参加してもいいよ…とのMさんからのお許しがあり、徒歩7分の近くの大学へお勉強に。
私は、心に刻み込まれるようなお話が聞けたと喜んで戻ってきた。
こういう聞き応えのあるお話はまるで大学の授業のようで好きだ。
主に私の心に残っている事柄は、ボランティアの心。
ボランティア…人の為にしてあげることと、思い勝ちである。けれど、人の為という字は偽りという字に表されているように
人の為じゃないということを、ボランティアに携わるときに肝に銘じたほうが良いということである。
なぜならば、人の為と思って喜んで奉仕するのだけれど、実は全てが自分の為になっているということが
多く潜んでいることを知っているべきだ。
ボランティアに関わることによって、その仕事に深みが増したり、その奥行きから自信にも繋がっていく。
芸術家(画家・書家・作家)等は、その仕事を完成するために没頭する幸せがある。
なぜ、没頭できるかというと、それは作品を発表できること。
人びとがその作品に触れて、もしか感動してくれるかも…大変な評価を受けるかも…との
期待が心の片隅にあるから没頭できるのだ。
その人びとの目に触れて表にさらしてこそ、その作品の役立ちが見られる。
そして、創造した作者は満足するのである。
満足感は、役立ち感と没頭感の上にあるということ。
私が会報を作り上げていることにも、通ずることなのだ。
ばかばかしい時間を要し完成度を高めていくつもりなのに、時にはアッという落とし穴~
~ミスが見つかってがっかりすることも多すぎるが、誰かがこれを待っていると思うからこそ携われるのだ。
そして究極の「生きる」ということは「死」と言うものを意識して初めてその実感を味わえる。
死を直視してこそ生が輝く。
暗闇に入ってこそ星のきらめきが美しいことを知る。
暗い中を通ってこそ、星のきらめく様子の綺麗さ、素晴らしさを知る…のだね。
それなりのことは分かっているつもりだが、講演を聞きその筋道を通すことによって
自分の心が整理されていく、スッキリ感があってとてもよかった。
そして、女同士のおしゃべりの中にもそれなりの収穫があるわけで、おしゃべりも大好き。
今回はお二人にお会いし、また収穫の手応えを実感できた。
どんよりとした日。友と別れた後に氷雨が降ってきた。
年を重ねるということの重みを感じ、少しずつその支度を意識するしないに関わらずにしているんだという
ことを氷雨の中を散歩しながら、反復して帰った。
またひとつ教えられ考えさせられ、何とかしなくちゃという余韻を味わった。
河津桜が開花している。こちらの方とのおしゃべりは、時間があったので…でも、お母さんのお話とか
これからの自分の生き方などを模索するいい機会を話の中で与えられていた。