中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

縁起担ぎ

2006-11-16 09:47:35 | 中国のこと
 「来年は結婚しないほうがいい年ですよ」と西安の邵利明が言ったのは2004年のことだった。2005年は立春(春)のない年で、その年に結婚した女性は未亡人になりやすいのだそうだ。俗信に過ぎないとは思ったが、それよりもその時には「立春がない年」ということが理解できなかった。後で分かったのだが、中国の友人達が「来年」と言うのは、旧暦1月1日以後の1年間のことなのだ。旧暦1月1日は春節(chunjie)と言って、中国人にとってはこの日が新年の始まる日で、もっとも重要な祝日だ。この日のために家を出て働いている人も故郷に戻り、家族や親戚とともに旧正月を祝う。旧暦で言うならば、「立春のない年」も理解できる。2005年の春節は2月9日で2月4日の立春よりも後だった。そして2006年の春節は1月29日だから2月4日の立春の前になる。だからこの1年間には立春はないわけだ。

 立春のない年の結婚を避けると言うことが、いつ頃から言われて来たのかは知らないが、若い人達もかなり信じているようで、現に西安の謝俊麗は2004年も押し詰まった時に結婚した。結婚したと言っても日本のように神前や教会で式を挙げるのではなく、役所に行って届け、証明書をもらえば、それで夫婦として認知されたことになる。この年は証明書の交付を求める若いカップルで役所の窓口はごった返したらしいことは、日本の新聞にも紹介されていた。証明書さえ手にしたら、後は家があれば一緒に住むし、なければ結婚式まで待つこともある。中国で結婚式と言うのは日本の披露宴のことだが、当日は朝から新郎新婦それぞれの家に友人や知人達が集まり、決められた儀式めいたことをする。俊麗の家でその様子をDVDで見せてもらったが、これがなかなか大変らしい。そしてレストランやホテルの披露宴の場に行き、ここでも儀式めいたことがあって、その後長い宴会が続く。俊麗は去年家を持つことができたので同居をはじめ、今年の5月にやっと式を挙げた。

 その俊麗に「赤ちゃんはまだか」と尋ねたら「来年はよい年なんだけどね」とは言ったが予定はないらしい。来年は亥年、日本ではイノシシの年だが中国ではブタ年。知ってはいたがやはり俊麗が話の間に何度か「ブタ年」と言うのを聞くとおかしかった。豚は中国では貪欲、怠け者というマイナスイメージを持たれているが、反面では富の象徴とも考えられているから、ブタ年に生まれた子どもは金運、財運に恵まれるのだそうだ。「このあいだ病院に行ったら、おなかの大きな人がたくさん来ていたよ」と俊麗は言っていたが、この縁起担ぎも今でも根強く残っているらしい。

              

 西安の李真は、来年結婚する親友に花嫁の介添え役を頼まれたらしいが少しためらっていた。これまで2回介添え役をしていて、3回すると結婚運がなくなると言われているかららしい。結婚や出産(一人っ子政策の中国では1回だけのこと)は若い人達にとっては重要なことだから、縁起を担ぐ気持ちも分からないではないが、新中国になっても旧来の伝承はなかなか廃れないものだと思った。

 この他にも数字に縁起を担ぐこともよくあるようで、九(jiu)は皇帝のシンボルであり「久(jiu)」と同音だから一番良い数字だとか、八(ba)は発財(facai金持ちになる)や発展の「発(fa)」と音が似ているから、七(qi)は「起(qi)」と同音で物事が起こる意味だから良いとされているらしい。結婚式もこのような数字の日を選ぶこともあるようだが、若い人達はあまり気にしなくなったとも聞いた。
 
 日本でも大安とか仏滅とかで行事が左右されることはいまだに根強く残っているし、厄年など特定の数字にこだわることもある。丙午(ひのえうま)の年に生まれた女は夫を殺すという迷信は江戸時代からあったようだが、実際この年に出産率が下がったということが近年にもあった。内容は異なってはいても縁起担ぎや迷信、俗信は何も中国に限ったことではない。私は両親の影響もあったせいか、縁起担ぎや迷信の類を信じていないが、それでもそのような民間伝承やその由来には興味を引かれることはある。

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2 コメント

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Unknown (施路敏)
2006-11-17 18:39:55
私も早く結婚したいなぁ~~
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大丈夫だよ (中国迷爺爺)
2006-11-17 19:49:41
 敏敏ならきっと結婚できる。縁起を担がなくても幸せになれますよ。爺爺も敏敏の花嫁姿を早く見たいね。
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