シャロンゴスペルチャーチさんにはここ数年お世話になっている。
シャロンさんのパンフレットに礼拝堂のステンドグラスの事が書いてある。
ステンドグラスを直訳すると「色づけられたガラス」。
その昔、キリスト教の礼拝堂は11世紀前後から窓ガラスに宗教画が施されるようになり、聖書など文字が読めない人が多くいた時代にキリスト教の教義をより多くの人に伝える事や信仰を深める事を目的として発展した。
シャロンゴスペルチャーチのステンドグラスはイスラエルのシャロン平原を表している。
旧約聖書の雅歌2章1節には「わたしはシャロンのばら、谷のゆりです」と書かれ、純潔の象徴を表している。―
なるほど~、絵なら字が読めなくても、伝わるんですよね。
今日の新聞にも、たまたま、真言宗総本山の東寺の国宝「両界曼荼羅図」のことが書いてありました。
両界曼荼羅図は密教の真髄を伝える日本最古の彩色曼荼羅だそうです。
いろいろな所で昔から絵は人々に直接訴えるものとして存在して来たんですね。
みんなで話していたら、「光と闇とフェルメール」と誰かが言って、「えっ、それ、レンブラントだよ、電車にあった」なんて話から、レンブラントとフェルメールの話になり、なんか暗い、とか言っていた。
それもそのはず、二人とも1600年代のバロックの人で、ロマン派や印象派と比べたら派手な訳がなかった。
二人とも今、日本に来ているから、見たいな。
ダリはフェルメールを最高に天才として、評価していたと言う。
ダリはシュールレアリズムの画家だが、シュールレアリズムの特性は19世紀全体を通じて次第に進められて行った想像力の解放を、明確な方法意識に基づいて徹底させた所にあるそうだ。
ダリは「内乱の予感」や「記憶の固執」で見られるようにぐんにゃり柔らかい有機的イメージを好んで使った。
同じシュールレアリズムの画家、マグリットは逆に、切り立った岩やガラスなど、無機的イメージを使った。
部屋に飾るなら誰がいい?っていう話になり、とりあえず関係ないけどダリはかっこいいよね、と脱線しながらも、やっぱりモネとかルノワールとか印象派は安心できる、など話し、ダリはないか…と、なった。
ドラクロワいいな、とは言ったことはあるけど、部屋にあったらシリアス過ぎる。
絵を飾るようなしゃれた部屋ではないので、どこか広いとこに住めることがあれば、なにかすごく静かな絵を掛けてみたい。
参考:近代絵画史(高階秀爾著)