正式には本日発売(だったと思う)ですが、一部店頭での先行発売分を買ってみた。
■謎解き古代文明(ASIOS)
以前に書いた陰謀論と同じチームによる「オーパーツ」本。
私が10代の頃「神々の指紋」という本がブームになったことがありました。
当時あの本を読んだ人で、ネタバレを知らない方がいたら是非にお勧めしたい。
「ピラミッドの暗号」「アトランティス」「ムー」「レイライン」「ノアの方舟」、
「銃創の空いた古代人の頭蓋骨」「三葉虫を踏んだサンダルの化石」「カブレラストーン」等々の有名どころから、
「アダムの橋」や「タッシリナジュールの宇宙人」「南アフリカの金属球」等のマイナー(?)どころまで。
『「オーパーツ」(その時代には存在できないはずの高度な技術で作られた遺物)が存在した!』
『我々の知らない高度な文明が存在していたのだ!』
『あるいは、宇宙人が太古の地球に来ており、古代人は彼らと接触していたのだ!』
…というよくある話を、「それは実際のところどうなのか?」と調査し報告した本です。
本の中でも強調して書かれているので、私も繰り返してみますが、「最初から『そんなものは在り得ない』と決めつけてかかることはしない」というのが著者たちのスタンス。
オーパーツが認められないのは、頭の固い人たちが一方的に否定しているからじゃない。
調査した結果、あまりにしょうもなくて却下されているだけだ。というのがよく分かります。
多くの「オーパーツ」はこれらのパターン。
・語られる「伝説」や「証言」がそもそも嘘や事実誤認
・「証拠」や「出典」が、言い出した人の頭の中にしかなく実在を確認できない
・既に否定されているのに(例えば、証言者が「嘘でした」と暴露したりとか)、「真相は謎だ」と言い張る
・対象の力量を不当に下に見る(古代人にこのような技術があるはずがない等)
・学者は頭が固いので、新事実を受け入れようとしない、と陰謀論を張る
・証明の責任を転嫁する
議論のスタート地点にすら立てずに脱落しているものばかり。
「人間はそこまで馬鹿なのか?」とある種の悲喜劇を見るようです。
同時に、きっちりその「嘘」を暴き立てているのだから、やっぱりホモサピエンスは素晴らしいのだと思う。
下手なミステリよりも、よほどロマンがあります。
よく「たとえ嘘でも面白ければいいじゃないか」という意見も見ますが、それはあくまで「フィクションだ」とはっきり分かる場合のみ。
まがりなりにもノンフィクションの体裁をとってる本なら、真偽はとても重要だし、嘘より真実の方にロマンがある。
「定説を疑うことは重要だ」という意見も同様。もちろんそれは大事だけど、嘘をついていい理由にはならない。
誤った論の組み立て方(というか嘘や捏造)を覚えてしまうことは、むしろ害悪。
これらの勘違いにつけこんで、悪意ある捏造が蔓延していきます。
ところで、一番最後の「証明責任の転嫁」は、非常に大事かつ危険だと思うので、一部引用してみる。
[引用]
またこの「サンダル化石もどき」について、「人間のサンダル履きの足形ではないと明確に、かつ科学的に証明した科学者はまだいない」などと、開き直って書いている本があるが、話は逆で、「人間のサンダル履きの足形だと明確に、かつ科学的に証明する」のが先だろう。それが証明されない限り、「サンダルかも~」などというあやふやな主張に付き合ってくれる科学者がいなくても、当然だろう。
[引用終]
[引用]
(「コスタリカの巨大石球群は~の製法で人手でも作成できる」という説明に続けて)
以上述べてきた製法や運搬法は推定にすぎない、という反論も一応可能だ。しかし、ここで重要なのは、製法や運搬法に関する「謎」は、わざわざ宇宙人や未知の文明を持ち出さずとも説明できてしまう、ということである。
[引用終]
「超能力」や「宇宙人の介在」を否定する時には、「正真正銘、使われた本物の『トリック』」を指摘する必要はありません。
超常現象を持ちださずとも、既存の手法で再現できることを示せばいい。
実際にその手法が使われたかどうかは、ここでは関係ありません。
「超常現象を想定しなくても、既存の手法で再現できる。例えばこれだ」とだけ示せば、「既存の技術や常識を越えている!→宇宙人だ。超古代文明だ!」という論法は破綻します。
だって出来るんだから、既知の方法で。「既知では無理だから未知の超技術」という最大の根拠を失ってる。
ここを履き違えると、とんでもないことになりかねない。
J・P・ホーガンのSF小説「造物主の選択」は、このミスが物語のキーポイントになっています。
証明の責任がどこにあり、反論として必要なのは何なのか、それへの再反論は何をすべきなのか。日常的に意識しておく必要があると思ってる。
また、ちゃんと参考文献を提示している点が(当たり前のこととはいえ)好感。
ちなみに以前「陰謀論」の本を出版した後、「参考文献にwikiが含まれているのはおかしい」との指摘がご本人ブログに寄せられていました。
確かにそれはその通りだと思う。
そして返答として「入門用のまとめサイトとしては有用なので紹介した」「wikiの記載を鵜呑みにするのではなく、そこから出典を遡って確認している」「重版の際にはその注釈をつける」が出されていました。
今回の本では、きっちりその旨が「まえがき」に記載されている。
些細かもしれませんが、間違いは間違いと認め、それを隠すのでも無視するのでもなく訂正する、というのは非常に重要。「絶対に間違えない」ことよりも重要なくらい。
この本では、否定されていくオーパーツが多い中(頭が固いからではなく、根拠が薄弱だから)、確かに高度な技術が使われている本物だと認められ、定説が覆ったケースも載せられています。
学者は頭ごなしには否定しないし、定説に反していても、正しいものは正しいと認められる。
それがよく分かるエピソードだと思う。
(このことをどれだけ説明し、検証や根拠を並べても「どうせ頭ごなしに否定しているだけだ」と言い張る人は後を絶たないので、何やら悲しくなってきますが。
証明責任の転嫁といい「その論法は成り立たない」と指摘されていることを、完全に無視して延々と続ける原動力は何なのだろう?)
何はともあれ、冒頭にも書いた通り「神々の指紋」を読み、ネタの正体を知っていないといった方には、このサークルの一連の本はお勧めです。
【蛇足】
読むまでちょっと認識できてなかったこと。
「三葉虫を踏んだサンダルの化石」は、進化論を否定する人たちに強く支持されています。
(恐竜時代以前にも人類は存在した。これは神によって全ての動物が同じ時に作られたからで、進化論は誤りだ、という理屈)
それは知っていましたが、「銃創の空いた古代人の頭蓋骨」や「ハンマーの化石」等も、進化論否定の側面があるそうです。
※創造論
「世界は神によって作られた」という聖書の記述に忠実に従った論。
進化論は嘘であり、地球の歴史が数十億年というのも嘘。
世界が誕生したのは(そして人類および全ての生物が誕生したのは)今から6,000年前と主張している。
なおアメリカでは、「創造論は科学的根拠に基づいているので、公立校の理科の時間に、進化論と両論併記して教えるべきだ」との主張が無視できない割合で存在しています。
もちろん科学的根拠とやらは、非常にお粗末なのですけれど。
創造論の立場としては、化石の存在は非常に困る。
彼らの主張では「恐竜等の化石は、ノアの方舟に乗れなかった生き物の死骸だ」と説明されていますが、これは現在の知識と反します。
第一の理由として、化石が生成されるには長い時間がかかるので、世界誕生から6,000年しか経過していない創造論の主張は矛盾してしまう。
そこで前述の「銃創の空いた古代人の頭蓋骨」。
つまり「銃で撃たれたネアンデルタール人の化石が見つかった→古代に超文明が存在した!」ではなく、
「銃で撃たれたネアンデルタール人の化石が見つかった→銃創があるのだから、ごく最近のものだ。そして短時間で化石はできることが証明された」という理屈。
何か色んなことがあべこべになってる感じがして面白いです。
本気でこれを信じて、学校教育に圧力をかけている集団がかなりの数存在すると思うと、怖いことですけれど。
他のオーパーツにも、裏の思惑があったりするのが何ともいえない。
有名な「ムー大陸」も、白人優越主義が背景にある。
(ムーの支配者は白人で、太古に太平洋沿岸を支配していたことになってる。この説では日本人にも白人の血が流れており、したがって日露戦争でロシアが日本に負けても、白人が黄色人種に負けたわけではないと続く)
もちろんキリスト教や西洋人だけがオカシナことをするのではなく、日本だって同様。
「古代日本人こそが祖である」といったトンデモは意外と多い。
こういっては何ですが、昨今の放射能に関するデマも科学的根拠よりも思想に左右されてる部分が大きいように思う。
自分の望む答えが出るまでは納得しない(提示された説明よりも、自分の好みを優先する)という意味では、先日の「ガンツ」の感想に書いたこととも同じ。
この手の話を聞く時は、主張している人の思想を知ることも大事だと思いました。
(念のために書くと、宗教が悪というわけでもない。私はむしろキリスト教は大好きです。
ただ宗教が「科学にも裏打ちされている」と言い出したら問題。
無理に例えるなら、サッカー選手が「我々は野球のルールに則ってる」と言い張るようなもの。
サッカーと野球に優劣はないけれど、サッカーが「野球のルール通りにやっている」と言い出したら、「ちょっと待て」となる。
野球だというのなら、野球のルールに従ってもらう。どちらが強いか(議論して正しいか)は、最低限ルールをクリアしてからの話。
なおローマ法王はこの「宗教と科学は土俵が違うのであって、優劣はない」「キリスト教的には創造論が正しいが、科学的には進化論を支持して構わない」という考えをしています。さすが指導者になられる方は分かっておられる)
【蛇足2】
陰謀論の本でも書かれていたけれど、最近「○○はオーパーツだ!」という主張よりも、
「既存の技術では証明できないのではないか?」
「我々は何かを主張したいわけではない。ただ再調査が必要ではないかと考えているだけだ」
「公平なように両方の説を載せ、どちらが正しいと感じるかは読んだ人に任せる」
という逃げを打ったものが多い気がする。
一見は公平なように見える。でも実際は既に判明している事実を隠ぺいして、都合のいい主張をしている。
おかげで本来は悪い意味ではないはずの「両論併記」という単語に、嘲笑の感情すら抱き始めてますよ。困ったものだ。
【蛇足3】
とても良いな、と思ったのが、これらのオーパーツを村おこしに利用している人たち。
日本でいえば「キリストの墓」(青森県八戸)や「モーセの墓」(石川県宝達志水町)など、観光の目玉の一つに使われています。
「別に熱心に信じてはいないが、観光資源として活用しよう」というバイタリティが素晴らしい。
私も一度くらいは訪問してみたいです。
とりあえず候補は石川県。他にも面白スポットがあるので、今年のGWで行く候補にも挙がっていたりした(結局、諸事情で行けなかったのが残念)。
■謎解き古代文明(ASIOS)
以前に書いた陰謀論と同じチームによる「オーパーツ」本。
私が10代の頃「神々の指紋」という本がブームになったことがありました。
当時あの本を読んだ人で、ネタバレを知らない方がいたら是非にお勧めしたい。
「ピラミッドの暗号」「アトランティス」「ムー」「レイライン」「ノアの方舟」、
「銃創の空いた古代人の頭蓋骨」「三葉虫を踏んだサンダルの化石」「カブレラストーン」等々の有名どころから、
「アダムの橋」や「タッシリナジュールの宇宙人」「南アフリカの金属球」等のマイナー(?)どころまで。
『「オーパーツ」(その時代には存在できないはずの高度な技術で作られた遺物)が存在した!』
『我々の知らない高度な文明が存在していたのだ!』
『あるいは、宇宙人が太古の地球に来ており、古代人は彼らと接触していたのだ!』
…というよくある話を、「それは実際のところどうなのか?」と調査し報告した本です。
本の中でも強調して書かれているので、私も繰り返してみますが、「最初から『そんなものは在り得ない』と決めつけてかかることはしない」というのが著者たちのスタンス。
オーパーツが認められないのは、頭の固い人たちが一方的に否定しているからじゃない。
調査した結果、あまりにしょうもなくて却下されているだけだ。というのがよく分かります。
多くの「オーパーツ」はこれらのパターン。
・語られる「伝説」や「証言」がそもそも嘘や事実誤認
・「証拠」や「出典」が、言い出した人の頭の中にしかなく実在を確認できない
・既に否定されているのに(例えば、証言者が「嘘でした」と暴露したりとか)、「真相は謎だ」と言い張る
・対象の力量を不当に下に見る(古代人にこのような技術があるはずがない等)
・学者は頭が固いので、新事実を受け入れようとしない、と陰謀論を張る
・証明の責任を転嫁する
議論のスタート地点にすら立てずに脱落しているものばかり。
「人間はそこまで馬鹿なのか?」とある種の悲喜劇を見るようです。
同時に、きっちりその「嘘」を暴き立てているのだから、やっぱりホモサピエンスは素晴らしいのだと思う。
下手なミステリよりも、よほどロマンがあります。
よく「たとえ嘘でも面白ければいいじゃないか」という意見も見ますが、それはあくまで「フィクションだ」とはっきり分かる場合のみ。
まがりなりにもノンフィクションの体裁をとってる本なら、真偽はとても重要だし、嘘より真実の方にロマンがある。
「定説を疑うことは重要だ」という意見も同様。もちろんそれは大事だけど、嘘をついていい理由にはならない。
誤った論の組み立て方(というか嘘や捏造)を覚えてしまうことは、むしろ害悪。
これらの勘違いにつけこんで、悪意ある捏造が蔓延していきます。
ところで、一番最後の「証明責任の転嫁」は、非常に大事かつ危険だと思うので、一部引用してみる。
[引用]
またこの「サンダル化石もどき」について、「人間のサンダル履きの足形ではないと明確に、かつ科学的に証明した科学者はまだいない」などと、開き直って書いている本があるが、話は逆で、「人間のサンダル履きの足形だと明確に、かつ科学的に証明する」のが先だろう。それが証明されない限り、「サンダルかも~」などというあやふやな主張に付き合ってくれる科学者がいなくても、当然だろう。
[引用終]
[引用]
(「コスタリカの巨大石球群は~の製法で人手でも作成できる」という説明に続けて)
以上述べてきた製法や運搬法は推定にすぎない、という反論も一応可能だ。しかし、ここで重要なのは、製法や運搬法に関する「謎」は、わざわざ宇宙人や未知の文明を持ち出さずとも説明できてしまう、ということである。
[引用終]
「超能力」や「宇宙人の介在」を否定する時には、「正真正銘、使われた本物の『トリック』」を指摘する必要はありません。
超常現象を持ちださずとも、既存の手法で再現できることを示せばいい。
実際にその手法が使われたかどうかは、ここでは関係ありません。
「超常現象を想定しなくても、既存の手法で再現できる。例えばこれだ」とだけ示せば、「既存の技術や常識を越えている!→宇宙人だ。超古代文明だ!」という論法は破綻します。
だって出来るんだから、既知の方法で。「既知では無理だから未知の超技術」という最大の根拠を失ってる。
ここを履き違えると、とんでもないことになりかねない。
J・P・ホーガンのSF小説「造物主の選択」は、このミスが物語のキーポイントになっています。
証明の責任がどこにあり、反論として必要なのは何なのか、それへの再反論は何をすべきなのか。日常的に意識しておく必要があると思ってる。
また、ちゃんと参考文献を提示している点が(当たり前のこととはいえ)好感。
ちなみに以前「陰謀論」の本を出版した後、「参考文献にwikiが含まれているのはおかしい」との指摘がご本人ブログに寄せられていました。
確かにそれはその通りだと思う。
そして返答として「入門用のまとめサイトとしては有用なので紹介した」「wikiの記載を鵜呑みにするのではなく、そこから出典を遡って確認している」「重版の際にはその注釈をつける」が出されていました。
今回の本では、きっちりその旨が「まえがき」に記載されている。
些細かもしれませんが、間違いは間違いと認め、それを隠すのでも無視するのでもなく訂正する、というのは非常に重要。「絶対に間違えない」ことよりも重要なくらい。
この本では、否定されていくオーパーツが多い中(頭が固いからではなく、根拠が薄弱だから)、確かに高度な技術が使われている本物だと認められ、定説が覆ったケースも載せられています。
学者は頭ごなしには否定しないし、定説に反していても、正しいものは正しいと認められる。
それがよく分かるエピソードだと思う。
(このことをどれだけ説明し、検証や根拠を並べても「どうせ頭ごなしに否定しているだけだ」と言い張る人は後を絶たないので、何やら悲しくなってきますが。
証明責任の転嫁といい「その論法は成り立たない」と指摘されていることを、完全に無視して延々と続ける原動力は何なのだろう?)
何はともあれ、冒頭にも書いた通り「神々の指紋」を読み、ネタの正体を知っていないといった方には、このサークルの一連の本はお勧めです。
(左画像) 謎解き古代文明 (右画像) 謎解き 超常現象 |
【蛇足】
読むまでちょっと認識できてなかったこと。
「三葉虫を踏んだサンダルの化石」は、進化論を否定する人たちに強く支持されています。
(恐竜時代以前にも人類は存在した。これは神によって全ての動物が同じ時に作られたからで、進化論は誤りだ、という理屈)
それは知っていましたが、「銃創の空いた古代人の頭蓋骨」や「ハンマーの化石」等も、進化論否定の側面があるそうです。
※創造論
「世界は神によって作られた」という聖書の記述に忠実に従った論。
進化論は嘘であり、地球の歴史が数十億年というのも嘘。
世界が誕生したのは(そして人類および全ての生物が誕生したのは)今から6,000年前と主張している。
なおアメリカでは、「創造論は科学的根拠に基づいているので、公立校の理科の時間に、進化論と両論併記して教えるべきだ」との主張が無視できない割合で存在しています。
もちろん科学的根拠とやらは、非常にお粗末なのですけれど。
創造論の立場としては、化石の存在は非常に困る。
彼らの主張では「恐竜等の化石は、ノアの方舟に乗れなかった生き物の死骸だ」と説明されていますが、これは現在の知識と反します。
第一の理由として、化石が生成されるには長い時間がかかるので、世界誕生から6,000年しか経過していない創造論の主張は矛盾してしまう。
そこで前述の「銃創の空いた古代人の頭蓋骨」。
つまり「銃で撃たれたネアンデルタール人の化石が見つかった→古代に超文明が存在した!」ではなく、
「銃で撃たれたネアンデルタール人の化石が見つかった→銃創があるのだから、ごく最近のものだ。そして短時間で化石はできることが証明された」という理屈。
何か色んなことがあべこべになってる感じがして面白いです。
本気でこれを信じて、学校教育に圧力をかけている集団がかなりの数存在すると思うと、怖いことですけれど。
他のオーパーツにも、裏の思惑があったりするのが何ともいえない。
有名な「ムー大陸」も、白人優越主義が背景にある。
(ムーの支配者は白人で、太古に太平洋沿岸を支配していたことになってる。この説では日本人にも白人の血が流れており、したがって日露戦争でロシアが日本に負けても、白人が黄色人種に負けたわけではないと続く)
もちろんキリスト教や西洋人だけがオカシナことをするのではなく、日本だって同様。
「古代日本人こそが祖である」といったトンデモは意外と多い。
こういっては何ですが、昨今の放射能に関するデマも科学的根拠よりも思想に左右されてる部分が大きいように思う。
自分の望む答えが出るまでは納得しない(提示された説明よりも、自分の好みを優先する)という意味では、先日の「ガンツ」の感想に書いたこととも同じ。
この手の話を聞く時は、主張している人の思想を知ることも大事だと思いました。
(念のために書くと、宗教が悪というわけでもない。私はむしろキリスト教は大好きです。
ただ宗教が「科学にも裏打ちされている」と言い出したら問題。
無理に例えるなら、サッカー選手が「我々は野球のルールに則ってる」と言い張るようなもの。
サッカーと野球に優劣はないけれど、サッカーが「野球のルール通りにやっている」と言い出したら、「ちょっと待て」となる。
野球だというのなら、野球のルールに従ってもらう。どちらが強いか(議論して正しいか)は、最低限ルールをクリアしてからの話。
なおローマ法王はこの「宗教と科学は土俵が違うのであって、優劣はない」「キリスト教的には創造論が正しいが、科学的には進化論を支持して構わない」という考えをしています。さすが指導者になられる方は分かっておられる)
【蛇足2】
陰謀論の本でも書かれていたけれど、最近「○○はオーパーツだ!」という主張よりも、
「既存の技術では証明できないのではないか?」
「我々は何かを主張したいわけではない。ただ再調査が必要ではないかと考えているだけだ」
「公平なように両方の説を載せ、どちらが正しいと感じるかは読んだ人に任せる」
という逃げを打ったものが多い気がする。
一見は公平なように見える。でも実際は既に判明している事実を隠ぺいして、都合のいい主張をしている。
おかげで本来は悪い意味ではないはずの「両論併記」という単語に、嘲笑の感情すら抱き始めてますよ。困ったものだ。
【蛇足3】
とても良いな、と思ったのが、これらのオーパーツを村おこしに利用している人たち。
日本でいえば「キリストの墓」(青森県八戸)や「モーセの墓」(石川県宝達志水町)など、観光の目玉の一つに使われています。
「別に熱心に信じてはいないが、観光資源として活用しよう」というバイタリティが素晴らしい。
私も一度くらいは訪問してみたいです。
とりあえず候補は石川県。他にも面白スポットがあるので、今年のGWで行く候補にも挙がっていたりした(結局、諸事情で行けなかったのが残念)。