ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

GOTO

2020-11-22 22:08:08 | Office
Go To政策は、収入の落ちた観光地や飲食業の消費を促して、需要を喚起する政策。

コロナ渦で収入が減少している小売飲食業や旅館業の売上を伸ばす。

主な出資者は、コロナ渦で収入が減少しなかった人。


コロナ渦で収入が減っている人や、そもそも収入がない人が、わざわざ出資して旅行に出かけたり食事をして消費を促す必要は全くないのですが。

なんだかそうしないといけない気持ちになるのは、メディアや情報に踊らされているのかなぁとも思う。

他の人がやっているからという、おなじみの同調意識。


ふるさと納税でお得になるとは言っても、お金は払っているのですよ。

その前に所得税や地方税やらしっかり払えているんですか?

ふるさと納税して確定申告すれば、翌年の税金を控除することはできるのですが。

ふるさと納税を出資した分の控除申請をしないといけないのですが、やっていますか?


なんかそのあたりやっていない人を見ると、流されているだけなのかなぁとも思う。

全くやる気がないしやってもいないので、青色申告に算入さえしませんでした。

そんなところに出資するほどの余裕ある収入はねぇっす。

COVID-19 ≠ 武漢ウイルス

2020-11-22 09:08:52 | Health
COVID-19(新型コロナウイルス)は2019年9月にはイタリアで発生していた。


中国武漢市の海鮮市場から発生したとされているCOVID-19だけど、武漢市での発生は初期のクラスターであった可能性もある。



武漢市は世界的に企業が進出している工業都市でもあってですね。

日本人が多く出張していたのは、中国生産工場が武漢にあったためでもある。

少なくともイタリアミラノで2019年夏にCOVID-19が発生していたとなると、その起源は武漢ではなく、イタリアか、もしくは他の地域であった可能性も高まってくる。


100年ほど前に流行した「スペインかぜ」も、当初スペインで発生したとされたためその名前がついたのだけど、後に違う場所がスペイン以前の発生源だったとわかる。


「武漢ウイルス」「中国ウイルス」と呼ぶ人もいるようだけど、「アメリカウイルス」や「日本ウイルス」の可能性もあるわけで、自分たちや自分たちが住む地域がそう呼ばれないためにもSARS-CoV-2、COVID-19と名付けたWHOには先見性があります。


明確な発生源がわからない段階で名前をつけなければならない状況では、仕方ない対応であるとも言えるわけですが。


創作での「バイオハザード」などのウイルス感染や、「風の谷のナウシカ」で、瘴気や胞子を防ぐためにマスクをつける生活が当たり前になるとか、信じられなかったことでもあります。

人の歴史上、細菌感染のペストによる黒死病や、ウイルスなどの目に見えない原因の感染症が存在することはわかっていて、それが恐怖であることは実感としても創作物からも読み取れる。

顕微鏡や電子顕微鏡を使ってやっと見えるサイズの病原体なのだけど、人の体には千種以上、数百兆個の常在菌がいるわけで、その中から特定の菌やウイルスだけを抽出して、その存在を確認するのは至難の技だとわかる。

細菌とウイルスは、自己増殖できるかできないかの差はあるのだけど。

PCR検査で疑陽性・偽陰性が存在するのはそのためでもあり、素人が扱った生体や分泌物サンプルに他人のサンプルが混入することもあるわけで、そういった意味では自分で採取したサンプルを送って検査した結果にどれだけの信頼性があるかは疑問。

検便にペットのフンを採取して提出する人もいるのだから。


今後COVID-19の正体が次々と明らかになっていくのでしょうけれど、仕事での問題がイタリアで起こっていることもあり、一度イタリアに行ったら戻ってこれなくなる可能性もあるなとは想定する。

日本で将来がわかりきったドツボにハマるよりかは、将来が良くなるか悪くなるか予測できない新天地で挑戦したほうが面白いとは思うんですけどね。

どうなることやらね。

図学

2020-11-21 09:35:17 | Technics
絵を描くことは好きなのですが。

中学の頃から3次元グラフィックにハマっていたので、図学には一日の長があります。

座標変換のための三角関数方程式だけではなくてですね。

当時のアフターバーナーなどの高速3次元ゲームでは当然の技術でもあったのですが、三角関数を配列変数にしてしまうんです。

sinやらcosやら正確に求めることもできるし、正確じゃないと物体を回転させたときに正確な座標が決まらない。

ところが正確な三角関数をコンピュータで算出するためには時間がかかる。

処理速度と最低限必要な精度の三角関数を得るために、予め求めたsinとかcosとかの数値を配列変数に保存しておくんですよ。

小数点以下も必要な精度に丸めます。

当時のブラウン管テレビの解像度は640×480程度なので、小数点以下2〜3桁程度までの数値精度でも、高速に移動している限りそんなに気にならない。

3次元グラフィックのゲームを作ろうとしていたので、物体の当たり判定やら、光の反射を追跡するレイトレーシングや、近似曲線計算などもしないと、今のリアルワールドゲームで当たり前にやっている人の皮膚の質感など表現できないわけで。

ジュラシック・パークの恐竜の質感や重量感などは、一つのマイルストンだったわけです。


理工学系の大学課程に進んで、結局その内容を更に深化することになる。

運動力学に限らず、材料力学や構造力学、おなじみの有限要素法などは、いわばリアルワールドをシミュレーションするための一大学問でして。

微小領域の力学的変形を図学的に模擬して、それを積分したり、要素間でエネルギーを伝達させて、行列式で解くなどするわけです。

これだけでもかなりチンプンカンプンになる内容でもある。

微小領域に分割しすぎると、計算時間もかかるし、計算が発散して解が求まらないこともあるので、要素分割するメッシュの精度を最適化する必要もある。

さらに求めた解が段階的であると見えにくいので、計算結果を補完して曲線近似する必要もある。


おう、なんだ。

結局、カセットテープを記憶媒体としていた安くて遅いBASIC環境とそんなに変わらず、やっていることは複雑であるし、変数も膨大でメモリーをやたら消費するとはいえ、ちまちまとした効率化テクニックが必要な、ゲームプログラミングと実はそんなに変わらないんだ。


絵を描いたり、漫画を描いたり。さらには印刷物版下デザインをやったり、当用漢字に無い人名漢字をIllustratorで作るなどという仕事もするわけですよ。

するとそういった数学的な図学的要素はめちゃくちゃ役に立つわけです。


もちろん構造設計をやって図面を描いたりするわけですが、3次元CADを使いこなそうとすると、フィレットをかける順番で角を丸める形が変わったり、計算が発散して丸めることそのものができないという現象が、頭の中で数式が発散するイメージとして理解するので、どうすれば解決できるかもわかる。


そんなわけで。

二次元CADで図形をグリグリ回して挙動解析などのイメージを検討するぐらいは、別に苦でもなんでもない息を吸って吐くぐらいの日常行為なのだけど、やってなければそれも難しいのだろうとは思う。

別に曲面や斜線を多用した設計もできるのだけど、製造検査がそれを作れない測定できないのであれば、設計してもそんなに意味がない。

プラモデルみたいに、図面通り作って組み合わせれば結構立派な構造物が完成するなんてこともできますけれどね。

幼稚園でユネスコ展に選定されるぐらいは、生まれも育ちも無駄に絵描きなんですよ。

Imposter

2020-11-19 19:47:11 | Human
他人がやっているAmong Usを見ているぶんには楽しくていいのですが。

詐欺師・ペテン師(Imposter)になると、結構しんどいことは知っているので、あまり積極的にはやらないと思う。


一度嘘をつき始めると、全てに整合をとらないと矛盾が発生するので、大変なんですよ。

他の正しいところまで認識が歪んでしまう。

全ての論理に整合をもたせるのがものすごく大変なのに、そこにさらに嘘の情報の論理にまで整合を取るのは大変なことなんですよ。

その苦労も知っているし、無意識にimposterになっている人もいるので、そういった情報から身を守ることだけでも大変なことで。


ところで。

古くはポケットベルで数字だけで意思を伝えたり、携帯電話の機能を使いこなすのは若い女性というイメージがあります。

そもそもうわさ話や評判レベルの情報は、女性コミュニケーションの中で電光石火に広がったりしているので、人コミュニケーションに関しては女性に一日の長がある感じです。

女性云々に限らず、基礎原理から根本的に理解できないときなどは、他人が考えたことやもっともらしい情報に従うことで、団体行動するという選択肢もあるわけです。

それが実は意図せずに発されたデマであるとか、意図して集団を動かすために発されたデマである可能性もあるのですが。


以前介護職員初任者研修を受けている際に、ホームページの情報は信用してはならないということを講師が言っていたわけです。

インターネット初期からホームページ作成を行っていたし、印刷物のデザインもやっていた経験からすればそれはあまりにも当然のことで、ホームページに乗せる情報に法的な制限はないし、個人単位で文章を考えて載せることはできるのです。

載せている情報が正しいのかどうかを公平な立場で厳密に制限しているわけではない。

SNSの情報もそうだし、このブログの内容だって個人的な認識なので、中立の立場で厳密に審査すれば嘘も存在する。


本当に正しい情報は、自分で体感して学んでしっかり判断するしかない。

従って実体験として、
「ホームページの情報は、あてにならない」
と言ったところ、
「じゃあ何を信じたらいいの!?」
と他の女性からキレ気味に被せられたのだけど、まぁそれを信用して自分がドツボにはまってもそれはそれで自己責任なのでそれ以上はどうも言わないですよ。


自分で思考して自分で責任を持って決断できる人や環境は、あまり多くないことも知っているのです。

そのような自立した人は、集団心理に流されずに自分の意思で考えて行動する。

他人や大勢が何を考えてどう動いたとしても、自分の頭で考えて意思決定する。


そのような人が、特に考えることのない、なんとなく流されている集団に入ると、とんでもなく苦労することになる。

そういった集団の特徴は、

とても細かいところまでルールや制限が多く、個人的な思考が尊重されない
他人の顔色を常に意識して行動する必要がある
明らかに間違っていることでも、和を大切にして文句を言わない

といった、日本では当たり前に存在する社会の典型でもある。

各個人の自主性や多様性が尊重される場合、個人の趣味や美意識やセンスに立ち入ることはしないのですよ。

そのあたり、立ち入ることが親しいことのように勘違いしている人もいますけれど、個人を尊重するならやらないことです。


日本人は批判することをしない文化でもあるのですが、大多数に迎合する文化ですから仕方ないところでもある。


集団でImposterになっている場合、その間違いに気付くことができない。

つまり、流されて嘘をついている場合があるので、それを修正するために文章化して、本当に自分の思考が正しいのか確認するためにブログを書いているのですよ。


だから自分の思考全てが正しいとも思ってもいないけれど、完全に間違っているとも思わない。

程度の問題なんですよ。

すべてを知ることはできないのだし。

大人の経験知と子供の経験

2020-11-17 19:47:57 | Human
作業を始める時間をメモにつけるようにしています。

めちゃくちゃやりたくない作業をやり始めると、始めた時間に対して10分程度しか経っていないことがわかったりする。

やりたくなかったのにこの程度しか経っていないのだから、もうちょっとやってみるかという気にもなる。

パソコン作業などはあっという間に時間が過ぎてしまいます。

ちょっとしたデータ整理をするつもりだったのに1時間とか経っている。

パソコンでの作業が好きなのかもしれないけれど、作業効率化になっているのかいないのか、疑問に思うときもある。

やりたいことやりたくないことで時間の進みが違うということでもあるのだけれど、ダラダラしているのに時間の進みが早いときなどは、体が休みたいのだと思うことにして休むことにしている。


子供のとき時間の進みが遅く感じたのは、あるいは錯覚だったのかもしれない。

毎日平日8時間も拘束されないし、夏休みも1ヶ月以上ある。

大人になっても1ヶ月以上まるまる目的もなく休みだとすれば、やっぱり時間を無限に感じる。

やりたいことの計画があるかどうかということも、時間の進みの体感に関係する気がしますね。


そういった作業にかかる時間を経験で知っていることと、こうすればこうなるということを知っているから、大人になると時間の進みが早くなるのではないかと考えます。

子供の頃はそのような経験知がないし、別に自分で計画を立てて動く必要もない。

それでも目的のよくわからない苦痛を続ければ、やっぱり時間を無限に感じますね。

私にとっての義務教育がそれ。

それでも新しく経験することが多いので、同じことを経験したとしても、そのインパクトは大きかったと思います。


自分の自由になる時間というのは重要だなと思いますよね。

好きなことに没頭できる時間は、やっぱり学生の頃にはかなわないと思う。

会社勤めのサラリーマンになると、そんな時間はほとんどなくなってしまう。

次の日のことを考えたら、朝まで起きて自分の趣味に没頭するなんてできない。

サラリーマンをやめてしまえばそれもできるのですけどね。

サラリーマンをやめたい理由としてそれもあるなぁ。


物事の因果関係がない状態で、とにかく経験できるというのは、知らないからこその特権である。

子供の経験とはいえ、同じことを繰り返せないという意味では、大人でも経験できないことができるという意味でもある。

遺伝子が同じ、いわばクローンの一卵性双生児でも、全く同じには育たない。

別に生きて別の経験をするのだから、得る経験も学習することも異なる。

同じ10年でも、それぞれ違う経験をするのだから、全く同じにはならない。

50年生きれば全く違う経験をする。

同じ50歳が同じような人間にはならないよね。

10年で50年以上の経験をすることもあり得る。

結局のところ、どれだけ多くのことをやってみたかという経験によって、人の得るものは違うのだろうなとも思う。


大人になったからおとなしくなってやらなくなるんじゃない。

危険だと思って現状を変えようとか思わなくなるから、保守的になって変わらなくなる。

学習しなくなる。


子供でも保守的な人もいるけれど、それは経験することを拒んでいるとも言える。

もしくは、
「危ないからやめなさい!」
という親に、徹底的に行動を制限された結果かもしれない。


そういう意味では、高校時点で独り立ちせざるを得なかった自分は、まぁ良かったとも言えるのかなぁ。

いろんな経験だけはしたし。


大人になって落ち着くんじゃない。

大人になって保守的になる。

失敗することを恐れて、チャレンジしなくなる。


そういう意味では、実年齢に対して若いほうだなぁとは思いますよね。

全然落ち着く気ないものなぁ。


知らないことがどんどん増えていくので、勉強することがいっぱいあるんですよ。