安全と安心は地道に作られて、簡単に壊れる。
感染症の世界的広がりで目の当たりにしてしまう昨今ですが、忘れがちです。
著名な大学教授でも間違える。
ウルトラクイズで、
「ニューヨークへ行きたいか!?」
で何百人何千人と集まった時代もあったのですよ?
簡単に海外に行ける社会情勢や交通手段、意思疎通方法などしっかりと基礎ができてきたから、ニューヨークに行くには特に一生懸命学ばなくても誰にでも行けるぐらいの場所になったのですよ。
今は行く気になりませんが。
飛行機に乗って海を飛び越えることも簡単ですが、ライト兄弟が飛行機を作った(これもたくさんの人たちのトライ&エラーによってできた)からできるわけで、馬やなんの動力もない人力の船で行ける場所など限られてるわけです。
だけれども、今は飛行機にあまり乗りたくはない。
飛行機=安全
でさえ多くの人々の基本的な努力の上に成り立っている。
鉄道も。
わすれがちですが。
私が思うに、今地球の陸上で生きるのなら、車の中はとても安全です。
止まっている車なら、大抵のものがぶつかってきても死ぬことはない。
フィルターで空気も浄化。
エアコンで快適。
燃料次第でどこへでも行ける。
大震災で燃料がなくなったり、水に飲まれればその安全も崩れる。
タイヤに釘が刺さっても危険になる。
安全と安心が高まって、できることの限界がどんどん高まるけれど、そのぶん危険にも近づく。
ちゃんと給料が出るからお金の心配はない。
それさえも今は揺らぐ。
絶対安全も安心もないのですよ。
とはいえ、安全・安心であるからこそ伸びやかな思考や行動もできる。
自分の安全の確保、人間関係や時間的に場所的に安全な時間や場所の確保も重要です。
いつどこでもケガや病気や事故の危険はあるし、死ぬ危険もある。
しかし知識や実行で安全を確保した先に、さらなる未知の危険な領域に挑戦できる。
安全と安心は当たり前にあるものではない。
簡単に危険は訪れるけれど忘れがちなだけ。
安全なくして活動なし
挑戦もできないのですよ。