いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

秋の花たち

2010年09月22日 | 会報お役立ち

 
酔芙蓉が咲きだした9月21日。お彼岸。
今年は時期的に酔芙蓉にとって嬉しくない剪定をされてしまった。
だから、まともに花は見られないと案じていたが、いつもと同じ頃に花を見せてくれた。
この花は咲き始めの朝は真っ白で、陽が射してくるとだんだんに赤く染まり始めてくる。
上に写っている花が12時を回ると、下のようにうっすらと赤く変わり始めた。
このような変化が生きている~って感じる。

 
 
逆光と順光の花。剪定したがやはり高い位置に咲いた。
脚立に乗って写したいくらいだが、これは手を伸ばして何とか撮った。
こういうときに、デジカメは画面をのぞかなくてもシャッターを押し、
確認して写し直すことができるので、有難い。
 
そしてその夜に凋んだ花を観察…すっかり小さく丸まって赤くなっていた。
 
翌日の朝日を浴びていたのは、昨日咲いた花である。

芙蓉・酔芙蓉の花言葉は「繊細な美」「しとやかな恋人」「富貴」「微妙な美しさ」などとある。
他にも「芙蓉の貌」「芙蓉の顔(カンバセ)」。
いずれも「美しい、しとやかな顔立ち」をいい、美人にたとえらる。

また、酔芙蓉を詠んだものを下記にあげてみる。

    白き芙蓉あかき芙蓉とかさなりて児のゆく空に秋の雨ふる  与謝野鉄幹
    反橋(そりばし)の 小さく見ゆる 芙蓉かな             夏目漱石
    草とって 芙蓉明らかに なりにけり                河東碧梧桐
    枝ぶりの 日ごとにかはる 芙蓉かな               松尾芭蕉
    霞雨の空を芙蓉の天気かな                    松尾芭蕉
    ゆめにみし 人のおとろへ 芙蓉咲く                久保田万太郎


ところで、今年の夏は例年にない猛暑であったので、ハワイでよく見る
レイにする花・プルメリアがこの近くで咲いた。
主は初めてこの地で咲いたと喜んでいたし、私も珍しいことだと写させて貰った。
 

花言葉は「恵まれた人」「風刺」「内気な乙女」「情熱」「熱心」「気品」
英名は「テンプル・ツリー(お寺の木)」と呼ばれ、
インドでは墓地や寺院に多く見られるそうだ。

 プルメリアは熱帯アメリカ原生のキョウチクトウ科プルメリア属の植物。
ハワイではレイに使われ、バリ島では儀式やお供え物などに使われ、リゾートやスパやレストランの、
アクセントとして使われている。


9月です。

2010年09月03日 | 会報お役立ち

 相変わらず、9月にカレンダーを改めても、猛暑と呼んでもおかしくない陽気が続いています。

まだ、二千和会だよりが検索を押してみると、関係の無い所までこれが
リンクされてしまい、会の記事に興味がもたれれば芋づる式に引っ張りだされてしまうのです。
迷惑な話です。
その管理元にメールしました。
アクセスするためには、まずそのトラベル関係の会員に登録しました。
そして削除を要求しました。
ようやくそのページから1週間かかって、二千和会にリンクできる部分を削除することを完了しました。

しかし、gogle検索からは削除できません。
しばらく様子を見るしかありません。
他は、自衛手段で、検索にかかっているページを取り敢えず非公開にしました。
でも…
完璧にはしません。してしまうと、もうこれは終わりにすることしか手はありません。
部分的に非公開にしただけです。

これは、悲しいけれど内部会員の方がしている要素も多分にあるのだと思っています。
非公開が容易く公開のページにするには、
この非公開ページを見られる方が、「好意を持って」にせよ公開できるような
道筋をつくったのかも知れないということが考えられるのです。

または、記事の単語がgoogleの優秀な検索技術に捉えられたか?

結論としてはブログは、広く一般にも公開したい場合に適しているということです。
私の知っているPCグループでは、GoogleBazuに移行しています。
全くのグループしか観ることができません。何方が見ているか、
仲間同士で互いにフォローし合い、許可し合って皆が気楽に投稿し、情報を交換し合えるものです。
限定公開という制限でしています。
仲間は知り合いから、何方を紹介したなども一目瞭然、
悪戯書きもされないのです。
チャットとかツイッタ―という感じの気楽さではあります。
ブログより画面が小さいのですが…文字も写真も好きなだけアップできます。
非公開設定が公開されてしまったことへの不安と不満……
問題はgoogle検索にもありますね。

 


お願いです!

2010年08月29日 | 会報お役立ち

ひところ、途轍もなくたくさんの方がここに訪問されているので、
何だか変だなぁ?って思っていた。
偶然にこのブログを見つけてしまわれた方が多かったのか…
とも、思っていた。

今までは大体平均的に2桁の閲覧ページ数であった。
そして10台~多くて31、2台のパソコンがクリックしてくれている。。。
という状態で、これは二千和会とその友達関係までの
交流ページで、その目的は充分果たされていると思っていた。

ところがである。
昨年12月9、10日に、66~101ページに跳ね上がり
訪問パソコン台数も42~65台もに膨れ上がった。
さらに3月…173pv(閲覧ページ)、53IP(クリックしたパソコン台数)という数字になった。
その後、引き続き高い数字になってきて、今ではそれが普通状態。
不思議なことだと、追究もせずに、ただ頭を傾げていた。

また、またびっくり!また数字が大きくなった。
今年に入って5月5日…522pv 45IP 
1台が10p見れば500pにはなるが、このブログにこんな数字となるはずがない。
さらに6月6~12日…70~95IPとなった。

なぜかしら? 
YGさんに心当たりはない?と尋ねてみたが、やはり不思議がって居られる。

最近、暑いせいもあり、新しい記事も更新せずに怠けている
いつも同じ画面で、訪問してくれても面白くない…状態が続いて
訪問者数も落ち着いてきたようだ

ほっと安心しながらも…!?

なぜ、そのことに拘るかというと、別のブログのコメントに
とても嫌な、気分が悪くなるような、いたずら書きを残されるふとどきな奴がいることを見ているからだ。
真面目にアップしているのに、茶化したり中傷するような心無いことを無責任に記したり
さらに非常識な猥褻コメントを残されたり…。
これまでは、このブログでは無い(…とも言えないナ)のだけれど、用心深い面々の仲間である。
もしそんなことが、このブログに起これば、即止めてしまっても構わないつもりである。

以前は、検索しても二千和会というのは見当たらないから、記事が見られるよう、
アドレスを教えて…と、友達に尋ねられたこともある。
二千和会は、何処にもない名前であったから、どこかと混同することは無かったし、
検索にも引っかからずにいたのだった。
不特定多数、“会”に無関係の方に開放していない「非公開設定」をしているのだ。

それなのに…?
上記のように多数の訪問者という不思議なことがあったので、
何カ月も疑問視していた。

そんな気持ちをもちながらも更新し続けていた。
昨晩、何気なく偶然にも、「グーグル検索」ページを開けて見た。
ようやく謎が解けた気がした。



え!?ウソでしょう…?
信じられなくて時をおいて、確かめて検索を試みたら、回数が刻まれてしまった。

こればかりではあるまいが、この検索からの新しい訪問者が居られることが
分かったのだ。

以後訪問者が多くはなったが、幸いこのページに訪れる方には
変質的な方はいない。
今のところは大丈夫だと思っているが、
もしもそういうことになったのなら、もう、これを辞めても惜しくはないという
気持ちになっている。
皆さま、どうぞ良識ある態度でこれからも訪問して下さい。
参考までに上記にそのグーグル画面を載せておきます。


 


写真修正―自慢させて!

2010年07月08日 | 会報お役立ち

 もう一度武相荘の写真を登場させましょう。
 集合写真はどうしても、誰かが目をつぶったり、陰に隠れたり…うまく行かないので、大抵は、修正して皆さんに渡すことになります。
 写す時は合図して下さるといいのにぃ~。
 「はい。チーズ」というのは、もう古い?「1たす1は?」「2(にぃ~)」など…やはり掛け声を掛けながら、撮るべきかとしみじみ思います。
 玄人ではないから、修正にそんなに凝らなくてもいいのだろうけれど、気になって…以前骨折した右手がしびれて重くなってきても、微調整をしたくなります。

 上の写真は完成としましたが、下の写真と見比べてみてください。修正3人加わった方が1人います。さて、誰とだれ? 
 クイズです。判りやすいのがSOさんですが…他の3人は、どこにいるのかしら?

 そしてもう一つ、記念写真を加工してみました。これは、MKさんがカメラマン。

 下の写真を土台にして修正を行ったのです。
 カメラマンになってくださったMKさんはデジカメをよくお使いになるので、気持ちよくカメラ係になられました。だから、この画面に美しく登場されるようにして頂いた訳でした。
 こちらは、MKさんお一人だけの修正加工でよかったので、この写真の方を会報の表紙に使うべきか?
 直しが少なくて、光沢紙に印刷しても、耐えうるようだから、写真の焼きつけはこちらにすべきか?その時の気分で、どちらにするかを決めましょう。

 だんだん、技術的に向上してきたつもりです。今までのソフトが使えなくなって、新しくしたソフトが使いにくい……けれども、眺めていると、さらに直したくなるのです。仕方がないですね。これでは、病気になってしまうかも知れません。
 いい加減でいいのですが、それがねぇ~。途中で手を離すことができないから、困った性分です。


武相荘集合写真

2010年07月06日 | 会報お役立ち

  
鎌倉早の道(“いざ鎌倉へ”…と駆けつける道は何本もの道があった)とのこと、
その比較的短い道を尾根伝いに歩いて、真光寺公園から歩いて武相荘に向かう。
なかなかの手ごたえのある散歩だった。

テーマもよいし、コースも、お昼の櫻屋も良かった。
そして梅雨時と言う季節にも関わらず、毎年大抵の散歩は晴れていた。
今年7月3日(土)も、蒸し暑かったけれども、晴れすぎもせず、雨も落とさず…
散歩には好条件だった。
尾根伝いに、登ったり、下ったり、眺めの良い尾根の平らな道にも…
汗ばんだ肌に涼風が心地よい。
観光協会のガイドお二人がついてくれた。23人と言う人数のせいなのかも知れないが
お一人でよかった気がした。

登山ステッキを両手に携えていたガイド近藤さんの出で立ちに
大袈裟じゃないかとも思ったが、ステッキは頼りになるのですね、大内さんは
歩く道の途中で頃合いの竹を杖にされて歩を進められた。
山道は雨がちの季節で、今日この頃湿っていて滑りやすい状態だった。
Gomiさんが、滑って尻もちを搗かれたのには驚いたけれど、
転び方が上手だったので、ホッと安心…して、自分も転ばぬように
注意して歩いたひとときもあった。
尻もちを搗く方が骨折にはつながらないんだって。
私は、尻もちを搗くのを嫌がって、転びそうな咄嗟の時に手で支えたので、
手首を骨折してしまったのだから。

保険には加入しているものの、治癒に掛る時間を考えたら…
何事もなくて良かった。



 


木曜午後のレディース・トリオ

2010年05月29日 | 会報お役立ち

 6月1日発行の「会報39号」は、珍しく日にちに余裕を持って出来上がった。27日午後には、発送に漕ぎつけ市井に出回る出版物のように、早目の発行ができたので嬉しい。

 新聞や週刊誌、月刊誌は「○月号というと、○月よりも早めに出るのが当たり前。だから月刊誌・季刊誌の準備には、2、3カ月も前に依頼原稿を締め切るのが常識。
 そのようなことは出来ないまでも、明記されている発行日の7日くらい前には、発送したいといつも思っている。現実は諸事情が絡んで、ぎりぎり発行日に間に合うかまたは遅れて発送…という状況で「いちよう」は発行となっているのだ。

 印刷は、現在、男女共同参画の“ハーモニープラザ”の2階印刷室で、手作りしている。同好の会のはじめの頃は、お互い知らない者同志で、指導の山田俊雄先生のご都合もあって、頻繁に散歩は行えない状態だった。約3か月間隔のパラリとした繋がりで役員としては、どんなものかと思ったりした。
 そこで会員同志が、紙面でお顔を会わせ親睦をはかるつもりで会報を編集しだしたのだが、お陰で10年になろうとしている今は、会員それぞれがすっかりお馴染みとなっている。
 会報の紙面が、会員間を結ぶ大きな力を発揮してきていると自負し、何とか皆さんのお役に立ちたいと思って働いているのだ。

 会報や、お知らせの印刷は、影絵のように黒子のように、我ら『木曜午後のレディース・トリオ』が、させてもらっている。スケジュールの調節で、ほぼ毎回木曜日午後に集まる。

 ハーモニープラザ初代館長は元NHKアナウンサーの加賀美さん。
 印刷機を使用させてもらったはじめは、用紙さえ持参すれば、製版は無料だった。それが製版1枚に付き50円と有料になり、今月から、プリント機が新しくなったからと、一気に製版1枚100円と、値上がってしまった。

  

  セルフタイマーで、黒子、いやいや…、“木曜午後のレディース・トリオ”が揃って…三脚で写真を撮った。記念の写真は、タイミングを外してシャッターが下りたので、笑い顔が少々不自然だけれど、許してね。
 
 このコーナーは休憩室。自販機や小さなキッチンも備えられている。
 ここで、きょうは“折りと組み”をして、封筒にいれる作業をした。散歩の記念写真も入れて、あとはセブンイレブンで宅急便を頼む手順だ。

 少し前まで、広尾という遠くの宅急便センターに持ち込んでいたのだけれど、1,2日の差が出ても仕方がない…と、近くにあるコンビニでの発送になっている。

 テニスコートと駐車スペースの境のところのフェンスに絡まった植物はちょうど花が咲いて、芳香を放っていた。なんという名前の木かしら?

  
  

 仕上げの段階で、大事な写真が見つかって、それを差し込んだりの作業を伴ったが、今のところ「しまったー!」という、校正ミス、文章のダブりや抜け落ちた(レイアウトの急な手直しなどすると時々見つかって、そんな大打撃を感じてしまう。)個所も ない。仕上がってから見つかって、後のマツリ…ということがよくあるので緊張の時間だった。編集から開放されて、会報・万歳。
 レディース・トリオは、みんなどっぷり疲れたぁ~。この緊張感…印刷の僅かばかりの位置のズレ確認、色合いの濃さ薄さ、裏表のページの確認、製版の時の文字・写真となっているかの確認…などなど、張り詰めた神経で印刷する。

 手にとれば、一般の単なる広告でも、カラーで上出来のすごいページを見慣れているから、この会報の印刷はお粗末に見えるかも知れない。けれど、素人の手作り…売られているものより、只で配布されるものより、ず~っと大変なのです。
 その辺りは、会員の皆さんはどれだけ分かってくれるのだろうか?
 疲れるはずだよね。コーヒーブレイクで、この時の疲れをほんのチョッピリだけれど癒す時を持つ。そんな気持の押し売りはいけないと分かってはいるけれど…。期待してはイケナイのだけれど…。
 一方向からみると、正当な評価が得られないことは空しいものと感ずるね。いつもは、違う面から考えて生き甲斐とか、喜んで読んでもらえて嬉しいとか思うのに…。
 今日は低気圧で、洗濯物もカラリと乾かない日だったなぁ~~。

 


やっとできた!

2010年05月27日 | 会報お役立ち

  会報39号が、ようやく纏まって、今日最初の1ページと最後の16ページを、カラーコピーの印刷をしてきた。
 次回の散歩のご案内も出来た。あした(正確には今日か…。零時を回ってしまっていた。)木曜日の午後はプリント印刷を会報7枚(14ページ)と案内状1枚を、中央区のハーモニープラザでする予定である。

 次回散歩は、二千和会行事・散歩の活動も50回を迎える。
 そのご案内も印刷するのだが、ほんの50歩100歩のところだが、早目のお知らせである。
 東京・町田市にある、白洲次郎・正子の旧邸『武相荘』とその周辺の鎌倉古道“早の道”を歩く予定。

 白洲次郎は、イギリスに留学してジェントルマンの姿勢をしっかり身に植えこんできている。それが、世界大戦で日本が敗れ、その戦後処理に戦勝国アメリカと、堂々とした態度で、交渉をする吉田茂首相を援けた。マッカーサーの天皇に対する態度に注文をつけ、首相の演説は巻紙に毛筆で書いたものを読みあげさせた。
 もちろん吉田首相は英語で演説をしようと準備もしたのだが、日本語でのスピーチが良いとのサジェッションをして敗戦国ではあるが、立派に日本人の意地を見せた。

  

 そのような次郎と、奥さんの正子。正子もそんな夫に引けを取らず…釣り合った夫婦であった。一流の審美眼をもって趣味だとは言えないような専門家の目を持って蒐集家としても凄かったようだし、執筆作業も専念していた。
 夫婦喧嘩は英語でやり合ったと言うし、直接お会いしてその人となりに触れたかったなぁ。ちょっと望みが大きい? 正しく言いなおします。直接はとても無理だけれど、TVなどで対談したりするのを見て聞いてみたかったと思うのである。
 戦中から東京の中心を離れ田舎暮らしをした。農業も教えてもらいながら励んだらしい。都会的なダンディ・ボーイが、である。戦禍と食糧難に陥らないという目算もあったと言う。

 あまり言ってしまうと面白さや、見た感激が薄れるからこの辺で。
 明日午後は印刷。B4判の用紙が足りないので購入し、参加者の集合写真プリントを用意しなければ! (まだしていなかったことに気づく。)そして、母の主治医との面談を申し渡されていたので、午前中のうちにしておかなければ…。

 もう、深夜だ…寝なくては! この頃生活のリズムが狂ってしまうほど、編集にのめり込んでていたから…。

 つい先ほども、版下を見ていたら会員から、送られてから、そろそろ2か月前ともなろうという時の写真を思いだして、慌ててレイアウトを変えた。
 今載せてある写真を小さくしたり削除したりして、どうにか収まった…良かった~。そのことを思いだして、なんとかセーフで…危ない・危ない…良かった~思い出して救われた想いだった。


 


編集中です

2010年05月18日 | 会報お役立ち

 ご無沙汰しています。ただ今39号の編集中で、それに没頭しています。
 例のアメリカドライブ旅行の紀行文をお願いして、その掲載写真が私のイメージとはズレがありました。写真のピントがどうも甘いのです。輪郭がはっきりとしていなくて…残念な気がしました。「折角だから直接写真を見てください」と、AKさんからのお申し越しがありました。
 パソコンを使わないAちゃんは御主人にお願いしてメール送信してくれていますが、何度か私から面倒なことを承知で、お願いしていました。二度もやり直しをして下さって送信して頂きましたので、申し訳ないなぁと気が引けていました。
 「いっそのこと、お会いした方がいい、直接アルバムを見てください…」との電話があり、即その場で行くことにしました。到着まで小1時間かかるのですが、電話の1時間後にはお目にかかってアルバムを開いていました。

  

  何が気になるかというと、送られたそれら写真のピントが鮮明では無かったのです。メモリからの写真ではなくて、プリント写真をスキャンしたものを、送信して頂くしか手が無かったからです。
 このアルバムを貸出ますからと、A4判プリントが多数枚入りの厚さ3,5cm、重さ2kgのものを預かりました。
 家で改めてスキャナーを通してみようと思ったのです。
 こんなに大きな写真からスキャンすれば、会報には縮小して載せるのだから、これらのピンボケ状況からは改善されると思ったのです。      

 結果は私の考えが甘かったのです。うちのスキャナーがAKさんの所より良くないということも判りました。すなわち、送ってもらっていた方がうちのから取ったものより色合いも良いのです。…がっかり…そして― 
あれこれお願いしたホットケーさん(AKさんのご主人)に、大変ご面倒をかけたことを、ここでお詫びし、感謝を申したいと思います。ありがとうございました。

 その時、アメリカにご一緒されたMKさんも、Aちゃんと同じ地区にお住まいですし、私の到着を待ちうけてくださいました。そして旅行の感想の様々をお聞き出来ました。

 でも私は知っています。
 いろいろと、あれこれ伺っても、彼女たちの万分の一も分からないってことを。
 AKさんは原稿に書かれています。すなわち“百聞は一見に如かず”と言うことなのです。その写真によって切り取られる風景の外側も、行って、見て来ている人は見えているのです。空気を感じ触れて辺りの匂いやその時の足の疲れ、そして喜びと感激をも…さまざまに体感している人とは、所詮分り切れるものではありません。
 私が転んで腰を痛めなかったら?…と思うと残念です。でも、負け惜しみを言わせてもらえば、それで良かったとも言えます。

 その間私が日本に居なくてはならない、いろいろのことが…ありましたから。
 そう、二千和会散歩も欠席せずに、この10年間皆勤で、会報編集にも散歩の実感があるので、“編集も身が入る”ってものですから。


 


いちよう38号到着

2010年03月07日 | 会報お役立ち

 
 
   

 計画では、3月1日に発行でしたが、1日になっても編集部に届かない原稿があってとても心配しましたが、とにかく3月1週目のうちに発送できました。(やれやれ……ほっ!)

 会報が完成するまでの委員会の総結集力を語り草にしなくては、私のストレスは収まりません。 申し訳ありませんが、今回は言わせて戴きたいと思います。

 決して誰が…と、その根源・原因なのかはひとつではありませんでしたから、仕方がないことかも知れません。
 この記事を読んだ方がジャッジして戴きたい…なぁ~んてね! 
 まあ、そんなにキリキリするものではないでしょうが、この度の委員皆さんの協力体制は見事なものでしたので、事実を記録しておきたいと思います。

 2月19日(金)に、本年度第2回の運営委員会を開きました。お花見企画、記念パーティーの概要の打ち合わせ、会報の編集企画、その他が議題でした。
 
 会報についてだけを申します。
 たたき台としてのものが、ほぼ8~9割方出来ていました。この時にプリンターが故障しかけていました。印刷が均一に出来ないでまるでブラインドを掛けた風景を見るような筋が入る印刷となってしまったのです。

 1割くらい安い、リサイクルのインクを求めてちょうど入れ替えたところでした。いつも利用していたので、何も不安はありませんでしたが、 近所の電気店に問い合わせたところ、リサイクルのインクは時として不純物が混ざっているかも知れない、それが原因でしょう…というので、インクを全て新品に取り替えました。
 
 何度もクリーニングをしました。それでも改善しないので、強制クリーニングも繰り返しました。そのうちプリンターの下にインクが洩れでてしまい、あたりが黒いインクだらけ…光りの合成なら白くなるのですが、インクは多色が合わさると黒になってしまうのが、実験させてもらい証明したようなものです。

 周りの掃除です。腰も、足の痛みも完全には治っていないのに、そのあたりの物を移動して夢中で掃除しました。まるで、これが「泣きっ面に蜂」みたいなものだと、可笑しくなりました。

 一応、CANONのサポートセンターにメールして今日6日、運送費向こう持ちというので、修理に出しました。5年前に求めた複合機のプリンター。コピーもスキャンもできて、本当に便利に使っていたのです。印刷面の色合いも満足でしたのに、手元から離すのが不安になるくらいでした。

 

  これからの、奮戦記は…その連携プレーは見事なものです。
 まず、最終原稿が3月2日朝SOの整形外科医院の予約が10時でしたので、その道筋で頂きました。午後に直接会長による初校をして頂き、電話で指示をうけてようやく2日夜に紙面が埋まりました。

 あとは編集。写真キャプションを入れたり写真を削ったり…。じつはこれが大変なのです。面積の塊の写真は、この場所へ落ち着いて欲しいのに、勝手にここは居心地が悪い(?)と、飛んだり跳ねたり、隠れてしまったり…手に負えない悪ガキです。ほんの1㎜程度小さくしても駄目な時は駄目なんです。これをおとなしくその場所に納めるように、何度も闘って勝ち取るのです。
 それこそ、思う位置に納まってくれると、とっても嬉しい(!)のです。闘ってない人にはこの辺りが漠然として理解できないかもしれませんが…。

 なんとか3日朝には形になりました。印刷の日取りは原稿が入ったら何方が受け持てるのかを、あらかじめお尋ねしており予定させて戴いています。まず集合写真をカメラ屋さんで印刷をしておいて、会報の紙面は自宅プリンターで。
 今回は、SOプリンター故障のため、YGさんにお世話になって3日午後に彼女のプリンターで印刷しました。その日の4時過ぎにはYGさんの予定が入ったとのことでその時間を目指して作業を進めました。そして4時過ぎにYGさんのお宅を守備よくおいとま出来ました。

 宛名入り封筒、はがきの印刷はYKさんの分担になっています。それらを受けるため、その帰り道に、予定のことがすんだとの連絡があったので、YKさん宅にドッキング。そこで七福神めぐり参加者の封筒に写真を入れました。YGさん宅で完成していたB5版の版下を、つなぎ合わせてB4判に整えて置きたいのでセロテープをお借りしました。カラーコピーが帰宅前に出来れば今日の内に印刷の半分は出来ると思ったのです。一応、準備OKです。
 USBメモリーでの操作で時間を要したので、コピーは断念して、SOはその後の予定に入りました。孫の「雛祭り」に呼ばれている時間が迫っていたのです。夕餉を共に雛祭りのひとときを楽しむため、銀座の、C.Cケーキを背負って市川まで車で駆けつけました。
 ~あぁ、なんとかクリアしてほっとした気分~で、娘宅到着の5時すぎから8時半ごろまでゆったり気分で楽しみました。「泊まっていって…」とせがむ言葉を振りきって、明日の印刷にそなえなければ…と一路夜の国道を運転し、自宅に向かいました。その途中携帯メールが鳴ったのでした。

 Yoko Gさんからでした。「7Pか8P(?記憶が危ういですが)の、ある所にミスが見つかった」と発見してもらいました。とくに校正する時間もないので、印刷しながらの点検したのみだったので、何があっても不思議ではないのです。念のため、このメールをYoshiko Kさんに、転送しておきました。
 信号待ちの時にメール操作をするのです。やっぱり、私は駆けながら行動するタイプを地でいっていると思う瞬間です。
 9時過ぎにYKさんのお許しがあって、寄らせてもらい問題を処理できれば、校正したものの印刷もここでお願いできると見込んだのです。やはり編集完了までは元原稿もないし時間も遅いしするので未完で帰りました。
 明日に回せば良いとお思いかも知れませんが、YKさんご自身は明日は明日で予定が入っています。そしてYGさんもアウトでした。一番に困ったのはSOのプリンタ-が巧く作動しないことがネックです。(綱渡りのようなスリリング…)

 ご指摘の部分を家に帰って校正して、モノクロ印刷部分だったので何とか騙しダマシで印刷してみたら少し筋があったけれど、版下として使えそうなのでホッと安堵した訳です。

 翌日4日はハーモニープラザでの本印刷。その前にカラーコピーページの準備に参ります。1枚30円という格安のお店に出向いて、版下3枚のコピーを完成しました。この日は女性陣が動けないのでピンチヒッターに、副会長MAさんに“駄目モト”で連絡させ頂き、ちょうど空けて下さったので助かりました。
 いつもなら、3人での作業で、封筒に入れて送る手続きになるんだけれど、そこまでは申し訳なくて頼めません。そのまま帰宅して今日中に送れれば…と思っていました。
 あ~、年輪を重ねてその歩みを共にしていた有難みです。「用事が済んだから、これから行きます」とのYGさんからの連絡でした。
 紙面の折り、ページ組み、それぞれの封筒に詰め、封筒の糊づけをして作業が完了しました。その帰りがけ(4日の夕方です)に、道筋のセブンイレブンで宅急便を出してようやく終わりました。
 (活き活きと、生きているんだ~って、自己満足の“雄たけび”をあげたい気分です。)

 ただ、ただ〔3月1日〕の発行を待ちかねていらっしゃるだろう会員の方に、1日でも早くにお届けできるようにと、心を一つに頑張ってきているんだなぁって、感激しています。
 締め切りに間に合うように…という願いもありますが、プリンターの故障は思わぬ足止めになったことは事実です。
 今回のことで、こんなにもチームプレーが見事に出来るなんて、素晴らしい仲間であることを改めて感じました。やはり10年の厚みですね。
 会員の方から、今日6日に届いたと、お知らせがありました。


会報の充実

2010年01月15日 | 会報お役立ち

 いつも Katagai さんは、12月の総会時に、来る1年分4つの作品原稿を下さっている。いま預かっているのは変則的に戴いたものも含めて8作品。ちょうど2年分である。
 この7日、七福神参りでお会いした時に、ちょっと心に刻むひとことを戴いた。また後ほど改めてここに書き記したいと思っている。

 総会の時に「会報いちよう」についての話題が持ち上がった。
 「この年会費では、あのように立派な会報を出すのは大変じゃないか」とか、「散歩参加者の会費を上げたらどうか」とか、「会員とゲストではやはり参加費に差があっても自然ではないか」など、「ここまで作り上げるには誰かが被っているに違いない」など編集者に対する思いやりからの発言が投げかけられた。

 しかし、このように成長したのは当然のことだが編集者だけの努力ではない。会員の皆さんが会報を盛り上げて下さっているし、努力され協力を惜しみないからである。それは決して見逃すことはできない。寄せられた原稿を開くと皆さんのお顔が見えて、懸命に後押しされていることを感じるので、それにお応えする喜びも大きいからである。
 この会報には、働き盛りの過去に原稿料を戴いて書いていた方もいらっしゃるのにボランティア。
 編集面にしても応分の給料を戴いていた経験もあったのにボランティア。

 そんなことを引き合いに出しても仕方がないし、関係ないこと。
 それこそ大変な部数を出すような営利目的の出版物ならいざ知らず、これはほんの一握りの会員またはそのゲストに渡すだけの、“和”と“輪”が目的の出版なのである。はじめからボランティアのつもりで、会報編集の“舟をこぎ出した”のである。
 会報を介しての会員間の交流を夢みて編集したのが最大の目的。そのうちに会員の皆さまに素晴らしい才能を見せて頂ける場にもなって、メンバー揃いが判ってきて頼もしくも思った。
 編集しての楽しみ喜び…引いては遣り甲斐さえも感じさせて戴いているし、「だからこそ…」と自負も持たせて戴いている。

 はじめの頃は「会報に原稿を寄せて下さい」と、皆さんのお顔を見るたびにお願いしていて、「彼女には近寄らないようにしよう」とか冗談を言われながら、怖がられ、嫌がられていたと思う。そして年数、回数を重ねた今は、素晴らしい原稿が自然に集まってきている状況で嬉しい限りとなっている。
 なんと誇らしい飛躍ではなかろうか! 編集者としては、ただひたすらに嬉しいことと喜んでいるのである。

 ただ今、「いちよう 38号」のために寄せて下さっている原稿は、Katagai さん(読書・読後感の作品)、Kadoyama さん(心に留め置くテーマ作品)、 kiuchi さん(七福神の感想)、Tabuchi さん(シリーズのNO4作品)です。
 発行は3月1日付ですので、どうぞ今からのご準備で遅くありません。
 ご遠慮なく作品をお寄せ下さいませ。
 とくにお若かったころのことを、書き記してみませんか? 読み手は頑張っていたからこの現在があるのだと心から思います。

 奥ゆかしい皆さんは、「自慢話」に取られるかも?と心配されたり、お考えになる方も、居られるかも知れない。寄稿される皆さんは、マナーをもって書いて居られるので、決してそういう風には受け取れはしないのだ。
 どうぞ安心なさって、お書き下さるよう…ハッスルして挑戦してみて下さい。
 個人の思い出だけに埋もれないで、会報へ引っ張り上げて登場されることを、お願いしたい。