まやの部屋

過ぎていく一瞬 
心に浮かんだことや気になることを書きとめる日記

秋になって

2021-10-21 10:45:44 | 読書
秋になって涼しいのを通り越して寒くなった(-_-;)
ちょっと油断してたら風邪症状になって慌てて風邪薬(´д`)
そしたら、14時間も寝てしまった(´д`)
夕食抜き、お風呂にも入らず(^_^;)
風邪症状はすっかりなくなったものの、寒さはそのままで、着るものがいっぺんに秋冬物となり
クリーニング屋さんに保管していた秋冬物を取りに行かないとなあなどと思う

何だかうそうそとするからか、この頃読む本は人生の終末についての本ばかり
今までまだまだと思って敬遠してたけど、この際読むのもよろしかろうと思い立った
どんな風に週末ではなく終末(@_@)を迎えたいかとはおぼろげに考えたこともあるけど、今回はリアルに考える
病院か、自宅か、はたまたどこかのホテルか、道ばたか
分からないのでミステリー
その日が遠いのか近いのか、自分でコントロール出来るのか否か

お医者さんの書いてる本なので、医療の実際について裏話っぽい内容が綴ってある
これが本当なら、やっぱり病院は御免被りたい
実父も義父も病院で亡くなったけど、
言いたいことは山ほどあるような、ないような
で、我が身を考えてみると
うーん、ま、もう少し考えてみることにしよう
病院で意識無いのに管につながれて長く生き延びるのも何だか
父のように救急車で運ばれて心肺停止になっても生き返って、その後1年くらい楽しく老人ホームで過ごした人もいるし
やっぱりその人が持つ運命みたいなものがあるかもしれん

薬の弊害はずっと言われ続けているけど、
私も処方された薬で足や腕が痛くなって、それでもめげずに飲み続けなさいと言われて
飲んでたら、とうとう我慢しきれなくなって
今罹っているお医者さんは薬飲まなくてもOK
元気に楽しく、どこに痛みもなく過ごしている

リビングウィルなるものを初めて見た
確かにこういう意思表示は必要かもしれない










アドラー心理学実践入門   

2021-07-09 11:54:09 | 読書
 雨がまた降り出した。梅雨末期の豪雨とは言え雨量が半端ない。昨日も一昨日も仕事で外に出なければいけなかったのでびしょ濡れになった。
Kindleのいいところは、読もうと思って購入した本やサンプルが一つ所に入っていること。私のように寝床で読書するものにとっては便利この上ない。本棚が手の中にあるようなものなので。
「アドラー心理学実践入門」という本を読んでいる。岸見先生が解説している本。
この頃、同行通訳で病院に連れて行っても、どうも患者が心理的に不安定だと感じる。コロナ下で状況不安定だから仕方ないけど。コロナ、ワクチン、五輪と不安定要素ばかりで不安になるのは日本人だけじゃないのだから。
私が今の仕事を続けているのも、患者さんのありがとうという言葉に励まされることが多いからというのもその理由の一つ。(今すごい雷で、女の子の「>*0*<キャアアッ」という甲高い声に心臓がびくっとなった)
ところで、アドラーはありがとうと言われて嬉しいのは誰もが感じるやりがいであるが、そこどまりだと自己満足で終わってしまう、と戒めている。
そうかあ、今まで自己満足で仕事をしてきたんだなあと改めて感じ入る。仕事のやりがいってなんでしょうね。ありがとう、を求めて仕事をするのは方向性が間違っている、と。
見返りを期待して他の人のために何かをしてあげるのは違う。見返り(ありがとうという感謝)がなければ他の人のためには何もしないのか。
そうではない、ありがとうと言われても言われなくても(感謝の気持ちがあってもなくても)他の人のために尽力することがやりがいにつながる。
考えてみるに、確かにありがとうにも色々な場合があるように思える。「一応礼儀のありがとう」から「本当に困っていたので助かった」までその時々によって違うのには気づいていた。
もう慣れっこになっているので、別れ際の挨拶みたいになって来たのも事実。
ありがとう、とか感謝の言葉がなくても通訳の仕事を続けるか?  もちろん!
人助けのためにしている感覚も無いとは言えないが、どちらかというと自分のためにしている気持ちの方が強い。アドラーも言う、自分が何かの役に立っていると言う感覚、これが必要なのだと。全てのことは人間関係から成り立っている。人は一人では生きていけないから。何事も人間関係を抜きには考えられない、と。家族、学校、仕事などなど 全部人との関係性で成り立つ世の中。つきぬ悩みも全て人間関係から。



今年も半分が過ぎまして・・・Time Perception 「時間認識」

2021-07-04 15:14:14 | 読書
早いものでもう7月、半年が過ぎました。あっという間だったのか、それともお正月はずっと昔のことだったのか。
Time perceptionと言う本の中では、どうすれば同じ1時間を長くすることが出来るのか、どうして同じ1時間が人によって、あるいは時によって長く感じたり短く感じたりするのかについて詳細に書いています。
 そう、今まで1時間は全ての人に平等に与えられているものだと思っていたけど、実際はその過ごし方によって長くもなり短くもなるのですね。
 わくわくするような楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいます。旅行に出かけて知らない街をそぞろ歩いたり、エキゾチックな建築物を除いたりして過ごす時間はあっという間。それに比べて、日向ぼっこしたりのんびり過ごす時間はゆったりと流れていく。
ところが、それらの時間を後から振り返ってみると、旅行で過ごした時間は一瞬一瞬がまるで映画のワンシーンのように思い出され、それらを全て思い出そうとするととても長い時間であったように感じる。逆に、日向ぼっこしたりゆったり気分で過ごした時間は、とても短い時間であったように感じる。
 実際に過ぎていくときに感じる時間の長さと後で振り返って思い出した時間は全く逆なんですね。だから1時間を長くするには、今までしたこともない、行ったこともない場所にできるだけ訪れてたくさんの心象風景を残すことが肝要。
 お年寄りは動作がゆっくりになりますね。歩くスピードも遅くなります。これは単に身体面に現れるだけでなく、実際に感じる時間の長さにも影響してくるのだそうです。
一定の時間を実際にどのくらいの時間だったかと尋ねる実験をしたところ、お年寄りは7割程度短い時間を答えるそうです。つまり、1時間だったら、およそ40分だと答えるそうです。
つまり1年、5年、10年単位にするとかなり短くなってしまう!!!
だから、年をとると月日は矢のように早く過ぎ去ってしまう、と感じるのだそうです。
ですから、歳を重ねるごとに毎日をつつがなく過ごしていると、何とかなり短い時間になってしまう・・・フェ~
気をつけないと、これからは毎日新しい体験や経験をするように、散歩もいつも違う道、咲く花に毎日感動して、三度三度の食事も毎日新しい美味しさに目覚めるよう、色々と工夫して1時間が長くなるようにしようっと。
でも、苦労やストレスは時間にどう影響するんでしょうね。
嫌なことは忘れるように出来てるらしいけど、それを体験しているときはとても辛いですね。できるだけそんな状況にならないように、それも工夫したい。


梅雨の晴れ間の6月1日

2021-06-01 09:54:48 | 読書
今日から6月
この1ヶ月が過ぎたら、今年も半年過ぎたことになる。
早いなあ
今読んでいる本は、時間の認識について詳しく書いてある。
格差社会で唯一平等に与えられているのが、1日24時間、と言っていた人もいた。
その時はそんなものかと思っていたけど、なんとなく違和感が拭えなかった。
その何となくを詳しく分析しているこの本
24時間は人によって長くもなり短くもなる😃 
充実した時間を思い起こせばいい
たくさんのことや新しい経験をしたとき、全く知らない場所に行ったときには頭の中はフル回転してたくさんのスナップショットを撮っている。その枚数が多いほど時間が伸びる(ように感じる)実際色々な新しい経験をしたときは、振り返ってみたときにその時間は長かったという感想を持つもの。

新しい経験でスナップショットを心の中にたくさん撮れば、1時間はかなり長い時間に感じられるはず。本には色々なケースで実験を行い、様々な比較をして数値で表されているので納得する。
6月は新しい場所で新しい経験をするように心がけたい。
コロナだからなあ。この思いは特別な感があるなあ。

近頃の読書(曾野綾子)

2021-01-13 14:10:25 | 読書
外出自粛や緊急事態宣言が出ると、読書時間が増えるかなと思いきや、全く変化無し。と言うか、減ったかもしれない。そもそも読書しようと思ったら、ある程度心が落ち着いてないと出来ない。心がソワソワしてたら、読み出しても頭に入らず、すぐに本を閉じてしまう。(私の場合は、Kindleを閉じると言うわけ)
 秋以降年末にかけて、少し回りも落ち着いてきた雰囲気になり、読書も復活した。この度は、曾野綾子シリーズを乱読。
 高齢の肉親もいることだし、そう遠くない将来は自分のことだしなあ。読み出すと結構面白い。近頃話題になった、『夫の後始末』が読み始め。私の夫はまだまだ元気で高齢の親の介護に忙しい。私の両親はどうだったかなあと考えてみるが、母親は曾野綾子氏と正反対の性格だし、専業主婦だったので、全く当てはまらない。しかも、夫の後始末をしようとしていた形跡を残して、先にさっさと逝ってしまった。その後の父の有り様は目も当てられないほどのひどさだったな。家に入ると、ぷーんといやなにおい。そこら中に散らばっているビール缶。思い出しても、可哀相。ご飯くらい娘だから、と思ってそっとテーブルに置いて帰ってみると、次来たときには、カビが生えてそのままになっているカボチャの煮物。

 ところで、三浦朱門さんは超幸せ者だったんだなあ。始めから終わりまで、曾野綾子の愛が溢れていて、もうご馳走様、お腹いっぱいになりました、っていう感じだった。
 その後が心配で、『続編』も読んだ。他の読者も同じ感想だったのだろう。それを思ってか、冒頭に、朱門さんが残したであろうへそくりを本の間に見つけて、それで街で見かけた猫を買ったという。とてもいい考えだわ。悲しみに打ちひしがれるわけでもなく(本当の所は全く分からないけど)仕事に精を出して続々と新刊を発表し続けるからなあ。
 朱門さんの生前から、夫婦で会社形式にされていたようで、秘書さんやらお手伝いさんら数人がいるようで、その方達の生活をしょって立つ感じがたくましい。それにしても、健康の秘訣は仕事を続けること(気持ちをパキッとする)と自宅菜園で採れる野菜を食べることだと何度も書いてある。
 今までに10冊近くは読んだかな。機知に富んだショートエッセイがほとんどだけど、いつまでもお元気で書き続けていって欲しい。100年生活のお手本となって欲しいな。