一般常識レベルの言葉を整理しておこう。
和をもって尊しとなす
聖徳太子が日本で初めて作った憲法とされるのが、日本書紀の十七条憲法。
第一条に記されているのが、「和をもって尊しとなす」。
「和を何よりも大切なものとして、争わないようにしなさい」という意味。
日本の強制協調社会の原点ですよ。
おかげで新型コロナ蔓延でも、法的拘束力なくお願いによって自粛が行われる集団でもあるのですが。
和を重んじて、自主性がない。
他人や全体の空気を読む。
自分で考えなくていい。
肩書の偉い人が考えたら従う。
失敗したらお上のせい。
自分たちに責任はない。
過去の大戦のように、それで自分や家族が死んでも、お上の責任なんです。
大体そんなに下々のすべての事情なんて、把握対処できるわけないのに。
それでもお上の言うことを、自分の都合のいいように解釈して自滅したのに、お上のせいにしたりもするのですが。
話を戻すと、十七条憲法は和だけを言っているのではないそう。
全文を読んだわけではないけれど、全体では「上も下も関係なく全員でしっかり話し合いをすれば、何でも成し遂げられる」ということになるそう。
それでも全員が全て集まって話し合いをするなんて到底無理だし、会社だと無意味な会議が多発する原因でもある。
それに人の考えている全てのイメージを言葉で伝えることは不可能だし、資料を作り込んだとしても、根底の事象や知識や経験は各自しっかり学んで理解しておかないと、情報共有はできないし反論もできない。
資料をしっかり作りこめば、テレビ番組のように大衆の趣味思考を操作して、特定の消費に誘導することも可能。
電通がビジネスとして成立するのはこのため。
高圧的になることによって言うことを聞かせるパワハラの根源も発生する。
全員で話し合いをするのは無理だし、すべてを学ぶなんて無理だから、人に従う。
日本の強制協調社会は、このように成立しているのだろうなあ。
本来施政者に向けた憲法なのですが、日本の万人に適用されているみたいですねぇ。
和の国(倭国)だもの。
経済
「経世済民」の略。
世をおさめ、民をすくうという意味。
なにも金融だけを言っている言葉ではなく、広く政治にも通じる言葉でもある。
「経済的事情」や「経済戦争」は、政治の問題や衝突という意味になる。
松下政経塾など、政治経済が一つの括りとして扱われる理由でもある。
ところが経済学部を卒業した人間を見ると、あまりに勉強をしていない、論理的思考能力のない人間が多いのが実感。
基本真面目に授業に出る必要もなく単位を取れて、在学期間中、学ばずに遊び回っているのだから仕方ない。
せっせせっせと授業に出て単位を取る必要があって、課題や実験レポートに追われる理工学部生とは違うのですよ。
後になって何が幸せとするかはわかりませんけれどね。
アリとキリギリスという寓話もありますな。
好き好んで取れるだけ単位をとって、すべての教科で100点を狙う、私のような奇特な人間もいたりする。
それでも知れば知るほど、人類文化は世の中すべてを知らないし、すべてを知ることも不可能だとはわかる。
理学療法士のように、人体の筋肉すべての名前と機能を把握する時間と経験はあるかわからないし、歯科医のようにそれぞれに違う硬い歯を、ミクロン単位で削って治す技術も習得できるのか?
宇宙で生き延びるための航空宇宙機設計製造試験や、これから航空機パイロットや宇宙飛行士になること。
なれるかどうかはわからないけれど、勉強したり経験したりしなければならないことは山ほどあってね。
適当に妥協して生きていたら、なかなか到達できませんよ。
自分がどうしたいかという目標やベクトルの問題でもある。
話を戻せば、経済は人をすくうのが最終目標であって、なにもお金を持つことが最終目的ではないのですよ。
手段と目的が逆になっちゃってる。
お金を持っていればすべてが解決するわけではなく、少ない資本でどれだけ有効な結果を残し、無駄なトラブル対応をなくしていけるかのほうが重要で。
自分が起こしてしまった失敗をしっかり見つめて、論理的に対処改善するのが一番の近道なのですが。
うまくごまかす方法を学ぶのが経済ではないと思うのですけれどね。
大量の詐欺師を生み出すための専攻課程ではないはずなのだけど、どうしてもそのイメージがつきまとう。
ごまかす人はどこにでもいるのだけれど。