作業を始める時間をメモにつけるようにしています。
めちゃくちゃやりたくない作業をやり始めると、始めた時間に対して10分程度しか経っていないことがわかったりする。
やりたくなかったのにこの程度しか経っていないのだから、もうちょっとやってみるかという気にもなる。
パソコン作業などはあっという間に時間が過ぎてしまいます。
ちょっとしたデータ整理をするつもりだったのに1時間とか経っている。
パソコンでの作業が好きなのかもしれないけれど、作業効率化になっているのかいないのか、疑問に思うときもある。
やりたいことやりたくないことで時間の進みが違うということでもあるのだけれど、ダラダラしているのに時間の進みが早いときなどは、体が休みたいのだと思うことにして休むことにしている。
子供のとき時間の進みが遅く感じたのは、あるいは錯覚だったのかもしれない。
毎日平日8時間も拘束されないし、夏休みも1ヶ月以上ある。
大人になっても1ヶ月以上まるまる目的もなく休みだとすれば、やっぱり時間を無限に感じる。
やりたいことの計画があるかどうかということも、時間の進みの体感に関係する気がしますね。
そういった作業にかかる時間を経験で知っていることと、こうすればこうなるということを知っているから、大人になると時間の進みが早くなるのではないかと考えます。
子供の頃はそのような経験知がないし、別に自分で計画を立てて動く必要もない。
それでも目的のよくわからない苦痛を続ければ、やっぱり時間を無限に感じますね。
私にとっての義務教育がそれ。
それでも新しく経験することが多いので、同じことを経験したとしても、そのインパクトは大きかったと思います。
自分の自由になる時間というのは重要だなと思いますよね。
好きなことに没頭できる時間は、やっぱり学生の頃にはかなわないと思う。
会社勤めのサラリーマンになると、そんな時間はほとんどなくなってしまう。
次の日のことを考えたら、朝まで起きて自分の趣味に没頭するなんてできない。
サラリーマンをやめてしまえばそれもできるのですけどね。
サラリーマンをやめたい理由としてそれもあるなぁ。
物事の因果関係がない状態で、とにかく経験できるというのは、知らないからこその特権である。
子供の経験とはいえ、同じことを繰り返せないという意味では、大人でも経験できないことができるという意味でもある。
遺伝子が同じ、いわばクローンの一卵性双生児でも、全く同じには育たない。
別に生きて別の経験をするのだから、得る経験も学習することも異なる。
同じ10年でも、それぞれ違う経験をするのだから、全く同じにはならない。
50年生きれば全く違う経験をする。
同じ50歳が同じような人間にはならないよね。
10年で50年以上の経験をすることもあり得る。
結局のところ、どれだけ多くのことをやってみたかという経験によって、人の得るものは違うのだろうなとも思う。
大人になったからおとなしくなってやらなくなるんじゃない。
危険だと思って現状を変えようとか思わなくなるから、保守的になって変わらなくなる。
学習しなくなる。
子供でも保守的な人もいるけれど、それは経験することを拒んでいるとも言える。
もしくは、
「危ないからやめなさい!」
という親に、徹底的に行動を制限された結果かもしれない。
そういう意味では、高校時点で独り立ちせざるを得なかった自分は、まぁ良かったとも言えるのかなぁ。
いろんな経験だけはしたし。
大人になって落ち着くんじゃない。
大人になって保守的になる。
失敗することを恐れて、チャレンジしなくなる。
そういう意味では、実年齢に対して若いほうだなぁとは思いますよね。
全然落ち着く気ないものなぁ。
知らないことがどんどん増えていくので、勉強することがいっぱいあるんですよ。