それでは、四国鉄道連載第11夜は、平成20年夏シーズン、予讃線伊予西条を中心にお届けします。
「新幹線の生みの親」とされる国鉄総裁十河信二氏は、伊予西条の出身とのこと。そのことから、伊予西条駅前に「十河信二記念館」が建ちました(写真)。中は十河信二氏にまつわる文物の展示、および書斎の再現などがあり、人物像に触れられる内容となっています。
当時は、記念館で入場券を買って入った、「四国鉄道文化館」(写真、現在の北館)。中に入ります。
中には、2両の展示があります。1両は、DF50 1です(写真)。三菱スルザー式の電気式ディーゼル機関車です。
同機の運転台(写真)。電気機関車と全く同じで、それはディーゼル機関で発電した電気を制御して、モーターを回す方式だからです。ディーゼル機関と電気系の双方をメンテナンスする必要があり、電気系がメンテナンスフリーとなったDF200まで、日本では主流とはなりませんでした。
もう1両は、0系新幹線、21-141のカットモデルです(写真)。建物の中に入るよう、寸詰まりになっています。
運転台(写真)。各地で見られた0系保存車と同じですが、メーカーや製造時期で多少個体差があるのでしょうか。
なお、同車は英国ヨークの「王立鉄道博物館」に展示されている、22-141の相方でもあります。
線路を挟んだ南側(写真)。当時は古い木造や煉瓦造りの鉄道関連施設がありました。
途中、多分新居浜でしょう、貨物駅で出発を待つEF65 1032(写真)。広島更新色です。PFも、当時はオリジナルのナンバーのままでした。
当時はこれだけの博物館でしたが、それでも大きな事件でした。当時の雰囲気を、感じていただけるでしょうか。
それでは、次回をお楽しみに。