臨済宗妙心寺派寺院 開基(1450年) 細川勝元 開山 義天玄承 平安時代末期に当時の天皇の山荘として建てられたものを譲り受けた。 創建時は現在よりもかなり広い敷地であった。
その後、応仁の乱で焼失したが、勝元の子が1499年に再建

昔は石庭よりも池を中心とする池泉回遊式庭園が有名だった。オシドリの生息地であったが、今はいない。

約1800年に再度焼失したが、西洞院の方丈を移築した。
明治初期の廃仏毀釈によって衰退したが、イギリスのエリザベス女王が1975年に来日した際に訪問されて、石庭を絶賛されたことから注目を浴びるようになった。
向こうに見える庫裡に続く階段の両脇にある垣を龍安寺垣と言い、秋にはカエデが見事

石庭は枯山水の庭。幅25m、奥行き10mの方丈の庭。白砂を敷き詰めて、左から5、2,3,2,3の石を配置してある。比較的大きな石は付近の山でとれるチャートという石。庭の作者は不詳。禅僧の作とも言われる。
庭の意図は、「虎の子渡しの庭」とか、「七五三の庭」とも言われる。古来より奇数は目出度い数とされた。虎の子渡しとは故事で、虎が子を3匹生むとその中には必ず彪 (ひょう) が1匹いて他の2匹を食おうとするので、川を渡る際には子を彪と2匹だけにしないように、子の運び方に苦慮するというもの。
その他に、「禅の精神」や「心」を現すものなど。
どの位置から見ても、どれか一つの石が見えないように配置されている。中国で は、15を「満」=悟りとする考え方がある。15個の石が14個しか見えないという現状に満足することなく、さらに努力することを説いているという説があ る。
1499年の作と言われる。
東南角に向かって傾斜している。排水のため また、西側の塀は奥に向かって低くなっている。これは、遠近法によって庭が広く見える工夫 ちなみに高低差は最大で50センチにもなる
塀は菜種油を混ぜた油土塀になっている。白砂の照り返し防止と風雪に耐える強固な作り


「知足のつくばい」 水戸藩主の寄進によるもの 中心の「口」の字を共用し「吾唯知足(ワレタダタルヲシル)」吾れ唯だ足ることを知る すなわち、「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」という禅の格言を謎解き風に図案化したもの
茶室蔵六庵前にある
秀吉が絶賛したと言われる、日本最古の侘助 この名前は、桃山時代に侘助という人が外国??から持ち帰ったので、その名がある。千利休も眺めた。
庭は座ってみるのではなく、実は方丈の部屋の中で立ってみるように作られたとも言われる。現在の方丈は1800年ごろに西洞院の方丈を移築したもの。
庭石に刻まれた「小太郎・口二郎」という刻印があるが、詳細は不明

鏡容池 昔はオシドリの池として石庭よりも有名だった。今は睡蓮がきれいに咲く




Zen is a school of Mahayana Buddhism that originated in China during the Tang dynasty as Chán. It was strongly influenced by Taoism, and developed as a distinguished Chinese style of Buddhism.
坐禅(ざぜん、座禅とも)とは、仏教で姿勢を正して坐った状態で精神統一を行う、禅の基本的な修行法。 坐禅はMeditation(瞑想)と翻訳される場合があるが、眼を閉じて思考する瞑想と坐禅は別概念である。 なお、『ヨーガ・スートラ』に説かれる古典的な意味でのヨーガ(瑜伽)も、坐禅と同じものである。
禅とは「禅那」と言いサンスクリット語のdhyanaの音訳で、静慮とか思惟とか思量するという意味があり、古代インド仏教から伝わる瞑想法です。座禅は安楽の法門とさえ言われるように、その座法はおしゃかさまのお悟りの姿に見るごとく身体の最も安定した形です。その座禅とは、静座(せいざ)をして座禅の三要素である調身・調息・調心による身体を調え、呼吸を調え、心を調えることによって精神の統一から本来的に備わる真実の自己(仏性)の自覚にあります。その過程における精神医療的効果や禅定における集中力や不動心や忍耐力の養成の効用面が広く知られ、企業研修などに活かされています。
南インド出身で中国にわたった達磨が祖で、坐禅を基本的な修行形態とする。ただし、坐禅そのものは古くから仏教の基本的実践の重要な徳目であり、坐禅を中心に行う仏教集団が「禅宗」と呼称され始めたのは中国の唐代末期から