落合順平 作品集

現代小説の部屋。

赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (34)

2017-01-24 18:52:55 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (34)
 猫じゃ猫じゃ




 「おい。誰だァ。お座敷に猫なんか連れてきたのは!」


 突然の大きな声に驚いて、たまが正気に戻る。
音楽に乗ってうかれているうち、つい我をわすれて、かごから顏を出していた。
小春姐さんの三味線に乗り、裾をはだけ、汗だくで踊っていた清子が
はっと気づいて立ち止まる。あわててかごを振り返る。


 「おっ。三毛猫やないか。ほお~、可愛い顔をしておるやないか、こいつ。
 なんや、こいつは、オスやでぇ。
 待て待て。事態が何やら変わってきたぞ。
 三毛猫のオスとは、こいつは春から、縁起がいい」



 ヒョイと喜多方の小原庄助旦那が、たまを片手で持ち上げる。
懐から手ぬぐいを取り出す。それを4つに折りたたんだあと、ふわりと
たまの頭にかぶせてしまう。



 「ほう、なかなか似合うぞ。愛嬌もある。
 半玉の市花より、よほど愛想がいいし、見た目もいい。
 どうだお前。なにか芸ができるか?」



 清子があわてて飛んでくる。
たまを庄助旦那から受け取り、自分の懐へ抱きあげる。
『駄目じゃないの。あれほど出るなと言っておいたのに。まったく、もう
 あんたって子は・・・お茶目なんだから・・・』清子がきつい目をして、たまを睨む。
三味線を止めた小春が苦笑しながら、小さく頭を下げる。


 「ウチの猫です。お騒がせしてすんまへん。若旦那さん」



 「いやいや、謝る必要はない。三毛のオスとは珍しい。
 ところでこいつ。なにやら、芸当でもしそうな顔をしているぞ。
 小春。お前、帯の細紐をほどけ。
 ほどいたそいつを、そっちからこっちへ、ピンと張ってみな。
 市花(清子の半玉名)。そこの棚から、人形の日傘を取ってくれ。
 背中に背負わせて三毛に、猫の綱渡りをやらせようじゃないか」


 「そらまた、クリーンヒットの名案ですなぁ!」


 「庄助さん。あれは狸のやる所業であります。
 ど素人の小猫に、いきなり綱渡りをさせるのは、少しばかり、
 無理すぎる注文ではありませんか?」



 「いやいや。わしにはわかる。こいつの顔には、芸が達者だと書いてある。
 日傘は背中にくくりつけてくれ。
 手ぬぐいはねずみ小僧のように、しっかり顔に決めてくれ。
 頼んだぜ、皆の衆」


 とつぜん湧いた大騒ぎの中。たまが全員の手でもみくちゃにされる。
綱渡りに挑戦する子猫に、着々と変身していく。



 『な、なんだよ。オイラを取り囲んだこの大騒ぎは。
 茂林寺の文福茶釜じゃあるまいし、猫が、綱渡りなんかするもんか。
 おい清子。そんな目で、俺の顔をみるんじゃねぇ。
 おれは絶対にやらねぇぞ。タヌキの真似して、綱渡りなんか!』


 
 たまの目の前で、綱渡りの準備が着々とすすむ。
小春の帯紐を、庄助旦那が「こんなもんかな?」と80センチほどの高さに持ち上げる。
1畳ほどの距離に、細紐を使った綱をピンと張ってみせる。
『おいおい。準備が出来ちまったぜ。それにしても、ちょっとばかり高いなぁ・・・・』
たまの目がピンと張られたばかりの綱を、下から不安そうに見上げる。


 「小春。伴奏の景気づけだ。『猫じゃ猫じゃ』を弾いてくれ!」



 小唄(こうた)の中に「猫じゃ猫じゃ」というものがある。
小唄は、幕末の頃に成立した邦楽。
短かい詩の小曲を、三味線の爪弾きで伴奏する。
爪弾きは、三味線の撥(ばち)を用いず、人指し指の爪で弾く。
爪を当てることで、やわらかい音が弦から発生する。


 ♪ 猫じゃ猫じゃとおっしゃいますが
   猫が 猫が下駄はいて  絞りの浴衣で来るものか
   オッチョコチョイノチョイ

   下戸じゃ下戸じゃとおっしゃいますが
   下戸が 下戸が一升樽かついで  前後も知らずに酔うものか
   オッチョコチョイノチョイ



 「よし。それでは本格的に、猫の綱渡りと行こう。
 市さん。そっちを持ってくれ。ついでだ。もう少し高く張ってくれ。
 そうだな。とりあえず、1m30㎝でどうだ。
 ピンと張ってくれよ。
 上手くいったら、拍手喝采といこう。
 綱の準備はこれで充分だ。
 そっちはどうだ?。子猫の方の準備は出来たか?」


 真っ赤な日傘を背中に背負わされ、豆絞りの手ぬぐいで頬かぶりされた
たまが、ついに覚悟を決める。
諦め顔をしたまま清子の腕の中で、事の成り行きを眺めている。
ピンと張られた帯紐が、1畳ほどの距離の中、1m30㎝の高さを保ったまま、
主役の登場を今や遅しと、待ち構えている。



 『おいおい。すっかり舞台が出来上がっちまったぜ・・・
 それにしても、ど素人に、1m30㎝の綱渡りはあまりにも高すぎるだろう。
 だいいち身体に付けた小道具が多すぎて、重すぎる。
 猫とは言え、あの高さから落ちたら、絶対にただじゃすまなくなる。
 まいったなぁ。・・・
 どいつもこいつも、オイラを止める素振りすら見せやしねぇや。
 おいら。大道芸の猫じゃないんだぜ。
 こら清子。お前まで楽しそうな顔して、オイラの顔を見るんじゃねぇ。
 まいったなぁ。ちょっとだけ顔を出したことが、
 いつのまにか、絶対絶命の大ピンチを、招ねいたようだ・・・・』



(35)へ、つづく


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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (33)

2017-01-23 17:40:49 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (33)
 お座敷遊び




 襖を使った遊びもある。襖を1枚はずす。
それをお座敷の真ん中にたてる。
芸者とお客さまの3人が、襖の裏に隠れ、呼ばれたら顔を出すというゲームだ。
お父さん役、お母さん役、頭にリボンをつけたお嬢ちゃん役を
その場で即興で決めておく。


 三味線も、最初のうちはゆっくりしたテンポで弾かれる。
『淀の水車は・・・』と優雅に唄いはじめる。
手の空いている芸妓が、小股に挟んだビール瓶の「ハカマ」で、
危なっかしくカチーン、カチーンと、拍子を取りはじめる。


 『カカ出なやの、また、トト出たり、遅れて娘も顔を出たり・・・』
などと歌いはじめる。
それに合わせて、襖から3人がそれぞれに顔を出す。
最初のうちは普通のテンポですすむから、どうということはない。
だが、だんだんテンポが速くなる。
そのうち混乱して、間違える人がかならず出てくる。
この場合も、いちばん先に失敗した人が負けになる。そこでまた罰盃として、
たっぷりお酒を飲まされてしまう。



 こんな風に煽ることもある。
『♪ 街のあかりがとても綺麗ね◯◯、◯◯(料亭の名前)。
お酒はいっきでのみましょう。それ、いっき、いっき・いき・・・・
はい。いっき。おみごと、男だね!、(もしくは女の子、女だね)
ちゃちゃふーちゃちゃふー』
かけ声をかけながら、お酒の一気飲みをすすめる。


 テレビでよく見るどこかの大学のコンパと、まったくおなじ光景だ。
とにかく飲むところでは、相当量を徹底的に飲ませる。
それも情け容赦なく、徹底的に飲ませる。
ときにはお料理のふたで、飲ませることもある。



 三味線にあわせて、民謡を歌う場合もある。
もちろん。普通に歌うわけではない。
『ちゃっきり節』の、『ちゃ』をぬく。
『ノーエ節』の、『ノー』だけを抜く。あるいは『エー』を唄わない。
などなど。あらゆる変化が用意されている。


 たまには本当に、昔風の粋なお人も登場する。
芸妓の弾く三味線に乗せて、小唄か、長唄を一節、それとなく披露する客もいる。
即興で都々逸をつくるという、飛び抜けた客も存在する。
このレベルになると、もう、お座敷遊びにおける達人だ。
ただし。お座敷ゲームの定番と言われている、『野球けん』などの
下卑たお遊びは、由緒正しいお座敷では、絶対に行われない。




 特別な道具を使わないというのも、お座敷遊びならではの醍醐味。
座敷のなかにあるものを、巧く活用して遊ぶものがおおい。
座布団を使う「座布団とり」は、その典型例のひとつ。



 人数より一枚少ない座布団を、並べておく。
三味線のお姐さんが 『♪ 金毘羅ふねふね 追手に帆かけて 
シュラシュシュシュ・・・』と弾きはじめる。
曲がストップした瞬間。どこでもいいから空いている座布団に坐る。
座れなかったひとりが、そこで落ちる。
最後は1対1の対決になる。勝ったほうが晴れて優勝。



 座布団を1つあいだに置いて、芸者とお客さまがそれぞれ
後ろ向きになる、というゲームがある。
かかとを座布団につけたまま、うしろむきのまま対峙する。
『♪ 勝ってくるぞと勇ましく・・・』と唄いながら、お尻とお尻をぶつけ合う。
『どんじり』と呼ばれる、きわめて単純なゲームだ。
相手のお尻の反動で、飛ばされた人が負けになる。
カカトが片方だけでも座布団についている人が、勝ちとなる。


 お座敷ゲームの基本は、日頃のかしこまった生活からの「発散」に他ならない。
「コイン落し」というゲームは、和紙を使う。
大きめのグラスの縁をお酒で濡らし、用意した和紙を貼る。
余った部分を切り取ると、きれいな蓋ができる。



 真ん中に五円玉をおく。
その周りを芸者とお客さんが、順番に、タバコの火を使い燃やしていく。
五円玉をグラスの中に落とした人が負けとなる。
中には、五円玉の穴の中を焼く人もいる。
ゲーム自体はシンプルだが、真剣で、白熱した駆け引きになる。
落とした人が、やはりイッキの酒を飲まされる。



 「碁石とりゲーム」というのもある。
白と黒の碁石を、器の中に十個ずつ入れる。
芸者が黒でお客さまを白としたら、それを「ヨーイドン」で、
お箸でつまんで拾いあげる。
早く全部を拾いあげたほうが、当然勝ちになる。



 もしもこの世に神様がいて、こうしたお座敷の様子を天から覗いたとすれば、
大の大人が、それもいい年をした男と女が、なんて他愛のない馬鹿げたことを
やっているんだと、嘆くかもしれない。
しかし。花柳界で働いている人々は、口が固いことで有名だ。
よほどのことがないかぎり、情報が外へ流出するおそれはない。
『胸襟を開き、うちとけて、全員が、裸になった気分でとことん遊べる』
それこそがお座敷遊びの持っている、醍醐味だ。


 お座敷を盛り上げるのは、芸者が背負ったたいせつな役割のひとつ。
お座敷が盛り上がるかどうかは、ただひたすら、芸者の腕にかかっている。


(34)へ、つづく


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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (32)

2017-01-17 18:25:12 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (32)
 お座敷にて




 芸妓が入るお座敷は、だいたい午後の6時頃から始まる。
芸妓たちは、6時前までに会場へ着く。
開いているお座敷か、お客さんが来るお座敷で待機する。
会場で待つ場合は、端に並んで正座して待つ。
お客が入ってきたら「いらしゃいませ」と、ていねいに出迎える。


 後から入る場合。座ってふすまをあけ、入った後、あらためて正座する。
「いらしゃいませ」と挨拶を済ませる。
このとき、先輩格の芸者さん(どんな年令であってもお姐さんとよぶ)
から先に、お座敷へ入ってもらう。
年令やキャリアが上であっても、半玉の入室はかならず最後。



 座る席にも、順番がある。お姐さんから順に上座から座っていく。
半玉の指定席は下手の末座。
そこに空席がなければ、、開いているところを見つけて適当に座る場合もある。
お姐さん芸妓から『こっちに来なさい』、と指定されることもある。



 宴会はまず、コップにビールを注ぐことからはじまる。
(とりあえず、ビールで乾杯というやつだ)
お料理が到着したら、割り箸を割り、お客様にさし出す。
酒がなくなる前にお酌していく。


 ビール以外の別のアルコールをすすめる。
さりげない会話を交わしながら、その間、食べ終えたお皿をすぐに片付け、
お膳から下げるようにする。
コップや御猪の口が乾かないよう、いつもなみなみなの状態を
保つよう、配慮しながらお酌していく。



 『おい、清子。
 これじゃまるで、どうってことない、ただの普通の宴会じゃないか』



 『しいっ、。あんたは顔を出さない約束でしょう。
 そんなところから、ひょっこり、顔なんか出してどうするの。
 見つかったら只じゃすまないのよ、まったくぅ~』



 『普通のまんまじゃ、いつまで経っても盛り上がりに欠けるだろう。
 だいいち、かごから顔を出さなきゃ、小原庄助の顔が見えないじゃないか。
 おっ、あいつか。なんだい、どう見ても、大した男じゃないなぁ。
 あんな青白い男が好みなのかよ、小春姐さんは。
 まったく小春姉さんも、男の趣味が、どうにも最悪だなぁ』


 『大きなお世話です。たま。
 いいからお前はかごに隠れて、そこで聞き耳だけを立てていなさい!』



 ピシャリとかごの蓋を、清子が閉じてしまう。
『なんだい、ケチ。折角これからというところなのに・・・』
たまが暗闇の中で目を光らせる。
たまがブツブツと愚痴をこぼしはじめたとき、ようやく待ちかねていた
小春の三味線が、お座敷に流れてきた。



 「涼しくなったから」という、罰ゲームのついたお座敷遊びの始まりだ。
初めてのお客さんでもわかりやすい、お座敷遊びのひとつ。
受けがよく、とにかく面白いと言われている。



 芸者たちがまず見本をみせる。ひとりが女役で、もうひとりが男役。
ふたりともそれぞれ団扇を持って立ち上がる。
次はお客さまに演じてもらうために、客には男役のほうを
じっと観察してもらう。
しかし。予行演習はざっと見せるだけで、かんたんに終わる。


 すぐ本番がやってくる。
小春が三味線にあわせ、『涼しくなったから、ちょっと出てきてごらん』
とあでやかに歌う。
唄にあわせ、お客さまが『おいで、おいで』と手招きをする。すると芸者がそばへやって来る。
お客さまが芸者の肩に手をかける。そのまま、抱き寄せる。
顔を団扇で隠しながら、さらに接近していく。


 『釣りぼんぼりの灯も消えて・・・』と唄がすすむ。
見ている者には、本当に2人が接吻をしているように見える。
そこで芸者が、パラリと団扇を落とす。



 もっと色っぽい遊びがある。「蒸気ゃ波の上」というゲームがある。
三味線にあわせて、蒸気ゃ、波の上 汽車、鉄の上。雷さまは雲の上。 
浦島太郎は、ありゃ、亀の上・・・
と唄いながら、お客様と芸者がジャンケンを繰り返すという、単純な遊びだ。
お客さんが負けると亀の格好になってもらい、四つん這いになる。
背中の上に芸者が横坐りになって腰かけ、浦島太郎の気分にひたる。
お客さまは、芸者のお尻のぬくもりを堪能することになる。



 芸者が負けると、『わたしとあなたは床の上』という歌が飛び出してくる。
芸者が仰向けに寝る。お客さまはここぞとばかり、芸者の上に体を重ねる。
クイクイと、得意満面に腰を元気にふる。
お座敷ゲームには、いずれの場合も、罰盃というものが付きまとう。
『負けた方がお酒を飲む』。これがお座敷での鉄板ルール。



 『おっ、ようやく盛りがってきたぞ。お座敷が!』


 ぴったりと閉ざされていたかごの蓋が、いつの間にか、開きはじめる。
たまのランランと輝く大きな目が、そっと、かごの隙間からふたたび現れる。



(33)へ、つづく

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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (31)

2017-01-16 19:15:45 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (31)
 たまと清子の悪だくみ



 小春姐さんが、伊達巻をゆるめていく。
こんどは清子の乳房の下を通過する形で、あらためて帯を締め直す。



 「大きくて、ふくよかな胸もいいけど、小さいほうが着物に似合います。
 着物はね、直線的に縫製されているの。
 胸が大きすぎるとシワになったり、衿元が綺麗に整わないので、
 そういう場合は、胸をわざと潰します。
 その点。お前の場合は理想的です。ちょうど良い塩梅の大きさです。
 着物が綺麗に見えるポイントは、やっぱり帯。
 乳房のすぐ下から両腕の脇の下を通り、全体的にしっくり収まったとき。
 綺麗に見えるんだよ。
 その点、お前はいいねぇ。着物が似合う容姿と、体型の持ち主だ」


 「どう言う意味ですか。小春お姐さん?」



 「容姿はまぁまぁですから、とりあえず合格点。
 着物が似合うかどうかは、体型しだい。
 背は高からず低すぎず。胸は控えめ。お尻は出っ張りすぎず、かつ低からず。
 胴長で、短足であること。
 これらが着物が似合うための条件です。
 お前は大丈夫。幸か不幸か、すべてをすでに身につけています。
 うっふっふ」


 「それって・・・もしかして、メリハリの不足している体型、という風に聞こえます。
 胴長、短足では問題が多すぎるでしょ。お姐さん!」



 「世間ではそのようにも言います。
 けど、それほど気にすることもないでしょう。
 女性の骨格は、15~16歳までに完成すると言われています。
 人によっては、22歳までかかるそうです。
 思春期を迎えるのが遅かった人は、すこしだけ遅くなると言われています。
 で。どうなんだいお前は。思春期の到来は?」


 「初潮は、とうに来ておりますが・・・・」



 「馬鹿。初潮じゃないよ、思春期のことだ。
 居ないのかい。ひそかに想いを寄せている男の子とか、ボーイフレンドが?」


 『居るには、いるのですが・・・』と答えかけた瞬間。
清子の足元へ、たまがのそりと歩いてきた。
『へぇぇ。好きな男が居るのかよ、お前、その顔で?』
胡散臭そうな顔でたまが清子を見上げる。



 『うるさい。このド短足子猫!』
狙い済まして繰り出された清子の右足が、むなしく空を切る。
『へへん。すでに読んでおるわい。お前の右足が来ることなど、すでに承知済みじゃ』
くるりと左へ逃げたたまが、勝ち誇ったように清子を見あげる。
その瞬間を清子は逃さない。



 清子の左足が、たまの尻尾を的確にとらえる。
『愚か者。右足はフェイントじゃ。本当の狙いは左足で、お前のしっぽじゃ!』
まいったか、こいつめ・・・清子が嬉しそうに、たまを見下ろす。



 「こらこら。もうそのくらいにしなさい、いい加減にしなさい、2人とも」


 着付けの手を止めた小春姐さんが、清子とたまを交互に睨む。



 「いたずら子猫と遊んでいる場合ではありません。
 本日のお座敷には、とても大切なお客様がお見えになります。
 粗相のないよう、気をつけなければなりません」


 はい。綺麗に出来上がりました。ポンと清子の帯を小春が叩く。



 「あとは、襟元に名刺と扇子をいれます。
 かごを持って、ぽっくりをはけば、立派な半玉の出来上がりです」


 なかなかの半玉ぶりですねぇ、と小春が目を細める。



 「小春お姐さん。いま、大切なお客様がお見えになるとうかがいました。
 本日はいったい、どのようなお方がお見えになるのですか?」



 「気になるかい?。喜多方の小原庄助さんだよ。
 会ってみたいだろう、お前も」



 「えっ、お姐さんがいまだに、想い続けているという、あの喜多方の・・・・」



 「ふふふ。お前がうろたえることはないだろう。別に。
 そうさ。その当人の小原庄助さんだ。
 あたしがどんな男を好きになったのか、関心があるだろう、お前も」



 突然そんな風に言われても、どうしたらいいのか・・・・と当惑している
清子の足元へ、たまがまた尻尾を引きずりながらやってきた。
『面白そうな話だな。さっきのおわびに、俺もお座敷に連れていけ。清子』
と見上げる。
『馬鹿言ってんじゃないわよ、たま。これは遊びじゃありません。
お仕事ですから』連れて行けるはずなどありませんと、清子が鼻で笑う。



 『でもよう。そこに置いてあるかごは、おいらにぴったりだぜ。
 連れていってくれよう。オイラも見たいんだ。
 小春は命懸けで惚れて、尽くすためだけに、この東山温泉へやってきた。
 どんな男か見たいだろう。誰だって』



 『そうは言うけどさ。バレたら大変なことになるのよ、お前。
 八つ裂きどころか、三味線の革にされてもしらないわよ』



 『かごの間から覗き見するだけなら、別に問題はないだろう。
 連れて行ってくれよう、清子。
 お前のことも愛しているからさ。
 おれだってこれからさき、持てるいい男になるための勉強がしたいんだ。
 独身男の向学心てやつを、無駄にしないでくれ。頼むよ、清子』


 『なんだかなぁ・・・
 あんたの場合、どこまでいっても魂胆が見え透いているけどね。
 ただの興味本位だけの話でしょ。
 でもまぁいいか。静かにかごの中に隠れているんだよ、本当に。
 ばれたら、あんたもあたしも、只では済まないことになるんだからね』



 『おっ、恩にきるぜ。さすがは清子。そうこなくっちゃ!』


(32)へ、つづく


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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (30)

2017-01-14 18:04:37 | 現代小説
赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (30)
 半玉の着付け



 お粉(しろい)は、一度塗ったら、それで終わりというわけではない。
ファンデーションをなじませていく時と同じように、鏡越しに映る自分の顔を
何度も確認しながら、スポンジを使い肌になじませていく。


 正座したままの清子が、くるりと向きを変える。
合わせ鏡を使い、いま塗り終えたばかりの背中の様子を確認する。
芸妓のお化粧方法は、お姐さん芸妓から妹芸妓へ、実践と口伝えによって
伝えられていく。


 「すべてのことは、見て覚えます。
 わからないことがあれば聞いて覚えます。
 身支度も、芸も、自分から身に着けることがすべてです。
 あわてることはありません。
 できるようになるまで、ウチがきちんと見届けますから。うふふ」



 小春姐さんが清子の背中で、目を細めて笑う。
小春姉さんは、間近に迫った舞台の準備のため、舞の稽古で忙しいはず。
それなのに部屋の隅に座ったまま、じっと清子を見守っている。


 「もうすこし、柔らかい印象にしなければいけませんなぁ。
 眉毛はまず、赤の粉で引きます。
 黒だけで引いてしまうと、どうしてもきつい印象になります。
 武者のように、りりしくなってしまいます。
 赤でまず描いてから、その上に黒をのせ、淡く調節していきます」



 小春のあたたかい指先が、清子の眉を柔らかく馴染ませていく。
半玉としてデビューして、1年が過ぎると、アイラインを入れたり、
目元の赤も濃いめに付けたり、その人の独自のアレンジが、許されるようになる。
しかし出たての半玉に、アイラインは許させれない。


 目尻も、頬紅も、ピンクのお粉でほんのり色づけした程度までが許容の範囲。
ただひとつ。上まつ毛にマスカラを付けることは許可される。
ただし。これはお化粧というよりも、拭っても付いてしまう白粉を隠すため、
という要素が強い。



 お化粧が済むと、着付けに入る。まず、かつらを装着する。
京都の舞妓は、自毛を使って日本髪を結うが、半玉にそうした決まりはない。
多くの半玉がかつらを用いる。
紫のネットをかぶり、この中に自分の髪をおさめてから、鬘(かつら)をかぶる。
オーダーメイドでつくられているが、ちゃんと装着できるまでは、ある程度の
熟練を必要とする。
慣れるまで、お姐さんにかぶせてもらうのが一般的だ。



 かんざしは、3つ。
桃割れの後ろと、両わきにつける。
右に大きめのものをつける。ひときわ目立つように配置する。
デビューしたての頃は目立つよう、キラキラ輝く垂れたかんざし類が多くなる。
季節を表した花がおおい。
1月は正月を表す飾りで、1年の実りを願っての稲穂。
2月は梅。3月は菜の花。と変化していく。
月ごとの変化に加え、芸妓の年齢があがるとより渋いものへ変わっていく。



 ぶらぶらの飾りがたくさんついたかんざしは、半玉たちの専用品。
たくさんついているほど、若い芸妓ということになる。
子供らしさやかわいらしさを、ことさら、強調しているからだ。
お姉さんになるほど、ぶらぶら類は少なくなる。
かんざしもキャリアとともに、シンプルなデザインに変わっていく。


 かつらのあとは、着物の着付け。
出だしの半玉は、お姉さん芸妓に着物を着せてもらう。
赤い襟のついた長襦袢の上半分を、すこし大きめに抜く。


 「華奢ですねぇ。清子は。
 昔はウチも、こんな細さでしたが、いまはとてもかないません。
 羨ましいかぎりですねぇ。この肌の、このきめ細やかさは。
 食べてしまいたくなります。うふっ。」



 ウッと思わず息がとまるほど、清子の胸を伊達締めが締めあげていく。
小春の手に、手加減はまったくない。
『脇の下を締めることで、余計な汗が止まるのよ』着付け中の小春が、小さな声で笑う。
『それにしても、姐さん・・・・これではキツすぎて、まったく息ができません』
清子が、思わず弱音をこぼす。
「きつ過ぎる?。おかしいですねぇ・・・」小春があわてて、清子の胸元を覗き込む。



 「苦しくて息が出来ないなんて、変ですねぇ?。
 あら。ホントだ。ペッタンコに潰れていますねぇ、お前の胸が。
 道理で途中で、変な手応えなどが有ると思いました。うふふ・・・」


 
 可哀想ですから、少し緩めておきましょうと、小春が清子の背後へ回りこむ。
苦しそうな顔を見せている清子の胸元へ、小春の右手が伸びてくる。
「どうするのかな?」と見つめていると、小春の指が、そっと襟をかき分ける。
するすると伸びた小春の指が、あっというまに襟の中へすべり込む。
そのまま、清子の小さな乳房を握りしめる。
『あっ!、お、・・・お姐さん!』
突然の出来事に、思わず清子が悲鳴をあげる。



 「あら。思いのほか、手応えが有るじゃないの、お前のおっぱい。
 大きさは、固めの熟れる前の、小桃というところかしら。
 とても良い形をしています。
 乳房の形や大きさ、位置は、みなさん微妙に異なります。
 ふう~ん。お前さんのオッパイの位置は、少し下目の、このあたりですか。
 なるほど。これでは、さきほど締めた伊達巻の位置では圧迫されすぎて、
 たしかに苦しくなるはずです。気の毒なことをいたしました・・・うふふ」


(31)へ、つづく


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