中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

柿採り

2011-11-15 09:24:45 | 身辺雑記

 Hr君やHg君の1年上級だった I さんの誘いで、彼女の畑に干し柿用の柿を採りにいった。彼女は毎年干し柿を作るのだが、おととし彼女の家に行って柿の皮を剥く様子などを見せてもらい、話をしながらも手際よく作業をしていく様子に感心した。1000個近くはあるかと思われる大量の干し柿を作るらしいが、ほとんどは身内や知人、近所に分けてしまうと言っていた。その時も出来上がっていた干し柿をもらったが、これをHr君が勤め先で分けてやったら、こんな美味しいのは初めてだと言われたそうだ。

 

 柿には生り年と不生り年とがあるが、おととしは生り年で、どこに行っても枝が折れるのではないかと思われるほどに実がついていた。

 

 おととしの近所の柿

 

   

昨年は一転して不生り年で、I さんも干し柿は作れなかったようだ。今年はまずまずらしく、誘いを受けて、Hg君夫妻。Hr君と出かけた。現地では I さんの高校時代の同級生のMさん夫妻も参加した。それに I さんの息子も加わり、総勢8人で出かけた。

 

 目的の柿の木は2本で、よく実がついていたが、今年のものはおととしよりも少し小さいようだ。

 

 

 

 高枝用の剪定鋏で、下からの指示で大きそうな実の着いた枝を落とす。

 

 

 

 

 

 落とした実は、縄に通しやすいように、へたについている小枝を短くT字形に剪定する。

 

 

 

 

 

 午前中のかなり収穫したが、まだ残っていて I さんは来週また来ると言った。1週間でまた大きくなるのだそうだ。

 

 柿木の側でビニールシートを敷いて昼食。私以外の皆が持ち寄った手作りの料理はなかなか美味しく、ピクニック気分で楽しかった。

 

 

 

 小さな丸い実をつけている木が1本あり、これはリンゴと一緒に袋に入れておくと軟らかく甘くなると I さんが教えてくれたので持ち帰った。

 

 

 

 

 

 帰途 I さんの家に寄って、コーヒーや干し柿、手作りの栗の渋皮煮などをご馳走になり、談笑して過ごした。I さんは40代で中学校教師だった夫君を失くしたが、以来ずっと1人で3人の子を育ててきた。とても前向きで活力が溢れ、今もゴルフをしたり、日曜日には神戸の移住ミュージアム(元、海外移民収容所)で案内のボランティアをしている。

 

 久しぶりに秋の野外の空気を満喫できた良い一日だった。


健康であること

2011-11-14 10:43:13 | 身辺雑記

先月、市の後期高齢者健康診査を、行きつけの医院で受診した。結果は今年も上々で、異常はなかった。

 

 血液検査は項目が限定されていて7項目だったが、肝臓の働きを調べる肝機能検査の数値のGOTGPTやコレステロール値、中性脂肪値、血糖値などはすべて基準値内だった。このような検査は40歳になったときからとぎ途切れることなく受検しているが、40年近く基準値を大きくはみ出したことはない。

 

 Ⅹ線撮影による肺癌、尿検査による前立腺癌、採便による大腸癌などの検査もすべてクリアした。ついでに他の癌についても知りたくて血液検査をしてもらったが、肺、胃、肝臓、胆嚢、膵臓、大腸、甲状腺に関連するマーカー(CEA、CAI9-9)はいずれも異常はなかった。未検査は食道癌と膀胱癌などだが、おそらく異常はないだろう。ついでに癌以外の他の項目も結果が記されていたが、LDLコレステロール、尿素窒素、クレアチニンの値が高めだった。

 

 検尿の結果は糖、タンパクは±だが、潜血は+。

 

  肥満度を示すBMI(体重÷身長÷身長)値は25.3で、標準値は22だからやや肥満ぎみ。

 

 こういうことで、顔の艶も良いし、声にも張りがあると言われるから、まずまず健康なのだろう。もっとも何年か前に義妹に会ったときには「会ってみるとやはり年だね」と笑われたし、自分でも年々老いが顕れてきているとは思う。

 

 西安の友人たちからはチャットするたびに「爺爺イエイエは元気?」と尋ねられる。そのたびに「まあまあ元気だよ」と答えているが、この2年ほどはどうも元気いっぱいの健康体という気がしない。足腰がとみに弱ってきたこともあるのか、いつも疲労感があり、「健康感」がない。かかりつけの医師に尋ねたら、健康とは体のこともあるし心の問題もある、年とともにそういうことはあると言われた。今のところストレスというものはないが、やはり長年の運動不足の報いなのだろう。その点、ブログ友のSさんやOjさんは私よりも少し若いが、どちらも70代で、毎日ウォーキングを欠かさないし、スキーやゴルフなどのスポーツをしているから私とは心がけが違う。ブログにいろいろな技を使っているUさんはカメラを持ってあちこち歩き廻っていて若々しい限りだ。羨ましいが、時既に遅しの感あり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


再婚

2011-11-12 15:35:28 | 身辺雑記

 「恋人探し」、「高砂や」、「離婚」と続けてきたので、「再婚」ということもちょっと考えてみた。

 

 私が妻を喪ったのは65歳の時で、それから少し気持ちが落ち着いたのは3年ほどたってからだったから、そのときは70歳近くになっていて、そのせいか再婚話を持ち込まれることはなかった。 

 

私の教育委員会事務局や教育研究所時代の同僚で、連れ合いを亡くしたのが3人いた。3人ともその後小学校や中学校の校長になったが再婚した。寡になったときにはまだ50代にかかったばかりだったし、公務上の地位もあったので、再婚を考えたのだろう。私の場合はもう定年退職したあとだったし、もはや再婚を考える年齢でもなかった。

 

 それでも見かけは元気だったせいもあるからか、長男の嫁や2、3の人に「再婚はしないのですか」と聞かれたこともあるが、まったく考えなかった。その理由はあれこれ理屈っぽく言ったものだが、第一に今さら結婚など気力も労力も要ることは面倒。二に妻のことが忘れられないのに再婚したら、その相手が気の毒。三には、もし適当な相手がいても、おそらくは相手も再婚という可能性は高いだろうから、子どももいるだろう。そうすると私のために私の子ども達は急に見も知らぬ親戚、きょうだいをもつことになる。

 

 今思うと、その場限りの適当な言い訳のようなものだが、本音でもあった。何よりも、退職していたから交際範囲は限られて、これならという女性は見当たらなかった。そういうことで、再婚にはまったく興味も関心もなく過ごしてきた。この10年あまりの歳月を振り返ってみても、それで寂しいと思うことはまったくなかった。

 

米国の映画人など有名人には、結婚、離婚、再婚を繰り返すのが少なくない。今年の3月に79歳で亡くなった女優のエリザベス・テーラーなどは、生涯で8回の結婚と7回の離婚をしているが、結婚相手も実業家、俳優、プロデュサー、政治家、工事現場作業員と多彩だ。よほど結婚願望が強かったのか。死別は一度だけで、後は離婚だから。相手に満足できなかったのか。恋多い女性という感じがするが、晩年は独身だった。

 

このようなことは一般人にはまずないだろうが、これはと思う相手が見つかれば再婚して幸せであればそれに越したことはない。実際、先に挙げた3人の元同僚達は、再婚後は幸せに過ごしているようだ。


離婚

2011-11-10 09:54:49 | 身辺雑記

最近離婚が増えているらしい。性格の不一致という理由が多いようだが、夫婦のそれぞれの性格などそれほど一致するものではないだろう。それに結婚前に相手の性格というものがどこまで理解できるものか。まして恋愛結婚ともなれば、結婚前や結婚して間もない頃は、どうしても良いところばかり見ているが、時がたつにつれて気が付かなかった地や癖も目に付くようになる。それは自然なことなのだが、それがどうしても我慢ができなくなると別れたくもなるのかも知れない。

 

 私と妻は約40年間の結婚生活中、性格はもちろん違ったが、我慢のできない不一致というほどのものはなく過ごした。いろいろなこともあったが、離婚などは一度も考えてことはなかったが、多くの夫婦はそんなものではないか。もちろん嫌でたまらないのに別れることもできず、ずるずると毎日を引きずっていくということもあるだろうし、それに我慢ができなくなると一時盛んに言われた「熟年離婚」ということにもなるのだろう、根底には今の女性は昔のように一方的な忍従など考えられない自立心があるからだと思う。

 

 結婚生活は喩えてみれば酒造りのようなものではないかと思う。米と麴とが一体になって、時間をかけてまろやかになっていく。そんなものではないか。結婚生活も熟成には時間がかかる。好きな句に「秋灯や夫婦たがいに無きごとく」というのがあるが、そのようになるまではやはり時間がかかる。

 

 近頃は「離婚式」というのがあるようで、希望者は意外に多いらしい。結婚式があるのだから離婚式もとはちょっと思いつかないのだが、これも世相の一端だろうか。離婚式に参加してみたある新聞社の女性記者のレポートを見た。それによると大略、こんなもののようだ。

 

 10月の、とある休日の昼下がり、東京・浅草の浅草寺前に、「旧郎」と「旧婦」が現れて、それぞれ別々に人力車に乗る(なぜ人力車なのか分からないが)。2人は一言も話さない。もちろん笑顔などは無いだろう。参列者は友人ら約10人。人力車は約15分間、住宅街を参列者を従えて行き、会場の古民家に到着。会場ではこの式のプラナーが離婚に至った経緯を説明し、旧郎旧婦それぞれ挨拶する。その後は「最後の共同作業」で2人がハンマーを一緒に握り、結婚指輪を叩き潰す。拍手があったかどうかは分からない。「離婚披露宴」も多分無かったのではないか。この式の基本料金は5万5千円とのこと。

 

 どうにも理解しがたいようなセレモニーで、私などは茶番劇のように思うのだが、ところが、これが案外人気があって、プラナーはこれまで90件以上の離婚式を手がけてきたそうだ。首都圏の3040歳代の夫婦が中心だが、50代以上の夫婦の挙式もあるとのことだ。それに問い合わせが、震災後は以前の3倍に増え、1日100件近く寄せられることもあるという。月2~3件だった挙式も4~6件と倍増。特に週末は、受け入れ枠がほぼ埋まる状態になっているとのことだから分からないものだ。互いに憎み合い、罵り合って別れるのではなく、少なくともこのようなセレモニーをしようというのだから気持ちは落ち着いているのだろう。それならこのような式に費用をかけるのではなく、2人で友人でも交えて「最後の晩餐」でもして来し方を振り返って話し合ったらよいのにと思うのだが、ハンマーで指輪を叩き潰すなどとはどうも殺伐でいけない。

 

 結婚も近頃は「ジミ婚」が多いようだ。まして離婚などは人前でセレモニーまでしてするものではないだろうと思うのだが、時代とともに考え方も変ってきているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


高砂や

2011-11-08 09:37:08 | 身辺雑記

 弟からのメールに次女が結婚したとあった。二人の希望で結婚式はせず、双方の家族で会食する程度にしたそうだ。最近は「ジミ婚」が多いらしいから、それも良いだろう。私の結婚式も双方の両親と共に大阪の豊国(ほうこく)神社の社殿で挙げ、後は父が予約した料亭で会食しただけだった。 

 

 時代劇などの結婚式の場面では、威儀をただした仲人の男性が謡曲「高砂」を朗々と謡う。「高砂」は、夫婦愛と長寿を愛で、人世を言祝ぐめでたい能であり、このような場面で人口に膾炙しているものと思われがちだが、実際に全曲をすらすら言える人は今では少ないだろうし、私も出だしの「高砂や この浦舟に 帆を上げて」の後は断片的にしか頭に入っていない。全曲はつぎのようなものだ。

 

高砂や この浦舟に 帆を上げて この浦舟に帆を上げて 月もろともに 出汐の 波の淡路の島影や遠く鳴尾の沖過ぎて はやすみのえに 着きにけり はやすみのえに 着きにけり

 

四海波静かにて 国も治まる時つ風 枝を鳴らさぬ 御代なれや

 

あひに相生の松こそ めでたかれ げにや仰ぎても 事も疎(おろ)かや かかる代に住める民とて豊かなる 君の恵みぞ ありがたき 君の恵みぞ ありがたき

 

 

 

 

 最近の結婚披露宴では新郎新婦が、メンデルスゾーンの「結婚行進曲」やワーグナーの「婚礼の合唱」のメロディーをBGMにして入場してくるような場(最近はポップスのようなものが多いらしいが)では、「高砂」は似合わないだろう。私は現役時代にはずいぶん多くの教え子たちの結婚式に出たが、仲人だけでなく来賓が謡ったのも聞いた記憶がないし、私も仲人は務めたが、もちろん謡ったことはない。

 

http://www.youtube.com/watch?v=McUTJkHfUrM

 

http://www.youtube.com/watch?v=vgRdpuJZSzM

 

 高校を卒業する少し前に、親しい仲間が校内の一部屋に何人か集まって、結婚祝歌を歌った。将来結婚することはあっても結婚式に出られるかは分からないから、今祝っておこうということだった。歌の作詞者も作曲者も記憶がないが、歌詞は次のようなものだ。

 

 喜びに溢れて微笑む日よ

 我らに開く幸いの花

 心には望みの生まれ出でて今や

 我らを招く幸いのあした

 今日交わす誓いを永く胸に秘め

 睦みて変わらじ遙かなる日まで

 

 一緒に歌った仲間は皆結婚したが、何人かはもういない。そのような友を想いながら、皆で歌った60年前のあの日の情景を今も懐かしく思い出す。

 

 

 


恋人探し

2011-11-06 12:37:55 | 身辺雑記

 パソコンを開くと出てくるトゥデイというウィンドウに「MSN恋人探し」というサイトがある。若い男女が名ずつ(クリックして画面を変えると別の3組が出るから、延べにするとかなりになるが)、自分の写真を出して自己紹介し、交際や結婚希望の相手についてあれこれ希望しているものだ。どれも20代前半から30代半ば頃までの年齢だが、これもいわゆる「婚活」の一つの手段なのだろう。

 

 暇つぶしにその中の何人かを時々見るのだが、私も男の成れの果てだからどうしても女性のものを開いてみることが多い。私が40歳以上若かったらと仮定して読んでいるのだが、どうもあまり心惹かれるのがない。若かったらと仮定しても心は老人だから、若い女性の考えや趣味などには付いていけないのだろう。ほとんどはまじめなものだが、中にはずいぶん身勝手な希望もあって、これでいいと言う男性がいるのだろうかと首をかしげるものもある。例えばこんなのがあった。

 

 28歳の女性、希望相手の年齢は2335歳。「相手に希望すること」は、「・ダチョウ倶楽部の中で言えば上島より肥後 ・私からの不条理かつ突然の平手打ちにも負けない心意気アリ ・料理が得意(この煮凝りどう?) ・朝起こしてくれる(コーヒー淹れたよ)  ・頭洗ってくれる ・説教はしない ・昔のディオールがやけに似合う ・威張らない ・ヒルズでメシ食わない ・ジルサンダーが似合う」というもので、私にはダチョウ倶楽部とかジルサンダースというのは分からないが、いったいどういう性格なのか、冗談なのか、結婚をどのようなものと考えているのだろうかと少し呆れた。こういう女性を「肉食系」というのだろうか。希望する年収は600700万円台、 800万~900万円台、1000万円台、 2000万円以上だそうだ。高望みではないかな。それでも今時のことだから案外、これは面白い、付き合ってみようかという男性もいるのかも知れない。それにしても「メシ食わない」とはねえ。普段どういう言葉遣いをしているのだろうなどと言うと「突然の平手打ち」を食らうかもしれない。

 

 近頃は結婚願望がない男女が多いということだが、このサイトを見るとそうとばかりは言えないような気もする。結構結婚希望の男女は少なくないようだ。しかし何もこんなところで不特定多数の人間(私のような野次馬も含めて)に自分を晒さないで、身近な付き合いから相手を見つければいいのにと思うが、そのような相手がいないのか、このように匿名(仮名)のほうが気楽なのかも知れない。

 

結婚とは大げさに言えば、生涯にわたる大事業だ。その場その場のムードで、相手を決めることにはリスクを伴う。そのせいか最近は離婚も多いらしい。不幸な結婚なら解消したほうがいいが、そうならないためにもよく自分と相手の性格や生き方を考えることが必要だ。もっともこのようにしたり顔で言えるのは結婚とは縁のない老齢になったからで、私も妻と出会ったときには大いに目が眩んだ。結婚してからもいろいろあったが「終わり良ければすべて良し」だったのは幸いだった。

 


前立腺癌

2011-11-05 11:23:18 | 身辺雑記

 先ごろ今年度の後期高齢者健康検査を受検したが、結果は今回も異常は認められなったので、一応一安心した。検査の中には癌に関するものが3つあり、肺癌はX線撮影、大腸癌は採便、前立腺癌は採尿で検査する。年齢だけに前立腺癌は少し気になっていた。

 

 前立腺癌は、わが国ではもっとも罹患率の増加率が高い癌と言われている。2020年には肺癌に次いで男性の癌の2位になり、2020年の前立腺癌死亡率は2000年の2.8倍になると予想されている。

 

 前立腺は男性のみに存在する生殖器官で、膀胱の真下にあり、尿道を取り囲み精嚢に接している。その役割はまだ解明されていない部分が多いらしいが、主な働きに前立腺液の分泌があり、精液の成分の約3割を占める。

 

 前立腺がんによる死亡を防ぐ有効な方法はPSA(前立腺特異抗原)検診である。最近ヨーロッパではこの検査を受けた集団は受けなかった集団と比べ、前立腺癌による死亡率が半減したことが報告されているそうだ。50歳以降に発症する場合が多く、その割合は年を追うごとに増加するので、50代になれば簡単にできる検査だから、受けたほうがいい。癌の中では治癒率は比較的高い方であるとされているから、早期発見するに越したことはない。

 

 PSA値ng/mlと前立腺癌の可能性との関係については次のような資料がある。

 

PSA値と前立腺癌の発見率(松田公志,関西医科大学泌尿器科)一部改変

PSA値(ng/ml

前立腺癌の可能性

 

前立腺癌の発見率

4.0以下

可能性は低い

 

 

4.110.0

灰色領域

4.110.0

20%

10.1以上

疑わしい

10.020.0

30%

 

20.0以上

75%

PSA値は,40歳代では2.5ng/ml以下,70歳代では6.5ng/ml以下というように年齢で修正した値を用いるべきだという意見もあります.

 

今回の検査での私の値は1.1だった

 

 最近米国のハーバード大学などのチームが喫煙者は非喫煙者に比べて、前立腺癌で死亡する危険性が61%高いとの研究結果を発表したという。19862006年に前立腺癌と診断された約5400人を追跡し、死因と喫煙との関係を分析した結果、診断時にたばこを吸っていた人は、吸ったことのない人に比べ、前立腺癌による死亡のリスクと、治療後の再発リスクが、ともに61%高かったそうだ。また、10年以上の禁煙で、危険性は非喫煙者と同程度に下がるとも言っている。

 

 一方では同じハーバード大学の研究チームが、コーヒーを多く飲む男性は前立腺癌になる危険性が低いとの調査結果を発表している。特に悪性度の高い癌の予防効果が顕著だと言う。チームによると、登録した男性約4万8千人を20年間追跡したところ、約5千人が前立腺癌を発症した。これをコーヒー摂取量との関係で見ると、1日に6杯以上飲む人は飲まない人に比べ、前立腺癌発症の危険性が18%低く、中でも進行が早かったり転移したりする悪性度の高い前立腺癌は60%も低かったそうだ。

 

 Hg君もHr君もヘビースモーカーの部類に入る。2人ともコーヒーは好きなようで、とくにHr君は毎日かなり飲むようだが、さて喫煙とコーヒーとのせめぎ合いはどうなるか。多分受検しているとは思うが、PSA検査は怠らないほうがいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


女性の飲酒

2011-11-02 11:08:36 | 身辺雑記

 最近、女性の飲酒率が増加しているそうだ。厚生労働省の調査によると、女性の飲酒率は40年前の4倍に上り、20代前半では男性を上回る逆転現象も起きているという。

 

 女性が飲酒すること自体には何も問題はない。確かに昔は飲酒に関わる職業の女性はともかくとして、一般家庭の女性や、会社勤めの若い女性が酒を飲むことは少なかったと思う。巷で男のトラはしょっちゅう見かけたが、女のトラなど見たことはない。今でもさすがに泥酔している女性は見ないが、夜遅い電車の中ではかなり顔が赤くなっていて、立っているのが辛そうな姿も見かける。会社などの飲み会の帰りだろうし、中には誘われて飲食街に立ち寄ったのかもしれない。女性の飲酒の機会が増えたのだろうが、度が過ぎなければ、殊更に女性の飲酒をとやかく言うことはない。

 

 女性のアルコール依存症も増えているらしい。平成20年の厚労省の調査によると、2024歳の飲酒率は男性が83.5%、女性が90.4%で、女性の方が多くなっていて、この年代ではアルコール依存症につながるとされる「多量飲酒者」も増加傾向にあるそうだ。女性は男性よりもアルコール依存症になりやすいようだが、女性の肝臓の容積が小さいことやホルモンの影響から、アルコールの分解能力が低いことが理由らしい。以前家庭の主婦が料理の合間に料理用の酒を口にし、それが嵩じて依存症になったということを聞いたことがある。男性の依存症は飲酒歴1020年頃に発症するが、女性は5~6年で症状が始まるという統計もあり、若年層の発症が目立つ原因ともなっていると言う。一般的にアルコール依存症は本人が認めたがらない疾患で、特に「大酒飲みだと思われたくない」という女性にその傾向が強いと言う。

 

 喫煙もそうだが、女性は男性と違って、結婚して母親になるという大きなことがある。過度の飲酒や習慣的な飲酒は不妊や自然流産の危険性が高まるほか、妊娠中の飲酒は、胎児の脳などに障害が出る胎児性アルコール症候群や、低出生体重児などにつながると専門家は言っている。

 

 何事も過ぎたるは及ばざるが如しで、最近は「女子会」ブームとやらがあり、かわいいデザインのお酒の登場など、女性が気軽に飲酒できる環境になったことや、一部には女性が酒を飲めることをかっこいいとする風潮もあると言う。女性自身がもちろん心しなければならないが、男性もたとえ下心などはなくても、無理強いしたりしないことだ。何事にもルールとマナーが必要だ。

 

 


Y君の書を見る

2011-10-31 12:05:27 | 身辺雑記

 古い卒業生のY君が、ある大手企業グループの退職者でつくる美術展に招いてくれた。彼はその企業グループの住宅建築会社にいた。招きを受けて高校3年のときの同級生の女性4名と男性1名と一緒した。ほかに他のクラスの男子卒業生も1人加わった。会場は大阪梅田のスカイビルというところだったが、このビルは地上40階建て173mの世界初の連結超高層ビル(2棟のビルが連結されている)で、映画館やレストラン、イベントホールなどの多彩な機能を備えている。

  

 美術展は「積美展」と言い、グループ企業のOB達の、絵画、書、写真などが展示されていたが、どれも力作揃いで、Y君は書を出展していた。退職以来ずっと書を学んでいたことは知っていたし、私は西安碑林博物館で求めた王羲之の『蘭亭序』の拓本を進呈したこともあった。それ以来ずっと研鑽を積んでいたようだ。彼の書を見るのは初めてだったが、のびやかな筆跡に感心した。

 

 

 

  Y君と作品。書かれている短歌も彼が詠んだもの。

  

 

 

 

 

 

 会場の窓から見た大阪市街。中央の川は淀川。

 

 

 鑑賞した後は別室で昼食を接待してくれ、楽しく談笑したが、丁寧な心遣いに感謝した。その後で皆は最上階にある屋上庭園に向かったが、私は高所が苦手なので先に失礼した。Y君はずっと下の階のエレベーターの入口まで見送ってくれ、ドアが閉まるまで深々と頭を下げていた。 

私は昭和33年(1958年)に高校の教師になったが、最初の年は所属学年はなく、通称「4年生」だった。次の年に1年の学年に入ったが、その学年にY君はいた。教えたかどうかは覚えていないが、当時私はなり手がなく困っていた剣道部の顧問を部員達から頼まれたので、剣道はまったく知らないから「四段=しだん=知らん」だと冗談を言って引き受けた。その剣道部にY君がいたが、明るい、冗談好きの礼儀正しい生徒だった。

 

 2年生ではB組という女子の多い就職クラスにいて、私はそのクラスを教えたが3年まで持ち上がりの、明るく、仲のよいクラスで、今も毎年クラス会をしている。3年生のときの女性担任は退職して広島の方に住んでおられるので、生徒達から担任代行になって欲しいと頼まれ、ずっとクラス会にも出ている。

 

 彼は非常に気立てのよい男で、皆に愛されていた。そのような性格は今もまったく変わっていない。今でもそうだが、高校時代の彼は頭が大きかった。3年生のときに担任した私のクラスにもS君という頭の大きな生徒がいて、皆からそのものずばりの「アタマ」と呼ばれていた。ほかのクラスにもU君という頭の大きな生徒がいて、皆は「3巨頭」などと呼んでいた。あの頃の愉快な生徒達や授業中の雰囲気を思い出すと懐かしくなる。

 

 Y君からはがきで礼状が来た。丁寧な文面で、最後に「一句、梅田スカイビルにて」として句が添えられていた。

 

 秋空に恩師囲むや𦾔き朋

 

 68歳になるY君がますます元気で書の道を究めるようにと願っている。

 

 

 

 

  


楽しい昼食

2011-10-30 11:49:40 | 身辺雑記

 一番上の孫娘のユリコと会った。幼い子どもが大好きで、幼稚園の教師か保育所の保育士になりたかったので滋賀県の彦根市の採用試験を受け、幸い合格した。最近地元の市の試験も受けたがまだ結果は分かっていない。それでももう就職については心配がなくなったので、ささやかだが祝ってやることにした。

 

 駅に迎えにいくと父親(長男)も大阪で買い物をするということで一緒だった。この親子は仲がいいので楽しそうな様子だった。昼食は電車で一駅のところにあるイタリア料理店にした。前に電話で「イタリアンにしよう」と言ったら、早とちりして「えっ、イタリアに連れて行ってくれるの」と声を弾ませたので笑ってしまった。そんなことがあって食事の約束をしていた。

 

 もともと私とユリコは気が合うのか、二人で会ってもよく話をするのだが、今回は息子が加わったので話が弾み大いに楽しかった。この子は最初の孫だったので、妻もとても可愛がっていた。それがもう成人し、来春からは社会人になる。妻が存命していたら、この昼食をどれほど楽しんだかと思う。

 

  

 

  

 

 その後は、その店の近くのホテルの喫茶ルームに行き、しばらく話したが、ここでは最近の息子の仕事の様子を聞いた。息子は京都にある機械メーカーに勤めているが、このところ海外出張が多く、スペイン、トルコ、ブラジル、カナダ、中国、インドネシアなどを飛び回っていたようだが、最近の円高でなかなか厳しい情勢らしい。

 

ユリコに結婚はいつ頃するのかと尋ねたら、「さあ、後15年くらいかな」などととぼけたことを言う。15年もたてば40歳近くなってしまうし、私は生きていても90歳を超える。もちろん今は就職が決まったばかりだから、結婚どころではないし、女子大だから付き合っている男性もないようだ。その点ではネンネというのではないが、どうも淡白で、「オジイはせめてユリコの花嫁姿を見たいのだがな」と言ったものの、何やら覚束ない気がした。「江戸時代だったら20歳を過ぎれば年増、30歳も過ぎたら大年増と言ったんだぞ」と言ったが、「そうなの」と気にするようすもなかった。もっとも今頃の若い娘に年増や大年増などと言うのは時代錯誤で、時代小説の読み過ぎだろう。 

 

あれこれ取り留めもなくいろいろ話をしてくつろいだ時を過ごしたが、息子もユリコもその後それぞれ行くところがあるようなので、適当に切り上げた。この何日間は無聊な毎日だったので、久しぶりに気分が晴れた。やはり家族は良いものだ。