落合順平 作品集

現代小説の部屋。

赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (26)

2017-01-09 18:59:04 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (26)
 お座敷遊び5箇条



 「さて。それでは私たちは安心して、これでお暇(いとま)などを
 いたしましょう」



 市の舞を見届け、ねぎらいの言葉をかけた春奴が、清子の顔を振り返る。
『お暇、え?』突然のひとことに、清子が思わず自分の耳を疑う。


 「帰ってしまうのですか?。春奴母さんと、豆奴のお姉さんは?」


 「別に驚くにあたりません。最初から決まっていたことです。
 そばに小春がいて、市さんが付いていれば、清子にはそれだけで充分でしょう。
 時々様子を見に参ります。
 では市さん。この子のこと、よろしくお願いいたします」



 当たり前です、あたしは忙しいんだから。と春奴が笑う。



 「大丈夫。大船に乗ったつもりで会津に居なさい。
 すべて、春奴母さんから聞いております。
 知らないのは、ここに居る小春と、当の清子の2人だけです。
 東山温泉の、粋なお座敷の空気をたっぷり勉強させておきますので、
 お2人は、安心をして湯西川へお帰りください。
 それにしても、清子という本名のままお座敷に連れて行くのは
 格好がつきません。
 なにか良い芸名はないのですか、お母さん」



 「予定は有るのですが、ここでいま、披露するわけにはまいりません。
 市。内緒です。ちょっと、こちらへいらっしゃい」



 春奴が市を手招きする。
『耳を』と誘われた市が、春奴母さんの膝へ色っぽく手を置く。
上半身をあずけるような形で、身体を傾ける。
手招きされるまま、すっと小耳を春奴の口元へ運んでいく。
『所作がいちいち、癪にさわるほど色っぽいですねぇ、この女狐ときたら』
と春奴が、軽く睨む。
『最近は少し太めですので、狐ではなく、女狸になりました』と市が切り返す。



 (大きな声では言えないのには、実は、ワケがあります。
 引退する予定の半年後、この子に私の名前、春奴を譲ろうと決めております)



 (え!。あんた、引退すんの・・・・
 ということは、この子はあんたの2代目として、春奴を名乗るわけかいな。
 そらまた、えらい入れ込みぶりやなぁ)



 (そういうことです。あんじょう頼みます。みんなにはまだ内緒のはなしですから)



 (当たり前や。そない重大な話を、こんなところで暴露できるかいな。
 ウチには普通の子にしか見えへんけど、母さんには、一体何が見えたんですか?)



 (オーバーに言えば、無限の可能性や。うふふ・・・・
 けど、今んところは、そんなもん誰にも見えへん。
 この子の座った姿をよう見てみい。
 ピシッと座った時、女が持っているすべての清楚さと艶やかさがある。
 淑女と女の魔性の両方を、最初から持っているんだよ。この子は。
 まるであんたの再来みたいだ。
 この子はねぇ。芸妓になるために生まれてきた子だよ・・・)



 春奴が、怪訝そうに見つめている小春と豆奴の視線に気が付く。
市も「いまの話。絶対に、気づかれたらあきません」と小声でささやく。


 「あら、そうですなぁ。
 そら、披露はできませんわなぁ・・・・芸名がついていないのでは。
 はい。承知いたしました。
 では清子には、市さんの一文字を上げて、ここにいる1ヶ月のあいだ、
 市花、ということでいかがでしょう」


 「あのう。なにゆえに本名では、いけないのでしょうか?」



 「お座敷には、すべからく心得というものがあります。
 芸妓は決して本名を名乗りません。
 お客様もほとんどの場合において、「お兄さん」とお呼びします。
 壮年のお客様は「おとうさん」。
 またお座敷の全員が「おにいさん」ばかりでは、会話が成立しません。
 佐藤さんは「さーさん」。高橋さんを「たーさん」。
 少人数のお座敷が多かった頃に生まれた、お座敷の作法です。
 お客様のプライバシーを守る為、このような呼び方をするようになりました。
 お隣のお座敷や廊下に会話が漏れても、話をしているのが誰なのか、
 特定出来ないよう、芸妓たちが配慮したものです。
 芸妓たちが、お客様の名前を覚えられないからではありません」



 流暢に説明する市の言葉を引き取り、春奴がその後を説明する。



 「お前はこれから、ここでひと月を過ごすことになる。
 立ち去る前に、お前に、お座敷遊び心得の5箇条を教えておきましょう。
 芸妓は芸を磨きます。
 お座敷の心得を磨くことも大切なことです。
 すべてのお客様が、お座敷での過ごし方を心得ているわけではありません。
 そうしたお客様たちにくつろぎを与え、楽しんでもらうため、
 芸妓は場の空気を常に整え、お客に、お座敷の心得をそれとなく教えます。
 自分の芸を育てるように、お客様も育てていかなければなりません」



 「お客様を、育てるのですか・・・」奥が深いのですねと、清子の目が丸くなる。



 「1つ目は 踊りや小唄が始まったら、黙って聞くことを教えます。
 芸を売るのが芸者の仕事です。
 芸を見ることは、お客さまの側の礼儀です。
 2つ目は 芸者衆を「お姐さん』と呼ぶことです。
 たとえ、50歳であっても”おばさん”などと呼んではいけません。
 100歳でも”お婆ちゃん”とは呼びません。
 現役でいる限り、お姐さんと呼びつづけます。それが芸者です。
 3つ目。お座敷遊びには、綺麗な靴と新しい靴下をはいてお見えになることです。
 お座敷に上がる時、身を清め、新しい紺色の靴下を履くのが通の心得です。
 同じように芸妓もまた、身を清めてから、お座敷に臨みます。
 4つ目。お座敷ゲームは、羞恥心を捨てて楽しむことです。
 芸者からお座敷ゲームに誘われたら、童心に帰り”ノリの良さ”で勝負しましょう。
 花柳界は、そこで起きたことについて、決して他言いたしません。
 ゆえに、たまには、心から羽目を外してもらいたいものです。
 5つ目は 粋な旦那衆を目指してもらいます。
 芸者衆の三味線に合わせて、色っぽい小唄のひとつやふたつ、
 歌えるような旦那衆になってほしいものです。
 お座敷というものは、芸妓を育てますが、粋のわかるお客様も育てます。
 そのへんの繁華街や飲み屋街などと、一線を画しているのです。
 花柳界が、いまもこうして存続しているのは、こうした気風と歴史があるからに
 他なりません」


(27)へ、つづく


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