中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

中国の物価高

2011-07-24 12:10:39 | 中国のこと

 中国では最近急激に物価が上昇しているようだ。西安の李真は「上がり過ぎ」と嘆いていた。6月の消費者物価指数の上昇率がおよそ3年ぶりに6%台の高い水準に達し、中国政府は、金融の引き締めに向けた動きを強めているにもかかわらず、物価高を抑えられない状況が続いていると言う。李真は紙のお金を作りすぎだからと言うが、インフレ傾向なのだろう。李真は「爺爺イエイエ(私のこと)がはじめて来た頃(2000年)は余裕があったけれど、今は陳偉(夫君)と2人で働いていても厳しい」と言った。

 

中国の消費者物価は、去年秋から上昇傾向が続き、ことし3月以降、3か月連続して上昇率が5%を超えていたが、6月はさらに拡大しておよそ3年ぶりに6%台の高い水準に達した。特に食料品の価格の上昇率が14.4%と高く。中でも中国人の食生活に欠かせない豚肉は57.1%、卵も23.3%値上がりしているそうだが、これは庶民にとって痛手だろう。

 

上海に住む邵利明も値上がりがひどいと言う。レストランで食事しても料理の値段が高くなり、量も少なくなっているそうだ。外食することが多い中国人には不満だろう。衣類なども高くなっているが、毎日買うものではないから、食料品のように肌で感じることはないとも言った。利明の家は回教徒だから豚肉の値上げは関係ないだろうが、やはり食料品全体の高騰は応えるだろう。マンションの価格などは大阪(利明が住んでいた)と変わらないそうだ。

 

 中国政府は、ことしの消費者物価指数の上昇率を4%程度に抑える目標を定めていて、物価の高騰に歯止めをかけるため、去年10月以降、政策金利を5回引き上げるなど金融の引き締めに向けた動きを強めているようだが、これまでのところはっきりした効果は出ておらず、国民の不満が高まっているそうだ。李真や邵利明の言葉からもそれが窺える。うなるほど金を持っている富裕層ならともかく普通の庶民、とくに所得の少ない貧しい層が生活に困るような現状は、最近各地で農民などの暴動が頻発している中で政府にとっても頭が痛いことだろう。


開心野菜畑

2011-06-13 22:04:11 | 中国のこと

西安の李真の家族は最近畑で野菜を作っている。家から車で片道15分くらいの所に20平方メートルの畑を借り、そこで、豆やトマト、青梗菜などの葉菜類などを植えていると言う。畑は農家から借り、賃貸料は年に680元(約九千円)、給水用の水道も管理者が設置してくれていて自由に使え、野菜の種子も無料で分けてくれるそうだ。専門家(農家か)がいろいろ指導もしてくれるそうだ。

 

 このような畑は「開心野菜畑」と言うそうで、最近、西安南郊外周辺の土地はほとんど、この開心野菜畑になったと李真は言った。「開心 kaixin」は愉快、楽しいという意味だ。家族で楽しむ野菜畑ということだろう。中国の西部開発計画の中心部である西安の最近の発展は著しく、私は10年くらい前にはじめて西安を訪れたが、その頃に比べるとその発展振りには目を見張る思いがする。その反面、かつては多くあった農地はどんどん企業の建物や高層住宅が林立する場所に変わってきている。私としてはこのような「発展」はあまり好きではないが、西安の市民の中にも騒がしく、潤いのない都会化に心地よくない思いをしている人たちも少なからずいるのだろう。そこで心の憩いを求めて野菜作りでもしようかということで、開心野菜畑のようなものに人気があるのだろう。

 

 畑をしようと言い出したのは李真の母親だったそうだ。母親は12歳まで農村で育ったので土いじりには関心があったようで、これまでにもベランダで花や野菜を作っていたが、あまりうまくできなかったらしく、それで開心野菜畑を借りることにしたそうだ。今では両親も楽しんでやっていると李真は言った。その李真もこの野菜作りは気に入っているようだ。中国はこの2、3年発展が速すぎ、それにちょっと不安があった、野菜を作っていると心が緩やかになると言った。それに農家の苦労も実感として分かるようだ。このあたりが辛苦を味わった「文革世代」の両親を持ち、消費意識が強い次世代の「八〇后」とは違う堅実さなのだろう。

 

 中国は最近、何でもお金が掛かる、みんながお金を儲けたいと考えていると李真は言う。先日息子の宸宸(チェンチェン)を連れて水族館に行ったが入場料は高い、お金のない家族は来られないだろうと思う、出稼ぎの人の子もそんなところに行ける料金ならいいのにとも言った。李真が今の生活に流されることなく、ささやかな家庭菜園づくりを経験しながら、農家の苦労に思いを寄せ、恵まれない人たちのことを考えるようになることはとても良いことだと思う。私はこのような真面目な生き方をする李真が友人として好きだ。

 

 

 

 

 

 

 


月光王子 月光公主

2011-06-07 17:13:08 | 中国のこと

プロ野球の日本ハムファイターズの斉藤祐樹投手は、高校生時代に甲子園での全国高校野球大会で、マウンド上で青いハンカチで汗を拭う仕草が人気を呼んで、「ハンカチ王子」と呼ばれ、ゴルフの石川遼選手はデビュー当時に、インタビューを受ける時の初々しい様子から「はにかみ王子」と呼ばれた。そのようなことから、ルックスが良い青年タレントなどを「○○王子」と言うことが一時あった。

 

中国では「月光王子」、「月光公主」という言葉があることを西安の李真から聞いた。公主はプリンセス、姫という意味だ。これは特定の人物の呼び名ではなく、「月光」の「月」は月給、「光」は何も残っていないことで、一ヶ月の給料を使い切る人のことを指す新語のようだ。中国人はこのような造語をつくるのがうまい。この王子や公主達は、給料の高い「八〇后(パーリンホウ)」に多いと李真は言った。前にも書いたがこの1980年代に生まれた世代は、消費意欲が高い。たとえ給料は高くなくても贅沢をするようで、李真の50代の同僚の八〇后の娘は、西安に戻るのに列車ではなく飛行機を使い、空港からはバスではなくタクシーを使うのだそうだ。

 

 このように八〇后が贅沢に消費するのも、彼らは「富2代」と言われ、親が富裕層であることが多いのだからだそうだ。この親の世代は改革開放時代から富裕層になった。だからその次代の「富2代」達は親の恩恵を享受して豊かな生活を送り、消費も派手で、何かにつけて金銭感覚で考えるのではないか。

 

李真はこの八〇后のちょうど前の世代に属するから、それほど豊かではないし、贅沢に消費するということはない。李真の父親はいわゆる「文革世代]で、都市から地方に「下放」された体験がある。高校時代には成績がよく、有名大学である北京の精華大学に入学できることも可能なようだったが、父親(李真の祖父)が山西省で商売をしていたため、資本家階級に属するとみなされてそれも叶わなかった。その後は努力して水墨画の画家となり、西安でも名が知られるようになったが、穏やかで寡黙、まじめな人物だ。李真は父親の世代には立派な人が多い、お金のためではなくて自分の情熱で好きなことをしてきたけれど、今の人たちはお金のためにすると言ったが、父親の生き方を見てきてそう思うのだろう。最近の中国に広がっている拝金主義的な風潮には批判的だ。

 

  消費生活が華美になると、いろいろな問題も出てくる。今の中国には「房奴」、「車奴」、「卡奴」、「孩奴」という言葉があることも李真は教えてくれた。「房奴」の房(ファン)は家、奴()は奴隷の意味で、家のローンを払うために生活が追われること、「車奴」は車の維持費に追われること、「卡奴」の卡(カ)はカードで、カードローンの返済に追われること(日本のカード地獄のようなものか)、「孩奴」の孩は孩子(ハイツ 子ども)だから、子どもの教育費に追われることだそうだ。だから消費生活を楽しんでいるような八〇后にも生活に追われる面もあるのかも知れない。

 

最近の中国では国民の経済格差が広がって、生活に苦しむ庶民も増加しているようだが、このような人達は月光王子や月光公主のように一ヶ月の給料を使い切るどころか、一ヶ月ももたないというのが生活の実態だろう。このような生活を表わす新語はまだ生まれていないのだろうか。

 

 


剩女

2011-06-05 10:17:15 | 中国のこと

  神奈川県に住む西安出身の曹渓が、友人の李真から「剩女」を日本語で何と言うかと尋ねられたと言った。曹渓と李真は西安外国語大学日本語科の同級生で、仲がいい。そんな言葉は知らないなと私は言ったら「負け犬」と曹渓は言ったのでああそうかと思い当たった。曹渓は賢い女性で、日本のこともいろいろ勉強しているようだ。

 

 「剩女(ションニュイ)」は直訳すると「余った女性」ということになるが、要するに結婚適齢期になっても機会を逃した女性のことで、最近の中国にはとても多い、「剩女」は最近の流行り言葉ですと曹渓は言った。「余った女性」と言っても、学歴も高く仕事もできる優秀な女性を言うようで、それが却って結婚するのをためらうことにもなるのだろう。曹渓は「裸婚」に妥協したくないから、経済的に良い条件の持ってる男を求めているうちに、自分が年になって結婚できなくなるのも珍しくないですとも言った

 

日本語の「負け犬」については大雑把なことしか知らなかったので調べてみると、ベストセラーになり講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞したエッセイストの酒井順子さんのエッセイ『負け犬の遠吠え』で有名になった言葉ということだ。未婚女性が自分は幸せだと言うと世間の反感をかうことに配慮し、「どんなに美人で仕事ができても、30歳代以上・未婚・子なしの条件が揃った女は負け犬」だと甘んじてレッテルを貼られておいたほうが世間とうまくやっていける、と未婚女性の処世術を説いたことから来るのだそうだ。転じて30歳代以上の未婚の女性を指すこともあるとのこと。これを文字通り受け取って反発する向きもあっただろうが、酒井さん30歳代超で子どもを持たない未婚女性を指してこう表現することで逆説的にエールを送ったとされていて、共感者も少なくないようだ。

 

「家庭よりもやりがいを求めて職業を全うする女性が1980年代以降増加の一途を辿っており、結果、気が付いた時には「浮いた話の一つもない30代」という女性が、職場では相応の地位を獲得しつつも結婚できないというジレンマに陥ることもあるという」(Wikipedia)。私はいわゆるアラサーやアラフォーが社会的に地位を得て活躍しているのは素晴らしいことで、結婚の有無は問題ではないと思う。要はその人の生き方の問題だろう。

 

中国の「剩女」は、前に紹介した「八〇后」に多いようだが、この世代は女性の学歴が高く、社会的にも地位を占めているから、その自負が北京や上海などの大都市では離婚が増えている原因にもなってはいるようだ。

 

 

 


裸婚

2011-06-02 09:47:05 | 中国のこと

 前に西安の李真が教えてくれた「裸官」という新語のことを書いた。裸官(luoguan)とは「裸体官員」を略したものだ。中国では大きな汚職に手を染めた役人は死刑になることもある。そこで汚職官僚は職権を利用して蓄財し、まず妻子を海外に移住させる。頃合を見て自分も海外に逃亡し、外国籍を取得したり定住したりする。もちろん蓄財した金は海外の銀行などに預金する。このような悪質、悪辣な腐敗官僚を「裸官」と言う。役人の汚職大国の中国では、このような、海外逃亡した汚職官僚、裸官は過去4000名以上にのぼり、流失金額の総計は50億ドルに上るとも言われている。

 

 裸官に似た言葉で、これも新語の「裸婚(luohun)」というのがあることも最近李真から聞いた。最近流行っている言葉で、「家なし、車なし、お金なし」で結婚するということのようだ。これから二人で頑張って稼ぐために、両親から何ももらわないで結婚することだそうで、それはそれでいいことじゃないかと私は言ったが、よく雑誌やネットで「裸婚したか」という記事が載っているけれど、実際に試している人はやはり少ないでしょうと李真は言った。

 

 このような現象は80年代後の世代の若者に言われているようだ。いわゆる「八〇后(パーリンホウ)」で、一人っ子政策の第一世代。李真の次の世代だ。大卒・ホワイトカラーが多く、インターネットが大好きと言う。ビジネスの世界でも大きな注目を集めていて、その消費行動がそれまでの世代とは大きく異なり、節約を美徳とする価値観は薄く、「高価なものでも気に入ったらすぐに買う」という大胆な消費行動が大きな特徴で、オンラインショッピングやクレジットカードの利用にも全く抵抗はないと言う。最近の著しい経済発展の中国でももっとも好奇心旺盛で消費欲が強いとされているようだ。だから結婚についても前向き積極的、自分たちの才覚と力量でやっていけるという自信があるのだろう。中国での結婚式は概して派手で、多くは親がかりだから、そのようなあり方に抵抗する「八〇后」らしい自立心の表明なのだろうが、現実にはどうか。

 

 中国では最近は物価が上昇し、住宅価格はどんどん高くなっている。沿岸部と内陸部の経済的な格差は大きい。大学卒業後の就職など、「八〇后」の後の世代はかなり苦しい状態にあると聞く。そのようなアンバランスは中国社会の状態にどのような影響を及ぼすのだろうか。「八〇后」はやがては国の中枢を担い、指導的立場になるが、その頃には中国はどのようになっているのか。前の世代や後に続く世代とどのように調和し、対外的にはどのように見られる国になるのだろう。

 

 

 

 


愛国教育

2011-05-24 09:35:01 | 中国のこと

東日本大震災の被災に対しては,世界各国から義援金や激励が寄せられた。少し前のことになるが、中国ではインターネット動画サイト「優酷(ヨウク)」などに、東日本大震災の被災者への応援ソング「日本不悲傷(日本よ悲しまないで)」が投稿されていて話題を集めているという記事をある新聞の電子版で見た。

 

「涙を流さないで。愛が全ての災難を止める」と女性が中国語で歌い、「にほんよ、にほんよ」と日本語混じりで呼びかける部分もあるそうだ。作者とみられる中国人はサイトで「われわれの隣人を愛し、幸せを祈ろう」とコメントし、同サイトには「加油チャアヨウ(がんばれ)日本!」「(被災地の)立派な日本人に敬服した」など、応援ソングを後押しする中国国内からの書き込みが寄せられたという。

 

 中国にもこのように心優しい支援者がいるのかと思うと心が和むが、それでも他方ではこの歌の作者に対して「おまえには愛国教育が足らない」とか「実は日本人が作ったんじゃないか」などと、反日感情をむき出しにした心無いコメンとも多数あったと言う。一部の中国人の反日感情にはどうしようもないものがあるが、そういう人間は日本が不幸になれば喜び、被災者に対する同情の気持ちや、死者に対する哀悼の念など微塵もないようだ。しかし、日本人の中にも、あの中国の四川大地震に対して、ある女性が「罰が当たったのだ」と言い捨てたのを聞いたことがある。その国が嫌い、憎いとなると人間としての感情も荒れたものになるのだろう。

 

 ところで、「おまえには愛国教育が足らない」という、その「愛国教育」だが、1993年に中国国家主席となった江沢民は一貫して反日強硬路線を採り、1994年には「愛国主義教育実施要綱」を制定、1995年からは徹底した反日教育を推進した。愛国主義教育は必ずしも反日教育ではないとも言われるが、実際には反日教育が中心になっていたようだ。だからこの教育を受けた世代は非常に強い反日感情を持っていると言われている。江沢民自身はきわめて強硬な反日主義者だとも言われているが、そのような一個人の考えが国家の方針となり、多数の国民に洗脳的影響を与えるところが、中国が独裁国家などと言われるのだろう。

 

 ある評論家は、学校の教科書はすべて書き換えられ、日中戦争の日本軍の残虐行為をあげつらうものになった。相変わらず小学校の教師は、授業で日本軍の残虐行為を語るときに、感極まって泣き崩れる。壮絶な話に興奮した生徒たちは泣き叫び、教科書を黒板に叩きつけ、机をひっくり返し、集団ヒステリー状態に陥る。しかし、それが収まった後には、教室の中に恍惚とした一体感と日本に対する激しい憎悪が生まれるのだという」と書いている。

 

この評論家は中国生まれで、日本に帰化した反中愛日者として、日本の右派言論陣で大いにもてはやされている人物であるから、その現体制の中国に対する批判は一貫しているが、この愛国主義教育の実態は為にする創作ではあるまい。このような常軌を逸したような授業がすべての学校で行われていたとは思われないが、日本を憎む心情が植えつけられる教育がかなり行われたのは事実だろう。「おまえには愛国教育が足りない」というのは、要するに「日本を憎む気持ちが乏しい。愛国教育を不十分にしか受けていない」という誹謗だろうし、このコメントをした者は、骨の髄まで反日に染まっているのだろう。

 

 国を愛することは大切なことだし、自分の信条から自分の国のあり方に批判を持ち、それを変えようとすることも「愛国」の形と言える。しかし過去の日本にもあったし、今でも存在する偏狭で過激な「愛国主義者」は、自国のみを正しいとして他国を侮る独善的な思考にとらわれている。このような「愛国者」達が国のあり方に影響を持つようになれば、その国はやがては孤立し、世界の鼻つまみ者になるだろう。

 

 

 

 


犬を食べる

2011-04-24 10:15:13 | 中国のこと

 少し前のことだが、北京市内の高速道路を走行中の、犬約520匹を積んだトラックが300人以上の群衆に取り囲まれ、犬の搬送を阻止されたという記事を見た。

 

犬はこのトラックの運転手が河南省で、1キロ当たり14元で犬を購入、吉林省長春市へ搬送中で、犬は食肉処理場で処理され、レストランに運ばれる予定だった。阻止したのは、インターネット上で搬送を知った中国小動物保護協会の愛犬家らだった。

 

 愛犬家側は最終的にはすべての犬を15000元(約150万円)で買い取ることになって騒ぎは収まったと言う。愛犬家たちが暴力に訴えることなく、犬を買い取るということで事態を収めたのは賢明だったと思う。米国のシー・シェパードのように独善的に「正義」を振りかざして暴力行為も辞せないような過激なものでなく、このように平和的に解決したのは、東洋人と欧米人の違いかと思ったりした。本当の動物愛護というものは、こういうものではないか。

 

 中国の地方に行くと、犬や猫の姿を見ることはよくあるが、ただの飼い犬、飼い猫というような吞気な感じで、とくに犬は気儘に歩き廻っている。

 

 

 

 

 

  しかし、生活水準の向上によって都市部では犬や猫などのペット愛好家が増加しているようだ。上海で見たペットショップでもさまざまな種類の犬や猫が売られていて、訪れる人が多いようだった。愛犬家が寄付金などで犬を守った今回の一件は、動物愛護意識の高まりを示す実例と言えそうだと、報じた記事にあった。

 

 一方で中国は韓国などと同じように、昔から犬をよく食べていた。地方の市場に行っても皮を剥がれた犬が吊られているのを見ることがある。2001年に、西安でガイドしてくれた廖漢波(リャオ・ハンポ)という青年の故郷の広西チュワン族自治区の徳保という町を訪れたが、その時同行した二人の卒業生の女性が、廖君の家の屋上に可愛い犬がいるのを見て、「名前は何と言うの」と尋ねたら、「食べる犬だから名前なんてありませんよ」とあっさり返答されてびっくりしていた。家では処理しないで、専門の業者にやってもらうのだそうだ。その時には犬料理は出されなかったが、私はその後2008年に、広東省の開平という町で食べたが、取り立てて美味いとは思わなかった。

 

 

 

 現在では、その特異な風貌からペットとして愛玩されているチャウチャウは、かつては中国では食用犬とされていた。

 

  Wikipediaより

 

 

中国政府は今月、中国で初めて動物保護を明記した「反動物虐待法案」を全国人民代表大会(国会に相当)に提出する見通しとなったというニュースを見た。この法案には、犬と猫の肉の食用禁止の文言が入っており、食べたり、販売した個人には5000元(約65000円)以下の罰金と15日以下の禁固に処せられるそうだ。犬肉料理で有名な江蘇省徐州市などでは衝撃が走っているという。

犬や猫をペットとして飼う人々が増えていて、「イヌやネコを食べるなんて、野蛮な風習だ」との声も高まっているようだから、政府もこのような法案を出すことになったのだろう。しかし禁止されればされるほど、こっそり食べようとする者も出てくるのではないだろうか。古代から続いているこの食習慣はすぐにはなくならないような気がする。


国家主席が使うレストラン

2011-04-01 11:06:17 | 中国のこと

 西安の旅行社で日本の観光客のツアー経費の見積もりやホテルなどの手配をしている李真が先日、急な見積もり請求が日本からあって残業した。

 

 その請求の中に、「毛澤東とか胡錦濤などの中国の主席が使うレストランで食事したい」という客の希望があったそうだ。それで1卓8,800元のメニューを紹介したら、高いと言われて、再度4,500元のメニューを出したようだ。それで納得したのかどうかは聞いていない。

 

 いったいどういうつもりで「国家主席が使うレストラン」などと要求したのか分からない。どんな連中だということは李真の職務上のことだから聞くことはしなかったが、理解できない希望だと思った。西安にはこれまで何回も行ったが、初めての頃の団体ツアーに参加した時にはそれなりのレストランに案内された。しかしその後はそれほど高級なレストランを利用したことはない。私はむしろごくありふれた店の方が好きだ。だから、国家の要人が利用するレストランがどこなのかもまったく知らないし、関心もないが、そういう店の料理は多分高いだろうとは想像できる。

 

 しかし8,800元というと、この4月1日のレートで1元は12.677円だから、112千円くらいだ。これが一人当たりの料金だとすると高いが、1卓の料金で希望してきたのは10人くらいの人数らしいから、一人当たりにすれば1万2千円ほど。これくらいのメニューならば日本でもあるし、もっと高いのもある。何か中国は物価が安いという先入観があってひどく高いと思ったのではないか。

 

 李真は「わざわざ主席とか有名人が利用する店を要求するのが気持ち的に嫌。高いと言われたらもっと嫌」と言ったが、その気持ちはよく分かる。おそらく李真は内心では軽蔑感をもったのではないだろうか。日本人として何か気恥ずかしい感じがした。そんな連中はきっと食事を済ませた後で、大したことはなかったとでも言うかもしれないなと言うと、私もそう思うと李真は言った。

 

 それにしても、わざわざ国家主席クラスが使う店などと指定したのはどういうことだったのだろう。帰国してから、そういう店で食事したと自慢したいのか、その後であまり大したことはなかったとでも付け加えて自尊心をちょっぴり満足させるのか、いずれにしてもつまらないことだと思った。

 

 これまでにも李真達から、日本の旅行社の嵩にかかったような要求や、観光客や添乗員の無礼な振る舞いをたびたび聞いていたが、なかなか気疲れのする仕事だと思う。

 

 

 

 


五穀不分 四体不動

2011-03-31 22:05:50 | 中国のこと

 西安の李真が、西安の近くの農家で20平米の土地を借りたそうだ。息子の宸宸(チェンチェン)を連れて野菜を作ると言う。急に農家の生活に関心をもったようで、自分は「五穀不分、四体不動だから」とも言った。

 

 五穀不分とは穀物を見てもそれが何なのか見分けがつかないことで、四体不動とは、その五穀不分の者が、体を動かさない怠け者で働かないと言うことらしい。もっともそれは李真のいさかかの謙遜で、まさか米と麦との区別がつかないことはないだろう。しかし、町育ちだから怠け者と言うのはともかくとして、農業とはいかないまでも、野菜作りなどはしたことはないだろう。

 

 いいことだ、とくに宸宸に土を触らせるのはいいことだと私は言った。20平米でどのような野菜が作れるのかは知らないが、試行錯誤してやっていくのがいいだろう。何よりもささやかでも農民の苦労を知ることがいい。

 

 先日Hg君の家で最近の中国の世相をテレビで見たが、最近よく言われるいわゆる富裕層の子ども達の、と言っても若者だが、有り余る金にまかせた生活ぶりが紹介されていた。無論親の脛かじりの連中だが、上等の服を身に着けて、高級車をレストランなどの店に乗りつけて遊ぶ。見るからに軽佻浮薄な連中で不愉快になったが、こういう輩は、地方の農民の苦しい生活などは考えもしないのだろう。このような、まさに五穀不分、四体不動の連中は親の金がある限り、コネと賄賂の横行する中国の社会では苦労することもなく、地位や身分を獲得していくだろう。彼らが、将来中国社会の中枢を占めるようになれば、いったい中国はどんな国になるのだろうかと思う。


ジャスミン革命

2011-03-02 08:56:07 | 中国のこと

昨年から今年にかけて起こった北アフリカのチュニジアでの民主化を求める反体制運動によって27年続いた政権は転覆した。チュニジアの代表的な花はジャスミンなので、正式名称ではないが「ジャスミン革命」と呼ばれている。この動きが北アフリカや中東の国々にも広がり、エジプトでは30年余り続いたムバラク政権が倒れた。他にもバーレーンやリビアでも民衆の反体制運動が起こった。リビアでは40年続いている独裁者のカダフィ「大佐」に対する大規模な反乱が起こり、体制側は武力で鎮圧しようとして内乱状態になっている。

 

 このような情勢は中国にも影響した。よく知られているように、中国は貧富のはなだしい格差問題を抱えていて、それに対する不満はこれまでにもあったし、共産党一党支配に対する批判が知識人中心にあった。言論の自由はなく、人権の尊重についても政府の意識は希薄だ。最近、いまだに発信者については不明な点が多いようだが、インタネットのツイッターで「中国茉莉花革命」なるものが呼びかけられた。茉莉花はジャスミンで、中国人はとても愛好し、歌もある。チュニジアの「ジャスミン革命」をもじったものだろう。中東やアフリカの動きに敏感に反応していた中国政府は、過剰とも思われるような警戒態勢を敷き、インタネットやテレビでのニュースの規制、呼びかけに指定された場所での参加者の排除を行ったので、今のところ大きな混乱はないようだ。  

 

これに便乗したように、ある週刊誌は最近号で中国のこの動きを取り上げた。新聞広告を見ると、その記事の見出しはこうなっている。 

 

 13億人のジャスミン革命!

中国が「エジプト」になる日

 中東民主化の火の手は、ついに共産党一党独裁の中国へと飛び火した。

 沸きおこる反政府デモを弾圧する公安当局。

だが、時代のうねりとインターネットが13億の民を鼓舞する。 

 

何ともセンセーショナルな、中国でもエジプトやリビアのような民衆の蜂起が起こっていて、今にもすぐに中国で反体制革命が成るかのような自己陶酔的な見出しだ。記事の内容は行きつけの医院の待合室にこの雑誌を置いてあったのでざっと目を通したが、たいしたものではなかった。この週刊誌はかねてから広告の目次を見る限りでは、虚実取り混ぜたようなゴシップ記事を寄せ集めた編集内容で、これまで訴訟沙汰を何回も起こしているし、その結果として敗訴したこともあるらしい。いわゆる右派ジャーナリズムで、これまでにも反中国的な記事をよく掲載している。この記事はおそらく、中国で混乱が起こることを期待するこの雑誌の「願望」なのだろう。だいたいこの雑誌に限らず一部の週刊誌は、書いた記事に対しての責任感は乏しく、ただその時その時に、時には針小棒大に書き散らしているような気がする。何か読者の中にある低い意識を掻きたてているようでもある。 

 

 中国には確かに問題は多い。今のような状態が続くといつかは反動が起こることもありうるだろう。しかし何十年先のことは分からないが、近いうちにその反動が反体制革命として成功するとは思われない。中国国民の中には貧困や人権問題、言論規制に対する不満や批判はあるだろうが、一方では、現在のような経済大国になったのは中国共産党の政策の結果だと評価する声も多いと聞く。丹羽駐中国大使は自民党の外交部会で、ジャスミン革命が中国で起きる可能性はないとし、その理由を「中国で経済成長が続いていて、今の生活を壊してまで政権を倒そうと言う情熱、意欲は、中国の今の国民にはない」としている。一部の右派ジャーナリズムがほのめかすような、多くの人民が圧制、暴政の下で呻吟しているというような状態ではない。反中国的言論を主張するのは自由だ。しかしそこにはおのずから節度が求められる。さも憎さげに中国をののしり、その崩壊を望むだけでは言論人として程度が低く見苦しい。わが国と一衣帯水にある隣国が混乱し、その結果もし転覆したら、快哉を叫ぶだけでは済まず、日本も非常に大きい負の影響を蒙ることは容易に想像できる。そのあたりを冷静に見通して示すことが、まともな言論人、ジャーナリズムのするべきことではないか。