土の香りの会~有島記念館と歩む会~の臨時総会が29日に開催されました。
2011年(平成23年)度以降事実上休会になっておりました。
この「土の香りの会」は2002年(平成14年)10月に「星座の会」の解散に代わり
新有島記念館友の会として発足し、その年『土の香りの会』と名称を決定し、
副称は~有島記念館と歩む会~と決定したとあります。
―会の目的―
「この会は、有島記念館の振興と、記念館を中心とした文化的まちづくり
事業の推進を行うとともに、有島武郎に関する研修を深め、あわせて会員相互の
親睦と交流を図ることを目的とする。」とあります。
私は2006年(平成18年)7月にニセコ町に移住してきたので、
この会を知ったのは2008年(平成20年)以降になります。
最期の会員名簿には77名とありますが、この日集まった会員は10名でした。
教育委員から5名職員が出席し、総勢15名の臨時総会になりました。
総会の議事は1点に絞られ、今後の会のあり方について、【存続】か【解散】か、
会員ひとり一人からの意見が求められました。結果10人全員から【存続】の希望
を確認しました。ただ問題は会の事務局体制をどのように進めるかが焦点に
なりました。事務局を教育委員会にバトンタッチするか、官依存の体質から
脱皮し、会員自身が自主的に動いてこの会を作っていくべきではないか、
活動の仕方、体制について活発に話し合われました。
【存続】が決まり、体制が整えば事務局をボランティアで引き受けても良い
と言ってくれる会員がいることが職員からの話にありました。
ニセコ町民でなくても有島武郎に思いの強い人に事務局に入って欲しい
という要望がでました。
会として【存続】していく方向で、現在の会員にアンケートを送付し、会員の整理
をして4月か5月に新年度の定期総会を開催する予定で進めることになりました。
有島武郎の「相互扶助」の精神はニセコ町のシンボルでもあり、全国で初めて
つくられた自治基本条例である「ニセコ町まちづくり基本条例」の中には
この有島武郎の残した精神が盛り込まれています。
数年前有島武郎の命日に毎年行われる「星座忌」で記念講演をされた
北海道大学の中村三春先生の有島武郎論考はこれまでの講演者とはかなり
違った角度から有島武郎の先見性を捉え、有島武郎の存在の意義の深さ、
未来性を予測しており、学ぶことの大きさを教えていただきました。
これからのニセコ町のあり方と有島武郎の残した遺産をどのように私たちは
引き継ぎ、活かして行くかが今後の課題になると思います。
2011年(平成23年)度以降事実上休会になっておりました。
この「土の香りの会」は2002年(平成14年)10月に「星座の会」の解散に代わり
新有島記念館友の会として発足し、その年『土の香りの会』と名称を決定し、
副称は~有島記念館と歩む会~と決定したとあります。
―会の目的―
「この会は、有島記念館の振興と、記念館を中心とした文化的まちづくり
事業の推進を行うとともに、有島武郎に関する研修を深め、あわせて会員相互の
親睦と交流を図ることを目的とする。」とあります。
私は2006年(平成18年)7月にニセコ町に移住してきたので、
この会を知ったのは2008年(平成20年)以降になります。
最期の会員名簿には77名とありますが、この日集まった会員は10名でした。
教育委員から5名職員が出席し、総勢15名の臨時総会になりました。
総会の議事は1点に絞られ、今後の会のあり方について、【存続】か【解散】か、
会員ひとり一人からの意見が求められました。結果10人全員から【存続】の希望
を確認しました。ただ問題は会の事務局体制をどのように進めるかが焦点に
なりました。事務局を教育委員会にバトンタッチするか、官依存の体質から
脱皮し、会員自身が自主的に動いてこの会を作っていくべきではないか、
活動の仕方、体制について活発に話し合われました。
【存続】が決まり、体制が整えば事務局をボランティアで引き受けても良い
と言ってくれる会員がいることが職員からの話にありました。
ニセコ町民でなくても有島武郎に思いの強い人に事務局に入って欲しい
という要望がでました。
会として【存続】していく方向で、現在の会員にアンケートを送付し、会員の整理
をして4月か5月に新年度の定期総会を開催する予定で進めることになりました。
有島武郎の「相互扶助」の精神はニセコ町のシンボルでもあり、全国で初めて
つくられた自治基本条例である「ニセコ町まちづくり基本条例」の中には
この有島武郎の残した精神が盛り込まれています。
数年前有島武郎の命日に毎年行われる「星座忌」で記念講演をされた
北海道大学の中村三春先生の有島武郎論考はこれまでの講演者とはかなり
違った角度から有島武郎の先見性を捉え、有島武郎の存在の意義の深さ、
未来性を予測しており、学ぶことの大きさを教えていただきました。
これからのニセコ町のあり方と有島武郎の残した遺産をどのように私たちは
引き継ぎ、活かして行くかが今後の課題になると思います。
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