今日は阪神淡路大震災から20年なんですね。
ということは、僕が結核を患って入院してからも、丁度20年ということになります。
今でもはっきりと憶えています。
週末からの高熱が引かず、当時住んでいた竹田市のアパートの近所の小さな個人病院のドアをくぐりました。熱を計り、レントゲンを撮られて、診察を待っている間に待合室で見たテレビに、紅蓮の炎に包まれて燃え盛る神戸市長田区の光景が広がっていました。
これは大変なことになった。
あまりの事態に言葉もなく、ただ画面を見つめているところに診察室に呼び込まれ、院長が開口一番
「あんた、大変なことになっとるよ。すぐに入院せんといかん」
院長が指差した先には、右の肺が真っ白になったレントゲンが掲げてありました。
院長が病名を告げます。
「詳しく検査するまでもない。結核だ」
幸いなことに排菌していなかった(呼気に菌は検出されなかった)ので、隔離は免れましたが、翌朝迎えに来た親に連れられて地元の病院に転院、その二週間後には手術のために大分市内の国立病院へ再度転院と居所を移動しながら、トータル一ヶ月半の入院と、二週間の自宅療養を送る羽目になりました。
唯一、親に済まないことをしたと思っていることです。
毎年、この日が来る度に思い出します。
ということは、僕が結核を患って入院してからも、丁度20年ということになります。
今でもはっきりと憶えています。
週末からの高熱が引かず、当時住んでいた竹田市のアパートの近所の小さな個人病院のドアをくぐりました。熱を計り、レントゲンを撮られて、診察を待っている間に待合室で見たテレビに、紅蓮の炎に包まれて燃え盛る神戸市長田区の光景が広がっていました。
これは大変なことになった。
あまりの事態に言葉もなく、ただ画面を見つめているところに診察室に呼び込まれ、院長が開口一番
「あんた、大変なことになっとるよ。すぐに入院せんといかん」
院長が指差した先には、右の肺が真っ白になったレントゲンが掲げてありました。
院長が病名を告げます。
「詳しく検査するまでもない。結核だ」
幸いなことに排菌していなかった(呼気に菌は検出されなかった)ので、隔離は免れましたが、翌朝迎えに来た親に連れられて地元の病院に転院、その二週間後には手術のために大分市内の国立病院へ再度転院と居所を移動しながら、トータル一ヶ月半の入院と、二週間の自宅療養を送る羽目になりました。
唯一、親に済まないことをしたと思っていることです。
毎年、この日が来る度に思い出します。
そうだね…私は、なんか目が覚めて、その後に小さな揺れを感じて…どこかで地震があったんじゃないかと思ったのを、覚えてますよ…忘れません…
自然に人間は勝てないのです…
だから、大切にしないといけないと、思います。
私も、ルパン見てたんですが…旦那にチャンネルかえられた…
漫画の名場面も見てました♪
家族皆で楽しく見れて良かったですね(^^)
入院した後、病院のベッドで備え付けのテレビを付けたら、いつ見ても全部震災のニュース。気持ちは滅入るし、関西地方の友人たちの安否は分からないから心配だし(当時は携帯も持っていませんでしたから)、自分の病状は何だかどんどん悪くなるし、かなり不安な時期でした。
うちは3人ともジブリやディズニーのアニメが大好きです。妻は、体調が悪いときは寝てしまいますが、そうでなければ、一緒に見ます。
いつもありがとうございます(^-^)/。
テレビに映る映像はショックだし、言葉も出ませんでした。
その震災後、確か2、3年たった頃に友達と旅行に行ったんです。
まだ震災のあとがありました。歩道がガタガタになっていたり。
結核、排菌していなかったのが、幸いでしたね。
今施設にいる祖母が、祖母が15年くらい前に結核で入院しました。
排菌していて。遠い完全隔離の病院に半年以上いました。
お年寄りだから長引いたんですね。
これからの日本はどこでどんな災害があるかわからないし、普段から準備や意識持っていないとダメですね。
お祖母様、大変でしたね。お年寄りは体力が落ちているから長くかかるんですよね。でもその後は回復されたのですね。良かったです。
僕の住んでいる地域は、予測されている南海トラフ地震で、津波被害が想定されています。自宅も親の実家も浸水予想地区からは外れていますが、実際に地震が発生すれば、どうなるかは分かりません。備えは充分にしたいけど、何をどこまでというのも難しいし、ただでさえ不安な気持ちに陥りがちな妻のことも心配です。
この時期は、色々考えてしまいます。災害の備えはいつも考えていないといけないんですけど。
いつもありがとう。
私が26の時です。
あの映像怖くて ニュース 新聞がみれませんでした。
結核は姉が24の時かかりました。
義兄の働く学校で流行り 菌を持ち帰り
産後間もない姉に移りました。
義兄は無事でした。
母乳を飲んでいた甥も移りました。
姉は排菌。隔離病棟へ。
甥は排菌なし。ですが 一年間入院。
姉と違う病院へ。
約一年間 産まれたばかりの息子と離れ離れ。泣いてましたね。産後1ヶ月で引き離されたんですが。しかも最初の子。
私が姉の代わりに甥に会いに行ってた。
独身でしたから。
おばちバイバイやだ~と泣くんです。
切なかった。
泣きながら帰った記憶が。
姉は神奈川で甥は千葉の病院でした。
身内も全員検査しました。
甥っ子は1歳2ヶ月で退院しましたが、
姉は成長をしらないです。
結核 震災 無くなってほしいですね?
お姉さんも甥っ子さんも、辛かったね。仕方ないこととはいえ、赤ん坊と母親が引き離されて、可哀想に…。
結核は、今でも決して少なくない病気です。震災も結核も、本当になくなってほしいものです。
いつもありがとう。