落合順平 作品集

現代小説の部屋。

赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (24)

2017-01-07 17:37:51 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (24)
 市の身の上




 市の出身は会津高原。
会津高原は、会津の南西部にある会津高原たかつえスキー場の周辺を
観光開発するために名付けられた、通称の地域名。
そのため。一般的に定義されている高原のイメージとは、大きく異なる。
 

 1960年の晩秋のこと。高原の中にある1軒の農家、小沢家で、
半年前に家出した1人息子の市左衛門の帰郷祝いが、盛大に開催された。


 本人の帰郷に先立ち、トラックが数台やってきた。
本人の荷物とテレビ、電気洗濯機などの最新式の家庭電化製品や、
桐たんすにぎっしり詰まった豪華な女物の衣装が、相次いで運び込まれた。
その様子を見た隣人や招待客たちは「市坊は東京のお大尽さまの娘を嫁にもらった」
と、互いに噂しあった。



 やがて宴がたけなわになる。
ステレオから流れてくる三味線の音に合わせて、1人のあでやかな芸者が、
顔を隠して一同の前に登場する。
扇を片手に、艶やかな舞いを披露する。
人々がよくよく凝視してみると、舞っているのは、今夜の主賓のはずの市坊。
「なんと。おらが村の市坊が、いきなり、女になった!」
衝撃はたちまち、一夜のうちに、麓の街にまでひろがっていく。



 市坊は子供の頃から、か弱かった。
女の子とばかり遊んでいた市ちゃんは、中学を卒業後、地元の土産物店に勤めた。
仕事の合間に、三味線や日本舞踊を習うという、女っぽい青年そのものだった。
青年団の集団作業でも、力の弱い市ちゃんは、まったく能率が上がらない。
「女以下じゃ」と、男たちから馬鹿にされてきた。
春のある日。そんな生活に嫌気を覚えた市ちゃんは、なけなしの
5000円を持って、村から姿をくらました。
 


 そして数日後のこと。
お金を使い果たし、上野駅の待合室で途方にくれていた市ちゃんに、
通りかかったお姉さんが声をかけた。
この日。久しぶりに深川を訪ねた春奴だ。
途方に暮れたまま、どんよりしていた市ちゃんの様子を見るにみかねて、
春奴が声をかけた。
用事を済ませた春奴が、鬼怒川へ戻る途中のことだ。


 「なに、くよくよしてんのさ。あんた。
 その辺で、ご飯でも食べよう。
 人間。お腹がすいていると元気が出ないものさ。
 おや、なんだい。女と思ったら、あんた男かい。こりゃまた驚いたねぇ・・・」


 身の上話を聞いた春奴が、思いがけないことを切り出す。
「あんた、いっそのこと、芸者に化けてみないかい」
春奴は市ちゃんの女性的傾向を、すでに一瞬にして見抜いていた。



 2人が着いた先は、栃木県最大の観光地として脚光を浴びている鬼怒川温泉。
身なりを女に変えた市ちゃんは、検番(芸者の管理組合)の試験をすんなり合格してしまう。
推薦した春奴が名付け親になる。
「きぬ奴」の名前で晴れて、芸者としてデビューする。
立ち会った置屋の女将たちは、市ちゃんが男であることを見破っていた。
しかし。見事なまでの市ちゃんの女っぷりに「これは行ける」と確信をもっていた。
市ちゃんに、女になりきるための秘訣を、事細かに指導していく。



 市ちゃんの秘密は、何人かの女将以外に、漏れることはなかった。
春奴が都会から連れてきた新進の芸妓としても、さっそうと温泉街をのし歩く。
若くて美人なうえ、三味線と日舞が上手なきぬ奴は、たちまち人気者になる。
鬼怒川温泉の売れっ奴芸妓としてのしあがっていく。
 

 ところがその年の8月。はやくも事件が起こる。
某銀行の慰安旅行で、鬼怒川温泉にやって来た50がらみの好色の部長が、
心の底から、きぬ奴に惚れこんでしまう。
週末に必ず通ってくるというほどの、熱の入れようになる。



 やがて。お定まりの身請けがはじまる。
きぬ奴を囲った男は、彼女が欲しがる家電製品や着物を、次々に買い与える。
しかしきぬ奴は「結婚するまでは」と、決して肌を許そうとしない。
とは言え、男の執着を避け続けるのには限界がある。



 そもそも男なのだから、部長を受け入れることなど絶対に出来ない。
思い詰めたきね奴を、春奴母さんが助ける。
男と別れ、貢がせた道具や衣装を持って故郷に帰ることを市にすすめる。
『あとのことは、私がなんとでもいたしますから』と見送られ、
市が、故郷へ戻ることになる。



 「20歳の時の市さんは、女が見ても嫉妬を覚えたくらいの
 美しさをもっていました。
 でもねぇ。苦労しました、その後の処理には。
 あのスケベな部長さんには、さんざん手こずりました。
 ようやく諦めさせて、ほっとした半年後。市さんは会津の街中で、
 あらためて芸妓の旗揚げをしました。
 でもね。そのおかげで、あたしもここにいる小春もその後のピンチを、
 切り抜けることになるのです。
 助けたり、助けられたり、やっぱりあたしたちは、長年の戦友です。
 本当に面白かったねぇあの頃は。ねぇ、きぬ奴。うふふ・・・・」


(25)へ、つづく


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