APEXでもPUBGでも、相手を倒すゲームに勝つということは、殺人の罪を重ねるということでもある。
ゲームの中の話だけれど、現実社会にも相手を倒し殺すタイプの勝負はいくつもある。
その勝負に乗った時点で負けなのではないか?
経済的な勝負もあるが、本来的には全体的な生活の質を上げることが主目的であり、誰かが儲けて誰かが損失を被るのは本質的ではない。
数字比較をしやすい点で優劣はつけやすいが、本来的な人生の質という点でその勝負は意味がない。
わざわざそのタイプの勝負を仕掛けてくる人や組織もあるけれど、相手にしないし、それでも挑んでくるなら反撃はする。
とはいえそこに本質的な価値はない。
ウイルスでさえ宿主がいるからこそ生きることができる。
宿主を駆逐することは自らの滅亡も意味する。
地球の自然環境も破壊し尽くせば何も生存できない。
共存という命題の中で、相手を打ち負かす勝負をして優劣をつけることそのものに意味がない。
どこかの剣術の奥義にそんな概念もあったかな?
いじめなんかそんなつまらない優劣ゲームの延長かな。
社会主義とか共産主義とか、経済的戦いを行わない社会システム理論もあるけれど。
まずは命ありき。
尊厳ありき。
勝負はその上でのゲーム。