主にオートバイ。時々クルマ。
なんだかんだと永年のブログです。
風に向かう刻
僕の避暑-いよいよ本気-③
さてさて、ようやく最終編です。
【富士宮避暑ツーリング、3本目の記事です】
辿り着いた柚野地区。
前の日記の写真は、そこを流れる川沿いです。
時の頃は16:00手前ぐらい。
一番暑い頃合いですね。
汗だくのジャケットを脱ぎ…といっても
脱げるのはジャケットぐらいなのであまり涼しくありません。
ライディング用に使っている長ズボンとブーツはそのままです。
それでは出発!
見るからに鬱蒼と茂っている草々。
取り敢えずダイブ。
茂みを掻き分けて進むと、遠くに水面が見えます。
なにやら怪しげな梯子が。
絡む蔦を払いながら、降りてゆきます。
機能しなくなって久しい感じの古い水門が見えます。
視界が開けました、水辺です。
足下を見ると、アマガエルが居ました。
そこここに、沢山のアマガエル達が。
歩を進めると…涼やかな風が吹き抜けていました。
足下には、富士山の麓らしく火山性の岩石が散見されます。
おっと、トンボさんだ。水辺を見てました。
ふふ…ここでイキオイ余ってThe半裸。
水に入ってみました。足だけ写ってますがご容赦を。
腕やら足やらに水を浴び、すっかり生き返ります。
この辺りには思いでがありまして。
天然のウォータースライダー(小)
滝行っぽく遊んだ小さな滝。
中学の頃、同級生のシブヤ君が、
まことに罰当たりながら、
ヒキガエルにオイルライターで悪戯しようとしたんです。
すると、まさに罰か。
シブヤ君自身の手が数秒間燃えたんですよね。
シブヤ君『ゴッドフィンガァァァァァ!!!』
バカでしたね、ヤツは。
そのシブヤ君フィンガーを冷やした水たまりです。
そんな思い出に浸りながら、
相変わらず半裸な20代後半。よく通報されないもんです。
岸の方の茂みに目をやると…
なにやら”謎”の洞窟…というか壕?が。
恐ろしくて中を覗く気にはなりませんが、
絶対”なにか”あります、コレ。
天然なのか、人工なのか。
火山性の岩石が規則正しく積み上がっています。
その間も、独り富士山の沢で遊ぶ20代後半(半裸)。
なにやら悲しくなってきたので、水から上がる事に。
その頃にはすっかり暑気も引いていました。
暫し水辺の岩場でぼーっとしたあと、
後の予定もあるのでバイクの場所まで戻ることにしました。
しかし、いい雰囲気の通り道です。
ちなみに梯子は途中までしかありませんので、
水門の段差や、枠の部分を利用してよじ登ります。
おっと、先ほどまで涼しかったのに
バイクに戻りジャケットを着るとまた暑くなりました。
悩んでも仕方ないので出発することにします。
実はこの沢、【白糸の滝】の下流にあったりします。
水が綺麗なのもそうですが、非常に冷たい水が流れています。
まさに避暑にはうってつけの場所だったりします。
帰りは、そのまま沢沿いに【富士川】まで下りました。
途中いい感じの無人駅があったのでパシャリ。
沼久保駅、です。
正面の踏切の先には道がありません。
遮断機はあるんですが…なんの役に立っているのやら。
ちなみに、右側には線路の反対側にあるホームに行くため
【遮断機のない通路】があります。
益々もって遮断機の意味がわかりませんね。
ホームには【ワンマン電車】と書いてあります。
都会モンには信じられない表現でしょう。
無人駅も無ければ、一人で運行する電車も存在しませんので。
更に下って富士宮市街へ。
途中には、我が母校【富士宮市立富士宮第三中学校】があります。
ちなみに右に写っている体育館には
かの有名な【ラッキィ池田】氏が来訪されたことがあります。
踊り教わったっけなぁ。
校庭では、縄文時代の土器が出土したりします。
おっと町中にはヨドバシが。
ヨドバシ○メラじゃありませんのだ。
今は閉店してますが、
学校給食のアイドル?【きんとんパイ】が売っていた店。
子供の小遣いじゃなかなか手が出ませんでしたが。
思い出すと、朝からなにも食べていなかったので、
近頃有名な、【富士宮焼きそば】を食べに町中へ。
ところが…月曜日だった為か根こそぎ定休日でした。
最近観光地化された店舗はやっていたのですが
”そういう店”では富士宮焼きそばの本当の味は解りません。
行きつけが定休日でしょんぼりながら諦めることに。
また来ればいいんですしね。
さて、いよいよ時間も押して参りました。
翌日は仕事なので、あまりゆっくりもしていられません。
富士宮土産に…とおもいまして
最近復活した、とウワサを聞いた
【ヌマヅベーカリーののっぽパン】を探しにスーパーへ。
3件ほど回ったのですが…どこにも売っていませんでした。
ガセネタだったのかしら!
仕方ないので、【マルモの麺】と【肉かす】を購入。
荷造りの紐を家に忘れてきたので
近場の100円均一に寄ってゴムひもを購入。
100均の前のガチャガチャには、
【明らかにコピー商品臭い】カード入りカプセルが。
思い出すことは…
【ロッチか!】でしたね、ビックリマンシール。
今も昔もかわらんのだなぁ。
そんな感慨に浸る時間もあと僅か。
荷造りを終えたあとは、西富士道路から東名へ。
海老名でメロンパン休憩だけを取り、
あとはノンストップで自宅まで。
というのも、西から常に雷雲に追いかけられて居たので
あんまりゆっくりしていると豪雨にやられそうだったのです。
そうそう、途中の首都高が異常な程混んでいました。
混んでいるのが常な路線にしても異常な程に。
翌日になって知ったのですが【タンクローリー横転炎上事故】の
影響だったようですね。
車に付き合うほどヒマじゃありませんので
気楽にすり抜けしながら通過しました。
しっかし、渋谷線から小松川線までずっと渋滞って
車の連中は堪らなかったでしょうね。
結局京葉道路で大雨にやられたものの
首都高を過ぎてからは快調そのものでした。
家に着く3kmほど前で、
リアウィンカーのバルブが切れるトラブルもありましたが
その辺は手信号で問題ありませんでした。
家に辿り着くと、流石に足腰が疲れています。
Odoメーターを見ると…
【483.7km】だそうで。
午前10:00に出発して、20:30頃に帰宅だったので
それなりに走った方ですね。
さて、3回に渡って書き殴った避暑日記もひとまずの終わり。
出来れば、この夏には
もう1度ぐらいは涼しい所に行きたいと思っています。
単一休しかないのが、少々ツライところですが仕方ないかな。
やっぱり、夏のバイクも良いモンですね。
僕の避暑-目的地への道程-②
さてさて中編です。
今日は文章少な目、写真多めで参ります。
【富士宮避暑ツーリング、2本目の記事です】
富士宮市街に入ると…
北高の上にあった、日の出堂というオモチャ屋が
日の出商会とかいう名前に変わって、
水道の配管なんかを扱っている事実にショックをうけつつ。
小学校の頃、学区外のここへ大冒険ながらも
【アバンテJr.BlackSP】を買いに来ました。
市内の小学生が通い詰める【はとや】では売り切れて居たのですね。
穴場ってヤツです。
そして、そのまま淀師方面へ。
中学時代、生徒会の打ち上げで使ってから
引っ越すまで行きつけだった、【焼肉ソウル】の前を通過。
○○苑とか、世の中に星の数ほど焼肉屋はありますが
行きつけだった当時の、この焼肉屋を超える店を知りません。
絶品だったなぁ…。
ネイティブ韓国人の方が経営されていて
従業員さんも皆様韓国人でした。
店舗に入ると、大御所らしいお婆さまが僕を見るなり
『イイオトコキタ!イイオトコキタ!』
と満面の笑みで迎えてくれたっけ(笑
ううむ、思い出したら立ち寄りたくなりました。
とはいえ、バイクで寄るわけにもいかないので
後ろ髪を引かれる思いながらそのまま通過。
さて、富士フイルム方面に向かうと
途中には 【旭富士】 が。
ここは、元力士さんの旭富士さんが
経営されているお店…だったような。
よくここに母と立ち寄り、イクラ茶漬けを食べました。
あれも絶品だったなぁ…。
相も変わらず食い気メインですが、ここも通過。
身延線の踏切待ちをしたり。
何故かこの辺りの踏切、変な名前が多いんです。
ここは【三人踏切】ですが、
隣は【飢渇踏切】とか…嫌な名前です。
今は亡きスーパーフジマキの横を抜け大中里へ。
【えびすや】さんです。ここも営業してないのかなぁ。
ここの商店は、子供の頃コーラのビンを持ち込んで
1本10円だったか…お小遣いにしていましたっけ。
父が命じたお使いですが、子供にとっては意味のあるものでした。
ここは小学校時代、近所の幼馴染みの女の子が
(といっても、その子の家庭は荒れていて
そこのウチでファミコンして遊んだぐらいですが)
交通事故に遭って亡くなられた所です。
全校集会で校長がその子の名前を告げたとき
なにを言っているのか解らなかった感覚を思い出します。
ここで暫し黙祷。
ここから山の上にある柚野地区へ。
この傾斜の斜面から、更に急勾配になりつつ
台地の上に出るまでに葛折りが続きます。
買って貰った念願のマウンテンバイク【MountainCAT】で
何度も何度も、真夏に往復した道でした。
今CBRで行くと、僅かですが当時は大冒険でした。
山頂に出たあとは、
ゴルフ場の間を抜けて柚野の集落に出ます。
この辺りは非常に水が豊かな土地です。
富士山の恵み、というやつでしょうか。
よく治水された集落の間を抜け、
一面の田圃の中を走り抜けるといよいと本来の目的地。
ふふ、ここから僕の本気が始まります。
◆◆◆また長くなりましたので、続きは後編へ。◆◆◆