のほほんとしててもいいですか

ソプラノ歌手 佐藤容子のブログです。よろしくお願いいたします!

蝶々パルラーレ

2011-04-11 | 『創作・短いお話』
30分、1本書きに挑戦。



Photo by (c)Tomo.Yun

「蝶々パルラーレ」

私は、ごく普通のOL。でも少し変わった趣味がある。余計な詮索はされたくないので、このことは友達にも教えていない。
その趣味とは、蝶の標本集め。なかには蝶が嫌いな人がいるかもしれないが、非現実的なまばゆいブルーや法則的とも非法則的ともいえる羽の模様を見ていると、気持ちが落ち着く。毎晩気の向くままに標本ケースを眺めるのは心地よい習慣となっていた。そんなある日、標本の蝶と会話できることに気づいた。すべての蝶とではなく、どうも一部の蝶とだけ会話ができるようだった。その中でも、ヘレナモルフォというペルー産の爽やかなブルーの蝶と気が合うことがわかり、時々話すようになった。暇つぶしにはちょうどいい。そもそも、標本自体暇つぶしに過ぎなかった。仕事が終わった後の空虚感を紛らわしたかっただけで。私はその気が合う蝶をウニと呼んだ、理由は特にない。ウニは今日も板に刺さったままだ。私はこの板に刺さっている蝶を少し小気味よく思っているふしもあった。自由を奪われたかわいそうな蝶、私はこの蝶よりはまだましだ、と。ウニがいつもどおり、ぽつぽつと話しかけてきた。やあ、おかえり。私は、うん、と答えた。ウニは言った。ここに刺されてから3ヶ月が経つけど、こんな安心感は生まれて初めてだ。わたしは、なんて変なことを言うのかしら、と冷たい視線を送った。ウニはそんな私には構わずに続けた。自由に飛んでいたとき、いつも不安だった。蝶として正しく過ごせているのか、ひらひら飛ぶ先に何があるのか。艶やかな羽の模様も使い道が分からなかった。日ごと色あせる羽の色に多少不安を抱えて、花から花へと行ったり来たり、時間をやり過ごした。標本の板に刺された瞬間、自分の価値が正しくピンでマークされたように感じたんだ。そして終わりながら、安堵した。
私は、ウニのちょっと偏った話を聞きながら、外の空気を入れたくなって立ち上がった。細く開けた窓から、ぬるい春の風が入り込んできた。価値なんてどうでもよかった。特に他人が決定した価値なんて。私はまた自分のただ流れる時間をただ過ごそう、そう思った。ウニの入った標本ケースをもとの場所に納めた。



あとがき:30分は短いな。わたし自身は標本にはなんの興味もないし、もっていません。
なんか、自由を与えられて好きに設計することって、とても才能が必要だと思うんです。
多くの人が多少息苦しさを感じながらも、ある程度決められた所を歩むほうが楽に感じるんじゃないかな、と思いました。



コメント
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