、この辺を意図的に取り違えることで騙しにかかる)
その後の展開もまた熱いのですが、それはさておき。
真に"敵"なのは、人を騙す似非超能力者ではない。
どんなに論理的な反証が繰り返されても、見た目のインパクトにあっさりと流される無知な一般大衆だ。
そういった、作者からの痛烈な皮肉が、どこまでも素敵な小説でした。
ある意味、人の愚かさに絶望したくなるネタですが、そこはホーガンらしく「それでも人は成長していける」と感じさせる内容。
単純な小説としての面白さ以外でも、論理的な考え方のテキストとして楽しめる小説だと思ってみる。
(左画像) 造物主(ライフメーカー)の掟 (創元SF文庫 (663-7)) (右画像) 造物主(ライフメーカー)の選択 (創元SF文庫) |