落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第21話

2013-03-28 10:02:57 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第21話
「雄作の病名は・・・」



 深夜0時を回った蕎麦屋「六連星(むつらぼし)」では、
家出娘の響と、店主の俊彦、もと大学の准教授で今は原発労働者の戸田勇作の
三人による酒盛りが、いまだに終わる気配を見せません。
テーブル上にはたくさんのビール瓶があふれていて、すでにほとんど隙間がありません。

 
 「宴も佳境に入りました。
 それではいよいよ、本日の本題でもある、私の
 原爆ぶらぶら病についての話に、移りたいと思います」


 「原爆ぶらぶら病?
 原発では無く、原爆に起因するという意味ですか?、
 不思議な病名です」



 「ぶらぶら病は、原爆が投下された、広島の市民の方が命名した病名のことです。
 主に『極度の疲労感や倦怠感』などの症状を表しています。
 これは、原爆症の後障害のひとつです。
 解りやすく言えば・・・・
 体力や抵抗力が弱くなり、疲れやすい、身体がだるい、などの症状が続きます。
 人並みに働けないためにまともな職業につけず、病気にもかかりやすく、
 かかると重症化する率が高くなるなどの、傾向があります。


  広島市への原子爆弾投下後、市民のあいだで名付けられ、
 医師の肥田舜太郎氏が、被爆患者の臨床経験をもとに、その研究がされてきました。
 当時よく呼ばれていたこの"ぶらぶら病"は、認知されるまでに、
 大変に長い時間がかかりました。
 症状が曖昧なために、医師などに相談をして、いろいろな検査を受けても、
 どこにも異常がないと診断をされてきた人が多かったためです。
 仲間や家族からは、怠け者というレッテルを貼られ、
 たいへんにつらい体験をした者が、多いと言われてきました。


  ぶらぶら病の証言としては、
 広島への原爆投下時に宇品港の近くにいた、岸本久三と言う人の実話が残っています。
 この人は、沖縄県の出身者です。
 広島で原爆を体験してから終戦後に、生まれ故郷の沖縄へ戻りました。
 被ばくはしたものの爆心地からは遠かったため、被ばくの程度は低濃度です。
 低濃度と言うのは、即死や致死量には至りませんが、
 将来的に、なんらかの症状や病気の『危険性』が心配をされると言うレベルです。
 実は生き残った被爆者の大半が、この低濃度の被爆者たちです。
 体内に潜伏した低濃度の放射線が、やがて人体に深刻な影響を及ぼすのです。
 沖縄に戻った岸本久三もまた、例外なくその一人になりました。
 数年もたたないうちに、岸本氏を奇妙な病気が襲い始めました。


 『私もこの原因不明の病気にやられてから仕事もすっかりやめ、
 毎日家にごろごろしているんですが、
 近所の人たちからは、“なまけ者”と言われているような気がしています。
 十数年も前からの倦怠感、四~五年前からの痛み、吐き気を呈し、
 医者も原因不明だというんです。
 名護にある保健所ではまったく手に負えず、那覇では胃が悪いといわれて、
 とうとう開腹手術までやりましたが、結局、胃に異常はありません。
 次は神経科へ回されまして……ノイローゼだろうということなんでしょうが。
 この痛みは、いつまでたっても誰にもわかってもらえません。』


 『表面は丈夫そうに見えるから、かえっていけない。
 手か足に傷でもあるほうが、世間の人にはよくわかってもらえるだろうに…』
 と、自身の回想で、ぶらぶら病の経緯をまとめています。
 のちになってから『原爆ぶらぶら病』と呼ばれるようになった、この病気は、
 別の研究によって、全身倦怠感や疲労感を中心とした症候群である
 「慢性放射能症」や「慢性原子爆弾症」などと呼ばれるようになりました。


  広島と長崎で被爆をして、幸にして死亡を免れた人々のうちに、
 晩発症として、白内障や白血病、再生不能性貧血(再生不良性貧血)などが
 発生していることは、すでに世間で知られています。
 しかし、被ばくによる病気はこれだけではありません。
 疲れやすく、根気がなくなり、感冒や下痢などにかかりやすく、
 生気の乏しい状態に陥るなどの症状などが出てきます。
 放射能による健康被害として、内臓や骨髄、肝や腎、内分泌臓器、
 生殖腺などへの深刻な障害なども深刻です。
 これらは、内部被曝や低線量被曝が原因という見方もありますが、
 残念ながらこれらは、いまだにそうした因果関係が立証をされていません。
 まだまだ、研究中という段階にも有るようです。

 
 私の発症も突然でした。
 倦怠感には波があって、突然、急激に襲ってきます。
 各地を転々とする原発ジプシーや、被ばくをして健康を損ねた
 原発労働者たちの生活ぶりは、いずれも極めて悲惨です・・・・
 生命保険にも入れないし、その後の就職や結婚などにもさしさわります。
 診察の際にも医者の前にきてからようやく、被ばくしたことを
 医師にだけ、密かに告げる場合などもあります。
 しかし、被ばくの事実を告げた瞬間から、私たちは、
 どこで、いつ、どう被ばくしたのかを細かく聞かれる羽目になります。
 これもまた、たいへんに煩雑で、すこぶる面倒な話です・・・・
 ゆえに、私たちのほとんどは、まともに医療にかかるころはできません。
 驚くべきことに、いまはアメリカやロシア、中国などでも
 こうした「ぶらぶら病」の患者さんたちが、たくさん居るそうです。
 米国には、核実験の被害者、原爆製造の従事者や工場の周辺住民などに
 24万人以上もの被害者が出ています。
 しかし今なお政府や医療者は一貫して、この病気の存在を無視しています。
 旧ソ連や中国などをはじめ、原発のあるすべての国には、
 この「ぶらぶら病」の患者さんが大勢います。
 だがどの国も、どの医療者も、一貫してこれらの原爆症の事実を隠ぺいしています。
 それはこの国、わが日本でもまったく同じです。


  これはまた、完治するという簡単な病気では有りません。
 私がある程度まで健康を取り戻せたのは、ここにいる俊彦さんのおかげです。
 初めてここへふらりと伺ったときに、あまりにも容態が悪かったため
 救急病院へ運び込まれたことが、私の治療の始まりでした。
 ホームレスで原発作業員でもあった私には、健康保険がありません。
 すべてが俊彦さんの機転で治療が開始されましたが、
 しかしどこまで調べても、原因不明による体調不良だろうと診断をされました。
 転機となったのが、広島から戻ってきた、俊彦さんの同級生の杉原医師でした。
 原爆症と各地の原発で、問題となりはじめた低被爆の原爆症の資料を取り寄せて、
 まず、その実態と症例を研究することから、手探りがはじまりました。
 日本の原発で働く労働者の健康被害については、かん口令が敷かれています。
 すべての出来事が政府と電力会社によって、水面下の闇に葬られています。
 私の病気への研究がきっかけとなって、
 桐生では水面下で、体被爆の治療とその研究が始まりました。
 窓口になったのが俊彦さんで、其れを受け入れて治療するのが、
 同級生の広島帰りの杉原医師で、資金と治療費を提供しているのが
 原発の手配師で、かつ任侠道をまい進する岡本氏です。
 体調を崩したおおくの原発労働者が、この内緒のルートを頼って
 何人も桐生市を訪れています。
 まぁ、その記念すべき第一号が、わたしということです。
 六連星は、望みを断たれた原発労働者たちにとっては、大いなる希望の星です。
 なぜなら、一度ひばくしてしまった私たち原発労働者たちは
 原発からも、健康被害からも、一生かかっても逃げられない定めなのです。

 

  日本は、第二次世界大戦の戦災による廃墟の中から、
 世界で最も発達した先進的な技術国へと、目覚しい変革を成しとげました。
 しかしそのためには、膨大なエネルギーとしての、電力の確保を必要としました。
 そのことが、日本を世界有数の原子力エネルギー依存国に変貌させたのです。
 その結果、常に7万人以上が全国9電力の原発と、54の原子炉で働らくようになりました。
 すべての原発では、技術部門には自社の従業員をあてていますが
 現場で働く90%以上は、社会で最も恵まれない層に属している、
 一時雇用の労働者たちばかりです。
 下請けの労働者たちは、最も危険な仕事にふり分けられます。
 原子炉の清掃から、漏出が起きた時の汚染部分の除去まで、身体をはって仕事をします。
 つまり、電力会社の技術者たちが決して近づこうとしない、、
 もっとも危険な現場で、彼らは日夜、原子炉の修理と復旧の仕事を担当するのです。
 そしてその代償として、彼らは、自分の命と健康を削ることになるのです」



 
 
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